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天然キャンディッド

1 :みおん :2011/09/17(土) 18:41
大学青春

保田・道重・中澤
155 :陸で泳ぐうさぎ・第一話 :2012/03/24(土) 16:39

「なぁ、落ち着いて話したいんやけど」

話し合いたいのか、一方的に話したいことがあるのか、さゆみには判断できない。

「え、あの、何を、ですか?」
「……やから、将来のこととか。色々あるやんか」

声が途中から荒くなって、ボリュームを抑えるように息を吐き出す。

「わかりました」
「なんや、はじめっからそお言えばええんやで。ったく、頼むでぇ。ほんまー」

着慣れないスーツと黒くカッチリとしたショルダーバッグが、気分を余計にどんよりとさせる。
胸にかかったバッグのショルダー部分をぎゅっとつかんだ。
これから起こる何かへの不安を感じないように。

「さゆみの家でいいですか」
「ええよ」
156 :陸で泳ぐうさぎ・第一話 :2012/03/24(土) 16:40

自宅なら、まだ自分のペースで話ができるかもしれないと思った。
中澤さんがきっちりと正座してから、さゆみにも正座を促す。
そして、さゆみの唇がよく動かないうちに中澤さんは話し始めた。

「あんな、重ちゃんが将来のこと、どう思ってるんか知りたい」

話して欲しい、と。
さゆみは中澤さんのことを聞いた。どうしたいのか。
そしたら思いがけない言葉が返ってくる。

「中退しようかと思ってた」

なんでだろうと聞いてみる。金銭面のこと。さゆみが将来の設計図をどう描いてるのか。
聞けずにいて中退するのもやめたこと。悩んでたなんて知らなかった。

「なんでそのときに言ってくれなかったんですか」

あ。

言っちゃいけないことを勢いに任せて言ってしまった。
少しずつ中澤さんの表情が曇っていく。
不安で心が押しつぶされそうな。緊張、してたんだ。
視線が横にそれていく。さゆみのこと見てない。
157 :陸で泳ぐうさぎ・第一話 :2012/03/24(土) 16:40

あ。

前に聞いた保田さんの言葉が頭の中でよみがえる。
『裕ちゃん、前は怖かったよ、前はね』
心にいる暴れる甘えん坊の子供を律してしまう。だから何も言えないんだ。
律しすぎて他人にも厳しくあたってしまうから。自分の中の怯える子供を見せないために。

「あの、すみません」

とっさに口から出た謝罪の言葉。かわいそうな中澤さん。可愛い中澤さん。

「でもさゆみは間違ったことは言ってないと思うんです」

鉄は熱いうちに打てって言うらしい。情熱が冷めないうちにとかなんとかかんとか。
寺田学長が言ってたらしい。さゆみたちの恋愛も冷めないうちにどうにかしよう。
158 :みおん :2012/03/24(土) 16:41
遅くなりましたが更新
159 :陸で泳ぐうさぎ・第二話 :2012/03/30(金) 20:29
新学期が始まろうとしてる。本格的に講義がはじまるまであと一、二週間もある。
高価な教科書と生活費をやりくりして、落選してるかどうかわからない講義にも出席して。
先輩たちから講義の傾向を聞き出したり、友人と同じ講義だったら出欠をどうまわすか相談したりして。
そんなことを繰り返していると、すぐに大型連休だ。


大学院は忙しいらしい。中澤さんも安倍さんも。
保田さんは、秋期から突然講義に出始めたけれど、そんな簡単に卒業できるわけはない。
でも、みーよと一緒にいられる時間ができたの! 
年の割にウキウキ浮かれてて、ちょっと気持ち悪い。
吉澤さんは院に進むかどうか迷ってたけれど

『就職せぇへんとわからんこともあるし、稼いだ金で勉強するのも楽しいで』

と言われて石川さんと一緒に卒業した。
松浦さんは今年度休学。心の整理をつけてるんだと思う。
160 :陸で泳ぐうさぎ・第二話 :2012/03/30(金) 20:29

 
161 :陸で泳ぐうさぎ・第二話 :2012/03/30(金) 20:30

サークルはガキさんがリーダーになった。
二年生だけど入ってくれた子がいたし、もちろん新入生も入ってくれたし。
嬉しいけれど、寂しい気持ちもある。顔を合わせればいつもと変わらない日常。
頼れる人は近くにいるけれど、問題が起きたら自分たちだけで解決するの。
先輩になるってこういうこと。まだ「道重さん」とか「先輩」とか呼ばれるのには慣れない。
去年の後輩は小春一人だけだったし。
162 :陸で泳ぐうさぎ・第二話 :2012/03/30(金) 20:30

あの日以来、中澤さんとまともに話してない。
サークルの仕事で困ったことがあると相談に乗ってくれるし、アドバイスもくれる。
今までみたいに、ふっと柔らかく笑ってくれたりバカ話したりすることもない。
冷静に作業として向き合ってるんだろうと思う。
さゆみは、そういうときどうしたらいいのかよくわからない。
ワガママ言ってもいいのかな。そういうさゆみのことは嫌いなんじゃないかな。
言いたいことがあるなら教えて欲しい、と相手に言えるなら、きっとさゆみが言っても気にしない。

はず。
163 :陸で泳ぐうさぎ・第二話 :2012/03/30(金) 20:31

一歩が踏み出せない。肝心な行動には至らない。
気持ちがぐじゃぐじゃーってしたまま悩んで悩んで悩んで悩んで、顔を見るのもホントは不安。
話しかけるのも緊張する。さゆみのたった一言でこんなに変わるなんて、バカみたい。
ガキさんにもリンリンにも後輩にも、絶対心配かけたくない。

けど。

何もありませんでした、って顔して笑うんだ。
……その時は楽しいから。
もし、嫌なことがあっても笑って耐えられるように、ずっとずっと笑っていたい。
泣いたり怒ったりするさゆみをさらしたくない。
笑ってるところが好き、って言われたい。
164 :みおん :2012/03/30(金) 20:31
第二話更新
165 :陸で泳ぐうさぎ・第三話 :2012/04/18(水) 22:43
桜のはなびらが舞い落ちる、四月はじめ。入学式は終わってガイダンスにきっちり四日間。
おつかれさま、という土曜日に新入生歓迎式典、という名のサークル勧誘日。
小春は来ない。まこっちゃんとガキさんとさゆみの三人で頑張って勧誘しなくちゃいけない。

のに。

頑張ったけど、うまくいかなかった。
まこっちゃんには、人見知りなのに頑張ったね、って言われたけど。
さゆみ的には、中澤さんの前で頑張りたかったなぁ。うまく勧誘したかったなぁ。
ほんの少し、さびしい。だって、今年から院生はOG扱いと言い出して二人とも来なくなったから。
忙しいってわかってるけど。保田さんも若い人に任せるわなんて言って寄りつかなくなっちゃった。
三好さんに会うために学校に来るぐらいなら、ちょっとぐらい顔出せばいいのに。
166 :陸で泳ぐうさぎ・第三話 :2012/04/18(水) 22:43
帰り道を一緒に歩く。薄暗い紺色の空の向こうは、まだ明るいオレンジ色の光。
グラデーションがとてもきれい。冬には見られなかった色だ。
風は弱いけれど、空気が澄んでいるのか肌寒い。
昼間はあたたかいと思って、あまり厚着をしてこなかった。ゆっくりとした足取りが早くなる。

あ。

ガキさんがゆっくりと話し出す。来られなかったリンリンの話。
両親が中国へ帰ってこないかと言ってるらしい。本人は嫌みたいだけど。
でも高校生の頃から遊ばせてもらってたからなぁ、としょうがなさそうに言ってたとのこと。
まだ小春や先輩たちにも秘密にしといたほうがいい、ってガキさんは考えてるみたい。

「だってさー、新入会員の子もいるんだよ、心配事は少ない方がいいじゃん」

って。
167 :陸で泳ぐうさぎ・第三話 :2012/04/18(水) 22:44
それに対応するようにまこっちゃんにも釘を刺される。
「じゃあさ、さゆとなかざーさんの仲も秘密にしといたほうがいいんでない?」
うんうんと頷くガキさんは、一呼吸おいて同意する。
「そうだね、そういうの苦手な子もいるだろうしね」
つい「えー」って口とがらせちゃったら。
「実はそーゆーのよくわかんないんだよねぇ。女同士で恋愛? って思っちゃうから。まこっちゃんはどう?」
「よくわかんないけど、まぁ他人事だから」
「だってさ。さゆ、ちゃんと聞いてた?」

ぼーっとしてたわけじゃない。だけどこういう話、久しぶりだなって思ったから、返事ができなかった。
「あ……うん」
中澤さんと、こういう話もしたことない。ホントのところはどうなんだろう。どう思ってるんだろう。
きっと入学前は異性と付き合ったこともある、と思う。これから異性が近づいてきたらどうするんだろう。
年齢が年齢だから……さゆみが一人で考え込んでも仕方ないんだけど。でも考えちゃう。
168 :陸で泳ぐうさぎ・第三話 :2012/04/18(水) 22:44
「その返事、なーに?」
ガキさんが明るい口調で言ってくれたのが救い。
「なんか改まってこういう話すると……変だね」
まこっちゃんの言葉にうん、と頷くしかない。

「まぁさ、さゆすけのことなんだかんだで心配してんだよ。安倍さんとかさ」
「……えー、ほんとにー?」
「コラー! なんでそこで疑問形になるの。ダメだよ、先輩の好意はありがたく受け取らなきゃ」
「うんうん、そうだぞ」
「……ごめん、ありがと」
「駅着いたね」
話ながら歩いてるうちに商店街を抜け、駅に着く。
ガキさんはここから片道一時間の実家に住んでいる。
「まったねー」
ふふん、と笑いながら大きく手を振るガキさん。
ガキさんの姿が駅舎に消えて見えなくなる。
169 :陸で泳ぐうさぎ・第三話 :2012/04/18(水) 22:45
「新入生で話した子、覚えてる? なんか珍しい苗字の子いたじゃない?」
「あー、譜久村さんと飯窪さん」
「入ってくれると良いね。今日はさ、頑張ったんだからゆっくり休みな」
「はい」
「そんでさ、それでも気分が晴れなかったらメールしていいから。ね」
バレてる。
しかも先輩にこんな気を遣わせて情けない。
しっかりしなきゃいけないのに。先輩になったのに。
170 :陸で泳ぐうさぎ・第三話 :2012/04/18(水) 22:45
まこっちゃんと別れた後、ごはんもそこそこにゆっくり湯船につかろうと思った。
けれど、お湯のあたたかさと人肌のあたたかさは別物で。
去年の夏を思い出す。ぎゅっと濃厚な熱い夏だった。今年の春はどうなるんだろう。どうなっていくんだろう。
絵里と付きあってた気持ちでいた去年の今ごろ。今年は、中澤さんと付きあってる気持ちでいる? 
気持ちだけなのかな。さゆみはあのときほど真面目に行動してない。
だって中澤さんの気持ちに向き合うことも寄り添うこともできないから。
さゆみのこの気持ち、ぶつけていいの?

ただ そばにいてほしいの

……そのことすら叶わなかったら、叶わなくなったら。

◇◇◇
171 :みおん :2012/04/18(水) 22:45
本日の更新です
172 :みおん :2012/04/18(水) 23:51
>>165の最初に
◇◇◇
が入ってるとわかりやすいかもしれないです。
申し訳ない
173 :陸で泳ぐうさぎ・第四話 :2012/04/19(木) 21:54
◇◇◇

初回講義は登録カードを提出しないと出席扱いにならない。
三回目に登録した講義はまだ当落が出てない。
全出席しなきゃいけないわけだけど、そうするとひどく疲れた気分になる。
そういう日ほど曇りで、午後から雨の予報、なーんてことも。小さな折りたたみ傘一つが重く感じる。
カバンにつめたノートや教科書と比べたら、ううんカメラと比べたら軽いのに。
太陽もさゆみにいじわるしている。校舎から出ても、どんよりとした雲が広がっている。

暗いなぁ。

さゆみの気分まで暗くなってくるから、曇りは嫌い。雨降りも嫌い。
生暖かい空気で気持ち悪くなることだってあるんだから。オンナノコは大変なんです。
溜息つきたくなるのは天気のせいで、気分の問題じゃない。うん、そうだよ。
こんなに体が重く感じるのは、気持ちの問題じゃないもん。
174 :陸で泳ぐうさぎ・第四話 :2012/04/19(木) 21:55

そういえば。

藤本さんと松浦さんがまだ元気だったころ。
天気の悪い日は一緒にサボろうよ、なんてちょっかい出されてたな。

――散歩行こうよ、散歩。大学近くのカフェのランチ安いんだけど行く? 
安いだけじゃなくて美味しいしさぁ。もしマズかったらみきたちがおごるよ。
ねぇ。開始三十分以内に行けば出席扱いなんだからさ、五分ぐらいここでおしゃべりしない?――

あの頃は、絵里と付き合ってたんだっけ。絵里と約束していたから、誘いに乗ったことはない。
けれど今は。どうだろう、もし誰かに誘われたら。ついていっちゃうかも。
中澤さんと約束してないから、とかそんなことじゃなくって。ただたださびしいから。
本当はさびしい。大切にしたい人がさゆみから離れていくかもしれない。
中澤さんがさゆみを誘ってくれればいいのに。そしたら万事解決。
……そんなことになるわけないじゃん。ひどいこと言った、ていう自覚はあるけど。
想像するのは自由だから。どう行動するかもさゆみの自由だけど。
動きたくない、なんもしたくない。けど、サークル活動も始まる時期。
175 :陸で泳ぐうさぎ・第四話 :2012/04/19(木) 21:56

今年の新入会員は三人。小春と同学年の子も入ってくれたから、気持ちは楽だ。
講義終わりを待って三号館のロビーに集まったところで、活動に使えそうな教室を抑える。
いくつかの教室は既に他のサークルや文系部活が
あ、保田さんだ。今年度初めての活動だから、さすがに顔は出すよね。
あれ、なんだか化粧がさらに濃くなったような気がする。流行のつけまつげ、盛りすぎ……。

「なにさ、人の顔ばっかり見て。ちょっと聞いてよー」
視線が合ってしまった保田さんが話しかけてくる。
「みーよの話はお断りです。まつげ盛りすぎで気持ち悪いですよ」
視界の端に、ガキさんが人数を確認してるようだ。まこっちゃんと話しながら、頷いてるのも見える。
「言ってくれるじゃない。そんなことより、裕ちゃんがさ」
ガキさんが一声かけて新入会員たちが歩を進める。保田さんも歩みはじめる。
「ああ、はい」
一歩遅れてさゆみも集団についていく。私たちが後ろからついていけば大丈夫だろう。
「食事ちゃんと摂ってるか、って心配してたよ」
176 :陸で泳ぐうさぎ・第四話 :2012/04/19(木) 21:57
階段をのぼる。荷物は重くないはずなのに、体がふらふらと横に揺れる感じがする。
「最近自分で作ってるんですよ。卵焼きとか、簡単なものですけど」
さゆみ、こんなに体力なかったかな。階段のぼりながらの会話ですら、息が浅くなってる。
「あー、そうかなるほど。や、裕ちゃんがさ、しげちゃんをコンビニで見かけないって心配してたからさ」
のぼりおえて廊下に出たら、息を整えるように深く深呼吸した。
「伝えとくね。まぁ痩せたんじゃないの。ほんとにちゃんと食べてんの?」
「はい。食べて、ますよ」
笑いながら、言えたかな。
だって。
あんまりお腹空かないし、食べてもおいしくないし。
177 :陸で泳ぐうさぎ・第四話 :2012/04/19(木) 21:57
「おーい、二人とも早く教室入ってー」
教室から顔を出したガキさんが私たち二人を手招きしている。
「はーい! 行きましょう、保田さん」
口が動いたはずなのに声が出てなかった。
目の前が何度か横に揺れると、ひざから下に力がうまく入らなくなっていた。
代わりに保田さんの慌てた声が聞こえた。

大丈夫です、大丈夫ですから。
唇は動くけれど、さゆみの声もさゆみの耳には聞こえなかった。
さゆみの耳には誰の声も届かない。
178 :みおん :2012/04/19(木) 21:57
連続更新ですよっと
179 :陸で泳ぐうさぎ・第五話 :2012/04/20(金) 22:32
青空のした、みんなが笑顔でさゆみのことを迎えてくれる。
けれど、いっせいに唇が動いているのに何を言っているのか聞こえない。
今までのさゆみはみんなの声が聞こえたのに。どうしたんだろう、具合悪いのかな。
いや、でもシャッターの音も聞こえないってことなんだ。
みんなが一生懸命唇を動かしてるのは歌ってるからなのかな。
こんなに楽しそうなのに、どこで撮ったらいいのかわからない。
さゆみが知ることのできない世界になってしまったんだ。さゆみが変わったから?
まこっちゃんの赤い唇。ガキさんの細い唇。どんな声をしてるんだろう。
保田さんが三好さんの唇と重ねあわせてる。どんな音がするんだろう。

あ。

唇を動かしてない人がいる。輪から一歩離れたところにぽつんと立ってる人……。

「……なかざわさん?」
180 :陸で泳ぐうさぎ・第五話 :2012/04/20(金) 22:33


ぼんやりと真っ白な天井が見える。……ここ、どこだろう。
そのうち視界の端までくっきりしてくる。体の隅々がぼおっとあたたかい。
頭の下にやわらかい枕、体があたたかいのは白い布団がのってるから。
首を横に動かすと白いカーテンが見えた。保健室、かな。
あれ、サークル活動は? 保田さんと話してて、それからそれから……どうしたっけ。
なにをしてたのか覚えてない。

「重ちゃん? 起きたんか」

カーテンの向こうでやわらかな響きの関西弁が聞こえる。

「重ちゃん?」

もう一度。今度は少し弱い疑問形だったけど。
返事をせずにカーテンが開くのを待っていた。

「……寝返り打っただけかいな」

小さな溜息一つと、あきらめたような独り言。

『さゆみ、夢を見てたんです』
181 :陸で泳ぐうさぎ・第五話 :2012/04/20(金) 22:34
唇を動かしても声が出にくくて、喉の奥をしぼるように力を入れるとなんとか音になる。

「どしたん? つらいんか」

ああ、さゆみの声はまだ届いてない。届いてないんだ。
今度はすぐにカーテンが動いた。顔が見えて、ほっとする。
いつぶりだろう。こんなにちゃんと声を聴くなんて。

「重ちゃんなぁ、無理したらあかんでぇ」

あきれたような表情だけど、声はずーっとやさしい響きのまま。
あの時とは違う。石川さんと吉澤さんの卒業式のあととは違う。いつもと同じやわらかい響き。
保田さんや安倍さんと話すときとは違う響き。まこっちゃんやガキさんの時ともほんの少しだけ違う響き。
さゆみの肌と中澤さんの肌が優しく触れあう。おでこに手をのせてくれた。
横になってたからか、寝てたからか、中澤さんの手をほんの少し冷たく感じる。気持ちいい。

「もうすぐしたら、サークル終わると思うで」
182 :陸で泳ぐうさぎ・第五話 :2012/04/20(金) 22:34
久しぶりだな。時が穏やかに過ぎていく感覚。
研ぎ澄まされていく神経が、両手がカメラの重さを欲している。
ああ、人ってこんなにも優しい表情ができるんだ。さゆみの両目がカメラだったらいいのに。
まばたきした瞬間に撮れればいいのに。誰にも見せなくていいから、ずっと記憶していたい。
一瞬、一瞬が音もなく通り過ぎていくのに、その一瞬を見逃したくなかった。
仕事してるわけじゃないのにな。
二人だけの時間を邪魔するように控えめなノックの音が聞こえる。

「はぁい。ガキさんかな。あんた、ちゃんと謝りぃや」
「……ぁい」
「声、でぇへんみたいやな。ま、なったもんはしょうがないで」
183 :陸で泳ぐうさぎ・第五話 :2012/04/20(金) 22:34
思い込んでいたのはたぶんさゆみだけ。
中澤さんはさゆみの視界から消え、ドアを開ける音とともにガキさんの心配そうな会話が聞こえる。
言葉の意味、声にのせられた感情、そして内容から察するに。
さゆみは活動に行く途中で倒れたらしく、保健室へ運ばれたと。
保田さんが気をつかって中澤さんを呼んでくれたらしい。
うう、どうしよう。やだ、さゆみ恥ずかしい。そういえば声が出しにくいんだ。伝える手段がないんじゃん。
とりあえず体を起こす。あー、それにしたって恥ずかしい! 
さっきまでの研ぎ澄まされた感覚とは違う、重ったるい感覚が体を支配していく。
それは同時に黒い感情でもあると自覚はあった。ままならない、幼い感情。

ただ 中澤さんと 一緒に いたいだけなのに。

感情と行動が乖離してる。動けないまま、さゆみは想いを伝える手段である声が出ない。
184 :みおん :2012/04/20(金) 22:35
最初に考えていた構成とやらはどこにいったのかわからなくなるぐらい自分でも展開がわかりませんorz
185 :陸で泳ぐうさぎ・第六話 :2012/04/25(水) 23:23
保健室から出たら、新入生の譜久村さんと飯窪さんが心配そうな顔で近づいてきた。
みんなの前で頭を下げる。声が出ないんならそうしたらどうや、って中澤さんに言われたのもあった。
隣に歩み寄ってきたガキさんがさゆみの頭上から優しい声を落とす。

「さゆみんの声が出しにくいみたいなんで、明日以降困ってるとこ見かけたら声かけたげてね」

説明してくれたことに安心を感じる。和やかにさせる笑顔で言ってくれる。
小春のはーいという大きくて甲高い声に、新入生までが唇に人差し指をあててジェスチャー。

「お口にチャックつけたほうがええんやないの」
「もー、中澤さんそーゆーこと言わないでくださいよぉ!」
186 :陸で泳ぐうさぎ・第六話 :2012/04/25(水) 23:24
言ったそばからまた同じことをやっちゃう小春に嫉妬する。かすかに心の奥がざわめく。
何も考えずにそうやって間違いを犯すことが、さゆみにはできないから。たった一つの失敗さえ怖いのに。
中澤さんと保田さんは、ほらまた、と苦笑して肩をすくめる。
じゃ、と右手を挙げてどこかに行こうとする中澤さんが見えた。隣に居るガキさんの袖をつかむ。
小声でどうしたのと聞かれた頃には、背を向けて去っていた。あまりにもさゆみの顔が不安そうだったのか。

「用事あるのに一緒にいてくれたみたいよ」

そっか。さゆみのこと嫌いになったわけじゃないのかな。そっけなく思えたのは忙しかったせいなのかな。
また一人でぐるぐると考える。耳の奥も胸の奥も静かになる。さゆみだけの時間、さゆみだけの世界。
ハッと気づいたときには一人でおうちにいた。翌日の木曜夜にガキさんからメールをもらう。
どうやら『元気づける会』というのを土曜の夜にやってくれるらしい。嬉しい。
だけど。
中澤さんが来てくれるなら二人っきりでいたいな、とも思う。
187 :陸で泳ぐうさぎ・第六話 :2012/04/25(水) 23:24
 
188 :陸で泳ぐうさぎ・第六話 :2012/04/25(水) 23:25
土曜の朝がやってきた。カーテンを開けると、眩しい陽の光。
予想最高気温は二十五度だから、夏日になる。半袖に上着じゃないと暑いかも。
ふと、喉に手をあてて声を出そうとする。出ない。……出てはいるけれど。
ひどい風邪をひいてしまって、喉の腫れがひかないままカラオケで絶叫しちゃった翌日の声。
もどかしい。こんな声じゃ伝えづらいし、なんといってもさゆみが恥ずかしい。
うまく発声できないまま三日は経過している。
喉や胸の奥が熱くて息は吐き出せるのに、言葉にするきっかけも話しかけるタイミングもつかめない。
想いはたくさん溢れてくるのに、言葉にならない。
中澤さんが、ただそばにいてくれたこと。涙が出そうになるぐらい嬉しかったのに、感謝を伝えられない。
189 :陸で泳ぐうさぎ・第六話 :2012/04/25(水) 23:25
なのに。

声が出せない焦燥感なのか、周りが優しくしてくれる安堵感なのか。
感謝を伝えたい気持ちは、確かにある。けれど、相反するドロドロした感情も持っている。
渦を巻いて、巣食っている、未熟で甘美な欲望。
みんなも優しく接してくれる今、この時間を中澤さんとだけ一緒に過ごしたい。
そういう欲も心に存在する。さゆみ、ほんとに幼いなぁ。大人にならなきゃいけないのに。
自分で思うぐらいなんだから、周りにはどう見えてるんだろう。
ハタチ越えたんだから、年相応にふるまえるようになりたい。
一つでも多く、少しでも早く、誰よりも高く、大人になる階段をのぼっていくはずだったのに。

うまくいかない。
 
190 :陸で泳ぐうさぎ・第六話 :2012/04/25(水) 23:26

さゆみが二人いるように感じる。
中澤さんに笑顔で感謝を伝えたい、さゆみ。
みんながいるなかでかわいい中澤さんを独り占めしたい、さゆみ。
191 :陸で泳ぐうさぎ・第六話 :2012/04/25(水) 23:26
あ。

秘密にしておこうって言われたこと、こんなにストレスだったんだ。
そりゃあ、男女じゃないから普通のおつきあいとは言えないのかもしれないけれど。
中澤さんに言われたわけじゃない。まこっちゃんとガキさんに言われただけだ。
ちょっとでも揺れ始めると、振り子のように大きく動き始めてしまう。
卒業式後の中澤さんは、歩み寄って素直に意見を言ってくれた。
さゆみはただわがまま言っただけ。そのことに気づかなかった。やっぱりさゆみは子供だ。
イヤイヤと泣きわめくこともできないけれど、声が出なくても周りは同情してくれる。
状況に甘えたい幼稚さ。相手のことを知ることも考えることも、全然できなくなっていた。
周りが見えなくなるぐらいに信じきっていた。さゆみは中澤さんに寄りかかって甘えていた。
声が出せなくても、さゆみはきっと変われる、はず。……じゃない、変わるんだ。変わろう。
かわいいって思われるファッションで行こう。待ち合わせまであと数時間。間に合うかな?
192 :みおん :2012/04/25(水) 23:26
なんとかなりそうです
193 :陸で泳ぐうさぎ・第七話 :2012/04/26(木) 23:13
姿見に自分の身体を映す。ネイビー地の花柄マキシ丈ワンピースに薄いピンクのカーディガン。
華やかな春がきたのだと、自分に言い聞かせる。
化粧はこれから。かなり大きめの手持ち鏡をテーブルの上に置く。
コスメポーチから春の新色を選んで取り出して、手をなめらかに動かしていく。
ピンクブラウンのアイシャドウにローズピンクのチーク。
つけまつ毛より、ナチュラルなマスカラ。ボルドーの口紅を塗る。
髪の毛は左上に一つに束ね、ネイビー色のレースシュシュをつける。
ネイルは間に合わなかったけれど、塗るの好きじゃないからこれでいいか。
ピンク地に白い水玉のトートバッグ。白いレースがついた短い靴下を履く。
靴箱からキャラメル色の靴を探す。高めのヒールが気分を昂揚させる。
よしっ、今日もかわいい!
194 :陸で泳ぐうさぎ・第七話 :2012/04/26(木) 23:14
ウキウキした気分のまま、家を出て待ち合わせ場所に向かう。
駅前にある西口商店街を通り抜ける。遠くに、まこっちゃんの横顔を発見。
近づいて声をかけようとしてみたけど、やっぱり難しい。
絵里がよく後ろから腕をからませて来たのを思い出す。さゆみにはできないことだ。
嬉しかったけれど、でもタイミングがわからない。

「あっれぇー。さゆ、いたんだ。ごめんね、気づかなかった!」

まこっちゃんの隣にはガキさん。
買い物をしていたようで、二人とも大きなビニール袋を提げている。
持とうといつものように手を伸ばす。

「ダメだよ、今日はさゆが主役なんだから。ね」
 
195 :陸で泳ぐうさぎ・第七話 :2012/04/26(木) 23:14
ガキさんに優しく諭されると恥ずかしい。主役とか、さゆみはそんなんじゃない。恥ずかしい。
輪の中心にいる自分が想像できないし、きっと体が熱くなってお水ばっかり飲んじゃうと思うし。
そういうことを何度も何度も想像すると、端っこにいたいなって気分になっちゃう。
端っこで仲がいい人と二人でいたいな、って思う。みんなが優しくしてくれるのは嬉しいんだけど。

むぅ。

三人で駅の東口へ向かう。
二人の会話に入れないけれど、時々気をつかってイエスかノーだけの質問を投げかけてくれる。
それに説明もしてくれる。
まこっちゃんがガキさんの話を聞きつつさゆみの表情をうかがいすぎて、慌ててガキさんに相槌を打つ。
そんな光景を横から眺めていると、ほほえましい。

「あ! さゆ、笑ったでしょ!」
 
196 :陸で泳ぐうさぎ・第七話 :2012/04/26(木) 23:15
え。まこっちゃん、ガキさんのほう見てたのに。
……なんで。
こちらを向いた顔を穴が開くほど見つめた。

「あれ? さゆの声、聞こえた気がしたのになぁ」
「まーた、気のせいでしょ」

ガキさんの言うとおり。うん、気のせいだと思う。
もし、そうなら自分でも聞こえるからわかるはずだもん。
……でも声が戻ってるなら嬉しい。
 
197 :陸で泳ぐうさぎ・第七話 :2012/04/26(木) 23:15
 
198 :陸で泳ぐうさぎ・第七話 :2012/04/26(木) 23:15
待ち合わせ場所には、中澤さん保田さんがもう着いてるらしい。
二人が買い物をするので、新入生に顔が知られてる先輩二人に待っててもらってる。
安倍さんも来ないらしい。ガキさんが残念そうな表情で、さゆみに教えてくれた。
駅舎にたくさんの人が吸い込まれ、吐き出されていく。
その人波に揉まれるようにさゆみたち三人も改札の前を通り、待ち合わせ場所に急ぐ。
こっちに気づいた保田さんが右手を高く挙げて、振ってくれる。

「新入生はまだ誰も」
「そーですかー、保田さんも中澤さんもありがとうございます」
 
199 :陸で泳ぐうさぎ・第七話 :2012/04/26(木) 23:15
いえいえ、なんて会話を交わしたあと、中澤さんが近寄ってきた。
薄い紫色のカットソーに、流行の白い丸襟。つけるタイプなのかな。
ベージュの七分丈チノパン。黒いミュールにキラキラと飾りがついててかわいい。
シンプルなファッションに、中澤さんのかわいさが自然に出ているように感じる。
そんな中澤さんにじーっと見つめられるとほんとに恥ずかしい。
かわいくしてきたけど、大丈夫かな、って思う。
自信ないのはかわいくない。さゆみは今日もかわいいんだからっ!

「前から言おうと思ってたんやけど……やっぱりしげちゃん胸あるな」

メイクでもファッションでもない。体型を言われることはめったにない。
喜べばいいのか悲しめばいいのか。よくわからない。
ほめられたのかな。それもわからない。
保田さんもまこっちゃんもガキさんもあっけにとられているのがわかる。
まぁ、中澤さんは小さい方だろうけど、胸。
200 :みおん :2012/04/26(木) 23:16
話が進まない…
201 :陸で泳ぐうさぎ・第八話 :2012/05/17(木) 22:30
小春以外の下級生は全員そろった。安倍さんとジュンジュンとリンリンは不参加。
譜久村さんと飯窪さん、それに二年生の吉川さんが並んでおしゃべりしている。
なんだか変な感じ。去年は石川さんと吉澤さんが必ずそばにいてくれて、後輩は小春しかいなくって。
松浦さんはいたりいなかったりして、それでも集まればさゆみが新入生の時と同じような感覚でいられた。
さゆみもガキさんも可愛がられる頻度は変わらなかったし。

ああ。

人間関係が大きく様変わりしたんだ。卒業ってこういうことだ。
一昨年は安倍さんだってそのまま院に進んだし。
仲良くしてもらってた先輩がいなくなったから、どこかさびしいんだ。
来年はどうなっているかわからない。中澤さんとだって……どうなっているかわからない。
今から心配したってなにもはじまらないのに。

「さゆ? どった? 具合悪い?」

ぼーっと考え事をしてたら、まこっちゃんが話しかけてくれる。
202 :陸で泳ぐうさぎ・第八話 :2012/05/17(木) 22:31
中澤さんと保田さんはいつの間にか新入生と談笑してた。
ううん、と左右に軽く頭を振ると、にっこりしてそっかと呟く。
ガキさんは電話の用件が終わると話し始める。

「はい、小春はいつものとおり遅刻です。これから小川先輩の家に行きます」
「しっかりついてきてねー」

ガキさんとまこっちゃんが声をかけると、新入生の黄色くて明るい返事が聞こえた。
直後、中澤さんと保田さんがぶりっこポーズしながら無理に高い声で返事をする。

「あの、先輩。そういうのいらないですから。ていうか、古いですし」

ガキさんにつっこまれ、ええーっ! と不満そうな二人の先輩。その声もわざわざ甲高くしている。
新入生たちはどうしたらいいかわからないぐらい笑いをこらえている。
さゆみもおかしくって息ができないぐらい我慢してしまう。
笑っていいのかどうなのか、や、さゆみの声は出ないんだから気にしなくていいのかも。
203 :陸で泳ぐうさぎ・第八話 :2012/05/17(木) 22:31
「あ、そっすか」

中澤さんのそっけない返事に、ギャハハと大声で笑い出したのは吉川さん。
もともと声が高い飯窪さんは、アニメのキャラクターみたいに大きな口を開けて笑ってる。
そんな二人を見て、両手を口にあてて笑い出す譜久村さん。
なんだかよけいにおかしくなって、さゆみも口を開けて笑った。
声が出てるかどうかなんて気にしなかった。
あーはっはっはっはっは、はっはっはっ。
たぶん、これさゆみの声だ。かわいくはないけど、さゆみの声だ。

「よっしゃ! 今夜はしげちゃんおめでとうパーティーやな!」

中澤さんの力強い声が聞こえて、やっぱりさゆみはこの人が好きなんだなって思った。
たくさん心配してくれたんだろうなってわかるから。また頑張れる。
ううん、もっと頑張らなきゃ。大人になるんだ。
204 :gZDBsONvs :2016/07/07(木) 19:31
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