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この海を抱きしめて

1 :あおてん :2015/04/10(金) 00:17
引き続きラベンダーの茉凜さんをメインに小説を書きます。

アクアマリンの城
ttp://m-seek.net/test/read.cgi/grass/1371465957/l50
2 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:18
全てを清算しようと思っていたんです。

この想いも何もかも洗い流せば、楽になれると思った。
だけど。
私の中からあなたは消えない。
想いは時間と共に、いつかは色褪せるものだというのに、熱は募る一方で。
あなたが魂に刻み付いて離れない。

私が私である事も忘れて……あなたに救ってもらった事さえも忘れるだなんて。
そんな事、最初からできるはずもなかったのに。
3 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:19
...

「ほら、茉凜もこっち来たら?」

田中さんは裸足のまま、波打ち際で楽しそうに戯れている。
私が苦手な陽の光も、彼女の白い肌、そして明るい髪色にはよく映えた。

季節外れの海岸には、私達以外に人の気配はない。

『泳げもせんのに何で海へ行くと?』

そう言いつつも、田中さんは私の誘いを突っぱねる事なく受け入れてくれた。
4 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:19
洗い流したかった。
波の音と共に、この執着も想いも。
これで最後にしようと思っていた。
最後にわがままを叶えてもらえば、私の苦しみは終わる。
思い残す事は何もなくなるはずだと。
そうすれば、あなたに固執する事を止められると思ったのに。

「……やっぱり、ダメみたいです」

ああ。
あなたを見つめるだけで、どうして涙が込み上げてしまうんだろう。
胸苦しさに襲われても、どうしてあなたを目で追ってしまうのだろう。
いつだって私の心の中にはあなたしかいなくて。
こうしている今も、私はあなたから目が離せない。
5 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:20
「いっ!」
「田中さん!?」

だからこそ私は、田中さんの顔が一瞬だけ、苦悶に歪んだのを見逃さなかった。

「田中さん、どうしました!?」

靴を脱ぐ事も忘れ、慌てて駆け寄ると、田中さんは不自然な体勢で硬直していた。

「足……」
「足?」

その言葉に導かれるようにして、田中さんの足元へと視線を落とす。
足が攣ったのだろうかと思ったのも束の間。

「!!」

水に浸かった彼女の足先から、淡い朱色が滲んでいくのが見てとれた。

「ガラスか何かで切ったみたい」

田中さんは屈み込み、一度確かめるように足先へ手をやってから、ゆっくりと歩き出す。

「だ、ダメです無理に歩こうとしたら」

自力で浜辺に上がろうとする田中さんを抱き上げ、私は足早にこの場を後にする。
強引だという自覚はあったけれど、非常事態だからと心の中で言い訳した。
6 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:21
...


「じっとしてて下さいね」
田中さんを手近な場所に座らせ、正面に回り込む。
海水で濡れた田中さんの足の指先からは、まだ固まっていない血液が滴り落ちている。
携帯していたミネラルウォーターで傷口を洗い流し、水滴を拭った上で、患部をハンカチで縛り上げる。

「ありがと。でも、ハンカチ汚れてしまったっちゃけど……」
「お気になさらないで下さい。軽い応急手当はしましたけど……田中さん、痛みませんか?」

縫わなければいけないほどの傷ではない。
それは確認済みだけど、やはり怪我をした人を見るのは痛ましい。

「これくらい平気。踏んづけたの、ガラスじゃなくて貝殻やったみたいやし」
「貝……」

確かにガラスよりは危険性は低いかもしれない。
それでも油断はできないと、言い募ろうとした時。

「これ何て貝? こんな貝初めて見たし」

そう言って、田中さんは一つの貝を私に手渡した。
既に田中さんの意識は自身の怪我の事より、貝の方に向いてしまっている。

もう少し自分の体の事に頓着して欲しい。
そんな事を思いつつも、託された貝をしげしげと眺めてみる。
7 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:22
それは二枚の貝殻で構成されたものだ。

一方は、黄味がかった乳白色。
そしてもう一方は燃える夕日のような茜色。

「ああ、これは……月日貝ですね」
「何それ」

怪訝な顔を見せる田中さん。
きっと初めて耳にする言葉なのだろう。
何しろ、目にした事自体が初めてなのだから。

「月と太陽の色に見立ててそう呼ばれるらしいです。
ほら、表は夜の月の色で、裏は夕日の色みたいでしょう? 貝細工にもよく使われるようですよ」

「へー、茉凜物知りっちゃね」

「ふふ。実は、月日貝にはロマンチックな言い伝えがあって……」

その『ロマンチックな言い伝え』を頭の中で反芻した瞬間、唇の動きが止まった。
8 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:22
月日貝には、男女で片方ずつ持つと、どんな困難に見舞われても、最後には結ばれるという言い伝えがある。
ロマンチックではあっても、私にとっては別段面白いものではなかった。

「え、茉凜? 途中で止められたら気になるっちゃけど」

田中さんに促されても言葉を紡げず、一人、月日貝を握り込む。
9 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:23
……私だって、本当はあなたと離れる事なくずっと一緒にいたいと願うのに。
同じ性の私達は、一体どうすればいいんでしょうね?

強く握り締めた拳の中で、二枚の貝殻が軋んだ音を立てた。
何の障害もなく、躊躇いもなく、共に寄り添える存在への羨望と妬み。
得体の知れない怒りと悲しみ。
そして一抹の寂しさ。
あらゆる感情の色が寄り合わさって、どす黒く染まった心が、思考までも侵していく。

いっそこの貝を二つに砕いてしまえば、少しは苦しみが和らいでくれるのだろうか。

そう、いっその事……。
10 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:23
...

「茉凜、待ってっ」
「っ!?」

瞬間、私の震える拳は、田中さんの小さな手に押さえ込まれていた。

「そんな事したら可哀想やろ」
「……あ……」

その声で、ようやく我に返る事ができた。

そっと右手を開くと……案の定、一対の貝は二つに分かたれてしまっていた。
一度外れてしまった貝殻は、二度と噛み合う事はない。

「……ごめんなさい。もう遅かったみたいです……」

海の残骸となってもなお、あれほど固く結ばれていたはずなのに。
かりそめの月と太陽は、脆くも崩れ去った。
11 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:24
「先ほど言いかけていた事ですが……。
これを男女で片方ずつ持つと、その二人は困難さえ乗り越えて結ばれるそうですよ」

“この二枚貝は、こんなにもあっけなく剥がれてしまったのに”
皮肉な言葉は、かろうじて腹の中に収める。

これ以上醜い内面を彼女に晒したくない。

「ふーん」

田中さんは何か含むような視線を私に投げかけて来たけど、それも一瞬の事。

「じゃ、せっかくやし、れいなと分けて持って帰る?」
「え……」

予想外の返しに、私は面食らってしまう。

「え、って、れいなと分けて持ちたかったけん、茉凜は二つに割ったんじゃないと?」
「……」
12 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:25
答える事はできない。
先刻の行為は、ほぼ衝動的なものだったから。
それでも、あえて否定する気にもなれなかった。

私の根底にあるのは、あなたとずっと共にいたいという願い。
改めて実感する。
私は心底羨ましかったのだ。
たとえどれほど強大な力に引き離されようとも、この月日貝のように、彼女と寄り添っていたかったのだと。
13 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:27
「田中さん……良いんですか? 私、男じゃないですけど」
「はあ? そんなつまらん事気にしとったと?」

鋭い語調も、その呆れ顔さえも、今の私には心地良い。
今更ながらの迷いを、そうやってあなたは断ち切ってくれる。

「細かい事いちいち気にせんと! 別に男とか女とか関係ないやろ。
女同士で分けたらいかんなんて誰も言ってないし。今日の記念に持っとき」
「……はい」
「深く考えんでもいいって。所詮はそんなんお伽噺なんやし。
二つの物を、記念に仲良く二人で分け合うだけって思えばいいやん」

田中さんの発言は、言葉通り、きっと深く考えての事ではないのだろう。
それでも私の心は打ち震えていた。
先刻とは違う意味で泣きたくなった。

嬉しかったんだ。
他でもないあなたからの申し出が。
私をありのまま受け入れてくれたような気がして。
14 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:28
...

「ほら」

田中さんは月側の貝を乗せた手のひらを、私の眼前へと差し出す。

「……。そう、ですね……魂に性別なんてありませんから」

私はおそるおそる、田中さんの手のひらの上に自分の手を重ねる。
私と彼女の手の内で、二枚の貝殻がひとつになる。

それはまるで、神聖な儀式のようにも思えた。
触れ合っただけで、誰よりも遠いあなたが、誰よりも近くに感じる。
15 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:29
あなたは私。
私はあなた。

まるで自然界と同化するような、欠けた半身を補うような一体感があった。

手と手を重ね合わせるだけで、目には見えないえにしの糸が結ばれる。
姿形は違えども、心はまるで合わせ鏡のようにシンクロしていく。

勿論それはただの錯覚にすぎない。
けれど今この瞬間、私の世界はこんなにもあなたでいっぱいに満たされてしまう。

いつかは辿り着けるのだろうか。
他の何も入り込む事はできない……誰も覗き見る事はできない……そんな、私とあなただけの世界に。
あなたとならば、そんな世界を構築できるんじゃないかと、未だに期待してしまうんです。
16 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:30
浅ましい願いだと、見苦しい思い込みだと、笑ってもいいですよ。

私は孤独です。
私は愚かです。
それでも、他の誰よりあなたの事を想っています。

果てしなく長い昼も。
切なく苦い独りの夜も。
この一瞬さえあれば超えて行ける。

きっとまた私は、些細な事で一喜一憂して、無様にもがいていくしかないのだろう。

今はまだ見えない。
自分が、あなた以外の誰かに心惹かれる未来が。
そんな未来、想像もしたくない。

たとえ息が続かなくても、もう少しだけ……
あと少しだけ、深い深い海の底であなたに溺れていたいと願う。
深く想う事でしか知り得ない孤独も甘い苦痛も、手放したくない。

リセットボタンを押すはずの手が浮いた。
でも、今はきっとこれでいい。
自分の中にある想いを否定した時、私は私ではなくなってしまう。
あなたを想わずに、生きてなんていけない。

延々と繰り返される波音を、私はどこか遠いところで聞いていた。
17 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:31
...

「ちょっと指切っただけやのに、大げさ過ぎやろ」
「念には念を、です。田中さんに何かあったら困りますから」

あれから、私は田中さんを背負って砂浜を歩き続けている。

妙な所で遠慮を見せる田中さんだけど、暴れる事なく私に身を委ねてくれている。
それでも、なんだか心もとない。
田中さんの存在がとても希薄に思えて、どうしても不安になる。
だから私は、彼女の両太腿の裏に左右の腕をより深く差し入れ、密着の度合いを高めた。
18 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:31
「……重いなんて言ったら殴るけんね。次の日になって、筋肉痛がー腰がーとか言わんでよ」
「大丈夫ですって。本当に軽いですよ……ギターよりも軽いんじゃないですか」
「うわームカツク。あからさまなお世辞とかマジ萎える」
「ふふっ……もののたとえ、ですよ。
なんだかこうして田中さんと過ごす事自体、現実感がなくて。
不思議な事に重みさえ感じないんです」

その瞬間、軽快な掛け合いは途絶え、沈黙が流れた。

もしかして、不快にさせてしまっただろうか。
自身の発言を今更ながらに後悔する。
そんな時。
田中さんがすっと息を吸う音が聞こえた。
19 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:32
「……れいなはここにおるよ。ほら、あったかいやろ?」

囁きと共に、田中さんの手が私の首筋に軽く添えられた事を知る。

「……はい……」

……温かい……。
田中さんはここにいる。

あなたの存在を感じてようやく、停滞しているものが動き出す。
私の頸動脈は脈拍数を上げ、まるで田中さんの体温を求めるように存在を主張している。

田中さんも今、私の命の脈動を感じている。
ああ、生きているのだ。
私も。田中さんも。
そんなごく当たり前の事にさえ、あなたは大きな意味を見出してくれる。
だからこそ、苦しくても幸せなんです。
20 :月日貝 :2015/04/10(金) 00:33
私達は今、誰よりも繋がっているのだと。
この感覚を信じても良いでしょうか?

私を縛るものも、凝り固まった価値観もかなぐり捨てて……
ただ、直にあなたの存在だけを感じたい。

私をこんな気持ちにさせるのは、あなた以外に存在しない。
きっとこれから先も現れない。

肌で、魂で感じる。
たとえ幻想だとしても。
あなたが私の、魂の半身だと。
21 :あおてん :2015/04/10(金) 00:49
茉凜さん、22歳のお誕生日おめでとうございます。
あなたが生まれた日は、私にとっても凄く特別な日です。
どれほど文字を操っても、自分の気持ち全てを伝え切れない事は百も承知ですが、少しでも私の言葉が届いたのなら幸いです。

22 :花冷え :2016/04/10(日) 00:04
※ラべビタ&れいな&一部サポメン+αで学パロ
23 :花冷え :2016/04/10(日) 00:04

時間を止めたいと願った事はありますか?

【幸福過ぎて時間を止めたい】という表現は、数えきれないほど耳にしてきた。

けれど、その真逆の状況でも、【時間を止めてしまいたい】と願う事がある。
それは、もうこれ以上はどうしようもないのだと悟った時。
諦めたくない、抗いたいと願っても、無情な現実が目の前に迫っている時。

永遠が欲しいわけじゃない。
ただ私は、あなたとの時間を、少しでも長く感じたかった。
24 :花冷え :2016/04/10(日) 00:05
...

田中先輩が卒業して早一ヶ月。
私はこの四月に、波浪学園の二年生となった。

春は別れの季節でもあり、出会いの季節でもある。
田中先輩と入れ替わりに、可愛い二人の後輩もできて、新鮮な感覚に包まれた日々を送っている。

それでも。未だに消えない小さな棘が、心の奥に引っかかったまま。
そして微かな違和感と痛みを胸に抱えて、私は今日も軽音部の朝練に向かう。

田中先輩だけがいない部室へと。
25 :花冷え :2016/04/10(日) 00:06
「「おはようございます! 茉凜先輩!」」

部室の扉を開けるなり、元気の良い朝の挨拶がこだまする。

「おはよう、あさひちゃん、長谷川ちゃん」

室内の片隅に目をやると、岡田と姉さんの姿も既にあった。

「もうっ茉凜が一番遅いよ。部長の有希ちゃんよりも遅いなんて」
「申し訳ない……」

二年生になっても、岡田の体育会系気質は健在らしい。
さすが元運動部。
このままだと、またお小言をもらいそうだ。

思わず身を竦めた時……長谷川ちゃんが助け舟を出してくれた。

「まあまあ、おかまり先輩。それより、ちょっと聞きたい事があるんですけど」
「ん? なあに萌」

その一言で、岡田はすんなりと矛を収め、長谷川ちゃんに向き直っている。

……ありがとう、助かったよ、長谷川ちゃん。
心の中でお礼を告げて、丸椅子に腰かける。
26 :花冷え :2016/04/10(日) 00:07
長谷川ちゃんもあさひちゃんも、とてもいい子だと思う。

二人との出会いは入学式当日。
オリエンテーションの直後に、長谷川ちゃんがあさひちゃんの手を引き、強い入部希望の意思と共に、我が部にやって来たのだ。

田中先輩が卒業した後の部員は、三年生の姉さん、二年生の私と岡田の三名のみ。
卓偉先生が顧問だけれど、それは形式だけのものだったし、三名では部の存続すら危うかった。
もしも新入生の長谷川ちゃん達が入部してくれなかったら、廃部は時間の問題だっただろう。
この子達には感謝してもしきれない。

まだ出会ってひと月しか経っていないけれど、それなりに打ち解けてきたと思う。
特に、岡田は長谷川ちゃんと波長が合うのか、すっかり意気投合してしまった。
27 :花冷え :2016/04/10(日) 00:07

「それにしても、一年生はやっぱりフレッシュでいいね〜。お肌が眩しいっ」

姉さんは、ぐへへ、という下卑た笑い声を漏らしながら、しきりに目尻を下げている。

まあ、脈絡のない姉さんの言動もいつもの事。
さすがに一年も経てば慣れてしまった。

「きゃはははっ! 萌何それ〜」

……対して、岡田の甲高い笑い声には未だ慣れない。
ただでさえ声量があってよく通る分、鼓膜がダメージを受けそうだ。

「岡田、シーッシーッ」

そう言って、唇に人差し指をかざして注意を促すも、真っ先に反応したのは何故か姉さんだった。

「何、しーっしーって。おかまり、さっきトイレに行ったばっかだよね?」

……この人は些細な日常会話ですら、どうしても下ネタに結び付けたいらしい。

「有希ちゃん、今のは下品だと思う」
「そうですよ、魚住先輩。あさひちゃん本気で引いてますから!」

案の定、ブーイングの声が上がる。
長谷川ちゃんの言葉通り、あさひちゃんは困惑したような、引き攣った笑顔を浮かべていた。
28 :花冷え :2016/04/10(日) 00:08
「あ、茉凜までそんな目で見ないでよ〜。ゆっきー泣いちゃうぞっ」

思い切り冷めた視線を投げかけても、姉さんは意に介していないらしい。
岡田も姉さんには何を言っても無駄だと悟っているのか、深い溜め息をついた。

「あーあ、田中先輩がいたら、『キモい』の一言で有希ちゃんを黙らせられてたのに」
「そう、だね……」

いつも部員の暴走を止めてくれていた田中先輩は、ここにはもういない。

たったひと月。
それでも、環境を劇的に変えるには、充分な時間だ。
田中先輩は大学生かつ新入生となり、私は先輩と呼ばれる立場となった。

田中先輩は付属の大学に進学したけれど、キャンパスは隣の区にある。
恋しがっても、易々と会えるわけではない。
事前に約束でもしない限り。

約束……。
あの約束を、田中先輩は覚えてくれているのだろうか。
私にとっては、何よりも大切な……。
29 :花冷え :2016/04/10(日) 00:09
その時、余韻を打ち消すように、スピーカー越しにチャイムの音が鳴り響いた。

「あっ予鈴だ!」

その音を合図に、皆が慌てて機材を片づけ始める。

「それじゃあ、また放課後に」

一時の別れの言葉を告げ合い、姉さんは別校舎、長谷川ちゃんとあさひちゃんは本校舎の一階へと足早に向かって行く。
残された私と岡田は、ゆったりとした足取りで歩を進める。

目的地は同じ教室。
担任である香織先生は、些細な事で目くじらを立てたりしないと知っているからだ。
30 :花冷え :2016/04/10(日) 00:10
「はあ〜。一限から古典なんて眠過ぎるんですけど。どうやって時間潰そっかなあ」
「岡田、少しは真面目に授業受けなよ……香織先生の授業なんだから。
進級早々赤点取るつもり?」

言って自分の腕を岡田の腕に絡ませるも、ナチュラルに振りほどかれた。

「……けち」
「苦手なんだよベタベタするの」

いい加減女同士のスキンシップに慣れて欲しい。
そんな私の訴えも軽く受け流し、岡田は一足先に教室へと向かう。

「ホントつれないなあ……」

それでも、岡田と今年同じクラスになれたのは幸いだと思う。
やはり、同じ教室に見知った顔があるという事実は救われる。
岡田と同じクラスで良かった、だなんて、本人には言わないけど。

「岡田、待ってよ」

私は本心を内に隠し、慌てて岡田の後を追った。
31 :花冷え :2016/04/10(日) 00:10
...

HRが終わり、古典の授業が始まった。

教科書の内容を目で追いつつも、私はせっせと内職する岡田を一瞥する。

岡田の席は、教卓の真ん前。
教卓からはちょうど死角になっているせいか、やりたい放題好き放題だ。

いい度胸をしているというか、何というか。
……定期考査の時泣きついて来ても知らないからね。

32 :花冷え :2016/04/10(日) 00:11
朝の教室内に、香織先生の朗々とした声が響き渡る。

「『世の中に絶えて桜のなかりせば
春の心ののどけからまし』
詠み人、在原業平の和歌です」

随分とタイムリーな和歌だ。
まるで、私の今の心境を代弁してくれているかのような。

「じゃあ岡田さん、今の和歌を現代語訳でお願い」
「へぇっ!?」

まさか自分に焦点が当たると思っていなかったのだろう。
岡田は素っ頓狂な声を上げ、プリクラ帳を手にわたわたと立ち上がる。

それ、教科書じゃないよ岡田……。
そんな私の突っ込みを余所に、岡田が苦し紛れの解答を紡ぐ。

「え、えっとー。要するに、桜がなければ良かったのに、って事ですよね?」

……。
なんというお約束な間違い方を。
一応授業の内容は耳に入っていたようだけれど、根本的に解釈が違うのだから、要約ですらない。
33 :花冷え :2016/04/10(日) 00:11
「うーん、ちょっと違うけど、まあいいでしょう。
センターみたいな選択形式の問題だと、惜しいどころか間違い扱いになるから気を付けてね」

香織先生はそれ以上は追及する事はなく、岡田は心底ほっとしたように着席した。

良かったね、岡田。
香織先生が寛大な人で。
あと授業は真面目に聞こう。

「業平はなにも桜が消える事を望んだわけじゃないの。
いわゆる反語というやつね。
これは桜を心から愛しているからこそ、散る事を惜しんだ歌」

古典では、桜は弥生の花だけれど、今はもう四月。
けれど、田中先輩のいない春は、未だ肌寒い。

桜はもうすっかり花開いているのに、春がどこまでも遠く感じた。
34 :花冷え :2016/04/10(日) 00:12
...

「最近ほんと寒いなあ……」

今朝は、特に布団から出るのが辛かった。
まだまだ毛布やストーブが手放せない。

身震いしつつも、朝のTVニュースに意識を集中させる。

『――花冷えは今週から来週頭にかけて続き、今年度の桜は、例年より長く楽しめる見込みです』

花冷え。
一瞬脳裏に、冬のような外気に晒される、桜の姿が浮かび上がった。

「どうりで寒いわけだ……」

だけど、却って都合がいい。
凍てつくような冷気が、少しでも長く、桜の花をこの現実に留めてくれるのなら。

桜の花は、暖かな日差しの中では自身を維持していく事ができない。
瞬く間に葉桜へと諸相を変え、淡い薄桃の色彩は、どこにも見つけ出せなくなってしまう。
まるで最初から、花など存在しなかったとでも言うように。

一年の間で、桜が花をつけるのは、ほんの僅かな間だけ。
一体どれが桜の在るべき姿なのか、分からなくなってしまう。

「……お花見、できるのかな……」

自嘲気味な笑みを浮かべながらも、私は身支度を始めた。
35 :花冷え :2016/04/10(日) 00:14
...

「そういえば。波浪学園の七不思議には、桜にまつわる怪談があるみたいですね」
「っ!」

放課後の練習の合間。
何気ない雑談の中で発した長谷川ちゃんの一言が、私の動きを止めた。
今の私は桜というキーワードに、過敏に反応してしまう。

「えーっ、萌美ちゃん、その話聞かせて聞かせて!」

いつになくあさひちゃんのテンションが高い。
身を乗り出して、黒目がちな瞳をキラキラと輝かせている。
こういった類の話が好きなのだろうか。

「えーと、確かミス研の子から聞いた話では……大昔、失恋した女が校庭の桜の樹の下で、呪詛を吐きながら首をくく……」
「うわわわわ、萌やめてよ。そういうのシャレにならないからっ」

長谷川ちゃんの言葉は、岡田の大声で遮断された。
見れば岡田は、自分の両耳を塞ぐようなポーズを取っている。

「おかまり先輩〜せっかく今いいところだったのに!」

珍しく強い自己主張をするあさひちゃん。
だけど私まで岡田を責めるのは、さすがに酷な気がした。

「だって怖いんだよ。昔、海で白いワンピースを着た長い髪の女の人の幽霊、見ちゃった事あるんだから」

海、白いワンピース、長い髪の女性。
いかにもありがちな怪談話を想起させる。

「それにしても、どうして怪談って女性の幽霊が多いんでしょうね」
「ある意味女は魔物だからね〜。嫉妬とか愛憎とか念が強い分、この世に残留しやすいんじゃない?
ぶっちゃけ幽霊とかより、女の情念の方がよっぽど怖いと思うよ、私は」
というのは姉さんの談。

「さすが女子校帰国子女。女絡みで何かあった?」
「女子校帰国子女って何だよ。おかまりが期待するような事なんて何もないわ」
36 :花冷え :2016/04/10(日) 00:14
皆の掛け合いが、どこか遠くで聞こえる。

「情念、ね……」

人知れず、ぽつりと呟く。
たった一人に強い執着心を持つ事。
毎日毎日、来もしない連絡を待ち続けてしまう事。
約束が果たされる事を望んでしまう事。
それは情念以外の何物でもないだろう。
けれど、この執着を断つ方法が見つけられない。

桜が散る頃には、私は吹っ切る事ができているのだろうか。
自問してみても、やはり答えは出なかった。
37 :花冷え :2016/04/10(日) 00:15
...

月も見えない夜。
今夜も私は一人、自室のベッドの上で座り込んでいた。

お風呂に入って宿題も予習も終えて、あとはもう眠るだけ。
だけど、眠気はなかなか訪れない。

手に持っていた携帯の画面に、おもむろに視線を落とす。
相変わらず、田中先輩からのメッセージは来ない。

ひと月前の卒業式の日。
あの日は、開花宣言もまだ迎えてはおらず、桜の蕾は固く閉じていた。
結局、最後に部員とのお花見が実現できなかった事を、田中先輩は悔いていた。
だからこそ、彼女は約束してくれた。
この学園の桜が満開になる頃には、もう一度顔を出すと。
その時こそ一緒にお花見をしようと。
田中先輩がそう言ってくれたから、私は涙を見せる事なく、笑って彼女の門出を見送る事ができた。

けれど……あれ以来、一度も田中先輩の方から連絡がない。
こちらからメッセージを送っても、核心に触れるような返信はもらえなかった。

「田中先輩、桜はとっくに咲いてますよ……?」

虚しい独り言が、静寂に吸い込まれる。
38 :花冷え :2016/04/10(日) 00:15
あと、五分だけ。
あと五分だけ待って連絡がなければ、もう眠ってしまおう。

結局私は、期限を五分刻みに何度も延ばし、その晩も深夜まで寝付けなかった。

心のどこかで、連絡が来ないと理解していても、僅かな可能性に縋りたかった。
39 :花冷え :2016/04/10(日) 00:16
...

私は近所の公園の桜を、一人ぼんやりと眺めていた。
地面に落ちた花びらは、踏み荒らされてすっかり土に汚れてしまっている。

「……」

しゃがみ込んで、そっとそれに触れてみる。
こうして手のひらでかき集めて掬ってみても、元には戻らない。
時間を巻き戻す事ができないのなら、いっそこのまま止めてくれれば良いのに。
頭の中で、非現実な願いが次々と生じていく。

だけど私は分かっていた。
もう、田中先輩から連絡は来ないのだと。
私と田中さんには、明白な温度差があるのだと。
40 :花冷え :2016/04/10(日) 00:16
その時、ぽつっと鼻先を冷たい何かが掠めた。

「……雨」

空を仰ぎ見れば、鈍色の天から雨粒が落ちてきていた。
そして瞬時に悟ってしまう。
桜の季節はもう終わりだという事を。
今夜中には、桜は散り落とされ、花であった痕跡すら消されてしまうだろう。

もうこれ以上は待てない。
たとえ望みがなくても、このまま終わりたくない。
会いたい。
今すぐにでも。
桜が終わってしまう前に。
41 :花冷え :2016/04/10(日) 00:17
桜が散るまでは、微かな希望は残っていた。
もしかしたら、まだ間に合うかもしれない、可能性はあるのかもしれないと。

けれど、桜が散ってしまえば、私はもう田中先輩を待つ資格すら見出せない。
田中先輩との繋がりは断たれてしまったという現実を、真正面から受け止めなければならないから。
田中先輩を諦めなくてはいけなくなるから。

「嫌……っ」

まだ認めたくない。
はっきりと田中先輩の口から真実を知るまでは。

それは、衝動的な行動だった。
何かに突き動かされるように、私はある場所へ向かっていた。
42 :花冷え :2016/04/10(日) 00:17
...

「ま、茉凜!?」

田中先輩の進学先である付属の大学。
私は制服から私服に着替えて大学生に扮し、敷地内に踏み込んでいた。

この大学のキャンパスは、桜並木が美しい事で有名だった。
広大なキャンパス内で、そして桜並木の中で、田中先輩と再会を果たす……
まるで神様が決めた筋書きのように出来過ぎている。

だからこの瞬間まで、まだ天が味方してくれているのかもしれないと思っていた。

けれどそんな甘い考えも、長くは保たなかった。
43 :花冷え :2016/04/10(日) 00:18
「なんでここにおると?」
「なんで、って……」


まるで責められているかのような感覚に陥り、私は思わずか細い声で呟く。
「だって、桜が……散りそうだったから……」
「へ? 桜? 何の事?」

「え……」

この短いやりとりで確信した。
田中先輩は約束をすっかり失念しているらしい。
いや、約束を交わしたという感覚すらなかったのかもしれない。

卒業式のあの日。
田中先輩にとって、私と交わした言葉は、その程度の認識だったのだろうか。
田中先輩も、きっと私と同じように、桜を見る日を楽しみにしてくれているはず。
昏い未来に、不安に怯えながらも、無理にそれを振り払い、今日この日まで、そう信じていた。
44 :花冷え :2016/04/10(日) 00:18
「……っ」

意図せずに指先が震えた。
その拍子に、手にした傘を地面に落してしまう。

「……私が、私がどれだけ田中先輩にっ」

どれだけ田中先輩に会いたかったか。
今までどんな気持ちで待ち続けていたか。

言葉の続きは声にならなかった。

唇よりも身体が先に動いていた。

「えっ!? ちょっ茉凜っ」

そして今になって再認識する。
この感情はもう、とっくに憧れの範疇を超越している事に。
ああ、私はずっとこうしたかったのだ。
45 :花冷え :2016/04/10(日) 00:19
けれど、あなたから私を抱きしめてくれる事はない。
どれほど心の中で懇願しても。
壊れるほどに祈っても。
だから、こうしてこの腕で抱きくるんでしまうんです。
あなたが身じろぎできないほどに、強く。
待っていても、あなたが私を抱きしめ返してくれる事もないと、知っているから。

「茉凜、どうしたと?」

抱きしめて欲しい。
たった一言。
そのたった一言が口に出せない。
願いを素直に言えたなら、どんなに楽だっただろう。

「桜が散る前に、会いたかったんです……どうしても」

だけど、代わりに漏れ出た言葉も、私の本心。
46 :花冷え :2016/04/10(日) 00:19
田中さんの背後にある薄桃色が視界を染める。
桜の花びらは風に煽られ渦を巻き、雨空へと舞い上がる。

散っていかないで欲しい。
彼女をごと連れて行かないで欲しい。

桜が散る時。
それは彼女が完全に私の手から離れていく時。
この想いにピリオドを打たなくてはならない時。
これほどまで、桜が散ってしまう事を惜しく思った事はなかった。

「私は時間を止めたい。
桜も、あなたがいるこの空間も……ずっと、ずっと」

そうすれば、あなたと離れる必要なんてないのに。

「茉凜……」

田中先輩は今どんな表情をしているのだろう。
気味悪がっている?
それとも迷惑がっている?
47 :花冷え :2016/04/10(日) 00:20
ああ。
今日という日が、膨大な過去の記憶の一部となり、これからの日々に上書きされて、見えなくなってしまう。
だから、私は永遠の檻に囚われる。
この光景だけを心に焼き付けて、反芻し続ける。
まるで、大切な古い思い出を記したビデオテープを再生するように。
繰り返し、繰り返し。
この心が、魂が、擦り切れるまで。

だけどかりそめの永遠は、闖入者によってあっけなく崩れ去った。
48 :花冷え :2016/04/10(日) 00:20
「れいなー」
「!?」

反射的に田中先輩から身体を離し、声の主に視線を向ける。

「さ、さゆ……」

さゆと呼ばれた女性は、艶やかな黒髪を長く伸ばした綺麗な女性だった。
田中先輩の反応を見るに、どうやら知り合いらしい。

「あれっ見ない子だね。ね、ね、どこの学部? れいなの友達なの?」
「あ……」

見知らぬ人に声を掛けられた事で、私はようやく自分を客観視できた。
いくら切羽詰まっていたとはいえ、田中先輩を待ち伏せして、衝動的に抱きしめるだなんて。
49 :花冷え :2016/04/10(日) 00:21
「ご、ごめんなさい!」
「ちょっと、茉凜!?」

いたたまれなくなって、私は駆け出していた。

私と田中先輩はもう既に、別々の世界にいる。
いくら大学生のフリをして近付いても、所詮は私はフェイク。
私は田中先輩の領域には入れない。
私の居場所はここにはない。
50 :花冷え :2016/04/10(日) 00:21
約束を覚えていてもらえなかった事、顔を見せに来てくれなかった事。
それが全てを物語っている。
もうとっくに答えは出ていたのに。

私は一体何をやっているんだろう。
後先考えずに田中先輩を困らせて。
自分の気持ちを押し付けて。

けれど、これで良かったのかもしれない。
いっそ嫌われた方が、まだ諦めもつく。
優しい無言の拒絶を受ける事……そっちの方がよほど辛い。
51 :花冷え :2016/04/10(日) 00:21
...

長い間雨に打たれたのがまずかったんだろう。
翌日から私は熱が出てしまい、誕生日当日も、自室のベッドの中で過ごしていた。

「茉凜〜お友達が来てくれたけど」
「……ん……?」

母の声とノック音で、不明瞭だった意識が浮上する。

ゆっくりと身を起こし、ゆるく頭を振る。
長い間眠っていたようだ。
まだ気だるさが残っているけれど、おかげで随分気分は楽になった。

窓の外からは西日が差し込み、室内は茜色に染まっている。
岡田あたりが、学校帰りに寄ってくれたのだろうか。

「岡田? どうぞ」

入室を促すと、ドアを開く音とともに、小柄な人影が入り込んで来た。
52 :花冷え :2016/04/10(日) 00:22

「茉凜?」
「っ……」

名前を呼ばれ、心臓が大きく音を立てた。
この声を、聞き間違えるはずがない。

どうして。

「た、田中先輩……」

「おかまりから、風邪で休みって聞いたけん。体調は?」

「もう、だいぶ良くなりました……。明日には学校に行けるかもしれません」

動揺を悟られないよう、どうにか調子を合わせる。
大丈夫。
私は今、上手く喋れてる。
自然に笑えているはず。

けれど、田中先輩は、いとも簡単に私の心の均衡を崩してしまう。
53 :花冷え :2016/04/10(日) 00:22

「良かった。これ……お詫びも兼ねてみたいになってしまったっちゃけど」

そう言って、田中さんは淡い色の包みを私に手渡す。

「えっ……?」

「開けてみて」

促されて恐る恐る包みを開封すると、そこには、桜のプリザーブドフラワーが姿を現した。

「誕生日おめでとう」
「……あ……」

私が求めて止まない桜の花。
今はもう、過ぎ去ってしまったもの。

息をするよりも先に、一雫の涙が零れ落ちた。
誕生日を覚えてくれていたという素直な喜びと、田中先輩に負担をかけてしまった事への後悔、やるせなさが入り混じり、素直にお礼の言葉も紡げない。
54 :花冷え :2016/04/10(日) 00:23
「……どうしてっ……」
「ん?」
「どうして、今優しくするんですか……?
学園を卒業した今、田中先輩にとって私はもう、過去の人間なんでしょう?
私の存在は、田中先輩の人生の通過点にしか過ぎませんよね?
せっかく、せっかく……っ」

もう、終わりにしようと思っていたのに。
あなたを想う事を。
待ち続ける事を。

「これじゃ、私……いつまでも田中先輩から卒業できない……」

ああ、私は何を言っているんだろう。
こんなのただの八つ当たりだ。
あの雨の日に醜態を晒しただけでなく、こうして恥の上塗りをしてしまうだなんて。
自己嫌悪に陥りながらも、もう止められなかった。
言葉も、この想いも、涙さえも。

違う……。
たとえ田中先輩にとっての私が取るに足らない存在でも、気持ちを断ち切るなんて、最初からできるはずがなかったんだ。
いくら「桜が散るまで」と期限を設けても、逃げ場所を探して執着を手放したつもりでも、私はきっとまた彼女に焦がれてしまう。
55 :花冷え :2016/04/10(日) 00:24
「茉凜」

霞む視界の中、田中先輩が困ったように微笑する。

「れいなにとっての茉凜が、れいなの周囲を通り過ぎるだけの人間でしかなかったら、ここまでせんよ」

嘘です、と否定しそうになったところで、田中先輩の手が、優しく私の頭を撫でた。

「やっと思い出せたけん。お花見するって約束、守れんでごめん」
「……っ」

「まさか茉凜がそこまで真剣に待ってくれとったと思わんかった。
バタバタしてなかなかそういう状況じゃなかったってのは……言い訳やね」

約束を思い出してくれていた。
その事実が、私のどす黒い感情を浄化していく。
悲しみやしこりがゆっくりと溶けて、小さくなっていくのが分かる。

「いいえ……いいえ。田中先輩はもう既に約束を守って下さいました」

一度目は、あの雨の中で。
二度目の桜は、田中先輩が私の為だけに与えてくれた。
56 :花冷え :2016/04/10(日) 00:24

時間を止められた桜。
それは私の手の上で西日を受けて、淡い燐光を放ち咲き誇る。

けれども、時を止める魔法は一時的なもの。
この手にある桜も、いずれは色褪せて、朽ち果ててしまうのだろう。
どんな魔法も解けてしまうから。
だから。欲張りな私は、これからの事を望んでしまう。
57 :花冷え :2016/04/10(日) 00:25
「そうそう。茉凜、傘大学に置きっぱやったろ。
ごめんっちゃけど今日は、れいな持って来るの忘れてしまったけん」
「あ……っ」

そういえば、あの時。
動揺して回収しそびれていたんだった。

「だから、また今度届けに来るけんね。
大丈夫。今度はちゃんと忘れんようにするけん」

そう言って屈託なく笑う田中先輩の笑顔を、私はとても懐かく感じた。

「田中、先輩……」

次なんて二度と来ないと思っていた。
もう、田中先輩に何も求めないと決めていたのに。
望んではいけないと思っていたのに。

田中先輩。
私が心を閉ざして諦めない限り……私達にはまだ、【次】があるのでしょうか?
私はまだ、願っていても良いのでしょうか?
いつか暖かな陽光の下で、あなたと桜が見られる事を。
58 :花冷え :2016/04/10(日) 00:26
茉凜さん、23歳のお誕生日おめでとうございます。
去年の今頃、もう来年はお祝いできないのかもしれないと、心のどこかで怯えていました。
けれどこうして今年もお祝いできた事を嬉しく思います。
感謝しています。
59 :あおてん :2016/04/10(日) 00:27
名前欄を間違えました。
「花冷え」は57までで終了です。
60 :あおてん :2016/04/11(月) 04:00
また間違えた。。。

>>26
まだ出会ってひと月しか経っていないけれど→まだ出会って数日しか経っていないけれど

>>53
2行目
田中さん→田中先輩

失礼しました
61 :あおてん :2017/04/10(月) 00:07
茉凜さん誕生日おめでとうございます。
今年は考える事が多過ぎて、自分の気持ちを小説という形にはできませんでした。
何か他の形でお祝いできたらと思います。

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