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群青流し

1 :ふわふわ :2014/03/29(土) 08:51
森板からのお引っ越しです。
生田×鞘師コンビのお話です。
「えりぽんが実在の人物ではなく、ヤシの妄想の中の人物だったら」という
狼の生鞘スレに投下したネタを元に書きました。

オリキャラ(男)大量に出てくるので苦手な方は注意してください。
住所、車のナンバー、その他もろもろ当たり前ですが全部フィクションであります。
先にお詫びして、9期10期、さゆれなのあの頃を書いていきたいと思っています。
完結までお付き合い下さいませ。
2 :群青流し :2014/03/29(土) 08:54



「えりぽんって誰?」



里保はきょとんとした時特有の、リスの目になった。
同期のいつのも冗談だと思って、香音に取り合わず「だから、えりぽんがね…」と続けようとすると。

「だからさっきから出てくるえりぽんって誰よ。
 学校の子?」

さすがの里保もこの天丼にはむっとした。

そういう混ぜっ返しはよくない。
ラジオをやるようになってから気をつけていることに、会話のテンポというものがある。
だが、里保は辛抱強く繰り返した。

「だから、生田えりぽんがね」
「イクタエリポン?」
「もう、香音ちゃん」
 通りかかった聖が、香音と同じような顔で言った。
「いくたえりぽんて誰?」
3 :群青流し :2014/03/29(土) 08:55



 この日を境に、里保は世に言う

「ちょっとイタい人」

 になってしまった

 

 のだ。


4 :群青流し :2014/03/29(土) 08:58


鞘師里保14歳。広島そだち。
AB型、三人兄弟の長女。
そういったパーソナルデータは、厳然と他人との間に共有しているというのに。里保の世界は、歯車がひとつ、いつの間にか狂ってしまった。


「マネキン、ですか」
「マネキンです」


うなだれた里保の母は、手の中のハンカチを無意識ににぎりしめた。

「年が明けての大きいコンサートに向けて、クリスマスもお正月もないだろうから…
 早めのクリスマスプレゼント、何がいい?って言ったんです。
 そしたらあの子、マネキンが欲しいって。

 え?と思いましたけど、
 衣装の具合を見たいのかなと思って。
 十代の女の子のタイプを買いました。

 …最近、里保の様子がおかしいと、事務所から連絡があったんです。


 家に行くと、あの子、マネキンに友達みたいに話しかけていました。
 えりぽん、えりぽんってあだ名付けて。

 なんだかものすごい柄の、あの子が絶対好きじゃないような服を着せて。
 あんまり楽しそうに話しているので、怖くなって、マネキンを取り上げようとしました。
 そしたらあの子、半狂乱で私を怒鳴るんです。
 えりぽんを取るなって」

ハンカチで目元をぬぐう母親を、医者はそっと見ないふりをした。
「先生、あの子、病気なんでしょうか」
5 :群青流し :2014/03/29(土) 08:59

30代なかばの精神科医は、ゆっくりとした抑揚の声で言った。

「まず、娘さんを異常だと思ってはいけません。
 内向的な性格の子に過度のプレッシャーがかかると、そういう症状は往々にして見られます。
 里保さんはもともと友達も少なく、都会に引っ越して、大きなプレッシャーの中で仕事をすることになった。
 普通の子供たちが友達と接しているときに、里保さんはファンやスタッフなど、周りを大人に囲まれている。
 心のよりどころがなければ、やっていけなかったんでしょう。

 空想の友達は、里保さんの防衛本能の産物です」

目を真っ赤にした母親は、そっとつぶやいた。
「やっぱり、デビューなんてさせるんじゃなかった」

「お母さん。お母さんが、否定してはいけません。
 否定せずに受け入れてあげて下さい。
 友達のいなかった里保さんが自分で作り出した友達、大好きな友達が、彼女なのです。
 お母さんが否定したら、周囲の無理解に里保さんはますます絶望し、
 心が壊れてしまうかもしれない。

 お話を全部聞く限り、トゥレット症候群のような気がしますが…
 ともあれ一度、里保さんと来院して下さい。
 お嬢さんが治らないと、悲しむファンは日本中にいます。
 新曲も出ますよね? 実は私、CDを買っているんです」

「まぁ…」

温和そうな医師は、照れたように眼鏡をなおした。

「里保さんが、一刻も早く現実の世界へ戻ってこれるように、我々は守ってあげましょう。
 事務所の方にもそう伝えておきます。
 くれぐれも、彼女の箱庭を無理に壊さないようにと」

6 :群青流し :2014/03/29(土) 09:00

「…というわけなの。 
 みんなも最近気づいてたよね?
 りほりほが口走ってる、「えりぽん」ってのの事」

里保のいないミーティング。
会議室で、リーダーさゆみとマネージャーがマジトーンで立っていた。

9期10期、れいな、他のメンバーは、ただただ顔を見合わせるしかできない。

「りほりほはそのマネキンに名前をつけて、モーニング娘。のメンバーだと思ってるらしいの。
 お医者さまが言うには、無理に現実を分からせても症状が悪化しちゃうって。
 あぁ、そんなに寂しかったなんて。
 さゆみがへんだな、と思ったときに、ちゃんと相談乗ってあげればよかった」

むりだろう。
里保を偏愛する道重リーダーに、里保は必要以上に近づかないもの。
7 :群青流し :2014/03/29(土) 09:01

「でもね?
 冬ハロが二週間後に迫った今、りほりほに、今さら休養してもらうわけにはいかない。

 さゆみとは、歌割の量が違うんだもの!」

 悲しいことを自己申告して、リーダーは天井をあおいだ。


「あのー、それで、これは?」
「イクタエリナ・9期メンバー・15歳・メンバーカラー黄緑・性格KY
 ……」
工藤がホワイトボードに書き込まれた謎のプロフィールを読み上げる。


「これ、覚えるんですか?」
さゆみが、ドンとボードを叩いて「オフコース」と英語を使った。

「りほりほは、うちの大事なエースなんだからね。
 徹底的に話合わせていくわよ!」
8 :群青流し :2014/03/29(土) 09:02

「で、で、でも、ラジオやMCで鞘師さんが何かしゃべっちゃったらどうするんですか?」

初めて聞くメンバーの電波なエピソードを聞いたラジオの向こうのファンの反応を想像するだけでこわい。

道重リーダーは横のマネージャーとうなずき合い、繰り返した。

「りほりほが治るまで、MCはみんなで回してもらうことになったわ。
 ラジオは編集してもらう。
 2013年の冬ハロは、今さらりほりほなしで成り立たないの。
 特に、あなたたち二人!」

聖と香音が、びっくりした顔で見返した。

さゆみは、唇が触れるんじゃないかという距離まで近づいて、
ドライアイスのような冷たい呼気を吐いた。
「同期のあなたたちがちゃんとサポートしてね。
 設定、破綻させないでね」

先輩にすごまれた二人は、こくこくとうなずいた。

そこへ、ノックの音。
入り時間を遅らせて伝えられていた里保が、やってきたのだ。

「…?」
会議室に満ちるおかしな空気に気づいて、里保は立ち止まった。 

不満そうな工藤となにも考えていない佐藤、
石のように固まる飯窪と石田、
そっぽを向いてるれいな。
あわててホワイトボード中を消しまくるさゆみ。
そして、途方に暮れたように顔を見合わせている9期。

モーニング娘。が、
里保のパラレルワールドに巻き込まれる日々が始まった。

9 :群青流し :2014/03/29(土) 09:05


   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥

          2012年 12月17日

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥
10 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:06

里保は元来人見知り。
打ち解けるのが苦手。
そのくせ、長女気質で皮肉屋で、そして背負い込むタイプだった。


歌割の大半を担うエースという大きなプレッシャーをそこにかけると、
精神病という病気に化合することは、ちょっと考えればすぐ分かる。


しかし、当の本人は、自分が異常などとは夢にも思わず、元気に過ごしている。

今日も、冬ハロのリハーサルに向かうため、
木枯らしの強くなった道を駅まで歩いていた。
11 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:07

里保の大好きな金木犀の木が、風で寒そうに震えていた。

10月になるとオレンジ色の花とともに、甘い痺れそうな香りを巻きちらす。
同じ中学に通う里保とえりぽんは、いつもこの道を通って学校に通っていた。

「えりが卒業したあとが、心配っちゃ」

 えりぽんは、ふらふらと金木犀の前で深呼吸している里保を見ながら、息をついた。

「里保、ちゃんと一人で通えるっちゃ?
 誰かに話しかけられて、きょどったりしないっちゃ?
 居眠りして、乗り過ごしまくったりしないっちゃ?」

「もー、えりぽんは、またあたしを馬鹿にして!」

一学年上なだけのくせに、えりぽんは妙に大人びた顔で、
ふくれる里保にちょっと笑った。

「ならいいっちゃけど」
 
12 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:08

花はとっくに散り、真冬になったら葉っぱの服もはぎとられてしまうだろう。
里保は金木犀をあとにして、早足で歩いた。


えりぽんは、東京に来てから出会ったたいせつな友達。
えりぽんは、どこか孤立した里保を差別しない。
えりぽんは、まごつく里保の手を取って、ぐいぐい引っ張ってくれる。


そんなえりぽんと出会って、もう2年も経とうとしてるのか。
ハロプロのお祭り、冬ハロだって2回目だ。
娘。に入ってから、すべてがあっという間だった。
13 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:08

「はー、なんか緊張するね」

亜佑美の言ってる緊張はリハーサルのことではない。

きのうさゆみに言われたことをふくめて、
うまく鞘師里保に接することができるかどうか緊張しているのだ。

しかし、10期の面々にはどこか悪意のない好奇心がフワフワと漂っていた。

だってそうじゃないか。
こんなことが作りごと以外に起こるなんて、信じられない。
14 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:09

「あたし、ぜんぜん納得できない」

昨日からなぜかおもしろくなさそうな工藤が、ぼそっと呟いた。

「だって、皆して鞘師さんをだまして、それで鞘師さんが治るの?
 甘えじゃん。現実逃避じゃん」

げんじつとうひ という日本語が理解できないまーちゃんだけ、口を開けて皆を見ていた。

亜佑美も春菜も納得しているわけではないが、
そんなマジレスしても仕方のないことも分かっている。

工藤は折れるっていうことをまだまだ知らない若造だ。
そして里保だって好きで折れてるんじゃないことくらい、

高校生の2人は分かってる。
15 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:11

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥

16 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:13
「おはようございまーす」
「おはよー、鞘師」

前室に、れいながいた。
そして見覚えのある大輪のお花の、花籠。

「すごいっちゃね〜」
れいなが、えりぽんと同じ博多弁で言った。

「ふつう、ステージがハネるまで、花なんて送らんよ。
 リハーサルのときから送ってくるなんて、よっぽど鞘師のファンっちゃね」
17 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:14
いつも、里保のメンバーカラーの赤いお花を選んで、
花籠を送ってきてくれるファンだった。

名前も住所も送り状には書かないそのファンは、
今回は赤いダリアとベリーと秋アジサイを組み合わせた、
グラデーションカラーの籠を贈ってくれた。

「鞘師、れいな、もうすぐ℃さん達来るから、
 そろったら立ち位置の確認からね」
「ハーイ」
「あ、それと鞘師」
「はい」
「今日も午前中で切り上げていいからね」

里保はきょとんとした。

18 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:15
「ほかの仕事ですか?」
それ以外に、冬ハロのリハーサルを抜ける理由など考えられない。

女性マネージャーの眉が、困ったように少しゆがんだ。

「たまには休養だよ。
 あなたずっと働きづめだったし…」
「でもこの前もそうでしたよね」
「うっさいなぁ」
ブログを更新しているのか、
足を組んで携帯をいじっていたれいなが、あっけらかんと言った。

「休みくれるって言うんだから、素直に休んどき」

19 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:16

最近事務所の人が、
できるだけ里保に休みがあるようスケジュール調整しているように感じていた。

どうしてだろう?

まぁ、れいなの言うとおり、
休みと言われたら休むしかない。
振り付けで不安なところはぜんぶ覚えてしまったし、
あとは人とどう合わせるかだけだから。

それに今日は、母からメールがあった。

20 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:17
   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥

21 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:19
「あ、さやしすーん」

ワイワイと戻ってきた10期が、また変な呼び方で、里保を呼び止めた。

「はるなん達とお昼ごはん行くんです〜。
 さやしすんも一緒に行きましょうよう!」
「あ、ゴメン。
 今日お母さんが来るんだ」

里保はもう、帰り支度をすませていた。

「そんで、どっか行きたいとこあるから、
 早く帰ってこいって言われたから」
「そっか。まーちゃん、帰りにアイス食べちゃおー!
 次は一緒に行きましょうね、しゃやしさん〜」

10期4人で里保を見送っていた春菜は、
一度だけ振り返ってそちらを見た。
里保の背中に、自動ドアの影がさっと横切った。

22 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:19
   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥

23 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:20

「こちら、尾田沢先生よ」

眼鏡をかけ、前髪を分けた、少し小柄な青年医は、
穏やかな注意深いまなざしで、里保のことを見ていた。

ここへ連れてこられたことがよく分からない里保の視線を受けて、
あわてて母親は言った。
「ほら、あんた働きづめで、
大阪とか名古屋とかあっちこっち移動もあるでしょ。
忙しすぎるから、一度カウンセリングにいってきなさいって、
事務所の人が」
24 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:22
いつも、坐骨神経痛の再発をふせぐための検診は受けているが、
精神科などへ来たのは初めてだった。

それも、お昼を食べていないということで、
病院のレストランで三人で昼食。
終わった後はぶらぶら病院の歩道の散歩。
その間尾田沢医師は、里保にずっと細かい質問をし続けていた。 

よく分からないで答えていると、
尾田沢は少し考え込んだり、
思い出したような笑顔であいづちを打ちながら、聞いていた。


「里保さんは、小さいころにも何か精神科にかかっていますね」
「え!
 ええ、そうなんです。
 軽い子供のてんかんみたいなものでしたけど…」
「たぶん、チック症です。
 トゥレット症候群というのは、チック症の一種なんです。
 時が経って、別の形で発症したんだと思われます」

里保の母親は、うなだれた。

「投薬で簡単に治りますよ。
 ともあれ「えりぽん」は元気ですか?
 里保さんはほんとに「えりぽん」が好きですね、
 聞いてるこっちが楽しくなってしまう」 

25 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:22

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


26 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:23
「ねえねえ、まーちゃん」
「んー?」

「今日、なんか送迎の人が来るとか、そんなこと聞いてないよね」
「まーは知らん」
「知らないよー。
 何でぇ? はるなん」

シェイクを吸い込む亜佑美に、
春菜はちょっと眉をくもらせた。
27 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:27
「うん…さっき鞘師さんが出てくときにね、
 横の通路から誰か早足で飛び出してきたの。
 そのまま後を追うみたいに、一緒に出てったから…」

「うわっ、何それ」工藤が顔をしかめた。
「やばいんじゃないの?」
「うん。
 でもでも、お母さんが一緒にいるみたいだから、大丈夫とは思うけど…」

「まー、電話してみよーっと」
緊張が支配した10期のテーブルの上で、
優樹がミニーちゃんのカバーをつけたアイフォンを取り出した。

「あっ。鞘師さん」
『うん。どうした、まーちゃん?』
「いひひ〜、なにしてるんですかー」
『なにって、今から帰るとこだよ』
「そーですかー。じゃあ、また明日ですねえ。
 はーい、はーい」

電話を切った優樹は、うかがうように10期4人の顔を見回していった。
28 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:28
「何もない…よね。
 まぁそうだよねー。

 そりゃそうか。もう、はるなんが変なこと言うから!」

春菜は困ったように黙り込んでいる。

「いいじゃん、なんかあったらすぐマネージャーさんに言お」
「そだねー」
「ほら、まーちゃん食べるんなら早く食べて。
 もう戻る時間だよ」
「アイサー」
29 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:29

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥

30 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:30

「ちょっと、おばあちゃんち寄ろっか」

寮へ帰っているものだと思っていた里保は、びっくりして携帯から目を離した。

「いいじゃない。
 あんたデビューして、忙しすぎて一回も帰ってないでしょ。
 せっかく東京にいるのに。 

 おばあちゃん達、いっつもテレビ見て、応援してくれてるって」

「あぁ…そう」照れたときのくせで、里保は後部座席からぶっきらぼうに言った。
31 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:31
おばあちゃんと、たまにしか会わない遠くの従兄弟が住む家は、
多摩川という大きな川の近く。

東京はビルばかりのところだと思っていたが、
この川沿いの土手の風景は、広島とあまり変わらなかった。

里保がアクターズスクールに入って、
特にAクラスに上がってからは、
めっきり来なくなってしまったが。


最後に来たのは、もう6年も前。
智也おじさんが、2006年に初めて一軍で試合に出場したときだ。

10月最初の東京ドーム戦に、里保は母親と一緒に試合を見に来た。

いやいやだったからよく覚えている。
周りの大人たちの背で試合もなにも見えず、ルールも分からない8歳の里保は、
早く帰ってジュースが飲みたいと思っていた。
32 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:32

そのまま何日か連泊した気がする。里保は一人で眉間を寄せた。
小学校もレッスンもあったのに…。


何でだったんだろう?


しかし、そのあたりのことを思い出そうとすると、
いつもぼんやりとミルク色の膜が、頭の中にかかる。

もう少し、というところで、
記憶は里保の頭のネットをかすめて、バラバラになってしまう。


 まぁいいか…、、


けど、よく休ませてくれたよなあ。

うねうねと蛇行するゆったりした川幅の川が、世田谷の上流から伸びていた。
33 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:35

「ねー、お母さん」
里保は、車の窓から外を眺めながら、言った。
「あれ何?」

橋の下の川面に、色とりどりの小さい舟が浮いている。
近くの小学校が流しているのだろうか。
地元らしきテレビカメラのクルーも来ていた。

「ああ、群青流しよ」
「ぐんじょーながし?」

「神様のいなくなる10月の神無月から、師走の12月の間に、
 折り紙で折った舟でその年の災いを川に流すの。
 あんたもやったことあるでしょ?すんごく小さいころ」
「覚えてない」

気のない返事をしながらも、里保は携帯のカメラを起動した。
きらきらと光る、カラフルな川面をぱちりと撮る。

行動範囲が分かるような写真はあまりブログに載せられないが、
帰ったらえりぽんに見せよう。
一人だけ留守番で飽き飽きしているだろうから、矢のように文句を言われるかも。

その様子を連想したら、里保の顔がにやにやニヤけてきた。

里保は、えりぽんに突っかかられるのが大好きだった。
34 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:36
「お母さん、しばらくこっちにいるからね」
「えっ。そうなの?」

なんでまた、と里保は言った。
寮、という名のマンション暮らしで、今困っていることはないんだけど。

「おばあちゃんちに泊まるから。
 あんたが落ち着くまではね…、こっちにいようと思って」
「私が落ち着くまでって」

里保は、ひょいと首をかたむけた。「落ち着いてますケド?」

母は、ちょっぴり悲しそうに笑った。
35 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:37
そして、ためらいがちに言う。
「それでね…またあの先生のとこ、行こうね」
「えぇ〜、また行くのお〜!?」

里保は顔をしかめた。

「もういいよー。
 私、病人じゃないよー!」

里保の抗議に、母は一瞬体を堅くして、
それから取り繕うような元気な声を出した。

「いいじゃない。
 玉川からあんたの家も近いし、
 東京観光のついでに片付けに行ってあげるから!

 あんたどうせ、お正月は2日からなんとかって大きいコンサートでしょ。
 おばあちゃんと行くからね、それ!」

「えー!いい いい いい いい、
 来なくていいっつーの!」
「じゃあ家族券なんて、送ってくるんじゃないっつーの!」

車は堤防のゆるやかなスロープを下って、おばあちゃんの家まで降りていった。

36 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:38

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥

37 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:39

里保が下宿している事務所の寮は、綺麗なマンションの7階だ。
 
もしかしたら事務所の持ち物であるらしく、
スタッフの人や、アップフロント所属の遠距離上京組が、
何人か同じ建物に住んでいる。

かけていたかばんを肩から下ろすと、
リビングと一体になった広めのダイニング、奥に里保の寝室。

階下に響くんじゃないかというような足音を立てて、里保は扉を開けた。

「ただいま、えりぽん!」
38 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:40
壁際のスイッチを押したが電気が点かないので、
里保は、部屋の中央に垂れ下がっている電灯のヒモを直接引っ張って電気を点けた。

えりぽんは、案の定むくれた顔で待っていた。

「ごめんってばえりぽん、そんな怒らないでよ〜」

急いで足元のものを避け、かばんをかけようとすると、
今度は押入れの戸が薄く開いているのに気がついた。
39 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:42
「おかーさーん」

なーにー、と
リビングで、おばあちゃんが持たせてくれたおみやげを開封している母の声が聞こえてきた。

「昼間、私の部屋、入ったー?」
入ってないよー、と返事。
「だっておばあちゃんのとこで車借りて、そのままあんたを迎えに行ったものー」

神経質な里保は、部屋にかすかに違和感を感じていた。
どんなに忙しくても里保は、押入れや窓を少し開けたままになどしない。

暗い闇の隙間になにか見えたら、怖いからだ。
40 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:43
また、里保の部屋の電気は、

本体の本体のひもを引っ張って消すと、
壁際の遠隔のスイッチを押しても電気が点かない。

いつも、寝る間にスイッチのほうを押して寝て、
朝はそのまま学校に行くから、
本体のほうで電気が消えているわけはないのだ。

こういう状態になるには、

「電気が必要な時間帯に部屋に入った誰かが」、
「本体のひもを引っ張って電気をつけ」、
「また本体のひもを引っ張って、電気を消してから出て行った」

ことでないと、
つじつまが合わない。

しばらく首をひねっていた里保だが、
えりぽんがスネて一言も口をきかなくなっているのを思い出した。
「ねーねーえりぽん、シュークリーム買ってきたよ!
 ほらー、抹茶とマロン。どっちがいい!?
 一回勝負ね。
 じゃーんけーん…」

41 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:44

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


42 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:44


  …

チャリ、チャリ、
という音で里保は目が覚めた。

表で鍵を探しているような音だ。

時計を見ると午後三時。
隣の人が今頃帰ってきたのだろうか。
しかし、音の近さから、里保の部屋の前でやっているようだった。
43 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:45
お母さんかな?

ぼんやりと寝ぼけた頭で、里保は思った。

いや、
それはない。

よっぽどのことがない限り、
こんな時間に、世田谷から車を飛ばして帰ってくるとは思えない。

枕元の携帯を見ると、やはり何のメールも入ってない。

里保の背筋に、鋭い悪寒が走った。
ガチャリと鍵がさしこまれる音がして、
シリンダーがはっきりと回った。

里保は暗闇の中で飛び起きた。
44 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:48
踏みしめるような静かな足音。

里保の心臓がどくどくと脈打った。


お母さんじゃない。


電気をつける気配がない。やっぱりお母さんじゃない。

どうしよう。

この部屋はどんづまりで、逃げ場は窓しかない。
そして外は七階だ。

それよりえりぽん、里保は布団をはねのけた。
えりぽんを起こさないと!


極力足音を殺してえりぽんに駆け寄ろうとしたとき、

ダンダンダン!!
ダンダンダン!!

と、乱暴に扉が叩かれた。

里保は恐怖で凍りついた。

45 :12月17日 :2014/03/29(土) 09:48

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


46 :12月18日 :2014/03/29(土) 09:49

          12月18日


47 :12月18日 :2014/03/29(土) 09:50

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


48 :12月18日 :2014/03/29(土) 09:51
里保ははじかれたように目を開けた。
うっすらと朝焼けの光が、カーテンから射し込んでくる。

「…あー…なんだ夢か」

安堵が体中に広がった。
そしておびえていた自分に無性に腹が立つ。

でも、心臓が胸を破るかのようにどくどく鳴っている。
嫌な夢を見たときはいつもそうだ。

怖かった。
やけにリアルな夢だった。

「ねええりぽん、起きてる?」
49 :12月18日 :2014/03/29(土) 09:53
怖さをまぎらわすように、里保はよじよじえりぽんに近づいた。
近寄ってから気がついた。
里保がきのう結んであげたツインテールが片方ほどけ、髪が乱れている。

「!」

ゴムがわりに結んでおいた、
9期でおそろいで買った星のバングルが引きちぎられて、
足元に転がっている。
鈍色の星が息絶えるかのように、
薄明かりの中チカチカ光っていた。

こんなことは、
お母さんは絶対しない。

もちろん里保であるわけがない。


誰かがこの部屋に入った。


里保のひざが、小刻みにふるえた。


誰かがこの部屋に入って、
9期の星を引きちぎっていった。


その場を動けない里保をあざ笑うように、
完全に顔を出した太陽が、部屋の色を暖かく塗り替えていった。
50 :12月18日 :2014/03/29(土) 09:53

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


51 :12月18日 :2014/03/29(土) 09:54

「えっ!?部屋に入られたんですか!?」
「バっカ、なんでさっきそれ言わないの!」

れいなの素っ頓狂な声に打たれて、
里保はまるで自分が悪いことをしたかのようにうなだれた。

里保は身にあったことをマネージャーの溝口に報告した。
ただし、「自分の周りにおかしな人がいるようだ」という表現にとどめて。
さっき全員に気をつけるように、
何かあったらすぐ報告するようにと集会が開かれたばかりだ。
52 :12月18日 :2014/03/29(土) 09:56
「だって、冬ハロであんなにバタバタしてるのに
 私のことで迷惑かけれないです。

 …それに、ただの勘違いかもしれないし」

「私、溝口さんに言ってくる」
「待って、待ってくどぅー!いいよ」
手首をつかんだ里保のほうを、工藤は大きな瞳できっと見た。

「よくないです!
 そりゃ鞘師さんはいいかもしれないけど!」
53 :12月18日 :2014/03/29(土) 09:57
「鞘師さんは、ウチらのこと目に入ってないんでしょ。
 現実でいっしょに頑張ってるウチらのことより、人形が…」
「工藤!」

工藤は自分で言って、自分で大粒の涙を浮かべている

「ハルのことは別にいいよ。
 でも、譜久村さんと鈴木さん、かわいそうだよ。心配してるのに。

 知ってるのに知らないようなフリして、
 だまして、ただ治るの待ってるなんて…
 私、嫌だ」

「工藤、あっち行こ」

れいなに肩を押されて、声が出ないほど泣き出した工藤は部屋を出て行った。
優樹がトテトテとそれについていった。

「………
 心配って? 香音ちゃん」

「…」
54 :12月18日 :2014/03/29(土) 09:58
「ねえ、もしかして工藤がなにに怒ってるか分からないのって、私だけなの?」

沈黙している室内に、里保の声だけが響き渡った。

さゆみがヒールを響かせて、里保の前に出てきた。
「りほりほ」
怖いほど真剣な顔で、里保の肩をグっ、と掴む。




「さゆみもゼーンゼン、分かんない」
55 :12月18日 :2014/03/29(土) 09:59
「多分ね、工藤は、なにか誤解してるのよ。
 思春期の朝露のような、日の出とともに消えてしまう淡い、青春の、ゴ・カ・イ。
 さゆみがよく聞いとくから、りほりほはダンスがんばって。
 娘。一丸となって冬ハロを迎えなきゃいけないでしょ。
 ね、そうでしょ?」

里保は全力でうなずきながら、リーダーと距離を取った。
あまりこの人とは関わりたくない。

56 :12月18日 :2014/03/29(土) 09:59

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


57 :12月18日 :2014/03/29(土) 10:00

もう、夕方五時で外は真っ暗だ。

今日はさすがに立て込んでいたから、
里保も午前中で帰されることはなかった。
夏焼さんや田中さんとのユニゾンもあったし。

バス停からの暗い道を歩いていると、里保の心にうそ寒いものが走った。

今まではアイドルの仕事をやっていて、
身の危険を感じたことはなかった。

ストーカーや変態なんかに、
事務所に入ったときによく注意するよう言い聞かせられていたものの。
しょせんニュースの向こう側の出来事でしかなかった。
58 :12月18日 :2014/03/29(土) 10:01
家が近づくにつれて、
心臓がドキドキしてきた。

もし知らない人が、家の中にいたらどうしよう?

ドアを開けたら、部屋がメチャクチャになっていたら?

ああ、やっぱりマネージャーさんに言えばよかったかも。
意地はらないで、言えばよかったかも。

ビクビクしながらエレベーターを上がり、
7階のエントランスに出たときに、
いきなり降ってきた声で里保は飛び上がりそうになった。


「里保?」


里保の心臓が、キュっと痛くなった。
59 :12月18日 :2014/03/29(土) 10:01
地上に面した煉瓦作りの手すりに、
命知らずにも腰掛けて、
照明の逆光で黒い影になった人物は、
里保の名前を呼んだ。

恐怖でエレベーターに戻ることもできない里保をよそに、
よっ、と手すりから降りた人物は、
カーキ色のチノパンを引きずりながら言った。

「あんた、里保でしょ」


里保は、びっくりしたリスの目になった。
60 :12月18日 :2014/03/29(土) 10:02
だぼだぼのパーカーを着て、
耳の下まである短い髪をひとすじ引っぱりながら、
そいつは無造作に近づいてきた。


黒い大きな目。
細い髪がまとわりつく、白い首すじ。
形のよい顎に、こちらを射抜くようなまっすぐな眼差し。


マンションの照明に照らされたその顔は、
えりぽんにそっくりだった。

いや、
現実の人々の認識に沿って言うならば、
里保が頭の中で思い描いているえりぽんと、そっくりだった。
61 :12月18日 :2014/03/29(土) 10:03
「だ、だ、だ
 だ、誰?」

一瞬えりぽんが部屋から出てきたのかと目を凝らしたが、
ぜんぜん違う。
えりぽんはこんな、人を寄せ付けない夜気のような雰囲気をまとっていたりしない。

「遠藤」

里保の蚊の泣くような問いに、相手は一言答えた。

「エンドー?」
「そう、遠藤」
62 :12月18日 :2014/03/29(土) 10:04
それだけ言われても。

高くも低くもなく、少女なのか声変わり前の少年なのか分かりづらい声で、
エンドーは言った。

「あんたのボディガードに来たから」
「ボ、ボ、ボディガード??」
「部屋、入られたって?
 へんなやつに」

ああ、
と里保の中で一気に合点がいった。
きっとれいなか誰かが、結局マネージャーに話したのだ。

それにしても、
こんな里保とそう年も違わない人物がボディガードだなんて、
まったくピンとこない。

どう見ても同年代かせいぜいひとつかふたつ年上で、
特に強そうにもみえない。
63 :12月18日 :2014/03/29(土) 10:04
「遠藤…
 …
 くんも」

「なに?」

「遠藤、くんも…
 学生にみえるんだけど」
64 :12月18日 :2014/03/29(土) 10:06
エンドーは何も言わずに笑った。
やっぱりちょっとえりぽんとは違う。
笑い方が小憎らしい。

「オマエ、ちょっと頼りないとか思ってるだろ」

初対面にしては物腰が無遠慮すぎるエンドーに、
遠まわしな肯定の意味をこめ、里保は無言に徹した。

「ま いいや。

 とりあえず朝スタジオに向かうときと、
 帰ってくるときは、迎えにくるから。
 明日の朝、マンション前集合な。
 あとこれ番号。
 なんかあったらすぐかけて」
「すぐかけて、って言ったって…」
「俺、ここに住んでるから」

そう言うと、
遠藤は非常階段で、くぐもったスニーカーの音を立てながら降りていった。

ここに住んでるのか。
里保は、遠藤が消えた階段を見下ろしながら思った。
やっぱり事務所の関係の子だ。

でも本当、いくら冬休みといったって、
あんな子に危険なボディガードを任せるなんて、いいんだろうか?

事務所の考えていることはよく分からないが、
体がだいぶ冷えてきたことに気がついて、里保は鍵を取り出した。
12月の冷気は容赦ない。
65 :12月18日 :2014/03/29(土) 10:06

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


66 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:08

          12月19日


67 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:08

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


68 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:09

草が生い茂る、とても大きな川の川辺で、小さな里保は遊んでいた。


「あっ、何あれ」


一緒に遊んでいた女の子が、
ウサギみたいな俊敏さでぬかるみを渡っていく。
自分の背丈ぐらいの草をかき分けて、里保はついていった。

折り紙の舟が、岸辺にひっかかって転覆していた。
69 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:09
「これ、ぐんじょう流しの舟っちゃ。
 これの中にね、思いでのものを入れて、かわに流すっちゃん」

何重にも折り紙を重ねた舟を指でつまみながら、
女の子は、先生が言うみたいに、もったいをつけて里保に教えた。

「わたし、何も持ってきてないよ」

里保はもじもじと手持ち無沙汰に言った。
しばらく考えたあと、女の子は、
さっき二人で集めた川岸のお花を、
一本一本里保の前に並べはじめた。

「これは、今日えりとりほちゃんが遊んだことの思いでっちゃん。
 これでお舟作るっちゃ。
 いっこずつお願いして、手をあわせて、
 そしたら川に流すって、ママが言ってたっちゃん」

里保は、青いお花を一本、壊れもののように持った。

ミルク色にけぶる風景の中で、
女の子のピンクのワンピースだけが、
色彩を持って里保のまぶたの裏に残った。
70 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:10

「ねえねえ、えりぽんえりぽん」

今日は少し早起きをしたから、コーヒーを淹れる時間があった。
一人暮らしをしてから、里保は自分でコーヒーを淹れる技術を身に付けた。
まるで大人みたいだ。
得意満面に淹れても、「里保天才!」とか「里保最高!」とか、
えりぽんから絶賛のコメントを引き出したことはなかったが。

「こないださぁ、群青流しの写真送ったじゃん?」
「なんそれ?」
えりぽんはめざましの芸能ニュースに夢中だった。

「こないだ私が送ったやつう。
 なんか多摩川のお祭りなんだけど、
 あたしね、6年前東京来たときのこと、なんかぜんぜん思い出せなかったの。

 でも、今日いきなり夢に見たの。
 そこでいっしょに遊んだ女の子、なんと、えりちゃんて名前だったんだよ」
71 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:11
えりぽんが芸能人の年末入籍のニュースに釘付けになっている横で、
里保は一人でデヘヘと笑った。

「もしかして、あの時の子ってえりぽんなんだったりして!」

えりぽんはやっとテレビから目を離し、せせら笑いを返した。
「えり東京に遊びに来たことなかんきに、んなわけなかろーもん」

前のめりの姿勢でニヤニヤしてくる里保はかまわれたい時のしるし。
そんなことおかまいなしだ。
えりぽんは牛乳をコーヒーにどばどば入れながら、言った。

「よお知らんけど、きっと里保は、
 えりって付く子と出会う運命にあるっちゃね」
72 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:12
「あ、もう8時過ぎてる!」

あわてて立ち上がった拍子に、
机に置いていたキーホルダーが、金属の音を立てて滑り落ちた。

「あーあー、また鍵なくすっちゃよ里保」
「あはは、このまえ落としたばっかだもんね。
 じゃ、行ってくるから、えりぽん。
 帰ってくるまで待っててね!」
73 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:12

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


74 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:13
「遅っそい、里保!」

5分しか遅れてないのに、
エンドーは、
ポケットに手を突っ込んでその場で足踏みしたままぶち切れてきた。

別に待っててくれって頼んでません。
という言葉を、
人見知りの里保はのどの奥で押しとどめた。

「じゃ、ホラ、さっさと歩けよ」
「…えっ?
 後ろからついてくるの?」
「並んで歩いてたら、オマエ呟かれちゃうだろーが」
75 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:13
里保の後ろを、3メートルくらい離れてついてくるエンドーのことが、
はっきり言ってストーカーより気になった。

確かにこのご時世、
ツイッターは芸能人にとって何よりの敵だが、
Bボーイのような格好をした見知らぬ少年が、つかず離れずブラブラついてくるのだ。
いつもの金木犀を過ぎて、バスと電車に乗り込み、
スタジオに着く間も、
里保は不審人物ではなくエンドーの方にずーっと神経を使っていた。

エンドーはひとつも緊張していない様子で、
大きなあくびをしたり、携帯のゲームに夢中になっていたりした。

やっぱりね。
ボディガードなんて、遊び半分なんだ。
最初からアテにはしていなかったが、
やっぱり自分でしっかりするしかない。と里保は決意を新たにした。
76 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:15

「里保ちゃん、おはよう」
寒そうにマフラーをした聖が、スタジオの前で追いついてきた。

「もうすぐ本番だね。
 私、まだフリが完璧じゃないとこがあるから、間に合うといいけど。
 あー、不安だなぁ」
「そうだね。でも、えりぽんが出れないぶんも、私たちががんばらないと」
「え?」

「えりぽん、何でこんな時にけがしちゃうんだってくやしがってたよ。
 すっごく出たかったのにって」
「あ?
 あぁ…
 うん、そうだね」

聖はわずかに面食らった。
今里保の頭の中では、そういう設定になっているらしい。
それはそうか。
マネキンは歌ったり踊ったりできないもの。そうしないとつじつまが合わない。
77 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:16
「ねえ…
 里保ちゃんは、逃げたくなっちゃったこと、ある?」
「ん?」
「モーニング娘。がいやになっちゃって、
 逃げ出したくなっちゃったことある?」

聖は、ずっとマネージャーの説明が引っかかっていた。

里保は、エースとしての過度のプレッシャーから、
こうなってしまったのだと。

確かに、事務所に里保は、ものすごく期待されていた。
そのことを、聖はうらやましく思っていたこともある。

でも、空想の中に友達を求めるほど、
里保は孤独だったのだろうか?
もしかしたら、自分がどうにかできたのではないだろうか?

そんな聖の小さな後悔をふりはらうかのように、
里保はしっかりと笑った。

「ううん、一回もないよ」
78 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:17
「そっ…か」

断言されると、聖はそれ以上なにも言えなくなった。

「うん、
 そうだよね。
 へんなこと聞いちゃった」
79 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:17
「おい、里保!」

後ろからエンドーの甲高い叫び声がした。

「帰り、ここにいるからな。
 一 っっっ
 分もおくれるなよ!
 今の気温何度か、分かってんのかお前は!?」

里保が珍しく声を張り上げて、怒鳴り返した。
「遅れたら、帰っていいです!」
80 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:19
「り、里保ちゃん、今の誰?」
「エンドー…遠藤、くん。
 なんか同じマンションに住んでる人…私のボディガードなんだって」
「ええ!?嘘!男の子が!?
 それはマズイでしょー、アイドル的に!」
「大丈夫、事務所のヒトだから」

本当に大丈夫か知らないのだが、
里保はずんずんロビーの中に入っていった。

ボディガードなんて大層なものをつけるなら、
もう少しまともな人をつけてくれればいいのに。
どうせ冬休みに入ってヒマだったところに、
事務所の縁者からバイト代をもらって引き受けたのだろう。
一瞬でもえりぽんに似てるなんて思ったあたしがバカだった。
(いや、でも、顔は本当に似ている… 認めたくないが)
あんな乱暴なやつがえりぽんに似ているなんて、
認めていいハズがない。


えりぽんは努力家で、明るくて、かわいくて、いつも里保のことを励ましてくれる。
辛いときは、えりぽんが味方でいてくれることを思い出すと、いつも里保は、完璧な優等生のままでいられる。


81 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:19

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


82 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:20
「おはようございまーす」

モーニング娘。の楽屋に入ると、
長い足を組んださゆみと溝口を中心に、
なにやらざわついた雰囲気が流れていた。

「なにかあったんですか?」
「こんなのが投げ込まれてあったのよ」

さゆみがつまみ上げたのは、光沢のあるポストカードだった。

裏には、重い色調の西洋絵画。
表のメッセージ欄には、
「ぼくの刃で きみを守ってあげる」
とだけ書いてあった。

「朝、郵便物を仕分けする前に、もう置いてあったの。
 直接楽屋に投げ込んだんだろうね、
住所は印字してあるけど、切手も消印もないから」

誰宛てかは書いていないが、
意図をわざとぼかした薄気味悪さのようなものだけがあった。
83 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:21
「えー、そんな簡単に、部外者が中まで来れる?
 れーなそんなんたまらんっちゃん」

「…あの、でも、
 わたし前、へんな人をスタジオの中で見ました」

春菜の言葉に、
パンツスーツの女性マネージャーはけわしい顔を上げた。

「本当なの?
 あなたたちも知ってたなら、なんで早く言わないの!」

叱責されて、10期の4人は首をすくめた。

「すいません。
 鞘師さんの後を追っかけてったみたいでした…」

みんなの視線が里保に集まった。

溝口女史はため息をついた。
84 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:22
「ふう。
 鞘師の言ってた、おかしな人ってやつか。
 話はあとでよーく聞くから、
 とりあえず着替えてくれるかな、鞘師。
 開始時間は変えられないんだ。ごめんね」

「はい!」

里保が急いで自分のロッカーを開けようとすると、
なにか白いものがごろり、と転がり出た。

「ひゃっ」
思わず声が出た。

「さ、鞘師さん、それ」
工藤と一緒に身を乗り出した優樹がつぶやいた。
「カッターささってる」
85 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:23

白いぬいぐるみ型の熊のブランケットが、
原型が分かるギリギリのところでめためたに切り裂かれ、
とどめとばかり、首の部分に作業用カッターが突き刺さっていた。

確かに里保の部屋にあったものだ。
ご丁寧にも、侵入犯が引きちぎっていった
9期の星のかけらが二つ、縫い付けてある。

「あたしのセシルマクビー」

里保の声が怒りに震えた。
侵入犯からのそっけないメッセージが、机の上であざ笑っている。

「ゆるせない。
 えりぽんにもらったのに!」


香音のポニーテールが小さく揺れた。

楽屋は一気に凍りついた。
86 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:23

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


87 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:24

「う〜ん、
 これはマズイことになったのだ」

「道重さん、誰のものまねですか」

通しの激しいリハーサルが終わり、
綿のTシャツにたっぷり吸わせた汗の分を補うように、
娘。メンは思い思いに水分を摂っていた。

スタッフの間では、緊急業務会議が行われたようだ。
チーフマネージャーの溝口が、
さゆみに負けないくらい眉間に深い皺を作って座っていた。
88 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:25
「スタジオにまで入ってくるなんて…
 これはマジのヤツじゃない。

 りほりほの貞操が危ないわ。
 いよいよ、さゆみの権限を使うときが来たようね」

誰も聞き返さないので、仕方なく春菜が、
小指を立ててスポーツドリンクを飲んでいるさゆみに聞き返した。

「権限、ですか?」
「そーよ。
 第8代モーニング娘。リーダーたる、さゆみの手足となって動く
 闇の秘密結社よ。
 我が情報部員の手にかかれば、ストーカーの一匹や二匹、
 戸籍も残さずこの世から抹消してやるわ」
「は、はぁ… 
 警察じゃないんですね。
 こういうときって警察だと思うんですけど」

さゆみがティッティッティッ、と外人のように舌を鳴らして、
「アーユーキディング?」と英語を使った。
なんの映画にはまっているのだろう。

「警察がなにしてくれると思うの?
 はるなんてば、口は達者だけどまだまだ世間知らずなんだから。
 ねっ! 溝口さん。さゆみのお姉ちゃんのときもそうだったよね!」

溝口女史は険しい眉を少し上げただけだった。
89 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:26
「さゆみが、リーダー直通ホットラインを使って今こそ召集をかける。
 その名もUSS…

 はい、
 今夜も、ウサちゃん(U)・シークレット(S)・サービス(S)!!」


「うさちゃんしーくれっとさーびす……………」


「なにが秘密結社っちゃん。
 アホか」
れいなが携帯をいじりながら罵倒した。
「会社で、なにか表ざたにできないことが起こったときに調査を依頼してる、
 民間の警備保障会社よ。
 正しくはユニバーサル(U)・セキュリティー(S)・サービス(S)ね。まぁ何でもいいけど」
90 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:28
周囲の空気をよそに、さゆみは熱弁をふるう。

「さゆみのお姉ちゃんがね、五年前、
 夜道でストーカーに襲い掛かられたのよ。
 警察に相談したら、夜間のパトロールを強化しますので自分でも気をつけて下さい、
 だって。
 そのパトカーも二ヶ月ぐらいしたらいなくなったわ。
 ストーカーが二ヶ月で諦めてくれる保証なんてどこにもないのに。

 そのときも、会社に頼んでUSSになんとかしてもらったの。
 こういうのって、遭ってみなきゃ分かんないけど、ほんっとに怖いよね!」

「まあ、警察は、
 基本起こったことにしか動いてくれないからねえ」

溝口はため息をついて、眉間を指先でもんだ。

「芸能事務所も、自分のとこでなんとかするってのが普通だと思うよ。
 AKBさんのとこもあるでしょ、私設警備員みたいなヤツ」

「まったくさー。
 さゆみいつも思うけど、男の人って、
『いざとなったら力でかなわない』ってことが
 どれだけ怖いか分かんないんだと思うわ!」
さゆみがプンスカしながら言った。

「とにかく、本当、道重の言うとおりだよ鞘師。
 スタジオ全体を警備しようと思ったら、
 プロにでもお願いしないとどうしようもないからね。
 警備保障、って言っても、探偵みたいなこともやってくれるから、
 犯人も突き止められると思う。
 
 それまであなたは、極力一人にならないよう、注意して行動して」

「はい」
91 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:28

「ねっねっ、りほりほ、
 いっそ犯人捕まるまでさゆみの家に来ちゃったら?」

さゆみはウキウキと言った。

「道重さんの家に………」
「だって怖いでしょ?」

 明らかに気が重そうな里保。「でも、えりぽんがいるし」

「生田? あーあー、生田ね。
 いいじゃない、生田もさゆみんとこ来ればいいのよ!
 女三人同棲とか、口にしただけでなんかこう、高まるよね。うふふ。グヘヘ」

「そんなこと言って道重さん、えりぽんを取るつもりなんでしょう」
「え?」

そこには、見たことのない目の色をした里保がいた。
呪文のように、抑揚の抜け落ちた声で里保は言う。

「私からえりぽんを取るつもりなんでしょう」

「え、いや、あの、りほりほ…」
92 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:29
まるで一瞬が嘘だったかのように、すうっと里保はいつもの声に戻った。

「とにかく、そこまでしてもらわなくていいです。
 私は大丈夫なので、みんなに迷惑がかかるといけないので、
 スタジオの警備だけ、すみませんけどお願いします。
 じゃ、戻りますね」

里保が出ていった後、携帯に見入るフリをして下を向いていたれいなが顔を上げた。

「びっくりした〜。
 あの子、ほんとに病気やね。
 あんな鞘師、初めて見た」

べそをかきそうな顔をしたさゆみが振り向いた。

「なんか、卵を取られそうになった親鳥ってゆーか、なんてゆーか…
 ねえ」

「う〜ん…


 て、いうよりか、
 なんか……」
93 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:30

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


94 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:30

小休憩の時間。
がらんとした楽屋に香音が戻ると、
里保が、膝の上に乗せた布をなにやら熱心に縫っていた。

「里保ちゃん、だめじゃんか。
一人になっちゃだめって言われたばっかじゃん」

「あ、香音ちゃん。

 これ、溝口さんに裁縫セット借りたから、
 これだけなんとか直せないかと思って」

カッターでびりびりに切り裂かれたセシルマクビーのブランケット。
愛らしかったクマの顔が、無残に半分ずり落ちかけている。
里保は、悔しそうに、分厚いパイル地に針を刺した。
95 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:31
「ぜったい許せない。
 こんなことするやつ、捕まったら、ぜったい一発殴ってやるんだから」

「うーん。
 
 でも、もう使えないよそれ。
 
 里保ちゃんもいやでしょ?ストーカーが触った毛布なんか」

里保は、いからせていた肩をしょんぼりと落とした。
「うん。
 でも直すだけ直してみる。
 このまま持って帰ったら、えりぽん悲しむかもしれないし」
96 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:31
香音は、里保に向かい合わせて椅子を引いた。

「分かった。
 じゃ、私もこっち側手伝うよ。

 なんっちゃこれー!って大騒ぎしそうだもんね、えりちゃん」

里保はぱっと顔をほころばせた。
「ありがとう、香音ちゃん!」

香音は、嬉しそうな同期に笑い返した。
そして半円形のケースから針を一本取り、
自分がプレゼントした、白いブランケットだった破片を縫い合わせ始めた。

97 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:31

   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥   ‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥


98 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:32

「え、携帯屋行くの?」
またも寒そうなオーバーリアクションで待っていたエンドーが、
大きい目を丸くした。

「仕事用のが、電源入らなくなっちゃったんだもん。
 ホントよく壊れるなぁ、スマホって…
 私も矢島さんみたいにガラケーに戻したい」

里保は必ずしも電話にマメではないが、
仕事の緊急連絡やブログの更新用に使っているお仕事携帯を、
死なせておくわけにはいかなかった。
99 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:32
「帰ってていいよ、私、ひとりでだいじょうぶだから。
 てか、えりぽんが家に一人なんだから、
 そっち行っててほしい」

「でも、お前のストーカーなんだろ?
 お前がいるとこに来んじゃね?」

「ストーカーの考えてることなんて分かんないじゃん!
 とにかく、私はだいじょうぶだから。
 用事だから!」

「なぁーにプンプンしてんだか。
 生理なんじゃねーの」

うっさい!
と里保は心の中で叫び返した。
100 :12月19日 :2014/03/29(土) 10:34
「なぁ、何でこんな遠いショップ行くの?」

結局ついてきたエンドーが、
帰宅ラッシュの山手線の中で、小声で話しかける。

がたん、ごとんと
静かな電車の振動が、
一日疲れた人々を揺りかごのように揺らしていた。

「マンションのほうにも携帯屋あるじゃん」
「うるさいなー。
 だからついてこなくていいって言ったのに」
「お前、なんだかんだ言って根性太いよな。
 ストーカーに入られたばっかで、こんなあっちこっち出歩いて。
 ヨユーですなぁ」

里保より少し背の高いエンドーの声が、
耳の上から降ってきた。

確かに、これがばれたら溝口やさゆみに怒られるかもしれない。
でも、里保にはどうしても寄り道したいところがあった。

「渋谷行くの。
 109にセシルマクビー入ってるから」

里保も小声で、
今日楽屋であったことを話した。

「ハァ!?
 そんでなに、代わりの毛布買いに行くわけ?
 お前が破いたわけでもないのに?」
「べ、別に代わりを買いに行くわけじゃないもん!
 ただほんとに可愛くて気に入ってたんだもん。
 代わりのブランケットも持ってないし、ないと困るし…」

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