■掲示板に戻る■ 全部 1- 101- 201- 最新50

ぞわぞわの日

1 :さるぶん :2009/03/25(水) 09:56
ハロプロ(OG・エッグ含む)のお話です。
2 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 09:57





「ぞわぞわの日」
 
 
 
 
 
3 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 09:58





 信号が変わった。

 歩き出した人々は、交差点の真ん中ですれ違いながら、それぞれ
の方向へ消えていく。

 この時間、この街は、ふたたび信号が変わるまでのあいだ、それを
途切れさせないだけの人口を抱えていた。

 駅のターミナルが仕事帰りのビジネスマンを吐き出し、繁華街のネオ
ンがそれを受け入れた。

 車はヘッドライトで横殴りにした若者を、それとは逆の方向へと見送
った。

 信号が変わった。

 誰もいないはずの場所に、少女が立っていた。

 暫くのあいだ、渡り損ねた人々は、赤、青、赤、青といつものように
脈流が変わっていく、ありふれた交差点の風景として目の前のできご
とを眺めていた。
4 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 09:59

 ドライバーたちは、突如現れた少女を避けるようにしてハンドルを切
っていたが、それは歩道から見たとき、わずかな違いでしかなかった。

 誰かが声を上げたのか、クラクションだったのか。

 少女の存在に、人々が気づき始めた。

 ぼんやりと、そこには幽霊が浮かび上がっているのだと、誰もが思っ
た。

 三たび、信号が変わった。

 折からの電車の到着で、先ほどよりも大きな雑踏がそこへなだれ込
んでいた。

 往来の中で、人々は、その影が実在する少女らしいことを悟って胸を
なでおろした。

 次の瞬間だった。

 誰かが叫んだ。

――血だ!

 まず、誰かが倒れ込み、それを見て叫んだものの中から、また新た
な昏倒者が出た。

 人々は、叫び、佇み、震えていた。

 その中で、少女は、ひとり微笑んでいた。
 
 
 
 
5 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 09:59
 
6 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:00


 【あさひ駅前でこん倒者多数 〜通り魔?集団ヒステリー?】

 夕べ午後7時ごろ、あさひ駅前のスクランブル交差点で、複数の
 通行人が突如として倒れ、意識を失った。

 県警の発表によると、13日午後7時ごろ、帰宅時のラッシュにあっ
 た通行人のうち10数名が、胸に手を当てながら「血だ」と叫んで倒れ
 た。

 被害者の多くは意識を失い、病院へと搬送されたが、うち1人は
 意識が戻っておらず、すぐさま通り魔事件の線で捜査が開始された。

 怪我人は1人もおらず、鑑識の結果、現場には血痕らしきものが
 見当たらなかった。

 ほかにも「血をかけられた」など奇妙な証言があったが、犯人の
 目撃情報はなく、何らかの集団ヒステリーではないかとも疑っている
 という。

 加えて、事件当時、現場には不審な少女がいた。

 信号が赤であったにも関わらず、少女はスクランブル交差点の真ん
 中に佇んでおり、信号が変わっても動き出す気配がなかった。

 健康に被害のなかった複数の通行人によると、少女にはいくつかの
 特徴がある。
7 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:00

 年齢は15〜6歳、透き通るように色が白く、身長は160センチ程度、
 白のワンピースに黒髪、大きな目と口元にほくろがあったというが、
 この騒ぎの中で行方が分からなくなった。

 県警は、この少女が何か知っているとみて、重要参考人として行方
 を追っている。



                      ――14日付 あさひ日報社会面
8 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:00
 
9 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:01





「勘弁してくださいよ」

 吉澤はデスクに噛み付いた。

「いま追ってる中国人窃盗団の件、あと少しで、尻尾が掴めそうなん
です」

 書類をいじっていた手を止めると、部長刑事は、中指でメガネを鼻先
へ落とした。

「お前、夕べどこにいた」

「プライベートの詮索ですか」

「ちがう。ニュースは見てないのか」

「見ましたよ、駅前で起きたこん倒事件のことでしょう」

「なんだ。知ってるのか」

 部長刑事は、デスクの端にあった新聞を手に取ろうとして、止めた。

「どこにいたって、ケータイでチェックぐらいしてます。それより、こっち
をやらせてください」
10 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:01
 吉澤は、その紙面をどけると、下から現れたファイルを叩いた。

 表紙には、【市内全域、および管轄区外における連続凶悪窃盗放火
事件】とあった。

「…しかしだな。倒れた市民の中には若い女性もいる。おまけに奴さん
たち、どれも精神的に参ってるって話だ。そんなとこへ鼻息の荒い男ど
もが乗り込んでいってみろ、後で大目玉食らうのは俺なんだぞ」

「そんなの、ほかの誰かにやらせれば…」

 そういって刑事部屋を見渡して、口をつぐんだ。

 自分のほかに、女がいなかったからだ。

「吉澤…。少しは自分がここにいることの意味を考えろ」

 吉澤は、一瞬、押し黙ったが、資料を開くと、すぐにメモを取った。

「わかってますよ」

 手帳をしまい、ひらひらと手をふると、部屋を後にした。

11 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:02
 
12 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:02
 被害者の搬送先は、どれも市営病院だった。

 駅からすぐの場所で、病室をいくつかはしごしてまわったが、めぼし
い証言は得られなかった。

 面会を拒否されることさえあった。

 重たいリノリウムの床を歩いて外へ出ると、吉澤は新鮮な空気を吸
った。

 その脳裏には、事件の印象が新聞やニュースサイトで読んだ文面の
まま、どこか不可解なものとして残っていた。

 このところの吉澤にとって、捜査に出ているあいだ、一ミリもインクを
減らさないことは日常だったが、足を向けた先は署とは反対のほうだっ
た。

 5分ほど歩くと、駅前の交差点が見えてくる。

 夕べ、事件があった場所だ。

 土曜の午前。

 いまやすっかり日常を取り戻していて、多くの買い物客がいる。

 アスファルトのどこにも、血痕らしきものは見当たらなかった。

 場所が場所だけに、警察以外のものに消された可能性もなかった。
13 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:02
 吉澤は、一角にあるコンビニへ入った。

 資料によると、昨晩、ここのアルバイト店員が事件の一部始終を目撃
していたのだという。

 今朝、早くに110番があって、捜査資料にもメモ書きが挟まれていた
だけだった。

「店長さんはどちらに」

 手帳をひらくと、応対した40がらみの男が、私ですといった。

「いやぁ、参りましたね。通報したのも私なんですが、肝心のバイトの
子が来てないんですよ」

 そういって、薄い頭をなでた。

「そろそろ来ると思いますから、奥で待っていてください」

 お茶を出すともいったが、吉澤は辞退した。

 店の中から、夕べの事件がどう見えたのか、確認しておきたかった
からだ。

 出入り口のスポーツ誌のところへ立って外を見ると、おおむね視界は
良好だった。

 ちょうど信号が変わるところで、横断歩道の白いラインが、こちらへ向
かってまっすぐに伸びている。
14 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:03
 ラインさえ描き変えれば、交差点が専用の駐車場にみえたはずだ。

 1つだけ、街路樹が気になったが、葉は落ちていた。

 しかし、それさえ掃き清められていて、商売上、ここはうってつけの場
所といえそうだった。

「来ましたよ」

 客の対応をしながら、店長が指さした。

 背の高い少女が、歩道を渡って、こちらへ歩いてくる。

「おはようございます」

「おはよう、エリカちゃん。…悪いね、急に入ってもらっちゃって」

「いえ、どうせ今日は、警察へいかなきゃと思ってましたから」

――梅田エリカ。

   市内の高校に通う17歳。

 資料には、それだけしかなかった。

「刑事さんはまだですか?」

「いらっしゃってるよ」
15 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:03
「え?」

 エリカは店内を見渡したが、ほかにスーツの人間がいないと分かる
と、吉澤の顔をまじまじとみた。

「刑事さんって女のひと…ですか?」

 最後のところだけ、吉澤に言っていた。

「男にまちがわれたことは、一度もない」

「…ごめんなさい」

 エリカはうつむいてしまったが、それでもチラチラと見てきた。

「まぁ、それより用事を済ませてしまいなさい。刑事さんも、お忙しいん
だから」

「はい」

 エリカは一旦バックヤードへ引っ込むと、荷物だけ置いてきた。

 店長は終始にこやかだったが、すれちがいざま、エリカに「30分まで
だったら大目に見てあげる」といっているのを、吉澤は聞いてしまった。

 彼は抜け目ない人物なのだ。
 
16 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:05

 客の目を考えて、吉澤は、エリカを連れ出すことにした。

「梅田です」

 改めて警察手帳をみせた吉澤に、エリカは頭を下げた。

 彼女は若者――あるいは、若者気分の人間しか入らないようなファ
ッションビルの服で上から下まで揃えていたが、濃紺のスーツという
ありふれた格好の吉澤と並んでも、とくに違和感はなかった。

「アルバイトは何時から何時まで?」

「5時から、7時までです」

「たったの2時間?」

「はい」

 ウチのお父さん、きびしいから…といって、エリカは苦笑した。

「それでも許してくれたんだから、優しいじゃない」

「…えぇ、まあ」

 吉澤は、歯切れの悪いようすに眉をひそめたが、先を続けた。

「事件には、どうやって気づいた?」
17 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:05

「ちょうど、レジのお金を数えてるときでした。引継ぎのために、おなじ
シフトの人といっしょに作業するんですけど、一つ目が終わって、二つ
目のレジに取り掛かろうとしたところで、あれ?…って」

 コンビニは一般に、入り口から壁伝いに客を流していくシステムを取
る。

 そのため、二つあるレジのうち、奥の方しか使わないのが基本だ。

 エリカとシフトの相方は、慣例どおり、まずそちらから精算を終えると、
もう1台のレジに取り掛かろうとした――つまり、道路の方へ顔を向け
た。

 見慣れたはずの風景に、ちょっとした違和感があった。

「…なんか、ざわついてるっていうか、もちろん、人はいつも多い時間
なんですけど、雰囲気がちがったっていうか」

 違和感の正体は、すぐに判明した。

 車が行き交う中、少女がスクランブル交差点の真ん中に立っており、
それを人々が指さしていたからだ。

「あっ、危ないっって思いましたけど、車に轢かれるとか、そういうのは
大丈夫そうだったので、なんか、余計なことを――もう肌寒いのにノー
スリーブ一枚で大丈夫かな?とか考えてました」

 それから、しばらくは目を離していたという。
18 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:06

「さっきもいいましたけど、ウチ、お父さんがきびしいんで、門限までに
帰らなきゃって焦ってたんです」

 このとき、予定外のことが起きていた。

 レジの精算が合わなかったのだ。

 額がわずかだったため、無くしただけだろうと思い、店内を探してい
た。

 このせいで、退勤時間を過ぎてしまった。

「つまり、7時すぎってこと?」

「はい」

 事件があったのが、7時05分ごろだから、この証言は正しい。

「そしたら、キャーッ!って悲鳴が聞こえて、慌てて顔を上げると、ひと
が沢山倒れてました」

「ほかに不審な点はなかった?ワンピースの子以外で」

 エリカは、思い出すように首をひねった。

「いえ、とくに…」

「現場に居合わせたひとの多くが、血が流れた、血をかけられたと証言
してるんだけど」
19 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:06

「え…それは」

 エリカの眉が、不安げに寄った。

「ニュース、知らないの?」

「…知ってますよ、もちろん」

「じゃあ、ほかになにか知ってるの?」

「…いえ、べつに、あの」

 今度は、目が泳いでいる。

「あのコンビニからなら、そう離れていないよね。きっと、なにか目撃し
てるはずなんだ。思い出せない?」

 吉澤は、続けざまに質問しようとして、止めた。

 病院の聞き込みでも、皆、いまのエリカとおなじ表情をしていたから
だ。

「ごめん。辛いことを思い出させちゃったね」

「いえ…あ…はい」

 これ以上つづけると、仕事に支障がでると判断し、吉澤は、そのまま
エリカを戻した。
20 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:06
 結局のところ、またインクは減らなかった。

 帰り際、申し訳程度だが、吉澤は、缶コーヒーを買っていくことにした。

 レジを打ちながら、店長がいう。

「…いや、私も夕べ、エリカちゃんからいろいろ聞いてましたから、代わ
りにお話すればよかったですね」

 このことばに、きびすを返していた吉澤が振り向いた。

「夕べ?…」

 釣りを受け取った手が、そのまま止まっている。

「彼女から話を聞いたのは、夕べなんですね」

「ええ。シフトの交代のときには、なるべく顔を出すようにしてしてますか
ら」

「では、なぜ今朝まで通報なさらなかったんですか」

「…いや、それは」

「なにか、ご存知なんですね」

 吉澤はカウンターに身を乗り出していた。
21 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:06
 
22 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:07
 レジでの取調べは、あっという間に決着がついた。

 吉澤はかつて交番勤務のさい、この駅前に配置されていたのだが、
そのころから彼の噂は聞いていた。

 彼は駅の反対側にも店を構えていて、そちらとこちらの両方で、深夜
の労働、たむろし、酒の販売など、未成年がらみで多くの問題を抱えて
いた。

 しかしスクールゾーンともなっている駅前での声かけや、歩道の清掃
――たとえば、街路樹の落ち葉の掃き集め――など地域貢献をする男
としても知られていたため、大目に見られてきたのだった。

 その辺りをつついてやると、すぐに白状した。

「エリカちゃんに、どうしてもって頼まれたんですよ」

 夕べ、彼は時間が取れたため、いつものように店へ顔を出したという。

 すると、入れ違いざまに、エリカが店の上っ張りをつけたまま、飛び出
していった。

「それは事件の前ですか?それとも後?」

「前です」

 答えたのは、店長ではなかった。
23 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:07
 エリカが出てきたのだ。

「バレちゃったんですね」

 そういって、店長を一瞬、にらみつけた。

「どういうことなの」

 詰め寄る吉澤を、エリカは、バックヤードへ引き入れた。

「さっき言い忘れてたことがありました」

「血のこと?」

「そうです。ていうか、私、犯人を知ってます」

「誰?」

「白いワンピースの女の子です」

「やっぱり…。飛び出していったことと関係は?」

「あります。ともだちが、犯人のそばにいましたから」

「…でも、飛び出したのは事件の前だって」

 言ってから、吉澤は思案した。
24 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:07

「――つまり、あなたは、事件が起こる前に、その子が怪しいと分かっ
ていた?」

「はい。変な液体を持っていましたから」

「それが血だった?」

「いえ、ちがいます」

「血じゃない?じゃあ何?」

「ピンク色の…なにかです」

「ピンク!?」

 吉澤の思考は混乱した。

 ひとびとは口々に、血だ、血だと叫んでいたが、赤かったという証言
は出ていない。

 血液とは、本物より、ドラマや映画に出てくる血糊の方が見慣れてい
る、そんなひとも少なくないはずだ。

 それは薄いものから黒っぽいものまでさまざまだ。

現場は混乱しており、当時すでに暗くなっていたことを考えると、当事
者たちが、ピンク色の液体を血液と混同した可能性は十分にある。

「それを、彼女はどうしたの」
25 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:07

「かけたんです。通行人に」

 吉澤は、当時の現場をイメージしてみた――。

 まず、少女が佇んでいる。

 夜のスクランブル交差点に、四方から車のヘッドライトにショウアップ
された状態で、中央に。

 不気味な存在感だ。

 ひとびとの脳裏にはそうしたイメージが焼き付いていて、血液と酷似
した液体をかけられ、パニックを起こす。

――卒倒。

 ありえない話ではなかった。

「…彼女にしてみれば、ちょっとしたイタズラのつもりだったんだと思い
ます」

 軽い調子で言って、エリカはロッカーを開けた。

 上っ張りをかぶり、鏡に向き合う。

 そのようすを見ながら、吉澤はつづけた。
26 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:08

「でも、おかしい。犯人は交差点の真ん中にいた。そして、あなたが店
を出たのが事件の直前。もし、ともだちが犯人のそばにいたのなら、
通行人がそう証言してるはず…」

「それは…まちがいだったんです…実際には…遠くにいて…それで…
遠近…そう、遠近感がつかめなくて…」

 エリカは考え考え話しているようだった。

「ともだちは、向かいの歩道にいたってこと?」

「…はい」

「それも、おかしい。さっき店の中から確認したんだけど、店に対して
歩道は確かに直角だった――でも、ともだちが向かいにいると勘違い
するほど、この交差点は小さくない」

 鏡越しに、吉澤はなにも言わなくなったエリカを覗き込んだ。

「そのともだちに会わせてくれない?」

「…それはっ」

 勢いよくふりかえると、すがるようにエリカは首をふった。

「入院してるとか…」
27 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:08
「いえ、家にいます。入院するほどの大事じゃないからって」

「じゃあ、そのともだちの名前と、それから住所を教えてもらえない
かな。ご家族の方はいらっしゃるんでしょう。折を見て、お見舞いにも
行きたいし」

「…ダメです」

 吉澤が一歩、前へ詰めると、エリカは2歩後ずさる。

「まだ、なにか秘密があるの?」

「…いえ、その」

 ロッカーの中に追い込まれたように、エリカは小さくなっている。

 バックヤードの入り口に店長が顔を出した。

 時計を見ると、30分が過ぎていた。

 彼の舌打ちが聞こえる。

 それ以外、あたりは静寂に包まれていた。

「マイミ」

「…え?」
28 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 10:09
「ヤジママイミ」

 そう言ったきり、エリカは黙り込んでしまった。

 強く、床の一点を見つめたまま動かない。

 吉澤は、その場を立ち去るしかなかった。

 惜しむようにゆっくりと歩き、店のガラス戸を押して振り返ると、エリカ
はレジにいた。

 こちらを見てなにか言いたげにしていたが、きつく口を結ぶと、彼女は
客の応対に入った。
 
 
 
 
 
29 :さるぶん :2009/03/25(水) 10:11
更新は週一をめざしてますが、まったく保障できない状態です
それでも読んでいただければと思います
30 :名無飼育さん :2009/03/25(水) 16:18
面白そう
更新待ってます
31 :名無飼育さん :2009/03/26(木) 00:20
こちらも期待してます
32 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:04




 署にもどると吉澤は、すぐさまコンピュータに当たった。

 補導の前歴者リストを調べるためだった。

 当該ページを呼び出し、「ヤジママイミ」と打ち込んだところで、ふと手
が止まった。

 斜め前の部長のデスクに、例の資料があったからだ。

 エリカから聞き出した情報はたしかに重要なものだったが、それは、
こん倒事件のものだ。

 放火事件の方は、首謀者と目される中国人窃盗団に対し、なんども
捜査の手が迫っていたが、いつもあと少しのところで取り逃がしていた。

 目を離せずにいると、部長が入ってきた。

 新しいファイルを手にして、強行犯係を数名、連れていた。

 吉澤は慌ててコンピュータに視線をもどしたが、横目でそちらを伺って
いる。

「なにを調べてるんだ」
33 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:05
 近づいてきて、部長が言った。

「補導暦です。こん倒事件で、新証言が出たので」

 新しいファイルはデスクに置いてあり、部長は、吉澤から見ると、ちょ
うどそれとの間に立っていた。

「そうか」

 それだけ言って、デスクへ戻った。

「連続放火事件の新しい資料だ。いま、こっちで調べてる」

 なにも聞いていないのに、言った。

「こっち」の部分に、強い意味が込められていた。

 吉澤は、検索ボタンをクリックした。
34 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:05
 
35 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:06
 結果はゼロ。

 ヤジママイミという名の人物は補導者リストの中には見当たらず、念
のために成人の方にも当たってみたが、やはりダメだった。

 部屋の奥から、部長たちの会話から漏れ聞こえている。

 放火事件の方は、それらしき集団に出くわした警官が負傷したケー
スもいくつか報告されており、その多くが未解決、また警官も復帰でき
ていない。

 すでに吉澤が知っていたものと合わせると、そうなった。

 この事件の主体は、件数でいえば窃盗や放火だったが、強行犯係
が絡んでいくのは、そうした理由からだった。

 はじめ吉澤は、その一員としてこの事件に関わったが、刑事が被害
者になったことで風向きが変わった。

 上から、吉澤を外せとの達しが来たのだ。

 警察学校時代の吉澤の成績は全般として優秀で、ここに配属された
のも、そのためだった。

 それは誇ってもいい。

 しかし、この世界でやっていくには、神経が細すぎたのだ。

 警察学校にも、女は少なかったが、それは本物の世界ではなかった。
36 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:06
 警察手帳を手にしたあの日から、自慢だった吉澤の体力は見る見る
うちに落ちていき、いまだ窃盗犯係にまわされないのが幸運といえた
ほどだった。

 それもこれも女だから――とその理由を直接に言わないのは、周囲
のやさしさなのだと、そう思うしかなかった。

 吉澤は、立ち上がった。

――現場百遍。

 手始めに、駅前のコンビニへいき、エリカに話を聞いた。

 これは何度もくり返したが、予想通り、当たらなかった。

 次に、彼女のシフトを調べた。

 店長に睨みを利かせて、内緒にしてくれと言付けた。

 ほかの業務の合間を縫って、彼女の働いている時間とその前後を監
視するようになった。

 エリカは、いつも1人でやってきた。

 服装にはマメな性格で、いつもちがった格好をしていた。

 出退勤は、定刻どおり。
37 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:06
 勤務中、客の中に、特別親しくしている人物はいないようだった。

 このあいだ、新聞社の知り合いに、「ヤジママイミ」という名の人物に
心当たりがないかと当たってもみた。

 これもダメだった。

 また、エリカの学校におなじ名前の生徒がいないか問い合わせると
いう方法もあったが、近頃、学校のまわりでは不審者が目撃されてお
り、プライバシー保護の観点から反発に遭うことが分かりきっていた。

 そうして、2週間が過ぎたころ。

 コンビニの向かいの歩道に、一人の少女が立っていた。

 はじめ、それを何気なく見ていた吉澤だったが、彼女の取った行動に
目を丸くした。

 信号の変わるのを待ち、おもむろに交差点の真ん中へやってくると、
立ち止まって、瞑想をはじめたのだ。

 そんなことをしているのは、彼女だけだった。

 ここから見ても、そうと分かるぐらい色が白く、年の頃は15〜6。

 吉澤はケータイを取り出し、できるだけ近づいてシャッターを押した。

 彼女が歩道を渡りきるのを待って、横に立った。

 喉元にほくろがあった。
38 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:07
 これは事件当時、あたりが暗かったこと、騒動のただ中であったこと
を考慮すれば、口元にあったと判断されても不思議はない。

 エリカの証言による”ピンク色のなにか”こそ所持していなかったが、
日々変わるであろう服装をのぞいて、身長も、髪の色も、なにもかもが
資料にある少女の特徴と一致していた。

 少女は交差点を見渡している。

 はしこく首を振るというより、用心深く、周囲の一人一人を観察するよ
うにして。

 信号が変わると、少女は元の方向へ帰っていった。

 吉澤は、後を追けながら、ケータイを操作する。

 監視を始めてからこっち、事件のあった時刻を基準として、数時間ご
とに交差点のようすを撮影していたのだ。

 犯人は現場に戻ってくるという、捜査の鉄則に従ってのことだった。

 それは当たり、だった。

 毎日ではなかったが、少女は写っていた。

 いずれも、今しがたまでの行動をくりかえしているとしか思えないよう
な写り方だった。

 あたりを見ると、住宅地のほうへ入っていた。
39 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:07
 吉澤はケータイをたたみ、少女の肩へ手を伸ばした。

 それは交番勤務時代、なんどか職務質問をかけたときのやり方だっ
た。

 しかし、実際の手は宙をかいた。

 ホシを見つけたら、根城を突き止めることもまた、鉄則だったからだ。

 少女は一軒の家に入った。

 表札には名前がなく、代わりに「アトリエ ドロワーズ」と書かれた小さ
な看板が下ろされていた。

 吉澤は、またぞろケータイを取り出すと、物陰に潜んだ。

 まず署に電話を掛け、生活安全課につないでもらって、一か八かで
「ドロワーズ」というアトリエについて調べてもらった。

 ある程度は分かったが、30前後、子なし若夫婦の世帯であるという、
いたって普通のことだけ。

 いまの少女が何者かまではわからなかった。

 署ではダメだと思った。

 警察というのは、個別のケースまで覚えていない。

 責任感があるがゆえ、広く浅くがモットーだった。
40 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:08
 もう一度、メモリーをたぐる。

『もしもし?』

 甘ったるい声が出た。

「調べてもらいたいことがあるんだ」

『ちょっと、何よいきなり』

「いいから。『ドロワーズ』ってアトリエについ…」

『よくない!!』

 大声がして、吉澤は受話口をはなした。

『最近、どうしてたのよ、全然連絡つかないし』

「いいから、お願い。訳は追って話すから、そのアトリエに家出少女
みたいな子が出入りしてないか。生活欄の担当なんだから、そういう
情報だって入ってるんじゃない」

『…わかったわよ、ちょっと待ってて』

 保留にこそされなかったが、不服そうな声だった。

 吉澤は、画面の【梨華】という文字を、恨めしそうに見つめる。

『もしもし』
41 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:08
「うん?」

『いま調べてるけどさ、なんで家出少女なの。その家の子かもしれない
じゃない。それに家出って、生活安全課の担当だし…』

 吉澤は、これまで起こったことのあらましを、かいつまんで聞かせた。

 その間も、梨華の調べものの手は止まっていなかったようで、電話の
向こうでは、キーボードを打つ音、なにか資料をめくる音、そして同僚な
のだろう、頼みごとをする声がした。

「家に入っていくとき、合鍵を使ってた。そんなものを渡す相手って、
ある程度、深いつながりでしょ。だから名のあるアトリエなら、何かしら
の記事になってるんじゃないかと思った」

『その子が、ほら…このあいだ聞いてきた「ヤジママイミ」っていう可能
性はないの?』

 それは低いだろうと、吉澤は答えた。

 エリカがシフトに入っていない日も、少女はケータイに写っていたから
だ。

 「ヤジママイミ」について、エリカはなにか隠し立てをしており、普通に
考えれば、それは事件とつながりのある人物、または情報のはずだ。

 エリカ――つまり協力者の側からすれば、そんな人物が現場に顔を
出すのを、放っておくはずはない。

 犯人は現場に戻ってくる。
42 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:08
 この鉄則を、素人が知っている――つまり、警察の手の内が読まれ
ている可能性だって、十分にあるのだから。

 結果が出た。

『おもしろいことが分かったよ。そのアトリエでは、年に数回、市内の
小学生の課外授業に協力していて、美術を教えているらしいの。もしか
したら、それがきっかけで通うようになったのかも』

 少女は15〜6歳。

 逆算すると、4〜5年以上前ということになる。

 参加者名簿はないかと聞くと、さすがにそれはムリとのことだった。

 結局、素性は分からず仕舞いだった。

「ありがと。また」

『うん…って、ちょっと待って!まだ終わってないよ』

「なに」

『さっきの、「家出は生活安全課の仕事」…って話』

「それが?」

『だから、その…飛ばされたんじゃないか…って、それで落ち込んでて
電話がなかったんじゃないか…って』
43 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:09
 吉澤は、これを聞いて苦笑した。

「ない、ない」

 笑いをこらえるのに必死だった。

『なによーっ、笑わなくたって!』

 声を周囲に漏らさないよう、吉澤は電柱と壁のすき間に向き直った。

「だって、あんまり深刻そうだから」

『それはお互いさま』

 そういって、ひとしきり笑うと、二人は声を正した。

「じゃあ切るよ。あの話は、またいつか」

『うん。いつか。それより体に気をつけてね。みんなの刑事さんなんだ
から』

「わかってるって」

『ううん、わかってない――。ひとみちゃん、いつも深刻そうな顔して、
眉間にしわ寄せてる。いまだって、そうでしょう』

 突き刺すように、梨華は言った。

 吉澤は、それで自分がその通りであることに気づき、破顔した。
44 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:09
「かなわないな」

 今度こそ、本当に切った。

 結局、少女のことは分からず仕舞いだった。

 少なくとも、いま目の前にある選択肢で最善のものといえば、この家
を張り込むことぐらいだった。

 まずは、一旦、署に戻ろう。

 吉澤は深呼吸をし、そっと物陰を出ようとした。

 そのときだった。

「このひとです!」

 声のしたほうを振り返る。

 1人の少女がこちらを指さしていて、その脇を、数人の制服警官が駆
けてくる。

 吉澤は、あっという間に取り押さえられてしまった。

「おとなしくしろ!」

 抵抗するが、成人男性が寄ってたかっては勝ち目がない。

 吉澤は地面に組み伏せられた。
45 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:10
「間違いないかい」

 警官は少女を呼んで、顔を確認させた。

「はい、まちがいありません。駅前から、ずっと後をつけてましたから」

 痛みに顔をしかめながら、ようやく顔を上げる。

 すると、自分が追ってきたのとは、また別の少女だった。

「まちがいなく、このひとがストーカーです」

「ストーカー!?」

 吉澤は声を上げ、反射的に警察手帳を出そうとした。

 だが、それを抵抗と受け取られてしまい、余計きつく腕を締め上げら
れる。

 しばらくのあいだ、そのまま押し問答があった。

 さわぎを聞きつけた近隣住民が、次々と顔を出す。

 そして。

「花音!」

 ドロワーズの窓から、例の少女が顔を出した。
46 :名無飼育さん :2009/04/01(水) 09:10
「憂佳!」

 そう呼ばれた少女は、いったん引っ込んだ。

 そして、すぐに玄関から駆けてきて、花音と呼ばれた少女に向き合
った。

「このひと、ストーカーじゃない。刑事さんだよ」

「…え!?」

 その場にいた全員が、声をあげた。

 むろん、吉澤でさえも。
 
 
 
 
 
47 :さるぶん :2009/04/01(水) 09:22
更新です。

>>30
あと数回分は書きあがってるんですよ
そのあいだだけは定期的に更新できそうです
>>31
ほいくの読者の方ですね
あちらとは雰囲気を変えたつもりで書いてます
あちらも更新できればと思います
48 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:45




 灯りのないシャンゼリゼ通り。

 そこを往く、3つの人影があった。

「やっぱり、昼間がよかったな。凱旋門が、なーんにも見えないぜ」

 青いリボンを、胸の前で揺らして少女がいった。

「はてはて?…夜更かしは、お肌に悪いですぅ」

 黄色いリボンの少女が、それに続いた。

「じゃあ、明日、また来ようよ」

 ピンクのリボンを撫でながら、最後の少女が言った。

 あたりには車も人もなく、甲高い声が響いている。

「ダメだって」

 青が、ふり返る。

「スペインでの仕事が控えてるって、マネージャーから聞いたろ」

 通せんぼするように、仁王立ちしていた。
49 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:46
「えー、でもでも!」

 ピンクが追い越して、ふり返る。

「あたし歌なんかより、敵をやっつける方が、たーのしいもん!」

 そういって、「オー!シャンゼリゼ」を歌ってみせる。

 暗闇の凱旋門を仰ぎ見て、ア・カペラで、身ぶり手ぶりまでつけて。

 鼻を鳴らして青が言った。

「おまえは音痴なところがあるからな」

「それをいったら、サーヤの火の玉なんか、ぜんっぜん当たらないじゃ
ん!」

「うっ、うう、うるさい!」

 あかんべーをしてかけ出すピンク。

 それを追いかける青。

「はてはて?…オンチはどっち?あっちこっちそっち ですぅ」
50 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:46
 
51 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:47
「でもさぁ」

 ピンク――小春が言った。

「凱旋門って、英雄ナポレオンを記念して造られたんでしょ? それより、
よっぽどあたしたちのほうが、この国を守ってる英雄だよね」

「まぁな」

 サーヤがうなづいた。

「あー、みんなに言いたいよぅ!」

 日本のサムライここにありーっ!小春はそう叫んで、サーヤにたしな
められた。

「ウチらの仕事は極秘任務。いくら言いたくたって、ちゃんと我慢しろよ」

「サムライ ためらい 言えないガールズですぅ」

「わーかってるってばぁ」

 そう言う小春だが、指先は宙をなでている。

 その先にあった並木が、動きにあわせてサワサワと揺れた。

「マロニエさん、くすぐったそうですぅ」
52 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:47
「いや、お前は分かってない」

 サーヤは立ち止まり、肩を怒らせた。

「こないだだって、うっかり精神開放して、空港のおっさんに止められて
たじゃないか」

「それは、さぁ…?」

 小春は口を尖らせた。

 マロニエを指先でかきまぜながら、器用に、逆の手で自分の髪をもて
あそんでいる。

「トロ子が助けに入らなかったら、どうなってたことか…。とにかくお前は
新米なんだから、油断しちゃダメだぞ?」

 そういって歩き出すサーヤの背中に、「はーい」といって、小春は舌を
出した。
53 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:47
 
54 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:47
「来たか?」

 突如、サーヤが立ち止まった。

「みたいですぅ」

 キッカがケータイを取り出した。

「この前に3度現れたのは、いずれも、この近く。こんな場所で行動を
起こすなんて、よほど自信があると見たですぅ」

「わーい!」

 小春の足元から風が舞い上がった。

 その勢いは強く、身をそらせたサーヤが、抑えろ!とさけぶ。

 しかし小春の意識はすでに暗闇へと向けられていて、辺りのチリが
集まってできた渦が、歪な形を成していた。

「…エネルギー、開放しすぎですぅ」

「嫌な予感がするぜ」

 サーヤが手のひらを返すと、中空から青白い炎が生まれた。
55 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:48
 腕にまとわりつき、それは赤く変色していく。

 三人はそれぞれに暗闇をさぐった。

 小春は西を、残りは南だった。

「そこだぁっ!」

 飛び上がったのは小春だ。

 右手を振り上げると、街路樹めがけて振り下ろす。

 暗闇を四角く切り取ったような質量が樹木へ叩きつけられると、すさ
まじい音を立ててひしゃげたその陰から、何者かがまろび出た。

「みーつけた!」

 それを追いかけて、自ら巻き上げた塵芥の軌跡を抜け出した小春は、
直角に突進する。

 まるで鬼ごっこをするときのように、進む方向を指したまま、笑顔にな
って。

「くらえーっ!」

 叩きつけられる闇のハンマーが、次々と石畳を破壊していく。

「バカ!街をぶっ壊すな!」
56 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:48
 それでも影は、瓦礫と粉塵のあいだを縫うように移動していく。

 サーヤは、その先へ左手を指し向けた。

「今日は、はずさないぜ!」

 じりじりと角度を変えて目測をとり、振りかぶった右手から炎の弾を
放った。

 それは弧を描きながら目標の軌道を先回りしていく。

 小春のハンマーに気を取られていた影は、まるで吸い寄せられるよ
うにして落下地点へ入ると、一瞬で炎に包まれた。

「やりぃ!」

 ガッツポーズをするが、サーヤは、すぐさまふり返った。

――敵さんは、まだいるですっ。

 キッカの思念が、頭に飛び込んできたからだ。

――4時から10時の方向、やはり並木に隠れてるですぅ。

 言うがはやいか、いくつもの影が現れ、向かってきた。

 サーヤは思念を送り返す。
57 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:48
――トロ子、一網打尽にするぞ!

――はいですぅ!

 力を込め、火力を上げると、腕の炎が青く変色した。

 そして痙攣させた手のひらから細切れにした炎を放つと、路面に落ち
たそれを連続で蹴り出した。

 無闇やたらに決められたかに見えるそれらの弾道は、キッカの思念
波によってコントロールされ、すべての影に直撃した。

 臓腑をひねり上げたような悲鳴のあと、焦げた臭いに包まれながら、
それらは燃え尽きた。

「ずるいよサーヤばっかり!」

 小春は口をとがらせて戻ってくる。

「…しかも、下、歩きづらいし」

「おまえが壊したんだろ!」

 シャンゼリゼ通りが、穴だらけになっていた。

「はてはて?…これは何て言い訳するです?工事中の爆発?小型隕
石の落下衝突?」

「はぁ…また始末書かよ」
58 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:49
「いいじゃん。字を書くだけなんだし」

「はぁ?書くのはウチ!おまえじゃない!…ったく、リーダーもつらいぜ」

 サーヤが頭を抱え、小春が高笑いをしていた、そのときだった。

 音を立てて、後方からなにかが飛んできた。

 とっさに身を翻した小春だったが、胸の辺りを掠めて、それは地面に
突き刺さった。

 変形した、車のボンネットだった。

「はてはて?…まだ、生きてたですっ?」

 キッカが指さした方向には、はじめに倒したはずの敵が、黒焦げにな
って立っていた。

 フギギギィィィィィ…と、骨の擦れるような音で唸っている。

「ちっ…火力が弱かったみたいだな」

 サーヤが中空からふたたび炎を呼び出すが、先に出たのは小春だっ
た。

「…許さない。お気に入りだったのに」

 胸のリボンを大切そうに撫でていて、それが真ん中のあたりで斜めに
裂けていた。

「ぜーったいに許さないんだからっ!!!」
59 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:49
 噛み付くようにさけぶと、見えない威力が、敵をはるか遠くへ吹き飛ば
した。

 小春は飛び上がり、それを追いかけていく。

「待て!そっちは…」

「封鎖してない区域ですぅ!」

 二人は顔を見合わせ、シャンゼリゼ通りを抜け出した。

 現れた人ごみの中を、走って抜けていく。

「…嫌な予感が当たっちまったぜ…。トロ子!あいつらどっちへ行った」

「通りをいくつも越えたところ、セーヌ川に沿って東へ移動してますぅ!」

「こうなったら飛ぶしかない」

 二人は目の前にあらわれた分かれ道から、人通りのないものを選ん
で飛び込むと、居並ぶ建物のはるか高くまで一気に飛び上がった。

 セーヌの流れを視認し、それを右手に注意深くさがしていくと、通りの
1つからしきりに爆煙が上がっていることに気づく。

「お前は先回りしろ!」

「はいですぅ!」

 サーヤは1人、煙の中へ降りていった。
60 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:49
 そこはパリの中心地、シテ島に近いあたりで、放射状に伸びた街路
のせいで入り組んだ地形をしていた。

 爆音は、その中を、行ったり来たりしている。

 視界を塞がれたまま、叩き壊された凸凹の道を進んでいくと、車の
ヘッドライトが浮かび上がらせた白い円錐の中を、二つの影が通り過ぎ
た。

「やめるんだ、小春!」

 鳴りっぱなしのクラクションが、その声を邪魔する。

 代わりに、小春の甲高い嬌声が、右かと思えば、次は左から、と聞こ
えてくる。

 サーヤは最初、それを無闇に追いかけまわしていたが、止めにする
と、温度を最小に絞った炎を全力で地面に打ちつけ始めた。

 あたりの煙が吹き飛ばされ、視界が確保されていく。

 が、すぐに次の破壊が起こるので埒が明かない。

 立ち往生していると、爆音が止んだ。

 煙のはるか向こうで、小春が、なにか叫んでいるのが聞こえる。

「いや、ちがう――これは」

 悲鳴だった。

「小春ーっ!」
61 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:50
 サーヤは飛び上がった。

 上空から耳を澄ますと、シテ島の方からと分かる。

――小春ちゃんがあぶないですぅ!

 キッカの思念波だった。

――トロ子!?もう終わったのか?

――はい…で…す…あた…り…市民…んは…1人…残…ず…非難…
が…了…した…すぅ…

 思念派が弱くなった。

 キッカの消耗が激しい証拠だった。

――お前はそこで休んでろ!

 サーヤは急滑降で島へ降り立つと、炎を呼び出しながら、キッカのナ
ビに従って進んでいく。

――今…の敵…んは…生半可…火…力で…は倒せ…い…す…

――わかってるって。

――それ…に…、ちゃ…と当て…られ…です…か?…

――心配するな!接近戦に持ち込んで、焼き潰してやる!
62 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:50
 ナビは途切れ途切れのものだったが、道の先には、点々と破壊の跡
が続いている。

 路地の出口に差し掛かると、ノートルダム寺院の前広場が見えてき
た。

 小春がいた。

 倒れ込み、襲い掛かる敵に、なす術がない。

「逃げろーっ!」

 サーヤは駆けながら、特大の炎を放とうとしていた。

――ムリ…で…ぅ…!

――どうして!

――小春…ゃんの…エ…ルギ…は…ゼロ…で…ぅ…!

――そんな!…じゃあ、どうするんだ!もう戻せないぞ、これ!

 炎は大きく、そして青白く、ほぼ無色透明になるまでエネルギーが
高まっていた。

「ええいっ!――もう、どうにでもなれっ!」
63 :名無飼育さん :2009/04/08(水) 09:51
 サーヤは、それを天高くへ放り投げると、持てる力のすべてを集中さ
せて、いままさに振り下ろされんとする敵の毒牙の下から小春をさらい、
飛び去った。

 パリの空に青い月が浮かんだ。

 次の瞬間、落下したそれはシテ島とそこを貫く南北の通りに沿った町
並みのすべてを焼き尽くした。

 石畳をも消失させるほどの威力だった。

 この夜、パリの街からいくつもの世界遺産が消え、セーヌ川には2つ
の支流が増えた。
 
 
 
 
 
64 :さるぶん :2009/04/08(水) 09:52
更新です。
65 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:43




 小春は、成田空港に降り立った。

 目深に帽子をかぶり、カートを引きずってゲートを出ると、すぐのところ
に報道陣が待ちかまえていた。

「…げ」

「嗅ぎつけたのね。コンサートが中止になったのを」

 マネージャーが匿うようにして前に出た。

――小春ちゃん、元気ですか?

 幾つものマイクとレンズが向けられる。

――今回のフランスでのコンサート、キャンセルは体調不良が原因と
   聞きましたが?

――それとも、サーヤとケンカでもしましたか?

――キッカの占いによると、今回のツアーには悪い相が出ていたそう
   ですね?

――パリの爆破事件と、やはり何か関係があるんですか?

 人々が押し寄せてくる。
66 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:43
 中には、海外のメディアも含まれていた。

 小春とキッカ、サーヤの3人からなるユニット Milky Wayは、いま世界
中のアイドルだった。

 とくに、その音楽面での評価は高く、イギリスの大手音楽系ポータル
サイトは彼女らの3rdアルバム発売に合わせて、次のような記事を
トップに載せた。
67 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:44


 【新しい時代の音楽】

 わが国の評論家たちは、いつも耳を塞いでいた。

 自らの音楽が、つねにアメリカのものに引けを取っている事実を忘れ
 たくて、その時代、その時代の新しい要素を遠ざけてきたのだ。

 クラシックが死にかけたらポップスを、ポップスが死にかけたらロック
 を、まるでフットボールの臆病者がでオフサイドを恐れるようにして、
 新しい音に耳を塞いできた。

 ロックが死にかけて、ヒップホップが生まれたときだってそうだった。

 地元(ユーロ)から生まれたビートに希望の光を見出したこともあった
 が、結局はどっちつかずに終わってしまった。

 テノールだって悪くはない。

 しかし、これからはMilky Wayの時代だ。

 この日本のユニットには国境がない。音楽的な死角がないのだ。

 それも――まったく。
 
 
68 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:44
 追伸:Milky Wayのフロントメンバー 久住小春は、
     わが国最大のアイドル、ポール・マッカートニーによく似ている
 
 
 
 
                            Jack"spicy"Robinson
 
69 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:44
むろん――。

 新しいものには、つねに批判がつきまとう。

 あるアメリカ人はいった。

――こんな音、スタジアムで流してみろよ、ホットドッグが冷めちまう
ぜ!

 あるフランス人はいった。

――シニフィエとしての歌詞において示される、同時代的感性として
のシニフィアンが不明瞭であり、ソーカル事件によって明らかになった
クリシェの不用意な手付きが、ここで反芻されてしまっている

 また、ある日本人はいう。

――3人のキャラが立ちすぎてて、逆にキモチ悪り

 これらの点から、それぞれの文化において、Milky Wayが必ずしも馴
染んでいるわけではないことは明らかだった。

 しかし、それでも、YouTubeでの動画再生回数、各地で開かれたコン
サートの動員数といったものを見れば、その勢いも、また明らかなもの
だった。

「――いいよ、これぐらい」

 小春は前に出ると、押しかけた人々に向けて、手をふった。
70 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:45
 それは愛想ではなく、力の行使だった。

 こちらへと向けられたマイクも、それを持つ者の動きも、すべてが静
止していたのだ。

 マネージャーが怒鳴った。

「あれほど力は使うなと言っておいたでしょう!」

「だって…」

 小春は反論を試みるが、まったく取り合ってもらえない。

「いいわけは聞きたくない。それに体力だって回復してないの。次の
仕事に差し支えたら、どうするの」

「でも、あたしピンピンしてるよ!」

 揉めていると、人々が動きだした。

「えっ…まだ効果が」

 呆然とする小春。

 彼らは、最初、自分たちの身に何が起きたのか計りかねているよう
すだったが、それでも、あたりが静けさに包まれたのは一瞬で、すぐさ
まパパラッチのシャッター音がスコールのように沸きあがった。

「…カ、カゼかな」
71 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:45
 マネージャーから一瞥を受けた小春は苦笑いになり、力なく手を引か
れると、その場をあとにした。
72 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:45
 
73 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:46




――数時間後。

 小春は、ソファに寝かされていた。

「――じゃあ、そのときの記憶はないんですね」

 さきほどから、うなり声ばかり上げている。

「――敵を追いかけて、封鎖区域を抜け出した。その後です」

 頭の後ろには小さなイスがあって、そこへ女性が腰掛けている。

 白衣の胸には【紺野】と書かれたバッヂがあって、それが間接照明
にうっすらと浮かび上がっていた。

「――サーヤが助けにくるまでのおよそ5分、そのあいだに何があった
のですか」

「…うーん」

 小春は、寝返りを打つようにして、姿勢を変えた。

「なにか、おぼえているのですね?」

 答えはない。
74 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:46
 紺野は、ひざ掛けのストールにカルテを置き、そこへ丸文字でなにか
書き付けていたが、一呼吸して、

「…お茶にしましょうか」

と、照明を上げた。

 となりの部屋へ紺野が消えてしまうと、遅れて、乳白色の光が、じわ
じわと部屋じゅうに広がる。

 大きくも、小さくもない部屋だった。

先ほど後にした空港から、車で数時間。

 あさひ市内へ入ると、ハイウェイによって分断された街区の北側に、
長閑な田園風景が広がっている。

 そこを更に北へ進むと、山の上に、大きな敷地が見えてくる。

――ゼティマ製薬株式会社(Zetima Pharm.Ltd)

 セキュリティのために自動認証をおこなうゲートをパスすると、右手に
工場、左手にいくつものビルが建ち並んでいる。

 世界第2位のシェアを誇る多国籍企業であるゼティマは、地球上の
あらゆる場所に関連施設を持っていたが、この本社には特別な意味が
あった。
75 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:46
 併設された施設では、日夜、各地より集められた精鋭が、新薬の研
究・開発に取り組んでいたからだ。

 その中の一室に、小春はいた。

 統一的なトーンを持たされたほかのインテリアといっしょに、ソファは主
役のようにして、または脇役のようにして置かれていた。

 上体を起こすと、小春は、大きく伸びをした。

「…ふわぁぁっ!…あたしこれ苦手だなぁ」

 目をこすりながら待っていると、しばらくして、紺野が戻ってきた。

「小春ちゃんには、すこし情緒不安定なところがあります」

 湯気のあがったカップを、ソファ脇のテーブルへ置いた。

「能力の行使には、それを支える精神の失調というリスクがつねにつき
まといます。ですから、セラピーは大事なんですよ。それに…」

 先ほど座っていたイスを、今度は横につけると、そこへ腰掛けた。

「今回の戦闘について、データを読ませてもらいました。イレギュラーな
行動をとって、2人を困らせたそうですね」

 口調こそ柔らかだったが、目には咎める感じがあった。

「それは…」
76 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:47
 カップに口をつけたまま、小春は上目づかいになった。

「あの衣装、自分たちでデザインしたツアー用のやつで、すごくお気に
入りだったのに…。それを、あいつが…」

「――つまり」

 紺野は言う。

「敵が予想外の行動をしたと、そういうことですか?」

 小春はうなづく。

「それだって、想定済みです。マニュアルにないことが起こったらリーダ
ーの指示を仰ぐ――新人として、そう聞かされていたはずです」

 小春は反論をくわだてるが、口を動かしただけだった。

 あとは、おもしろくなさそうに、そっぽを向いてしまう。

「何回目ですか?命令違反をするのは」

 紺野は回答を待ったが、ソファの向こうからは、紅茶をすする音しかし
ない。

「聞いてるんですか? それに…」

 席を立つと、部屋の隅へ向かう。
77 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:47
「今回の敵は、予想されたデータより、はるかに強い値を示していまし
た」

 ガラス棚から、1つのビンを取り出す。

「このところ、Milky Wayは戦闘が続いていましたし、肉体の消耗という
ことで言えば、コンサートも立て込んでました。ですから、サーヤには、
いつもより多めに渡しておいたんです」

 それをテーブルへ置いた。

 ラベルには、【ミルフィ HP-05】とあった。

「小春ちゃんが暴走したせいで、サーヤもキッカも、予想外のエネルギ
ーを使ってしまったと、報告書にはあります。ですから、今回は、これの
おかげだった――つまり」

 ソファの反対側へまわると、腰を折って、言った。

「不幸中の幸いなんです!」

 小春は、いきなり目の前に顔があらわれて驚いたようすだったが、そ
れも束の間、ゆっくりと人さし指を持ち上げると、紺野の頬をつついた。

 ぷふっ!…と空気が抜ける音がして、小春は、ケタケタ笑った。

「ま、まじめな話をしてるんです!」

「だって」
78 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:47
 腹を抱える小春。

「怒った紺野さん、フグみたいで、かわいいんですもん!」

 紺野は、ため息をつき、肩を落とした。

「…とりあえず、これを一錠、飲んでおいてください」

 そういって、ビンのふたを開けた。

「紅茶で飲みくだしても、かまいません。小春ちゃんも、今回の戦闘で
かなり疲弊していましたからね」

 小春は言われたとおり、一錠だけ飲むと、思い出したように、そうだ!
と言った。

「どうも、小春、カゼみたいなんですよ。だから、薬をください」

 それから小春は、空港での顛末について、うまく時間を止められなか
ったのは、そのせいなのだ――と紺野に対してというより、自分に言い
聞かせるようにして言った。

「カゼ薬は、ここにくるまでに買おうと思ったんですけど、マネージャー
さんにから、『うちはふつうの薬も作ってるんだから、会社へいけばいく
らでもあるわよ』…って止められちゃって」

 酷いですよね、大事なタレントに対して――と小春は、鼻をすすって
みせる。
79 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:48
「それは、かまいませんけど。この部屋にはおいてないので、あとで
頼んでおいてあげます」

「えーっ! いまがいいです!だって小春、カゼ引いてるんですよ?」

「…そんなふうには、見えませんけど」

 小春の鼻は、すすっても、すすっても、乾いた音しかしない。

 ただ風ばかりが抜けていたのだ。

「でもっ、でもーっ!」

 押しがあまりに強いので、紺野は根負けしてしまう。

 そして、どこかへ一本電話を掛けると、薬を取りに行くといって部屋を
出ていった。

 ドアが閉まると、小春はにんまり笑って、立ち上がる。

 しきりにすすっていた鼻は、ぴたりと止んでいた。

 ガラス棚へ近づくと、ポケットから鍵をとり出し、それを使って棚を開け
ると、紺野が去り際に戻したビンから数錠を抜き取って、ポケットへ入れ
た。
80 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:48
 ほかにも型番のちがうビンをいくつか漁ると、そこからも数錠抜き出し
て、鍵といっしょにポケットへ入れた。

 紺野が風邪薬を持ってもどってくるころには、何事もなかったかのよう
にソファで鼻をすすっていた。

「小春ちゃんの体質を考えると、ひとより大目に飲んだほうがいいかも
しれないです」

「はーい!」

 小春はカゼ薬を受け取ると、軽い足取りで部屋を出ていこうとした。

「ちょっと、待ってください」

 ふり向いて、首をかしげる。

「マネジメント部がいっていました。もし、こんど命令違反をしたら…。
小春ちゃんはメンバーから外されてしまうかもしれません。このことを
分かってるんですか?」

「だいじょうぶですって!」

 小春は、ろくに顔も見ずにうなづくと、部屋を出ていってしまう。

 紺野はデスクに向かったが、しばらくのあいだ、ため息ばかりついて
いた。
 
 
 
81 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:49
 
82 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:49
 
 
 
 ラボを出た小春は、ドアに身をあずけた。

「危ない危ない…」

 ひとりごちていると、後ろで、なにが?という声がする。

 ふり返ると、主任研究員の保田が立っていた。

「な、なんでいるんですか!?」

 コーヒーカップを2つ持って、ロビーへ向かう途中だった。

「なによ、あたしがいちゃいけない?」

「…いえ、全然、全然」

 小春は無意識のうちに、ポケットをおさえていたが、保田の目線は
べつのほうを向いていた。

「それより、あんたもどう?」

 カップの片方を持ち上げて、歩き出す保田。

 後をついていくと、談笑用のスペースにいた女性が手をあげた。

「おー小春ちゃん、元気?」

「当たり前じゃない、矢口。 元気がない小春は、小春じゃないわ」
83 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:50
 保田は、あんたのぶんはなしね――といって、コーヒーを空いてい
る席へおいた。

 矢口は、ひどーい!と騒いでいるが、小春はおよび腰になっていた。

「コーヒー嫌いだった?」

「…ええ、まぁ」

 小春はうなづくと、ごめんなさい!と言って、そのままロビーを出てい
ってしまう。

 2人が顔を見合わせていると、しばらくして、紺野がやってきた。

 最初、2人の姿を見止めて出て行こうとしたが、すぐに引き返してくる。

「あんたも、甘党だったわね」

 紺野はコーヒーと、新たに砂糖が置かれた席に座ったが、口は付けな
かった。

「…最近、研究に行き詰っています」

 思いつめたように、じっと手の甲をみている。

「そう? あんたのミルフィ、すごい効き目だっていうじゃない。ミラクルエ
ースの活躍も、そのおかげでしょ」

 保田はカップを傾けた。
84 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:50
「でも、私は少し手を加えただけですし、小春ちゃんの場合、データが
あまりにも不揃いで、けっして誇れたものではありません…」

「そういえば、こんこんの担当のあとの2人、北原と吉川って、いまだに
ファーストをつかってるんだっけ」

「…はい。保田さんが開発したものです」

「よしてよ。基本をつくったのは、あたしじゃないわ」

 紺野が顔を上げる。

「話にはうかがったことがあります。いまは、もう研究の道を断念された
とか」

「そうね」

 保田は遠い目をする。

「あの子は…天才だったのよ」

 紺野はつづきを促したいような目で保田を見ていたが、矢口が明るい
声でさえぎった。

「そういえばさ、羊がまた見つかったんだって?」

 紺野は、まじまじとその顔を見る。

 そして、コーヒーに目を落とし、口をつけてから言った。
85 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:50
「ええ。でも、狼になる寸前で、消息もつかめてないとか」

「駅前の事件ね。あれは狩人が放っておかないわよ」

「そうそう。新人で、血の気の多い子が入ったって。松浦が愚痴ってた」

「みんな、大変なのね。つまり――」

 カップを乾して保田はいった。

「オツカンナってことよ」

 保田は得意げな顔をしていたが、2人をみると白い目をしている。

「…あれ、決まらなかった?」

「こんこん、このひと本当にミルフィ作ったひと?」

 矢口が茶化すと、紺野は苦笑いした。

 そしてコーヒーのお礼を言うと、研究のつづきがありますからと言い
置いて、ロビーを出て行った。

「…こんこん。だいぶ小春ちゃんに入れあげてるみたいだね」

「そうね」
86 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:51
 立ち上がると、保田は自販機脇のダストシュートへ、空いたカップを
押し込んだ。

「…圭ちゃんも、まだ?」

 振り向きもせず、矢口は言った。

「なに言ってるの。もう10年も前のことじゃない…」

 保田はロビーを後にした。
 
 矢口はそこにいて物思いに耽った。

 紺野が残していったコーヒーが冷めるまで、しばらくそうしていた。
 
 
 
 
87 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:51
 小春は東京にいた。

 ツアーのドタキャンで心配や批判の声が上がったのに対し、顔見せ
と説明責任を果たすためのメディア露出が目的だった。

 生放送を終え、テレビ局を出ると、すぐさまファンに囲まれたが、体調
を気づかう温かいことばに、おもわず顔がほころんだ。

 サインをしたり握手をしたりして、その中をすり抜けていこうとするが、
いかんせん数が多すぎる。

 小春は空港での一幕を思い出したりしながら、これでは埒が明かな
いと思い、一旦、局の中へ引き返した。

 タレントクロークを はや足で抜けつつ、電話を掛ける。

 マネージャーに、裏口へまわって、そちらからタクシーを拾うことにし
たと伝えるためだった。

 通話がはじまると、乗る予定だった車を、正面からまわしてもらうの
はどうかと提案されたが、小春は却下した。

 ファンに追われては困るからだ――そう理由をつけた。
88 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:52
 見知った顔に挨拶し、建物をやや息の上がった頃合で抜け出すと、
案の定、裏口には誰もいなかった。

 テレビ局というのは、つねに、どこかしらにタクシーが止まっているも
ので、そのひとつに目をつけると、歩み寄ろうとした。

「小春ちゃんですよね」

 物陰から、少女が現れた。

 おどろいて、思わず後ずさる。

 業界の人間かと思い、まじまじと見やるが、顔すら見たことがない。

「あぁ、やっぱりカワイイなぁ。さっき、ファンのひとたちと握手してはった
でしょう」

(…どうしたの?)

 電話が生きていた。

「…な、なんでもない。ファンの子みたい」

 小春は気持ち悪くなって、そのタクシーを捨てた。
89 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:52
(裏口にもいたの?)

「…けっこう急いできたのに」

 なんで追いつかれたんだろう。

 ビルの中をまっすぐに突っ切ってきたから、ファンが正面からまわって
きたのだとしたら、追いつけっこないはずだった。

 それとも、初めからここで待っていた?

 小春は、逃げるように歩き出すが、すぐに追われてしまう。

「…ねぇ、小春ちゃん、これから、どこに行かはるんです」

 耳からケータイを離さないようにしながら、何度も首を振るが、あたり
にはタクシーが一台も見当たらない。

「…ひょっとして、空港やないですか」

 どうして一台もないんだ。

 どうして逃げられないんだ。

 空港にさえたどり着けば、あとはこっちのものなのに。

 そこまで思って、小春は、ふと足を止めた。

「…うちもね、滋賀から出てくるとき、飛行機に乗ろうと思ったんですけ
ど、さすがに高校生の小遣いではムリでした、あはは」
90 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:52
 ニタニタと笑う少女の顔を見る。

「…どうして空港にいくって、わかったの」

「あ、やっぱりそうでした?」

 少女は、無邪気に笑ってみせる。

(…小春、大丈夫なの?今日はもう仕事もないんだし、不安なら局の
中で待ってなさい。いまからでも迎えにいってあげるから)

「誰にも言ってないのに。マネージャーにも…」

(…聞いてるの?小春。あなた本当に疲れてるのね。さっきも言った
けど、この先、一ヶ月間、あなたはZetimaの研究室で集中療養するの。
だから…)

「外国に行かはるんですよね」

 これも当たっていた。

(…あなたは、ゆっくり休んでいいの。…いえ、ちがうわね。むしろ、
どこかへ行ってもらっては困るわ。この間の”狩り”だって、だいぶ無理
したそうじゃない)

「おともだちと。3人で…いや、ちがうなぁ。おともだちを、後から追いか
けて行かはるんです。ゆき先は、スペインやと思います」

 その通りだった。
91 :名無飼育さん :2009/04/15(水) 12:53
(…このあいだの空港でのことだって、そうじゃない。 あなた今はもう、
ほとんど力が残ってないんじゃないの?…だから、黙って事務所の車に
乗ればいいの。そして私たちの待つ…)

 ケータイを持つ手から、力が抜けた。

「どこで聞いたの…」

「聞いてませんよ。見えるんです」

「なにが…」

「未来が」

 少女は言った。

「うちと小春ちゃんは、おともだちになるんです――」
 
 
 
 
 
 
 
92 :さるぶん :2009/04/15(水) 12:53
更新です。
93 :名無飼育さん :2009/04/17(金) 19:07
ちょっと背景が分かってきてますます先が楽しみです
最後に初登場の人にびびってます…
94 :名無飼育さん :2009/04/22(水) 10:41



 舞美とウチが出合ったのは、中学1年のとき。

――すごく足の速い子がいるらしい。

 入学より前、まだ舞美について名前さえ知らなかったころに、ウチら
の学区の多くでは、そういう噂が立っていた。

 中学というのは、昨日までべつべつの学校に通っていた子が集まっ
てくる場所だから、顔も見たことない誰かについて知っているというの
はすごいことで、舞美は、ちょっとした有名人だった。

 はじめてのホームルームのとき。

 ”足がはやい”という話から、ウチは舞美について、背が高いとか、
色黒だとか、あるいは活発そうだとか、マッチョだとか、そういうベタな
イメージを持っていたから、すぐとなりの席に座っている、ひょろひょろ
っとした女の子が、噂の本人だなんて、最初は信じられなかった。

 リトルリーグで男子に混じって野球をやっていたから、たしかに色黒
ではあったんだけど、生まれつきじゃなかった。

 1学期も半ばをすぎたころ、部活動に入らなかった舞美は、だんだん
と色白になり、美しくなっていった。
95 :名無飼育さん :2009/04/22(水) 10:42
 それがどのくらいかというと、舞美目当ての男子が、隣のクラスから
冷やかしにくるほどで、舞美は、そのことに気づいてないみたいだった。

 ちょっと変わった子――。

 それが舞美についての、そのころの印象だった。

 ウチのクラスでは、中心に1つのグループがあって、舞美はいつも
そこにいた。

 これはウチが高校生になって、いろんな経験をして、そこで初めて
分かったことなんだけど、入学したてのころ、そういうグループのメンバ
ーというのはコロコロ変わってしまうものだった。

 中心にいる子は、テレビで覚えたギャグをやったり、そういう子にツッ
コミを入れたり、あるいは逆にツッコまれたりしながら、毎日、メンバー
を外れないよう、必死になってふざけていたんだけど、舞美だけはちが
っていた。

 口数が少ないし、いつも微笑んでいるだけなのに、その輪から外れた
ことがなかった。

 最初、ウチはそれが不思議でならなかった。

 美人だから、それでチヤホヤされるのかなとも思ったけど、ウチが思う
に、そのころの舞美は、クラスで一番の美人じゃなかった。

 これも今だから分かることなんだけど、中一の男子にとっての”美人”
とか”好きな子”は、”顔がキレイ”とかそういうのじゃなくて、”マセてる”
とか”胸が大きい”とか、そういう、もっとちがう基準で決まるものだった。
96 :名無飼育さん :2009/04/22(水) 10:42
 どちらにも当てはまらない舞美は、だから、やっぱりクラスの一番じゃ
なかったんだと思う。

 もちろん、足が速いことで有名だったから、入学したてのころなら納得
がいったんだ。

 最初はみんな面白半分で足の速さを話題にしていたし、体育の授業
でも、それは証明されたことだったから。

 でも、思っていたほど、舞美の足は速いわけじゃなかった。

 クラスの女子ではダントツに一番だったけど、学年ではギリギリという
感じで、もちろん上には数人の男子がいた。

 ウチは、たまたま調子が悪かっただけかなと思っていたのだけど、噂
については、誰もが違和感をもっていたみたい。

 二学期になって、クラスの人間関係がようやく馴染んできたころ、舞美
の運動神経について、改めて話題になったことがあった。

――矢島はさぁ、手加減してるんだよ。

 言い出したのは、おなじ小学校から来た子だった。

――小学校のころ、リトルリーグで一試合に7回もランニングホームラン
やってんだぜ。そんときは、もっと絶対に速かったよ。

 そして続けざまに、体育の授業で手を抜くのは小学校のころからなん
だと言った。
97 :名無飼育さん :2009/04/22(水) 10:43
――うっそ、ひでーな。なんか、舐められてるって感じ?

 応えたのは、陸上部のエースだったという子で、中学に入って最初の
スポーツテストで舞美に惨敗していた。

 それでも、どこか言い方に茶化す感じがあったから、本気で怒っている
わけじゃないんだけど、小学校が別だったせいか、舞美はすごくシリアス
に捉えてしまったみたい。

――そんなんじゃないよ…。

 すごく申し訳なさそうに言って、あとは黙ってしまった。

――なんだよ、それじゃ、オレがいじめてるみたいじゃんか!

 却って言った子のほうが慌ててしまって、これだから女子は困るんだよ
なぁといって、あとは他の子たちと言い合いがはじまった。

 こういうふうにして、舞美はいったん話題の中心になったかと思うと、
すぐに外れてしまい、でも愛想がいいから、隅のほうでいつも微笑んで
いるという、どうしてクラスの中心にいるのか、よく分からないタイプの子
だった。

 そういうこともあって、ウチは一学期のあいだ中、ずっと席が前後だった
にも関わらず、舞美に対して、距離を掴みかねていた。

 それが一変するできごとが起きたのは、三年生の夏。
 
 
98 :名無飼育さん :2009/04/22(水) 10:43
 
99 :名無飼育さん :2009/04/22(水) 10:43
 舞美は、すっかり成長していた。

 背が伸び、受け答えや、体つきにも女らしさが出てきて、学校で一番
の美人になっていた。

 それは誰もが認めるところで、冷やかしにくる生徒は、隣のクラスだけ
じゃなくて、学校全体からに変わっていたし、中には女子もいた。

 このころ、ウチらはクラス替えを2度経験していたから、自分たちの
学年にどんな子がいるのか、すっかり分かるようになっていたし、入学
の前からあった噂とか、そういう色んなことが混ざって、評判を呼んでい
たんだと思う。

 これは学区というものがない高校ではありえないことだから、ウチらの
学年は、みんなで”矢島舞美”というキャラクターを扱いかねていたんだ
と思う。

 あの後、不思議とウチは、舞美とおなじクラス、おなじ班になり続けて
いたのに、3年生の一学期、はじめて席が離れてしまった。

 ことあるごとに交わしていた2人の小さな会話が、そこでぷつりと途切
れた。

 ウチは寂しさを感じたけど、舞美は、相変わらずクラスの中心にいて、
微笑んでいた。

 それを、やっぱり相変わらずクラスの端っこから見ていたウチは、ふと、
舞美がいじめを受けてるんじゃないかと思った。
100 :名無飼育さん :2009/04/22(水) 10:43
 べつに上ばきを隠されるとか、シカトされるとか、メールで悪口が出回
るとか、そういうことじゃない。

 いつものように輪があって、いつものように舞美がいる。

 ただ、それだけなのに。

 最初、そういったテーマを扱ったテレビか漫画、それともケータイ小説
かなにかを読んだせいで、考えすぎてしまったんだと思った。

 でも、よく観察すると、そうじゃなかった。

 舞美たちのグループの会話は、いつも同じようにはじまる。

 まず、誰かが話題を見つけてきて、それに便乗する子があらわれる。

 すると、またべつの誰かが話題を膨らませて、場を盛り上げていき、
このあたりで、話を大げさにして、ギャグを言ったりする子があらわれる。

 このあと、いつも、決まって舞美が笑われていた。

 それは、ふつうの子が笑われるようす――例えば、アニメオタクの子
が、「おまえキモイよ!」といって笑われるのとは訳がちがう。

 だって、それは、あくまでネタフリで、その後、オタクの子は誰にも
わからないようなアニメの知識を早口で並べ立てて笑いを取るというの
が、いつものパターンだったから。

続きを読む


掲示板に戻る 全部 次100 最新50

現在のスレッドサイズ:212817 byte

名前:

read.cgi ver5.27 + 0.02 (04/08/03)