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無限なんていらない

1 :名無飼育さん :2014/11/16(日) 17:49
アンリアル。
宮崎さんと金澤さんが中心です。
他にもちょこちょこ出てくる予定。
連作短編のようなものになると思います。
2 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:50
 
3 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:52
見事なまでの晴天だった。太陽が地面を焼き、青葉は光を受けて色鮮やかになる。
蝉の声がうるさい。汗は拭いても滲むばかりだ。

夏期休暇の今、キャンパスのメインストリートは閑散としている。見かけるのは
サークル活動に励む学生か勉学に勤しむ院生くらいのもので、その人々も皆、
日差しを避けるように影を歩いていた。

上を向くと眩しい。かといって、下を向くと首筋が焼けるように熱くなる。
仕方なく正面に顔を向けると、歴史を感じさせる講義棟に囲まれるようにして
比較的近代的な建物が見えた。数年前に建て替えられたその図書館は、今日の
朋子の目的地だ。
4 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:52
ゆっくりと開く自動ドアは静かな館内へと続いている。まず、カウンターが目に
入った。図書の貸し出しを待つ列を朋子は通り過ぎる。集合場所を探して周囲に
視線を巡らせると、見慣れた背中が目に入った。

「鈴木さん」

呼びかけると、その背中は振り返る。

「一分遅刻だよ」
「はあ。すみません」

その場に集まっていたのは、見知らぬ学生も交えて二十名ほど。館の職員らしき
人物に一睨みされ、朋子は軽く頭を下げる。
5 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:54
夏期休暇中のアルバイト募集の張り紙を見て応募したのは、数週間前のことだった。
仕事内容は図書館での図書整理。学年、男女問わず。時給はそこそこ。応募理由は
楽そうだから。もちろん、面接ではそんなことは言っていない。

朋子が最後の一人のようだった。職員の口から静かな声で仕事の概要が語られる。
要約すると、二人一組に分かれて延々と図書を並べ替える作業。やはり楽そうだと
朋子は内心で喜んだが、これも当然表には出さなかった。

集まった面々を密かに見渡す。同学年の友人、高校の先輩である愛理。ひょろ長い
男子学生、真面目そうな女子学生。当初の予想通り、まったく知らない人間の方が
多かった。

図書館は空調設備が充実している。外の暑さから解放されたばかりの朋子が
ぼうっとしていると、予想外の言葉が投げられた。
6 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:55
「では、なるべく知らない人と組んで下さい」

図書館では静かにしましょう、と職員は続ける。指示の意図は、友人同士で組んで
お喋りをされるわけにはいかない、ということだろう。そのまま職員はこのバイトに
おいてのリーダーらしい院生に仕事を投げ、本来の業務へと戻っていく。それとなく
周りの様子を窺うと、面々は当然のように戸惑っていた。

「……これ、どうなるんです?」
「あたしが知るわけないじゃん」

隣にいた愛理とこそこそと話す。「一緒にしましょうよ」「うーん」提案に対する
返事は渋かった。

「金澤ちゃん、真面目にやらなさそうだし」
「えっ。超真面目ですよ、真面目だけが取り柄ですよ」
「嘘だあ」

一度場を離れていた院生が戻ってくる。その手には紙とボールペンが携えられていた。
膠着状態を解決するために、くじ引きが選ばれたらしい。

この方法だと知り合い同士になってしまう可能性もあるが、細かいことを言っていたら
いつまでも作業を始められない。皆が大人しくリーダーに従った。同じ数字を引いた者
同士で組むようにと端的に指示が出される。
7 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:57
一番の人。二番の人。順に呼ばれて、組むことになった者同士が軽く自己紹介を
しているのが見えた。朋子も自分の番号を呼ばれて一歩前に出ると、少し離れた
ところにいた女子学生が小さく手を挙げたのが目の端に止まった。

二人で並んで輪から離れ、ちらりと横目で彼女の顔を盗み見る。同じ一年生かと
あたりをつけたのは、自分よりも幼い顔立ちに思えたからだ。

「よろしくです」
「よろしくお願いします」

小声で挨拶を交わし、自己紹介。彼女の名前は宮崎由加。予想に反して二年生らしい。
年齢が一つ違うくらいでは見かけで判断できない、と朋子は考えをあらためる。

「二年なんですね。通りであまり見かけたことない」
「金澤さん、鈴木さんとお友達みたいだったから二年生かと思った」
「あー、高校の先輩なんですよ」
「そうなんだ」

初対面ではそこまで話も弾まない。まさに職員の狙い通りになっていた。
8 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:58
本を山ほど積んだ台車を押して、仕事場としてあてがわれた書架に向かう。
途中でエレベーターに乗った。台車を押す朋子の代わりに由加がボタンを
押してくれる。

由加の背中に流れる落ち着いた茶色の髪をぼんやりと眺めた。それから自分の
肩に掛かった髪に目を遣る。同じ茶髪とはいえ、明るさにはかなりの違いがあった。
大学に入って髪を染めるようになって、朋子は比較的明るい髪色を続けている。

由加の第一印象。真面目そう。けれど堅苦しい雰囲気ではない。自分は由加に
どう思われているだろうかと朋子は想像して、そのうち訊いてみようと思った。
正直に答えてもらえるかは、別として。きっと由加は良いようにしか言ってくれ
ないだろう。そう感じさせられる佇まいだった。
9 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:59
エレベーターはすぐに目的の階に着く。扉を開いたままにしてくれる由加に
小さく頭を下げて、朋子は台車の取っ手を押した。

試験前ならば学生が溢れているだろうテーブルに人はまばらだ。読書している
人もいればノートにペンを走らせている人もいるけれど、閑散としているのは
否めない。台車から本を数冊抱えて、二人も囁き合うように話す。

「静かですね」
「そうだね」

それからも、見知らぬ者同士といえど無言で作業を続けるのも何なので
時たま言葉を交わした。ほとんどは作業に関するものだったけれど
由加は特に癖のある性格でもなさそうで、それが朋子を安心させる。
10 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:00
「これ、数字とかアルファベットとかすごいですよねえ」

書籍に貼られたシールを朋子は指す。背表紙の下部に貼られたそれは三段に
分けられていて、表記には数字、アルファベット、片仮名が使われていた。
朋子がそれを矯めつ眇めつしていると、何気なく由加が言う。

「細かいよね、十進法類法」
「……じゅっしん、何ですか?」
「えーと、ごめん、本の並べ方の決まりのこと」

それは世間の常識なのだろうか。少なくとも朋子は知らない。これらの文字で
管理しているのは判っていたが、由加の話によると朋子の想像よりもしっかりと
したルールに基づいて配架されているらしい。
11 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:00
「図書館学とか取ってるんですか?」
「取ってないけど……使うでしょ?」

……馬鹿だと思われたかもしれない。朋子も図書館は使うけれど、目的の書籍を
備え付けの端末で検索してから見つける方法ばかりを取っている。今もほとんど
由加が場を仕切っていて、それは知識の違いのせいだった。

「まあ、知らなくても生きていけるよね、こんなの」
「……そーですね」

慰めの言葉が悲しい。取りなすように由加が笑って、それが尚更情けなかった。
12 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:01
 
13 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:01
一日目の仕事は滞りなく進んだ。規程の時間になったところで台車を仕舞い、
集合場所に戻る。由加とはぎこちないながらも作業に関する話をすることで
間も持ったし、これからも上手くやっていけそうだと思った。

「それじゃあ、また明後日」
「はい。今日はありがとうございました」
「なにそれ。そんな堅くならないでよ」

先輩だから、という理由で敬語を使っている。気安く話せる日が来るのかどうか
今の朋子には判らなかったし、そうしたいのかすらも判らなかった。
14 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:02
 
   ◇ ◇ ◇
 
15 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:03
月水金、午後一時から五時まで。それがこのアルバイトのスケジュールだった。
時間が短いと思わなくもないが、大学のバイトではこれが一般的らしい。

「え、結構遠くない? 四時間のために来てるの?」
「カテキョと曜日被ってるんで、ついでですよ」

大学生の世間話として、実家から通っているのか一人暮らしなのかというのは
よく取り上げられる。朋子の住む家から大学は通えなくもないといった距離で、
由加の言うとおりこのバイトのためだけに来るには不便が過ぎる。

「宮崎さん下宿なんですよね。それはそれで大変じゃないですか?」
「私は親戚の家だし、そうでもないよ」
「そんなもんですか? ていうか実は、うちも後期から一人暮らしするんですよ」
「そっか。最初は寂しいよー」

一週間が過ぎ、会話は随分と弾むようになった。由加も初めより笑ってくれる
ようになり、それが朋子は嬉しかった。
16 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:04
朋子が何か冗談を言うと、由加はくしゃりと笑う。次第にその顔をかわいいと
思うようになった。

思うようになった、というのは正確ではないかもしれない。初めて会った
時から、女の子らしくてかわいい人だとは思っていた。そしてどことなく、
別世界の人間のような気もしていた。

重い書籍を何冊も抱えながら、朋子は由加を見る。背伸びするとワンピースの
裾が揺れる。踵が地面につくとどこか甘い香りがふわりと漂う。それになぜか
ほんの少しの緊張を覚えて、朋子は息をのむ。

「……なんか、いい匂いしますね」
「え? わかんないや。金澤さんお腹空いてるの?」

……食べ物の匂いを言ったわけではない。だが、言い直す気にはなれなかった。

「学食近くにあるもんね。そこ夏休みでも開いてるよ」
「ですよね。寄って帰ろうかな」
「今日はカテキョないの?」
「ない日もあるんですよ」

会話は、滑らかに流れていく。
17 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:05
だいぶ打ち解けてきたと思うけれど、気になる部分は残っている。バイトの前後、
友人同士で話しているときと朋子と二人の時では、由加の一人称が違うのだ。

『私』と『由加』というのを普段から使い分けているのだろう。朋子は『私』を
使われる側の人間でしかなく、その事実には少し落胆させられた。

ただのバイト仲間なのだから、友人と扱いが違うのは当然なのかもしれない。
それは判っていた。その上で、どことなくよそよそしさを感じている。

本の背表紙を指でなぞる由加を見る。次に並べるべき場所を探しているのだろう。
第一印象から変わることなく、朋子は由加を真面目な人だと認識している。

朋子も決して不真面目なわけではない。けれど、特に大学に入ってからは明るい
髪色や雰囲気のせいか、真面目な学生に見られている気はしなかった。

「……宮崎さんって、うちのこと苦手だったりします?」
「え? なにいってるの」
「なんとなーく」
「苦手だったらこんなに話せてないよ」

呆れたように笑われて、それもそうかと朋子は思い直す。見かけで人を判断しては
いけません、と教えられたのはいつだっただろうか。
18 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:06
「でも、最初は。苦手ってわけじゃないけど……気後れしてたかな」
「気後れ?」
「だって金澤さん、人気者って感じだし」
「そんなことないですよ」
「そう?」

人気者と言われるとむず痒い。実際、大学に入ってからはそうでもなかった。
けれど高校時代の朋子は客観的に見てもそうだったと言う他ない。

単に、女子高だったからかもしれない。はっきりした目鼻立ちのせいか、
バレンタインのチョコをもらったことは一度や二度ではなかった。
しかし、それも今となっては遠い過去のことでしかない。

朋子が抱えた本から一冊、由加が選び取る。そして請求番号を確認してから
書架に詰め込んでいく。

「けど、話しやすい人で良かった」
「うちも宮崎さんと一緒で良かったです」

滞りなく作業が進んでいるのはひとえに由加のおかげだ。他の人と組んでいたら
お喋りする余裕もなかったかもしれない。楽そうだと思っていたアルバイトは、
意外に重労働だった。
19 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:07
規律に沿った並び方をしていない本を書架から抜いていく。狭い通路に台車を
入れるわけにはいかないから、朋子はそれを腕に抱える。二人ともが両手を塞いで
いては作業をできないから、自然と役割分担ができていた。

紙というのはそれなりに重量のあるもので、ずしりときた。少しよろめくと、
前を歩いていた由加が振り返って困ったような顔をする。

「持たせてばっかりだよね。代わるよ」
「え、いいですよ」

手を伸ばされて、反射的に後ずさる。それでなくとも配架の仕事は由加に頼り切り
なのに、更に労働を強いるのは気が引けた。それに、華奢な由加に重いものを持た
せるのがなんとなく不安だというのもある。

「力仕事は得意なんで」
「でも、悪いよ」

にわかに押し問答になる。朋子としては譲る気はないから、早く終わらせたかった。
そこで一つ思いつき、提案する。それは以前から考えていたことだった。

「じゃあ連絡先教えて下さい」
「そんなの持ってくれなくても教えるし」
「いやいや、そんなわけには」
「もー」

朋子が拒絶を続けると、由加も諦めたのか引き下がった。「ありがとね」言われて、
首を横に振る。感謝しなければいけないのは朋子の方だ。
20 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:07
 
21 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:08
学食の話をしたら本当にお腹が空いてしまった。休暇中でも営業している食堂で
朋子は箸を割る。選んだのは唐揚げ定食。ラーメンにしようかとも思ったが、学食
のそれはあっさりとしすぎていて朋子の好みではない。

黙々と箸を進めていると対面に誰かが座る気配があった。他にも空いている
席はいくらでもある。怪訝に思って朋子が顔を上げると、向かいで愛理がお茶を
飲んでいた。

「どうしたんです?」
「暇つぶし」

次の用事まで時間があるらしい。そうですか、と頷いて朋子は付け合わせの
キャベツを口に入れる。もぐもぐと咀嚼していると、愛理に話しかけられた。

「宮崎ちゃんと仲良くなれたみたいだね」

お茶でキャベツを流し込む。次はご飯に手をつけた。
22 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:09
「一週間もすればちょっとは仲良くなりますよ」
「連絡先まで交換してたし」

由加が携帯電話を鞄に入れっぱなしだと言うので、連絡先を交換できたのは
バイトが終わった後だった。そこを見られたのだろう。

「連絡先交換するくらい普通じゃないですか?」
「これから連絡するの?」
「……たぶん? 過去問とかもらえそうなら」
「うわー、下心ありありだねー」

由加と朋子は学部が違ったが、一年次に受ける一般教養の科目は重なっている。
もちろん愛理もあてにはしているが、あてになる人が多くて困ることはない。
23 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:10
「それにしてもご機嫌だね。気に入っちゃった?」
「……そういう言い方やめてくださいよ」

高校時代も、バレンタインにチョコをもらう度に同じようにからかわれた。
けれど、由加からは連絡先以外に何をもらったというわけでもない。

ご機嫌、と言われて意識する。確かに機嫌は良いかもしれないと思った。
いつもより唐揚げがおいしいからもしれない、と朋子は思う。

「でもあんまり好かれてる気はしないというか。
普通に喋ってはくれるけど、ちょびっと壁を感じますねえ」
「宮崎ちゃんしっかりしてそうだもんね。金澤ちゃんチャラいもんね」
「チャラくないっすよ」

わざとおどけて返事をしてみると、肩を竦められる。気にせず朋子は
話を続けた。
24 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:12
「でも髪は染め直そうかなあ。見た目だけでも落ち着きたい」
「あー、今明るいもんねえ」
「……それが怖いのかな。なんかいつも困った顔してるし」
「宮崎ちゃん? 顔はいつもだよ。困ってないって本人も言ってた」
「そうなんですか?」
「にしてもやっぱり話がそっち行くじゃん。気に入ったんだね」
「だからそういうんじゃなくて……」

いい加減うんざりしてきた。最後の唐揚げに手をつける。愛理はテーブルに
肘をついた。

「気に入ったっていうか、気に入られないのが
気にくわないんでしょ? だから気になる」
「……もう一回言ってください」
「自分のことを好きにならない人が嫌い」

要約してもらうと判りやすかったが、愛理の中で朋子はどういう人物像になって
いるのだろう。
25 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:13
「それうち最低じゃないですか。もっと真人間ですよ」
「好かれるのに慣れすぎてる、って意味だよ」

壁時計を見上げて、愛理が立ち上がった。暇つぶしの時間は終わりらしい。

「うまくいくことを願ってるよ」
「だからなんでそういう……」

ばいばい、と手を振られ、つい同じように返してしまう。去って行く後ろ姿を
眺めて、朋子はお茶を飲む。

由加のことを気に入っているかと言われても、嫌いではないとしか答えられない。
いや、と朋子は考え直す。優しいし話しやすいし、むしろ好きだと思った。

当然、嫌われるよりは好かれたい。ただ、いわゆる友チョコ以外のチョコレートを
もらいたいかと言われると、特にそうは思わなかった。

立ち上がってトレイを持ち上げる。今日はバイトがない。帰ってからも夕食がある。
今晩のメニューは何だろうかと思った。
26 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:13
 
   ◇ ◇ ◇
 
27 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:15
「髪黒くしたんだ?」

集合場所で散々友人にいじられた後で、由加からも意外そうに言われた。
台車を押しながら、朋子は自分の肩にかかった髪を見る。高校卒業以来だから
まだ半年程度ではあるけれど、自身の黒髪を見るのはとてつもなく久しぶりの
ような気がした。

「はい。……似合いませんか?」
「似合ってるよ。かわいい」

屈託のない笑顔とともに言われると、なんだか照れてしまう。心なしか顔が熱く
なっているようにも感じた。「どうも」ぎこちなく返事をすると、また笑われる。

「かわいいなんて言われ慣れているでしょ?」
「いえ、そんな……」

少なくとも由加に言われたのは初めてだった。動揺の理由はそこにあると朋子は
思う。手のひらで頬を覆うと、体温が融け合ってどちらが熱いのか判らなくなる。

熱さから気を紛らわせたくて、仕事に集中する。両手で押していた台車を隅に置き、
ストッパーを掛けた。本を数冊選び抜いて朋子がそれを腕に抱えると、由加は
申し訳なさそうな顔をする。やはり、朋子ばかりが本を運んでいることを気にして
いるらしい。
28 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:16
「急にどうしたの? 就活……じゃないよね、まだ」
「まあ、なんとなく」
「黒染めしたら後が大変そう」
「ですよねー。失敗したかな」
「かわいいからいいんじゃない?」
「…………」

ひょこりと顔を覗き込まれた。これはきっとからかわれている。朋子はそう決め
つけようとしたけれど、由加があまりにも邪気のない顔をしていてどちらとも
判断がつけられなかった。

「……まあ、そうですね。結構気に入ってます」

もちろん自分の髪色のことだった。「かわいいよ」もう一度言われて、今度は
手が塞がっているせいで頬に触れるわけにもいかなかった。
29 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:18
今日も黙々と本を並べる。通路に利用者がいるときは別の書架へと移らなければ
ならないし、なかなか思う通りには進めない。

それでもなんとか作業を続け、始めに両手に抱えた分を配架し終えた。今度は
ばらばらに並べられた本を順序よく整えようということになり、二人それぞれ
仕事を進める。

書架に詰められた本は判型が揃えられているわけではない。あくまでも内容の
分類が優先だからだ。背の高さが違う本を隣同士に並べると、釣り合わない、
という言葉が頭をよぎった。

朋子も幾分か慣れてきて、由加ほどではないにしても仕事をこなすのが速くなった。
そして、それぞれ端から作業を進めたから、書架の真ん中で合流することになる。

目の高さにある本を人差し指で抜き出そうとしたら、そこに指が重なった。
はっとして隣を見る。同じ本に手を伸ばしていた由加が、照れくさそうに笑った。

「ドラマみたいになっちゃったね」

朋子が呆けていると、由加がその本を手に取った。

「……そうですね。びっくりした」
「恋が始まるところだったね」

冗談で言っているのだろう。由加は手に取った本を正しい位置へと並び替える。
奇しくも小説の書架だった。現実は、小説と同じくらいに不思議なことが起こる。
30 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:19
「後期から一人暮らし始めるんだよね?」

そう言う由加は、指が触れたことなど気にした風もなかった。一瞬でもどきりと
してしまった自分が馬鹿らしい。緊張を吐き出すように、言葉を口にする。

「そうなんですけど、荷造りがなかなか終わらなくて」
「大変だねえ」
「まあ取りあえず必要なものだけ運べばいいかなーってとこもあって」
「そうだね。遠いけど近いし」

由加は石川から出てきたらしい。都内に出るとなると、とりあえず、で済ますには
距離がありすぎる。それに比べれば、埼玉から出てくるだけの自分の苦労は大した
ものではないと思った。

小説を一通り配架し終えて、また部屋の隅へと戻る。今度は由加が台車を押して
くれた。毛足の短い絨毯敷きの館内では、車輪が音を立てることもない。
31 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:20
「この辺りに越してくるんでしょ。少し案内しようか?」
「え、いいんですか」
「うん。私もそこまで詳しいわけじゃないけど」

台車を止め、再びストッパーを掛ける。朋子は本を持ち上げる。由加はやはり
すまなそうな顔をして一冊だけ手に取った。案内しようかという提案は、いつも
力仕事をしている朋子への礼のつもりなのかもしれないと思った。

「いつがいい?」
「宮崎さんが都合良い日に」
「えー? 金澤さんもバイトの都合とかあるでしょ。いつ空いてる?」
「うーん……だったら、今日空いてますけど」

家庭教師先の生徒が旅行中で、今週のバイトは丸々休みだった。急に言っても
無理だろうなと朋子が思っていると、それに反してこくりと由加は頷いた。

「じゃ、これ終わってから行こうか」

由加がそう言うのならば、朋子に異存はない。
32 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:20
 
33 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:22
バイトを終えて、二人で図書館を出た。愛理ににやにやと見送られたような気が
したのはきっと気のせいだと思う。

屋外は相変わらずの暑さだった。八月の後半、盆を過ぎてもまだまだ涼しくなり
そうな雰囲気はない。心なしか、歩いている学生らもぐったりして見えた。

「そういえば、親戚の家っていとこがいるんだけどね。金澤さんと同じ高校みたい」
「え、そうなんですか」
「うん。いま高一だからかぶってないとは思うけど」

メインストリートを抜け、正門まで続く坂を下る。この坂が長い。駅から校舎に
たどり着くまでに何度泣かされたことだろう。

「写真見る?」

見てもきっと知らないとは思うが、断る理由もないので見せてもらった。写真の
女の子は由加に似ているわけではなかったけれど、年齢に比して幼く見えると
いうのは共通しているように思えた。

「かわいいですね」
「でしょ?」

……親馬鹿ならぬ、従妹馬鹿なのかもしれない。
しかし、否定する理由もなかったから朋子は黙っておく。
34 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:23
朋子の引っ越し先と由加の下宿先はそう遠くない位置にあるようだった。坂を下り
きって、雑然とした駅前に出る。踏切を渡って駅の向こうに回ると、閑静な通りへと
繋がっていた。

「駅のこっち側ってあんまり来たことないんですよね」
「まあ、用事ないとここまで来ないよねえ」

閑静な、と言っても何もないという意味ではない。駅前のロータリーの周囲には
コンビニや花屋、美容院など様々な店が並んでいた。その中にアイスを売る店も
あって、それを由加は強調する。きっと好きなのだろう。

日差しが熱い。髪を黒くしたせいか尚更そう思えた。庇をつくるように手をかざすと
幾分かましになったけれど、それでも眩しさは抑えられない。隣を歩く由加も暑いのか
頬を上気させてぱたぱたと手で扇いでいる。

由加から目を逸らして、朋子は周囲を見渡した。医療ビルやレストランらしき建物、
見知ったショッピングセンターの看板がある。
35 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:24
「そこのスーパーがおすすめ」

建物のひとつを指して、由加は主婦のようなことを言う。とはいえ、一人暮らしに
スーパーは必要だ。

「買い物とかするんですか?」
「食料品? たまにするよ。ご飯つくったりもするし」

佳林ちゃんが食べてくれるから、と由加は続ける。突然出された名前に朋子が
きょとんとしていると、「従妹の名前」と由加が慌てたように付け加える。

「ご両親の帰り遅いから」

訊けば従妹は一人っ子だという。きっと由加は姉代わりのような存在なのだろう
と朋子は思った。
36 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:25
「買い物するなら荷物持ちしますよ」

言うと、由加は困ったように笑う。どこに来ても結局は荷物運びばかりになりそう
なのを気遣われたのかもしれない。

「今日はしないからいいよ。でもありがとう」

駅から徐々に遠ざかる。店は駅前に集中しているらしく、この辺りになると
もう案内してもらう必要はないかもしれない。引き返そうか、と言われて、
一人で帰ろうとしたら由加も一緒に踵を返した。少し行くと、先ほど勧められた
ばかりのスーパーが目に入る。

「アイス買ったら怒られるかなあ……」

ぽつりと洩らされたのは独り言だったのか。反応すべきか朋子が迷っていると、
由加ははっとしたような顔をする。それを見て、朋子は話を引き継いだ。

「怒られないんじゃないですか、アイスくらい」
「うーん。食べ過ぎって言われるんだよね」

少しは控えた方が良いのではないかと、高校一年生の従妹に注意されるらしい。
話を聞いてみると、由加は一日でファミリーパックを一箱食べきるそうだ。
……それは、注意ではなく心配されていると言うのではないだろうか。
37 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:26
「買わない方が良いと思います」
「えー」
「暑いし溶けちゃいますよ」

朋子が諫めると、由加は残念そうに肩を落とす。本当は朋子の言うことを聞く必要は
ないはずだけれど、素直に諦めてくれたようだった。

車道をバスが行き過ぎる。その排気音に紛れてしまわないように二人は言葉を交わす。
バイト中にも話しはするけれど、それはいつも小声だったからはっきりとした由加の
声を聞くのは新鮮な気がした。

「宮崎さんてこんな声だったんですね」
「え?」
「いつも小っちゃい声でしか話さないから」

寝る前に聞いたらよく眠れそうな、落ち着いた声音だと思った。朋子の言葉に
由加はぱちりと瞬きをして、それから笑った。
38 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:27
「金澤さんは良い声だなーって私はずっと思ってたよ?」
「いやいや。宮崎さんはかわいい声ですね」
「無理に褒めてくれなくていいって」
「ほんとに思ってますって」

話しながら歩いているうちに、駅前のロータリーに舞い戻る。朋子はここから
電車に乗るけれど、由加はまた歩いて帰らなければならない。

「すみません、ここまで来てもらっちゃって」
「ううん。運動不足だし」
「案内、ありがとうございました」
「いえいえ」

ではまたバイトで、と言おうとして、不意に言葉に詰まった。そのせいで不自然に
黙ってしまい、きょとんとした顔で見られる。何かを言わなければと思い、別れの
挨拶の代わりに朋子は一つ提案した。

「……暑いし、アイス食べて帰りません?」

こんなことを思いついたのは、きっと暑さのせいだ。由加が嬉しそうに頷いて、
その顔をかわいいと思った。
39 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:27
 
   ◇ ◇ ◇
 
40 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:28
九月になり、あっという間に十月が目前に迫っていた。このアルバイトも今日が
最後だと思うと感慨深いものがある。

集合場所には五分前に着いた。すでに集まっていた友人に呼ばれて、朋子はその
輪に入る。少し離れたところで由加も友人と一緒にいて楽しげに、けれど小声で
お喋りをしていた。

結局は由加の一人称は変わらないままだった。それに、友人同士では気安く
下の名前で呼ばれているけれど、当然のように朋子は今も名字で呼んでいる。

初めから判っていた、というよりそれが自然だ。このバイトが終わってしまえば
関係は切れてしまうだろう。すれ違った時に挨拶するくらいの仲にはなるかも
しれないが、きっと連絡先も使わないままに埋もれてしまうに違いない。

愛理に言われたことを思い出す。気に入られないのが気にくわない。だから気になる。
そういうわけではなかったけれど、ここで関わりが失われてしまうのは少しだけ
残念だと思った。
41 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:29
 
42 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:30
最終日の今日、仕事は残りわずかだった。ゆっくりと書架に本を並べても時間は
余ってしまいそうだ。事実、二人はいま必要以上に丁寧に本を扱っている。

「あっという間だったね」

由加がぽつりと洩らし、その隣で朋子は頷く。長いと思っていた夏期休暇はもう
終わりが見えている。残りの数日で引っ越しをして、それからすぐに新学期だ。

一人暮らしも初めのうちは慣れないかもしれない。今後のことを思うと気にすべき
ことは山ほどあった。そのすべてを上手くこなせるだろうかと、朋子は思う。

もう台車を使う必要もなかった。一度確認した書架をまた見に行って、乱れていれば
整える。今や仕事は終わったも同然で、手持ち無沙汰だった。だからつい考えごとを
していて、気が緩んだのかもしれない。
43 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:31
「ねえ、由加ちゃん」

朋子の言葉を受けて、由加がきょとんとする。その理由が一瞬判らなかったけれど、
すぐに、いつもと違う呼び名を使ったことに気付いた。先ほど集合場所で由加が
友人と話しているのを聞いていて、耳に残っていたのかもしれない。

「あー……すみません。みんながそう呼んでるから、つい」
「ううん。下の名前でいいよ」

由加は気を悪くした様子もなく笑い、それに安心して朋子も笑みを返す。今日一日
だけしか使えない呼び名だろうと思うともったいない気もしたが、特別感があって
それはそれで良いかもしれない。

「今更だけど、敬語も使わなくていいし。……言うの遅かったね」

タイミング逃しちゃって、と申し訳なさそうに言われた。朋子は首を横に振る。
敬語を使っていても充分に楽しく話せていたから、気にならなかった。

初めは間を持たせるための会話だった。それをいつからか楽しいと思うように
なっていた。その理由は曖昧で、朋子にもよく判っていない。
44 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:31
「ね、私も下の名前で呼んで良い?」
「もちろんです」

もう作業する手は止まっていた。フロアにはひとけがなく、広い空間に二人きりだ。
少しくらいお喋りしても誰にも迷惑はかからないだろう。そのせいか、由加の声は
抑えられていなかった。

「とも」

落ち着いた声で、名前を呼ばれただけだった。それなのに息が詰まって、苦しくなる。
気付かれないように深呼吸をして、「はい」と短く返事をする。

「なんか照れちゃうね」

そう言って、由加は笑った。
45 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:32
 
46 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:33
規定の時間まではまだ余裕があるのに、あまりにもすることがなかった。相談の末に
職員に声をかけると、もう帰っても良いと言われた。

二人だけが仕事から解放される。やはり由加のおかげでこの組み合わせは作業が
随分と速かったらしい。

静かな館内で辺りを見渡した。アルバイトの学生は別のフロアにいるのか、利用者の
姿しか見えない。バイト帰りに遊ぼうと約束していた友人はどこにいるのか、探した
ところで仕方ない。向こうの仕事が終わるまで待たなければならないのは明白だった。

「もう帰ります?」
「うん。あと、敬語使わなくて良いってば」
「あ、つい」

癖が簡単に抜けるわけもない。「ごめん」謝ると、由加は苦笑する。カウンターの
近くにいたままだったから、職員にちらりと睨まれる。お喋りは控えるように、と
いう牽制だ。
47 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:34
また明後日、でも三日後でもない。週に三日会えていたのはバイトが一緒だからで、
たまたま組み合わせの運があったからだ。

「由加たち優秀だったね」
「だね。早く終わっちゃった」

ただのアルバイト、ただの労働だ。それ以外には連絡先を交換したのと駅前を
案内してもらっただけで、他には何もない。それなのに、これほど名残惜しく
感じるのはなぜだろう。

「ありがとう。楽しかった」
「うちも、楽しかったです」

また敬語を使ってしまってちぐはぐになり、苦笑された。友人を待たないと
いけないと朋子が言うと、図書館は涼しいから良いねと返される。

わざわざ暑い外で待つ理由はない。朋子は館内に留まるけれど由加が帰らない
理由もなくて、互いに小さく手を振った。

「それじゃあ」
「うん。またね」

また、会うことがあるのだろうか。
ありきたりな別れの挨拶に、そう思った。
48 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:36
由加の後ろ姿を見送った。ガラスの自動ドアが開いて、閉じる。どこか席に
ついて友人を待っているつもりだった。それなのに出入り口に足が向いて
しまったのは、ただの気まぐれだと思いたかった。

外に出ると、まだ夏を感じられた。眩しい光の下で小走りに由加を追いかける。
蝉の声がうるさく、そろそろ夕方だというのに太陽が沈む気配もない。

下の名前で呼びかけると、驚いたように振り返られた。大した距離を走ったわけ
でもないのに脈が速くなる。それは運動ではなく緊張のせいだったけれど、朋子は
気付かないふりをした。

「どうしたの?」

由加が不思議そうに首を傾げる。今は静かなキャンパスも、あと数日経てば人が
溢れる。その中で、由加の姿を見つけられるだろうかと思った。

今日で終わりにするのは惜しい。そう感じるのはきっと図書館でのお喋りが楽し
かったからだ。落ち着いた声をまた聴きたいと思うのはそれが耳に心地良いからで、
気に入ったからだとか、そういった感情とは無関係だと思いたかった。

けれど、たとえ細い糸のようなものだったとしても。
せっかく繋がった関係を、ここで失うのは嫌だと思った。
49 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:38
「……また、今度。アイス食べにいかない?」

季節は夏から秋へと移る。もっと気の利いた誘い文句があれば良かったのに、
他には思いつかなかった。由加が顔をほころばせる。ふわりと浮かべられた
その笑みを、まだ見ていたいと思った。

「うん。また連絡するね」

顔の火照りは夏の暑さからくるもので、他の理由はきっと何もない。
由加が踵を返す。揺れるワンピースの裾を見て、いつかのことを思い出した。
黒く染め直した自分の髪を見る。似合っていると言われたときのことを想起した。

背中を見送っていると、もう一度由加が振り返る。
早く図書館に戻ればいいのにそれが出来なくて、朋子は大きく手を振った。
 
 
 
 
 
50 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:38
 
51 :名無飼育さん :2014/11/16(日) 18:38
 
52 :名無飼育さん :2014/11/16(日) 18:39
>>3-49
出口はどこかへの入口
53 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:27
 
54 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:27
落ち葉を踏むと、乾いた音が立つ。季節はすっかり夏から秋へと移り、新学期が
始まってからしばらくが経っていた。朝の空気は澄んでいる。そろそろ吐く息が
白くなるかもしれない。

少し見慣れてきた街並みの中、朋子はとある一軒家の前で足を止める。時計を見ると
ちょうど待ち合わせ時間になったところで、顔を上げると同時に玄関のドアが開いた。

「おはよう」

眠気から覚めきっていなかった頭に、由加の声が染みいる。「おはよ」あくびまじり
に返すと、由加はぱたぱたと朋子の隣にやって来た。大学生にもなって誰かと待ち合
わせして登校することになるとは思わなかったけれど、約束のおかげで起きる気力が
湧いたのは確かだった。

「ちゃんと勉強した?」
「したした。ばっちりですよ」

朝一番の講義で小テストがある、と朋子が言ったのがきっかけで、それなら一緒に
行こうと言い出したのは由加だった。もちろんこれは今日に限ったことで、普段は
それぞれで登校している。
55 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:28
この街に越してきてから幾分か時が経ち、新たな通学路にも慣れてきた。この時間
から由加と並んで歩くのには不思議さを感じるけれど、学校帰りに一緒に出かけた
ことはもう何度かあったから、おかしくは思わなかった。

駅前に至り、アイス屋の前を通る。由加とは二度、ここに来たことがあった。
一度はこの辺りを案内してもらったときで、その次は図書館でのアルバイト期間
よりも後だった。

また連絡する、という由加の言葉は社交辞令ではなく、誘いのメールはすぐに来た。
それから二人は、友人のような関係を続けている。
56 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:29
踏切を渡って学校側の駅前に出ると、にわかに人が多くなった。校舎へと続く
長い坂が目に入り、朋子は溜息をつく。毎朝この光景を見る度に、気が滅入り
そうになった。

とはいえ、この坂を通るほかに道はない。歩みが遅くなりそうなのを由加に
励まされながら、朋子は足を進める。その隣をゆっくりと歩きながら、由加は
ふと思い出したように言った。

「あのね。図書館のバイト、続けないかって誘われたんだ」

そうなんだ、と朋子は返す。確かに由加の仕事ぶりを知っていれば、手放すのは
惜しくなっても仕方ない。あの手のバイトをやりたがる本好きはいくらでもいる
だろうに、職員は随分と目が高いなと朋子は思った。

「でね。とも、一緒にしない?」
「へ?」

思わぬ話を振られて、気の抜けた声が出る。それが可笑しかったのか由加は
少し笑って、それから話を続けた。

「二人でって言われたんだけど。慣れてる人がいいかなーって」

訊けば、待遇はそう悪くないらしい。週に二日、一回三時間。といってもこれは
書類上の契約で、まとめて三時間の作業をせずとも授業の空き時間で分割しても
良いらしかった。更に試験前には休んでいいだとか、これほどの好待遇はなさそうな
バイトである。
57 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:30
「いいねえ。でも全部を一緒には出来ないよね?」
「それでもいいらしいよ。どうかな?」

ちょこんと由加が首を傾げる。やる、と即答したのは、楽そうだと思ったから
だった。前回のバイトの時もそう思ったなと振り返り、歴史は繰り返すという
言葉を朋子は想起する。

話しながら半ばまで登坂したものの、先は長い。講義開始までの時間にはまだ
余裕があるものの、いつまでもだらだらと歩いているわけにはいかない。それは
判っていたけれど、朋子は弱音を吐く。

「もうだめだ。由加ちゃん先に行って」
「由加、今日二限からだから急いでないし」
「え、マジで?」

てっきり一限目から講義が入っているから一緒に登校してくれているのだと
思っていた。朋子が申し訳なく思っていると、「バイトだから」と由加は言う。
さっそく、図書館のアルバイトに行くらしい。

「ほら、行くよ」

手を握られて、引っ張られる。触れた肌はさらさらとしていて心地良く、思わず
朋子も力を込めた。
58 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:30
 
59 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:31
放課後の誰もいない講義室で、朋子は頭を抱える。つい引き受けてしまったものの、
由加と同じアルバイトを続けても良かったのだろうか。

一緒にいる時間を気に入っているのは、単純に楽しいからだった。だから、時々
遊ぶ以外に関わりが出来たとしてもなんら不都合はない。ただ、それを危うく
思っているのも自覚していた。

大きく息を吐いて、席を立つ。仲良くなりすぎるのを恐れるのはなぜだろうかと、
考えようとしてやめた。バイトも常に一緒に作業をするわけではないし、わりの
いい仕事を見つけられたのを感謝することにして、それ以上は何も思わないように
する。

講義棟から出ると、乾いた風が吹きすさぶ。足元でかさかさと枯れ葉が音を立て、
朋子はそれを蹴り飛ばす。幸い帰り道は下り坂だ。早く帰ってしまおうと、朋子は
足早に道を行く。
60 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:31
風の強さに辟易して目を眇めると、見慣れないものが視界に入った。だが朋子は
すぐに思い直す。その制服は半年前まで朋子が着ていたものと同じだったから、
むしろ見慣れていた。

学内に高校生がいるのはそう珍しいことではない。入学を志して見学に来る生徒は
それなりにいる。けれど、夏休み時期でもない平日に一人でやって来るのはあまり
見かけない光景だ。

そして気に留まったのは制服のせいだけではなかった。不安げにしている女の子の
顔はどこか見覚えがあって、朋子は記憶を辿る。

黒髪のショートカット、黒目がちで大きな瞳。しばらく考えてみると、制服と見覚え
のある彼女と、由加が結びついた。

不躾ではないにしても、制服の女子高生には視線が集まっている。存在に気付いて
いて放っておくつもりにはなれず、朋子は彼女に声をかけた。

「もしかして。佳林ちゃん?」

突然話しかけられて驚いたのか、彼女はびくりと身を震わせる。道端でいきなり
自分の名前を呼ばれれば警戒もするだろう。遅れてそれに思い至って、朋子は
慌てて弁解する。
61 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:32
「うちは由加ちゃんの」

由加の名前を出せばなんとかなると思ったのものの、なんと自称すればいいのか
迷った。友達と言っていいのだろうかと、つかの間逡巡する。彼女は、用心すると
いうよりはきょとんとした顔をした。

「……後輩、なんだけど」

ゆっくりと、朋子は当たり障りのない表現を選んだ。この学内にいる約四分の一は
由加の後輩にあたるという理屈に彼女が気付いているかは判らなかったけれど、
こくりと頷かれる。

「写真見せてもらったことがあって、えーっと。……怪しいものではありません」

従妹の写真だと見せられたのを思い出していた。何を言うべきか迷った末に口から
出たのは自己紹介に似たものだったけれど、不審者が自ら不審者と名乗ることは
まずあり得ない。けれど疑われてはいないのかまたこくりと頷かれ、朋子は問いかける。

「どうしたの?」

学内の見学に来たのだというのなら少しは案内してやれるし、他の理由でも手助け
できることがあれば手を貸そうと思った。躊躇ったような間の後に、佳林はぽつりと
言葉を零す。

「鍵、家に忘れちゃって」

由加の下宿先の子だとすれば、当然同じ型の鍵を使っているのだろう。どうやら
由加を探しに来たらしいと判り、朋子は頭を掻く。
62 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:33
「連絡とれた? まだ授業中かも……」
「かなざわ、さん」
「ん?」

慌てていたせいで朋子はまだ名乗っていなかった。それなのに名前を呼ばれたことを
怪訝に思っていると、それが声と表情に出ていたのか今度は佳林がばたばたと話し出す。

「私、同じ高校で」
「うん」
「中学のときから知ってます」

そう言われて合点がいった。朋子が通っていた高校は中高一貫校だ。朋子自身は
高校から入学した外部生だけれど、きっと佳林は中学からの内部生なのだろう。
学年は三つ違うと由加は言っていたから、それなら校内にいた期間は重なっている。

とはいえ、それなりに生徒数は多かった。その中で中学生に知られていたとなると、
自惚れてしまいそうになる。実際、知られていたことをそう不思議に思えないの
だから仕方ない。高校時代の朋子は、そういった立場だった。

由加の知り合いだというのと、顔と名前だけでも知っている人に会えたというので
佳林も安心したのだろう。幾分か表情は和らいで、それに朋子もほっとした。
63 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:34
「もしかして図書館のバイトの人って、金澤さんですか?」
「え? 家で由加ちゃんうちの話してるの?」
「はい、少し。金澤さんのことだとは思わなかったんですけど。
でも由加ちゃんが後輩の人の話するの、バイトの人だけだったから」

安堵からか、佳林は饒舌になる。怯えられるよりは良いから朋子も微笑んだ
けれど、すぐに本来の目的を思い出す。少し身を屈めて、佳林と目線を合わせた。

「由加ちゃんすぐ来てくれそう?」
「あ、いえ、まだ……。でも待ってます」

連絡は取れたらしいが、由加は授業を抜けられないという。きっと必修の講義か
何かだろう。どうも由加は佳林を溺愛しているようだから、どうでもいい授業なら
途中退出してでも来そうなものだ。

「お茶でもして待ってよっか」

時計を見るとまだ講義の終了時刻まで三十分以上もある。寒空の下、制服の
女子高生を放り出して帰るのは気が引けるし、由加の従妹だとなると尚更だった。

道を挟んですぐ向かいにあるカフェテリアを指さすと、佳林は迷ったような顔をする。
けれど朋子が促すとこくりと頷いて、照れくさそうに笑った。
64 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:35
 
65 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:35
「すみません、ごちそうになっちゃって」
「いいのいいの。バイトしてるしわりとリッチだから」

家庭教師のバイトは時給が良い。そして由加から紹介された図書館での仕事も
あるから、佳林にケーキを一つ奢ってやるくらいの余裕はあった。申し訳なさそう
にする佳林に微笑みかけて、朋子もケーキにフォークを差し入れる。

同じ高校に通っていたからか、心配したほどではなく会話は弾んだ。教師の
噂話や行事の話で盛り上がり、訊けば、佳林は演劇部に所属していると言う。
何も部活動に参加していなかった朋子からすると、それだけで輝かしく思えた。

「今日、演劇部の練習で朝早くって。ばたばたしてたら鍵忘れてたみたいです」

そろそろ高校の文化祭だ。朋子が通っていた頃も演劇部は何か公演を打っていた
記憶がある。一度実行委員をしたことがあるから、多少は事情を把握していた。

ちらりと時計を確認すると、講義の終了時刻が迫っている。二人の共通の話題と
言えば高校か由加くらいのもので、朋子はまだ話していない方について尋ねる。
66 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:36
「由加ちゃんって家でどんな風?」

訊いたのは、単なる好奇心からだった。外での様子しか知らない朋子からすると
下宿先での由加がどう過ごしているのかは興味がある。

「優しいです。ご飯作ってくれたり、朝起こしてくれたり」
「……ああ、なんか想像つくなあ」

食料品の買い物をすることもあると言っていたし、今朝は朋子を学校まで連れて
来た。優しい、という佳林の言葉はどこまでも正直なものだろう。

朋子が普段の由加を想像していると、急に佳林が立ち上がった。朋子もその視線の
先へと振り返る。どうやらお迎えが来たらしく、やはり佳林も由加が来てくれるのを
待ち遠しく思っていたのだろう。

「佳林ちゃんごめんね!」

急いで来たのか、由加は少し息を切らしていた。佳林は首を横に振り、ごめんねと
同じように返す。従姉妹同士の感動の再会を横目に、朋子はお茶に口をつけた。

ゆっくりと飲みながらしばらく待った。もしや存在を忘れられていないかと不安に
なったところで、二人のやり取りも落ち着いたのか、由加から礼を言われる。

「とも、ありがとう」
「うん?」
「一緒にいるって聞いて、安心した」

佳林と一緒にいるというのは朋子からも連絡していた。すっかり安堵したような
表情で言われると朋子の側も照れくさくなってしまい、ついそっけなく返してしまう。

「大したことしてないよ」

朋子の言葉に、由加はふわりと笑った。
今日はこのまま三人で帰ることが出来るのかもしれないと思うと、
なぜか少し嬉しくなった。
67 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:37
 
   ◇ ◇ ◇
 
68 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:38
「佳林ちゃんが今度お礼したいって」
「お礼って……別にいいよ」

図書館の書庫で本の仕分けをしていた。その埃っぽさに辟易して以来マスクをして
いるせいで、由加の声も少しくぐもって聞こえる。きちんと分類できているかを
確かめながら作業をしているせいか、進捗はあまり良くなかった。

礼をされるほどのことはしていないと朋子は思うけれど、佳林としてはそうも
いかないらしい。そのうち必ず、と由加は言付けを預かってきたそうだ。律儀な
高校生もいるものである。

「あと、それとは別件で」
「ん?」
「ここに文化祭のチケットが二枚。あ、鞄にあるんだけど」

由加はわざわざ言い直す。文化祭のチケットと言われて朋子が思い出すのは高校
時代だ。保護者や他校の友人が入場するには、生徒から渡されたそれが必要になる。
ただし配布される枚数にも制限があって、そう多くはないはずだった。

由加が言っているのは朋子が思い描いたとおり、佳林の高校の文化祭に入るための
ものらしい。話すのに不便に思ったのか、由加はマスクを顎下まで下げる。

「一緒に行かない?」
「他にあげる人いないの?」
「ご両親は仕事みたいだし」

どさりと由加が本をテーブルに積む。外部生ならば中学が同じだった友人を呼びも
出来るだろうが、佳林は内部生だ。他校の友人というのもそうそういないのだろう。
69 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:39
「えー……」

返事が渋くなったのは、文化祭にあまり良い思い出がないからだった。一度実行委員
をしたときの大変さが脳裏をよぎる。由加はもちろんそんなことは知らないから、
あからさまに残念そうな顔をされた。そこから目を逸らして、朋子も本を積み上げる。

「ちょっとだけど遠いよ?」
「佳林ちゃんは毎日通ってる」

通学圏内ではあるが、決してここから近いわけではない。朋子が断る理由を探して
いると由加はすっかりしゅんとした顔になってしまって、さすがに心が痛んだ。
……もしかすると、マスクを外したのはこれが目的の可能性もある。

大方、行かないと佳林が悲しむとでも思っているのだろう。両親が忙しいというのは
以前も聞いていたし、従姉である由加としては思うところがあるのかもしれない。

意味もなく本をぱらぱらと捲る。由加が何を考えるか、手に取るように判ってしまう
のが恨めしい。一人で行くには荷が重い。けれど卒業生でもある朋子が一緒ならば
安心だと、それくらいの軽さで考えているに違いなかった。

高校が楽しくなかったわけではない。周囲から向けられる視線にうんざりしたことは
あるけれど、今となっては良い思い出だ。ただ、割りきれない思い出も中にはある。

由加の頼みは断りづらかった。なぜか彼女には甘くなる自分を朋子は自覚して
いるけれど、その理由は考えないようにしている。素直に認めるにはまだ早いと、
そう思っている時点で手遅れなのかもしれないが。

「……いいよ。行こっか」

溜息を吐く代わりに朋子が言うと、由加が目を輝かせる。佳林と一緒に由加を待って
いたときのことよりも、こちらの方にお礼をして欲しかった。そう思ってしまうくらいには、
朋子の気は重かった。

文化祭から始まった、苦い思い出がある。未だにそれに縛られているような気がして
ならず、朋子はそんな自分が嫌だった。
70 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:39
 
   ◇ ◇ ◇
 
71 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:40
高校に着いて早々、面倒な視線を浴びることになった。入場受付で記帳している
だけでこそこそと話をされるのは気分が良くない。黄色い声を上げられるのも
大して嬉しくはない。由加もさすがに気付いたのか、申し訳なさそうな顔をされる。

「……だから来るの嫌だったんだ?」
「別に……。由加ちゃんが迷惑でなければうちはいいよ」

あからさまに嫌な顔をするわけにもいかず、周囲に適当に愛想を振りまく。目指し
ているのは体育館だった。午後半ばからの演劇部の出番だけでも観られればいいと
事前に由加に言われていたから、朋子としても多少は気が楽だった。

「すごいね。とも、モテモテだ」

廊下を歩きながら、感心したように言われる。もちろん小声だった。由加は知り合い
がいるわけでもないからかのんきなものである。下級生から話しかけられそうになる
のを朋子はまた適当にあしらって、顔だけは笑ったままで言う。

「卒業生が物珍しいだけだよ」
「ふうん」

由加は信じた風もなく、横から身体をぶつけてくる。それを受けとめながら、
とにかく佳林の演技を見届けたらすぐに帰ろうと朋子は心に決めた。
72 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:41
 
73 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:42
演劇部の公演は朋子の想像以上に本格的だった。カーテンコールまでを終えて
緞帳が下り、客もそれぞれ熱く感想を語っている。

「上手だったねえ」

由加からしても予想以上の出来だったのか、心から驚いているようだった。ヒロ
イン役の佳林は演技が達者なのはもちろん、はまり役でもあったようだ。ドラマ
とも映画とも違う、生の舞台というのに朋子も圧倒されていた。

「相手役の子も美形だったね」
「そうだねー。やっぱり男の子役も女の子がするんだ」
「女子高ですからね」

こんなに出来が良いなら高校時代にもきちんと観ておけば良かったかもしれない、と
朋子は反省する。もちろん、今年だけが傑出の出来なのかもしれなかったが。

思い返せば、高校生活の中でまともに文化祭に参加したのは実行委員をした一年生の
ときだけではないだろうか。それも主に雑用である。仕事の他に多少は展示を見たり
はしたけれど、今になってみれば、やはり惜しいことをしていたのかもしれない。

「じゃあ、帰ろうか」

手を引かれて、我に返る。反応が鈍いのを怪訝に思われたのか由加にまじまじと
見つめられた。せっかく電車で遠路はるばるやって来たのだ。由加も朋子もこの
後は予定がない。そのせいか、不意に気が変わってしまって朋子は提案する。

「……もうちょっとだけ、見ていかない?」
74 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:42
 
75 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:43
人の少ないところを回れば案外快適だった。そもそもが自意識過剰だったのかも
しれないと朋子は考えを改め、同時に由加に対して申し訳なく思う。他校の文化祭が
珍しいのか由加は随分と楽しんでいるようだったし、そもそも彼女は初めから演劇
以外にも見て回りたかったのかもしれない。

袖を引かれて展示を見て回っているうちに、周囲の目線も気にならなくなる。
次に見るべきものを求めて階段を上っているといつの間にか窓から夕日が差し、
踊り場に影を作っていた。そのすべてが懐かしくて、朋子は目を細める。

階段を上りきったところは照明が落とされ、人の気配もなくしんとしていた。どうやら
この階は文化祭では使われていないらしく、三年前もそうだったのを思い出す。

二年生のときに使っていた教室が目の前にあった。誰もいないその部屋に深い
記憶を刺激され、朋子は思わず声を上げてしまう。

「……うわー。懐かしい」

あまりの感慨に動けずにいると、由加に不思議そうな顔をされた。当然彼女には
朋子の考えは判らないだろうから、慌てて説明する。

「ここ、前に使ってたんだよね」
「そうなの?」

もう帰ろうと思った。このままここにいてもきっと良いことはなにもない。
けれど踵を返す前に由加に手を握られ、また動けなくなった。

「ちょっと見ていこうよ」
「……入るの? 見つかったらヤバイかも」
「ともは卒業生なんだから大丈夫」

無責任に言ってのけた由加に手を引かれ、抵抗も出来ずに朋子は渋々ついていく。
人のいない教室はがらんとしていて、広く見えた。
76 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:44
「どこの席だった?」
「そんなの憶えてないよ……」

そもそも何度も席替えをしたのだから、そのすべてを記憶しているわけもない。
由加は適当な椅子を引き出して、それに腰掛ける。朋子は机に軽く寄りかかって
窓の外を見た。

「鈴木さんもここの卒業生なんだよね?」
「うん。そうだよ」

もうすっかり夕暮れ時だ。やはり早く帰らなければと思うのに、なかなか言い出せ
なかった。軽く目を閉じると、この教室での思い出が浮かんでくる。この場所には、
どうしようもないくらいに記憶を刺激される。

「とも、どうやって仲良くなったの?」

愛理は高校の先輩だと、初対面のときに告げていた。だから由加は話題に出して
きたのだろう。閉じていた目を開いて、瞬きをする。純粋に疑問に思っているで
あろう瞳を見ることが出来ずに、朋子は外を眺め続ける。

「部活とかしてなかったんでしょ?」
「……文化祭の実行委員で一緒だったから」

もう三年も前の話だった。この教室は委員の会議をするのにも使っていた。
初めて愛理と顔を合わせたのも、この部屋だった。

思えば、由加と図書整理のバイトを組むようになったのも、実行委員を決めたのも
くじ引きだった。自分はくじ運があるのかないのか、朋子は判らなくなる。

階下の騒がしさが伝わってくる。そろそろ文化祭も終わりなのだろう。佳林に
直接感想を言いたいと思ったけれど、それが叶うのかは判らなかった。お礼は
素晴らしい舞台を魅せてもらっただけで充分だと、そう伝えたかった。
77 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:45
「由加も、ともと同じ高校が良かったなあ」

ぽつりと由加が言い、朋子はそちらを見る。夕焼けが窓から入り、教室を染めている。
その中で、彼女は少し照れくさそうに笑った。

「そしたら、すっごく楽しかったと思う」
「……そう?」
「うん。だって今楽しいもん」

仲良くなれてよかった、と由加は続ける。あのアルバイトがなければ由加と朋子は
知り合うことはなかっただろう。生まれも違えば学部も違う二人はキャンパスの中で
互いに埋もれていたはずで、こうやって高校の文化祭に足を運んでいるはずもなかった。

「……うちも由加ちゃんと一緒にいるの、楽しいよ」

必要以上に情が籠もってしまわないように気をつける。この感情につける名前を
朋子は知っているけれど、それは使いたくなかった。認めずにいられればそれが
一番良いと、朋子は心から思っている。

「これからもよろしくね」

そう言って微笑み、由加は立ち上がった。そのまま彼女に手を取られ、朋子も
真っ直ぐに立つ。その手は少し冷えていたけれど、相変わらず柔らかくて心地
良かった。
78 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:45
手を繋いだままで教室を出る。このまま駅まで行ってもいいかもしれないと朋子は
思ったけれど、階段を下りたところで由加から手を離されてしまった。それを名残
惜しく思ったものの、繋ぎ直す勇気はなかった。

帰り道は夕焼けが綺麗で、思わず見惚れてしまう。夕日に照らされた由加の横顔も、
気付かれないようにそっと見た。

けれど視線を感じたのか由加はこちらを向き、にこりと微笑まれる。頬が熱くなる
のは、きっと夕日を浴びたせいだ。

明日はまた朝一番から講義があるけれど、由加の笑みはそんな憂鬱も吹き飛ばして
くれそうだった。それでもきちんと起きられるかは不安で由加に愚痴ると、一つ提案
される。

「朝、起こしてあげようか?」
「ほんと?」
「電話するよ」

耳に心地良いその声で起こしてもらえるのならば、きっと最高の目覚めになるだろう。
思わず軽くスキップすると、ご機嫌だねと笑われた。
 
 
 
 
 
79 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:48
 
80 :名無飼育さん :2014/11/27(木) 19:49
>>54-78
ジュリエットには早すぎる
81 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:49
 
82 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:50
 
   ◆ ◆ ◆
 
83 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:51
普段は入ることのない二年生の教室に足を踏み入れる。慣れない場所にいるせいか
どこか寒々と感じて、朋子はぶるりと身震いした。徐々に秋めいてきて制服も冬服へと
移行したけれど、気候の寒さ以外は防げない。

その部屋に入ったのは会議のためだった。文化祭の実行委員を務めるような柄では
ないと朋子は自分でも思うけれど、くじ引きの結果なのだから仕方ない。クラスメイトは
冷めているらしく、立候補者がいなかったのだ。

教室で待っていたのは一人だけで、朋子はその人影に向けて頭を下げる。その
人物が誰なのかは名札を見ただけで判った。噂に違わぬ、という言葉がしっくり
くる人だった。

一つ上の学年の才女にして美少女。朋子も話には聞いていた。大袈裟な評判を
受けて不憫な人だと思っていたけれど、決して過大な評価ではなかったらしい。
どこか半信半疑でいた朋子から見ても、彼女はかわいらしい人だった。
84 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:51
「こんにちは。一年生かな?」

微笑まれて、言葉が出なかった。金縛りに遭ったように口が動かなくなり、自分
でも驚いた。彼女が可憐に首を傾げる。その仕草で我に返って、朋子はようやく
名乗ることが出来た。

「一年の、金澤、です」

つたない話し方が面白かったのか、彼女は小さく笑う。かあっと頬が熱くなるのが
判ったけれど、からかわれたわけではないらしい。こちらの緊張をほぐすような
穏やかな声で、彼女は名乗った。

「二年の鈴木です。よろしく」

鈴木、の後に続く名前を、朋子は知っている。愛らしく理知的に見える彼女に、
愛理という名前はしっくりくるように思えた。一歩も動けないままに朋子が
そんな感慨を抱いていると、彼女は悪戯っぽく笑う。
85 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:52
「なーんて言って、金澤さんのことは知ってたんだけどね」
「はあ……」

そう言われたことに驚き半分、納得半分で朋子は曖昧に頷く。それは自分も生徒
たちの間で多少は噂されているのを知っていたからだった。けれど、それでも
愛理ほどではないはずだ。見慣れた造りのはずの教室も、彼女がいるとどこか
違って見える。

「かっこいいって評判だよ?」

普段はそんなことを言われても笑って流してしまう。それなのにそうは出来ずに
口ごもると、照れ屋なんだね、と楽しそうに言われた。今度は小さく否定し、
会話から逃れようと朋子は周囲を見渡す。

もうどこか席についてしまおうと思っていたら、愛理に隣の机を叩かれた。
そこに座れということらしく、渋々それに従うと彼女はにっこりと笑った。
86 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:52
 
   ◆ ◆ ◆
 
87 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:53
実行委員の仕事は約一ヶ月。
しかし昼休みから放課後から、費やされる時間は想像以上に多かった。

学校の備品の使用許可を求めるものや予算を申請するもの、数々の書類が机上に
積まれている。それを目の前にして、朋子は溜息をついた。一つ仕事を片付けた
かと思えば、二つ仕事が増えている。控えめに言っても、ひどい状況だった。

ようやく暖房を効かせることが出来るようになった教室で、その日も朋子は黙々
と手を動かしていた。実行委員も皆が専任だというわけではなく、部活動と兼任
しているメンバーもいる。

そうなると当然帰宅部である朋子らに振られる仕事量が多くなる。不公平だとは
思うものの、ある程度は受け入れざるを得ない。再度、溜息をつく。今日は何時に
帰ろうかと思った。

「お疲れさま」

不意にかけられた言葉とともに、ことりと机に何かが置かれた。そこに目を遣ると
缶の紅茶があって、更に目を上げると愛理の笑みがあった。当初の印象とはうら
はらに彼女はわりとフランクな人物のようで、今も浮かべられたそのへらりとした
笑みに、朋子は小さく頭を下げる。

「……ありがとうございます」
「あたしから、と言いたいところだけど。先生からの差し入れ」

おどけたように言って、愛理は朋子の隣の席に腰を下ろした。
「進んでる?」訊かれて、正直に現況を伝えると、愛理は軽く顔を顰める。

「ほんと終わりが見えないねえ。金澤さん仕事速いのに」
「いやいや。そんなことないですけど」

仕事が速いかどうかは別にしても、愛理の指摘通りこの仕事の終わりは見えない。
時計を見ると定められた下校時刻が迫っていた。残った作業は明日に回すしかない。
88 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:54
「今日はここまでにして、帰ろうか」

愛理の言葉に頷いて、朋子は書類を整える。まだ温かい紅茶はブレザーのポケットに
入れた。帰り支度をして、愛理が施錠する。いつの間にか教室には二人だけになって
いたらしい。

職員室に鍵を返し、靴を履き替える。行き先は同じ駅だったから自然と肩を並べて
歩くことになり、朋子はそれを不思議に思った。噂になるほどの有名人と、親しい
わけではないけれど言葉を交わすようになる。入学当初に愛理の存在を聞かされて
いたときには、思いもしなかった展開だ。

季節柄かもう随分と暗くなり、車道を走る車のヘッドライトが眩しい。ポケットの中の
缶が冷えていくのが、触らなくても判った。帰り道だというのに結局は打ち合わせ
じみた会話をしていると、ふと街灯の下で愛理が笑う。

「金澤さんも、大変だね」

言われた言葉に、頷いた。「鈴木さんも大変じゃないですか」仕事のことだと思って
返すと、首を横に振られた。
89 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:55
「ずーっと見られてるの、嫌じゃない?」

仕事の話ではないらしい。愛理が言っているのは、普段から向けられている好奇の
目のことだろう。それを浴びるのには慣れていたけれど、初めのうちは快かった
それらの視線も、時が経つにつれて煩わしく感じるようになってしまった。

たとえそれが好意の眼差しであっても、一方的な矢印を向けられ続けるのは面倒な
ことこの上なかった。愛理もそれは一緒なのか、共犯者のような気配を感じる。

歩道で、違う制服を着た高校生とすれ違う。視線を感じたのは気のせいだろうか。
冷たい風が吹いてきて、朋子は肩を竦めた。

「……見てるくらいなら仕事手伝って欲しいですよねー」

謙遜する気になれなかったのは、相手が愛理だったせいかもしれない。彼女は
それこそ朋子よりも周囲に注目されているだろう。今まで姿を見かけたことも、
探そうともしなかった朋子は相当異端のはずだ。

あらためて、女子高というのは特殊な環境だと思う。数年もすれば忘れられて
しまうであろう感傷を、ぶつけられる側の気持ちにもなって欲しかった。

愛理の笑い声がする。調子に乗るなとも思い上がるなとも言われなかったことに
安心して彼女の横顔を盗み見ると、その唇が開かれた。
90 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:56
「お似合いだから邪魔しづらい、だってさ」
「は?」

とつぜん意味の取れない言葉をかけられて、素っ頓狂な声がでる。
「なにがお似合いなんですか」朋子が訊くと、愛理は可笑しそうな顔をした。

「あたしと、金澤さんが」

そう言って、自分と朋子を交互に指さす。その仕草は滑らかで、芝居を観ている
ようだった。愛理が吹き出し、ぽかんとしていた朋子もそれで我に返る。

「じゃあ、邪魔しづらい、ってなんですか」
「仕事をだよ。ひどいよねー」

愛理はいかにも可笑しい、といった様子でけたけたと笑う。
他の人が真面目にやるならサボりたいのはこちらの方だ。朋子が真面目な顔をして
そう言うと、呆れたような顔をされた。

手伝おうとしてくれる人もいるはいるが、下心が透けて見えてやりにくい人も多い。
結局は一人でするか、愛理と一緒に作業をするのが効率が良くなっていた。それが
周囲にしてみれば、『お似合い』だと目に映るのかもしれない。

駅が見えてきた。その周囲だけが明るさに浮いているように目立っていて、人も
集まっている。確か電車は逆方向だ。このお喋りが終わってしまうのは、惜しいと
思った。

けれど、もう少し話しましょうなどとは言えない。すっかり暗くなってきたし、
そう提案できるほど親しくはないと思った。代わりに、朋子は会話を総括する。

「……いやあ、女子高って怖いですねえ」
「だよねー。モテ期がここで終わっちゃうよ」

端から見れば鼻持ちならない会話だろう。けれどこういった話を忌憚なくできる
相手というのはそうそういない。二人とも、この話題について素直に話せる相手
などいなかった。

羨まれるような状況ではない。それが判ってもらえない。わかり合えるのは二人
だけで、だから二人は親しくなった。
91 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:56
 
   ◆ ◆ ◆
 
92 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:57
文化祭まで一週間を切った。相変わらず仕事の量は多く猫の手も借りたい状況で、
その日も朋子は空き教室で書類と睨めっこを続けていた。

部屋には数人がいて、作業をしている人もいればお喋りに興じている者もいる。
そちらを睨んでやりたかったけれど、無駄な争いの種を蒔くより自分で仕事を
片付けた方が早かった。だから結局、朋子は愛理と肩を並べて机に向かう。

「鈴木さんって犬派なんですか?」
「どうだろー」

目は書類の上を走らせながら、別の話題を口にする。隣で電卓を叩いている
愛理も、手の動きは止まらない。朋子は自宅で猫を飼っている。丸々とした
その姿を思い浮かべて、朋子は溜息を洩らした。

「もーうちから猫連れてこようかなあ。でも絶対に手伝ってくれないなあ」
「現実逃避しないの」
「はぁい」

愛理の家では犬を何頭も飼っているらしい。そんな知識がここ数週間ですっかり
身についた。黙って作業するのに飽きた頃に雑談したり、今のように手を動かし
ながら話したり、一緒にいる時間が長いだけあって二人の間にはさらに親近感が
増していた。そして同時に、周囲からも浮いていた。
93 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:58
「鈴木さん」
「うん?」
「休憩しましょう」

ばさりと紙の束を机に投げ出して席を立つ。唐突な朋子の提案にも冷静に、愛理は
後ろからついてきた。周りから感じる視線は無視だ。それから逃げたくて、この部屋
を出るのだから。

一階まで階段を降りる。中庭沿いに設置された自販機にコインを入れながら、
朋子は愛理に尋ねた。

「なに飲みます? 奢りますよ」
「え、いいよ」
「うちが連れ出したんで」

遠慮する愛理に商品を選ばせて、ボタンを押す。朋子も自分の分を買って
手のひらで包んだ。まだ日は暮れていないけれど、外はそれなりに寒い。
94 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:59
「どうしたの? 相当行き詰まってる?」
「そーですねえ……」

抜け出して来たのは、仕事に疲れたからではない。
珍しいものを見るような目が嫌になった。単純に鬱陶しいし、愛理と話すのにも
気を遣わなければならない。被害妄想と言われるかもしれないけれど、会話の
内容を聞かれているようにも感じられて、あまり気分が良くなかった。

「……どうすればモテなくなるんでしょう?」
「うわー感じ悪い」
「鈴木さん相手だから言ってるんですよ」
「そうだねえ。でも、受け入れるしかないのだよ、金澤くん」

変に芝居がかった声で返される。秋の中庭は閑散としていて、遠くのグラウンドから
運動部のかけ声が聞こえる以外には物音がない。洩れた溜息は音を立てずに宙に
消え、受け入れるしかないと、愛理の言葉を口の中で反芻する。

ベンチに腰掛け、手の中で缶紅茶を転がした。プルトップを上げて呷ると、
含みすぎたのか少しむせる。横で愛理が楽しそうに笑うのを、朋子は睨んだ。
95 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:00
「告白されたら、いつもなんて言って断ってます?」
「好きな人がいるから、かなー。金澤ちゃんは?」
「いま誰とも付き合うつもりない、って言ってます」

頻繁に愛の告白を受けている者同士でしか出来ない会話だった。ぼうっと中空を
見つめると、夕暮れの空が目に映る。今日はこのまま帰ってしまおうかと思った。

好きな人がいると言えばそれは誰なのかと追求され、いまは誰とも付き合う気が
ないと言えばそのうち付き合う気になってくれるのかと誤解され。

上手い断り文句を朋子は探していた。もうすぐ文化祭だ。行事の勢いに任せて
告白する人が増えるのはなぜだろうと疑問に思うけれど、やはり非日常の中に
紛れてでもないと言い出しづらいことなのだろう。

日が暮れていく。沈んでいく太陽を見送るしかないのが恨めしかった。時は刻々と
流れ、それは愛理と一緒に委員を務められる時間が残りわずかなことを示していた。

「戻ろっか」

飲み終えて、愛理が先に立ち上がる。差し出された手を握るとすっかり冷えていて、
誘い出したのを申し訳なく思った。
96 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:00
 
   ◆ ◆ ◆
 
97 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:01
実行委員の印である赤いリボンを胸につけ、朋子は入場口であくびを堪える。
玄関に長机とパイプ椅子を並べ、入場者のチェックをしていた。このご時世、そして
女子高だからか文化祭に一般参加するのは、たとえ親であっても入場用のチケットが
必要になる。

記帳してもらい、頭を下げる。延々と続く流れ作業に飽きてきた頃、ようやく交代の
時間が回って来た。隣で作業していた委員に声をかけ、席を立つ。次は展示の
見回りに行かなければならなかった。

校内を一人で歩く。途中で呼び止められ、今仕事中だから、の一言であしらう。
委員をやっていて良かったと思うことはほとんどなかったけれど、簡単に誘いを
断れるのは美点だと思った。

途中でサボってもばれはしなかっただろうけれど、一通り校舎を回り終える。
目立たない位置で壁に背中を預け、朋子は溜息をついた。あとは文化祭終了後の
仕事だけだと思うと、気が抜けるような、憂鬱なような気がした。
98 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:02
「サボり?」

その声がした方を向くと、愛理が一人で立っていた。ふう、と朋子はもう一度息を
吐く。

「真面目にやって、もう終わりました。」
「ご苦労様です」

滑舌悪く愛理が言う。彼女が何を言っているか聞き取れないことがときどきあって、
それを聞き返すのにも慣れていた。そんなことからも、いつの間にか長い時を一緒に
過ごしていたのだなと実感する。

「鈴木さんはもう終わりですか?」
「終わりでーす。仕事なしでーす」

職員室の真上、この二年生の教室辺りは文化祭で使用されていない。だから二人は
逃げるようにここへ来て、気安く言葉を交わしている。

「今日、何人でした?」
「なんとゼロです。金澤ちゃんは?」
「ゼロです。実行委員パワーすごいですね」

いくつか言葉が省略された会話を、二人は難なくこなす。告白してきた人数を
数えるのはとうにやめていたけれど、今回の行事中に限っては別だった。
99 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:02
「一緒に回ろうよ」
「……文化祭ですか? 休憩しときましょうよ」

せっかく無事に仕事も終えて逃げ切ったのに、また人混みの中に行くと言うの
だろうか。朋子は渋ったけれど、愛理に腕を取られ仕方なく壁から背中を離す。

階段を降り、展示物の並んでいる辺りに足を進める。次第に周囲に人が増えて、
向けられる視線も増した。それにうんざりとしていると突然手を握られ、朋子は
驚いてそちらを見る。

「……びっくりした」
「人避けになると思うんだよね」

そう言って、愛理は繋いだ手を持ち上げた。「また変な噂立っちゃいますよ」朋子
が諫めても愛理はどこ吹く風で、手を離す様子はない。

変な噂、というのは実行委員を務め始めてしばらくしてから立ったものだ。
お似合いだと言われている二人は付き合っているらしい、という話は朋子も
うっすらと耳にはしていた。

「誤解されて困る人いる?」
「いないですけど……」

気になる人ならいる。
けれど、本人を目の前にして言えるわけもなかった。
100 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:03
 
   ◆ ◆ ◆
 

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