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無限なんていらない

1 :名無飼育さん :2014/11/16(日) 17:49
アンリアル。
宮崎さんと金澤さんが中心です。
他にもちょこちょこ出てくる予定。
連作短編のようなものになると思います。
2 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:50
 
3 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:52
見事なまでの晴天だった。太陽が地面を焼き、青葉は光を受けて色鮮やかになる。
蝉の声がうるさい。汗は拭いても滲むばかりだ。

夏期休暇の今、キャンパスのメインストリートは閑散としている。見かけるのは
サークル活動に励む学生か勉学に勤しむ院生くらいのもので、その人々も皆、
日差しを避けるように影を歩いていた。

上を向くと眩しい。かといって、下を向くと首筋が焼けるように熱くなる。
仕方なく正面に顔を向けると、歴史を感じさせる講義棟に囲まれるようにして
比較的近代的な建物が見えた。数年前に建て替えられたその図書館は、今日の
朋子の目的地だ。
4 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:52
ゆっくりと開く自動ドアは静かな館内へと続いている。まず、カウンターが目に
入った。図書の貸し出しを待つ列を朋子は通り過ぎる。集合場所を探して周囲に
視線を巡らせると、見慣れた背中が目に入った。

「鈴木さん」

呼びかけると、その背中は振り返る。

「一分遅刻だよ」
「はあ。すみません」

その場に集まっていたのは、見知らぬ学生も交えて二十名ほど。館の職員らしき
人物に一睨みされ、朋子は軽く頭を下げる。
5 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:54
夏期休暇中のアルバイト募集の張り紙を見て応募したのは、数週間前のことだった。
仕事内容は図書館での図書整理。学年、男女問わず。時給はそこそこ。応募理由は
楽そうだから。もちろん、面接ではそんなことは言っていない。

朋子が最後の一人のようだった。職員の口から静かな声で仕事の概要が語られる。
要約すると、二人一組に分かれて延々と図書を並べ替える作業。やはり楽そうだと
朋子は内心で喜んだが、これも当然表には出さなかった。

集まった面々を密かに見渡す。同学年の友人、高校の先輩である愛理。ひょろ長い
男子学生、真面目そうな女子学生。当初の予想通り、まったく知らない人間の方が
多かった。

図書館は空調設備が充実している。外の暑さから解放されたばかりの朋子が
ぼうっとしていると、予想外の言葉が投げられた。
6 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:55
「では、なるべく知らない人と組んで下さい」

図書館では静かにしましょう、と職員は続ける。指示の意図は、友人同士で組んで
お喋りをされるわけにはいかない、ということだろう。そのまま職員はこのバイトに
おいてのリーダーらしい院生に仕事を投げ、本来の業務へと戻っていく。それとなく
周りの様子を窺うと、面々は当然のように戸惑っていた。

「……これ、どうなるんです?」
「あたしが知るわけないじゃん」

隣にいた愛理とこそこそと話す。「一緒にしましょうよ」「うーん」提案に対する
返事は渋かった。

「金澤ちゃん、真面目にやらなさそうだし」
「えっ。超真面目ですよ、真面目だけが取り柄ですよ」
「嘘だあ」

一度場を離れていた院生が戻ってくる。その手には紙とボールペンが携えられていた。
膠着状態を解決するために、くじ引きが選ばれたらしい。

この方法だと知り合い同士になってしまう可能性もあるが、細かいことを言っていたら
いつまでも作業を始められない。皆が大人しくリーダーに従った。同じ数字を引いた者
同士で組むようにと端的に指示が出される。
7 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:57
一番の人。二番の人。順に呼ばれて、組むことになった者同士が軽く自己紹介を
しているのが見えた。朋子も自分の番号を呼ばれて一歩前に出ると、少し離れた
ところにいた女子学生が小さく手を挙げたのが目の端に止まった。

二人で並んで輪から離れ、ちらりと横目で彼女の顔を盗み見る。同じ一年生かと
あたりをつけたのは、自分よりも幼い顔立ちに思えたからだ。

「よろしくです」
「よろしくお願いします」

小声で挨拶を交わし、自己紹介。彼女の名前は宮崎由加。予想に反して二年生らしい。
年齢が一つ違うくらいでは見かけで判断できない、と朋子は考えをあらためる。

「二年なんですね。通りであまり見かけたことない」
「金澤さん、鈴木さんとお友達みたいだったから二年生かと思った」
「あー、高校の先輩なんですよ」
「そうなんだ」

初対面ではそこまで話も弾まない。まさに職員の狙い通りになっていた。
8 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:58
本を山ほど積んだ台車を押して、仕事場としてあてがわれた書架に向かう。
途中でエレベーターに乗った。台車を押す朋子の代わりに由加がボタンを
押してくれる。

由加の背中に流れる落ち着いた茶色の髪をぼんやりと眺めた。それから自分の
肩に掛かった髪に目を遣る。同じ茶髪とはいえ、明るさにはかなりの違いがあった。
大学に入って髪を染めるようになって、朋子は比較的明るい髪色を続けている。

由加の第一印象。真面目そう。けれど堅苦しい雰囲気ではない。自分は由加に
どう思われているだろうかと朋子は想像して、そのうち訊いてみようと思った。
正直に答えてもらえるかは、別として。きっと由加は良いようにしか言ってくれ
ないだろう。そう感じさせられる佇まいだった。
9 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 17:59
エレベーターはすぐに目的の階に着く。扉を開いたままにしてくれる由加に
小さく頭を下げて、朋子は台車の取っ手を押した。

試験前ならば学生が溢れているだろうテーブルに人はまばらだ。読書している
人もいればノートにペンを走らせている人もいるけれど、閑散としているのは
否めない。台車から本を数冊抱えて、二人も囁き合うように話す。

「静かですね」
「そうだね」

それからも、見知らぬ者同士といえど無言で作業を続けるのも何なので
時たま言葉を交わした。ほとんどは作業に関するものだったけれど
由加は特に癖のある性格でもなさそうで、それが朋子を安心させる。
10 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:00
「これ、数字とかアルファベットとかすごいですよねえ」

書籍に貼られたシールを朋子は指す。背表紙の下部に貼られたそれは三段に
分けられていて、表記には数字、アルファベット、片仮名が使われていた。
朋子がそれを矯めつ眇めつしていると、何気なく由加が言う。

「細かいよね、十進法類法」
「……じゅっしん、何ですか?」
「えーと、ごめん、本の並べ方の決まりのこと」

それは世間の常識なのだろうか。少なくとも朋子は知らない。これらの文字で
管理しているのは判っていたが、由加の話によると朋子の想像よりもしっかりと
したルールに基づいて配架されているらしい。
11 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:00
「図書館学とか取ってるんですか?」
「取ってないけど……使うでしょ?」

……馬鹿だと思われたかもしれない。朋子も図書館は使うけれど、目的の書籍を
備え付けの端末で検索してから見つける方法ばかりを取っている。今もほとんど
由加が場を仕切っていて、それは知識の違いのせいだった。

「まあ、知らなくても生きていけるよね、こんなの」
「……そーですね」

慰めの言葉が悲しい。取りなすように由加が笑って、それが尚更情けなかった。
12 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:01
 
13 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:01
一日目の仕事は滞りなく進んだ。規程の時間になったところで台車を仕舞い、
集合場所に戻る。由加とはぎこちないながらも作業に関する話をすることで
間も持ったし、これからも上手くやっていけそうだと思った。

「それじゃあ、また明後日」
「はい。今日はありがとうございました」
「なにそれ。そんな堅くならないでよ」

先輩だから、という理由で敬語を使っている。気安く話せる日が来るのかどうか
今の朋子には判らなかったし、そうしたいのかすらも判らなかった。
14 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:02
 
   ◇ ◇ ◇
 
15 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:03
月水金、午後一時から五時まで。それがこのアルバイトのスケジュールだった。
時間が短いと思わなくもないが、大学のバイトではこれが一般的らしい。

「え、結構遠くない? 四時間のために来てるの?」
「カテキョと曜日被ってるんで、ついでですよ」

大学生の世間話として、実家から通っているのか一人暮らしなのかというのは
よく取り上げられる。朋子の住む家から大学は通えなくもないといった距離で、
由加の言うとおりこのバイトのためだけに来るには不便が過ぎる。

「宮崎さん下宿なんですよね。それはそれで大変じゃないですか?」
「私は親戚の家だし、そうでもないよ」
「そんなもんですか? ていうか実は、うちも後期から一人暮らしするんですよ」
「そっか。最初は寂しいよー」

一週間が過ぎ、会話は随分と弾むようになった。由加も初めより笑ってくれる
ようになり、それが朋子は嬉しかった。
16 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:04
朋子が何か冗談を言うと、由加はくしゃりと笑う。次第にその顔をかわいいと
思うようになった。

思うようになった、というのは正確ではないかもしれない。初めて会った
時から、女の子らしくてかわいい人だとは思っていた。そしてどことなく、
別世界の人間のような気もしていた。

重い書籍を何冊も抱えながら、朋子は由加を見る。背伸びするとワンピースの
裾が揺れる。踵が地面につくとどこか甘い香りがふわりと漂う。それになぜか
ほんの少しの緊張を覚えて、朋子は息をのむ。

「……なんか、いい匂いしますね」
「え? わかんないや。金澤さんお腹空いてるの?」

……食べ物の匂いを言ったわけではない。だが、言い直す気にはなれなかった。

「学食近くにあるもんね。そこ夏休みでも開いてるよ」
「ですよね。寄って帰ろうかな」
「今日はカテキョないの?」
「ない日もあるんですよ」

会話は、滑らかに流れていく。
17 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:05
だいぶ打ち解けてきたと思うけれど、気になる部分は残っている。バイトの前後、
友人同士で話しているときと朋子と二人の時では、由加の一人称が違うのだ。

『私』と『由加』というのを普段から使い分けているのだろう。朋子は『私』を
使われる側の人間でしかなく、その事実には少し落胆させられた。

ただのバイト仲間なのだから、友人と扱いが違うのは当然なのかもしれない。
それは判っていた。その上で、どことなくよそよそしさを感じている。

本の背表紙を指でなぞる由加を見る。次に並べるべき場所を探しているのだろう。
第一印象から変わることなく、朋子は由加を真面目な人だと認識している。

朋子も決して不真面目なわけではない。けれど、特に大学に入ってからは明るい
髪色や雰囲気のせいか、真面目な学生に見られている気はしなかった。

「……宮崎さんって、うちのこと苦手だったりします?」
「え? なにいってるの」
「なんとなーく」
「苦手だったらこんなに話せてないよ」

呆れたように笑われて、それもそうかと朋子は思い直す。見かけで人を判断しては
いけません、と教えられたのはいつだっただろうか。
18 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:06
「でも、最初は。苦手ってわけじゃないけど……気後れしてたかな」
「気後れ?」
「だって金澤さん、人気者って感じだし」
「そんなことないですよ」
「そう?」

人気者と言われるとむず痒い。実際、大学に入ってからはそうでもなかった。
けれど高校時代の朋子は客観的に見てもそうだったと言う他ない。

単に、女子高だったからかもしれない。はっきりした目鼻立ちのせいか、
バレンタインのチョコをもらったことは一度や二度ではなかった。
しかし、それも今となっては遠い過去のことでしかない。

朋子が抱えた本から一冊、由加が選び取る。そして請求番号を確認してから
書架に詰め込んでいく。

「けど、話しやすい人で良かった」
「うちも宮崎さんと一緒で良かったです」

滞りなく作業が進んでいるのはひとえに由加のおかげだ。他の人と組んでいたら
お喋りする余裕もなかったかもしれない。楽そうだと思っていたアルバイトは、
意外に重労働だった。
19 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:07
規律に沿った並び方をしていない本を書架から抜いていく。狭い通路に台車を
入れるわけにはいかないから、朋子はそれを腕に抱える。二人ともが両手を塞いで
いては作業をできないから、自然と役割分担ができていた。

紙というのはそれなりに重量のあるもので、ずしりときた。少しよろめくと、
前を歩いていた由加が振り返って困ったような顔をする。

「持たせてばっかりだよね。代わるよ」
「え、いいですよ」

手を伸ばされて、反射的に後ずさる。それでなくとも配架の仕事は由加に頼り切り
なのに、更に労働を強いるのは気が引けた。それに、華奢な由加に重いものを持た
せるのがなんとなく不安だというのもある。

「力仕事は得意なんで」
「でも、悪いよ」

にわかに押し問答になる。朋子としては譲る気はないから、早く終わらせたかった。
そこで一つ思いつき、提案する。それは以前から考えていたことだった。

「じゃあ連絡先教えて下さい」
「そんなの持ってくれなくても教えるし」
「いやいや、そんなわけには」
「もー」

朋子が拒絶を続けると、由加も諦めたのか引き下がった。「ありがとね」言われて、
首を横に振る。感謝しなければいけないのは朋子の方だ。
20 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:07
 
21 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:08
学食の話をしたら本当にお腹が空いてしまった。休暇中でも営業している食堂で
朋子は箸を割る。選んだのは唐揚げ定食。ラーメンにしようかとも思ったが、学食
のそれはあっさりとしすぎていて朋子の好みではない。

黙々と箸を進めていると対面に誰かが座る気配があった。他にも空いている
席はいくらでもある。怪訝に思って朋子が顔を上げると、向かいで愛理がお茶を
飲んでいた。

「どうしたんです?」
「暇つぶし」

次の用事まで時間があるらしい。そうですか、と頷いて朋子は付け合わせの
キャベツを口に入れる。もぐもぐと咀嚼していると、愛理に話しかけられた。

「宮崎ちゃんと仲良くなれたみたいだね」

お茶でキャベツを流し込む。次はご飯に手をつけた。
22 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:09
「一週間もすればちょっとは仲良くなりますよ」
「連絡先まで交換してたし」

由加が携帯電話を鞄に入れっぱなしだと言うので、連絡先を交換できたのは
バイトが終わった後だった。そこを見られたのだろう。

「連絡先交換するくらい普通じゃないですか?」
「これから連絡するの?」
「……たぶん? 過去問とかもらえそうなら」
「うわー、下心ありありだねー」

由加と朋子は学部が違ったが、一年次に受ける一般教養の科目は重なっている。
もちろん愛理もあてにはしているが、あてになる人が多くて困ることはない。
23 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:10
「それにしてもご機嫌だね。気に入っちゃった?」
「……そういう言い方やめてくださいよ」

高校時代も、バレンタインにチョコをもらう度に同じようにからかわれた。
けれど、由加からは連絡先以外に何をもらったというわけでもない。

ご機嫌、と言われて意識する。確かに機嫌は良いかもしれないと思った。
いつもより唐揚げがおいしいからもしれない、と朋子は思う。

「でもあんまり好かれてる気はしないというか。
普通に喋ってはくれるけど、ちょびっと壁を感じますねえ」
「宮崎ちゃんしっかりしてそうだもんね。金澤ちゃんチャラいもんね」
「チャラくないっすよ」

わざとおどけて返事をしてみると、肩を竦められる。気にせず朋子は
話を続けた。
24 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:12
「でも髪は染め直そうかなあ。見た目だけでも落ち着きたい」
「あー、今明るいもんねえ」
「……それが怖いのかな。なんかいつも困った顔してるし」
「宮崎ちゃん? 顔はいつもだよ。困ってないって本人も言ってた」
「そうなんですか?」
「にしてもやっぱり話がそっち行くじゃん。気に入ったんだね」
「だからそういうんじゃなくて……」

いい加減うんざりしてきた。最後の唐揚げに手をつける。愛理はテーブルに
肘をついた。

「気に入ったっていうか、気に入られないのが
気にくわないんでしょ? だから気になる」
「……もう一回言ってください」
「自分のことを好きにならない人が嫌い」

要約してもらうと判りやすかったが、愛理の中で朋子はどういう人物像になって
いるのだろう。
25 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:13
「それうち最低じゃないですか。もっと真人間ですよ」
「好かれるのに慣れすぎてる、って意味だよ」

壁時計を見上げて、愛理が立ち上がった。暇つぶしの時間は終わりらしい。

「うまくいくことを願ってるよ」
「だからなんでそういう……」

ばいばい、と手を振られ、つい同じように返してしまう。去って行く後ろ姿を
眺めて、朋子はお茶を飲む。

由加のことを気に入っているかと言われても、嫌いではないとしか答えられない。
いや、と朋子は考え直す。優しいし話しやすいし、むしろ好きだと思った。

当然、嫌われるよりは好かれたい。ただ、いわゆる友チョコ以外のチョコレートを
もらいたいかと言われると、特にそうは思わなかった。

立ち上がってトレイを持ち上げる。今日はバイトがない。帰ってからも夕食がある。
今晩のメニューは何だろうかと思った。
26 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:13
 
   ◇ ◇ ◇
 
27 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:15
「髪黒くしたんだ?」

集合場所で散々友人にいじられた後で、由加からも意外そうに言われた。
台車を押しながら、朋子は自分の肩にかかった髪を見る。高校卒業以来だから
まだ半年程度ではあるけれど、自身の黒髪を見るのはとてつもなく久しぶりの
ような気がした。

「はい。……似合いませんか?」
「似合ってるよ。かわいい」

屈託のない笑顔とともに言われると、なんだか照れてしまう。心なしか顔が熱く
なっているようにも感じた。「どうも」ぎこちなく返事をすると、また笑われる。

「かわいいなんて言われ慣れているでしょ?」
「いえ、そんな……」

少なくとも由加に言われたのは初めてだった。動揺の理由はそこにあると朋子は
思う。手のひらで頬を覆うと、体温が融け合ってどちらが熱いのか判らなくなる。

熱さから気を紛らわせたくて、仕事に集中する。両手で押していた台車を隅に置き、
ストッパーを掛けた。本を数冊選び抜いて朋子がそれを腕に抱えると、由加は
申し訳なさそうな顔をする。やはり、朋子ばかりが本を運んでいることを気にして
いるらしい。
28 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:16
「急にどうしたの? 就活……じゃないよね、まだ」
「まあ、なんとなく」
「黒染めしたら後が大変そう」
「ですよねー。失敗したかな」
「かわいいからいいんじゃない?」
「…………」

ひょこりと顔を覗き込まれた。これはきっとからかわれている。朋子はそう決め
つけようとしたけれど、由加があまりにも邪気のない顔をしていてどちらとも
判断がつけられなかった。

「……まあ、そうですね。結構気に入ってます」

もちろん自分の髪色のことだった。「かわいいよ」もう一度言われて、今度は
手が塞がっているせいで頬に触れるわけにもいかなかった。
29 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:18
今日も黙々と本を並べる。通路に利用者がいるときは別の書架へと移らなければ
ならないし、なかなか思う通りには進めない。

それでもなんとか作業を続け、始めに両手に抱えた分を配架し終えた。今度は
ばらばらに並べられた本を順序よく整えようということになり、二人それぞれ
仕事を進める。

書架に詰められた本は判型が揃えられているわけではない。あくまでも内容の
分類が優先だからだ。背の高さが違う本を隣同士に並べると、釣り合わない、
という言葉が頭をよぎった。

朋子も幾分か慣れてきて、由加ほどではないにしても仕事をこなすのが速くなった。
そして、それぞれ端から作業を進めたから、書架の真ん中で合流することになる。

目の高さにある本を人差し指で抜き出そうとしたら、そこに指が重なった。
はっとして隣を見る。同じ本に手を伸ばしていた由加が、照れくさそうに笑った。

「ドラマみたいになっちゃったね」

朋子が呆けていると、由加がその本を手に取った。

「……そうですね。びっくりした」
「恋が始まるところだったね」

冗談で言っているのだろう。由加は手に取った本を正しい位置へと並び替える。
奇しくも小説の書架だった。現実は、小説と同じくらいに不思議なことが起こる。
30 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:19
「後期から一人暮らし始めるんだよね?」

そう言う由加は、指が触れたことなど気にした風もなかった。一瞬でもどきりと
してしまった自分が馬鹿らしい。緊張を吐き出すように、言葉を口にする。

「そうなんですけど、荷造りがなかなか終わらなくて」
「大変だねえ」
「まあ取りあえず必要なものだけ運べばいいかなーってとこもあって」
「そうだね。遠いけど近いし」

由加は石川から出てきたらしい。都内に出るとなると、とりあえず、で済ますには
距離がありすぎる。それに比べれば、埼玉から出てくるだけの自分の苦労は大した
ものではないと思った。

小説を一通り配架し終えて、また部屋の隅へと戻る。今度は由加が台車を押して
くれた。毛足の短い絨毯敷きの館内では、車輪が音を立てることもない。
31 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:20
「この辺りに越してくるんでしょ。少し案内しようか?」
「え、いいんですか」
「うん。私もそこまで詳しいわけじゃないけど」

台車を止め、再びストッパーを掛ける。朋子は本を持ち上げる。由加はやはり
すまなそうな顔をして一冊だけ手に取った。案内しようかという提案は、いつも
力仕事をしている朋子への礼のつもりなのかもしれないと思った。

「いつがいい?」
「宮崎さんが都合良い日に」
「えー? 金澤さんもバイトの都合とかあるでしょ。いつ空いてる?」
「うーん……だったら、今日空いてますけど」

家庭教師先の生徒が旅行中で、今週のバイトは丸々休みだった。急に言っても
無理だろうなと朋子が思っていると、それに反してこくりと由加は頷いた。

「じゃ、これ終わってから行こうか」

由加がそう言うのならば、朋子に異存はない。
32 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:20
 
33 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:22
バイトを終えて、二人で図書館を出た。愛理ににやにやと見送られたような気が
したのはきっと気のせいだと思う。

屋外は相変わらずの暑さだった。八月の後半、盆を過ぎてもまだまだ涼しくなり
そうな雰囲気はない。心なしか、歩いている学生らもぐったりして見えた。

「そういえば、親戚の家っていとこがいるんだけどね。金澤さんと同じ高校みたい」
「え、そうなんですか」
「うん。いま高一だからかぶってないとは思うけど」

メインストリートを抜け、正門まで続く坂を下る。この坂が長い。駅から校舎に
たどり着くまでに何度泣かされたことだろう。

「写真見る?」

見てもきっと知らないとは思うが、断る理由もないので見せてもらった。写真の
女の子は由加に似ているわけではなかったけれど、年齢に比して幼く見えると
いうのは共通しているように思えた。

「かわいいですね」
「でしょ?」

……親馬鹿ならぬ、従妹馬鹿なのかもしれない。
しかし、否定する理由もなかったから朋子は黙っておく。
34 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:23
朋子の引っ越し先と由加の下宿先はそう遠くない位置にあるようだった。坂を下り
きって、雑然とした駅前に出る。踏切を渡って駅の向こうに回ると、閑静な通りへと
繋がっていた。

「駅のこっち側ってあんまり来たことないんですよね」
「まあ、用事ないとここまで来ないよねえ」

閑静な、と言っても何もないという意味ではない。駅前のロータリーの周囲には
コンビニや花屋、美容院など様々な店が並んでいた。その中にアイスを売る店も
あって、それを由加は強調する。きっと好きなのだろう。

日差しが熱い。髪を黒くしたせいか尚更そう思えた。庇をつくるように手をかざすと
幾分かましになったけれど、それでも眩しさは抑えられない。隣を歩く由加も暑いのか
頬を上気させてぱたぱたと手で扇いでいる。

由加から目を逸らして、朋子は周囲を見渡した。医療ビルやレストランらしき建物、
見知ったショッピングセンターの看板がある。
35 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:24
「そこのスーパーがおすすめ」

建物のひとつを指して、由加は主婦のようなことを言う。とはいえ、一人暮らしに
スーパーは必要だ。

「買い物とかするんですか?」
「食料品? たまにするよ。ご飯つくったりもするし」

佳林ちゃんが食べてくれるから、と由加は続ける。突然出された名前に朋子が
きょとんとしていると、「従妹の名前」と由加が慌てたように付け加える。

「ご両親の帰り遅いから」

訊けば従妹は一人っ子だという。きっと由加は姉代わりのような存在なのだろう
と朋子は思った。
36 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:25
「買い物するなら荷物持ちしますよ」

言うと、由加は困ったように笑う。どこに来ても結局は荷物運びばかりになりそう
なのを気遣われたのかもしれない。

「今日はしないからいいよ。でもありがとう」

駅から徐々に遠ざかる。店は駅前に集中しているらしく、この辺りになると
もう案内してもらう必要はないかもしれない。引き返そうか、と言われて、
一人で帰ろうとしたら由加も一緒に踵を返した。少し行くと、先ほど勧められた
ばかりのスーパーが目に入る。

「アイス買ったら怒られるかなあ……」

ぽつりと洩らされたのは独り言だったのか。反応すべきか朋子が迷っていると、
由加ははっとしたような顔をする。それを見て、朋子は話を引き継いだ。

「怒られないんじゃないですか、アイスくらい」
「うーん。食べ過ぎって言われるんだよね」

少しは控えた方が良いのではないかと、高校一年生の従妹に注意されるらしい。
話を聞いてみると、由加は一日でファミリーパックを一箱食べきるそうだ。
……それは、注意ではなく心配されていると言うのではないだろうか。
37 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:26
「買わない方が良いと思います」
「えー」
「暑いし溶けちゃいますよ」

朋子が諫めると、由加は残念そうに肩を落とす。本当は朋子の言うことを聞く必要は
ないはずだけれど、素直に諦めてくれたようだった。

車道をバスが行き過ぎる。その排気音に紛れてしまわないように二人は言葉を交わす。
バイト中にも話しはするけれど、それはいつも小声だったからはっきりとした由加の
声を聞くのは新鮮な気がした。

「宮崎さんてこんな声だったんですね」
「え?」
「いつも小っちゃい声でしか話さないから」

寝る前に聞いたらよく眠れそうな、落ち着いた声音だと思った。朋子の言葉に
由加はぱちりと瞬きをして、それから笑った。
38 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:27
「金澤さんは良い声だなーって私はずっと思ってたよ?」
「いやいや。宮崎さんはかわいい声ですね」
「無理に褒めてくれなくていいって」
「ほんとに思ってますって」

話しながら歩いているうちに、駅前のロータリーに舞い戻る。朋子はここから
電車に乗るけれど、由加はまた歩いて帰らなければならない。

「すみません、ここまで来てもらっちゃって」
「ううん。運動不足だし」
「案内、ありがとうございました」
「いえいえ」

ではまたバイトで、と言おうとして、不意に言葉に詰まった。そのせいで不自然に
黙ってしまい、きょとんとした顔で見られる。何かを言わなければと思い、別れの
挨拶の代わりに朋子は一つ提案した。

「……暑いし、アイス食べて帰りません?」

こんなことを思いついたのは、きっと暑さのせいだ。由加が嬉しそうに頷いて、
その顔をかわいいと思った。
39 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:27
 
   ◇ ◇ ◇
 
40 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:28
九月になり、あっという間に十月が目前に迫っていた。このアルバイトも今日が
最後だと思うと感慨深いものがある。

集合場所には五分前に着いた。すでに集まっていた友人に呼ばれて、朋子はその
輪に入る。少し離れたところで由加も友人と一緒にいて楽しげに、けれど小声で
お喋りをしていた。

結局は由加の一人称は変わらないままだった。それに、友人同士では気安く
下の名前で呼ばれているけれど、当然のように朋子は今も名字で呼んでいる。

初めから判っていた、というよりそれが自然だ。このバイトが終わってしまえば
関係は切れてしまうだろう。すれ違った時に挨拶するくらいの仲にはなるかも
しれないが、きっと連絡先も使わないままに埋もれてしまうに違いない。

愛理に言われたことを思い出す。気に入られないのが気にくわない。だから気になる。
そういうわけではなかったけれど、ここで関わりが失われてしまうのは少しだけ
残念だと思った。
41 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:29
 
42 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:30
最終日の今日、仕事は残りわずかだった。ゆっくりと書架に本を並べても時間は
余ってしまいそうだ。事実、二人はいま必要以上に丁寧に本を扱っている。

「あっという間だったね」

由加がぽつりと洩らし、その隣で朋子は頷く。長いと思っていた夏期休暇はもう
終わりが見えている。残りの数日で引っ越しをして、それからすぐに新学期だ。

一人暮らしも初めのうちは慣れないかもしれない。今後のことを思うと気にすべき
ことは山ほどあった。そのすべてを上手くこなせるだろうかと、朋子は思う。

もう台車を使う必要もなかった。一度確認した書架をまた見に行って、乱れていれば
整える。今や仕事は終わったも同然で、手持ち無沙汰だった。だからつい考えごとを
していて、気が緩んだのかもしれない。
43 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:31
「ねえ、由加ちゃん」

朋子の言葉を受けて、由加がきょとんとする。その理由が一瞬判らなかったけれど、
すぐに、いつもと違う呼び名を使ったことに気付いた。先ほど集合場所で由加が
友人と話しているのを聞いていて、耳に残っていたのかもしれない。

「あー……すみません。みんながそう呼んでるから、つい」
「ううん。下の名前でいいよ」

由加は気を悪くした様子もなく笑い、それに安心して朋子も笑みを返す。今日一日
だけしか使えない呼び名だろうと思うともったいない気もしたが、特別感があって
それはそれで良いかもしれない。

「今更だけど、敬語も使わなくていいし。……言うの遅かったね」

タイミング逃しちゃって、と申し訳なさそうに言われた。朋子は首を横に振る。
敬語を使っていても充分に楽しく話せていたから、気にならなかった。

初めは間を持たせるための会話だった。それをいつからか楽しいと思うように
なっていた。その理由は曖昧で、朋子にもよく判っていない。
44 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:31
「ね、私も下の名前で呼んで良い?」
「もちろんです」

もう作業する手は止まっていた。フロアにはひとけがなく、広い空間に二人きりだ。
少しくらいお喋りしても誰にも迷惑はかからないだろう。そのせいか、由加の声は
抑えられていなかった。

「とも」

落ち着いた声で、名前を呼ばれただけだった。それなのに息が詰まって、苦しくなる。
気付かれないように深呼吸をして、「はい」と短く返事をする。

「なんか照れちゃうね」

そう言って、由加は笑った。
45 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:32
 
46 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:33
規定の時間まではまだ余裕があるのに、あまりにもすることがなかった。相談の末に
職員に声をかけると、もう帰っても良いと言われた。

二人だけが仕事から解放される。やはり由加のおかげでこの組み合わせは作業が
随分と速かったらしい。

静かな館内で辺りを見渡した。アルバイトの学生は別のフロアにいるのか、利用者の
姿しか見えない。バイト帰りに遊ぼうと約束していた友人はどこにいるのか、探した
ところで仕方ない。向こうの仕事が終わるまで待たなければならないのは明白だった。

「もう帰ります?」
「うん。あと、敬語使わなくて良いってば」
「あ、つい」

癖が簡単に抜けるわけもない。「ごめん」謝ると、由加は苦笑する。カウンターの
近くにいたままだったから、職員にちらりと睨まれる。お喋りは控えるように、と
いう牽制だ。
47 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:34
また明後日、でも三日後でもない。週に三日会えていたのはバイトが一緒だからで、
たまたま組み合わせの運があったからだ。

「由加たち優秀だったね」
「だね。早く終わっちゃった」

ただのアルバイト、ただの労働だ。それ以外には連絡先を交換したのと駅前を
案内してもらっただけで、他には何もない。それなのに、これほど名残惜しく
感じるのはなぜだろう。

「ありがとう。楽しかった」
「うちも、楽しかったです」

また敬語を使ってしまってちぐはぐになり、苦笑された。友人を待たないと
いけないと朋子が言うと、図書館は涼しいから良いねと返される。

わざわざ暑い外で待つ理由はない。朋子は館内に留まるけれど由加が帰らない
理由もなくて、互いに小さく手を振った。

「それじゃあ」
「うん。またね」

また、会うことがあるのだろうか。
ありきたりな別れの挨拶に、そう思った。
48 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:36
由加の後ろ姿を見送った。ガラスの自動ドアが開いて、閉じる。どこか席に
ついて友人を待っているつもりだった。それなのに出入り口に足が向いて
しまったのは、ただの気まぐれだと思いたかった。

外に出ると、まだ夏を感じられた。眩しい光の下で小走りに由加を追いかける。
蝉の声がうるさく、そろそろ夕方だというのに太陽が沈む気配もない。

下の名前で呼びかけると、驚いたように振り返られた。大した距離を走ったわけ
でもないのに脈が速くなる。それは運動ではなく緊張のせいだったけれど、朋子は
気付かないふりをした。

「どうしたの?」

由加が不思議そうに首を傾げる。今は静かなキャンパスも、あと数日経てば人が
溢れる。その中で、由加の姿を見つけられるだろうかと思った。

今日で終わりにするのは惜しい。そう感じるのはきっと図書館でのお喋りが楽し
かったからだ。落ち着いた声をまた聴きたいと思うのはそれが耳に心地良いからで、
気に入ったからだとか、そういった感情とは無関係だと思いたかった。

けれど、たとえ細い糸のようなものだったとしても。
せっかく繋がった関係を、ここで失うのは嫌だと思った。
49 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:38
「……また、今度。アイス食べにいかない?」

季節は夏から秋へと移る。もっと気の利いた誘い文句があれば良かったのに、
他には思いつかなかった。由加が顔をほころばせる。ふわりと浮かべられた
その笑みを、まだ見ていたいと思った。

「うん。また連絡するね」

顔の火照りは夏の暑さからくるもので、他の理由はきっと何もない。
由加が踵を返す。揺れるワンピースの裾を見て、いつかのことを思い出した。
黒く染め直した自分の髪を見る。似合っていると言われたときのことを想起した。

背中を見送っていると、もう一度由加が振り返る。
早く図書館に戻ればいいのにそれが出来なくて、朋子は大きく手を振った。
 
 
 
 
 
50 :出口はどこかへの入口 :2014/11/16(日) 18:38
 
51 :名無飼育さん :2014/11/16(日) 18:38
 
52 :名無飼育さん :2014/11/16(日) 18:39
>>3-49
出口はどこかへの入口
53 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:27
 
54 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:27
落ち葉を踏むと、乾いた音が立つ。季節はすっかり夏から秋へと移り、新学期が
始まってからしばらくが経っていた。朝の空気は澄んでいる。そろそろ吐く息が
白くなるかもしれない。

少し見慣れてきた街並みの中、朋子はとある一軒家の前で足を止める。時計を見ると
ちょうど待ち合わせ時間になったところで、顔を上げると同時に玄関のドアが開いた。

「おはよう」

眠気から覚めきっていなかった頭に、由加の声が染みいる。「おはよ」あくびまじり
に返すと、由加はぱたぱたと朋子の隣にやって来た。大学生にもなって誰かと待ち合
わせして登校することになるとは思わなかったけれど、約束のおかげで起きる気力が
湧いたのは確かだった。

「ちゃんと勉強した?」
「したした。ばっちりですよ」

朝一番の講義で小テストがある、と朋子が言ったのがきっかけで、それなら一緒に
行こうと言い出したのは由加だった。もちろんこれは今日に限ったことで、普段は
それぞれで登校している。
55 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:28
この街に越してきてから幾分か時が経ち、新たな通学路にも慣れてきた。この時間
から由加と並んで歩くのには不思議さを感じるけれど、学校帰りに一緒に出かけた
ことはもう何度かあったから、おかしくは思わなかった。

駅前に至り、アイス屋の前を通る。由加とは二度、ここに来たことがあった。
一度はこの辺りを案内してもらったときで、その次は図書館でのアルバイト期間
よりも後だった。

また連絡する、という由加の言葉は社交辞令ではなく、誘いのメールはすぐに来た。
それから二人は、友人のような関係を続けている。
56 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:29
踏切を渡って学校側の駅前に出ると、にわかに人が多くなった。校舎へと続く
長い坂が目に入り、朋子は溜息をつく。毎朝この光景を見る度に、気が滅入り
そうになった。

とはいえ、この坂を通るほかに道はない。歩みが遅くなりそうなのを由加に
励まされながら、朋子は足を進める。その隣をゆっくりと歩きながら、由加は
ふと思い出したように言った。

「あのね。図書館のバイト、続けないかって誘われたんだ」

そうなんだ、と朋子は返す。確かに由加の仕事ぶりを知っていれば、手放すのは
惜しくなっても仕方ない。あの手のバイトをやりたがる本好きはいくらでもいる
だろうに、職員は随分と目が高いなと朋子は思った。

「でね。とも、一緒にしない?」
「へ?」

思わぬ話を振られて、気の抜けた声が出る。それが可笑しかったのか由加は
少し笑って、それから話を続けた。

「二人でって言われたんだけど。慣れてる人がいいかなーって」

訊けば、待遇はそう悪くないらしい。週に二日、一回三時間。といってもこれは
書類上の契約で、まとめて三時間の作業をせずとも授業の空き時間で分割しても
良いらしかった。更に試験前には休んでいいだとか、これほどの好待遇はなさそうな
バイトである。
57 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:30
「いいねえ。でも全部を一緒には出来ないよね?」
「それでもいいらしいよ。どうかな?」

ちょこんと由加が首を傾げる。やる、と即答したのは、楽そうだと思ったから
だった。前回のバイトの時もそう思ったなと振り返り、歴史は繰り返すという
言葉を朋子は想起する。

話しながら半ばまで登坂したものの、先は長い。講義開始までの時間にはまだ
余裕があるものの、いつまでもだらだらと歩いているわけにはいかない。それは
判っていたけれど、朋子は弱音を吐く。

「もうだめだ。由加ちゃん先に行って」
「由加、今日二限からだから急いでないし」
「え、マジで?」

てっきり一限目から講義が入っているから一緒に登校してくれているのだと
思っていた。朋子が申し訳なく思っていると、「バイトだから」と由加は言う。
さっそく、図書館のアルバイトに行くらしい。

「ほら、行くよ」

手を握られて、引っ張られる。触れた肌はさらさらとしていて心地良く、思わず
朋子も力を込めた。
58 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:30
 
59 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:31
放課後の誰もいない講義室で、朋子は頭を抱える。つい引き受けてしまったものの、
由加と同じアルバイトを続けても良かったのだろうか。

一緒にいる時間を気に入っているのは、単純に楽しいからだった。だから、時々
遊ぶ以外に関わりが出来たとしてもなんら不都合はない。ただ、それを危うく
思っているのも自覚していた。

大きく息を吐いて、席を立つ。仲良くなりすぎるのを恐れるのはなぜだろうかと、
考えようとしてやめた。バイトも常に一緒に作業をするわけではないし、わりの
いい仕事を見つけられたのを感謝することにして、それ以上は何も思わないように
する。

講義棟から出ると、乾いた風が吹きすさぶ。足元でかさかさと枯れ葉が音を立て、
朋子はそれを蹴り飛ばす。幸い帰り道は下り坂だ。早く帰ってしまおうと、朋子は
足早に道を行く。
60 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:31
風の強さに辟易して目を眇めると、見慣れないものが視界に入った。だが朋子は
すぐに思い直す。その制服は半年前まで朋子が着ていたものと同じだったから、
むしろ見慣れていた。

学内に高校生がいるのはそう珍しいことではない。入学を志して見学に来る生徒は
それなりにいる。けれど、夏休み時期でもない平日に一人でやって来るのはあまり
見かけない光景だ。

そして気に留まったのは制服のせいだけではなかった。不安げにしている女の子の
顔はどこか見覚えがあって、朋子は記憶を辿る。

黒髪のショートカット、黒目がちで大きな瞳。しばらく考えてみると、制服と見覚え
のある彼女と、由加が結びついた。

不躾ではないにしても、制服の女子高生には視線が集まっている。存在に気付いて
いて放っておくつもりにはなれず、朋子は彼女に声をかけた。

「もしかして。佳林ちゃん?」

突然話しかけられて驚いたのか、彼女はびくりと身を震わせる。道端でいきなり
自分の名前を呼ばれれば警戒もするだろう。遅れてそれに思い至って、朋子は
慌てて弁解する。
61 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:32
「うちは由加ちゃんの」

由加の名前を出せばなんとかなると思ったのものの、なんと自称すればいいのか
迷った。友達と言っていいのだろうかと、つかの間逡巡する。彼女は、用心すると
いうよりはきょとんとした顔をした。

「……後輩、なんだけど」

ゆっくりと、朋子は当たり障りのない表現を選んだ。この学内にいる約四分の一は
由加の後輩にあたるという理屈に彼女が気付いているかは判らなかったけれど、
こくりと頷かれる。

「写真見せてもらったことがあって、えーっと。……怪しいものではありません」

従妹の写真だと見せられたのを思い出していた。何を言うべきか迷った末に口から
出たのは自己紹介に似たものだったけれど、不審者が自ら不審者と名乗ることは
まずあり得ない。けれど疑われてはいないのかまたこくりと頷かれ、朋子は問いかける。

「どうしたの?」

学内の見学に来たのだというのなら少しは案内してやれるし、他の理由でも手助け
できることがあれば手を貸そうと思った。躊躇ったような間の後に、佳林はぽつりと
言葉を零す。

「鍵、家に忘れちゃって」

由加の下宿先の子だとすれば、当然同じ型の鍵を使っているのだろう。どうやら
由加を探しに来たらしいと判り、朋子は頭を掻く。
62 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:33
「連絡とれた? まだ授業中かも……」
「かなざわ、さん」
「ん?」

慌てていたせいで朋子はまだ名乗っていなかった。それなのに名前を呼ばれたことを
怪訝に思っていると、それが声と表情に出ていたのか今度は佳林がばたばたと話し出す。

「私、同じ高校で」
「うん」
「中学のときから知ってます」

そう言われて合点がいった。朋子が通っていた高校は中高一貫校だ。朋子自身は
高校から入学した外部生だけれど、きっと佳林は中学からの内部生なのだろう。
学年は三つ違うと由加は言っていたから、それなら校内にいた期間は重なっている。

とはいえ、それなりに生徒数は多かった。その中で中学生に知られていたとなると、
自惚れてしまいそうになる。実際、知られていたことをそう不思議に思えないの
だから仕方ない。高校時代の朋子は、そういった立場だった。

由加の知り合いだというのと、顔と名前だけでも知っている人に会えたというので
佳林も安心したのだろう。幾分か表情は和らいで、それに朋子もほっとした。
63 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:34
「もしかして図書館のバイトの人って、金澤さんですか?」
「え? 家で由加ちゃんうちの話してるの?」
「はい、少し。金澤さんのことだとは思わなかったんですけど。
でも由加ちゃんが後輩の人の話するの、バイトの人だけだったから」

安堵からか、佳林は饒舌になる。怯えられるよりは良いから朋子も微笑んだ
けれど、すぐに本来の目的を思い出す。少し身を屈めて、佳林と目線を合わせた。

「由加ちゃんすぐ来てくれそう?」
「あ、いえ、まだ……。でも待ってます」

連絡は取れたらしいが、由加は授業を抜けられないという。きっと必修の講義か
何かだろう。どうも由加は佳林を溺愛しているようだから、どうでもいい授業なら
途中退出してでも来そうなものだ。

「お茶でもして待ってよっか」

時計を見るとまだ講義の終了時刻まで三十分以上もある。寒空の下、制服の
女子高生を放り出して帰るのは気が引けるし、由加の従妹だとなると尚更だった。

道を挟んですぐ向かいにあるカフェテリアを指さすと、佳林は迷ったような顔をする。
けれど朋子が促すとこくりと頷いて、照れくさそうに笑った。
64 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:35
 
65 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:35
「すみません、ごちそうになっちゃって」
「いいのいいの。バイトしてるしわりとリッチだから」

家庭教師のバイトは時給が良い。そして由加から紹介された図書館での仕事も
あるから、佳林にケーキを一つ奢ってやるくらいの余裕はあった。申し訳なさそう
にする佳林に微笑みかけて、朋子もケーキにフォークを差し入れる。

同じ高校に通っていたからか、心配したほどではなく会話は弾んだ。教師の
噂話や行事の話で盛り上がり、訊けば、佳林は演劇部に所属していると言う。
何も部活動に参加していなかった朋子からすると、それだけで輝かしく思えた。

「今日、演劇部の練習で朝早くって。ばたばたしてたら鍵忘れてたみたいです」

そろそろ高校の文化祭だ。朋子が通っていた頃も演劇部は何か公演を打っていた
記憶がある。一度実行委員をしたことがあるから、多少は事情を把握していた。

ちらりと時計を確認すると、講義の終了時刻が迫っている。二人の共通の話題と
言えば高校か由加くらいのもので、朋子はまだ話していない方について尋ねる。
66 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:36
「由加ちゃんって家でどんな風?」

訊いたのは、単なる好奇心からだった。外での様子しか知らない朋子からすると
下宿先での由加がどう過ごしているのかは興味がある。

「優しいです。ご飯作ってくれたり、朝起こしてくれたり」
「……ああ、なんか想像つくなあ」

食料品の買い物をすることもあると言っていたし、今朝は朋子を学校まで連れて
来た。優しい、という佳林の言葉はどこまでも正直なものだろう。

朋子が普段の由加を想像していると、急に佳林が立ち上がった。朋子もその視線の
先へと振り返る。どうやらお迎えが来たらしく、やはり佳林も由加が来てくれるのを
待ち遠しく思っていたのだろう。

「佳林ちゃんごめんね!」

急いで来たのか、由加は少し息を切らしていた。佳林は首を横に振り、ごめんねと
同じように返す。従姉妹同士の感動の再会を横目に、朋子はお茶に口をつけた。

ゆっくりと飲みながらしばらく待った。もしや存在を忘れられていないかと不安に
なったところで、二人のやり取りも落ち着いたのか、由加から礼を言われる。

「とも、ありがとう」
「うん?」
「一緒にいるって聞いて、安心した」

佳林と一緒にいるというのは朋子からも連絡していた。すっかり安堵したような
表情で言われると朋子の側も照れくさくなってしまい、ついそっけなく返してしまう。

「大したことしてないよ」

朋子の言葉に、由加はふわりと笑った。
今日はこのまま三人で帰ることが出来るのかもしれないと思うと、
なぜか少し嬉しくなった。
67 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:37
 
   ◇ ◇ ◇
 
68 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:38
「佳林ちゃんが今度お礼したいって」
「お礼って……別にいいよ」

図書館の書庫で本の仕分けをしていた。その埃っぽさに辟易して以来マスクをして
いるせいで、由加の声も少しくぐもって聞こえる。きちんと分類できているかを
確かめながら作業をしているせいか、進捗はあまり良くなかった。

礼をされるほどのことはしていないと朋子は思うけれど、佳林としてはそうも
いかないらしい。そのうち必ず、と由加は言付けを預かってきたそうだ。律儀な
高校生もいるものである。

「あと、それとは別件で」
「ん?」
「ここに文化祭のチケットが二枚。あ、鞄にあるんだけど」

由加はわざわざ言い直す。文化祭のチケットと言われて朋子が思い出すのは高校
時代だ。保護者や他校の友人が入場するには、生徒から渡されたそれが必要になる。
ただし配布される枚数にも制限があって、そう多くはないはずだった。

由加が言っているのは朋子が思い描いたとおり、佳林の高校の文化祭に入るための
ものらしい。話すのに不便に思ったのか、由加はマスクを顎下まで下げる。

「一緒に行かない?」
「他にあげる人いないの?」
「ご両親は仕事みたいだし」

どさりと由加が本をテーブルに積む。外部生ならば中学が同じだった友人を呼びも
出来るだろうが、佳林は内部生だ。他校の友人というのもそうそういないのだろう。
69 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:39
「えー……」

返事が渋くなったのは、文化祭にあまり良い思い出がないからだった。一度実行委員
をしたときの大変さが脳裏をよぎる。由加はもちろんそんなことは知らないから、
あからさまに残念そうな顔をされた。そこから目を逸らして、朋子も本を積み上げる。

「ちょっとだけど遠いよ?」
「佳林ちゃんは毎日通ってる」

通学圏内ではあるが、決してここから近いわけではない。朋子が断る理由を探して
いると由加はすっかりしゅんとした顔になってしまって、さすがに心が痛んだ。
……もしかすると、マスクを外したのはこれが目的の可能性もある。

大方、行かないと佳林が悲しむとでも思っているのだろう。両親が忙しいというのは
以前も聞いていたし、従姉である由加としては思うところがあるのかもしれない。

意味もなく本をぱらぱらと捲る。由加が何を考えるか、手に取るように判ってしまう
のが恨めしい。一人で行くには荷が重い。けれど卒業生でもある朋子が一緒ならば
安心だと、それくらいの軽さで考えているに違いなかった。

高校が楽しくなかったわけではない。周囲から向けられる視線にうんざりしたことは
あるけれど、今となっては良い思い出だ。ただ、割りきれない思い出も中にはある。

由加の頼みは断りづらかった。なぜか彼女には甘くなる自分を朋子は自覚して
いるけれど、その理由は考えないようにしている。素直に認めるにはまだ早いと、
そう思っている時点で手遅れなのかもしれないが。

「……いいよ。行こっか」

溜息を吐く代わりに朋子が言うと、由加が目を輝かせる。佳林と一緒に由加を待って
いたときのことよりも、こちらの方にお礼をして欲しかった。そう思ってしまうくらいには、
朋子の気は重かった。

文化祭から始まった、苦い思い出がある。未だにそれに縛られているような気がして
ならず、朋子はそんな自分が嫌だった。
70 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:39
 
   ◇ ◇ ◇
 
71 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:40
高校に着いて早々、面倒な視線を浴びることになった。入場受付で記帳している
だけでこそこそと話をされるのは気分が良くない。黄色い声を上げられるのも
大して嬉しくはない。由加もさすがに気付いたのか、申し訳なさそうな顔をされる。

「……だから来るの嫌だったんだ?」
「別に……。由加ちゃんが迷惑でなければうちはいいよ」

あからさまに嫌な顔をするわけにもいかず、周囲に適当に愛想を振りまく。目指し
ているのは体育館だった。午後半ばからの演劇部の出番だけでも観られればいいと
事前に由加に言われていたから、朋子としても多少は気が楽だった。

「すごいね。とも、モテモテだ」

廊下を歩きながら、感心したように言われる。もちろん小声だった。由加は知り合い
がいるわけでもないからかのんきなものである。下級生から話しかけられそうになる
のを朋子はまた適当にあしらって、顔だけは笑ったままで言う。

「卒業生が物珍しいだけだよ」
「ふうん」

由加は信じた風もなく、横から身体をぶつけてくる。それを受けとめながら、
とにかく佳林の演技を見届けたらすぐに帰ろうと朋子は心に決めた。
72 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:41
 
73 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:42
演劇部の公演は朋子の想像以上に本格的だった。カーテンコールまでを終えて
緞帳が下り、客もそれぞれ熱く感想を語っている。

「上手だったねえ」

由加からしても予想以上の出来だったのか、心から驚いているようだった。ヒロ
イン役の佳林は演技が達者なのはもちろん、はまり役でもあったようだ。ドラマ
とも映画とも違う、生の舞台というのに朋子も圧倒されていた。

「相手役の子も美形だったね」
「そうだねー。やっぱり男の子役も女の子がするんだ」
「女子高ですからね」

こんなに出来が良いなら高校時代にもきちんと観ておけば良かったかもしれない、と
朋子は反省する。もちろん、今年だけが傑出の出来なのかもしれなかったが。

思い返せば、高校生活の中でまともに文化祭に参加したのは実行委員をした一年生の
ときだけではないだろうか。それも主に雑用である。仕事の他に多少は展示を見たり
はしたけれど、今になってみれば、やはり惜しいことをしていたのかもしれない。

「じゃあ、帰ろうか」

手を引かれて、我に返る。反応が鈍いのを怪訝に思われたのか由加にまじまじと
見つめられた。せっかく電車で遠路はるばるやって来たのだ。由加も朋子もこの
後は予定がない。そのせいか、不意に気が変わってしまって朋子は提案する。

「……もうちょっとだけ、見ていかない?」
74 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:42
 
75 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:43
人の少ないところを回れば案外快適だった。そもそもが自意識過剰だったのかも
しれないと朋子は考えを改め、同時に由加に対して申し訳なく思う。他校の文化祭が
珍しいのか由加は随分と楽しんでいるようだったし、そもそも彼女は初めから演劇
以外にも見て回りたかったのかもしれない。

袖を引かれて展示を見て回っているうちに、周囲の目線も気にならなくなる。
次に見るべきものを求めて階段を上っているといつの間にか窓から夕日が差し、
踊り場に影を作っていた。そのすべてが懐かしくて、朋子は目を細める。

階段を上りきったところは照明が落とされ、人の気配もなくしんとしていた。どうやら
この階は文化祭では使われていないらしく、三年前もそうだったのを思い出す。

二年生のときに使っていた教室が目の前にあった。誰もいないその部屋に深い
記憶を刺激され、朋子は思わず声を上げてしまう。

「……うわー。懐かしい」

あまりの感慨に動けずにいると、由加に不思議そうな顔をされた。当然彼女には
朋子の考えは判らないだろうから、慌てて説明する。

「ここ、前に使ってたんだよね」
「そうなの?」

もう帰ろうと思った。このままここにいてもきっと良いことはなにもない。
けれど踵を返す前に由加に手を握られ、また動けなくなった。

「ちょっと見ていこうよ」
「……入るの? 見つかったらヤバイかも」
「ともは卒業生なんだから大丈夫」

無責任に言ってのけた由加に手を引かれ、抵抗も出来ずに朋子は渋々ついていく。
人のいない教室はがらんとしていて、広く見えた。
76 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:44
「どこの席だった?」
「そんなの憶えてないよ……」

そもそも何度も席替えをしたのだから、そのすべてを記憶しているわけもない。
由加は適当な椅子を引き出して、それに腰掛ける。朋子は机に軽く寄りかかって
窓の外を見た。

「鈴木さんもここの卒業生なんだよね?」
「うん。そうだよ」

もうすっかり夕暮れ時だ。やはり早く帰らなければと思うのに、なかなか言い出せ
なかった。軽く目を閉じると、この教室での思い出が浮かんでくる。この場所には、
どうしようもないくらいに記憶を刺激される。

「とも、どうやって仲良くなったの?」

愛理は高校の先輩だと、初対面のときに告げていた。だから由加は話題に出して
きたのだろう。閉じていた目を開いて、瞬きをする。純粋に疑問に思っているで
あろう瞳を見ることが出来ずに、朋子は外を眺め続ける。

「部活とかしてなかったんでしょ?」
「……文化祭の実行委員で一緒だったから」

もう三年も前の話だった。この教室は委員の会議をするのにも使っていた。
初めて愛理と顔を合わせたのも、この部屋だった。

思えば、由加と図書整理のバイトを組むようになったのも、実行委員を決めたのも
くじ引きだった。自分はくじ運があるのかないのか、朋子は判らなくなる。

階下の騒がしさが伝わってくる。そろそろ文化祭も終わりなのだろう。佳林に
直接感想を言いたいと思ったけれど、それが叶うのかは判らなかった。お礼は
素晴らしい舞台を魅せてもらっただけで充分だと、そう伝えたかった。
77 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:45
「由加も、ともと同じ高校が良かったなあ」

ぽつりと由加が言い、朋子はそちらを見る。夕焼けが窓から入り、教室を染めている。
その中で、彼女は少し照れくさそうに笑った。

「そしたら、すっごく楽しかったと思う」
「……そう?」
「うん。だって今楽しいもん」

仲良くなれてよかった、と由加は続ける。あのアルバイトがなければ由加と朋子は
知り合うことはなかっただろう。生まれも違えば学部も違う二人はキャンパスの中で
互いに埋もれていたはずで、こうやって高校の文化祭に足を運んでいるはずもなかった。

「……うちも由加ちゃんと一緒にいるの、楽しいよ」

必要以上に情が籠もってしまわないように気をつける。この感情につける名前を
朋子は知っているけれど、それは使いたくなかった。認めずにいられればそれが
一番良いと、朋子は心から思っている。

「これからもよろしくね」

そう言って微笑み、由加は立ち上がった。そのまま彼女に手を取られ、朋子も
真っ直ぐに立つ。その手は少し冷えていたけれど、相変わらず柔らかくて心地
良かった。
78 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:45
手を繋いだままで教室を出る。このまま駅まで行ってもいいかもしれないと朋子は
思ったけれど、階段を下りたところで由加から手を離されてしまった。それを名残
惜しく思ったものの、繋ぎ直す勇気はなかった。

帰り道は夕焼けが綺麗で、思わず見惚れてしまう。夕日に照らされた由加の横顔も、
気付かれないようにそっと見た。

けれど視線を感じたのか由加はこちらを向き、にこりと微笑まれる。頬が熱くなる
のは、きっと夕日を浴びたせいだ。

明日はまた朝一番から講義があるけれど、由加の笑みはそんな憂鬱も吹き飛ばして
くれそうだった。それでもきちんと起きられるかは不安で由加に愚痴ると、一つ提案
される。

「朝、起こしてあげようか?」
「ほんと?」
「電話するよ」

耳に心地良いその声で起こしてもらえるのならば、きっと最高の目覚めになるだろう。
思わず軽くスキップすると、ご機嫌だねと笑われた。
 
 
 
 
 
79 :ジュリエットには早すぎる :2014/11/27(木) 19:48
 
80 :名無飼育さん :2014/11/27(木) 19:49
>>54-78
ジュリエットには早すぎる
81 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:49
 
82 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:50
 
   ◆ ◆ ◆
 
83 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:51
普段は入ることのない二年生の教室に足を踏み入れる。慣れない場所にいるせいか
どこか寒々と感じて、朋子はぶるりと身震いした。徐々に秋めいてきて制服も冬服へと
移行したけれど、気候の寒さ以外は防げない。

その部屋に入ったのは会議のためだった。文化祭の実行委員を務めるような柄では
ないと朋子は自分でも思うけれど、くじ引きの結果なのだから仕方ない。クラスメイトは
冷めているらしく、立候補者がいなかったのだ。

教室で待っていたのは一人だけで、朋子はその人影に向けて頭を下げる。その
人物が誰なのかは名札を見ただけで判った。噂に違わぬ、という言葉がしっくり
くる人だった。

一つ上の学年の才女にして美少女。朋子も話には聞いていた。大袈裟な評判を
受けて不憫な人だと思っていたけれど、決して過大な評価ではなかったらしい。
どこか半信半疑でいた朋子から見ても、彼女はかわいらしい人だった。
84 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:51
「こんにちは。一年生かな?」

微笑まれて、言葉が出なかった。金縛りに遭ったように口が動かなくなり、自分
でも驚いた。彼女が可憐に首を傾げる。その仕草で我に返って、朋子はようやく
名乗ることが出来た。

「一年の、金澤、です」

つたない話し方が面白かったのか、彼女は小さく笑う。かあっと頬が熱くなるのが
判ったけれど、からかわれたわけではないらしい。こちらの緊張をほぐすような
穏やかな声で、彼女は名乗った。

「二年の鈴木です。よろしく」

鈴木、の後に続く名前を、朋子は知っている。愛らしく理知的に見える彼女に、
愛理という名前はしっくりくるように思えた。一歩も動けないままに朋子が
そんな感慨を抱いていると、彼女は悪戯っぽく笑う。
85 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:52
「なーんて言って、金澤さんのことは知ってたんだけどね」
「はあ……」

そう言われたことに驚き半分、納得半分で朋子は曖昧に頷く。それは自分も生徒
たちの間で多少は噂されているのを知っていたからだった。けれど、それでも
愛理ほどではないはずだ。見慣れた造りのはずの教室も、彼女がいるとどこか
違って見える。

「かっこいいって評判だよ?」

普段はそんなことを言われても笑って流してしまう。それなのにそうは出来ずに
口ごもると、照れ屋なんだね、と楽しそうに言われた。今度は小さく否定し、
会話から逃れようと朋子は周囲を見渡す。

もうどこか席についてしまおうと思っていたら、愛理に隣の机を叩かれた。
そこに座れということらしく、渋々それに従うと彼女はにっこりと笑った。
86 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:52
 
   ◆ ◆ ◆
 
87 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:53
実行委員の仕事は約一ヶ月。
しかし昼休みから放課後から、費やされる時間は想像以上に多かった。

学校の備品の使用許可を求めるものや予算を申請するもの、数々の書類が机上に
積まれている。それを目の前にして、朋子は溜息をついた。一つ仕事を片付けた
かと思えば、二つ仕事が増えている。控えめに言っても、ひどい状況だった。

ようやく暖房を効かせることが出来るようになった教室で、その日も朋子は黙々
と手を動かしていた。実行委員も皆が専任だというわけではなく、部活動と兼任
しているメンバーもいる。

そうなると当然帰宅部である朋子らに振られる仕事量が多くなる。不公平だとは
思うものの、ある程度は受け入れざるを得ない。再度、溜息をつく。今日は何時に
帰ろうかと思った。

「お疲れさま」

不意にかけられた言葉とともに、ことりと机に何かが置かれた。そこに目を遣ると
缶の紅茶があって、更に目を上げると愛理の笑みがあった。当初の印象とはうら
はらに彼女はわりとフランクな人物のようで、今も浮かべられたそのへらりとした
笑みに、朋子は小さく頭を下げる。

「……ありがとうございます」
「あたしから、と言いたいところだけど。先生からの差し入れ」

おどけたように言って、愛理は朋子の隣の席に腰を下ろした。
「進んでる?」訊かれて、正直に現況を伝えると、愛理は軽く顔を顰める。

「ほんと終わりが見えないねえ。金澤さん仕事速いのに」
「いやいや。そんなことないですけど」

仕事が速いかどうかは別にしても、愛理の指摘通りこの仕事の終わりは見えない。
時計を見ると定められた下校時刻が迫っていた。残った作業は明日に回すしかない。
88 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:54
「今日はここまでにして、帰ろうか」

愛理の言葉に頷いて、朋子は書類を整える。まだ温かい紅茶はブレザーのポケットに
入れた。帰り支度をして、愛理が施錠する。いつの間にか教室には二人だけになって
いたらしい。

職員室に鍵を返し、靴を履き替える。行き先は同じ駅だったから自然と肩を並べて
歩くことになり、朋子はそれを不思議に思った。噂になるほどの有名人と、親しい
わけではないけれど言葉を交わすようになる。入学当初に愛理の存在を聞かされて
いたときには、思いもしなかった展開だ。

季節柄かもう随分と暗くなり、車道を走る車のヘッドライトが眩しい。ポケットの中の
缶が冷えていくのが、触らなくても判った。帰り道だというのに結局は打ち合わせ
じみた会話をしていると、ふと街灯の下で愛理が笑う。

「金澤さんも、大変だね」

言われた言葉に、頷いた。「鈴木さんも大変じゃないですか」仕事のことだと思って
返すと、首を横に振られた。
89 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:55
「ずーっと見られてるの、嫌じゃない?」

仕事の話ではないらしい。愛理が言っているのは、普段から向けられている好奇の
目のことだろう。それを浴びるのには慣れていたけれど、初めのうちは快かった
それらの視線も、時が経つにつれて煩わしく感じるようになってしまった。

たとえそれが好意の眼差しであっても、一方的な矢印を向けられ続けるのは面倒な
ことこの上なかった。愛理もそれは一緒なのか、共犯者のような気配を感じる。

歩道で、違う制服を着た高校生とすれ違う。視線を感じたのは気のせいだろうか。
冷たい風が吹いてきて、朋子は肩を竦めた。

「……見てるくらいなら仕事手伝って欲しいですよねー」

謙遜する気になれなかったのは、相手が愛理だったせいかもしれない。彼女は
それこそ朋子よりも周囲に注目されているだろう。今まで姿を見かけたことも、
探そうともしなかった朋子は相当異端のはずだ。

あらためて、女子高というのは特殊な環境だと思う。数年もすれば忘れられて
しまうであろう感傷を、ぶつけられる側の気持ちにもなって欲しかった。

愛理の笑い声がする。調子に乗るなとも思い上がるなとも言われなかったことに
安心して彼女の横顔を盗み見ると、その唇が開かれた。
90 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:56
「お似合いだから邪魔しづらい、だってさ」
「は?」

とつぜん意味の取れない言葉をかけられて、素っ頓狂な声がでる。
「なにがお似合いなんですか」朋子が訊くと、愛理は可笑しそうな顔をした。

「あたしと、金澤さんが」

そう言って、自分と朋子を交互に指さす。その仕草は滑らかで、芝居を観ている
ようだった。愛理が吹き出し、ぽかんとしていた朋子もそれで我に返る。

「じゃあ、邪魔しづらい、ってなんですか」
「仕事をだよ。ひどいよねー」

愛理はいかにも可笑しい、といった様子でけたけたと笑う。
他の人が真面目にやるならサボりたいのはこちらの方だ。朋子が真面目な顔をして
そう言うと、呆れたような顔をされた。

手伝おうとしてくれる人もいるはいるが、下心が透けて見えてやりにくい人も多い。
結局は一人でするか、愛理と一緒に作業をするのが効率が良くなっていた。それが
周囲にしてみれば、『お似合い』だと目に映るのかもしれない。

駅が見えてきた。その周囲だけが明るさに浮いているように目立っていて、人も
集まっている。確か電車は逆方向だ。このお喋りが終わってしまうのは、惜しいと
思った。

けれど、もう少し話しましょうなどとは言えない。すっかり暗くなってきたし、
そう提案できるほど親しくはないと思った。代わりに、朋子は会話を総括する。

「……いやあ、女子高って怖いですねえ」
「だよねー。モテ期がここで終わっちゃうよ」

端から見れば鼻持ちならない会話だろう。けれどこういった話を忌憚なくできる
相手というのはそうそういない。二人とも、この話題について素直に話せる相手
などいなかった。

羨まれるような状況ではない。それが判ってもらえない。わかり合えるのは二人
だけで、だから二人は親しくなった。
91 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:56
 
   ◆ ◆ ◆
 
92 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:57
文化祭まで一週間を切った。相変わらず仕事の量は多く猫の手も借りたい状況で、
その日も朋子は空き教室で書類と睨めっこを続けていた。

部屋には数人がいて、作業をしている人もいればお喋りに興じている者もいる。
そちらを睨んでやりたかったけれど、無駄な争いの種を蒔くより自分で仕事を
片付けた方が早かった。だから結局、朋子は愛理と肩を並べて机に向かう。

「鈴木さんって犬派なんですか?」
「どうだろー」

目は書類の上を走らせながら、別の話題を口にする。隣で電卓を叩いている
愛理も、手の動きは止まらない。朋子は自宅で猫を飼っている。丸々とした
その姿を思い浮かべて、朋子は溜息を洩らした。

「もーうちから猫連れてこようかなあ。でも絶対に手伝ってくれないなあ」
「現実逃避しないの」
「はぁい」

愛理の家では犬を何頭も飼っているらしい。そんな知識がここ数週間ですっかり
身についた。黙って作業するのに飽きた頃に雑談したり、今のように手を動かし
ながら話したり、一緒にいる時間が長いだけあって二人の間にはさらに親近感が
増していた。そして同時に、周囲からも浮いていた。
93 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:58
「鈴木さん」
「うん?」
「休憩しましょう」

ばさりと紙の束を机に投げ出して席を立つ。唐突な朋子の提案にも冷静に、愛理は
後ろからついてきた。周りから感じる視線は無視だ。それから逃げたくて、この部屋
を出るのだから。

一階まで階段を降りる。中庭沿いに設置された自販機にコインを入れながら、
朋子は愛理に尋ねた。

「なに飲みます? 奢りますよ」
「え、いいよ」
「うちが連れ出したんで」

遠慮する愛理に商品を選ばせて、ボタンを押す。朋子も自分の分を買って
手のひらで包んだ。まだ日は暮れていないけれど、外はそれなりに寒い。
94 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 19:59
「どうしたの? 相当行き詰まってる?」
「そーですねえ……」

抜け出して来たのは、仕事に疲れたからではない。
珍しいものを見るような目が嫌になった。単純に鬱陶しいし、愛理と話すのにも
気を遣わなければならない。被害妄想と言われるかもしれないけれど、会話の
内容を聞かれているようにも感じられて、あまり気分が良くなかった。

「……どうすればモテなくなるんでしょう?」
「うわー感じ悪い」
「鈴木さん相手だから言ってるんですよ」
「そうだねえ。でも、受け入れるしかないのだよ、金澤くん」

変に芝居がかった声で返される。秋の中庭は閑散としていて、遠くのグラウンドから
運動部のかけ声が聞こえる以外には物音がない。洩れた溜息は音を立てずに宙に
消え、受け入れるしかないと、愛理の言葉を口の中で反芻する。

ベンチに腰掛け、手の中で缶紅茶を転がした。プルトップを上げて呷ると、
含みすぎたのか少しむせる。横で愛理が楽しそうに笑うのを、朋子は睨んだ。
95 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:00
「告白されたら、いつもなんて言って断ってます?」
「好きな人がいるから、かなー。金澤ちゃんは?」
「いま誰とも付き合うつもりない、って言ってます」

頻繁に愛の告白を受けている者同士でしか出来ない会話だった。ぼうっと中空を
見つめると、夕暮れの空が目に映る。今日はこのまま帰ってしまおうかと思った。

好きな人がいると言えばそれは誰なのかと追求され、いまは誰とも付き合う気が
ないと言えばそのうち付き合う気になってくれるのかと誤解され。

上手い断り文句を朋子は探していた。もうすぐ文化祭だ。行事の勢いに任せて
告白する人が増えるのはなぜだろうと疑問に思うけれど、やはり非日常の中に
紛れてでもないと言い出しづらいことなのだろう。

日が暮れていく。沈んでいく太陽を見送るしかないのが恨めしかった。時は刻々と
流れ、それは愛理と一緒に委員を務められる時間が残りわずかなことを示していた。

「戻ろっか」

飲み終えて、愛理が先に立ち上がる。差し出された手を握るとすっかり冷えていて、
誘い出したのを申し訳なく思った。
96 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:00
 
   ◆ ◆ ◆
 
97 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:01
実行委員の印である赤いリボンを胸につけ、朋子は入場口であくびを堪える。
玄関に長机とパイプ椅子を並べ、入場者のチェックをしていた。このご時世、そして
女子高だからか文化祭に一般参加するのは、たとえ親であっても入場用のチケットが
必要になる。

記帳してもらい、頭を下げる。延々と続く流れ作業に飽きてきた頃、ようやく交代の
時間が回って来た。隣で作業していた委員に声をかけ、席を立つ。次は展示の
見回りに行かなければならなかった。

校内を一人で歩く。途中で呼び止められ、今仕事中だから、の一言であしらう。
委員をやっていて良かったと思うことはほとんどなかったけれど、簡単に誘いを
断れるのは美点だと思った。

途中でサボってもばれはしなかっただろうけれど、一通り校舎を回り終える。
目立たない位置で壁に背中を預け、朋子は溜息をついた。あとは文化祭終了後の
仕事だけだと思うと、気が抜けるような、憂鬱なような気がした。
98 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:02
「サボり?」

その声がした方を向くと、愛理が一人で立っていた。ふう、と朋子はもう一度息を
吐く。

「真面目にやって、もう終わりました。」
「ご苦労様です」

滑舌悪く愛理が言う。彼女が何を言っているか聞き取れないことがときどきあって、
それを聞き返すのにも慣れていた。そんなことからも、いつの間にか長い時を一緒に
過ごしていたのだなと実感する。

「鈴木さんはもう終わりですか?」
「終わりでーす。仕事なしでーす」

職員室の真上、この二年生の教室辺りは文化祭で使用されていない。だから二人は
逃げるようにここへ来て、気安く言葉を交わしている。

「今日、何人でした?」
「なんとゼロです。金澤ちゃんは?」
「ゼロです。実行委員パワーすごいですね」

いくつか言葉が省略された会話を、二人は難なくこなす。告白してきた人数を
数えるのはとうにやめていたけれど、今回の行事中に限っては別だった。
99 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:02
「一緒に回ろうよ」
「……文化祭ですか? 休憩しときましょうよ」

せっかく無事に仕事も終えて逃げ切ったのに、また人混みの中に行くと言うの
だろうか。朋子は渋ったけれど、愛理に腕を取られ仕方なく壁から背中を離す。

階段を降り、展示物の並んでいる辺りに足を進める。次第に周囲に人が増えて、
向けられる視線も増した。それにうんざりとしていると突然手を握られ、朋子は
驚いてそちらを見る。

「……びっくりした」
「人避けになると思うんだよね」

そう言って、愛理は繋いだ手を持ち上げた。「また変な噂立っちゃいますよ」朋子
が諫めても愛理はどこ吹く風で、手を離す様子はない。

変な噂、というのは実行委員を務め始めてしばらくしてから立ったものだ。
お似合いだと言われている二人は付き合っているらしい、という話は朋子も
うっすらと耳にはしていた。

「誤解されて困る人いる?」
「いないですけど……」

気になる人ならいる。
けれど、本人を目の前にして言えるわけもなかった。
100 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:03
 
   ◆ ◆ ◆
 
101 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:04
文化祭が終わってからも二人の交流は続いた。廊下ですれ違えば挨拶するし、
時間に余裕があればそのまま雑談する。そして、ときどき二人で近況を報告し合う。
その程度の関係ではあったけれど、朋子にとっては心安らぐ相手だった。

今までに二人は、何度も告白を受けてきたけれど一度も受けいれていない。
適当に誰かと付き合ってみればと愛理にけしかけられたこともあるけれど、
それは相手に申し訳ない気がした。

好きな人がいる、と。
愛理は毎回そう言って断っているらしい。その人物が実在するのかは訊いても
教えてもらえなかった。朋子以外からも色々と詮索を受けているようだけれど、
真相にたどり着いた者はいないらしい。

朋子も相変わらず、誰とも付き合う気はないからと言って断っていた。
これは今となっては嘘である。初めは交際自体が面倒そうで敬遠していたけれど、
最近では、好きな人であれば付き合いたいと、そう思うようになっていた。
102 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:05
好きな人がいるからと、その愛理の断り文句を知って、胸が痛んだ。
惹かれているのを自覚していた。それこそ、初めて出会ったときからそうだったの
かもしれない。人と話して頬が熱くなるなど、それまで経験がなかったのだから。

結局は自分もあちら側なのだと、そう気付いたときには自嘲した。煩わしいだけの
感情を朋子からも向けられていることを、愛理は知っているだろうか。
103 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:05
 
   ◆ ◆ ◆
 
104 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:06
一年で最も告白を受ける日。チョコレートとともに手紙を添えられることもあれば、
渡されたその場で告げられることもある。呼び出しにすべて応えるのは無理な
くらいで、朋子はほとほと疲れていた。

疲れたところに甘いものが染みる。けれど誰かのものを特別に食べたと言われる
のが嫌で、結局は自分が持っていた飴玉を舐めていた。手にしたチョコレートを
どうしようかと途方に暮れたものの、捨てるわけにもいかず鞄に詰め込む。

行きよりも重くなった鞄を抱えて、廊下を足早に歩いた。外からは相変わらず
運動部の声や笛の音がして、のんきなものだと朋子は思う。

日誌を手に、そろりそろりと職員室を目指す。放課後は早々に逃げ帰るつもり
だったのに、日直だったせいで随分遅くなってしまっていた。誰かに捕まって
しまえば面倒だと、息を殺して廊下を行く。
105 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:06
「わ!」

静かに歩いていたところに、急に後ろから声をかけられて飛び上がった。振り
返ると愛理が楽しそうに笑っているのが目に入って、朋子は思わず顔を顰める。

「……驚かせないでくださいよ」
「へへ。びくびくしてるのが面白くって」

人目につかないように気をつけながら動いていたのが、余程可笑しかったらしい。
笑い続ける愛理を置いて日誌を提出しに行こうとすると、制服の裾を掴まれた。

「なんですか?」
「いいものあげるから、おいでよ」

有無を言わせぬ口調で、そのまま手を引かれる。階段の踊り場に嵌め込まれた
窓から差す西日が眩しい。職員室から階段を上ってすぐの教室は、初めて愛理と
出会った場所だった。
106 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:07
「なんでこんな時間まで残ってるんですか?」
「いやー、全部にお応えしてたら時間かかっちゃって」

逃げることばかり考えていた朋子とは違い、愛理は誠実に応えていたらしい。
けれど、決め台詞はいつもと同じだろう。机に腰を預ける愛理に向かい合って、
朋子は訊く。

「鈴木さんって、ほんとに好きな人いるんですか?」
「いるよー」
「じゃあ、なんでその人と付き合わないんです?」

ずっと、疑問だった。もちろん愛理といえど誰とでも付き合えるわけではない
だろう。相手にも選ぶ権利はある。しかし、選んでもらえる可能性は随分高いの
ではないだろうか。

この階には誰もいないのではないかと錯覚させられるほど、辺りはしんとしている。
遠くから響く音だけが耳に入り、その後で、ぽつりと零された声が聞こえた。

「たぶん、恋愛対象として見られてないんだよねえ」

愛理が寂しそうに笑うのを、初めて見た。他人事なのに胸が詰まるような
そんな笑みで、朋子は何も言えずに黙るしかなかった。口を閉ざしていると、
それまでの表情が嘘だったかのように愛理が明るく言う。
107 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:08
「あ、いいものいいもの」

ごそごそと鞄を探り、そこから出されたのは小さな箱だった。あっさりと
渡されたそれはもちろん本命ではないのだろう。手のひらに載せられた
小箱を眺める。かわいらしいラッピングは既製品らしかった。

「あげる」
「え、いいんですか」

頷く愛理に、軽く礼を返す。「今食べてもいいですか?」訊くとまた頷かれて、
朋子は包装を解いた。中から出てきたのは小粒のチョコレートで、朋子はそれを
口に放り込む。チョコはゆっくりと舌の上で溶けて、甘さが広がった。

「……本命の人には、あげたんですか」
「まだあげてないけど、あげるよ」

学内の人ではないのだろう。もしかしたら相手は社会人だとか、叶わぬ恋を
しているのかもしれない。好きな人について訊いても普段は内緒の一点張り
だったけれど、この日の愛理は饒舌だった。
108 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:09
「ずーっとあげてるんだけどね。本命だってことすら言えないの」
「……え、なんでですか?」
「関係が壊れるのが怖い、っていうありがちなパターン」

ずっと、ということは最近好きになったわけではないらしい。得られた情報から
愛理が焦がれる人物像を思い描いても、曖昧なものにしかならなかった。

「なんで、好きな人には好いてもらえないんだろうねえ」

そう言った横顔は、やはり寂しげで。なぜ胸が苦しくなるのだろうと思った。
彼女にそんな表情をさせている誰かが、憎らしかった。

夕暮れの日差しが愛理の横顔を照らしている。それが綺麗で、見とれてしまう。
胸が熱かった。やはり初めから惹かれていたのだと、朋子は今更ながらに自覚する。
109 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:10
委員の仕事を真面目にこなしていたのは愛理が困るのを見たくないからで、
一緒に愚痴を言うのはそれが二人を繋ぐ共通点だったからだ。

この教室で出会って、話をした。些細な思い出とも言えない思い出が、頭の中を
よぎる。一緒に駅まで帰った日も、中庭のベンチでの会話も、しっかりと脳裏に
焼き付いていた。

二人が口を閉ざすと、秒針の音さえ聞こえてきそうだった。愛理を見つめていると、
彼女もこちらに目を向ける。静かな教室で、朋子は感傷的な声を出す。

「……好きな人と付き合えないなら。うちで、妥協しませんか」

皆が浮かれているこのタイミングで口にしてしまったのは、魔が差したとしか言い様が
なかった。自分だけは、勢いで言うようなことはしないと思っていた。

夕日が窓から差し込み、寒いのに開け放たれた窓から風が入り込む。白いカーテンが
揺れ、ホイッスルの高い音が外から聞こえた。

愛理はきょとんとした顔をする。
けれど返された声に戸惑いはなく、やはり慣れているように感じられた。
110 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:10
「もしかして、告白されてる?」
「……はい」

朋子が頷くと、愛理は笑った。どんな返事がもらえるかは予想がついて、
だから伝えるつもりはなかった。なぜ言ってしまったのだろうと、返答を
聞く前に後悔した。

「ありがとう。でも、ごめんね。好きな人いるから」

断りの文句は朋子に対しても同じだった。嘘みたいに気安く言われたその言葉は、
今までで一番朗らかだった。

机に預けていた腰を離して、まっすぐに立つ。ポケットの中にチョコレートの包装を
しまって布地に触れると、確かにそこに存在するのが判る。ホワイトデーには何か
お返しをしなければと思った。

「……今までみたいに、話してくれますか」
「もちろん」

頷く愛理は笑っていて、だから朋子も笑みを返した。
誰とも付き合う気はないと、今度からその言葉は本心になると思った。
111 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:11
 
   ◆ ◆ ◆
 
112 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:12
「一年間、早かったねえ」

三年生はもう受験時期で、二月の今日は自由登校日だった。締められた窓の
向こうは暗く、ガラスは鏡のように二人を映している。

すでに愛理の進学先は決まっていた。自宅近くの大学に行くらしく、通学が楽に
なると喜ぶ彼女を朋子は素直に祝福した。朋子はきっと同じ大学には行けないし、
行く気もなかった。

誰もいない教室は、二人が初めて出会った場所だった。今は朋子がこの部屋で
授業を受けていて、来年はまた、違う教室へと移る。机に腰を預けてゆるく立った
姿勢のままで、愛理が言った。

「これからも、誰とも付き合う気がない、って言うんだ」
「そうですね。……実際、そうだし」

卒業式の日に何人に告白されるかを予想するという、悪趣味な会話をしていた。
相変わらず愛理は『好きな人がいるから』で通しているらしい。

好きな人と付き合えないのならば、誰とも付き合う気はない。だから朋子の言葉も
嘘ではなかった。好きな人とは、付き合えないのだから。
113 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:13
「鈴木さん」
「なあに?」
「本命です」

ポケットから板チョコを一枚取り出して、投げた。慌てたように受け取った愛理に
笑われて、その表情を好きだと思った。

「手作りとかじゃないの?」
「もうホワイトデーもらえないんで」
「さいてー。でも、ありがと」

そう言いながら、愛理はそれを鞄にしまう。それから思い出したように、
いつもの台詞を口にした。

「あ、そうだ。好きな人いるから、ごめんね」
「知ってますよ」

初めから、応えてもらえるとは思っていない。ただけじめとして渡したい
だけだった。愛理を見る目が今どうなっているか、知りたくなかった。

弛緩した空気を締めるように、ぱん、と彼女が手を打つ。その音に驚いていると、
快活に告げられた。
114 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:13
「もう卒業式にくらいしか来ないよ」
「……はい」
「こうやって話すの、最後かも」

暖房のぬるい風が頬を撫でた。誰が持ってきたのか、加湿器が蒸気を吐く音が
聞こえる。明るい蛍光灯の下で、相変わらず朋子は机に腰を預け、愛理を見た。

毎日のように話をしていた時期もあった。それ以降にも、ときどき二人で話をした。
じっと愛理を見つめるといくつもの場面が思い出されて、これからも忘れられない
だろうと思った。

「キスしても、いいですか」

無茶な願いを洩らすと、愛理は笑った。薄く開かれる唇を見るとやるせない思い
だけが湧く。浮かべられた笑みは寂しげで、けれど返事ははっきりとしていた。

「だめに決まってるでしょ」
115 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:14
 
   ◆ ◆ ◆
 
116 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:14
 
   ◇ ◇ ◇
 
117 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:14
電話が鳴る音で目が覚めた。寝返りを打って枕元のそれを手に取り、誰からの
着信かを確かめる。現実に引き戻された気がした。最高で、最悪の目覚めだ。

『おはよう。起きてた?』

由加の声がして、起きてたよ、と小さく答える。返す声は掠れて、鼓動が速まって
いた。吐く息も切れ切れだったけれど、深呼吸をすると少し苦しさがましになる。

『どうしたの?』

電話越しにでも様子が伝わったのか、気遣わしげな声がする。言葉を返せずに、
ただ目を閉じる。湿った息が出る。それでも、由加の声を聞くと少し安心した。

タイミングが悪かっただけで、過去を夢に見るなんてよくあることだ。
浅くなった呼吸を落ち着けたくて言葉を継がずにいると、心配げな声音が響く。

『……泣いてるの?』

言われて、目尻に指で触れてみた。そこは濡れてはいなくて、また大きく
息を吐く。声に感情が出ていたのかもしれないと思うと、情けなかった。
118 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:16
「……そんなわけないじゃん」

どこに泣く理由があるのだろう。受話口の向こうで由加が沈黙したのが判った。
朋子が何も言わずにいると、わずかな衣擦れの後に柔らかな声がする。

『……違うならいいけど。ちゃんと一限行きなよ?』

モーニングコールを頼んでいたことを今更思い出した。「うん」殊勝に返すと、
じゃあ切るねと簡単に通話は終わる。携帯電話を投げ出すと、それはベッド
から落ちて鈍い音を立てた。枕に顔を埋める。学校に行く気はなくなっていた。

なぜ今頃あんな夢を見たのだろう。二度とあの時のような思いはしたくないと、
強く思いすぎたのかもしれない。やはり文化祭になんて行くべきではなかったのだ。

なぜだか由加の声が耳に残っている。そろそろ、その理由をそろそろ認めなければ
ならない。あの暑い夏の日から判っていたのに、ずっと否定しているその理由を。

もう二度と誰も好きにならないはずだった。
それなのに、なぜ繰り返してしまうのだろう。

いつものように、由加の姿を思い描く。
そうすれば、溜息とひとつの感情が湧く。

好きになんて、なりたくなかったのに。
 
 
 
 
 
119 :割りきれないチョコレート :2014/11/27(木) 20:16
 
120 :名無飼育さん :2014/11/27(木) 20:17
 
121 :名無飼育さん :2014/11/27(木) 20:17
>>82-118
割りきれないチョコレート
122 :名無し飼育 :2014/11/27(木) 23:12
短編だと思ってました。
続き物なのですね。
ますます楽しみになってきました。
123 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 18:59
 
124 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:00
地下の書庫には窓がない。温湿度も常に一定に保たれたこの部屋にはいま二人だけ
しかいなくて、どこか穏やかな空気が流れている。朋子は作業をしながら、横目で
由加を見た。真面目な顔をして仕事を進める彼女を、あらためて好きだと思った。

一度認めてしまえば、あとは坂を転がり落ちるようなものだった。好きになったとこ
ろでどうしようもないのは判っている。それにわざわざ気持ちを伝えて失恋するのは
もう懲り懲りだった。そう思っているのに好きになってしまったのだから、心の底から
参ってしまう。

目を正面に向け直して、作業に集中しようとした。ここのところ由加のことばかりを
考えている。この調子では色々と差し支えがあるだろうから、一度頭の中から追い
出したかった。

「ねー、とも」

そう思った矢先に声をかけられ、朋子は由加の側を見る。するとじっと見つめられ、
同じように視線を返した。「なに?」朋子が問いかけると、由加は応える。
125 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:01
「遊びに行きたいな」
「うん。どこ行く?」
「ともの部屋」

朋子が何を考えているのかなんて、由加は知らないだろう。考えないようにしようと
したばかりなのに、由加は大変な議題を持ち出してくる。けれど嫌な顔をするわけに
はいかないから、冷静なふりをして朋子は言う。

「……いいけど。また今度ね」
「今度っていつー?」
「今度は今度です」

拗ねたように言う由加をあしらった。家族以外はまだ誰も部屋に上げてはいない。
大学の近くだからたまり場にされるのが嫌でそうしている。けれど、由加は学年が
違うから、例外として扱ってもいいのかもしれなかった。特別扱いしてもいいかと
思っているのに、朋子の答えが不満だったのか由加は口を尖らせる。
126 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:01
「じゃあ明日ね」
「いやいや無理だよ散らかってるから!」
「じゃ、来週」

慌てる朋子を尻目に、由加は具体的な日付を持ち出してきた。言われて予定を思い
返すと、たしかバイトも何もない日だ。だからつい、すぐに頷いてしまったけれど、
部屋の片付けを考えるともっと後にしてもらう方が良いのかもしれない。

「その日がいいの?」
「うん」

オーケーをもらったことが嬉しいのか、由加は喜色満面にあふれている。そうされる
と、今さら日取りを変えてくれとは言いづらかった。

「楽しみにしてるね」

にこりと笑顔で言われる。由加が笑ってくれるのなら、片付けくらい頑張ろうと思え
た。結局は、彼女のことばかりを考えてしまうことになる。けれど、それでもいいかと、
やはり彼女のこととなると特別扱いしてしまった。
127 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:02
 
   ◇ ◇ ◇
 
128 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:03
一緒にご飯を食べたい、という由加のリクエストで、鍋をすることになった。
平日夕方のスーパーはわりと混み合っている。夕食のための買い物時なのだろう。
今も子連れの女性が朋子の目の前を行き、自動ドアをくぐっていく。

約束の時間の十五分前だった。少し早すぎたかなと朋子は思う。講義が終わって一度
家に帰って掃除をして、せかせか歩いてきた結果だった。

結局は、楽しみにしていた。舞い上がっているのを自覚して、それを抑えなければと
思う。由加は部屋に来ることについて深く考えていないはずだ。朋子だけが強く意識
していて、それを由加に知られるわけにはいかない。

軽く、息を吐く。約束の時間の十分前になった。出入り口の近く、邪魔にならなさそ
うなところに朋子は立つ。だんだんと緊張してきた。けれど同じくらいに心待ちにも
していて、我ながら呆れてしまう。

気を逸らそうと、ぼうっと空を眺める。日が暮れるのが随分と早くなった。由加と初め
て会った頃はいつまでも日が落ちないような気すらしていたのに、時の流れは速い。

だらりと物思いにふけっていると、隣から誰かにぶつかられた。買い物客かと思って
反射的に謝るけれど、その正体は待ち人で、彼女は楽しそうながらも申し訳なさそう
な顔をする。
129 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:03
「ごめん、待った?」
「いや、いま来たとこ」

ありきたりなやり取りをして、店内へと足を進める。朋子がカゴを取ると、横から
由加に言われた。

「中で待っててくれて良かったのに」
「……あー、気付かなかった」

多少は寒い時季である。今度からそうする、と言いかけた。けれど口を閉ざしてし
まったのは、次があるかは判らないからだった。由加は手にしていた白いビニール袋
を揺らす。何か買い物してきたのだろうか。それは訊けないままに、二人は店内を巡る。
130 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:04
 
やいのやいのと言い合って、買い物はあっさりと済んだ。朋子の住むマンションへと
歩くと、由加の下宿先の前を通ることになる。宮本、と表札の出たその一軒家は明か
りがついていなかった。

きっと佳林もまだ帰っていないのだろう。高校はあまり近くないし、佳林は部活動も
している。そしてひとつ朋子は思い至り、由加を見た。

「佳林ちゃんいいの?」
「え?」
「いつも一緒にご飯食べてるんだと思ってた」

朋子の言葉に、由加は少し気まずそうな顔をした。

「いつも一緒なわけじゃないよ」
「ふうん。まあ、そうだよね」

コンビニの前を通り過ぎる。二人の家はそう離れていない。初めからこの距離に
住んでいれば、幼馴染みにでもなれたのかもしれないなと朋子は思った。
131 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:04
 
132 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:06
「思ったよりひろーい」

開口一番、由加はそう言った。きちんと片付けられているか不安になるけれど、
何度も確かめたのだから大丈夫だと思いたい。部屋の中央にあるこたつテーブルが
目に留まったのか、羨ましげに由加が言う。

「いいなあ、こたつ」
「まだ電源は入れてないけどね」

ぐるりと見渡されたけれど、あまりきょろきょろしては悪いと思ったのか、すぐに
視線は朋子に向けられた。それから思い出したように、会ったときから持っていた
白いビニール袋を差し出される。何かと思って朋子が首を傾げると、由加は楽しげ
に笑った。

「おみやげ」
「え、そんなのいいのに」
「今度からはないよ」

今度から、ということは次があると期待してもいいのだろうか。そう思ったけれど、
わざわざ訊くのは意識しすぎているような気がした。袋を受け取ると、中身は和菓子
屋で買ってきたみたらし団子だという。もしかしたら、アイスと同じくらいには好き
なのかもしれない。デザートに食べようねと楽しそうに言われて、朋子も笑って頷いた。
133 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:07
 
134 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:07
「こら、ちゃんと野菜も食べなさい」
「食べてるよ」

買い物した時点で肉のわりあいが多いと言われていた。それは仕方がないと朋子は
思う。たんぱく質は重要だ。これでも由加の分を残すために控えているのに、彼女は
栄養面から注意してくる。

「あ、ほら、由加ちゃんだってアイス食べ過ぎるなって言われたら困るでしょ?」
「……いまそれを持ち出すのはずるい」

朋子の言葉に、由加は渋い顔をする。

「アイス好き過ぎでしょ」
「好きなものは好きなんだから仕方ないじゃん」
「まあまあ。アイスも買ってあるからそれで許してよ」

そう言うと、デザート二種類になっちゃう、と由加は困ったような声を出す。けれど
表情は楽しげで、どれだけ好きなのかと内心で朋子は呆れた。肉を食べ過ぎた分の
会計はアイスで相殺してもらうことにする。次があるならば、さすがに気をつけよう
と思った。
135 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:08
 
 
鍋を食べ終わり、片付けをどうするかも一悶着あった。けれど洗い物も少ないこと
だし朋子が後で済ませる、ということで落ち着く。由加は少し不満げにしていたが、
それを無視して、朋子は立ち上がった。

「あったかいお茶飲む?」
「飲むー」

不服げだったのもどこへやら、すっかりくつろいだ様子で、由加は間延びした声で答
える。こたつの魅力に取り憑かれたのか、ぬくぬくと背中を丸めていた。今からこの
調子では、真冬になったらどうなるのだろう。そう思いつつ団子と一緒に温かいお茶
を出すと、由加は嬉しそうに笑った。

「マグカップでごめんね」
「ううん」

一人暮らしの家に湯飲みは置いていない。けれど、お茶を出せるだけ充分だろう。
カップに口をつけて、ほう、と由加は息をつく。

「結構なお点前で」
「いや普通だから」

用法が合っているのかも判らない言葉で褒められた。しかし由加に言われると悪い気
はしないのだから、朋子は彼女に対しては相当手緩い。
136 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:09
 
 
テレビをつけなくても、話は尽きなかった。由加はつくづく朋子の部屋を気に入った
のか、ゆったりとした様子で、へにゃりと笑う。

「ここ、由加の別荘にする」
「佳林ちゃんちがあるでしょ」
「第二の別荘」

由加の実家は遠く離れている。もうすぐ新幹線が開通するというが、それでも頻繁に
帰れるようなものではないだろう。夏の図書館で、一人暮らしは寂しいよと言われた
ことを思い出した。

「由加ちゃん、家族に会えないの寂しい?」

軽く訊いたつもりだったけれど、由加は思いの外沈んだ表情になる。言わない方が
良かったかなと朋子が思っていると、「……寂しい」と由加は言って、ごん、と
テーブルに額を打ち付けた。何か言葉をかけるべきかと朋子が迷っていると、ぽつり
と声が洩らされる。

「……今日ね。佳林ちゃんち、家族水入らずなの」
「へ?」
「だから別荘に遊びに来ました。ごめんなさい」

顔を伏せたままで由加は言った。家族水入らずということは佳林とその両親はどこか
で外食でもしているのかもしれない。家族だけで出かけるからと放っておかれるとは
思えないから、由加はきっと自分から誘いを断ったのだろう。
137 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:11
「謝ることじゃないでしょ」

日付を指定された理由が判った。他にも友人はいるだろうに、なぜ朋子が選ばれたの
は判らない。けれど、それを訊くことは出来そうにもなかった。寂しさを埋めるため
でも選んでもらえるのは嬉しかったから、その理由までも求めてはいけない気がした。

頭を上げた由加に、じっと見つめられる。真正面から目を合わせると緊張してしまって、
喉が渇いた。朋子はお茶に口をつける。しん、と静まりかえった部屋の中で、彼女は
意を決したように言った。

「ずっと訊きたかったんだけど」

何を、と朋子が視線で促すと、彼女はほんの少し躊躇った様子を見せた。もう一口、
お茶を含んでマグカップをテーブルに置く。それでもなかなか言い出さないから、
「なに?」朋子は言葉で催促した。
138 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:11
「……ともって、鈴木さんと付き合ってたの?」
「はあ!?」

急に話題が変わった上、思いがけない質問に大きな声が出た。お茶を飲んでいたら
きっとむせていただろう。朋子の反応に由加も驚いたのか、びくりと身体を揺らす。

「え、いや、付き合ってないし。なぜそうなる」
「……なんかそういう話が」
「あるんですか」
「……一部でありまして。それで噂でどうこうするのもあれかなと」

由加と愛理は同じ学科だから、情報の出所はそのなのかもしれない。噂といえば、
高校生の頃もされていた。しかし大学生になってからも言われているとは、思って
もみなかった。もしかしたら、同じ高校に通っていた誰かが話したのかもしれない。

余計なことを、と思わずにはいられなかった。由加にだけは勘違いされたくないから、
呼吸を落ち着けて、朋子は冷静に言う。
139 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:12
「……付き合ってないんで。今度から否定しといてください」
「……うん。変なこと訊いてごめんね」
「いいよ。むしろ訊いてくれてありがと」

周囲に誤解されたままでいるよりはいいのかもしれない。それにしても愛理は弁解
していないのだろうか。しかし、彼女のことだから、この噂さえも人避けに使って
いるのかもしれない。

「それで、もし今も付き合ってるなら部屋に来るのも悪いかなーとか」
「付き合ってないから! どんどん来てくれていいから!」

勢いで本音がこぼれでた。緊張はするけれど由加が来てくれるのは素直に嬉しい。
間違った噂で敬遠されるよりは、ずっと良かった。

訊けば、学科の飲み会で愛理は直接追求を受けていたけれど、へらへらと笑って
流したそうだ。……今度会ったときに文句を言わなければならない。
140 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:13
「なので、初めて会う前から金澤さんの名前は知ってました」
「ああ……そう」

人気者のようだから引け目を感じる、と言われたことを思い出した。誰からかは知ら
ないが、高校時代のことを聞かされていたのかもしれない。

こんなかたちで愛理の名前が出てくるとは思ってもいなくて、ちくりと胸が痛む。
好きになったところでうまくはいかないのだと、あらためて思い知らされた気がした。

愛理のことは好きだったけれど付き合ってはいなくて、いま好きなのは由加だと。
そう言えれば、どんなに楽だろう。けれど、もし言ったら、もう遊びには来てくれな
くなるかもしれない。そう思うと、やはり口には出せなかった。

ただ、ひとつ感謝したいのは、知りたいことを尋ねるのに良い機会を得られたことだ。
朋子は何気なさを装いつつ、由加に訊く。
141 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:14
「由加ちゃんは、付き合ってる人とかいるの?」
「いないよー」

返事は軽かった。嘘をつく理由はないだろうから、おそらく本当のことだろう。
人当たりの良い彼女はきっと人気もあるはずだ。付き合っている人がいると言われ
れば諦めもついたかもしれない。そう思うと残念ではあったけれど、内心ではほっと
していた。

「ともは?」
「いないですよ」
「お互い独り身だねー」

だったら付き合おうとは、やはり言えるわけもない。由加は仲間を見つけたとばかり
に安心した様子だった。言ってしまったら、こんな会話も出来なくなるかもしれない。
そう思うから、朋子は何もないようにしか振る舞えない。
142 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:14
 
 
何事もなかったかのように時は過ぎた。由加が時計を気にし始めたあたりで、そろ
そろかなと朋子は思う。門限はないと言うけれど、そう遅くまではいられないだろう。

「帰るね」
「うん」

二人は立ち上がり、玄関へと向かう。由加の髪が揺れるのを見て、朋子は名残惜しく
思った。しかし、やはり引き留めることは出来ない。靴を履いて、由加はくるりと
身体を反転させる。それから、ちょこんと頭を下げた。

「それじゃ、お邪魔しました」
「ううん。来てくれてありがと」
「また来るね」

顔を上げた由加は嬉しそうで、だから朋子も笑顔になる。今度こそ辞去しようと
背中を向けられて、また、心残りに思った。「由加ちゃん」思わず呼び止めたけれど、
続ける言葉はなかなか出なくて、不思議そうに首を傾げられる。そのまま黙っている
わけにはいかずに、朋子は苦し紛れに言った。
143 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:15
「……うちも、コンビニ行く」
「じゃあ一緒に行こっか」

楽しげに頷く由加はやはりかわいくて、あらためて好きだと思った。
好きなものは好きなのだから仕方がないのだと、由加の言葉を想起する。
まったく、その通りだった。好きも嫌いも、自分の手で選び取ることは出来ない。

外に出ると、冷たい風が吹いてきた。ひょいと片手を取られて、朋子はそれを振り
払うことが出来ない。深く考えられてはいないであろうその触れ合いに、いつだって
苦しくなった。

二人の家の中間にあるコンビニの前で、手を振って別れる。帰って行く由加の背中を
見送って、一人の部屋に帰るのが寂しいと、朋子は初めて思った。
 
 
 
 
 
144 :おかしなことを聞くね :2014/12/16(火) 19:15
 
145 :名無飼育さん :2014/12/16(火) 19:16
 
146 :名無飼育さん :2014/12/16(火) 19:16
>>124-143
おかしなことを聞くね
147 :名無飼育さん :2014/12/16(火) 19:18
前回更新分は
>>54-78
ジュリエットには早すぎる
>>82-118
割りきれないチョコレート の二つのカタマリです。
もしかしたらわかりにくかったかもしれません……。すみません。

>>122
レスありがとうございます!
ゆるふわな感じで続いていきますので、
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
148 :名無飼育さん :2014/12/22(月) 03:03
眠れぬ夜に一気読みしました
ゆかともイイですね
149 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:13
 
150 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:14
話がある、と愛理を誘い出したのは、大学から二駅離れたカラオケボックスだった。
ここまで来れば知り合いともそうそう会わないだろうし、喧噪に満ちた空間では
外に声が漏れ出ることもない。

付き合っていた、という噂を否定しなかったことについての苦情を申し立てるつもり
だった。そのはずだったのに、誰にその話を聞いたのかと問われて朋子は言葉に
詰まる。

「……そんなの、由加ちゃんしかいないですよ」
「どういう話の流れー?」
「それは別にどうでもいいじゃないですか」

得心したように愛理は頷いて、ストローに口をつけた。朋子もそれに倣って
ジュースを飲む。しばらく無言になった後、愛理はグラスをテーブルに置いた。
151 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:14
「それは悪いことしたね。好きな人に勘違いさせちゃってごめんね」
「……好きとか言ってませんけど」

苦い顔をしてみせても、愛理は気にした様子もない。思えば由加と初めて会った頃
から何かとちょっかいをかけられていた。こうなることを予測したような慧眼には
素直に感服する。けれど、今回ばかりは外れていて欲しかった。

「告白するの?」

……人の話を聞いているのだろうか。しかし、初めから誤魔化しきれるとは思って
いない。愛理も単なる野次馬で訊いているわけでもなさそうだった。だから朋子も
グラスから手を離して、かぶりを振る。

「しないです」
「なんで?」
「フラれるの嫌なんで」

朋子の言葉に、愛理は少し笑う。かつて告白した相手だからこそ、こんな相談じみた
ことを出来ているのだから皮肉なものだ。

始終ついたままのテレビがうるさかった。けれど消してしまえば外に声が漏れてしま
うような気がして触れない。うーん、と少し悩んだ様子で愛理は頬を掻く。
152 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:15
「でも、いーじゃん。あたしと付き合ってるかもって
思っても引いてなかったんでしょ? 前途有望じゃん?」
「……そうですか?」
「マイナスじゃないってだけだけどね」

スタートラインに立ててるだけ、と愛理は続けた。「そうですよねえ」朋子は溜息を
吐く。性別関係なく人から好かれるのは一般的に良いこととされるだろうけれど、
恋愛感情を向けられるとなるとまた違う問題になりそうだった。

「けど、そういうのって自分の身に降りかかると別かもね」

意地悪のつもりではないのだろうけれど、愛理は手厳しいことを言う。
たしかに、端から見ているのと自身が当事者になるのとでは雲泥の差があるはずだ。

例えるなら、自分が交通事故に遭うとはほとんどの人は思っていない。恋愛を事故に
なぞらえるのはどうかとも思うが、そういうものだろう。
153 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:17
「……とにかく。今度から否定してくださいね。邪魔しないでくださいよ」
「付き合う気もないなら邪魔とかなくない?」
「…………」

返す言葉もなく、それもそうだと朋子は思う。初めから諦めているのなら、愛理との
噂くらい放っておいても良いのかもしれなかった。勘違いされたところで、どうという
ことはない。それなのに気にしてしまうのは、希望を捨てられないからだった。

「……そりゃあ、付き合ったりできるならそっちの方がいいですよ」

陽気な音楽が部屋に流れていた。カラオケの最新情報など、今の朋子にはどうでも
いい。ふう、と再度溜息を吐く。息と一緒に洩れたのは、諦観だった。

「でも、無理だってのはわかってます」

時々繋がれる手を意識してしまうのも、きっと朋子だけで。由加以外の誰かが部屋に
来るとしたら、片付けももっとおざなりに済ませていたはずだ。

恋をすれば世界が鮮やかになるというが、ほんの少しの影も落とす。
うまくいく可能性があるのかと、そう思うと絶望的な気持ちにしかなれなかった。

「ま、今から諦めなくてもいいんじゃない?」

そう言って愛理は肩を竦めた。せっかくカラオケに来ているのだからと、マイクを渡さ
れる。とてもそんな気分にはなれなかったけれど、彼女なりの励ましなのだろうと思った。
154 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:17
 
   ◇ ◇ ◇
 
155 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:18
「とも、なにか悩みごと?」
「へ?」
「難しい顔してる」

そう言って由加は、真似のつもりなのか顔を顰めた。地下へ向かうエレベーターは
すぐに目的地に到着して扉を開く。書庫へと向かいながら、朋子は冷や汗をかいた。

「いや、別になにも……」

返す声は、我ながらしどろもどろになってしまう。由加のことで悩んでいるとは言え
るわけもなかった。埃対策と表情を見られないようにするためにマスクをする。由加
は納得いかないような顔をしていて、それを誤魔化すように朋子は頭を働かせる。

「……悩みね。まつげが短いことかな」
「あっ、由加も!」

嘘ではないことを言うと、同意された。そうだろうかと思って由加の顔を見ると、
同じことを思われていたのかじっと見つめられる。
156 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:19
「とも、目閉じて」
「えっ」

由加の言葉に動揺してしまったけれど、その意図はすぐに判った。軽く目を閉じると
顔を近づけられた気配があって、つかの間、緊張する。もういいよ、と言われて目を
開くと、由加の顔は離れていた。

「そんなに短くないよ?」
「うーん、長さもだけど、密度?もあるじゃん」
「そうだけど」

言いながら、由加は自分のまつげに指で触れている。悩んだような表情をした彼女は
いつものにこやかさとは違う雰囲気だった。その困り事の種は朋子と一緒のもので、
つまらないことかもしれないけれど、共通点があることを嬉しく思う。
そして、ふと自分の口から出た言葉に驚いた。
157 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:19
「由加ちゃんも目閉じて」

ん、と由加は素直に従ってくれる。揺れるまつげと赤い唇を前にして、喉が鳴らない
ようにするのに苦労した。このままキスしたらどうなるだろうと一瞬考えたけれど、
すぐに自制心を取り戻す。人間なのだから、本能よりも理性に従うべきだ。結局は
ろくにまつげを見ることも出来ずに、朋子は言う。

「……もういいよ」
「うん。どうだった?」
「言うほどでもないと思うけど」
「そうかなー」

朋子の答えは由加にとっては見込み違いだったのか、唸るような声を出す。しかし
いつまでも考えていても仕方ないと気付いたのか、由加もマスクをした。初めから
そうしていてくれれば緊張も少しは和らいだだろうにと、朋子は恨めしく思った。
158 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:19
 
   ◇ ◇ ◇
 
159 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:20
傘を叩く音は静かだ。朝から、しとしとと雨が降り続いている。秋から冬へと移る
境目、それは寒さを強めるような天候だけれど、どこか爽やかさを感じた。
隣を歩く由加がくるりと傘を回す。しぶきも飛ばない、緩やかな動きだった。

電車に乗って、駅から直結しているショッピングモールへと向かう。目的は映画館
だった。土曜日の今日は駅からして混雑している。はぐれてしまわないようにと
掴まれた服の袖を朋子は意識するけれど、由加は何も気にした様子はない。

由加には付き合っている人はいないらしい。それは先日聞いたことだった。しかし
好きな人がいるかどうかは訊きそびれて、今も訊けずにいる。

そして、由加からも尋ねられたことはなかった。もしかしたら彼女は色恋沙汰に興味
が薄いのかもしれない。そうだろうと思うと少し安心するけれど、いつまでもそうで
いるとは限らないし、すべては彼女の自由だ。

たとえばの話。
彼女から恋愛相談を持ち込まれたら、自分は素直に応援できるだろうか。

その自信はなかった。表面上は取り繕えるかもしれないけれど、心から後押しする
ことなどきっとできない。友情と恋情のはざまで揺れる針は、一方向に傾くだろう。
それはたぶん、恋の方に。
160 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:21
建物の入口で傘を袋に入れる、その丁寧な所作に見惚れてしまう。些細なことで感情
を動かされるけれど、それを悟られないようにと、朋子は気をつけなければならない。
それには時々虚しさを覚える。しかし、友好的な関係を結んでいるためには必要な
ことだった。

「人いっぱいだねー」

のんきに言う由加を横目に見る。足元で子どもにうろちょろと纏わり付かれて、
歩くのに難儀した。いつの間にか掴まれていた袖は離されていて、それを残念だと
言うわけにもいかない。

人混みを縫うようにして歩いた。映画館のある最上階まではまだ距離がある。
フロアを横切るようにして進んでいると、あ、と由加が何かに気付いたような声を
出した。どうしたのかと朋子が尋ねる前に、由加は言う。

「矢島さんだ」

それは誰かと訊くより先に、由加の視線の先を追った。軽く眉間に皺を寄せてし
まったのは愛理がいたせいだ。「鈴木さんもいる」由加も、付け加えるように言った。
161 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:22
由加と愛理は仮にも同じ学科だ。それを差し置いて呼ばれた『矢島さん』というのは
どこの誰なのだろう。朋子は由加の交友範囲をすべて把握しているわけではない。
ただ、弾んだ声で名前を口にされてしまうと、どこか納得できない思いが胸に渦巻く。

愛理の隣にいて、こちらに手を振っている彼女に由加は会釈を返す。自然な流れで
四人は近づき、人混みを避けて隅に寄った。矢島さん、が由加に話しかけて、これも
また自然な流れで愛理が朋子に向き合う。

「よっ、デート?」

愛理が軽口を叩いた。少し距離を取った上に小声ではあるものの、朋子は気が気では
ない。眉間に寄せた皺を深くして見せても、愛理はあまり気にした様子はなかった。

「そんなんじゃないですよ……。あちらの方は?」
「舞美ちゃん? あたしの幼馴染み」
「そちらはデートですか?」
「そうだったらよかったんだけどねえ」

そう言って、愛理はおどけたように肩を竦める。その雰囲気ひとつで、朋子には
判ってしまった。愛理が彼女を見る目は、朋子が由加を見る目と同じだ。

高校時代からずっと聞いていた、好きな人がいるという台詞。
その相手が誰なのか、何年も愛理は教えてくれなかった。それが一目見ただけで
判ってしまうのだから、参ってしまう。
162 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:23
「かわいいし、かっこいいでしょ?」

自慢げに言われて、朋子は軽く両手を挙げた。降参の意味を込めたその仕草に、
愛理は満足そうに頷く。

「いい人オーラやばいですね」
「実際そうだよ。宮崎ちゃんも懐くくらいに」

返された言葉は意地悪げで、しかし朋子もそれを受け入れざるを得なかった。
無理なのは判っている、と言っても、現実的に越えられなさそうな壁が見えると、
さらに諦めの思いは強くなる。

二人は幼馴染みだという。それなら尚更、関係が壊れてしまうのは怖いだろう。
告白できないという気持ちは痛いくらいに判った。そのままの親しさのままでいら
れれば良いと願うその思いも、それを壊したいと思う矛盾した気持ちも。
163 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:23
 
164 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:24
「すごーい。会えるとは思わなかった」

二人と別れてから、由加はそう言った。「そうだね」明るく聞こえるように朋子は返す。
由加は先ほどから弾んだ様子だ。その理由は舞美に会えたからだというのは明白
だった。けれど、由加が喜んでいるからといって、朋子が楽しく思えるわけもない。

「矢島さんはお花屋さんなんだよ」

ぴったりだよね、と由加は続ける。聞いてみると、舞美は駅前の花屋の看板娘らしい。
いつも通っている道にあれほど綺麗な人がいれば気付いてよさそうなものだけれど、
花に無縁なせいか、舞美の存在を今まで朋子は知らずにいた。

「由加ちゃん、お花屋さんとか行くんだ」
「うん。時々おつかいでね」

朋子の問いかけに由加は楽しげに頷く。中に入ったことはないが、由加の下宿先には
花が絶えないそうだ。その後も、駅前の花屋と舞美について由加は教えてくれた。
観葉植物から造花まで幅広いこと。同じ大学の出身で学年は三つ上なこと。

由加の声は雑踏に紛れる。彼女とは見ている世界が違う。それがどうしようもなく
寂しく思えて、袖を引く。彼女は不思議そうな顔をしたけれど、振り払うこともせず
にそのままにしておいてくれた。

人混みの中ではぐれてしまわないようにと、きっとそう思っている。
本当は、違うのに。
165 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:24
 
   ◇ ◇ ◇
 
166 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:25
午後からは雨模様です、とテレビ画面に傘マークが示される。それを見ながら朋子は
ゆっくりと着替えた。今朝はまだ時間に余裕がある。由加との待ち合わせにも遅れず
にすみそうだった。

ふあ、とあくびが洩れ出る。昨夜は小テストのために遅くまで勉強していた。本当は
もっと適当にすませてもいいのだけれど、毎回、出来を由加に訊かれるから仕方ない。

傘を持って、マンションを出た。時計を見ると、ゆっくりと歩いても充分に間に合い
そうだと判る。秋の涼やかな空気の中で、街路樹の下を進んだ。落ち葉がかさかさと
足元で音を立てる。冬も、もうすぐだと思った。

由加の下宿先の前について、しばし待つ。彼女との待ち合わせのときは少しだけ、
早めに着いてしまう。いつもそうしては由加が気にするだろうかと、わざと時間
ぎりぎりに来るようにすることもあるくらいだった。
167 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:26
玄関のドアが開き、由加が小走りにやって来る。自然に頬が緩むのを感じながら、
朋子は朝の挨拶をした。

「おはよ」
「おはよー」

にこりと笑って、由加も愛想良く応えてくれる。二人は傘を揺らしながら通学路を
辿る。空を見上げると晴天で、本当に雨が降るかは疑わしかった。

駅前のロータリーに差しかかって、花屋の前を通りかかる。店先にはすでに色とり
どりの花が並んでいた。舞美の姿は見えなかったけれど、いつでも目にする機会は
あったのだろうなと朋子は思う。

「……矢島さんって、いい人そうだよね」
「いい人だよー。あと花束つくるの上手だし、力持ちだし」

訊けば、家まで観葉植物の鉢を運んでもらったこともあるらしい。その他にも色々と
親切にしてもらっているそうで、そのエピソードは枚挙に暇がなさそうだった。

あの日も明るい笑顔を浮かべていた舞美は、いい人なのだろうなと素直に思う。
だからこそ、自分が彼女に勝っているところはあるだろうかと、考えたくはなかった。
168 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:26
 
169 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:27
講義も終わり、今日も今日とて本の整理だ。本を書架から抜き出してテーブルに
積み、それは後日地上に配架する。地下室には由加と二人きりで、物音も二人が
立てるものだけだ。

がちゃがちゃと金属音がする。不審に思って朋子が振り返ると、由加が背の低い
脚立を引きずっていた。「由加ちゃん」朋子が声をかけると、彼女は首を傾げる。

「……それ使うの?」
「うん。届かないから」

そう言って、書架の上方を由加は指さす。そこは背伸びすれば手が届きそうな高さ
だった。顰めた顔は、マスクのせいできっと由加には見えていない。

「危ないからやめなさい」
「でも届かない」
「うちがするから」
「……とも、過保護だ」

不満げに言われたけれど朋子は否定せずに、さらに言い含める。
170 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:27
「一人のときもだめだからね」
「由加の方が年上なのにー」
「たった一つでしょ」

頬を膨らませる由加を宥めて、朋子は彼女の隣へ寄る。試しに背伸びしてみると、
指先が本の背表紙をかすめるだけで、抜き出すことはできなかった。

朋子がかわりに脚立を使うことにする。由加の隣で、鈍く銀色に光る段を踏むと
それはぐらりと傾いだ。それに驚いて、思わず由加の肩をつかんでしまう。

「……ともだって危ない」
「いや、今のは、ちょっと」
「由加の肩使っていいよ」

ほら、と肩を跳ね上げられる。申し訳なく思いながらもそれを借りて、段にしっかり
と乗る。蛍光灯の光が眩しくて、目を細めた。

本に指を引っかけて一冊を抜き出し、由加に渡してそろりと段差を下りる。由加は
まだ不服げな顔をしていて、朋子は誤魔化すように笑った。

「肩、ありがと」
「ともも一人のときは脚立禁止だからね」
「……はぁい」

言い訳のしようもなく、渋々頷く。細い肩の感触が手のひらに残っていた。
171 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:28
「お花、買って帰らないと」

手にした園芸の本を見て、ふと、由加が言う。きっと、おつかいをする日なのだろう。
もしかしたら舞美が店番をしているかもしれないと思うと、朋子は複雑な思いになる。

二人の関係はただの店員と客だろう。それをどうこう言っても仕方ない。互いに
存在を、名前を認識しているからといって、それが特別な関わりを示すわけではない。

判っているのに感情の揺れが起きるのはなぜか。それは嫉妬だ。それを朋子は
知っているからこそ、自分が嫌になる。

「由加ちゃん」

名前を呼ぶと、彼女はこちらを見てくれる。今日は一緒に帰ってくれるかと、
訊きたかった。首を傾げる由加は純粋な瞳をしていて、朋子の嫉妬などきっと
気付いてはいない。

「……なんでもないよ」

買い物する用事があるから駄目だと言われるのが怖くて、訊けなかった。
朋子が笑ってみせると、由加も困ったように笑う。けれど追求されることはなく、
作業の時間は終わってしまった。
172 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:28
 
173 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:29
一緒に帰ろうと、言うまでもなかった。バイトの後に講義がなければ二人はいつも
並んで帰っている。ただ、どちらかに電車に乗る用事があったり、買い物をしたり
するときは途中で別れるのが常だった。

ここ最近は曇り空が続いている。しかし、本格的に雨が降ることはなかった。
今日も無駄になるのだろうなと思いつつ傘を揺らして、朋子は由加の隣を歩く。
いつもより、雲行きは怪しい。暗い空を見上げて、由加が手のひらを上に向けた。

「降りそうだね」

その言葉のすぐ後に、ぱらぱらと雨粒が降り注ぐ。傘をひらくまでもないかと初めは
思ったけれど、すぐにその考えは失せた。周りにいる学生も次々と傘をひらき、道は
色鮮やかになる。
174 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:30
大学から駅へと繋がる坂を下った。駅の裏側へと続く踏切で、電車の通過を待つ。
この場所では警報器の音がうるさく、話すこともままならない。

そっと由加の横顔を盗み見る。傘で隠れてはいなかった。視線に気付いたのか、
ぼうっと踏切の向こうを見ていた目が朋子に向けられる。どうかしたのかとでも
言いたげに微笑まれたけれど、朋子も笑い返すしかなかった。

今日はきっと花屋の前で別れる。買い物を待っていてもいいだろうけれど、いつもは
しないことをするのは気が引けた。

警報音が鳴り終わり、遮断機が上がる。雨に濡れたコンクリートは色を変えている。
それを一歩一歩踏みしめながら、傘を傾けて朋子は言う。

「明日も雨かな」
「たぶん、晴れるよ」

何か根拠があるのか、由加が応える。由加がそう言うのならば晴れるのだろうなと、
自然と朋子には思えた。

駅のロータリーに差しかかる。花屋の方を見ると、ちょうど舞美が店先の花を屋内に
移しているところだった。由加もちらりとそちらを見たけれど、足は真っ直ぐと帰り道に
向けられたままで、それを朋子は不思議に思う。
175 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:32
「花、買わなくていいの?」

由加が地下の書庫で言っていたことを思い出していた。
ぱたぱたと雨音が続く中で、彼女はゆるりと首を横に振って笑う。

「雨だから、明日にする」

その言葉の意味を、初めは掴めなかった。朋子がぽかんとしていると、彼女は
はっきりとこちらを見て微笑む。そして雨が傘を叩く音と共に、優しい声がした。

「一緒に帰ろう」

傘は水滴を受けとめ続けて、由加はそれを少し持ち上げる。
それからくるりと一回転させる、その動きは滑らかだった。

歩みを緩めていないせいで、すぐに花屋は視界から消えてしまう。
降り続ける雨は次第に弱まったけれど、それでも由加は足を止めなかった。

彼女の真似をして傘を回すと、わずかにしぶきが飛んで地面に跳ねる。
今日は、良い天気だ。
 
 
 
 
 
176 :なぜなら雨が降ったから :2014/12/26(金) 22:32
 
177 :名無飼育さん :2014/12/26(金) 22:33
 
178 :名無飼育さん :2014/12/26(金) 22:34
>>150-175
なぜなら雨が降ったから
179 :名無飼育さん :2014/12/26(金) 22:35
まつげの話は、いつだったかのラジオのおまけトークで話しておりました。

>>148
レスありがとうございます!
もう、二人が話してるだけでテンションあげあげりんですね。
今回の分も眠る前などに読んでいただけていれば嬉しいです。

--

それでは、これが年内最後の更新です。
今年は当スレをご覧いただきありがとうございました。

みなさま、良いお年をお迎えください。
180 :名無し飼育 :2015/01/05(月) 23:44
あけましておめでとうございます
なんだかまったりした内容ですね
ゆかちゃんの中で何かが変わってきているんでしょうか
2015の更新期待しています!
181 :君にできるあらゆること :2015/01/11(日) 18:36
 
182 :君にできるあらゆること :2015/01/11(日) 18:37
あくびを洩らすと、吐息が白く消える。マフラーに顔を埋めて俯きがちに通学路を
行くと、昼間という時間帯のせいかすれ違う人もまばらだった。

日差しが穏やかだ。家並みを抜けて駅前のロータリーに差しかかると、つい花屋の
方に目を遣ってしまう。それは半ば癖になっていて、その理由は判っている。

美人を見ると心が潤う。即物的だなと自分でも思うけれど、事実なのだから仕方ない。
初めこそ由加とのことで舞美には反感めいたものを抱いていたが、何度か話すうちに
それも消えてしまった。

今日も舞美は店先に出ていた。由加と一緒にいないときでも挨拶くらいは交わす
仲になっていたから一言だけでも声をかけて行こうとしたけれど、先客のせいで
一言では済まなくなる。

「おはようございます」

足を止めて舞美と愛理に挨拶をすると、彼女らも応えてくれる。その笑みと花々の
眩しさに、目がくらみそうになった。

「二人とも今から学校だ」
「ですね」

愛理も、帰路ではないらしい。これから登校すればほどよい時間に大学に着くだろう。
それから他愛のないやりとりを少し重ねて、愛理と二人で店から離れる。
183 :君にできるあらゆること :2015/01/11(日) 18:38
「お邪魔しました」
「いえいえ」

花屋から見えなくなったところで朋子は小さく頭を下げた。けれど愛理は上機嫌で、
足取りも心なしか軽く見える。何か良いことでもあったのかと、訊くまでもない。
朝から好きな人と話せれば、たいていその日は楽しく過ごせる。

由加と一緒に登校する機会はそう多いわけではなかった。だから幼馴染みの二人を
朋子は羨ましく思うけれど、それはそれで苦労も多いだろう。
そして、なにもかもを由加に結びつけて考えている自分に気付いて、苦笑する。

大学へと続く坂も、ひとけはそう多くない。愛理と並んで登坂しながら、朋子は
かねてから気になっていたことを彼女に尋ねた。

「鈴木さんと由加ちゃんって、そんなに仲良くないんですか?」
「うーん……。良くもなく悪くもなく。普通」

同じ学年で同じ学科だとはいうけれど、先日映画を観に行ったときに遭遇した様子
からしても、それほど親しいようには見えなかった。それまでに色々と話していた
から判っていたことではあったが、せっかく関わりを持てているのに、もったない
ことだと朋子は思う。

とはいえ、朋子も由加と同じ学年学科だったら親しくしていたかというと、そうは
思えなくもあるのだが。
184 :君にできるあらゆること :2015/01/11(日) 18:39
「あーもう、由加ちゃん由加ちゃんうるさい」

バイトの話をしていただけなのに、邪険に扱われる。たしかに話題に出す機会は多い
けれど、それには理由があった。だから、朋子は頬を膨らませる。

「だって鈴木さんしか聞いてくれる人いないんだもん」
「かわいこぶってもだめ」

呆れたように言い返される。他の誰にも言えるようなことではないのだから
たまには聞いて欲しい。けれど、今の時点でもかなり相手をしてもらっていると
言えるのだから、反駁もできなかった。

「じゃあ鈴木さんも矢島さんの話してくださいよー」
「また今度ね」

坂も終わりに差しかかり、徐々に学生が増えてくる。秘密の話はここの辺りで
終わりにしなければならない。

「浮かれてるねえ」

戯れ言を扱うような愛理の台詞に、朋子は笑って返した。
185 :君にできるあらゆること :2015/01/11(日) 18:39
 
   ◇ ◇ ◇
 
186 :君にできるあらゆること :2015/01/11(日) 18:40
電車の発着を告げるアナウンスを聞きながら、朋子は改札を抜けた。
夜も更けて街灯と月明かりくらいしか地を照らすものはなく、寒さから逃れるように
朋子はマフラーを巻き直す。

頬が火照っている。それをぱたぱたと扇ぎながらシャッターを下ろした花屋の
前を通っていると、後ろから肩をつつかれた。振り返ると、常から会いたいと
思っている人物がいて、朋子はぱっと笑顔になる。

「飲み会?」
「あ、うん」

尋ねられて、頷いた。当然のように由加は隣に並んで歩き、酔っているせいか、
それだけのことに高揚してしまう。へらりと笑うと由加は不思議そうに首を傾げ、
その仕草すら愛おしかった。

駅前を過ぎると、光が乏しくなる。歩道には街灯に照らされた木々の影があった。
たまたまぶつかった手を握るとそのまま受け入れられて、気分はさらに高まる。

「迷子にならないように」
「なにそれ」

念のため手を繋いだ言い訳をすると、由加は吹き出した。帰りが今になっている
理由を朋子からも訊いてみると、由加は家庭教師のバイトの帰りだという。

もしも飲み会の帰りだったとしても、彼女は酒を飲まないから朋子だけが浮ついた
気分でいるのには変わりがないだろう。その証拠に、繋いだ手を大きく揺らして
勢いをつけたままぶらぶらと前後させると苦笑いされる。
187 :君にできるあらゆること :2015/01/11(日) 18:41
「酔ってるね」
「ぜんぜん酔ってないよ」

彼女の言葉に、かぶりを振った。心なしか足元はふわふわするけれど、意識は
しっかりしているつもりだ。それに大した量を飲んだわけでもない、はずである。

街灯の下で歩道を行く。半端な時間帯のせいか、ほとんどひとけはない。時々
ウォーキングをしている人とすれ違うくらいで、世界に二人きりになったように
すら思えた。

夜風が熱をもった頬を冷ましてくれる。息を吸うと、涼やかな空気が気持ちよい。
繋いだ手はあたたかくて、それがなにより気分をよくさせた。

「あー、帰りたくない」
「なに言ってんの」
「だってめっちゃ爽やかだし、今」

朋子の言葉に、由加は息だけで笑う。ただの帰り道なのにすべてが心地良いのは
彼女のおかげだ。空を見上げると月と一緒に星も出ていて、その瞬きにつかの間、
目を奪われる。

視線を下ろして、同じように空を仰いでいた彼女の横顔を見た。どんな人よりも
その顔が好きで、いつでも見惚れてしまう。朋子の視線に気付いたのか、由加も
空から目を逸らして、にこりとこちらに向けて微笑んでくれる。

このまま家に着いてしまうのは惜しい。けれど、歩き続けていればいずれは目的地に
着いてしまう。もう少し一緒にいたいと、喉から出かけた言葉を飲み込んだ。

歩みが自然と遅くなる。それに由加は合わせてくれて、一緒にいられる時間を長引か
せてくれる。朋子が思っていることはきっと伝わっていない。それでも、同じように
行動してくれたことが嬉しかった。
188 :君にできるあらゆること :2015/01/11(日) 18:42
上機嫌に言葉を交わした。由加は普段通りにしているだけに違いないけれど、
朋子にはいつもより楽しく感じられて、はしゃいでしまう。

星明かりの下で、だんだんと由加の下宿先に近づく。さすがにそこでお別れになると
思うと、寂しさを感じた。立ち止まっても繋いだ手を離さないままにしていれば由加は
苦笑して、不意に、朋子の頬に手を当てた。

「やっぱりだいぶ酔ってるでしょ。ほっぺた赤いよ?」

覗き込まれて、その瞳をじっと見つめる。それから赤い唇へと目を移すと、暗がりの
中にいるはずなのに、それはいつもより色鮮やかに見えた。

頬に添えられている手のひらはひんやりとしていて心地良い。けれど、それを外さ
せるように朋子はつかんだ。すぐ近くで視線は絡まって由加もそれを外さないから、
なんだか可笑しくなって、くすりと笑ってしまう。

「ゆかちゃんの手が冷たいんだよ」

その後の動きは、自分でも驚くほど滑らかだった。顔を傾けて、そっと唇に唇を合わ
せる。突然のことに逃げもできなかったのか、その行為はあっけなく達成できた。
189 :君にできるあらゆること :2015/01/11(日) 18:43
触れるだけ、だった。
由加は驚いたように身体を固まらせて、それから強く朋子の肩を押した。

「…………酔っ払い」

繋いでいた手は離れてしまう。月明かりの中で由加の頬も紅潮しているのが
見えたけれど、その表情は複雑で、睨まれているようにも思えた。

鼓動が速い。

それに呼応するように、零れた言葉も熱かった。
190 :君にできるあらゆること :2015/01/11(日) 18:44
 
 
「好きなんだけど」
 
 
191 :君にできるあらゆること :2015/01/11(日) 18:44
 
192 :名無飼育さん :2015/01/11(日) 18:44
 
193 :名無飼育さん :2015/01/11(日) 18:45
>>182-190
君にできるあらゆること(前編)
194 :名無飼育さん :2015/01/11(日) 18:46
あけましておめでとうございます。
今年も当スレをよろしくお願いいたします。
あと、お酒は二十歳になってから!

>>180
レスありがとうございます!
まったりしつつ進行して参ります。
今回はちょっと進んだかな、といったところです。
2015年、ご期待に応えていければ良いのですが……。
195 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 18:57

196 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 18:58
「けっこうひどいよね」
「わかってますよお……」

手のひらの中の缶が冷たい。それを一口舐めて、テーブルに置く。ぐつぐつと
煮える鍋の向こうで呆れた顔をした愛理はグラスでお茶を飲んでいた。
先日の顛末を話したら、この反応である。こんな話は愛理にしか出来ないからと
相談に乗ってもらっているものの、解決の手立ては見つかりそうにもなかった。

いきなり路上でキスされて好きだと言われて相手が逃げたときの気持ちを答えなさい。
配点は百点。この問題の正解は由加に訊かなければ判らない。

けっこうひどい、という表現はかなり控えめなものだと思う。どう考えても最低で
最悪だし、その後も連絡を取ることもなく放っているのだから更に極悪だ。
197 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:00
自分一人で酒を飲んでいるのもなんなので、朋子は腰を上げて冷蔵庫に向かう。
「鈴木さんも飲みません?」勧めると、首を横に振られた。

「眠くなるからやめとく」

結局、自分のために一缶を持ち帰って朋子はこたつに入る。頬が火照っているのは
暖房のせいなのか酒のせいなのか判らずに、片手で扇ぐ。あの日も外にいたから
ましだっただけで、今日と同じくらい熱を持っていたのだろう。飲み会の帰りでさえ
なければ、と思わずにはいられなかった。

「酔った勢いとかさいあくですよ……」

そうだね、と愛理も同意した。容赦のない頷きに更に落ち込むけれど、事実なのだから
仕方ない。朋子は缶の残りを一口であおって、次の缶に手をかけた。ふう、と吐いた
溜息にはきっとアルコールが混ざっている。

「しかもゆかちゃんは完全にシラフだし。ってか一緒に飲んでたわけでもないし」

相手も酔っていればまだ良かった。それこそ、酔った勢いだったねと事は簡単に
済んでいたかもしれない。そのあとに好きだと言わなければ、ただの悪ふざけで
片付いていたのかもしれなかった。

好きだと、伝えてしまった。口から出た言葉は戻せない。数日経った今では尚更
だった。あのときにすぐ冗談だと言えば良かったのに、言い逃げしてきたのだから
手のつけようもない。
198 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:01
冷たい缶を頬に押しつけると、ひんやりと心地良い温度が熱を奪っていく。目の
前の愛理はもぐもぐと食事を続けていて、人のことは言えないがよく食べる人だと
改めて思った。プルタブを引くと軽い音がして、それに乗せるように朋子は訊く。

「……鈴木さんは告白しないんですか」
「しないよ。酔っ払った状態で会うわけでもないし」

この答えは朋子に対する揶揄だろう。言い返せないのが少し悔しいけれど、これも
また仕方ない。愛理は涼しい顔をして鍋をつついている。

「舞美ちゃん飲めないから」
「ゆかちゃんだって飲みませんよ……」

だから二人でいるときには飲まなかった。それこそ酔った勢いでなにかを言って
しまうのが怖かったからだ。ただ先日会ったときには酔いが気持ちよく回っていて、
それで、してはいけないことをしてしまった。
199 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:02
「もう二度と飲みません……」
「そう言う人って、だいたいまた飲むよね」

今まさに飲んでるし、と愛理はあきれ顔で言う。彼女が言うことはもっともで、
朋子もこの台詞を誰かが言ったときには信用していなかった。無様だな、と自分でも
思う。今だってくだを巻いているだけで、肝心の問題の解法はまったく見つかりそう
にもなかった。

「……どうすればいいと思います?」
「とりあえず謝って、フラれてきなよ」
「フラれる前提ですか……」
「そう考えるのが妥当だと思うよ」

愛理は残酷なことをさらりと言う。その予感はきっと当たっていると朋子も頭では
判っている。けれど、どこか期待している部分もあってそれは未だに捨てきれなかった。

由加はきっと誰にでも優しく笑顔を向けていて、こうやって勘違いしてしまう人は
掃いて捨てるほどいるのだろうとも思う。そう、おそらく。由加に恋愛感情としての
好意を持っているのは自分だけではない。
200 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:03
諦めろ、と愛理は言外に言っているのだろう。そうすべきだと朋子も思う。謝って
フラれてそこから徐々に距離を取っていくのが良い。断りの文句は予想がついていて、
由加はたぶん、お友達でいましょうだとか優しいながらにはっきりと言うに違いなかった。

目前にいる愛理を見る。ずっと片思いしていた相手とこうして親しくしていられるのが
特殊なのかもしれない。もう過去の話ではあるけれど、今となっては思わずにはいら
れなかった。

「……鈴木さんがうちを好きになってくれれば楽だったのに」

告白を断られた後も、長らく好きでいた。必死で受験勉強をして同じ大学に来たのも、
否定したくはあるけれど、愛理がいるからだという部分がきっとある。

「楽かどうかで恋愛するもんじゃないよ」

箸を進めながらそう言う愛理も、決して楽ではないであろう恋愛をしている。
幼馴染みに恋するというのがどういうものなのか朋子には判らなかったけれど、
難しい問題であるのは想像がついた。
201 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:04
たった数ヶ月前に出会っただけの友人ですら、関係を壊すのが怖いのに。もっと
ずっと長い間を一緒に過ごした相手だ。その関わりを大きく変えてしまうかもしれ
ない言葉を軽々しく伝えられるとは、思えなかった。

「そうだ。あたしにはキスしたらだめだからね」
「しませんよ……」

軽い調子で言う愛理に、溜息まじりで応える。今も酔ってはいるが、さすがに二度
同じ間違いを犯しはしないし、以前好きだったからといって今さら迫りはしない。
それが判っているから愛理も朋子の部屋に来ているはずだ。つまりその言葉は冗談。
朋子にもそれくらいは判る。
202 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:04


食べ終えて、食器を流しに運ぶ。片付けは後から朋子がすることにして、愛理は
玄関に向かった。外はきっともう真っ暗闇だ。マフラーを巻く後ろ姿を見ながら、
朋子は提案する。

「送ります」
「酔っ払いがなに言ってるの」

呆れたような声で言い返された。愛理はまったく未練を残した様子も見せずに
ドアノブに手をかける。扉の隙間から吹き込む風が冷たくて、朋子はぶるりと
身震いした。

「じゃあ、家についたら連絡ください」
「はーい」

軽快な返事と共に、それじゃあまた、と挨拶を交わす。目の前で閉じるドアを見て
朋子は溜息を吐く。いつどうやって決着をつけるかを、きちんと考えなければならない。

この数日はバイトにも行っていない。
それは、由加に会うのが怖いからだった。
203 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:05
 
   ◇ ◇ ◇
 
204 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:06
そろそろ地上での作業もしなければならない。そう思いはするけれど、朋子が今して
いることは待ち伏せだった。図書館の地下書庫。本来ならば労働をする場所で、朋子は
由加が来るのを待っている。

講義がいつあるか、それによってアルバイトをできる時間帯は限られていた。由加が
いつ図書館に来ているかはある程度把握しているから、今日の行動も無駄にはならな
いだろう。

手持ち無沙汰で、埃っぽい書庫を見渡した。テーブルに積まれた書籍が、これまでの
作業の時間を感じさせる。どれほどの時をここで由加と一緒に過ごしたのか、
朋子にはもう判らなかった。

胸に手を当てると、緊張のせいか拍動が強く打っている。喉もからからに渇いている
けれど、図書館内は飲食禁止だ。小さく息を吐く。適温に調整された部屋では、
呼気が白く染まるわけもなかった。

エレベーターが到着する音がして、朋子は顔を上げる。由加以外の職員かもしれない
けれど、予想通り、やって来たのは待ち人だった。
205 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:07
「……びっくりした」

開口一番、由加はそう言った。驚きで目を白黒させ、出入り口付近で立ち止まって
いる。近寄ってこないのは単に足が止まっているだけなのか、近づきたくないのか、
判らなかった。

「とも、授業でしょ?」
「休講だから」

嘘だった。けれど後で友人にノートを写させてもらえばいいだけの話で、今は講義
よりも由加を優先したいだけだ。

朋子の嘘には気付いていないのか、「そうなんだ」由加は言って、腕時計に目を遣る。
もしもこのまま黙っていれば、どうなるのだろう。彼女から核心に迫ることを言って
くれるのだろうか。なんとなくそうは思えなくて、朋子は深呼吸する。

「……この前は、ごめん」

相変わらず、心臓が強く打っていた。
由加は顔を上げて困ったように笑って、首を傾げる。
206 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:08
「どれについて謝ってるの?」
「……キスしたこと」

返す声が小さくなってしまって情けなかった。二人しかいない部屋はしんと静まり
かえっている。宙を舞う埃が蛍光灯の光を受けて、ちらちらと眩しかった。

「……それは、びっくりしたけど。今さら言っても、仕方ないし」

由加は顔を俯かせる。彼女の言葉も徐々に小さくなり、空気に溶けていった。
再び空間は静寂に満ちて、朋子が言葉を探していると由加が先にぽつりとこぼす。

「いっつもああいうことしてるの?」
「してない! してないよ!」

朋子は勢いよく首を横に振った。酒に酔っていたからといって、誰彼構わず、という
わけではない。由加だけが特別で、だからといって、許されることではなかった。
207 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:08
「ほんとに……ごめん」

いくら謝っても足りない。立ち並ぶ書架にさえ圧迫感を感じ、責められている気が
した。由加が小さく息を吐く。それは溜息なのか別のものなのか、朋子には判断が
つかなかった。そして、謝罪の後に言おうと思っていたことを、おずおずと口にする。

「それで、このバイトやめようかなー……って」

毎回一緒に作業をしているわけではない。それでも、二人で同じ時間に合わせた方が
都合が良いときもあった。それが週に一度でも、たとえ月に一度だとしても、もう
朋子は由加に会わない方が良いと感じている。

「他のバイト忙しいし。レポートとか試験とかあるし」

とってつけたような理由を告げた。由加は相変わらず困ったような顔をしていた
けれど、返された言葉は強さを孕んでいた。
208 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:09
「そんな嘘ついてまで由加に会いたくないの?」

睨むように、目を合わせられる。会いたくないわけがなかった。しかし、会いたい
などと言えるわけもない。

好きだと、そう言ってしまったことにはまだ触れていなかった。由加に気持ちを訊き
たいとは思う。けれど、はっきりと知ってしまう前に自分から終わらせたいとも思った。
「もう」朋子は続ける言葉をためらう。それでも、はっきりと告げた。

「友達では、いたくない」

それは裏を返せば、恋人になりたいという意味だ。
告白をなかったことにして、キスしたことさえなかったことにして、今まで通りに
友達でいる。朋子が望めば、由加はきっとそうしてくれるだろう。それが判っている
から、朋子から言わなければならなかった。

朋子の言葉を受けて、由加は黙りこむ。躊躇するような間を置いて、それでも
はっきりと彼女は言う。
209 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:10
「……友達で、いようよ」

心なしか彼女の瞳は潤んでいるように見えた。ひどいことをしている自覚はある。
一方的に好きになって、一方的に終わらせようとしているのは判っていて、けれど
返す言葉は予定通りだった。

「……うちはそれじゃ、嫌だから」

由加から目を逸らして言った。彼女からの返事もないし、これ以上、話すこともない。
この場所に二人でいたところで何かが変わるわけでもないだろう。今日はもう講義も
ないことだし、帰ってしまおうと思った。

「ばいばい」

歩き出し、由加の横を通り過ぎてエレベーターに向かう。彼女の顔は見なかった。
ボタンを押すと扉はすぐに開く。そのまま乗り込んで上階に辿りついて降りても、
エレベーターはその階に留まったままだった。

階数表示を数秒でも眺めてしまう自分は本当に無様だった。追いかけてきては
くれないだろうかと、少しでも期待してしまったことが情けなかった。
 
 
 
 
 
210 :君にできるあらゆること :2015/01/16(金) 19:10

211 :名無飼育さん :2015/01/16(金) 19:11

212 :名無飼育さん :2015/01/16(金) 19:12
>>196-209
君にできるあらゆること(中編)
213 :名無し飼育 :2015/01/20(火) 21:20
目頭の熱い展開ですね
214 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:28

215 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:28
後ろを振り返らずに坂を下ると、目が潤んで視界が揺れた。すれ違う人に不審がられ
ないように涙は飲み込み、真っ直ぐに道を進む。

泣く理由などない。突然、好きだと言っても受け入れてもらえないのは判っていた
ことで、きちんとした順序を踏まなかったのは手痛いミスだったとも知っていた。

せめて可能性を上げるために、事前に手を尽くすべきだったのだ。ただの友人に、
意識していない人物に、告白されても戸惑うだけだろう。

進路に散らばる落ち葉を蹴り飛ばした。見上げると、木々はすっかり葉を落として
いる。本格的に冬は到来し、夕暮れともなると頬を撫でる風は刺すように冷たかった。
216 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:29
坂を下り切って踏切に差しかかると、ちょうど遮断機が下りてきたところで、
足止めされる。電車がスピードを緩めながらホームに入れば警告音は鳴り終わり、
道行く人々は皆、足を進めた。自然と早足で下り坂をやって来たせいで、少し
息が上がっている。朋子は立ち止まったまま一度小さく深呼吸して、踏切を
渡った。

ロータリーにたどり着くと、駅舎から人々が吐き出される。その中に見知った影を
みつけ、朋子は足を止めた。こちらから声をかける気にはなれなかったけれど先方
には気付かれてしまったようで、佳林が目の前まで駆けてくる。

「今帰りですか?」
「……うん」

迷いながらも頷いた。本来の帰宅時間は今よりも少し遅いはずだったから、わずかに
罪悪感を抱く。しかしもう夕方であるせいか佳林は疑った様子もなかったし、大学の
時間割が不規則なことも知っているのだろう。
217 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:30
「じゃあ佳林も一回帰ろうかな」

その言葉を不思議に思って尋ねてみると、どうやら由加と待ち合わせの予定がある
らしかった。ただ佳林の方が早く着いてしまったから、その時間つぶしをどこで
するか悩んでいたそうだ。

「一緒に帰ろうか」

由加はまだ大学にいる。バイトを時間通りにこなすのならば、しばらくは帰って
こないはずだった。帰路は途中まで重なっているのだからと朋子が提案すると、
佳林は嬉しそうに頷く。

踏切の音がこちらまで聞こえてきた。見えないところで遮断機が上げ下げされている
のだろう。その音に掻き消されないように佳林と話していると、名前を呼ぶ声がした。

追いかけて来てくれた、と。
内心で喜んでしまった自分はやはり情けない。
218 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:31
「由加ちゃん」

佳林が彼女の名前を口にする。息を切らせ気味に由加は頷いて、朋子と佳林とに
交互に視線を遣った。「たまたまそこで会って」一緒にいるのは偶然だと朋子は
説明する。

そうだ、と佳林がなにか思いついたかのように声を上げた。それに由加と二人で
首を傾げると、佳林は楽しげな顔をする。

「せっかくだから、一緒に食べましょうよ」
「なにを?」
「お夕飯を」

朋子の問いに、佳林はにこりと答えた。先ほど、帰ろうと言っていたのだから、
この後に用事がある、というのは通用しそうにもない。朋子が答えあぐねていると、
由加も佳林に賛同した。
219 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:31
元々、由加と買い物をして夕食の準備をするはずだったらしい。この前のお礼に
ケーキも買っていきましょう、と佳林は浮かれた様子で言う。ちらりと由加の方に
視線を遣ってから、朋子は頷いた。

スーパーに向かって、佳林が一歩先を行く。それを追いかけるように二人は並んで
歩くかたちになり、服の裾を引かれた。横目で由加を見ると、耳元で囁かれる。

「佳林ちゃんはなにも知らないんだから」

だから、自然にしていろということで、朋子もそれに同意だった。由加を意識しす
ぎた言動は慎まなければならない。そう長い時間でもないだろうから、出来るはず
だと朋子は思った。
220 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:31

221 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:32
ソファでくつろぎながら、毛並みの良い猫を抱き上げる。嫌がられたのか、すぐに
逃げていくのを名残惜しく視線で追った。飼い主である佳林は苦笑して猫の名前を
呼ぶけれど、こちらには来てくれそうにもない。

こうやって、食事の後に誰かと一緒にのんびりするのは久しぶりだった。つけられた
テレビではバラエティ番組が流れていて、それに紛れて由加が食器を洗う音がする。
手伝わせてくれ、と主張したにも関わらず、お客さんだからと退けられてしまっていた。

出窓に、花が飾られている。もしかしたら由加が駅前の花屋で買ってきたものかも
しれない。それに気を取られていると番組は天気予報へと切り替わり、佳林と話して
いるうちにテレビドラマが始まった。

何話目なのか判らないドラマにはついていけない。ただ主人公が失恋したということ
だけは判って、胸がちくりと痛んだ。そしてその内容から、佳林に伝えようと考えて
いたことを思い出した。
222 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:33
「そういえば。文化祭の演劇、良かったよ」
「ありがとうございます」

語彙の乏しい褒め言葉に、佳林ははにかむ。なぜ思い出したかというと、あの劇も
叶わぬ恋の話だったからだ。二人がテレビに目を向け直すと、画面の中で主人公は
涙を流していた。

「悲恋ものがいいのって、お話の中だけですよね」
「……そうだね」

ソファの上で朋子は膝を抱えて、頷く。由加にこの会話は聞こえているだろうかと
思った。漫然とみているこの番組も、真剣に見ていたら主人公に感情移入している
ところだろう。
223 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:33
この主人公は、今後どうするのか。おそらくこれは最終回ではなく、まだお話の
途中だ。これからまた別の恋をするのか、はたまた同じ相手を思い続けるのか。

朋子も、自分がどうするのか判らなかった。もしかしたらすぐに新しく好きな人が
出来るかもしれない。そうでなければ引きずるだけの話で、そうなりそうな予感も
していた。

洗い物を終えたのか由加がソファにやって来て、佳林を真ん中にして三人で腰掛ける。
もう夜の九時を過ぎた。そのうち佳林の両親も帰ってくるだろうし、これ以上長居は
出来ない。

「そろそろ帰るね」

朋子が腰を上げると二人も玄関までついてきてくれた。「ごちそうさまでした」朋子が
言うと、いえいえと佳林は楽しげに首を横に振る。
224 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:34
「また来てくださいね」
「……うん」

躊躇いがちに頷いて、ドアノブに手をかけた。もう来ることはないだろうと朋子は
思ったけれど、出来るかぎりの笑顔で言う。

「お邪魔しました」
「あ、待って。由加もコンビニ行く」

え、と反応する前に由加はぱたぱたと廊下を戻って、コートを持ってきた。なぜ
このタイミングで、と朋子は思ったが、由加は自然な笑顔を浮かべている。

「途中まで一緒に行こう」

嫌だと言うわけにもいかずに、ドアを開いた。夜の空気はいっそうと冷たく、
身が引き締まる。佳林だけを残して路上に出るのは、朋子としては気が重かった。
225 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:34
由加と二人になって、なにを話せばいいのだろう。コンビニは二人の家の中間に
あるけれど、そう長い道のりでもなかった。本当に由加が買い物をしたくて来た
のかも判らずに、朋子は言葉を見つけられずにいる。

歩き始めても、由加は黙ったままだった。小石を蹴り飛ばすように足を振って
いたり、息が白くなるように大きく吐いたり、手持ち無沙汰な行動ばかりを
している。

「……由加ちゃん、コンビニ過ぎてるけど」

明るい看板の前を数メートル過ぎたところで、声をかけた。まさか由加が気付いて
いないわけもないだろう。街灯の明かりだけでも由加の表情は見て取れて、朋子は
気が動転する。
226 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:35
「え、ちょっと待ってなんで」

朋子の言葉の途中で、由加は手で目元を擦った。なんで泣くの、と続けると、
由加は俯く。目元は押さえたままですんすんと鼻を鳴らし、彼女は言う。

「だって、ともが」

狼狽えながらも、鞄からポケットティッシュを探り出して由加に渡した。何気なく
路上で受け取っただけのものだったけれど、今は大いに感謝する。そしてこんな
道端で、どうやら自分が泣かせているらしいことに朋子の動揺は続いた。

触れても良いのだろうかと迷いつつも、背中を擦ってやる。落ち着くまでに、
しばらくかかった。道行く人が不審げに見てくるのを愛想笑いで誤魔化して、
しゃっくり上げているのが止まると由加は涙声になる。

「絶交するみたいなこと言うから……」
「いや絶交ってそんな、小学生みたいな……」

友達ではいたくない、と。
そう言ったのは事実だったから、強くは言い返せなかった。

由加は肩で息をするように震えている。それに対して朋子はおろおろするだけで、
なにも出来なかった。せめて気が静まるようにと背中を緩く叩いてやると、由加は
小さく鼻を啜る。
227 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:36
「……友達じゃ、だめなの?」

本気で言っているらしいと気付くのに、数秒かかった。ただの断り文句ならこうして
泣くわけもないはずだ。抱きしめたくなったのを抑えて、「でも」朋子は言葉を濁す。
けれどその後には何も続けられず、そうしていると、由加が小さく言う。

「……あれは怒ってるけど」

あれ、というのはキスしたことだろうか。また由加がしゃっくり上げて、朋子は
戸惑ってしまう。とにかく今は由加の気を落ち着けたくて、背を叩いてやりながら
声をかける。

「ごめん、由加ちゃん」

謝るしかないのは判っていた。けれど由加は首を横に振って、もういい、と小さく
言う。許してはくれないのかもしれないが、済んだことは仕方ないということだろうか。

暗い夜道で、何をしているのか。だんだんと身体が冷えてきた。泣かせたまま一人で
帰すわけにもいかないから送って行こうとは思うものの、佳林になんと言い訳すれば
いいのかと途方に暮れる。

「またアイス食べに行こ? ごめん。泣かないで」

幼子をあやすように、優しく触れた。泣きじゃくりながら頷く由加は子どものようで
可笑しいけれど、笑っている余裕はない。

背中を叩いてやりながら空を見上げると、天は星に満ちて輝かしかった。
「泣かないで」もう一度言うと由加もまた、頷いた。
 
 
 
 
 
228 :君にできるあらゆること :2015/01/24(土) 16:37

229 :名無飼育さん :2015/01/24(土) 16:37

230 :名無飼育さん :2015/01/24(土) 16:38
>>215-227
君にできるあらゆること(後編)
231 :名無飼育さん :2015/01/24(土) 16:39
>>213
レスありがとうございます!
もう終わりが見えてきていますが、
これからはゆったりと(?)いきたいところです……。
232 :名無し飼育 :2015/01/25(日) 01:14
終わりが見えてきたというより、迷路に入った気がしますが……
これからのゆったりと(?)した更新を正座待機してます!
233 :名無飼育さん :2015/02/02(月) 14:09
ドキドキ…(;`・ω・)
234 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:27
 
235 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:28
かじかむ手を吐息で温める。そうするよりは手袋をした方がいいのだろうが、
あいにく今日は忘れてしまっていた。マフラーに顔を埋めると少しは寒さがましに
なるけれど、手先の冷たさは誤魔化せず、コートのポケットに突っ込む。

冬の晴れた午後は空気が澄んでいて心地良かった。もう少しだけでも気温が高ければ
良い季節だろうに、そうはいかないのが現実だ。

朋子は足早に大学から駅へと繋がる坂を下る。特に用事があったわけではないけれど、
早く屋内に入ってしまいたかった。寄り道せずに帰ればそう長い道のりでもないから
自然と急ぎ足になり、何人も学生を追い抜いていく。朋子と同じように道行く人々も
寒々しい中を俯きがちに歩いていて、誰にも気に留められた様子はない。
236 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:28
相変わらず駅の大学側は賑わっていて、朋子は買い物客の間をすり抜けるように
して進まなければならなかった。人混みはなんとなく暖かくも感じられるけれど、
好きにはなれない。

踏切に足止めされることもなく閑静な側の駅前に出てほっと息をつくと、ロータリーに
バスが入ってくるところだった。それの排気音を聞いた後に目を上げると、舞美の
姿が目にとまり、こちらに向けて手を振る彼女に会釈で返す。帰り道だから避ける
理由もなく朋子が花屋の店先に歩いて行くと、彼女は眩しい笑顔を浮かべる。

「帰り?」
「あ、はい」

答えて、肩にかけた鞄を掛け直した。相変わらず店頭には綺麗な花が並んでいて、
透明なガラス戸越しにも色とりどりの花たちが置かれている。朋子の視線を
察したのか、「見ていく?」と舞美が店内へと続くドアを開けた。
237 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:29
急いでいるわけでもないし、興味もある。にこにこと笑う舞美に促されて店内に
入ると外よりは暖かく、朋子は安堵の息を吐いた。そしてぐるりと周囲を見渡すと
青々しい観葉植物もあり、扱う商品の幅広さを感じられる。

「きれいですね」
「ありがとう」

平凡な褒め言葉を口にすると、舞美に頭を下げられた。二人きりで長くいたことは
ないから、何か良い話題を探そうと朋子が思考を巡らせていると、舞美が先に口を
開く。

「なにか悩んでる?」

その言葉に、驚いた。たしかに悩みごとは尽きなくて、よほど顔を顰めでもしていた
のかと反省する。悩みが尽きない、といっても、頭の大半を占めているのは由加の
ことだ。

友達でいたい、と言われたことに戸惑っているのは否定できなかった。この恋の行方
はどうなるのか、さらに先が見えなくなってしまい、どうすべきかを考えている。
238 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:31
「……友達の話なんですけど」

話す気になったのは、舞美がフラットな位置にいるせいかもしれない。由加にも
朋子にも深入りしない、平等な意見が欲しかった。朋子が話し始めると舞美も
話を聞く姿勢になり、丸椅子に腰掛ける。朋子も椅子を勧められ、ありがたく
使わせてもらうことにして、言葉を選ぶ。

「失恋したみたいで。それで、友達でいようって言われたらしいんですけど」

あくまでも、友達の話として。自分に降りかかった難題ではないと、出来るだけ
軽く口にした。舞美はうんうんと頷いて聴いてくれて、朋子は言葉を続ける。

「そういうのって、本当に友達でいられると思いますか?」

断るための方便だろうと、朋子は思っていた。ただそれは由加に言われる前までの
話で、今となってはどちらなのか判断がつかずにいる。おそらく真剣に言葉にされた
友達でいようという台詞は、どこまで受け入れて良いのか判らなかった。
239 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:32
「いられるんじゃないかな」

返事は清らかで、真っ直ぐだった。本当は朋子も舞美の返答は予想がついていて、
その通りの言葉が返されることになり、心のどこかで安堵する。上手い言葉を探して
いると揺るぎのない瞳に見つめられ、彼女は口許だけで笑んだ。

「でも、それじゃ嫌なんだ?」
「……そうみたいですね」

友達でいたいと言われて安心する一方、その関係では満足できない自分がいる。
関わりを絶たれるより良いはずなのに、それならばもう近くにいない方がましだ
とも思ってしまう。朋子がまた黙りこむと、舞美は朗らかに笑った。

「がんばってね」

その言葉に、気の利いた返事を探す。あくまでも友達の話です、と小さく返すと、
わかっているよと笑顔で返された。
240 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:32
 
   ◇ ◇ ◇
 
241 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:33
「光栄じゃん?」

愛理に先日の顛末を話すと、開口一番そう言われた。二人は今日も学食の隅で
秘密の会合を開いていて、周囲に人の姿はない。愛理はずるずると紙パックの
ジュースを飲んで、テーブルに置く。

「そこまで友達でいたいって思われるって、なかなかないと思うけど」
「そうですけど……」

呆れたように言われて、言葉を濁した。由加の願いを受け入れれば良いのは判って
いる。今まで通り友達でいて欲しいと、真面目に言われてしまうと多少は心も動いた。

けれど、友達でいたとしても恋愛感情が消えるわけではない。由加もそれを判って
いないはずはないだろうに、何を考えているのだろう。清らかに真っ直ぐに、普通の
友人として過ごせると思っているのだとしたら、朋子としては理解しがたい。

もし友達でいたとしてもさすがに恋愛相談はされないだろうと思うけれど、誰かと
付き合い始めるのを目の当たりにしなければならないかもしれなかった。それは到底
耐えられるものではないと思うし、だから朋子は友人でいるのが怖かった。

由加が誰かを好きで付き合い始めるというのは、現実的に大いにあり得る。もしかし
たら由加が好きではなくとも、誰かに告白されてなんとなく付き合い始めるという
ことも充分に考えられた。
242 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:34
「由加ちゃん、好きな人いるかどうかわかりません?」
「知ってるわけないじゃん」
「なんか同じ学科の人とか。あやしい人いないんですか?」
「……うーん。っていうかいたら嫌でしょ?」
「……嫌ですね」
「なら詮索しない方がいいんじゃない?」

また呆れたように言われ、朋子は言葉に詰まる。

「あの子も意外と食えないからねえ」

愛理から由加への評価は、朋子からすると多少予想外だった。愛理は紙パックを
一度持ち上げ、中身が空だったのを思い出したように、また置く。そして手持ち
無沙汰になった両手の指を組んで、ぐっと前に伸ばした。
243 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:35
「意外と計算高いと思うよ?」
「……いいですよ、それでも」

意外、を二度続けて使われる。由加の学科での活動や講義中の様子を朋子は
知らないから、愛理が言っていることがどこまで真実に近いのか判らなかった。
愛理は指を解いて、考えるように天井を見る。

「なんかさぁ、ずるいじゃん」
「なにがです?」
「友達でいたい、っていうのが」

意外と食えずに計算高い根拠は、そこにあるのだろうか。

「生殺しなわけでしょ? それわかってて言ってるんだから」
「そうかもしれないですけど……」

言われずとも、それは判っていた。だからこそ友達でいるのが嫌なのだ。朋子も、
天井を見上げる。そんなところに答えが書いているはずもなく、ただ呟くことしか
できなかった。

「……ああ、わかんなくなってきた」
244 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:35
 
245 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:36
一緒に帰ろうと誘われることは珍しい。購買の前で待ち合わせて駅まで続く坂を
下り始めると陽が差してきた。冬の乾いた空気の中で由加を見遣ると、彼女も
こちらを向いて、眉を下げる。

「ごめんね」
「……なにが?」
「泣くつもり、なかったんだけど」

ぼそぼそと言って、由加はマフラーに顔を埋めた。通学路にさほどひとけはなく、
すぐ隣を誰かが歩いているわけでもない。それを確かめて、朋子も話を続けた。

「……ううん。ってか悪いのはうちだし」

謝らせてしまったことを心苦しく感じる。「ごめんね」朋子が言うと由加は首を
横に振った。ただ、悪いとは思うけれど、きっと彼女の望むとおりには出来ない
と朋子は思う。

「……でも、友達だけど。好きなのは変わらないっていうか」

友達でいることは出来るのかもしれない。それでも簡単に感情を切り替えられる
わけはなかった。もし友達でいたいというのなら、これは受け入れてもらわなければ
ならない問題だった。
246 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:36
「……それでも、いい?」

窺うようにして見ると、由加はこくりと小さく頷く。そして息継ぎをするように
マフラーから顔を上げ、口許に笑みをたたえて彼女は言った。

「でも、由加以外に好きな人ができたら。……気にしなくていいからね?」

好かれてるのが嫌とかってわけじゃなくて、と彼女は言葉を選ぶような顔をする。
朋子が黙って待っていると、彼女は自分の考えに得心したように頷きつつ言う。

「変な義理立てしなくていいから」

今好きだからといって、ずっと好きでいる必要はないと。
由加はそう言いたいらしかった。
247 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:37
「……由加ちゃんも、もし好きな人できたら。っていうかいたら」

そんなことは想像したくはないけれど、同じように可能性はある。だから、精一杯の
虚勢を張るしかなかった。

「気にしないで、いいからね?」
「……そうだね」

朋子が言うと、由加はどこか寂しそうに笑う。手袋をした指同士が触れあった。
あれから由加は手を握ってくれることはない。それは仕方ないと、朋子は思う。

「アイス食べて帰ろうよ」

この誘い文句は、いつかの夏の日を思い出させる。汗が滲むほど暑かったあの頃から
木枯らし吹きすさぶ今日まで、どれほどの時が過ぎたのだろう。一緒にいられた時間
はすべて大切で、それなら友達でいるべきだとは判っていた。

朋子の提案に、由加は嬉しそうに頷く。それにほっとしてしまうのだから、
まだしばらく、好きでいるのはやめられそうにもなかった。
 
 
 
 
 
248 :最後から二番目の真実 :2015/02/06(金) 19:37
 
249 :名無飼育さん :2015/02/06(金) 19:38

250 :名無飼育さん :2015/02/06(金) 19:39
>>235-247
最後から二番目の真実
251 :名無飼育さん :2015/02/06(金) 19:39
レスありがとうございます!

>>232
いちおう出口のある迷路、の予定です。
足を痺れさせてしまったかもしれませんが、
今回も待っていてもらえたら嬉しい限りです。

>>233
ドキドキしてもらえて嬉しい限りです。
(・∀・)<まだまだご感想お待ちしております!
252 :名無飼育 :2015/02/07(土) 07:08
これから二人はどうなっていくのかと思うとドキドキします。
自分は友人に失恋後、友達でいようとして結局疎遠になったので
金澤さんたちの関係はどうなるのかとても気になります。
次回の更新も心待ちにしています。
253 :名無飼育さん :2015/02/08(日) 23:00
花屋の彼女の清々しさで心が洗われましたw
宮崎さんを計算高いと評する慧眼の持ち主もさすがで。
食えない人ばかり好きになっちゃって、金澤さん苦労しますなぁw
254 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:34
 
255 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:35
絶対に、邪魔者だ。

向かいに舞美、隣に愛理。最寄りから数駅離れたカフェで、なぜこんな組み合わせで
お茶を飲んでいるのだろう。

それなりに混雑した店内を軽く見渡した。見知らぬ人ばかりの場所だからある程度は
秘密の話をしてもいいだろうと思うけれど、積極的にしたいものでもない。

舞美は次の用事までの時間つぶしに休憩していて、朋子も同じ理由だった。
愛理は舞美に付き合って店に入り、そこで三人が行き会ったという次第である。

「どれ、お姉さんに話してごらん」

先日の恋愛相談を朋子のものとして受けとめたらしい舞美が、興味深そうに
身を乗り出す。その分だけ朋子は身を引いて逃げるけれど、真っ直ぐな視線には
逆らえそうもない。
256 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:36
話すとしても具体的なことは言えないし、名前を出すなどもってのほかだ。
それなのに、愛理と同じ学科の誰かだ、というのは伝わってしまったらしい。
それを知らせてしまった張本人は、隣でのんびりとお茶を飲んでいる。

「……そうですねえ」

内心では愛理に悪態を吐きつつ、朋子は愛想笑いを浮かべる。「どんな人なの?」舞美の
質問は平凡なもので、乗り切るのは簡単なようにも思えた。

「優しくってカワイイ系かなー」

朋子が答える前に、愛理が言う。ちらりと横目で彼女を見ると、わずかに口角が上がって
いた。……もしかしたら、面白がられているのだろうか。

「いい人?」

舞美は優しげな笑みを浮かべて、言った。いい人か悪い人か、訊かれれば答えは
ひとつに決まっている。朋子は小さく息をついた。

「はい」

由加のことを思い出した。最後に会ったのはいつだったか、軽く記憶をたぐり寄せる。
確かそれはバイトのときで、つい数日前のことだった。
257 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:36
 
   ◇ ◇ ◇
 
258 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:37
「宮崎ちゃんとは遊ばないの?」

大学に向かう道すがら、尋ねられた。先日カフェで会ったときには別の友人と遊んで
いた、という話をしただけなのに、愛理はすぐに由加のことを持ち出してくる。

「いま旅行中なんで」
「寂しいねえ」
「そんなことないですよ」

強がっていると、肘で横っ腹をつつかれた。それを払いのけつつ、朋子は空を
見上げる。晴れた冬空はとても澄んでいて、由加が旅行を楽しめていればいいと、
朋子は素直に思う。

土日と授業の都合がつく数日間で、由加は友人たちと出かけていた。その計画を
楽しそうに話すのを聞いていたから寂しいなどとは言えないし、言えるような立場
でもない。そもそも、たったの数日間だ。それくらい会えないのは、よくあること
だった。
259 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:38
隣では愛理が地面に転がる石ころを蹴飛ばしている。てんてんと前進した石は側溝に
落ちて、すぐに姿が見えなくなる。朋子も足元を見下ろしたけれど、都合良く石が
転がっているわけでもない。

「何日か会えないなんて、よくあることだし」

思っていたことを、口に出して反芻する。それは自分に言い聞かせるような行為
だった。そうだねえ、と愛理が相槌を打って、朋子は彼女の方を向く。

「鈴木さんたちって、毎日会ってるんですか?」
「会いたければ、いつでも会えるよ」

お隣さんだからね、と愛理は続けた。それに舞美はよく店先に出ているから、
登下校するときにも自然と目に入るのだろう。それを朋子は羨ましく思うけれど、
愛理からするとそう単純なものではないらしい。
260 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:38
「……やっぱり、言わないんですか」
「言わないよ」

幼馴染みの関係を崩したくないと愛理は言った。だから好きだと伝えることは
できないと、そういう意味だった。

「酔っ払った勢いにしても、好きだって言った時点であたしより一歩リードだよね」

へらりと笑ってはいるけれど、それは自嘲の笑みなのかもしれなかった。声に出す
だけなら簡単なことなのに、とても難しい。朋子もそれは承知していたはずなのに、
勢いで伝えてしまった。考え込みそうになっていると、いや、と愛理が付け加える。

「一歩も二歩もないか」

言うつもりがないのなら、そうなのかもしれない。愛理はまた足元に石を見つけて
蹴り飛ばす。そろそろ坂も終わりに近づいて来た。
261 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:39
「早く会えるといいね」

校舎が見え始めてきた頃にそう言われて、朋子は素直に頷く。いつ、会えるだろうか。
会いたいと言われることはなくとも、バイトはどうするかと連絡が来るかもしれない。
それに少し期待してしまう自分が可笑しくて、笑いそうになる。

友達でいたいと言う由加と、幼馴染みでいたいと望む愛理と。
その願いは似ているのかいないのか、朋子には判らない。
262 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:39
 
   ◇ ◇ ◇
 
263 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:40
由加に会えないアルバイトは味気ない。黙々と作業をして図書館を後にする頃には
日が暮れかけていた。暗くなり始めた空には月が浮かんでいる。それを見上げて、
朋子はマフラーを巻き直した。

今日は由加が旅行から帰ってくるはずの日だった。連絡しようかと少し迷って、
しかしそれではなんだか負けた気がする、とも思った。勝ち負けの問題ではない。
それは判っているけれど、多少は意地も張りたくなる。

好きになってしまったことが、なぜか悔しい。こんなつもりではなかったのにという
思いがあるせいかもしれなかった。

溜息は白く染まり、溶けていく。早く会いたいと思ってしまうことが、悔しかった。
264 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:40
ひとりきりで大学から駅前へと続く坂を下る。帰ったら由加に連絡しようと思った。
旅行中は邪魔をしたくなかったから控えていたけれど、バイトの用事があるふりでも
すれば自然なメールは送れるだろう。

けれど、長旅で疲れているかもしれない。色々な可能性が思いつき、思考は堂々巡りに
入ってしまう。帰ってから決めようという結論に至って、朋子はひとまず家路を急ぐ。

踏切を渡り、閑静な駅前に出た。いつの間にか日は落ちて、街灯が明るく周囲を照ら
している。自分の影を見つめながら歩いていると、後ろから誰かにぶつかられた。

不審に思って振り返ると、そのまま由加が隣にやって来る。がらがらとキャリーケース
を引いている様子から見て、いま帰ってきたらしかった。
265 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:41
「……おかえり」

自然と言葉が出てきた。電話でもなくメールでもなく、直接言えるのが嬉しくて、
思わず顔がほころんでしまう。

会えなかったのは、たったの数日だ。それなのにひどく久しぶりに感じてしまって、
どれだけ心待ちにしていたのだろうかと内心で自分を笑ってしまう。

「ただいま」

朋子の言葉に、照れたように由加は頷く。その笑みを見て浮かぶ感情は、やはり
ただの友達に対してのものとは違っている。

それでもいいと由加は言うけれど、本当にいいのだろうかとも考えてしまう。
けれど、近くにいられるのならそれでもいいと、時々は思ってしまう。

夜道をふたりで歩いた。楽しそうに話す由加を見られるのが嬉しかった。
由加が真にこの関係を望んでいるのならば叶えたいと、少しだけ思った。
 
 
 
 
 
266 :最後から二番目の真実 :2015/02/22(日) 16:41
 
267 :名無飼育さん :2015/02/22(日) 16:42
 
268 :名無飼育さん :2015/02/22(日) 16:43
>>255-265
最後から二番目の真実(後編)
269 :名無飼育さん :2015/02/22(日) 16:44
前回、(前編)をつけるのを忘れておりました。そして後編は短め。
次回で最終回かもしれません。あくまでも予定ですが……。

レスありがとうございます!

>>252
どうなるのかどうもならないのか、といったところですね。
そして関係というのは難しいものですね。ですが、遠のいた縁も
あれば近づいた縁もあるでしょうから。
今回も待っていてもらえたら嬉しい限りです。

>>253
彼女の女神っぷりを文章で書き表せない自分が悔しいです。
まあ、そういう人が好きなのか、たまたま好きになった人が
その手の人ばかりなのかといったところ……。
また読んでもらえていたら嬉しいです。
270 :名無し飼育 :2015/02/23(月) 01:34
いつもサブタイトルに感心させられます
最後から二番目の真実が切ない……
この物語がどう着地するのか最終回を楽しみにしています
ああでも、最終回とかさみしい!
271 :名無飼育さん :2015/02/24(火) 23:47
冒頭のシーン良いですね!情景が見える、見えるぞおお!
押される金澤さん新鮮……でもないなw

由加ちゃんとのやりとりは特別温かで切なく感じますなぁ。
普通っぽい金澤さん良い!
272 :名無飼育さん :2015/03/08(日) 23:50
昨日この小説の存在を知って、一気に読みました。
とっても大好きなゆかともの小説があるのですが、
作者さんの文章はその小説とよく似ていて…同じ作者さんかなあと、
勝手ながら確信に近い気持ちを抱いています。

もしそうだとしたら、再び作者さんの小説に出会えたことが嬉しいですし、
違っていたとしても、この作品に出会えて良かったです。

ゆかにゃんが何を想っているのか、物語がどのような結末を迎えるのか…
気になって気になって仕方がありません。
終わってほしくはないですが、次の更新を心待ちにしております。
273 :名無飼育さん :2015/03/17(火) 08:53
鈴木さんの立ち位置がいいですねー。いやあ、好きだなあ。

コミックス全巻一気読みみたいな感じで夢中になって読みました。だけれども、続きが気になりつつ、大事に読み進めたい気持ちもあって…。お話の世界にずっと浸っていたいなあと思いました。
次回、最終回ですか。寂しいですねー。どうなるのかなあ。関係に一段落がつくのだろうと予想はするのですが、どうなるのかなあ…。ああ、こんな風に想像を巡らせるのも楽しいっ。
終わっちゃうのは寂しいけれど、どんな結末を迎えるのか楽しみにしてます。
274 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:10

275 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:11
知らない道がたくさんある。いつもの路地からひとつ通りを外れると、大きな公園に
出た。マフラーに顔を埋めて、走り回る子どもたちを見ると、小さかった頃のことを
思い出す。

とはいえ、ただ友達と一緒に遊んだという記憶があるくらいで、公園に強い思い出が
あるわけではなかった。溜息は表に出ない。朋子は広場の端のベンチに腰掛けて、
意味もなく空を見上げた。

急いで帰ったところで誰かが待っているわけでもないのだから、しばらくそうして
過ごす。ぼうっとしているつもりでも、次のバイトのことを考えているのだから
内心で自分に苦笑した。

勢いをつけて立ち上がると、もう日が暮れそうになっていて、子どもたちも解散
し始めている。その流れに乗るようにして、朋子も公園を離れた。
276 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:11
通りに戻り、いつもの帰路に着く。ひとけは少なく、立ち並ぶ家々から漏れる
ほのかな明かりが道を照らす。後ろを振り返っても誰もおらず、また前を向いて
歩き出した。

どうして、誰かを好きになってしまうのだろう。
こんな感情さえなければもう少し楽に生きられるだろうにと、朋子は思った。
277 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:11
 
   ◇ ◇ ◇
 
278 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:12
天気の良い午後だ。その日和にも相まって、久しぶりにバイトが一緒になった由加と
帰り道を同じくしているのが嬉しく朋子の足取りは軽い。旅行はどうだったの、なんて
何気ない日常の会話も心を弾ませた。

旅は充実したものだったらしく由加の話も尽きない。にこにことしている彼女を見て
いるだけで朋子の頬は緩んだ。それでも、歩いているうちに帰路は終わりに近づくの
だから残念さもこみ上げる。彼女の下宿先の前に着いたときにそれが頂点を迎えるの
はいつものことだった。

じゃあまた、と手を振る。その後に、由加はなにか思い出したようにぽんと手を打った。

「お土産あるから。ちょっと待ってて」

彼女は朋子の返事を聞く前に玄関に向かう。鍵を取り出そうとしているのか鞄を
探っているのを離れた場所から見ていた。やけに時間がかかっているなと思った。
279 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:13
玄関はくぐらずにとぼとぼと帰ってくる由加に、朋子は首を傾げる。
「どうしたの」尋ねると、彼女は首を横に振った。

「鍵、忘れちゃったみたい」

佳林ちゃんよりも後に出たから、と由加は続ける。家には入れないから土産を
取ってこられない、ということらしかった。

「ごめんね」
「そんなのいつでもいいよ」

謝る由加に苦笑で返す。土産を買ってきてくれたという気持ちが、旅行先でも朋子の
ことを考えてくれたという事実だけでも嬉しいのだ。物をもらえるのはもちろん
ありがたいけれど、それ以上に喜べることだった。
280 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:14
しかし、家には入れないとなるとどうするのだろう。佳林が帰ってくるまでどれほど
の時間がかかるのかは朋子には見当もつかなかった。困った様子の由加になにか
声をかけたいと思って、朋子は考える。

家に来ないかと、誘ってもよかった。冬なのだし、屋外にいるよりはいいだろう。
けれど躊躇ったのは二人の関係が、友達ではあるものの微妙なものだからだった。
それがどんなものかは言うまでもないから、選択肢からは除外する。きっと提案
しても嫌がられはしないだろうが、困らせてはしまうかもしれないからだった。

「……散歩でもする?」

そのかわりに出てきたのは、無難な言葉だ。軽く時間を潰して、それでも佳林が
帰ってこないようなら駅前のカフェで待てばいい。最初から駅前に行く選択肢を
示さないのは、一緒に過ごす時間を長引かせたいからだった。

これもまた、困らせてしまうかもしれない。そう思ったけれど由加は頷いて、
二人はあてどもなく歩き出した。
281 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:15
公園に行くのを思いついたのは、つい先日知ったばかりだという物珍しさがまだ
残っていたせいかもしれない。由加に訊くと彼女はその存在を知っていたようで、
また頷いた。彼女にとってもあまり通る場所ではないらしく、久しぶりに行って
みたいと言った。

晴れた冬の空気を吸い込むと、乾いてはいるけれど快い。ふう、と息を吹くと
白く染まり、宙に溶けた。由加も真似するように息を細く吐いて、子どものよう
に笑う。

園内に入ると、騒がしさがやって来た。今どきボール遊びができるようなところも
珍しいのだと思う。そのせいか公園は賑わっていて、見ているだけでも退屈しそうに
なかった。

隣にいる由加の呼気が白く儚い。その横顔を見ていると、気付かれたのか微笑まれる。
ねえ、と呼びかけられて目で問い返すと、彼女は小さく口を開いた。
282 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:15
「ありがとう」
「なにが?」
「んー。時間潰すのに付き合ってくれて」
「別に。暇だし」

さすがに用事があればここまで付き合いはしない。だから暇だというのは方便では
ない。かさかさと落ち葉が足元をくすぐって、由加はそれを見下ろして笑う。

「ともは優しいね」

そんなことはないと、由加も知っているだろう。下心があるからこうして一緒に
いるだけで、優しさから来ているものではなかった。友達だからという理由で、
並んで歩いているわけではない。
283 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:16
「お礼に」

由加が言葉を切って、少し緊張した面持ちになる。どうしたのだろうかと思った。
礼など必要ないけれど、朋子は目だけで続きを促す。

「由加の秘密、教えてあげる」

その言葉に、強く興味を惹かれる。このタイミングでなんの秘密を告白しようと
いうのだろう。瞬きをして、朋子は聞き返す。

「秘密?」
「うん。……ともになら言ってもいいかなって」

もう由加は笑ってはいなかった。陽が差す冬の公園で、寒風が吹く。その風が
彼女の笑みを流してしまったかのようだった。

「ともには言わなきゃって、ずっと思ってた」

秘することだけれど、朋子には言わなければならないこと。見当もつかずに困惑
していると、深呼吸するように由加は息を吸う。離れた場所から子どもたちの声が
聞こえるけれど、その音は彼女の声を掻き消さなかった。言葉は、白い息と共に
吐き出される。
284 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:17
「今まで、人を好きになったことがないの」

もう二十歳なのにね、と由加は続けた。それが秘密に値することなのかとっさには
判らなかった。

「変だと思う?」
「え……いや、まあ、遅いのかもしれないけど」

初恋を経験する年齢の平均がいくつなのか、朋子は知らない。由加もそれは同じ
だろうと思うけれど、話す様子からして現状をおかしなこととして受けとめている
らしかった。

由加にとっては重い秘密なのだろう。人に話せば馬鹿にされるとでも思っていたの
かもしれなかった。

「小学校でも中学校でも高校でも、できなかった。
だから、これから先好きな人なんてできるのかなって」

由加が早口で話すのが珍しかった。そして、子どもの頃に友達と、『好きな人だれ?』
なんて会話をよくしていたことを思い出した。
285 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:19
大学生になってからは、そんなやり取りは減ったように感じる。それでも生活に
おいて色恋は大きな割合を占めるらしく、相談事はよく聞いた。

なにかないの、と尋ねられても、好きな人いないから、で朋子は通していた。それは
事実だったから心苦しくもなく、秘することでもない。

由加は同じように訊かれたらなんと答えていたのだろう。朋子と同様に返していたの
かもしれない。けれど、今は好きな人はいない、といっても、そんな感情を抱えた
ことがないのなら背景は大きく違うように思えた。

「ともに、友達でいてほしいって言ったのは。ほんとは友達でいてほしかったわけじゃなくて」

矛盾したようなことを言う由加の横顔を見る。少しだけ俯いて、彼女は抱えていた
ものを吐露するように口を開いた。
286 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:20
「好きになれるかもって、思ったから」

だから関係を断ってしまいたくはなかったと、由加は言った。半分は腑に落ちたけれど、
納得いかない部分もある。好きになれるかもしれない相手として朋子をキープして
おきたかったのかもしれないが、適任だとは到底思えなかった。

「すごく打算的。好きでいてくれて、優しくしてくれるから好きになれるかもって」
「……いや待って、うち以外にも由加ちゃんのこと好きな人とかいるでしょ」
「そうかもしれないけど」

否定しない辺り、由加も自覚的なのだと思う。由加のことを好く人なら朋子以外にも
いるはずだ。恋人にするなら、もっと適した人間も。

「ともは、恐くないから」

友達でいようと気を持たせていても安全だというのなら、そうなのかもしれない。
異性に同じようなことをするのは躊躇われたのだろう。突飛だけれど、考えられそうな
ことだ。

「……でもこれって、ともに失礼だよね」

そう言って由加は少し笑う。それは自嘲なのかもしれず、溜息のように吐かれた
呼気はゆっくりと白く染まった。その吐息が消えてしまう頃に、朋子は心の底から
悪態をつく。
287 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:20
「……ずっるいなあ」

最初に出てきた感想はそれだった。秘密の話がどこに繋がるのかと思ったらこれで
ある。由加も罪悪感はあったのか、「ごめん」と小さく謝罪の言葉を口にする。

「……でも」

友達でいてほしいと言われて、少しは嬉しかったのだ。まったくの無関係になるより
ずっといいと思っていたのは、朋子も同じだった。

横からサッカーボールが転がってくる。こちらに走ってくる子どもに蹴り返して、
朋子は大きく息を吐く。由加を見ると彼女もこちらを見ていて、不安そうな顔を
していた。それもそうだろう。こんな告白をされたら、まともな人間なら怒りそう
なものだ。

なぜこんな人を好きになってしまったのだろう。かわいい顔して計算的で、
今まで誰も好きになったことがないという、朋子と真逆の悩みを抱えたような人を。

再度、大きく溜息を吐く。それでも思いは変わらなかった。由加の秘密は朋子の
感情には関係ない。好きになれるかもしれないと思ってくれているのならば、
返事はひとつだ。
288 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:21
「……好きになってくれるまで待つよ」

世の中にはたくさんの人がいて、出会える人は有限だ。
けれど、無限だって今とどう違うのだろう。

もしかしたら、他にもっと好きになれる人が現れるのかもしれない。しかし、
そんな事実があったとして、今の感情は無になるだろうか?

答えは否だ。不安げに揺れる由加の瞳を強く睨むと、木枯らしが吹いて足元を
枯れ葉が駆け抜ける。あの夏の日からこの冬まで、ずっと気持ちは変わらずにいる。

待っていようと、朋子は思った。いつまで待てるかは判らないけれど、待ちたいと
思える間はそうしよう。けれど、受け身でいるのは性に合わない。だから朋子は
強く決心して、乾いた空気を息で揺らした。
289 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:22
「好きにさせてみせるから」

朋子の言葉に、由加は笑った。笑みを浮かべるのは状況にそぐわないのかもしれない
けれど、そんなことは関係ないとでもいいたげだった。

自信があるわけではない。それでも、可能性はあると信じたかった。もし想いが通じ
なかったとしても、朋子の気持ちは変わらないのだから関係もない。

由加は楽しげに笑って空を振り仰いだ。快晴の空は突き抜けるように高くて、遠く
感じる。同じように遠く感じていた由加のことも、秘密を共有したおかげかわずか
だけ近く思えるようになった。

「楽しみにしてるね」

肯定的な返事をして、由加は朋子を見る。好きになれるかもしれない相手として、
不足はないらしい。こんな人を好きになってしまったなんて、馬鹿げていると
朋子は思う。都合良く転がされて、それでも怒れずにいるなんておかしな話だ。

由加が小さくくしゃみをする。冬の散歩は堪えるらしい。それならば、家に誘おう。
一緒に映画でも観て感想を語り合って、日が暮れる頃に送って行けばいい。

てんてんとまたサッカーボールが転がってきた。今度は由加が蹴り返そうとして、
大きく空振りする。それを朋子が笑うと、照れくさそうに彼女は目を細めた。
 
 
 
 
 
290 :天のさだめを誰が知る :2015/03/17(火) 20:23
 
291 :名無飼育さん :2015/03/17(火) 20:23
 
292 :名無飼育さん :2015/03/17(火) 20:24
>>275-289
天のさだめを誰が知る
293 :名無飼育さん :2015/03/17(火) 20:25
>>3-49
出口はどこかへの入口
>>54-78
ジュリエットには早すぎる
>>82-118
割りきれないチョコレート
>>124-143
おかしなことを聞くね
>>150-175
なぜなら雨が降ったから
>>182-190 >>196-209 >>215-227
君にできるあらゆること
>>235-247 >>255-265
最後から二番目の真実
>>275-289
天のさだめを誰が知る
294 :名無飼育さん :2015/03/17(火) 20:26
 
 
 
 
 
295 :名無飼育さん :2015/03/17(火) 20:27
レスありがとうございます!

>>270
お待ちになって! 二番目の真実ってどれ!?
というのは冗談ですが、なにかっていうのは皆様のご想像にお任せいたします。
こんな感じで着地しました。気に入ってもらえればよいのですが。
レスありがとうございました。嬉しい限りです。

>>271
先輩の前では猫を被ってる感じで。
方々から聞こえてくるエピソードは暴君な金澤さんですが、
普通っぽい部分もあるって、信じてる……!
ではでは、また読んでもらえていたら嬉しい限りです。

>>272
このスレに出会ってくれてありがとうございます。
結末を納得してもらえるかはわかりませんが、
最後まで読んでも気に入っていただけたら嬉しい限りです。

>>273
ということは、いきなり最終巻ですね。一段落、はつきましたが、真の結末は
このお話の後、といいますか。そのあたりも想像を巡らせてもらえたらなあと
思います。一気読み、ありがとうございました。嬉しい限りです。
296 :名無飼育さん :2015/03/17(火) 20:28
それでは、これで『無限なんていらない』は完結です。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
297 :名無飼育さん :2015/03/17(火) 21:44
更新キテタ━(゚∀゚)━!
終始にやにやしながら読んじゃいました。くすぐったい。人生、「え、そうだったの!?」と思うことの連続ですよね。仲良くなっていくほどその人の新しい部分にぶつかって、悩んだり、嬉しくなったり……。この物語はそういった所をとても自然に描写してあってしみじみとした気持ちになりました。

読めて良かったです。
298 :名無し飼育 :2015/03/17(火) 21:50
終わってしまった
更新を待つ楽しみがなくなってしまって悲しい限りです
悲しいのでまた最初から読み返してきます
299 :名無飼育さん :2015/03/18(水) 10:04
やられました。

あのゆかともが作者さんの作品だという前提で話しますが、
今回も、予想外の展開でした。
結末で種明かしをされる感覚、そしてその内容が予想の斜め上というか、
その発想は無かったというもので、読んでいてとても心地が良いです。

本当に、やられたなあ。と思うばかりです。

素敵な作品をありがとうございます。
300 :271 :2015/03/19(木) 21:39
最後が一番ドキドキしたw
冷たくも温かくもない、常温のラストが似合う二人でした。
金澤さん、由加ちゃんだなぁw

完結お疲れさまでした!
そして楽しい話をありがとうございました!
301 :名無飼育さん :2015/07/02(木) 01:18
更新お疲れ様です
千奈美のブログが元になってるんですかね?
読んでてなんだか感動しちゃいました

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