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ばらの花

1 :1、 :2012/04/17(火) 00:34



すう、と春空に直線を描く飛行機の軌跡。
手のひらを眉の上で翳して、はじまりから終わりまで、空色に滲んだ白線を追う。
あたしを包むグラウンドの空気は完璧なくらいの温度と湿度で、
心地良く流れてくる風や陽のにおいが眠たくてたまらない。
眠気だけじゃなく貧血の身体はだんだんと支えきれないくらい重くなってきて、
あたしにとっては強すぎる日差しも──
ああ、ほら、やっぱり。
目の前がぐらぐらと霞んで、バランスを崩した身体ががくんと沈んだ。
世界から落ちるような感覚。ゆっくりと落ちていく。
あたしは薄れてく視界の端に花音を捉えた。


77 :8、 :2012/08/28(火) 07:51

「彩、花音ちゃんの血が吸いたいな」
しん、と部屋の空気が静まり返った気がした。
とりあえず何か返せる言葉を探すけど何も思いつかなかった。
黙っているとウィィン、ウィィン、と家電の稼働音が響く。
そういうのって、予告されるものなんだなんてわたしは思った。
いつだったか紗季はわたしの血は吸わないって言ってたけど、いま彩花には吸いたいと言われた。
憂佳はどうなんだろう、なんて考えてる場合ではなくて、目の前の彩花はわたしの返事をじっと待ってる。
正面から見ても、やっぱりきれいな顔してるな。
「だめかな?」
何も答えないわたしに彩花が念を押すようにそう言って、
いいよとは答えづらいけど、だめだよと断る理由も無いような気がした。
「だめじゃないけど、」
「けど?」
「……痛いのはやだ」
咄嗟の言い訳がそれくらいしか出てこなくて、やっぱり断る理由が無いみたい。
紗季が憂佳にしていた、あんな風なことを自分もされるんだと考えるととても恥ずかしいけど、
わたしだけ『それ』を知らないのは正直つまらなかった。身をもって知りたかった。
何より、彩花のきらきらした瞳に見つめられるととても断ることなんて出来なかった。
78 :8、 :2012/08/28(火) 07:51
「大丈夫、痛くしない」
低めに発せられた声が鼓膜に触れた瞬間、全身が小さく震えた。
彩花の手がわたしの手に重なる。わたしよりも大きくて、やせていて、少し冷たい。
だんだんと近づいてくる彩花の顔はなぜかとても嬉しそうで、そんなにお腹が減ってたんだろうか。
まっすぐにわたしを見つめる瞳が複雑に変色していく。
その瞳を見つめ返していると身体に力が入らなくなって、わたしは背中からベッドに沈んだ。
「あぁ、ごめんね、見過ぎちゃった」
なぜか謝った彩花がわたしの半身を起こそうとするけどとても起き上がれなくて、
もう一度じっと見つめられ腕を引かれると今度はすうっと身体が動いた。
それから彩花はわたしの服に手をかけ脱がせ始めて、
わたしは脱がないとだめなのかなと思ったけど、
聞いてみる余裕も無く黙って成り行きに身を任せることにした。
あっという間に上半身だけ裸にされて、恥ずかしさから色々なことを後悔し始める。
服を脱ぐのは断ればよかったかなとか、そもそも吸血を許可しなければよかったのかとか、
考えてる間に彩花がわたしの身体のあちこちを撫でる。
くすぐったさと恥ずかしさと、じわりじわりと襲ってくる恐怖感。
草食動物になったような気分。
そう考えてみると、彩花はライオンやチータに比べればきっとずいぶん優しくて、怖がることはないのかもしれない。
だけどやっぱり恐怖は拭いきれない。ここは自分の部屋なのに、別世界に来てしまったみたい。
79 :8、 :2012/08/28(火) 07:53

首筋や胸部、腕やお腹や脇腹まで、至るところを泳いでいた手のひらの感触が、
髪の毛をかきわけて耳たぶの少し下でぴたりと止まった。
やわらかい彩花の髪が頬を掠めて、その場所に唇が触れる。
いよいよなんだ。身体が硬直する。だけど次に触れた感触は牙でなく舌だった。
恐怖で喉が震えて背筋に悪寒が走る。
怖い。
喰べられる。
わたし、喰べられるんだ。
執拗なまでにその場所を撫でる舌の感触が離れて、次の瞬間、牙が立てられた。
猛烈な恐怖感。きっと生き物としての本能的な。
直後に襲ってきたのは、猛烈な快感。
何かが溶けてしまいそうな感覚。はじめての経験。体中を走る快感は脳を麻痺させる。
力が入らない。すべてがどうでもよくなるような。呼吸もままならなくなってくる。
「あ…、や、…か」
ようやく絞り出した言葉が音になったのと、同時くらいに彩花の顔が首筋から離れていった。
恐怖感なんてとっくに消え失せていて、もう終わっちゃうんだなんて思った。
80 :8、 :2012/08/28(火) 07:54

「ごめんね、ちょーっとだけ、…吸いすぎたかも」
そう言った彩花はもう捕食者の顔ではなくなってて、普段と同じ調子で、申し訳なさそうに眉を下げた。
わたしは安心したような、少しだけ事の終わりが残念なような、複雑な気持ちになった。
さっきまで牙を立てられていた部分を指先で撫でてみるけれど、特に凹凸なんかは無い。
ただ身体はひどくだるくて、肩を抱く彩花の腕が無ければ今にも倒れそう。
「花音ちゃん、大丈夫?」
霞んできた視界の脇に映る部屋の輪郭がすべてぼやけても、
なぜか彩花だけが浮き上がって見える。
「大丈夫…じゃない、…だる…」
「寝っ転がる?」
「……ねむ…」
「花音ちゃん、」
すべての感覚が閉じていく中、最後まで彩花の声が頭の奥に響いていた。


81 :8、 :2012/08/28(火) 07:55


「かのん、かのん」
空気に溶けるようなあまい声。これは憂佳の声。
「…あやちょは?」
「え?」
昨夜の記憶と曖昧になって一瞬混乱したけれど、ここはもう翌日の学校だと思い出した。
「…もう放課後だよ。帰ろう花音」
穏やかに告げる憂佳の後ろのほうでカーテンが揺れるのが見える。
額に手をやるとうっすらと汗ばんでいて、起き上がると背中や腰も何だかじっとりしてる。
久々に晴れた今日は暑い。そう、あまりに暑いから紗季は学校を休んだ。
わたしは心細くて、身体はだるくて、5時間目の体育で記憶が途切れてる。
「これって何か、いつもと逆だね」
「そうだね」
答えると憂佳は少しだけ笑ったあとすぐに口をきゅっと結んだ。
ここに憂佳を迎えにきたことは数えきれないくらいあったけど、
こうして迎えに来てもらうのはもちろん初めてで、悪くない気分だなんて思う。
だけど、気を失う瞬間の感覚とか逃れられない全身のだるさとか、貧血ってこんなに大変なんだと思い知った。
憂佳と紗季の気持ちが少しだけわかったかもしれない。
貧血だけでもこんなにつらいなら、と欠席した紗季のことが心配でたまらなくなった。
「かのん、」
「紗季って、今日あのプールのとこ居る?あ、憂佳んち?」
「わかんない。ねえ花音」
突然語気を強めた憂佳にわたしは怯んだ。なに、と答えると憂佳は眉間に皺を寄せてこちらを見てくる。
「昨日、彩花ちゃん来た?」
「…来たけど」
憂佳の難しい顔は和らがなくて、むしろもっと厳しい顔になってわたしを睨む。
「来たけど、なんで」
「なんでもない」
自分から聞いてきたくせに憂佳は不機嫌そうに顔を逸らした。それ以上は何も言わない。
理解できない憂佳の態度に戸惑うけど、こういうときの憂佳はとても頑固で、
何を言ってもどうにもならないことはわかってる。
蒸し暑くて、風はときどき通るだけで、保健室の薬品のにおいが気になった。
82 :8、 :2012/08/28(火) 07:56
「…紗季、どこに居るかな」
「わかんないよ。紗季ちゃんいっつもあちこち行ってるもん」
わたしは紗季のことが心配なだけなのに、どうして憂佳は怒ってるんだろう。
彩花がうちに来たら何かまずいことでもあるって言うの。
憂佳だって血を吸ったり吸われたり、わたしだけしちゃいけないことなの。
わけがわからなくて何だかもう涙が出そうになった。
堪えようとシーツを強く握る手に憂佳の手が重なった。
「…紗季ちゃんなら」
空気に溶けるようなあまい声。憂佳の声。
「朝も全然元気だったよ。ただのさぼりだよ」
頑固なくせに、わたしを宥めてるのか、少しいじけたような声色で話す。
「…よかった。憂佳は、平気なの?」
「なにが?」
「つらかったら言ってね。倒れる前に言ってよね」
「…うん」
「無理しなくていいから」
かのんもだよ。わたしの頬に触れながら、憂佳ははっきりと発声した。
汗ばんだわたしの肌を、憂佳のさらさらした手がそっと撫でる。
昨夜散々触れられて覚えた彩花の感触と比べてしまう。
大きさも、触感も、温度もまったく違って、意外に心地良いことに気が付いて、
この手にいつも撫でられてる紗季が羨ましくなった。

83 :8、 :2012/08/28(火) 07:58



こんこんと窓ガラスが鳴り、わたしはそっとカーテンを開ける。
ガラスの向こうの暗闇の中に、夜色の猫が一匹ゆらゆらと尻尾を振り佇んでいる。
「あやちょー」
窓を開けて名前を呼ぶと、猫がわたし目がけて飛びついてくるから、
びっくりして背中からベッドに倒れ込んだ。ぺろぺろと頬を舐められる。
ざりざりとした舌の感触も肩に置かれた小さな前足も、くすぐったくて笑いが零れる。
「あーやーちょ、くすぐったい」
首筋を撫でる舌の感触はいつの間にかざりざりじゃなくなって、
小さく軽い前足は骨ばった手に、人間の重みに。
やわらかい茶色い髪がわたしの頬を流れてすべり落ちた。
「…あや、か」
薄着の腕や脚に感じる、彩花の裸の感触に気恥ずかしくなって名前を呼ぶけど、
彩花は聞こえないふりなのか聞いていないのか、何も言わずわたしの身体を舐めつづける。
わたしも何も言わずそのときが来るのを待つ。
牙を立てられても恐怖は感じなくて、すぐに快感が襲ってくる。
部屋の輪郭はぼやけても、目の前の褐色の肌ははっきりと視界に映える。
その広い背中に腕をまわしてみる。たった今奪われているわたしの血が、この身体を巡るんだ。
何だかとても愛おしくて、わたしは腕に力を込めた。

彩花からは、いつも微かに薔薇の香りがする。




84 :  :2012/08/28(火) 07:58
 
85 :  :2012/08/28(火) 08:00
レスありがとうございます。
待っていてくださると嬉しいです
86 :名無飼育さん :2012/08/30(木) 13:40
美しい風景はいつだって胸に突き刺さる。
次回も楽しみに待ってます。
87 :9、 :2012/09/04(火) 06:21



「ゆうかー、はやく。ねーー早くして」
ドアを開けたまま紗季ちゃんが急かすから、あたしはなるべく急いで身支度を整える。
鞄を持って前髪と制服を正して、最後に一番大事な荷物を胸に抱える。
くすんだ黄色のバッグの中からにゃぁあと小さな鳴き声が聞こえた。
なるべく厚くてやわらかい素材を選んだりしたけど、やっぱり心配になる。
「彩花ちゃん、ちょっとだけ我慢してね」
「ねーはやく、お母さん待ってるし」
「だいじょぶかなー、あつくないかな」
「保冷剤入れたから平気だよ。チャック閉めきんないでね、行くよ」
ばたばたと部屋を出てアパートの階段を降りると、車から顔を出したお母さんに苦い顔で睨まれた。
88 :9、 :2012/09/04(火) 06:22

今日から二泊三日の修学旅行。あたし達はこっそりと彩花ちゃんを連れて参加する計画を立てていた。
そんな危ないこと初めはあたしも花音も反対したけど、紗季ちゃんがどうしてもって言うから。
「彩は行きたいって言ったもん」なんて、駄々こねるみたいに泣きそうな顔して言うから叶えてあげるしかなかった。
心配事はたくさんあるけど、幸い自由行動の班も部屋割りも3人で決まってたし、
話し合っていくうちに何だか悪巧みをしてる感じが楽しくなってきて、
なにより今は4人で旅行できるってことが嬉しくてたまらない。
それはあたしだけでなくきっとみんな。
「おはよー!」
集合場所に着くと、朝から特別元気な花音があたし達を見るなり駆け寄ってきて、
小さな声でどこ?と訊ねる。あたしは胸元に抱えたバッグを示した。
花音は少しだけ開いた隙間から覗くように彩花ちゃんに呼びかける。
「あやちょー。おはよ」
にゃあ、と大きめに彩花ちゃんが鳴くから、あたしは慌てて隙間を軽く押さえた。
焦って周りを見渡してみるけど、みんな浮き足だって雑談に夢中で特に気付かれた様子は無い。
「だめだよ、着くまでは静かにしててね。お願い」
あたしがそう言うと彩花ちゃんはすぐに大人しくなって、その後もとても静かに、
先生の挨拶から駅へのバス移動の間もずっと、バッグの中からは何の物音もしなかった。
あまりに静かだから心配になって駅のトイレで確認してみれば、彩花ちゃんは気持ちよさそうに寝てるだけだった。
89 :9、 :2012/09/04(火) 06:23
「じゃあ任せるけど、暴れて潰しちゃったりしないでね」
「しないから」
長距離移動になる新幹線は不安で、別の子と相席だったあたしは、
念のため二人掛けの紗季ちゃんと花音に彩花ちゃんを預けることにした。
「大丈夫だよねー、あやちょぉーふふふふ」
花音は何だか嬉しそうにバッグを撫でる。あたしは胸の奥がちくりとするのを感じた。
花音と彩花ちゃんが最近よくふたりで会ってるのは知ってる。
一番出会うのが遅かったふたりが、いつの間にかどんどん仲良くなっていて、
いつの間にか花音はあたしの知らない顔を彩花ちゃんに見せるようになってた。
「…ゆうか?」
ぼうっと黙ってしまっていたら、花音が心配そうに覗き込んでくる。
「もしかして体調悪い?」
「あ、ううん、眠いだけ…」
「そっか」
「花音いこ、憂佳ーあとで遊びきてね」
手を振る紗季ちゃんとそれに引っ張られていく花音の姿を見送りながら、あたしも自分の席に着いた。
花音はずっと大事そうに胸元のバッグを、彩花ちゃんを抱えてた。
席に着いて友達と話をしていても、ちくちくするものがなかなか消えない。
花音はきっと何も知らないから。知らないくせに受け入れてしまう。
何もわからずに彩花ちゃんに──吸血されてるんだ。
90 :9、 :2012/09/04(火) 06:25
吸血鬼が人間から血を吸うと、吸われた者は吸った者へ強い好意を抱くようになってる。
花音の彩花ちゃんへの好意も、きっと友達としてだけでなくそういうのがある。
それは一時的なもので長くは続かないらしいけど、本当のところはどうなのかあたしにはよくわからない。
だから、花音がさっきみたいに心配したり優しくしてくれるのも全部、
昔あたしが花音から吸血したからかもしれないって疑いがずっと消えなかった。
91 :9、 :2012/09/04(火) 06:26


そのときのあたしはまだとても子供で、我慢を知らなくて、
新しい街や新しい出会いに浮かれていて、溢れる力を持て余してた。
その力で花音を、独占したくてたまらなかった。
子供の頃の花音はとびきり小さくて、だけど活発で、挑発的で、あたしを惑わせた。
その日のことは今でもすごく鮮明に覚えてる。
花音の家に遊びに行っていて、お母さんが出かけた隙に、あたしは躊躇なく行動に移した。
油断させて眼力で意識を奪うことくらいわけなくて、血を吸うのはもっと簡単だった。
滑らかな肌に口をつけて、牙を立てて、奪うだけ。
簡単すぎて拍子抜けすると同時に、身動きひとつしない花音を自由にしているだけの虚しさで、
ほんの少し吸血しただけだったけどすぐにやめた。
そのあとに紗季ちゃんのこともあって、あれ以来一度も花音の血は吸ってないけど、
今でもときどきふっと、その味を匂いを、思い出す。
きっともう二度と口にすることは無いんだろうな。
ずっとあたしだけが知っていたその味は、彩花ちゃんのものになってしまった。

92 :9、 :2012/09/04(火) 06:29

いつの間にかうたた寝をしていたあたしは、隣の席の子に肩を叩かれ目を覚ました。
目的地の京都に着くところだった。
ああ、紗季ちゃんに来てって言われてたのに、とかそんなことをぼうっと考えながら下車準備を始める。
足元に向けていた視界に紗季ちゃんの靴がうつった。
「憂佳ずっと寝てたでしょ」
「ごめんね、行けなかった」
「まあ紗季も寝たけど。起きたら花音も寝てたけど」
「あはは、ダメじゃんよ。任せるって言ったのに」
「それは大丈夫ー」
だんだんとスピードが落ちていって、周りの景色が目に入ってくる。薄ぼやけていた世界に色が増える。
紗季ちゃんも窓の外を眺めながら、嬉しそうに笑った。
黄色いバッグを大事そうに抱えた花音がゆっくりこっちへ歩いてきた。
93 :9、 :2012/09/04(火) 06:30
新幹線を降りて、しおりの指示通りの改札に向かいながら、花音は彩花ちゃんを、
紗季ちゃんはあたしの腕を抱えながら人混みを歩く。
「ねー憂佳このあと何だっけ。何て書いてある」
「乗り換えて奈良に行くの。わかった?」
「奈良に行ったら何するの?鹿?鹿?」
「ねえちょっと待ってぇ、置いてかないでよ」
「花音、ほら紗季ちゃん花音と手繋いで」
「鹿に餌あげれる?鹿触れる?」
「えー触るの?無理、花音ぜったい無理」
「花音鹿のふんとか踏みそー、あっははははは」
「ふんの方が避けてくれるから大丈夫ですー」
「ちょっとふたりとも静かにして」
「「はーい…」」
雑然とした駅は人が多すぎて、同じ制服を着た子達もまばらにしか認識できない。
案内板通りに進んでいたはずなのに、違うよこっちだよと花音に指摘されて、
それからはいつの間にか花音が前を歩いてあたしと紗季ちゃんはそれについて行くことにした。
あたしが注意してから静かになってしまった紗季ちゃんの手を握ると、
紗季ちゃんは特徴的な牙を覗かせて笑った。
「憂佳、楽しいね」
「楽しいね」
「さっきからずっと花音に預けてるけど、彩平気かな」
「平気だよ。何かあったらちゃんと鳴くから」
「ねえ憂佳、あたし来れて良かった」
「うん」
「憂佳は?」
「4人で来れて嬉しいよ」
あたしが答えると、にぃっと大きく笑う。紗季ちゃんの牙が好きだな。
紗季ちゃんはこの旅行をすごく楽しみにしてた。
体力とっておくなんて言って、夜中に出かけることも全くしなかった。
今までも何度か一緒に家族旅行に行ったことはあるけど、
こんなに楽しみにしてたのは初めてで、紗季ちゃんの世界が広がったのを実感した。
それは少しだけ淋しいけど、あたしにとってもすごく嬉しいことで──
94 :9、 :2012/09/04(火) 06:33

「お土産いっぱい買ってこうね」
「うん、憂佳のお母さんと、お父さんと、寺田のおじさんとー、」
指折り数え出す紗季ちゃんは前方無視で、危ないから腕を強く引いた。
気付けば花音がこっちを見て立ち止まってる。あたしは急いで歩調を速めた。
早く彩花ちゃんとも並んで歩きたいな。早く自由にしてあげたい。
4人で知らない街を歩くのはどんな気持ちなんだろう。
あたしだってずっと、こんなことを夢見てきた。こんな風に4人で過ごせる時間が、
限りのあるものだってことはわかってるから、楽しまなきゃ後悔する。
それに何より、紗季ちゃんを楽しませてあげたい。
そんなことで少しでも報いようと思うあたしはきっとずるいけど、紗季ちゃんが楽しめればそれでいい。
帰ってきたら、楽しかったって牙見せて笑ってくれたらいい。
電光掲示板はチカチカとときどき点滅しながらあたし達の行く先を示していて、
あたしの腕を掴む紗季ちゃんの左手は花音と繋がれていて、
花音の左腕は彩花ちゃんを抱いて、雑踏のなか一度も離れることはなかった。




95 :  :2012/09/04(火) 06:33
 
96 :  :2012/09/04(火) 06:35
レスありがとうございます、励みになります
97 :名無飼育さん :2012/09/05(水) 10:22
この4人のでしか紡ぐことのできない物語ですね。
語り手だから突出してしまう部分もあるだろうけど、前田さんが余りにも魅力的で毎回痺れる。
98 :10、 :2012/12/11(火) 23:14



ごうごうと響く連続音と、数え切れない人の声。
あまりに騒がしい雑音に目を覚ますと、私は薄暗く生温い窮屈な空間に閉じ込められていた。
見上げると隙間から少しの光が差し込んでいて、眩しくてもう一度目蓋を閉じる。
同時にけたたましい笑い声が耳に入って、これは紗季ちゃんの笑い声だとわかった。
それを追うような、今度は花音ちゃんの笑い声。
にあ、と鳴くと、柔らかい布の感触が適度な圧力で背中を撫でる。
私は眠る前の憂佳ちゃんの言葉を思い出した。そういえば静かにしててと言われたんだった。
黙っていると、喧騒の中から静かに「あやちょ、」と確かめるような声が聞こえた。
「彩起きちゃった?」
「みたい。ほらあ、紗季が騒ぐから」
「花音だって騒いでたじゃん」
憂佳ちゃんの声がしない。ここはどこなんだろう。ずっと寝てたからわかんないな。
この窮屈な空間からいつ出られるんだろう。
「でもちょうどよかったんじゃん?彩、富士山だよ。富士山」
空間の端の隙間が大きくなって、向こう側に笑った形の紗季ちゃんの目が見えた。
それから紗季ちゃんの顔がどいた向こうに流れていく景色、
その奥によく晴れたスカイブルーの空を押し上げるようにそびえる大きな山。
富士山を見るのは初めてじゃないけど、こんなにはっきりと綺麗に見えたのは初めて。
その景色に見入っていると、再び紗季ちゃんの目が現れて今度は眉を歪めながら申し訳なさそうにごめんねと呟いた。
それからまた光の隙間は小さくなって、私は再び窮屈な空間に閉じ込められた。

99 :10、 :2012/12/11(火) 23:15

「彩花ちゃん。もういいよ、起きて」
馴染みある感触が私の背を擦って、声のした方を向くと知らない天井がある。
やっと、だ。寝心地の悪かった鞄の中から脱出して、思いきり身体を伸ばす解放感。
ようやく自由になれた私は嬉しくてたまらないのに、みんなはなぜか目を合わせようとはしてくれなかった。
「彩花ちゃん、服着て?服。」
「あー…」
差し出されたものに袖を通しながら部屋を見回す。
黄土色の壁に、露草柄の襖、畳の香り。四人で過ごすには少し狭いと思う。
それは三人部屋だから仕方ないか。それに、狭いほうが何だか楽しそうな気はする。
ここには二泊するらしく、花音ちゃんは既にお気に入りの座椅子を決めていて、
憂佳ちゃんは花音のスペースはここまでねなんて言って荷物を押しやったり、
紗季ちゃんは疲れたのかぐったりと寝そべってる。
私はというと少しお腹が減ったかもしれない。
「ねえ彩の薔薇、憂佳ちゃん持ってる?」
「え、持ってないよ。紗季ちゃんかな」
「…彩の荷物は憂佳に任せたよー」
「うそだよ。ほんとに?うそ」
慌てた様子で荷物を漁る憂佳ちゃんを花音ちゃんがきょとんとした顔で見てる。
荷物と言っても少しの薔薇と鉛筆とスケッチブックくらいだから、忘れたところで命に別状は無い。
食事なら血を吸えばいい。描きたくなったら目蓋に描けばいい。
必死で謝る憂佳ちゃんを宥めるけど、とりあえずお腹は空いていて、
花音ちゃんにいい?と聞いたら、「えぇっ」と予想外に苦い返事が返ってきた。
「だめ?」
「…いいけど、ここじゃ無理」
花音ちゃんは面白い顔で憂佳ちゃんと紗季ちゃんのほうを見る。
憂佳ちゃんはもっと面白い顔をしていて、紗季ちゃんは相変わらずぐったりしてる。
「どこならいいの?」
「彩花ちゃん。忘れたの憂佳だから。憂佳の吸っていいよ」
そう言いながら憂佳ちゃんが急に立ち上がって私に腕を差し出すから、思わず笑った。
何でちょっと必死なんだろう。
差し出されたからには有り難く頂くことにして、憂佳ちゃんにバスルームに引っ張られて行った。
100 :10、 :2012/12/11(火) 23:16

「憂佳ちゃんからもらうの久しぶりかも」
「そうだね。彩花ちゃんあんまり吸わないしね」
吸わないんじゃなく吸う必要が無いからだけど。だいたいは薔薇で済ませる。
血を吸うのにも人は選びたいし、なかなか吸血したくなるような人はいないから。
人間の食べ物はあんまりエネルギーにならないし口に合わない。
甘いものだけは好きだけど、みんながこれから食べるっていう夕食には、きっとそういうのは出ないんだろうな。
だから私には、これが食事の時間。
小さな浴槽の縁に腰掛けた憂佳ちゃんの肩に触れる。
私の求める場所を察した憂佳ちゃんはすぐに上着を脱いで、首を傾げた。
憂佳ちゃんの真っ白なはずの肌。橙の照明に染まってしまってるのが惜しい。
むき出しの肩に牙をたてる。憂佳ちゃんの血は、甘ったるい香り。
花の香りみたいなのとは違って焼菓子みたいな甘いにおい。
それでも味は決して甘くはなくて、少し辛いような、主張の強い味。
はあ、と漏れる憂佳ちゃんの声に牙を抜くのが惜しくなる。だけどこれ以上は。
唇を離して顔を上げると、憂佳ちゃんの艶っぽい顔が何だかたまらない。
101 :10、 :2012/12/11(火) 23:17
「…もういい?の?」
「うん。ありがと」
差し出された手を握って引くと、憂佳ちゃんはうまく立てずにふらついた。ふらついた身体を支える。
憂佳ちゃんに触れるのは好き。憂佳ちゃんの血を吸うのも好き。
憂佳ちゃんが好き。
私の気持ちが宙を舞うことはなく、
憂佳ちゃんはいつも受け入れてくれるし、ときどき返してくれる。
私の腕を頼りに立ち上がった憂佳ちゃんは、私を見て力無く笑った。
「…ごめんね。吸いすぎた?」
「ううん。…彩花ちゃんはさ、やっぱ、上手いね」
「えー?」
「あたしへただから」
「そんなことないよ」
「…へへ」
ぎゅうっと抱きしめられて、憂佳ちゃんの匂いが鼻を衝く。
憂佳ちゃんに元気が無いと私も少し悲しくなる。
やっぱり吸いすぎたのかもしれない。遠慮したつもりだったけど、ごめんね。
102 :10、 :2012/12/11(火) 23:17
バスルームから出ると紗季ちゃんが元気になっていて、早くご飯行こうと憂佳ちゃんの手をとる。
どれくらい抱き合ったままでいたのか、
いつの間にか結構な時間が過ぎていたらしく、みんなは慌ただしく部屋を出て行った。
私は軽い満腹感が心地良くて畳に寝転がる。
天井の低さが今ひとつ気に入らないから目蓋を閉じた。
目蓋の向こうの照明が眩しくて顔を倒す。
小さな座卓と和座椅子の他にはこれといって何も無い殺風景な部屋。
思いきり手足を伸ばしてみても、ひとりでいるには、少し広いと思った。

103 :10、 :2012/12/11(火) 23:17

それから食事を終えたみんなが戻ってきて、お風呂に入って、私達は四人でめちゃくちゃに騒いだ。
夜になるほど憂佳ちゃんは元気になっていって、笑いっぱなしだった。
紗季ちゃんの投げた枕が思いきり花音ちゃんの顔に当たって大変だった。
それでも消灯の時間には明かりを落として布団に入った。
布団に入ってもうるさいのは変わらなかった。
三組の布団を四人で、花音ちゃんと紗季ちゃんがふたりでひとつの布団に入って、狭い狭いとふざけていがみ合う。
その様子がおかしくて私も笑いが止まらなかった。
花音ちゃんが寝て、紗季ちゃんもうとうとしてきた頃、「明日楽しみだね」と憂佳ちゃんが笑った。
私も笑って頷いて、それから憂佳ちゃんも眠った。
私はなかなか寝付けなかった。
104 :10、 :2012/12/11(火) 23:18
昼間にあれだけ寝ていれば眠れないのも仕方ないけど、何より退屈でたまらなくて、
でも夜が深まるほど意識は冴えていく。
そのうちに憂佳ちゃんの覚醒した気配を感じた。
弱々しい気配に、一時のものだと思い振り向かず黙っていると、憂佳ちゃんが声を発した。
「…さきちゃん。さきちゃん。」
潜めた声だけど、耳鳴りがしそうなほど静まり返った部屋にはよく響いた。
「さきちゃん、」
「んー……ゆうかぁ?」
「…さきちゃん。ごめん。いい?」
「んー?あー…。いいよぉ、やっぱつらい?」
「ん…ちょっと」
「大丈夫?」
「うん。ごめんね?」
「いいよ、ご飯いっぱい食べたし。よゆー」
「ごめんね、あっち」
「お風呂?」
「うん」
ふたりがゆっくり起き上がる音と、二人分の足音が歩いていって、カチャリとドアの閉まる音がした。
壁の向こうから、きゅきゅ、とプラスチックに擦れる音と、
とても微かに、紗季ちゃんの喘ぐ声が聞こえた。
105 :10、 :2012/12/11(火) 23:19
抑えられない吸血衝動が湧き上がる。
私は憂佳ちゃんの布団を越えて花音ちゃんの背中に触れた。
触れた瞬間、全身がぴくりと震えたのがわかった。
「花音ちゃん」
ゆっくりと振り向いた顔はぼやけた視点で私を捉える。
まるい頬にそっと触れると、視線は逸れて泳ぐ。
耳たぶの少し下、いつもの場所を指先で撫でる。
「花音ちゃん」
呼びかけるとぼんやりな視線がぶつかって、私は唇を近付けた。
鼻と鼻がとんと触れて、唇はふわりとした感触。
ほんの少しの隙間から細く漏れる息に体温を感じる。
不思議な感覚。気持ち良い。悪くない、っていうかむしろ好き。
唇を離すと花音ちゃんは、少し突き放すような仕草で私の肩に触れた。
「…ぇ、なん…で」
「なんかね、こうすると、どきどきして血が美味しいんだって」
どうしてキスするのかって聞いてみたときに紗季ちゃんが言ってたことだった。
花音ちゃんは何も答えなかった。
私もそれ以上は何も言わずに牙を立てた。
花音ちゃんの腕がきつく私を抱きしめるからちょっと苦しい。
確かに花音ちゃんはいつもよりどきどきしていて、
舌を撫でる血の味もいつもより美味しい気がした。
それが本当にキスのせいなのか、非日常な空間のせいかはわからない。
わからないけど、何もかもが確かだった。
私は確かに、紗季ちゃんに嫉妬していた。


106 :10、 :2012/12/11(火) 23:20

「うん、似合うよ彩花ちゃん。かわいい」
そう言って憂佳ちゃんはにっこり笑って、私の襟元を撫でる。
私もその手を掴んで笑って見せた。
憂佳ちゃんの制服は、ところどころ少しきつかったりゆるかったりするけどだいたいぴったりで良い感じ。
憂佳ちゃんの匂いに包まれてるみたいで何だか変な感じもした。
バスルームの小さな鏡では全身は見えないけど、充分に似合ってると思う。
ドアを開けると待っていた紗季ちゃんと花音ちゃんも私の満足できるような反応をくれた。
濃紺のブレザーに緑青色のチェックのプリーツスカート。
同じ制服。制服の私達。いつも3人が着てるのを見てるだけだったもの。
少しだけ羨ましいと思ってたのは、誰にも内緒のこと。




107 :  :2012/12/11(火) 23:21
 
108 :  :2012/12/11(火) 23:24
レスありがとうございます
年内の更新は最後になるかと思います
来年もよろしくお願い致します
109 :名無飼育さん :2012/12/14(金) 08:10
詳細まで描かれていない部分を想像するのが楽しいです。
来年も楽しみにしてます。
110 :名無飼育さん :2012/12/19(水) 10:31
物語が続くことが嬉しいです。
更新ありがとうございます。
111 :名無飼育さん :2013/02/20(水) 01:29
美しい物語ですね
112 :名無飼育さん :2013/12/21(土) 12:57
とても面白いです
続きを楽しみにしております
113 :11、 :2014/02/14(金) 05:05



陽が漏れるくらいの曇り空、天気は良好。気分も良好。貧血の気配無し。
緩やかな風が斜めに吹きつけて、額を撫でて前髪を浚ってく。
足を速めると風は睫毛を通り抜けて目蓋をくすぐる。

「さきちゃん危ないよ」
浮かれた足取りで先を歩いてると後ろから憂佳の声が投げられた。
聞き慣れてるはずの声も、知らない風景に通ると何だか新鮮に感じる。
振り返れば憂佳は眩しそうな顔してあたしを見ていて、
隣の彩はもっと眩しそうな顔で殆ど目をつむって歩いてる。
「彩こそ危ないじゃん」
「憂佳が手つないでるから大丈夫。
 彩花ちゃん、何かあったら憂佳が守るからね」
そんなことを言いながら憂佳は演技がかった仕草で彩の手をとり、彩はありがとーと馴れた声で返す。
よくわからないけれどお馴染みのやりとりが始まって、
見ていて面白いものでもないからあたしは前を向いた。
同じく後ろには興味が無さそうな花音の横顔を見て何となく安心する。
「何かって何が起こるのかな」
無表情だった花音が突然、そう言って思い出し笑いみたいにくすくすと笑った。
確かに、何が起こっても彩なら大丈夫だろうと思う。
守られる必要なんて無さそうだけど、いざというとき憂佳はきっと頼りになる。
あたしがこうして生きているのだって憂佳が助けてくれたからだし。
あたしだったら、いざというとき花音を守れるだろうか。
花音ならきっとあたしを守ってくれるのかもしれない。小さいから少し頼りないけど。
隣を歩く花音の目線は以前より低くなっていて、
二ヶ月もしないうちにあたしはまた背が伸びたらしい。
114 :11、 :2014/02/14(金) 05:05
本当なら人間でなくなったあの日あの時点であたしの成長は止まるはずだった。
だけどあれから5年くらい経つ間も、あたしはどう見ても相応に成長していて、髪だって爪だって普通に伸びる。
何百人という吸血鬼を見てきたらしい寺田のおじさんもこんな例は初めてだって言ってた。
その不思議については目を逸らし続けてきたけど、そろそろ考えなきゃいけないのかもしれない。
だけどせめて、この旅行のあいだくらいは。
憂佳がいて、花音がいて、彩がいて、当たり前のようにあたしがいて。
こんな風にいられることが当たり前なんだって錯覚していたい。
115 :11、 :2014/02/14(金) 05:08
グループ行動の今日は、基本はタクシー移動で各班が自由に計画した目的地を巡る。
彩と一日一緒に修学旅行を満喫できる唯一の日で、なるだけ他の班とかぶらないようにと念入りにルートを決めた。
寺田のおじさんの協力でタクシーの予約も四人組で通してあって、準備が万全の今日はかなり気楽に過ごせてる。
車を降りて案内してくれる運転手さんのあとについて、初めての街並みを歩きながらはしゃぐあたし達は、
よほどうるさいんだろうなって通りすがる人達の反応でわかる。
だって楽しくてしょうがないんだ。
楽しさは共有できるから。悲しみや虚しさは分けあうものじゃないけど、
みんなでいて楽しいって気持ちは一緒だと思うから。
「花音、ねえ花音」
高揚しきった気持ちのままに呼び掛けると、花音はどうしたのって不思議がるふりするけど、
声の感じとか表情で花音も嬉しそうなのがわかる。
憂佳はもちろん、ここに来るまでそれほど乗り気じゃなかった彩もすごく楽しそう。
はじめは無理だよって言われたけど、確かに「行ってみたい」とも言ったから、
少しでもそういう気持ちがあるなら絶対に来てほしかった。
吸血鬼としての人生と人間の生活と、どっちの方が良いなんてことは無いけど。
彩にだって楽しいことは多いほうがきっといい。
みんなでいるときは本当によく笑うもん。
あたしのするくだらない事にも大笑いしてくれるのが嬉しくて、
はしゃぎすぎて転びかけたらやっぱり憂佳に怒られた。
116 :11、 :2014/02/14(金) 05:09

「お腹すいたあ」
「ねー次どこだっけ?」
「紗季さあ、それ毎回聞いてない」
隣の花音が笑うけど、助手席から憂佳が顔を出して次はお昼だよと教えてくれる。
タクシーを乗降するたびに助手席だけじゃんけんで決めて、
今度の後部座席はあたしと彩で花音を挟むかたちに。
車内の狭い空間のなかですぐそばに花音と彩が並んでいるのを横目で見ては、
どうしても昨日の部屋でのことを思い出してしまう。
お腹が減ったと言う彩はごく自然に花音にそれを求めた。
花音も、気まずそうな声でいいけどなんて答えて、
あたしはどうしたらいいのかわからなかった。

吸血することが、ただ血を吸うだけの行為じゃないってことは身をもって知ってる。
文字どおり喰うか喰われるかの生死を伴う行為で、
吸われる側が人間なら尚更、命を差し出すのと同意だ。
そのために吸血鬼には生き物の感覚を惑わせる能力があるわけで、彩のは特に強力。
だけど彩がその力を友達の花音に使ったとも思えない。
思いたくないっていうのもあるけど、きっと彩はそんなことしない。
あたしとは違う、あたしとは──
117 :11、 :2014/02/14(金) 05:10
「紗季?」
肩を撫でられてあたしは花音を振り向いた。
「酔った?」
楽しい修学旅行だから、雰囲気を壊したくなくて。
明るく答えようと思った瞬間、彩と花音の隙間でふたりの手が繋がれているのが見えて、
「…お腹すいた」
たくさんの不満のなかで唯一口に出せる言葉を放った。
それだけじゃないことにすぐ気付く花音は、
そーか、って呟きながら、宥めようと体に触れてくる。
あたしはその手をなるべく優しく払った。
いつもなら癒されるけど今は、だって花音のせいだから。
花音の反応を見たくなくて顔を逸らしたけど、きっと傷つけた。
自己嫌悪に満ち満ちてく心を流したくて暫く窓の外の景色を見てた。
118 :11、 :2014/02/14(金) 05:14
吸血鬼にとっての吸血は食事であると同時に、種を増やすことにも繋がる行為で、
つまり人間がするそれと同じ快感がある。もちろん吸われるほうの人間にも。
知らなくても花音だって本能的にわかるはずだし、
それを彩に許してるって自覚があるから、
「ここじゃ無理」って言ったんだ。見られたくないって。
そういう相手である彩と触れあうことは、
手を繋ぐだけでもあたしや憂佳とするのとはきっと全然違う。
そんなもの見せられてあたしはどう感じればいいっていうの。
吸血されてる花音にとって、彩への好意はもう本人がコントロールできる部分ではないし、
彩に人間的な常識が無いのも、仕方ないことだってわかってる。
花音は悪くない、し、彩だって悪くはない。
だけどあたしは憂佳の気持ちも知ってる。
何より花音を大事にしてること。
たぶん、ずっと、あたし達の世界に巻き込みたくないと思ってたこと。

彩のひとまわりも大きそうな手は花音の小さな手をしっかり包んで、
何があっても守ってくれそうな。
あたしはその手と、彩のまっすぐな横顔と、憂佳の背中を、何度も見比べていた。
119 :11、 :2014/02/14(金) 05:14

それからお昼を食べて予定どおりに各所を巡って旅館に戻るまで、ずっといつも通りのあたし達だった。
小さなことですぐに言い合いになるのも、
何でもないことでばかみたいに笑いが止まらないのも、
ひたすらあたしの機嫌をとろうとする花音も。
あたしの勝手な都合なのにっておかしくて笑えた。
花音はいつもそう。いつだってあたしに、特別優しい。
どうしてかはわからないけど本当なんだ。

120 :11、 :2014/02/14(金) 05:16

夜にはまた彩にちゃんと食事させてあげなくちゃならないわけで、
憂佳と花音を大浴場に送り出してあたしは彩と部屋に残った。
花音が昨日から行きたがってたけど彩に遠慮してたのは気付いてたから都合が良かった。
昨夜あたしが一緒に行ってあげられたらよかったんだけど、
同級生たちに古傷だらけの身体を見せるわけにもいかないから部屋で済ませるしかなくて。
花音には、どうだろう、できれば見せたくない。
あたしのために泣いてくれるのは嬉しいけど、
悲しいのはかわいそうだから。
そんなことを考えながらぐらぐらと揺れる天井を見つめてるうちにそれはすぐに終わった。
さすがは彩というか、短時間でも奪われるものは大きくて座ってるのもきついぐらい。
きれいに敷かれた布団の上に身を投げ出す。
彩は興奮状態を抑えるように目蓋を閉じて深呼吸してる。
「…ふう。紗季ちゃん、ありがと」
「んー…」
「大丈夫?」
「あした、朝ごはんいっぱい食べれば大丈夫」
「そっか」
呟いた一言は素っ気無いようでいて、見守るみたいにじっとあたしを見つめてくる。
あたしが笑い返すと少し安心したみたいに口角が上がる。
彩、かわいい。
121 :11、 :2014/02/14(金) 05:18
なかなか動き出せないあたしのそばに彩も寝そべって、
目が合うとそっとほっぺたを撫でてくれた。
きっと機嫌が良いんだ。
あたしはいつもそれを読み損ねて失敗する。
花音も彩は何考えてるのかわかんないって言ってて、
あたしだけじゃなかったんだって安心した。
そう思うと憂佳はすごいな。
あたしは、花音のそういう存在になれるかな。
ふいにそう思ったことが自分でくすぐったくて、
彩が気付くわけないけど恥ずかしくてうつ伏せになった。
「苦しそう」
「そうでもないよ。めっちゃ喋れるしほら」
「あははは」
彩が笑うから嬉しくて、伏せた顔をあげながらめちゃくちゃに変な顔して見せるともっと笑ってくれる。
それでスイッチが入ったみたいに、あたしが変な顔して彩が大笑いして、
って繰り返してるうちに帰ってきた花音と憂佳に不審な目で見られた。
二泊目だっていうのにあたし達は全力で遊んで、
トランプも色鬼も枕投げも飽きたら狭い布団に四人でだらりと寝転がる。
適当につけたテレビを眺めながら、花音がこの芸人は面白いとかつまらないとか。
「彩はねーやっぱり、
 お笑いの中では紗季ちゃんがいちばん好き!」
なんて言われたけどちょっと意味がわからない。
あたしはお笑い芸人じゃないし、彩だってそんなにテレビ見ないくせに。
恥ずかしくて笑いながらうつ伏せになったら今度は苦しかった。
その夜はとても深く眠った。
122 :11、 :2014/02/14(金) 05:21


次の朝は花音の声で目を覚まして、
あの手この手で憂佳を起こしたら、
朝ごはんをいっぱい食べて、
みんなで布団を畳んだ。
こんな楽しい朝はきっと一生に一度。
帰りの支度をして、彩を大事にしまって、
部屋を出るときは淋しくて胸が重たくなった。
だけど最後の一日は、終わってしまうのが嘘みたいに楽しくて、
ずっと続いたらいいのに。
合間の自由時間に寄った雑貨屋でお揃いのストラップを買った。
花音は一番に紫色を選んで、憂佳が「さきちゃんは?」って、
どれでもいいけど強いて言うならこれは嫌かなって、
言おうとして手にとった黄緑を憂佳が「それきれいだね」なんて言うから、
あたしも憂佳にきれいなうすいピンクを渡した。
残ってた青を彩に見せると、目を閉じてにゃあと鳴いたからたぶん悪くない。
これでやり残したことは無いかなあって思いながら掲げた黄緑色を眺めてたら、
憂佳のピンク色が並んだ。
「へへ」
「かわいいじゃん」
「うん、紗季ちゃんのも、いいと思うよ。さすが憂佳でしょ?」
「はいはいはーい」
「のってよぉ」
むぅって頬を膨らませる憂佳を適当な返事であしらう。
「さすが紗季ちゃんって言いたかったの」
可愛い顔してそんなことを言うから、
いじけたような唇にキスしたくなった。




123 :  :2014/02/14(金) 05:22

124 :  :2014/02/14(金) 05:26
レスありがとうございます。
まさか一年以上ぶりになるとは…。本当に申し訳ないです。
先は長いので、次の更新はそう遠くならないようがんばります。
もう少しお付き合いいただければ幸いです。
125 :名無飼育さん :2014/02/15(土) 07:32
物語が続くことが嬉しいです。ありがとうございます。
ゆっくりと紡がれていくというのも、幸せな事のような気がします。
続きをのんびりとお待ちしています。
126 :名無し飼育 :2014/03/09(日) 01:42
おおおおおおおおおおおおおお
もう続かないんだろうなと思いつつ時々読み返しにきていたのですが
まさか更新されているとは
とてもとてもうれしいですっ
また読み返しつつ、次の更新をお待ちしています。

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