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ばらの花

1 :1、 :2012/04/17(火) 00:34



すう、と春空に直線を描く飛行機の軌跡。
手のひらを眉の上で翳して、はじまりから終わりまで、空色に滲んだ白線を追う。
あたしを包むグラウンドの空気は完璧なくらいの温度と湿度で、
心地良く流れてくる風や陽のにおいが眠たくてたまらない。
眠気だけじゃなく貧血の身体はだんだんと支えきれないくらい重くなってきて、
あたしにとっては強すぎる日差しも──
ああ、ほら、やっぱり。
目の前がぐらぐらと霞んで、バランスを崩した身体ががくんと沈んだ。
世界から落ちるような感覚。ゆっくりと落ちていく。
あたしは薄れてく視界の端に花音を捉えた。


2 :1、 :2012/04/17(火) 00:36


「ゆうか。ゆうか、起きて」
穏やかな声が耳をくすぐって、目を覚ますとひりひりと喉が痛んだ。
体育の授業から途切れた記憶に、もう慣れた保健室のシーツの感触。
起き上がろうと思っても全身がひどく重くて、
少しだけ顔を上げたらぼやけた視界に花音の黒髪がさらさらと揺れた。
「おはよ憂佳」
花音は慣れた手つきであたしの上半身を起こして、乱れきった髪を整えるように撫でてくれる。
「帰れそう?」
「んー…」
目の前にぼんやり映る小さな顔は見つめてるとだんだんはっきりしてきて、
伏し目がちな目蓋の曲線とか、その下に浮かぶ薄いそばかすとか、きゅっと上がった口角も、
ひとつひとつに触れたくなる。
手を伸ばしたらすぐ届いてしまうのになんて無防備なんだろう。
花音は黙ってあたしを見つめたまま心配そうな表情で、
普段はうるさいくらい元気なのに、こんな顔させて悪いなと思うけどやっぱり嬉しくもある。
遠音に聞こえるグラウンドの声、開け放たれた窓は練色のカーテンがひらひらとはためく。
身体を支える花音の手のあたたかさが沁みて、
もう少しここにいたいけど、はやく帰らなくちゃ。
この喉を走る渇きを、癒さなくちゃならなかった。
「やっぱまだ無理そうだね」
「ううん、だいじょぶ。てか早く帰りたい」
「でも…」
「ありがと。もう平気だよ」
花音の制止を振り切って、あたしはふらつきながらベッドを降りた。
制服と鞄を受け取って、着替えようと手にかけた体操着の胸元を鼻にあててみる。
微かに土埃のにおいがした。
3 :1、 :2012/04/17(火) 00:38

夕方というには少し早い時間、花音とふたりで通学路を歩く。
昼下がりの日差しよりはだいぶ弱まってるけど、それでも今の身体には辛い。
無性に喉が渇く。それはとても水なんかでは癒せないもの。
──さきちゃん、いるかなあ。いる、よね。てかいてくれないと困る。
本当はもう少し我慢したかったけど、我慢しすぎたのかもしれない。
早く家に帰りたくて、無意識に速足になると後ろから腕を掴まれた。
「また倒れるよ?」
「…あ、ごめん」
立ち止まって花音を振り返った瞬間、
焦っていたせいか、吸い込まれるように首筋に視点が定まってしまう。
まぶしいくらいの真っ白な肌が、陽を受けてより白く光って見える。
流れるような長い髪の作る影でその滑らかさが際立って、
あたしは思わず視線を逸らした。
「…じゃあ、かのん、またあした、」
「送ってくよ憂佳んちまで」
「ありがと。でもいいよ」
「心配しなくても家上げろとか言わないから」
そういう問題じゃなくて。あたしの声は思ったよりも弱々しく響いた。
4 :1、 :2012/04/17(火) 00:40
花音とはあたしがこの町に来てすぐ親しくなってからもう5年の付き合いになるけど、
今まで一度も家に招いたことが無い。
だけどそれは他のどんな友達だって例外じゃないし、
花音の方もずっとあたしの言えない事情を汲んで接してくれてる。
だから今の言葉も花音にとっては軽い冗談なんだろうけど、
あたしの肩には重く圧しかかった。
花音のことが好きだから。大好きで、失いたくないから。
自分で選んだ道だとしても、ときどき、たまらなく苦しい。
胸の奥がちりちり痛む。焼ける肌もちりちりと痛んだ。

顔を逸らしても、視界の端で花音がこっちを見つめてるのがわかる。
いつ諦めてくれるんだろう。黙って待っていたら、掴まれていた腕が解かれた。
花音の小さな手がするすると降りてあたしの手を握る。
「ゆうかー。」
「……なに?」
「あのさ、何てゆーか…、もっと、言ってくれてもいいから。
 ほらぁ、せっかく久しぶりに同じクラスなったし」
「…うん」
「嫌ならいいけど、言いたかったら聞くし」
視線を上げると、夕日みたいにせつない色した花音の瞳に、
胸の奥がぎゅう、ときつくなった。
花音がこんな風にあたしを受け入れて示すのはとても珍しいから。
その気持ちに答えたいと思った。
それならなおさら、優しい花音に打ち明けちゃいけないとも思った。
ふたつの気持ちが葛藤して、もうどうしようもなくなる。
だけど今のあたしにはとても余裕が無くて、
はやく、一刻もはやく。この喉の渇きを、潤さなくちゃもう限界みたい。

「…ごめん、花音。ありがと!じゃあね」
「えっ、ぁ…うん」
「ばいばい!」
絞り出すように別れを告げて花音に背を向ける。
振り返る瞬間、花音の小さな白い手があたしを見送るのが見えたけど、急いで走ってその場を去った。
角を曲がるまで一度も後ろを振り向かなかったけど、
何となく花音はまだ上げた手を下ろせずにその場に立ち尽くしている気がして、
悲しくて悔しくて少し泣きたくなった。

5 :1、 :2012/04/17(火) 00:42


その晩、いくら待っても紗季ちゃんはあたしのところへは来てくれなかった。
しばらく顔を見てなかったから、今夜こそはと思ってたのに。
素直に彩花ちゃんを訪ねれば良かったのかもしれないけどそうしたくはなくて、
ぐったりした身体のまま朝を迎えた。
彩花ちゃんには頼れずに、それでいて紗季ちゃんには頼りきってる自分が恥ずかしくて悔しくて、
お母さんには休めばと言われても意地になって学校に行った。
やっとのことで登校すると、席に着くなり花音が声をかけてくる。
「ねえ、だいじょぶ?」
「…むり。…今日、早退するかも…」
あたしは消え入りそうなくらいの声で何とか返事をして机に突っ伏した。
昨日はあんな風に言ってくれた花音を振り切ってまで帰ったのに、
結局紗季ちゃんには会えなかった。
あんな態度、とるんじゃなかった。ちゃんと応えればよかったな。
でもきっともう遅くて、花音の中では昨日のことなんて無かったことになってるかもしれない。
立ち去ろうとしない花音の気配に気付いていても、何も言えなかった。

黙って机に伏せたまま動かずにいると、花音の手があやすようにあたしの頭を撫でた。
「また倒れないでね」
言葉の端から漏れる優しい響きに、思わず滲んだ涙が制服の袖に染みた。
髪を伝って感じる花音の体温で全身の力が抜けてしまう。
このあたたかさを、やさしさを、全部あたしのものにできたらいいのに。
「先生きた、」
ガラガラと乱暴に開けられたドアの音に遅れて花音の手が離れる。
あたしはそれを残念に思いながら、だれた身体を立て直して教室の前方に目をやった。
6 :1、 :2012/04/17(火) 00:43
入ってきたのはいつもと同じ担任の先生の顔。と、いつもと違うのは、あとに続いて女の子がひとり。
途端に教室中が悲鳴をあげるように騒然として、花音の声も混じって聞こえた。
あたしだけは声も出なかった。
さきちゃん、なんで。
声に出せなかった。
褐色の肌に鋭い眼、口元には乳白色の牙。
それは確かにあたしのよく知った顔で、
でも、あまり見たことが無いようなよそゆきの表情と、
つい先日まで長かった髪はばっさりとショートカットになっていて、
とても目の前の人物があの紗季ちゃんだとは思えなかった。思いたくなかった。
何となく後ろめたさから教室を見渡してみると、
花音が突然の転入生に興奮した様子で前の席の子とはしゃいでるのが目に入った。
かつかつとチョークが黒板にぶつかる音、深緑の中に白く浮かんだ名前。
「小川紗季です、よろしくお願いします」
紗季ちゃんはとても丁寧にお辞儀をして、先生が示す席に向かった。
いつの間にか増えていた空席が、あたしの列の一番後ろ、教室の廊下側の角にひとつ。
もの珍しげな教室中の視線を受けながら堂々と歩く紗季ちゃんが、
あたしの横を通り過ぎる瞬間、にやっと笑った。
いつもと同じ、というよりいつもより少し性質の悪い、悪戯な笑い。
それは紛れもなく紗季ちゃんの笑顔だった。
7 :1、 :2012/04/17(火) 00:44

「ねえ、なんで!なんで紗季ちゃんがいんの?」
「えへへへへへへ、きちゃった」
混乱のまま一時間目の授業を終えて、
あたしは人気の無い屋上へ続く階段の踊り場に紗季ちゃんを連れ出した。
紗季ちゃんは悪びれる様子もなく肩を揺らして笑う。
「きちゃったじゃないよ、意味わかんないんだけど。ていうか髪の毛どうしたの」
「これはぁ交換条件でー…あ、ねえトイレどこ?」
「ちょっと!ちゃんと説明して…っ」
大声を上げたせいで意識が飛びかけて、ふらついたところを紗季ちゃんに抱きしめられる。
「いいから、限界でしょ?」
耳元で囁く声が、甘く妖艶な響きであたしの欲求をかき立てた。
8 :1、 :2012/04/17(火) 00:44

喉がひりひりと渇いてしょうがない。紗季ちゃんを欲して、血が唸るみたい。
人気が無いからといって学校で吸血するなんてとんでもないと思う。
思っても、あたしを包む紗季ちゃんの体温が、血の流れが、理性を破壊してく。
紗季ちゃんが襟元のボタンをふたつ外して、首元を開いた。
あたしは開かれた首筋に顔を埋めて、唇でなぞるように、その場所を探す。
紗季ちゃんの場所はたくさん知ってるけど、
鎖骨あたりならここ。
噛みついたと同時に、あ、と紗季ちゃんの口から息が漏れた。
あつい血液が喉を通って、全身に溶けていく。
外界の音を閉ざすように、ごお、と耳鳴りがする。
この味。このにおい。この感覚。
渦巻くようなエネルギーの流れにあたしは我を忘れて吸いついた。
階段のずっと下のほうでは休み時間の生徒の声が響く。
ふたりを包む空気だけが別世界のようにつめたく歪んでいく気がした。
9 :1、 :2012/04/17(火) 00:45

「ゆ、うか、ちょっと…もう」
震える紗季ちゃんの手が肩を掴んで、意識が戻る。
あたしはごめんと呟き唇を噛んだ。
「…ついてるし」
「うそ」
口元に滲んだ薄黒く赤い血を紗季ちゃんが舐める。
普段なら口元を濡らすことなんて無いのに、
どれだけ焦って吸ってしまったんだろうって恥ずかしくなる。
紗季ちゃんはなぜか嬉しそうに笑ってあたしの頬をつまんだ。
「あは、赤くなってるしもう大丈夫だよね」
「……ありがと…」
重度の貧血状態からは解放されたけど、心地良い倦怠感でうまく立てない。
ふらつく身体を壁に凭れて紗季ちゃんを引き寄せた。
「あとでちゃんと説明してね」
「憂佳もあとで吸わせてね」
せっかく満たされたのに、また貧血になるのかってあたしは苦笑いするしかなかった。

10 :  :2012/04/17(火) 00:56
 
11 :名無飼育さん :2012/04/18(水) 19:46
続きが気になって仕方ないっす
12 :名無飼育さん :2012/04/18(水) 21:04
綺麗な文章ですね
読んでいてくらくらします
13 :2、 :2012/04/19(木) 16:29



この町に来てからの生活はひどく単調。
吸血鬼の朝は遅い。陽が暮れるころに起き出して、夜じゅう活動して、空が白んでくれば床に就く。
目覚めたらまず、庭の薔薇を摘む。
薔薇は貴重。血以外で唯一、直接のエネルギーになるもの。
摘んだ薔薇をお茶に入れて飲むのが私の朝食。
それから絵を描く。絵を見る。
猫とじゃれる。猫になる。
だいたいはそんな風にして一日を過ごすし、
ときどき憂佳ちゃんと紗季ちゃんが訪ねてくる以外にはよほど変わったことなんて起こらない。
両親の元を離れて憂佳ちゃんのいるこの町に来てから、
そんな毎日を過ごしてるけどだんだん飽きてきた。
田舎の町はずれの小さな山の中腹にぽつんと置かれたような小屋で、
小屋の周りには薔薇がたくさん、
一緒に暮らすのは可愛い可愛い愛猫のとらのすけ。
満足感でいっぱいのはずなのに、不満ばかりが募る。
つまんない。つまんない。つまんない。
紗季ちゃんはいいな。あっちこっち行ったり出来て。
憂佳ちゃんみたいに人間の生活をしたいとは思わないけど、
吸血鬼として生きながら憂佳ちゃんの生活に触れている紗季ちゃんは羨ましいと思う。
どうして吸血鬼はみんな人間に憧れるんだろう。私にはわからない。
こんなに毎日が退屈なら寿命のある人間に憧れるのは仕方ないのかもしれない、
でもきっと人の暮らしはとても、窮屈で自由じゃない気がする。
だから半分は吸血鬼の憂佳ちゃんが、人の暮らしを選択したことは今でも理解できない。
それが人間である憂佳ちゃんのお母さんの方針でも、
私は憂佳ちゃんといつまでも自由に遊んでいたかった。
14 :2、 :2012/04/19(木) 16:29

ふう、と一息つきながら筆を置いたところで、がたがたとガラス窓が鳴った。
窓の外で一匹の蝙蝠が叩くように羽根をぶつけている。
私はその蝙蝠のために、錆ついた鍵を開けガラス戸を押し開いた。
「紗季ちゃん、どうしたの」
窓から入った蝙蝠は天井近くをくるくると二回転ほど飛び回って着地した。
着地したと同時に見る間に毛並みが引いていき、人型に変化する。
「さーむーっ。彩、服貸して」
露わになった肩やお腹をさすりながら、紗季ちゃんはばたばたと足踏みをした。
「こないだ紗季ちゃんが置いてったのでいい?」
「何でもいい。早くー。風邪引く」
風邪なんて引くわけないのに。人間だったころの癖なのかな。
もしかしたら紗季ちゃんは今でも風邪とか引いたりするのかもしれない。
だったら大変だし、それが憂佳ちゃんにうつったらもっと大変だ。
風邪を引いたらふたりとも遊びに来てくれなくなる。
私は急いで箪笥から出した服を紗季ちゃんに渡した。
15 :2、 :2012/04/19(木) 16:30

冬を終え暖かい春を迎えても、山の夜の空気はしんと冷える。
純血の私にとっては心地良いぐらいの空気だけど、人の生活に慣れた紗季ちゃんには寒いみたい。
厚めの毛布と熱めのローズティーを出してから、私はとらのすけを拾い上げ腰を下ろした。
「憂佳ちゃんは?」
「あー、今ちょっと…吸ったらぐったりしちゃったから置いてきた」
「じゃあ紗季ちゃんも来ちゃだめじゃん」
「だって憂佳が、」
言いかけて紗季ちゃんはすぐに口を噤んだ。
私はその先には触れず、膝に寝かせたとらのすけを撫でる。
「…彩もさー、学校行かない?寺田のおじさんに頼んでみよっか」
「ええ?やだよー、めんどくさいもん」
「けっこう楽しいよ」
「うーん」
考えるふりをしながら学校生活を送る紗季ちゃんを想像してみたけど、うまいくいかなかった。
そもそも学校生活ってどんなだろう。
それにしても紗季ちゃんはよくもあんな胡散くさい人物に貸しを作ったなと思う。
入学の手引をしてもらう代わりに髪を切らされたって言ってた。
それだけのことに何の価値があるのかはよくわからないけど、
ずっと長髪だった紗季ちゃんは髪を切るのをとても嫌がっていたから、
それはかわいそうだなと思ったし、私だったらきっと耐えられない。
ショートもかわいいよ。ショートの方が似合うよ。すぐ伸びるよ。
どれも違うな、なんて頭を巡らせていたら、いつのまにかすごく近くに紗季ちゃんの顔があった。
私の肩に頭を擡げて、とらのすけを撫でる手に手を重ねてくる。
嫌な予感にぎくりとした。
16 :2、 :2012/04/19(木) 16:30
視線を落とすと、とび色に変色した紗季ちゃんの瞳が誘うようにこっちを見てる。思わず息を飲んだ。
紗季ちゃんの吸血は苦手。血を吸われること自体得意じゃないけど、
特に紗季ちゃんの性急な吸い方は好きじゃない。
「…紗季ちゃん、憂佳ちゃんにしてきたんでしょ」
「足りない」
「だめだよ、だめ」
今吸われたら、また街に降りないといけなくなる。やだ、めんどくさい。
私はにじり寄る紗季ちゃんの身体からすり抜けるように猫になって逃げた。
壁際の棚の上に飛び乗り、にぁ、とひとつ鳴いてみる。
「っちぇー」
紗季ちゃんは不満げに呟きながら、膝の上に残された私のワンピースを玩ぶ。
その様子が淋しげで少し申し訳なくなるけど、
こういうのが大体、過剰な欲求からくる興奮状態だってことはわかってる。
憂佳ちゃんから吸ってきたばかりで本当に喉が渇いてるわけじゃないはず。
私は私である必然性の無い行為なんてしたくないし、血を吸われるなら尚更。
17 :2、 :2012/04/19(木) 16:31
「ごめんね、彩、帰るね」
紗季ちゃんは私の自慢の毛並みを優しく撫でてから、入ってきたときと同じ窓を開けた。
ばさりと床に服が落ち、再び蝙蝠に変化する。
ちぃ、ちぃ、と、別れを告げるように鳴きながら闇に消えていった。
またどこかで人を襲うのかな。
紗季ちゃんのやり方はときどき無茶だから、あんな興奮状態だと心配になる。
──憂佳ちゃんとも何かあったみたいだし。
先に変身してきっかけをふいにしてしまったのは私だけど、
本当は何か話したかったのかもしれない。
私はいつもタイミングを逃がす。紗季ちゃんにはいつもそうだ。
今度、それとなく憂佳ちゃんに聞いてみよう。
私は変身を解き開け放たれた窓に手をかけた。
春であっても山の夜の空気はしんと冷える。
何も纏わない身体には少し冷たかった。


18 :  :2012/04/19(木) 16:31

19 :  :2012/04/19(木) 16:41
レスありがとうございます
言葉が下手なので返レスは控えさせて頂きます。。。
20 :名無飼育さん :2012/04/20(金) 15:02
面白い。
雰囲気がいいなぁ
21 :3、 :2012/04/24(火) 06:02



「だから、ルートってなに」
「ルートはルートだよ。√。」
「だからぁ、ルートってなにってば」
そんなの知らないよ、と花音が唇を突き出す。
あたしはその顔を横目に見てから隣の憂佳の肩を抱いた。
「そもそも何で花音が紗季に教えるわけ?憂佳は?ねえ憂佳」
「家で教えてるでしょ?」
憂佳はあたしの問いをふわりとかわして友達と話を続けた。
その対応にいよいよやる気なんて無くなるから、教科書を乱暴に閉じて机の端にやる。
「じゃあ家でやるからもういい。てかわかんなくていいし」
「いいって言ったってさー」
追いやられた教科書をめくりながら花音がわざとらしく溜息をついた。
22 :3、 :2012/04/24(火) 06:05
「だいたいさあ、花音だって全然だめなくせに」
「紗季よりは出来ますー」
「言ったね」
「言ったよ?」
お互いむっとした表情で睨み合うけど、事実なだけにあたしは何も言い返せなかった。
この学校に来てから数日、実際あたしの学力と言えば酷いもので、
心配した花音にこうして授業の後まで拘束されてる。
今までもときどき憂佳が勉強を教えてくれてたけど、
学校に通うこと自体数年ぶりで、ハンデが大きいっていうか、
本当ならあたしはみんなよりふたつも年下だし。
そもそも吸血鬼にとって勉学なんて意味を持たないと思うし、彩だって学校には行ってない。
それでもこんなにはっきりと出来ないことを自覚させられるのは、少し悔しいけど。
「このままじゃ高校行けないんじゃないの」
花音が本気か冗談かわからないような口調で言う。
「…あー、かもね。やばいよね」
あたしも冗談まじりに笑って返した。
高校に行く予定なんて当然無い。でも、こういう会話は悪くない。
ごく普通の平穏な学校生活。人間だった頃みたいな日常。
朝になれば制服を着て通学路を歩いて、
昇降口のにおいとか、机の傷、黒板のらくがき。友達とのおしゃべり。
そういうものすべてが懐かしくて新鮮だった。
23 :3、 :2012/04/24(火) 06:06
あたしにとって昼夜逆転のこの生活はなかなかきつくて、
毎日遅刻しそうになるけど憂佳のおかげで何とか通えてる。
相変わらず憂佳の部屋で夜を越すことが多いし、
そうでなくても必ずあたしを迎えに来てくれて、毎朝ふたりで登校する。
それが嬉しくて、朝方の憂佳の寝ぼけた顔を見るのが好き。
この町であたしが拠点にしてるのは憂佳の家から少し離れたところにある廃墟の屋内プールで、
そこから学校までは歩いて15分。
吸血鬼にとっては一日の中でも最も辛い朝の陽を、できるだけ避けながら歩く。
あたしの急な編入にしばらく文句ばっかりだった憂佳も今朝は、
一緒に学校に行ける子ができて嬉しいと笑ってくれた。
人より朝が弱いのとか、陽を避けなきゃいけないこととか、
そういうことを憂佳は誰にも言えず一人で登校してたんだ。
こんな陽射しの中を、重い身体でひとりで歩くのはきっとさみしいと思って、
隣を歩く憂佳の白い手をとって握った。
24 :3、 :2012/04/24(火) 06:07

「わかった、じゃあ数学はいいから。ほらつぎ家庭科ー」
投げやりに閉じ置かれた教科書を花音がぽんと叩く。
あたしはようやく解放されたことに安心して、身体を起こし大きく伸びをした。
「でもさぁ今日調理実習じゃないんだもんつまんない」
「ほとんど実習の計画じゃん、楽だよ」
「そっか、やったー寝てよー」
怒られるよ、って花音が笑う。三日月みたいに丸く細められた目。
こうして花音と普通に会話を交わすことにも慣れたけど、慣れてしまったことに戸惑ってもいる。
そもそも、色々と面倒な手続きをしてまでこの学校へ来たのには、
憂佳と一緒にいたかったから。退屈で仕方なかったから。
それと大きくひとつ、花音が原因にあった。

憂佳が花音をどんなに好きでも、大事に思ってることがわかってても、
今までは何も言わなかった。言えるわけもないし、言いたくはなかった。
それでもずっと嫌で嫌で花音のことが妬ましくてたまらなかった。
それなのに、数年ぶりに同じクラスになったなんて聞かされて、
あたしはもういてもたってもいられなかったんだ。
憂佳が花音の名前を口にするたびに感じてたじりじりと小さな焦燥感。
それが燃え上がるように膨らんで抑えきれなくなった。
そうして憂佳を追って学校に来てみたけど、どういうわけかあたしは花音と仲良くなってる。
花音も最初は人見知りしてたくせに、憂佳があたしをいとこだって紹介したらすぐに遠慮も何も無くなった。
それにしてもいとこだなんてよく言ったもんだなと思ったけど、
同じ血が通ってるっていう意味では間違ってもないのかも、なんて。
実際あたしの身体は憂佳の血でできたもので、
あたしにとって憂佳はすべて。それ以外には何も無い。
あの日に何もかもを失くして、それからずっと憂佳だけが、あたしのたったひとつの真実。
25 :3、 :2012/04/24(火) 06:07
隣で笑う憂佳を見つめてみる。
気づいた憂佳がこっちを向く。どうしたのって窺うみたいに微笑んで、それからその顔を花音に向けた。
わかってたけど、ここへ来ていっそう思い知らされた。
憂佳が花音ばかり見てること。あたしは憂佳にとって何でもないこと。
それであたしはいつも同じ景色を見たくて憂佳の視線を追うんだ。
視線を移した先には、鼻歌まじりに身体を揺らす花音の横顔があって、何だか気が抜けた。
憎めない、っていうのとは少し違うけど。
こうして同じ時間と空気を共有してしまったら、目の前にしてたら、マイナスな感情は持てなくなる。
自分が情けなくて溜息が出た。
それが思ったより大きく響いて、驚いたように花音が振り向く。
「え、なに、なに」
「なんでもなーい」
なんだよーって、ふてくされた花音の声と同時に、始業のチャイムが鳴った。
26 :3、 :2012/04/24(火) 06:08


「紗季ちゃん、花音と仲良いね」
薄暗い水泳場に、かつん、かつんと靴底を鳴らす音が響く。
空っぽのプールの淵に腰掛けた憂佳が槽壁を蹴る、その単調なリズムを、
あたしは壁際の椅子に凭れながらぼんやり聞いていた。
「…べつにぃ」
靴音は止んで憂佳が振り返る。
「いいじゃん、いつも一緒にいるじゃん」
「いないって」
「心配だったんだよ、紗季ちゃん馴染めるかなって。
 すぐ友達できちゃうんだもんすごいね」
「…そうかなー」
そうだよ、と憂佳の声が柔らかく通る。
あたしが花音と仲良くなって、憂佳は嬉しいのかな。面白くないのかな。
椅子から立ち上がり憂佳の隣に座った。透明なその横顔を捉える。
憂佳がいれば、何もいらないんだけどな。
目尻から緩やかな頬の傾斜をなぞって、下顎、首筋に視線を落としてく。
制服の襟が邪魔に思えて、ボタンに手をかけると憂佳が息で笑った。
「ちょっと、さきちゃん」
「んー?」
「なにしてるの?」
「べつに」
ブラウスのボタンをひとつ、ふたつ外して襟元を広げる。
憂佳の透き通る白い肌が露わになる。
まだ足りない。もっと見たくなる。
鎖骨を指でなぞると、憂佳が唇を噛むのが視界の上のほうに見えた。
27 :3、 :2012/04/24(火) 06:10

あたしがどんなに求めても憂佳は拒まない。
それに甘えてはいるけど、絶対に拒絶されないってことが虚しくてたまらなくなるときがある。
虚しさは、突然襲ってくる。
あたしは衝動的に憂佳を押し倒した。
「いった、」
「ごめん」
軽く打ちつけてしまった憂佳の頭を撫でる。
痛みに歪む眉に唇で触れた。潤んだ瞳が揺れて可愛い。
残された上着のボタンをすべて外して、さらさらの肌を撫でる。
手のひらに感じる脈打つ血の流れ。
憂佳はもう受け入れ誘うような表情であたしを見上げてる。
湧きあがる興奮と、それを抑えつけるような虚無感。
めちゃくちゃな感情に蓋をするように、あたしは憂佳の痩せたお腹の上に顔を伏せた。
ふっ、と糸がきれたみたいに熱が冷めていく。

「…さきちゃん?」
憂佳の掠れた呼び声も耳に遠く、あたしの身体は変化を始めていた。
ぎゅうぎゅうとすべてが凝縮されていくような感覚が全身を走って、数秒で完全な蝙蝠になる。
ぬけがらになった制服を抜け出して高く舞い上がり、割れた窓の隙間めがけて滑空する。
行くあても無いけどとにかくどこかへ逃げたかった。
絶妙な角度で隙間をくぐろうとした瞬間、
ぱりん、と窓の外でガラス音が鳴った。



28 :  :2012/04/24(火) 06:11

29 :  :2012/04/24(火) 06:14
レスありがとうございます。
更新は遅めです
30 :名無飼育さん :2012/04/25(水) 18:46
紗季ちゃんはこういう想いだったのか…
31 :名無飼育さん :2012/04/26(木) 00:30
良い読み物を見つけました。
32 :名無飼育さん :2012/04/26(木) 11:23
各メンバーらしさが出てて読みいっちゃいます
日々の楽しみができました
33 :4、 :2012/04/29(日) 22:20



町の中心を走る国道は田舎にしては大きな通りで、
その道をまっすぐ北西に進む。店並びも寂しくなったころ裏道に逸れると、
街を囲うような山々を背景に古くなった外壁が印象的な建物が見えてくる。
一見しただけではどんな施設かわからないけど、
聞いた話によると数年前まではスイミングスクールとして営業していたらしい。
空き地つづきのこの一帯は、大通りから少しはずれただけでもう誰も寄りつかないような雰囲気があって、
通りを走る車の音が遠くで響く以外は、歩くたびに砂の鳴るのが聞こえるくらいに静か。
わたしは辺りを見回して心細さに肩を竦めた。
34 :4、 :2012/04/29(日) 22:21

その建物へ足を向けたのは興味本位だった。
近くの本屋に向かう途中で偶然、裏道に入っていく憂佳と紗季を見かけたから。
わたしにとっては幼馴染みの前田憂佳と、何だか不思議な転入生の小川紗季ちゃん。
ふたりが向かったのは町はずれの廃墟。
どうしたって興味を引かれる状況に、あれこれ妄想しながら本屋での用事を済ませたあと、
わたしはふたりの影を追うようにその方向へ自転車を漕いだ。
少し離れたところにぽつぽつと点在する民家以外は本当に何も無くて、
それはつまりほぼ確実にあの廃墟に憂佳と紗季がいるってことで、不安になる。
建物を囲うように広く横にとられた窓の前には、廃墟らしく鬱蒼と木が茂って屋内の様子は見えない。
誰にも見つからないように、わたしはこそこそと建物の裏手から敷地内に侵入した。
どきどきしながら更に建物内に侵入できそうな場所を探す。
とりあえずはそんなもの簡単には見当たらなくて、
忍び足で今度は建物の横手にまわると、正面からも見えていた大きな窓にあたった。

窓の向こうには、広い床の中心をぽっかりとくり抜いたような空のプール。
そのプールの淵に重なり合ったふたつの人影。
わたしは息を飲んだ。
憂佳、と、紗季だ。間違いなく。
仰向けに寝転んだ憂佳の上に覆いかぶさるようにした紗季が、
憂佳のはだけた上半身を撫でているのが見える。
…なに、してるんだろう。
わたしは瞬きも忘れてその光景に見入った。
ガラスの向こうで紗季が憂佳の上にうずくまる。
異様な雰囲気に危険を感じるけど、身体は動こうとしない。瞬きを忘れた目が乾く。
うずくまる紗季の背中がびくびくと痙攣するように揺れながら小さくなっていく。
その身はあっという間に制服の中に隠れて、次の瞬間、
小さな黒いかたまりが突き抜けるように姿を現して上方へ飛んだ。
くるりと回転してからこっちへ向かってくる。
何が何だかわからなくて、怖くて怖くて恐怖のあまりひぃっと喉が鳴った。
後ずさった足元で踏みつけたガラスが思いきり音を立てた。

35 :4、 :2012/04/29(日) 22:22

「信じらんなーい。ほんっとに信じらんない!」
「うるさい花音」
大声をあげるわたしを見ながら紗季が眉を顰める。
「ほんとにこんなとこから学校通ってんの?」
「は?通ってるし。全然住んでるし」
「ありえない」
「てかさー、そこ?」
「だってよくわかんないし」
そうだろうけど、と困ったような顔を見せる紗季。
その豊かな表情も声色も、とても人間じゃないようには見えない。
だって、実感、ないし。
わたしは目の前のふたりの吸血鬼を見つめる。
実際に血を吸うところを見たわけでもないし、自分が吸われたわけでもない。
ただそんなような場面を見ただけ。変身するようなところを見ただけ。打ち明けられただけ。
今でも半信半疑だし、憂佳の言うことじゃなければ信じなかったかもしれない。
でもその憂佳は、大まかな話をしただけであとはずっと黙って俯いたまま。

憂佳とは幼馴染みとして長くそれなりに付き合ってきたつもりだった。
あまり自分のことを語らない憂佳がずっと何かを隠してることには触れずにきたけど、
きっかけが何であってもこうして告白してくれたことが嬉しかった。
けど、わたしにとってはつい先日出会ったばかりの紗季が、
ずっと憂佳と秘密を共有しながらそばにいたって事実は少し悔しくもある。
いとこだなんて嘘までつかれて。憂佳が人間とのハーフだっていうのもピンとこないし。
少し話を聞いただけではわからないことが多すぎて、未知のことは想像もつかない。
でも、ふたりが想像もつかないような人生を送ってきたってことだけは聞かなくてもわかる。
薄暗い屋内をぐるりと見渡してみると、
大きな窓の外は樹木や設備で視界が悪く開放感なんかは感じられない。
壁際に積まれた壊れた泳具、照明のかけら、ちぎれたコード。
ところどころにひびの入った床や壁は痛々しく見えて、
きっと他にある部屋もとても静かで寂しいんだろうなと思った。
36 :4、 :2012/04/29(日) 22:22
「大丈夫、花音のことは吸わないから」
ぼうっと視線を泳がせていたわたしの肩を紗季が叩いた。
「たぶんね」
「たぶん?」
「何か変な味しそうだし」
「しないから」
「ねー憂佳」
紗季の声に憂佳は少しだけ顔を上げて、うーん、と呟いた。
「興味ないって、あはははは」
「いいですべつにー、吸われたくないし」
わたしはからかってくる紗季にふいと顔を背けた。
耳元で、だよね、と静かな声が吐き出される。
慌てて振り向いたけど、紗季の顔はもうそこには無く憂佳の方を向いていた。
憂佳はまた俯いてやっぱり黙ったまま。
透けるような肌が、部屋の色調を映して青白く光って見える。
その姿は少しだけ吸血鬼らしい、というか、血に飢えているように見えなくもない。
それでも牙を剥いて人を襲う憂佳なんか想像できなかった。
紗季ならとても無邪気に噛みついたりするのかもしれない。
出来ればその対象になりたくはないけど、そうなったときには、あまり痛くしないでくれるといいな。


37 :4、 :2012/04/29(日) 22:23

翌日の放課後、わたし達は町はずれの山道を三人で歩いていた。
はじめは緩やかだった傾斜もだんだんと険しくなって、ときどき生い茂った草木に足を取られるほど。
後先もよくわからないようなけもの道を、憂佳も紗季も慣れたふうに迷いなく進んでいく。
人並みより体力の無いわたしにはとてもきつくて、前を行く二人に訴えた。
「ねー、むり。もう、ほんと」
「花音。もうすぐだから」
振り返った憂佳が困った顔でわたしを見下ろした。
更に上の方から紗季の声も降って来る。
「置いてってもいーんだけど」
「さきちゃん。…花音がんばって、もうちょっとだよ」
差し出された憂佳の手を掴む。相変わらず冷たい。
体温低いのも、吸血鬼だからなのかな。
わたしを引く憂佳の力はその細い腕から連想するよりも案外強くて、
華奢なのに広い背中とか大きな手とか、頼もしいなんて思ってしまう。

「ねえ、彩花ちゃんてどんな子?」
険しい山道の辛さを紛らわせたくて、わたしはこれから会いに行く女の子のことを考えることにした。
「彩はねー、超可愛いよ」
即答した紗季が、ね、と憂佳に同意を求める。
憂佳は少しだけ考えるようにしてからわたしを見て言った。
「うん。彩花ちゃんはめっちゃかわいい」
「…ふうん」
そんなに可愛いんだ。
わたしは一度視線を逸らしてからそっと憂佳の顔を盗み見た。
憂佳ぐらい、可愛いのかな。憂佳より可愛かったら…いやだな。
38 :4、 :2012/04/29(日) 22:24

わたしは昔から、何をしても可愛い憂佳のことが羨ましかった。
身体が弱くてみんなから心配される憂佳はずるいってちょっと思ってた。
でもそんな憂佳がわたしも心配だし、幼馴染みとして憂佳のこと、大切だけど。
どうしてもそういう感情が拭えなかった。
だから、そんなに可愛いらしい彩花ちゃんに会ってわたしは仲良くなれるかな。
人見知りだし不安もあったけど、紹介するよって言う二人がすごく嬉しそうだったから、
今日はこんなとこまでついてきてしまったんだ。

「えっと、同い年なんだっけ?」
「そうだよ」
「それほんとに?実は百何歳とかだったりしないの?」
「なに言ってんの」
だって、吸血鬼なんでしょ。わたしが言うと、憂佳と紗季は難しい表情で顔を見合わせた。
それから簡単に説明をしてもらったけど、吸血鬼も子供のうちは人間と同じように成長していって、
20歳になると成長が止まるらしい。不老であっても不死ではないとか。
でも人間から吸血鬼になる場合もあるから見た目の年代は様々。
人間と同じ方法で子供をつくることも出来るけど、その能力はヒトより遥かに弱く、
彩花ちゃんのように純血として生まれる吸血鬼はわりと珍しいんだって。
そこまで話したところで、ようやく目的の小屋が見えてきたらしく紗季が声を上げて駆け出した。
肩まで届きそうな背の高い草をかき分けて行った先には──
39 :4、 :2012/04/29(日) 22:25

息を飲むような、薔薇の庭。それも赤ばかり。
木々の間に大きく開けた空から差し込む陽が照らして、
まぶしく光る花の群れは、丁寧に育てられているのがわかるようにとてもきれい。
その光景の奥に建つ小屋は薄暗い日陰になっていて、いかにもって感じだ。
むせかえるほどの薔薇の香りの中を歩いて、小屋の前に出ると紗季の足元には2匹の猫。
一匹は青味がかった灰色の縞模様で、もう一匹は細身の黒猫だった。
紗季は黒いほうを執拗に撫でながら、「彩、彩。」と呼びかけてる。
これも紗季みたいに変身した姿なのかな。そう思って見つめてみると、
する、と紗季の手をすり抜けて黒猫はわたし達から離れていった。
「彩花ちゃん人見知りだから」
そう言って憂佳が『彩花ちゃん』に手招きする。黒猫はしばらく憂佳の手とわたしを交互に見続け、
急にうずくまったかと思うとびくびくと全身を震わせはじめた。
「え?彩花ちゃん、ちょっ…!」
憂佳が素っ頓狂な声を上げている間に、
真っ黒な毛並みはざあ、と引いて、骨ばった人間の身体に変化していく。
猫の毛並みよりも茶色くなった長い髪が、柔らかそうにふわふわと揺れる。
細長く伸びた浅黒い腕がやせた上体を起こし、
揺れる髪の合間にあらわれた小さな顔がこっちを向いた。
40 :4、 :2012/04/29(日) 22:25
きらきらと光る大きな瞳がまっすぐにわたしを捉える。
心臓が跳ね上がった。
吸い込まれそうな黒い瞳、くっきりした目蓋、すらりと通る鼻筋、小さな顎。
あまりにもきれいで目が離せなくて、時間が止まったような感覚に陥る。
「彩花ちゃん、あの、服、着よっか」
ふと憂佳の声が耳に入って、ぼやけていた意識を取り戻す。
それでも目の前の女の子はやっぱりすごくきれいで、可愛くて、
本当に時間くらい止められてしまうんじゃないかって思う。
まっすぐに向けられていた視線は逸らされ、彩花ちゃんは憂佳の言葉に首を傾げながら紗季を見た。
「彩ー、初対面が裸はだめでしょ」
「ぇーーっ、何?何が…」
きれいな見た目からは想像もしなかったような幼い声。少し鼻にかかった、掠れて高い。
大きな瞳をきょろきょろさせて下顎を抑える仕草や、
恥ずかしそうにわたしを窺う表情も、あまりに可愛くてどきどきしてしまう。

「ほら花音びっくりしてるよー」
紗季が笑いながら制服のブレザーを脱いで放ると彩花ちゃんは隠れるように頭から被り、
はみ出した手足が今度はぐんぐん縮んでいく。
またあっという間に姿を変えて、黒い身を泳がせ小屋の中に入っていった。
「中、入ろっか」
急に憂佳の手が触れて、わたしはうんと頷いた。
彩花ちゃんを追って小屋に入っていく縞の猫と紗季を見つめながら、憂佳の柔らかい細い指を握りしめた。
応えるように憂佳の指先が動いて、顔を上げたら憂佳の笑顔があって、
思い出したように薔薇の香りが鼻をくすぐる。
わたしは、やっぱり夢でも見てるのかもしれないなんて思った。
幼馴染みと吸血鬼と、真っ赤な薔薇の庭。出逢ったのは、猫の姿をした可愛い女の子だった。




41 :  :2012/04/29(日) 22:25

42 :  :2012/04/29(日) 22:26
レスありがとうございます
期待に添えるようがんばります。
43 :名無飼育さん :2012/04/30(月) 04:43
4人が揃いましたね。うれしいです。
44 :5、 :2012/05/11(金) 02:19



花音に秘密を知られてから一週間が経って、あたしの日常は少しずつ大きく変化していた。
昨日も放課後に花音と紗季ちゃんと彩花ちゃんの家へ行って、夜まで四人で過ごして、
それがもう当たり前みたいになってる。
少し前まではずっと重なることなんて無いと思ってたふたつの世界が、
こうして同じ時間を過ごすまでになっているのがとても不思議で、
でもきっとそれはあたしがずっと夢見てたことだったんだと思う。

今まで必死で隠し続けていたことが、あんな風に花音にばれてしまったのは悔しくてたまらなかった。
始めのうちはどんな顔したらいいのかもよくわからなくて、
それでも花音を離したくなかったし、花音もあたしから離れようとはしなかった。
受け入れてもらえたって喜んでたのも束の間、
予想以上に彩花ちゃんと花音が近付いてしまったことに少しだけ焦ってるし、
前にも増して紗季ちゃんとべったりなのも面白くない。
そんな風に思えること自体、贅沢なんだってわかってはいるけど。

45 :5、 :2012/05/11(金) 02:19

「遊園地?」
「あー行きたーい」
「富士急!富士急行きたい」
「えー遠いよ」
「フジキュウってなに?」
「絶叫系すごいんだっけ」
「ねえフジキュウってなに?」
「てか花火したい!」
「早く夏になんないかなーー」

あーって声を揃える花音と紗季ちゃんを見ながら、あたしは夏になったら海に行きたいなと思った。
この町に来る前は、短い間だったけど海に近いところに住んでた。
ときどき夜にはお父さんとお母さんと海岸を歩いて、
潮の香りが苦手だってお父さんはいつも苦い顔をしてた。
思い出に耽っていると、彩花ちゃんがあたしの肩を叩いて、
フジキュウってなにって少し怒ったような声をあげる。
「富士急はね、遊園地の名前」
「ふぅん、楽しいの?」
楽しいよって今度は花音が答えて、紗季ちゃんも乗ってきて、また話があっちこっちへ逸れていく。
いつか本当に行けたらいいのに。遊園地だって、海だって、どこへだって。
実現は難しいのかもしれないけど、そんな話が出来るだけでも今は充分なんだろうな。
散々話が逸れたあとに、紗季ちゃんが行こうねってあたしを見て笑った。
あたしは屈託なく笑う紗季ちゃんの頭を撫でて頷いた。

46 :5、 :2012/05/11(金) 02:21

時間はあっという間に過ぎて、窓の外が真っ暗になった頃ようやくあたし達は彩花ちゃんの家を出た。
面倒だからと変身して先に帰って行った紗季ちゃんの荷物を抱えながら、
小さなランプを提げて花音と山道を歩く。
「紗季はいいなー。飛べるから」
はぁ、と花音の吐いた溜息が響いて、山の夜道の静けさが沁みる。
彩花ちゃんに借りたランプの弱い光はあたし達のほんの周りしか照らさない。
怖いのか花音に強く手を握られるけど、
あたしの頭の中は明かりに寄ってくる虫が嫌だなってことでいっぱいだった。
「憂佳は変身できないの?」
「え?」
「紗季は蝙蝠じゃん。彩花ちゃんは猫で、憂佳は?」
「あたしは…」
小さい頃はよく狼に変身してたけど、今はもう出来ない。感覚を忘れてしまったみたい。
変身してからの、尻尾の振り方なんかは覚えていたりするのに。
「してみよっか?」
冗談で笑いながら覗き込むと、花音の目が驚いたように見開かれた。
「…できるの?」
花音が、動物が苦手なのは知ってる。
猫はまだ良いほう。犬は苦手。飼ってるうさぎくらいとしか触れ合えなくて、
きっと紗季ちゃんの蝙蝠姿も本当はけっこう怖いはず。
「…うそだよ。憂佳できないんだ」
「なんだー、もう」
花音は安心したように笑いながらあたしの肩を軽く叩いた。
狼になんてなってみせたら、花音はどんな顔するだろう。
思い出したら久しぶりに変身してみたくなったけど、
怖がりな花音の前ではとてもじゃないけどできないなと思う。
あんなに可愛らしい猫になれる彩花ちゃんが、羨ましい。
47 :5、 :2012/05/11(金) 02:21
「憂佳はー、変身できたら、きっと犬だね」
「…犬?かなあ」
「うん。柴犬っぽい」
「うそぉ。初めて言われた、そんなの」
本当は狼なのに。嬉しいような、そうでもないような、どっちにしろきっと花音は苦手なのに。
花音の中では柴犬って可愛いのかな。怖いかな。
あんまり吠えないらしいから、怖くないほうだといいけど。
「花音は何かなー」
首を傾げて考える花音に、あたしは「うさぎだよ」と即答した。
花音の家のラテは、耳の垂れた茶色いうさぎだけど、
花音は白うさぎ。真っ白で小さなうさぎ。
そうかな、って花音は笑わないけどどこか満足そう。
あたしはうさぎと狼って悪くないんじゃないかなんて考えたりする。

「長いね」
「ん、もう少しで抜けるよ」
それほどの道のりでなくても、この暗さではずいぶんと歩いたように感じる。
紗季ちゃんなんて、もうとっくに家に着いてて今ごろは寝てるのかもしれない。
肌に触れる温度や耳の奥まで響く静けさに、夜が深くなっていくのがわかる。
闇が深まるほどに、血が騒ぐ。
強い風が吹いて樹が呻るように鳴くと、花音が身を寄せてきて、
制服の布越しでも血の流れを感じる。
夜はだめだ。欲望が膨らんで、感覚が冴えて、抑えるのが難しくなる。特にこんな山の中は──
48 :5、 :2012/05/11(金) 02:21

「…ゆうか?」
錯覚しそうになる。
受け入れてもらったって、与えてくれるわけじゃないのに。
怯えた色の瞳であたしを見つめる花音の手を解いて、口元に触れた。
「食べてる」
口角に引っかかった髪の毛を払ってやると、花音が小さく笑った。
「長いのめんどくさくなってきたかもー」
「切っちゃうの?」
「紗季ぐらいにしよっかな」
「ショートかぁ、懐かしいね」
あたしよりも少し下にある花音の襟元に指を入れて梳いてみる。
髪が伸びて背も伸びたけど、花音は前はもっと小さかった。
小さくて細くて、何となく守ってあげなきゃいけないような気になってたけど、
いつの間にか成長してて、目線もすぐそこになってる。
それでもやっぱりあたしよりは小さくて、それが愛しい。
「どう思う?」
「ん?」
「切ろうかな」
「いいんじゃない?」
毛先まで梳いた指を払うと、長い髪は風に揺れて胸元に落ちた。
切った髪がまた伸びる頃には、あたし達はどうなってるんだろう。
花音とずっと一緒に居たいのに、あたしには、先が見えない。

49 :5、 :2012/05/11(金) 02:22

「おかえりー」
家に帰ると、なぜかあたしのベッドには寝間着姿の紗季ちゃんがいた。
「来てたんだ」
「荷物預けちゃったし」
何となく予感はしてたけど、本当にいるとは思わなくて少しだけ驚いた。
予感というか、希望だったから。
もうお風呂も済ませたと言う紗季ちゃんを置いてとりあえずあたしも浴室に向かう。
お腹も減ってるけど、きっとこのあと紗季ちゃんが満たしてくれるんだろう。
お風呂からあがって、また遅くなったことについてお母さんの小言を聞いて、
部屋に戻ったときには紗季ちゃんはもううたた寝に入っていた。
その寝顔は幼くて、昼間は同級生だけどやっぱりふたつも下なんだなと思う。
夜が更けるほど目が冴えてしまうから、こんな風にうたた寝を繰り返して、
明け方にようやくちゃんと眠れてもすぐに起き出して学校に行って、授業中に居眠り。
ここしばらく紗季ちゃんはそんな生活で、
昔から人間のリズムで生活してきたあたしとは違ってきっとすごく大変だ。
けど、そういうのもすべて、あたしが強いたこと。
50 :5、 :2012/05/11(金) 02:23

紗季ちゃんの広いおでこを指先で撫でる。んぅ、と呻って眉間に皺が寄る。
おかしくて笑いを堪えてたら、目蓋がうっすらと開いて、ゆうか、って音がした。
「ごめんね。起こした?」
「…んー…ねてたぁ…」
紗季ちゃんの小さい手があたしの袖を握って、
眠そうな目蓋の奥がゆらゆらと揺れながら変色していく。
「憂佳…」
袖を引かれて紗季ちゃんを覆うようにベッドに乗ると、両腕が首に回され捉えられる。
「…寝起きで失敗しないでね…」
しないよ、って紗季ちゃんは語尾も言いきらないうちに噛みついて、首元に小さく鋭い痛みが走る。
ぎゅう、と吸い取られる感覚からすぐに唇は離れて、上着を脱いだら今度は脇腹を噛まれる。
噛まれるけど、吸われない。そこから舌が上へ這っていく。
鳩尾を通って、胸元にちくり。
「ん……」
またすぐに離れて、唇と唇が触れる。濡れた舌はあたしの血の味。
紗季ちゃんの上着も脱がせて、お腹を撫でるとくすぐったそうに笑う。
「ゆーうーかー」
「ちょ、暴れないのー」
笑った目尻が可愛くてキスすると、うーって鳴く。反対の目にもキスすると今度は笑う。
じたばた暴れる紗季ちゃんを抑えようとしたら、ぐるりと入れ替わって組み敷かれた。
「へへへへへ」
紗季ちゃんは楽しそうに笑いながらあたしの首元に顔を埋めて急に静かになる。
胸元に流れる紗季ちゃんの髪に触れてみた。
もう見慣れたショートカットも、少しずつ伸びてきてるみたい。
51 :5、 :2012/05/11(金) 02:23
「…憂佳のにおいしないよ」
「お風呂出たばっかだもん」
ああ、って気の抜けた声がして、首筋を離れた紗季ちゃんの顔が目の前にきた。
さっきまで眠そうにしてたのもすっかり覚めたみたいで、燃えるような瞳があたしを射る。
そんなにさみしい炎を燃やして、紗季ちゃんはあたしに笑いかけるんだ。
責めるでもなく、憎むこともせず、ただあたしを求める。
ゆっくりと激しく吸い取られる感覚に身体が震えて、腕を伸ばすと紗季ちゃんの背中に触れた。
ひんやりと冷たい。
初めて触れたときもこんな温度だった。
あたしがこの手で、人を殺したのも、吸血鬼にしたのも、紗季ちゃんが最初で最後の一人。
「憂佳」
「…ぁ、まって、さきちゃ…」
「憂佳、」
「…さきちゃん……」
奪われていく身体は限界に近い。あたしの血が紗季ちゃんの中に流れてく。
あちこちに触れる冷たい感触はあたしを熱くする。
熱に浮かされる頭と、身体はもう手足も動かせないほどで、
遠くなっていく紗季ちゃんの呼び声の中あたしの意識は途絶えた。




52 :  :2012/05/11(金) 02:23

53 :  :2012/05/11(金) 02:26
レスありがとうございます。
54 :名無飼育さん :2012/05/21(月) 11:04
切ない…
55 :名無飼育さん :2012/05/23(水) 22:07
>>47最後の部分の描写に痺れた。
雰囲気までもが流れ込んでくるような物語。
面白いです。
56 :6、 :2012/05/28(月) 21:49



ちりんちりんと気の早い風鈴の音が聞こえて、
涼しげなその音色に耳を欹てるけどどこからするのかはわからない。
これだけ毎日暑ければ飾りたくなる気持ちもわからなくはないけど、
もうすぐ梅雨がきて少し寒くなったときにはどうするんだろう。
夏本番になったころには飽きてしまうかもしれない。
夏になったらまたこの道を通ってみよう。覚えていればだけど。

暗く静まり返った住宅街を歩く、私の自慢の毛並みを生温い空気が撫でる。
身軽で無駄のないこの身体はなかなか芸術的で気に入ってる。
闇に溶けるような黒が良い。美しい黒っていうのはなかなか無いもの。
手足や尻尾はしなやかに動くし、全身も塀の隙間をすり抜けるのにちょうど良い大きさをしてる。
猫型に比べれば人型はずいぶんと無駄が多いように思えるけど、
その複雑さが人型の魅力でもあるのかもしれない。
憂佳ちゃんは、私が今まで見た人間の中で最も芸術的。
テレビや雑誌の中にも綺麗で可愛い人はたくさんいるけど、
そういうものとは違う、生で目にする憂佳ちゃんの透明感は何にも負けないものがある。
あれを絵で表せたらきっとすごいと思うけど、私の筆はそんなに上手くは走らない。
57 :6、 :2012/05/28(月) 21:50

風鈴の音も遠くなって、あの角を曲がったらもうすぐ花音ちゃんの家。
どうしてここへ足を向けたのかは自分でもよくわからないけど、
みんなと過ごす時間が増えてから、ひとりでいるのがつまらなく感じることも増えた。
つまらないのとは少し違うかもしれない。何ていうか、何とも言えない感情で、
今日もそのもやもやが嫌で、とらのすけの帰らないひとりの部屋を出た。

塀や植え込みを伝って二階に昇り、明かりが漏れる窓の前に立つ。
この部屋に来るのは三度目だけど、一人で訪ねるのも窓からお邪魔するのも初めて。
こんこんとガラスを前足で蹴って、数秒の間、反応の無い部屋に鳴いて呼びかける。
再び間を置いてゆっくり開いたカーテンの向こうから花音ちゃんが顔を出して、
切ったばかりの短い髪を揺らしながら柔らかく笑った。
「びっくりしたぁ。どうしたの?」
迎え入れてくれた部屋は暖かい。少し暑いくらい。
私が変身を解くと花音ちゃんは慌てたように服を差し出してくれる。
本当は暑いくらいだから、裸でいたいけど。そういうわけにもいかないみたいだし。
「不便だね、それ」
「え?何が?」
「服着たままっていうか、そのまま変身できればいいのに」
「うーん」
確かに便利だけど、それはそれで、人型に戻る瞬間の解放感が薄れそうで嫌。
「みんなが裸になった方が便利だよ」
「なにそれぇ」
花音ちゃんは笑いながらベッドに寝転がって、見つめる私に手招きする。
その仕草に触発されついまた変身してしまった。
せっかく着た服が床に散らばって、花音ちゃんがああ、と眉根を上げて笑った。
ベッドに飛び乗り花音ちゃんのお腹のそばに座る。
恐る恐るという感じの手つきで背中を撫でてくれる。
小さな手でぎこちない撫で方だけど、毛を伝って内側に届く感触がたまらなく気持ちいい。
何だか眠ってしまいそう。暖かくて気持ち良くて、不思議な感じ。
人間の友達は初めてじゃないけど、花音ちゃんみたいな子は初めて。
何をするにも話すにも、私とはまるで違った感覚が新鮮で面白い。
お話しをしたくて鳴いてみるけど、いくら鳴いても伝わらないから変身を解いた。
58 :6、 :2012/05/28(月) 21:52
「彩花ちゃん、服着なよ」
「裸じゃだめかな」
「だめ…っていうか、恥ずかしくないの?」
「全然」
私が首を振ると花音ちゃんは困ったように笑った。
それから「やっぱりこっちが恥ずかしいから」と言ってクローゼットを大きく開ける。
私は少し面倒だなと思ったけど、花音ちゃんの渡してくれたワンピースが可愛くてすぐに嬉しくなった。
私が服を着るのはこうして可愛いものを身に着けたいからで、
でも花音ちゃんも憂佳ちゃんも、紗季ちゃんですら恥ずかしいからと言って裸は見せない。
やっぱり人間って面倒。私は好きなときに好きな服を着て、好きなときに猫でいたい。
「似合うねー。それあげるよ」
「え?いいの?」
「うん。髪切ったからもう着ないと思うし」
そう言って花音ちゃんは紗季ちゃんとお揃いみたいなショートカットを撫でる。
あんなに長くてきれいな髪を切ったのは勿体ないと思ってた。
だから紗季ちゃんのときみたいに私は何も言ってあげられなかったけど、
こうして見ると幼い感じがなかなか似合ってる。
「短いの、かわいいよ」
「なにー?急に」
「かわいい」
「…ありがとう」
花音ちゃんは、嬉しそうにはしてくれないけど、でもたぶん照れてて、そういう顔で、私の肩に触れた。
「細いよ。なんでわたしのがぴったりなの」
「…ちょっときついけど…」
紗季ちゃんにも言ってあげれば良かった。ごく普通に思った通りに、
かわいいよって、それだけできっと良かったんだ。
59 :6、 :2012/05/28(月) 21:54
それから花音ちゃんは次々に服を引っ張り出しては、私が合わせると似合うよと褒めてくれた。
憂佳ちゃんとはお揃いを買うことが多いけどこういうのはしたこと無い。
「そういえば彩花ちゃんてどこで服買ってんの?」
「前住んでたとこは、駅前にいっぱいお店あったからそういうとこで、」
「普通に買ってんだ。お金とかあるの?」
「お父さんがたまに日本円くれるんさ、それで色々買うんさー」
「ね、その『さー』ってよく言うけど何?どこの言葉?」
「…口癖、だよ」
「面白ーい。あ、ねえちょっと次これ着てみて」
私がついていけないうちにも花音ちゃんの口からはどんどん言葉が飛び出して、
おしゃべりだなあと思う。だから紗季ちゃんとも気が合うのかもしれない。
気付いたら床は服の山になってしまっていて、
花音ちゃんはそれを壁際に押しやったら今度はDVDを持ち出してきた。
何だかアイドルのDVDらしい。花音ちゃんは私にはよくわからないことを喋り続けながらそれを再生させる。
花音ちゃんが楽しそうで、でもずっと見ていると私も楽しくなってきて、いつの間にか夢中で見ていた。
画面に写る女の子達はみんなキラキラして生気に満ち溢れていて、私の知らない世界だった。

何枚目かのディスクが終了したとき、隣を見ると花音ちゃんはいつの間にかもう寝入っていた。
すうすうと立てる寝息が可愛くて、白い頬に指を滑らせる。
花音ちゃんもなかなか芸術的なつくりをしていて、
それは憂佳ちゃんとはまた違った風で、絵画の赤ちゃんみたい。
この丸い頬が特に、なんて撫でていると楽しくなってきて、
摘んだり伸ばしたりしていると花音ちゃんがうぅんと唸る。
思わず洩れる笑い声が響くのが恥ずかしくて口元を覆った。
60 :6、 :2012/05/28(月) 21:55

私はふと小さな頃に仲良しだった桃香ちゃんのことを思い出す。
桃ちゃんのことは大好きだっけど、
桃ちゃんから吸血したことをお父さんに話してしまってからはもう二度と遊ばせてもらえなかった。
「暮らしにくい世の中になったから」とお父さんは言ってた。私にはよくわからなかった。
――花音ちゃんの血を吸ったら。
指先に伝わる、柔らかい頬の下の血流をなぞる。
今はお父さんもそばにいないし、花音ちゃんは私が何であるかを知ってる。
それでも友達でいたかったら吸っちゃいけないのかな?
私にはわからない。食事をしなくちゃ生きてはいけないし、
それがお気に入りの子ならより満足できると思うのに。
花音ちゃんの血は美味しそうだし、これ以上我慢することは少し難しいかもしれない。
今なら何の抵抗も無く吸うことが出来る。
でも、花音ちゃんが起きて知ったらびっくりするだろうな。
吸ったことを黙っている自信も無いし。
花音ちゃんが起きたら、ううん、また今度ちゃんと聞いてみよう。
仲良くなれたばかりなのにもう花音ちゃんと遊べなくなるのは嫌。
そういえば、関西に住む吸血鬼の色彩とも長いこと会ってない。
この町に来て憂佳ちゃんや紗季ちゃんと過ごす時間は増えたけど、
お父さんともお母さんとも離れて、
私はしばらく、あんまり人に触れてなかった──

強い眠気に耐えきれず、私もそのままベッドに寝転んだ。
まだまだ夜は明けない時間なのに、たぶんさっきから触れている花音ちゃんの体温のせいだ。
花音ちゃんの身体はとても温かくて、そのお腹のあたりにまるく収まってみる。
なかなか良い心地。悪くないにおい。くっつくとふにふにと柔らかくて、
でも細くて小さい身体にあわせて私はまた猫になった。
朝になったら花音ちゃんは私をどうするだろう。
出来れば起こしてほしくないけど、優しく撫でてくれるならいい。
そうしたら家に帰って、薔薇を摘んで、ひと眠りしたら新しい絵を描こう。




61 :  :2012/05/28(月) 21:55

62 :  :2012/05/28(月) 21:57
レスありがとうございます。
更新遅くてすみません…。
63 :名無飼育さん :2012/06/01(金) 08:39
面白いです。
花音の存在がどう作用していくのか、
4人の関係がどうなるのか、楽しみにしてます。
64 :名無飼育さん :2012/06/04(月) 00:09
楽しくてしょうがないです。
こんな素敵な作品をリアルタイムで追えることが嬉しいです。
65 :7、 :2012/07/09(月) 22:04

雨は嫌い。古傷が痛むような気がするから。
ざあざあと打ちつける窓の外を眺めながらガラスをこんと叩くと、彩が慌ててあたしを諌めた。
「だめだめ、すぐ割れちゃうんだから」
「そんな馬鹿力じゃないし」
「だって紗季ちゃんなら壊しちゃいそうなんだもん」
「なにそれー」
振り向いて抗議するけど、部屋の空気はじんわりと湿ってだるくて、
あたしは溜息をひとつ吐き窓枠に頭を凭れた。
彩はあたしを怪獣か何かだとでも思ってるんだろうか。
そりゃあ確かにこの体は、少し力が強いみたいだけど。
雨音はうるさいくらい部屋に響いて、さっきから彩は熱心にとらのすけと遊んでる。
今日は憂佳も花音もいない。あたしはついお喋りになる。
彩は何を考えてるのかわからない。でも優しい。
冷めたティーカップから漂う薔薇の香りが、貧血気味の身体を少しだけ癒してくれる。
66 :7、 :2012/07/09(月) 22:07
こんなに雨続きだと気が滅入ってしょうがない。
彩はむしろ元気そうにしてるけど、あたしは吸血鬼でも身分は学生で。
色々と面倒が多いしそもそも雨は苦手。明日の体育はまた体育館になるなとか、
そんなことを考えながら、月末の修学旅行の予定を思い出す。
二泊三日の京都旅行。彩も一緒に行けたらいいのにと思って、
誘ってみるけどあたしの提案に彩は驚いた顔をしてからやんわりと断る。
食い下がってみても、今度は困った顔で無理だよと言われた。
「行きたくない?」
「うーん。ちょっと行ってみたいけど」
呟くように答えると彩は下を向いてとらのすけを撫でた。
彩の大きな手で撫でられてるとらのすけはとても気持ち良さそうに目を細めて、
それを見る彩の目も猫みたいだと思った。
猫になれるから猫に似てるんだとしたら、あたしも蝙蝠みたいだったりするんだろうか。それって結構いやだな。
特別猫になりたいとも思わないけど、彩が羨ましい。
人型だってあんなに可愛くて手足が長くて、吸血鬼としても優秀で。
彩はとても上手に血を吸うから、一度の吸血で精度の高いエネルギーを得られるらしい。
あたしはそれがきっと普通の吸血鬼よりも下手で、少し間が空くとすぐに貧血になる。
生活が変わって夜の街に出ることが減った最近は、ときどき憂佳にもらうだけではとても足りないし、
慢性的な貧血状態が続いていてどうにも身体がだるい。
お茶のおかわりをもらおうと立ち上がった瞬間ふらついて、すぐに彩に抱きとめられた。
67 :7、 :2012/07/09(月) 22:10
「大丈夫?紗季ちゃん」
覗き込んでくる彩の顔は真剣でとても心配そうで、やっぱり彩は優しいななんて思った。
「あは、ちょっと貧血ー」
だから心配かけたくないのに、身体は思った通りに動いてくれなくて、彩の腕から抜け出せない。
吸っていいよ。低めの声が耳元で響いた。いつもあんなに嫌がるくせにって、
断るつもりで顔を上げたら、あたしを見つめる彩のくりくりと大きな瞳に思わず喉が鳴った。
「…いいの?」
「うん、最近調子良いんだ」
そういえばここのとこ機嫌が良いななんてぼんやり思いながら、その首筋に吸いつく。
急速に満たされてく感覚。快感。
彩の手があたしの腰を掴んで、数秒、とらのすけの鳴き声に唇を離した。
やっぱり彩の血は強くて、喉が熱い。さっきまでの倦怠感が嘘みたいに感覚が冴え渡る。
「…終わったぁ?」
「うん。ありがと」
彩はだるそうに首を揺らして、細めた目がやっぱり猫みたいだ。
長い腕をだらんと垂らして、あたしの肩に寄り掛かるように身を預けてきた。
彩の身体軽いな。折れそうに細い。
ぎゅうっと抱きしめてみると変な声をあげてのけ反る。
「ちょっとー紗季ちゃん」
抵抗されるのが面白くて少し悔しくて、やめないでいると大きな手があたしの頬に触れた。
彩は少しむっとした表情であたしを見つめて、それが面白くて可愛くて、悔しいけど腕を解いた。
68 :7、 :2012/07/09(月) 22:13

「気をつけてね」
「ん、またね」
長い雨が止んだころには空はうっすらと白んで、学校に行くまでもうあと数時間。
眠そうに手を振る彩を背にして濡れた窓を開け放つ。
生ぬるく湿った空気が肌を撫でて、変身しようと目蓋を閉じた瞬間に呼び止められた。
「あ、そうだ花音ちゃんに」
「えー?」
「こないだ借りた本読み終わったから、返しに行くねって言っといて」
「あー、うん。わかった」
彩があまりにもさらりと言うもんだから、あたしも普通に返事をしたけど何か引っかかった。
返しに行くって、彩が、花音の家に?ひとりで?
「彩、花音ち行ってんの?」
「うーんたまに」
「そうなんだ」
彩があまりにも普通だからやっぱりあたしも普通に返すことしか出来なくて、
いよいよ帰ろうと窓枠に手をかけるけど、どうしても何かが引っかかる。
あたしだってこうしてひとりで彩のところへ来たり、憂佳だって、
だけど彩が花音を訪ねるのは何か違う気がした。
なぜか憂佳の顔ばかり思い浮かんだ。
「おーい紗季ちゃん?」
覗き込んでくる彩の目はきらきらしたいつもの目。自分への疑いなんてこれっぽっちも無い。
どうしてあたしがもやもやしてるかなんて全くわからないんだろうな。
でもそれが彩にとっては正しいし、あたしがこうして複雑な思いを抱くのはあたし自身のせいで。
「…じゃ、花音に言っとくー。ばいばい」
「ばいばい」
軽くなった身で湿った空気をきる。彩の血のおかげで飛ぶのが楽。すいすいと空を泳ぐ。
身体は軽くても頭の中はぐちゃぐちゃで、だけど小さな頭ではうまく考えられなくて、
家に着くまで何度も樹にぶつかりそうになりながら帰った。

69 :7、 :2012/07/09(月) 22:14

彩からの伝言を聞いた花音もごく普通の返事をしただけだった。
そっかぁって、それだけ軽く答えただけで後はまたとりとめもない話に戻るだけだった。
少し離れた席で他の子と雑談してる憂佳に聞こえやしないかって、
どきどきしてるあたしの気持ちなんて気付く筈もないんだろう。
「誰と組もっか」
「え?なにが」
「だからー班決め。修学旅行の」
「ああ、」
あたしと花音と憂佳と、考えながらあたしはやっぱり上の空で、
彩からの伝言を終えても、憂佳がこっちを見ないかってそればかり気になった。
花音はクラスメイトの名前を指折り挙げながら楽しそう。
彩も一緒に行けたら、花音はどれくらい嬉しいんだろう。
どうしてあたしは面白くないんだろう。
花音なんて彩と仲良くしてればいいと思ってた。
そうしたらそれだけあたしは憂佳を独り占めできるような気がしてた。でもそうならないのもわかってた。
四人でいるのは楽しいから。悔しいけど、花音といるのは楽しいから。
どうしたって憂佳は花音が好きで、あたしのものにはならない。
何もわかってないのか知らないふりなのか呑気でいる花音に苛立ったりもするのに、
一緒にいると安心してしまうのはどうして。
70 :7、 :2012/07/09(月) 22:16
「そういえばー、修学旅行のあと、三者面談あるじゃん」
班決めの妄想はもう飽きたみたい。花音の小さな指先が机の端をととんと叩いた。
「紗季は、あの何だっけ?おじさんが来んの?」
「あー寺田のおじさんね」
彩は『最近調子良いんだ』って、やっぱりそういうことなのかな。
何となく花音の首筋を盗み見る。彩が痕なんて残す筈ないけど。
「…やっぱお父さんもお母さんも吸血鬼なの?」
花音の血って美味しいのかな。想像できない。美味しそうな匂いとかしたことないし。
「んー?人間だよ。言ってなかったっけ」
憂佳はこっち見ない。盛り上がってて楽しそう。あのへんの子達も憂佳と組みたいだろうな。きっと競争率高い。
「言ってないよ」
あたしばっかりこんなに気にして、本当は憂佳は全部知ってたりするのかな。
「…もう死んでるし」
ぼうっとしすぎて気を遣うのを忘れてしまってた。
慌てて花音を見たら笑えるくらい申し訳なさそうな顔をしてて、だけどあたしは苦笑いしかできなかった。
「あーでも憂佳のお父さんとかがずっと面倒見てくれてたし。
 今は寺田のおじさんもいるし、困ること無いよ」
早口につまらない言い訳しか出てこないのが恥ずかしくてたまらない。
今すぐこの場から逃げ出したくて、でも急に席を立つほどの言い訳も思い浮かばなくて、
黙ったままの花音を見つめることしかできない。
まるい頬に浮いたそばかすを視線で撫でながら、花音てこんな顔してたっけなんて思った。
「トイレ行ってくる」
逃げたのは花音だった。雑多な人影をすり抜けてく小さな後ろ姿に、気が抜けて溜息を吐いた。
ずっとおしゃべりに夢中だった憂佳が、教室を出ていく花音を見てた。
いつの間にか外は快晴。雨雲はひとつ残らずどこへ行ったんだろう。
71 :7、 :2012/07/09(月) 22:19

それから昼休みを終える予鈴が鳴ってもなぜか花音は戻って来なくて、
仕方がないからトイレまで迎えに行ったら、ひどい顔で大泣きしてるからあたしも思わず泣き笑いした。
72 :7、 :2012/07/09(月) 22:20

もうずいぶん昔のあの日あたしは人間ではなくなったけど、
混血の憂佳の血では、恐らく完全な吸血鬼にもなれなかったんだ。
人間でもなく吸血鬼としても半端で、
あたしはずっと世界と切り離されて、
あたしの為に泣いてくれる人なんていなかった。
憂佳しかいなかった。
あたしのすべては憂佳で、憂佳でしかなくて、それ以外には何も無くて、
でも憂佳にとってあたしは重荷でしかなくて、それがとてつもなく虚しかった。
憂佳しかいなかった世界をそっとほどいて、何の罪悪感ももたず、恐れず向き合って、
あたしの為に泣いてくれたのは花音だった。




73 :  :2012/07/09(月) 22:20

74 :  :2012/07/09(月) 22:23
レスありがとうございます
もう少し早く更新できるようにがんばります;
75 :名無飼育さん :2012/07/31(火) 01:13
レスを躊躇いたくなる雰囲気だけど…つづき待ってます
76 :8、 :2012/08/28(火) 07:50



彩花の横顔はとてもきれい。
柔らかい前髪のあいだに覗く眉根から、すうっと伸びたまっすぐな鼻筋、
唇から顎から首筋まで、流れるような美しい横顔のライン。
きれいなのはもちろん横顔だけじゃなくて、いつどんな角度から見たって彩花の顔は美しい。
少し視線を落とせばその美しい顔とよく釣り合いのとれた美しい身体があって、
わたしは思わずため息を吐く。
振り向いた彩花が目を丸くしてわたしを見る。その顔だってそんなに可愛くてずるい。
わたしはもう一度、今度はわざと大きなため息を吐いた。
「…なにぃ?どうしたの?」
笑うと覗く右の八重歯。それも可愛くてずるい。八重歯ならわたしだってあるのに、ぜんぜん違う。
彩花といるとわたしはどんどん自信が無くなっていく気がする。
この間一緒に街を歩いたときなんて、ショーウィンドウに映ったふたりを見たら何だかとても虚しくなってしまった。
「花音ちゃん?」
きらきら光る大きな瞳がわたしを捉えて揺れる。何て可愛いんだろうと思う。
比べてみてはため息が出るけど、こうして鑑賞するぶんには、彩花の可愛さは感動的。
きらきらの瞳がまぶしくてわたしは目を逸らした。
「あやちょはどうしてそんなに可愛いの」
「えー…?あはっ、やっぱ面白いよそれー」
「あやちょ?」
「あははは」
「あやちょーあやちょ、」
あははははって彩花はおかしそうに笑う。
わたしのつけたあだ名がよほど気に入ったみたいで、さっきから呼びかけるたびに笑いが止まらない。
おかげで話が進まない。今夜この部屋へ来てから彩花が度々なにか言いたそうにしているのには気付いてるけど、
こんな調子でわたしもつい笑わせようとふざけてしまうから余計に脱線してばかり。
もう夜もだいぶ更けてきたしそろそろ話を聞かなくちゃと、
わたしが改まって「彩花ちゃん」と呼ぶと目の前の彼女は笑顔のまま声を殺した。
少しのあいだ無言が続いて、彩花は口の端だけで笑うような顔で言葉を発した。
77 :8、 :2012/08/28(火) 07:51

「彩、花音ちゃんの血が吸いたいな」
しん、と部屋の空気が静まり返った気がした。
とりあえず何か返せる言葉を探すけど何も思いつかなかった。
黙っているとウィィン、ウィィン、と家電の稼働音が響く。
そういうのって、予告されるものなんだなんてわたしは思った。
いつだったか紗季はわたしの血は吸わないって言ってたけど、いま彩花には吸いたいと言われた。
憂佳はどうなんだろう、なんて考えてる場合ではなくて、目の前の彩花はわたしの返事をじっと待ってる。
正面から見ても、やっぱりきれいな顔してるな。
「だめかな?」
何も答えないわたしに彩花が念を押すようにそう言って、
いいよとは答えづらいけど、だめだよと断る理由も無いような気がした。
「だめじゃないけど、」
「けど?」
「……痛いのはやだ」
咄嗟の言い訳がそれくらいしか出てこなくて、やっぱり断る理由が無いみたい。
紗季が憂佳にしていた、あんな風なことを自分もされるんだと考えるととても恥ずかしいけど、
わたしだけ『それ』を知らないのは正直つまらなかった。身をもって知りたかった。
何より、彩花のきらきらした瞳に見つめられるととても断ることなんて出来なかった。
78 :8、 :2012/08/28(火) 07:51
「大丈夫、痛くしない」
低めに発せられた声が鼓膜に触れた瞬間、全身が小さく震えた。
彩花の手がわたしの手に重なる。わたしよりも大きくて、やせていて、少し冷たい。
だんだんと近づいてくる彩花の顔はなぜかとても嬉しそうで、そんなにお腹が減ってたんだろうか。
まっすぐにわたしを見つめる瞳が複雑に変色していく。
その瞳を見つめ返していると身体に力が入らなくなって、わたしは背中からベッドに沈んだ。
「あぁ、ごめんね、見過ぎちゃった」
なぜか謝った彩花がわたしの半身を起こそうとするけどとても起き上がれなくて、
もう一度じっと見つめられ腕を引かれると今度はすうっと身体が動いた。
それから彩花はわたしの服に手をかけ脱がせ始めて、
わたしは脱がないとだめなのかなと思ったけど、
聞いてみる余裕も無く黙って成り行きに身を任せることにした。
あっという間に上半身だけ裸にされて、恥ずかしさから色々なことを後悔し始める。
服を脱ぐのは断ればよかったかなとか、そもそも吸血を許可しなければよかったのかとか、
考えてる間に彩花がわたしの身体のあちこちを撫でる。
くすぐったさと恥ずかしさと、じわりじわりと襲ってくる恐怖感。
草食動物になったような気分。
そう考えてみると、彩花はライオンやチータに比べればきっとずいぶん優しくて、怖がることはないのかもしれない。
だけどやっぱり恐怖は拭いきれない。ここは自分の部屋なのに、別世界に来てしまったみたい。
79 :8、 :2012/08/28(火) 07:53

首筋や胸部、腕やお腹や脇腹まで、至るところを泳いでいた手のひらの感触が、
髪の毛をかきわけて耳たぶの少し下でぴたりと止まった。
やわらかい彩花の髪が頬を掠めて、その場所に唇が触れる。
いよいよなんだ。身体が硬直する。だけど次に触れた感触は牙でなく舌だった。
恐怖で喉が震えて背筋に悪寒が走る。
怖い。
喰べられる。
わたし、喰べられるんだ。
執拗なまでにその場所を撫でる舌の感触が離れて、次の瞬間、牙が立てられた。
猛烈な恐怖感。きっと生き物としての本能的な。
直後に襲ってきたのは、猛烈な快感。
何かが溶けてしまいそうな感覚。はじめての経験。体中を走る快感は脳を麻痺させる。
力が入らない。すべてがどうでもよくなるような。呼吸もままならなくなってくる。
「あ…、や、…か」
ようやく絞り出した言葉が音になったのと、同時くらいに彩花の顔が首筋から離れていった。
恐怖感なんてとっくに消え失せていて、もう終わっちゃうんだなんて思った。
80 :8、 :2012/08/28(火) 07:54

「ごめんね、ちょーっとだけ、…吸いすぎたかも」
そう言った彩花はもう捕食者の顔ではなくなってて、普段と同じ調子で、申し訳なさそうに眉を下げた。
わたしは安心したような、少しだけ事の終わりが残念なような、複雑な気持ちになった。
さっきまで牙を立てられていた部分を指先で撫でてみるけれど、特に凹凸なんかは無い。
ただ身体はひどくだるくて、肩を抱く彩花の腕が無ければ今にも倒れそう。
「花音ちゃん、大丈夫?」
霞んできた視界の脇に映る部屋の輪郭がすべてぼやけても、
なぜか彩花だけが浮き上がって見える。
「大丈夫…じゃない、…だる…」
「寝っ転がる?」
「……ねむ…」
「花音ちゃん、」
すべての感覚が閉じていく中、最後まで彩花の声が頭の奥に響いていた。


81 :8、 :2012/08/28(火) 07:55


「かのん、かのん」
空気に溶けるようなあまい声。これは憂佳の声。
「…あやちょは?」
「え?」
昨夜の記憶と曖昧になって一瞬混乱したけれど、ここはもう翌日の学校だと思い出した。
「…もう放課後だよ。帰ろう花音」
穏やかに告げる憂佳の後ろのほうでカーテンが揺れるのが見える。
額に手をやるとうっすらと汗ばんでいて、起き上がると背中や腰も何だかじっとりしてる。
久々に晴れた今日は暑い。そう、あまりに暑いから紗季は学校を休んだ。
わたしは心細くて、身体はだるくて、5時間目の体育で記憶が途切れてる。
「これって何か、いつもと逆だね」
「そうだね」
答えると憂佳は少しだけ笑ったあとすぐに口をきゅっと結んだ。
ここに憂佳を迎えにきたことは数えきれないくらいあったけど、
こうして迎えに来てもらうのはもちろん初めてで、悪くない気分だなんて思う。
だけど、気を失う瞬間の感覚とか逃れられない全身のだるさとか、貧血ってこんなに大変なんだと思い知った。
憂佳と紗季の気持ちが少しだけわかったかもしれない。
貧血だけでもこんなにつらいなら、と欠席した紗季のことが心配でたまらなくなった。
「かのん、」
「紗季って、今日あのプールのとこ居る?あ、憂佳んち?」
「わかんない。ねえ花音」
突然語気を強めた憂佳にわたしは怯んだ。なに、と答えると憂佳は眉間に皺を寄せてこちらを見てくる。
「昨日、彩花ちゃん来た?」
「…来たけど」
憂佳の難しい顔は和らがなくて、むしろもっと厳しい顔になってわたしを睨む。
「来たけど、なんで」
「なんでもない」
自分から聞いてきたくせに憂佳は不機嫌そうに顔を逸らした。それ以上は何も言わない。
理解できない憂佳の態度に戸惑うけど、こういうときの憂佳はとても頑固で、
何を言ってもどうにもならないことはわかってる。
蒸し暑くて、風はときどき通るだけで、保健室の薬品のにおいが気になった。
82 :8、 :2012/08/28(火) 07:56
「…紗季、どこに居るかな」
「わかんないよ。紗季ちゃんいっつもあちこち行ってるもん」
わたしは紗季のことが心配なだけなのに、どうして憂佳は怒ってるんだろう。
彩花がうちに来たら何かまずいことでもあるって言うの。
憂佳だって血を吸ったり吸われたり、わたしだけしちゃいけないことなの。
わけがわからなくて何だかもう涙が出そうになった。
堪えようとシーツを強く握る手に憂佳の手が重なった。
「…紗季ちゃんなら」
空気に溶けるようなあまい声。憂佳の声。
「朝も全然元気だったよ。ただのさぼりだよ」
頑固なくせに、わたしを宥めてるのか、少しいじけたような声色で話す。
「…よかった。憂佳は、平気なの?」
「なにが?」
「つらかったら言ってね。倒れる前に言ってよね」
「…うん」
「無理しなくていいから」
かのんもだよ。わたしの頬に触れながら、憂佳ははっきりと発声した。
汗ばんだわたしの肌を、憂佳のさらさらした手がそっと撫でる。
昨夜散々触れられて覚えた彩花の感触と比べてしまう。
大きさも、触感も、温度もまったく違って、意外に心地良いことに気が付いて、
この手にいつも撫でられてる紗季が羨ましくなった。

83 :8、 :2012/08/28(火) 07:58



こんこんと窓ガラスが鳴り、わたしはそっとカーテンを開ける。
ガラスの向こうの暗闇の中に、夜色の猫が一匹ゆらゆらと尻尾を振り佇んでいる。
「あやちょー」
窓を開けて名前を呼ぶと、猫がわたし目がけて飛びついてくるから、
びっくりして背中からベッドに倒れ込んだ。ぺろぺろと頬を舐められる。
ざりざりとした舌の感触も肩に置かれた小さな前足も、くすぐったくて笑いが零れる。
「あーやーちょ、くすぐったい」
首筋を撫でる舌の感触はいつの間にかざりざりじゃなくなって、
小さく軽い前足は骨ばった手に、人間の重みに。
やわらかい茶色い髪がわたしの頬を流れてすべり落ちた。
「…あや、か」
薄着の腕や脚に感じる、彩花の裸の感触に気恥ずかしくなって名前を呼ぶけど、
彩花は聞こえないふりなのか聞いていないのか、何も言わずわたしの身体を舐めつづける。
わたしも何も言わずそのときが来るのを待つ。
牙を立てられても恐怖は感じなくて、すぐに快感が襲ってくる。
部屋の輪郭はぼやけても、目の前の褐色の肌ははっきりと視界に映える。
その広い背中に腕をまわしてみる。たった今奪われているわたしの血が、この身体を巡るんだ。
何だかとても愛おしくて、わたしは腕に力を込めた。

彩花からは、いつも微かに薔薇の香りがする。




84 :  :2012/08/28(火) 07:58
 
85 :  :2012/08/28(火) 08:00
レスありがとうございます。
待っていてくださると嬉しいです
86 :名無飼育さん :2012/08/30(木) 13:40
美しい風景はいつだって胸に突き刺さる。
次回も楽しみに待ってます。
87 :9、 :2012/09/04(火) 06:21



「ゆうかー、はやく。ねーー早くして」
ドアを開けたまま紗季ちゃんが急かすから、あたしはなるべく急いで身支度を整える。
鞄を持って前髪と制服を正して、最後に一番大事な荷物を胸に抱える。
くすんだ黄色のバッグの中からにゃぁあと小さな鳴き声が聞こえた。
なるべく厚くてやわらかい素材を選んだりしたけど、やっぱり心配になる。
「彩花ちゃん、ちょっとだけ我慢してね」
「ねーはやく、お母さん待ってるし」
「だいじょぶかなー、あつくないかな」
「保冷剤入れたから平気だよ。チャック閉めきんないでね、行くよ」
ばたばたと部屋を出てアパートの階段を降りると、車から顔を出したお母さんに苦い顔で睨まれた。
88 :9、 :2012/09/04(火) 06:22

今日から二泊三日の修学旅行。あたし達はこっそりと彩花ちゃんを連れて参加する計画を立てていた。
そんな危ないこと初めはあたしも花音も反対したけど、紗季ちゃんがどうしてもって言うから。
「彩は行きたいって言ったもん」なんて、駄々こねるみたいに泣きそうな顔して言うから叶えてあげるしかなかった。
心配事はたくさんあるけど、幸い自由行動の班も部屋割りも3人で決まってたし、
話し合っていくうちに何だか悪巧みをしてる感じが楽しくなってきて、
なにより今は4人で旅行できるってことが嬉しくてたまらない。
それはあたしだけでなくきっとみんな。
「おはよー!」
集合場所に着くと、朝から特別元気な花音があたし達を見るなり駆け寄ってきて、
小さな声でどこ?と訊ねる。あたしは胸元に抱えたバッグを示した。
花音は少しだけ開いた隙間から覗くように彩花ちゃんに呼びかける。
「あやちょー。おはよ」
にゃあ、と大きめに彩花ちゃんが鳴くから、あたしは慌てて隙間を軽く押さえた。
焦って周りを見渡してみるけど、みんな浮き足だって雑談に夢中で特に気付かれた様子は無い。
「だめだよ、着くまでは静かにしててね。お願い」
あたしがそう言うと彩花ちゃんはすぐに大人しくなって、その後もとても静かに、
先生の挨拶から駅へのバス移動の間もずっと、バッグの中からは何の物音もしなかった。
あまりに静かだから心配になって駅のトイレで確認してみれば、彩花ちゃんは気持ちよさそうに寝てるだけだった。
89 :9、 :2012/09/04(火) 06:23
「じゃあ任せるけど、暴れて潰しちゃったりしないでね」
「しないから」
長距離移動になる新幹線は不安で、別の子と相席だったあたしは、
念のため二人掛けの紗季ちゃんと花音に彩花ちゃんを預けることにした。
「大丈夫だよねー、あやちょぉーふふふふ」
花音は何だか嬉しそうにバッグを撫でる。あたしは胸の奥がちくりとするのを感じた。
花音と彩花ちゃんが最近よくふたりで会ってるのは知ってる。
一番出会うのが遅かったふたりが、いつの間にかどんどん仲良くなっていて、
いつの間にか花音はあたしの知らない顔を彩花ちゃんに見せるようになってた。
「…ゆうか?」
ぼうっと黙ってしまっていたら、花音が心配そうに覗き込んでくる。
「もしかして体調悪い?」
「あ、ううん、眠いだけ…」
「そっか」
「花音いこ、憂佳ーあとで遊びきてね」
手を振る紗季ちゃんとそれに引っ張られていく花音の姿を見送りながら、あたしも自分の席に着いた。
花音はずっと大事そうに胸元のバッグを、彩花ちゃんを抱えてた。
席に着いて友達と話をしていても、ちくちくするものがなかなか消えない。
花音はきっと何も知らないから。知らないくせに受け入れてしまう。
何もわからずに彩花ちゃんに──吸血されてるんだ。
90 :9、 :2012/09/04(火) 06:25
吸血鬼が人間から血を吸うと、吸われた者は吸った者へ強い好意を抱くようになってる。
花音の彩花ちゃんへの好意も、きっと友達としてだけでなくそういうのがある。
それは一時的なもので長くは続かないらしいけど、本当のところはどうなのかあたしにはよくわからない。
だから、花音がさっきみたいに心配したり優しくしてくれるのも全部、
昔あたしが花音から吸血したからかもしれないって疑いがずっと消えなかった。
91 :9、 :2012/09/04(火) 06:26


そのときのあたしはまだとても子供で、我慢を知らなくて、
新しい街や新しい出会いに浮かれていて、溢れる力を持て余してた。
その力で花音を、独占したくてたまらなかった。
子供の頃の花音はとびきり小さくて、だけど活発で、挑発的で、あたしを惑わせた。
その日のことは今でもすごく鮮明に覚えてる。
花音の家に遊びに行っていて、お母さんが出かけた隙に、あたしは躊躇なく行動に移した。
油断させて眼力で意識を奪うことくらいわけなくて、血を吸うのはもっと簡単だった。
滑らかな肌に口をつけて、牙を立てて、奪うだけ。
簡単すぎて拍子抜けすると同時に、身動きひとつしない花音を自由にしているだけの虚しさで、
ほんの少し吸血しただけだったけどすぐにやめた。
そのあとに紗季ちゃんのこともあって、あれ以来一度も花音の血は吸ってないけど、
今でもときどきふっと、その味を匂いを、思い出す。
きっともう二度と口にすることは無いんだろうな。
ずっとあたしだけが知っていたその味は、彩花ちゃんのものになってしまった。

92 :9、 :2012/09/04(火) 06:29

いつの間にかうたた寝をしていたあたしは、隣の席の子に肩を叩かれ目を覚ました。
目的地の京都に着くところだった。
ああ、紗季ちゃんに来てって言われてたのに、とかそんなことをぼうっと考えながら下車準備を始める。
足元に向けていた視界に紗季ちゃんの靴がうつった。
「憂佳ずっと寝てたでしょ」
「ごめんね、行けなかった」
「まあ紗季も寝たけど。起きたら花音も寝てたけど」
「あはは、ダメじゃんよ。任せるって言ったのに」
「それは大丈夫ー」
だんだんとスピードが落ちていって、周りの景色が目に入ってくる。薄ぼやけていた世界に色が増える。
紗季ちゃんも窓の外を眺めながら、嬉しそうに笑った。
黄色いバッグを大事そうに抱えた花音がゆっくりこっちへ歩いてきた。
93 :9、 :2012/09/04(火) 06:30
新幹線を降りて、しおりの指示通りの改札に向かいながら、花音は彩花ちゃんを、
紗季ちゃんはあたしの腕を抱えながら人混みを歩く。
「ねー憂佳このあと何だっけ。何て書いてある」
「乗り換えて奈良に行くの。わかった?」
「奈良に行ったら何するの?鹿?鹿?」
「ねえちょっと待ってぇ、置いてかないでよ」
「花音、ほら紗季ちゃん花音と手繋いで」
「鹿に餌あげれる?鹿触れる?」
「えー触るの?無理、花音ぜったい無理」
「花音鹿のふんとか踏みそー、あっははははは」
「ふんの方が避けてくれるから大丈夫ですー」
「ちょっとふたりとも静かにして」
「「はーい…」」
雑然とした駅は人が多すぎて、同じ制服を着た子達もまばらにしか認識できない。
案内板通りに進んでいたはずなのに、違うよこっちだよと花音に指摘されて、
それからはいつの間にか花音が前を歩いてあたしと紗季ちゃんはそれについて行くことにした。
あたしが注意してから静かになってしまった紗季ちゃんの手を握ると、
紗季ちゃんは特徴的な牙を覗かせて笑った。
「憂佳、楽しいね」
「楽しいね」
「さっきからずっと花音に預けてるけど、彩平気かな」
「平気だよ。何かあったらちゃんと鳴くから」
「ねえ憂佳、あたし来れて良かった」
「うん」
「憂佳は?」
「4人で来れて嬉しいよ」
あたしが答えると、にぃっと大きく笑う。紗季ちゃんの牙が好きだな。
紗季ちゃんはこの旅行をすごく楽しみにしてた。
体力とっておくなんて言って、夜中に出かけることも全くしなかった。
今までも何度か一緒に家族旅行に行ったことはあるけど、
こんなに楽しみにしてたのは初めてで、紗季ちゃんの世界が広がったのを実感した。
それは少しだけ淋しいけど、あたしにとってもすごく嬉しいことで──
94 :9、 :2012/09/04(火) 06:33

「お土産いっぱい買ってこうね」
「うん、憂佳のお母さんと、お父さんと、寺田のおじさんとー、」
指折り数え出す紗季ちゃんは前方無視で、危ないから腕を強く引いた。
気付けば花音がこっちを見て立ち止まってる。あたしは急いで歩調を速めた。
早く彩花ちゃんとも並んで歩きたいな。早く自由にしてあげたい。
4人で知らない街を歩くのはどんな気持ちなんだろう。
あたしだってずっと、こんなことを夢見てきた。こんな風に4人で過ごせる時間が、
限りのあるものだってことはわかってるから、楽しまなきゃ後悔する。
それに何より、紗季ちゃんを楽しませてあげたい。
そんなことで少しでも報いようと思うあたしはきっとずるいけど、紗季ちゃんが楽しめればそれでいい。
帰ってきたら、楽しかったって牙見せて笑ってくれたらいい。
電光掲示板はチカチカとときどき点滅しながらあたし達の行く先を示していて、
あたしの腕を掴む紗季ちゃんの左手は花音と繋がれていて、
花音の左腕は彩花ちゃんを抱いて、雑踏のなか一度も離れることはなかった。




95 :  :2012/09/04(火) 06:33
 
96 :  :2012/09/04(火) 06:35
レスありがとうございます、励みになります
97 :名無飼育さん :2012/09/05(水) 10:22
この4人のでしか紡ぐことのできない物語ですね。
語り手だから突出してしまう部分もあるだろうけど、前田さんが余りにも魅力的で毎回痺れる。
98 :10、 :2012/12/11(火) 23:14



ごうごうと響く連続音と、数え切れない人の声。
あまりに騒がしい雑音に目を覚ますと、私は薄暗く生温い窮屈な空間に閉じ込められていた。
見上げると隙間から少しの光が差し込んでいて、眩しくてもう一度目蓋を閉じる。
同時にけたたましい笑い声が耳に入って、これは紗季ちゃんの笑い声だとわかった。
それを追うような、今度は花音ちゃんの笑い声。
にあ、と鳴くと、柔らかい布の感触が適度な圧力で背中を撫でる。
私は眠る前の憂佳ちゃんの言葉を思い出した。そういえば静かにしててと言われたんだった。
黙っていると、喧騒の中から静かに「あやちょ、」と確かめるような声が聞こえた。
「彩起きちゃった?」
「みたい。ほらあ、紗季が騒ぐから」
「花音だって騒いでたじゃん」
憂佳ちゃんの声がしない。ここはどこなんだろう。ずっと寝てたからわかんないな。
この窮屈な空間からいつ出られるんだろう。
「でもちょうどよかったんじゃん?彩、富士山だよ。富士山」
空間の端の隙間が大きくなって、向こう側に笑った形の紗季ちゃんの目が見えた。
それから紗季ちゃんの顔がどいた向こうに流れていく景色、
その奥によく晴れたスカイブルーの空を押し上げるようにそびえる大きな山。
富士山を見るのは初めてじゃないけど、こんなにはっきりと綺麗に見えたのは初めて。
その景色に見入っていると、再び紗季ちゃんの目が現れて今度は眉を歪めながら申し訳なさそうにごめんねと呟いた。
それからまた光の隙間は小さくなって、私は再び窮屈な空間に閉じ込められた。

99 :10、 :2012/12/11(火) 23:15

「彩花ちゃん。もういいよ、起きて」
馴染みある感触が私の背を擦って、声のした方を向くと知らない天井がある。
やっと、だ。寝心地の悪かった鞄の中から脱出して、思いきり身体を伸ばす解放感。
ようやく自由になれた私は嬉しくてたまらないのに、みんなはなぜか目を合わせようとはしてくれなかった。
「彩花ちゃん、服着て?服。」
「あー…」
差し出されたものに袖を通しながら部屋を見回す。
黄土色の壁に、露草柄の襖、畳の香り。四人で過ごすには少し狭いと思う。
それは三人部屋だから仕方ないか。それに、狭いほうが何だか楽しそうな気はする。
ここには二泊するらしく、花音ちゃんは既にお気に入りの座椅子を決めていて、
憂佳ちゃんは花音のスペースはここまでねなんて言って荷物を押しやったり、
紗季ちゃんは疲れたのかぐったりと寝そべってる。
私はというと少しお腹が減ったかもしれない。
「ねえ彩の薔薇、憂佳ちゃん持ってる?」
「え、持ってないよ。紗季ちゃんかな」
「…彩の荷物は憂佳に任せたよー」
「うそだよ。ほんとに?うそ」
慌てた様子で荷物を漁る憂佳ちゃんを花音ちゃんがきょとんとした顔で見てる。
荷物と言っても少しの薔薇と鉛筆とスケッチブックくらいだから、忘れたところで命に別状は無い。
食事なら血を吸えばいい。描きたくなったら目蓋に描けばいい。
必死で謝る憂佳ちゃんを宥めるけど、とりあえずお腹は空いていて、
花音ちゃんにいい?と聞いたら、「えぇっ」と予想外に苦い返事が返ってきた。
「だめ?」
「…いいけど、ここじゃ無理」
花音ちゃんは面白い顔で憂佳ちゃんと紗季ちゃんのほうを見る。
憂佳ちゃんはもっと面白い顔をしていて、紗季ちゃんは相変わらずぐったりしてる。
「どこならいいの?」
「彩花ちゃん。忘れたの憂佳だから。憂佳の吸っていいよ」
そう言いながら憂佳ちゃんが急に立ち上がって私に腕を差し出すから、思わず笑った。
何でちょっと必死なんだろう。
差し出されたからには有り難く頂くことにして、憂佳ちゃんにバスルームに引っ張られて行った。
100 :10、 :2012/12/11(火) 23:16

「憂佳ちゃんからもらうの久しぶりかも」
「そうだね。彩花ちゃんあんまり吸わないしね」
吸わないんじゃなく吸う必要が無いからだけど。だいたいは薔薇で済ませる。
血を吸うのにも人は選びたいし、なかなか吸血したくなるような人はいないから。
人間の食べ物はあんまりエネルギーにならないし口に合わない。
甘いものだけは好きだけど、みんながこれから食べるっていう夕食には、きっとそういうのは出ないんだろうな。
だから私には、これが食事の時間。
小さな浴槽の縁に腰掛けた憂佳ちゃんの肩に触れる。
私の求める場所を察した憂佳ちゃんはすぐに上着を脱いで、首を傾げた。
憂佳ちゃんの真っ白なはずの肌。橙の照明に染まってしまってるのが惜しい。
むき出しの肩に牙をたてる。憂佳ちゃんの血は、甘ったるい香り。
花の香りみたいなのとは違って焼菓子みたいな甘いにおい。
それでも味は決して甘くはなくて、少し辛いような、主張の強い味。
はあ、と漏れる憂佳ちゃんの声に牙を抜くのが惜しくなる。だけどこれ以上は。
唇を離して顔を上げると、憂佳ちゃんの艶っぽい顔が何だかたまらない。
101 :10、 :2012/12/11(火) 23:17
「…もういい?の?」
「うん。ありがと」
差し出された手を握って引くと、憂佳ちゃんはうまく立てずにふらついた。ふらついた身体を支える。
憂佳ちゃんに触れるのは好き。憂佳ちゃんの血を吸うのも好き。
憂佳ちゃんが好き。
私の気持ちが宙を舞うことはなく、
憂佳ちゃんはいつも受け入れてくれるし、ときどき返してくれる。
私の腕を頼りに立ち上がった憂佳ちゃんは、私を見て力無く笑った。
「…ごめんね。吸いすぎた?」
「ううん。…彩花ちゃんはさ、やっぱ、上手いね」
「えー?」
「あたしへただから」
「そんなことないよ」
「…へへ」
ぎゅうっと抱きしめられて、憂佳ちゃんの匂いが鼻を衝く。
憂佳ちゃんに元気が無いと私も少し悲しくなる。
やっぱり吸いすぎたのかもしれない。遠慮したつもりだったけど、ごめんね。
102 :10、 :2012/12/11(火) 23:17
バスルームから出ると紗季ちゃんが元気になっていて、早くご飯行こうと憂佳ちゃんの手をとる。
どれくらい抱き合ったままでいたのか、
いつの間にか結構な時間が過ぎていたらしく、みんなは慌ただしく部屋を出て行った。
私は軽い満腹感が心地良くて畳に寝転がる。
天井の低さが今ひとつ気に入らないから目蓋を閉じた。
目蓋の向こうの照明が眩しくて顔を倒す。
小さな座卓と和座椅子の他にはこれといって何も無い殺風景な部屋。
思いきり手足を伸ばしてみても、ひとりでいるには、少し広いと思った。

103 :10、 :2012/12/11(火) 23:17

それから食事を終えたみんなが戻ってきて、お風呂に入って、私達は四人でめちゃくちゃに騒いだ。
夜になるほど憂佳ちゃんは元気になっていって、笑いっぱなしだった。
紗季ちゃんの投げた枕が思いきり花音ちゃんの顔に当たって大変だった。
それでも消灯の時間には明かりを落として布団に入った。
布団に入ってもうるさいのは変わらなかった。
三組の布団を四人で、花音ちゃんと紗季ちゃんがふたりでひとつの布団に入って、狭い狭いとふざけていがみ合う。
その様子がおかしくて私も笑いが止まらなかった。
花音ちゃんが寝て、紗季ちゃんもうとうとしてきた頃、「明日楽しみだね」と憂佳ちゃんが笑った。
私も笑って頷いて、それから憂佳ちゃんも眠った。
私はなかなか寝付けなかった。
104 :10、 :2012/12/11(火) 23:18
昼間にあれだけ寝ていれば眠れないのも仕方ないけど、何より退屈でたまらなくて、
でも夜が深まるほど意識は冴えていく。
そのうちに憂佳ちゃんの覚醒した気配を感じた。
弱々しい気配に、一時のものだと思い振り向かず黙っていると、憂佳ちゃんが声を発した。
「…さきちゃん。さきちゃん。」
潜めた声だけど、耳鳴りがしそうなほど静まり返った部屋にはよく響いた。
「さきちゃん、」
「んー……ゆうかぁ?」
「…さきちゃん。ごめん。いい?」
「んー?あー…。いいよぉ、やっぱつらい?」
「ん…ちょっと」
「大丈夫?」
「うん。ごめんね?」
「いいよ、ご飯いっぱい食べたし。よゆー」
「ごめんね、あっち」
「お風呂?」
「うん」
ふたりがゆっくり起き上がる音と、二人分の足音が歩いていって、カチャリとドアの閉まる音がした。
壁の向こうから、きゅきゅ、とプラスチックに擦れる音と、
とても微かに、紗季ちゃんの喘ぐ声が聞こえた。
105 :10、 :2012/12/11(火) 23:19
抑えられない吸血衝動が湧き上がる。
私は憂佳ちゃんの布団を越えて花音ちゃんの背中に触れた。
触れた瞬間、全身がぴくりと震えたのがわかった。
「花音ちゃん」
ゆっくりと振り向いた顔はぼやけた視点で私を捉える。
まるい頬にそっと触れると、視線は逸れて泳ぐ。
耳たぶの少し下、いつもの場所を指先で撫でる。
「花音ちゃん」
呼びかけるとぼんやりな視線がぶつかって、私は唇を近付けた。
鼻と鼻がとんと触れて、唇はふわりとした感触。
ほんの少しの隙間から細く漏れる息に体温を感じる。
不思議な感覚。気持ち良い。悪くない、っていうかむしろ好き。
唇を離すと花音ちゃんは、少し突き放すような仕草で私の肩に触れた。
「…ぇ、なん…で」
「なんかね、こうすると、どきどきして血が美味しいんだって」
どうしてキスするのかって聞いてみたときに紗季ちゃんが言ってたことだった。
花音ちゃんは何も答えなかった。
私もそれ以上は何も言わずに牙を立てた。
花音ちゃんの腕がきつく私を抱きしめるからちょっと苦しい。
確かに花音ちゃんはいつもよりどきどきしていて、
舌を撫でる血の味もいつもより美味しい気がした。
それが本当にキスのせいなのか、非日常な空間のせいかはわからない。
わからないけど、何もかもが確かだった。
私は確かに、紗季ちゃんに嫉妬していた。


106 :10、 :2012/12/11(火) 23:20

「うん、似合うよ彩花ちゃん。かわいい」
そう言って憂佳ちゃんはにっこり笑って、私の襟元を撫でる。
私もその手を掴んで笑って見せた。
憂佳ちゃんの制服は、ところどころ少しきつかったりゆるかったりするけどだいたいぴったりで良い感じ。
憂佳ちゃんの匂いに包まれてるみたいで何だか変な感じもした。
バスルームの小さな鏡では全身は見えないけど、充分に似合ってると思う。
ドアを開けると待っていた紗季ちゃんと花音ちゃんも私の満足できるような反応をくれた。
濃紺のブレザーに緑青色のチェックのプリーツスカート。
同じ制服。制服の私達。いつも3人が着てるのを見てるだけだったもの。
少しだけ羨ましいと思ってたのは、誰にも内緒のこと。




107 :  :2012/12/11(火) 23:21
 
108 :  :2012/12/11(火) 23:24
レスありがとうございます
年内の更新は最後になるかと思います
来年もよろしくお願い致します
109 :名無飼育さん :2012/12/14(金) 08:10
詳細まで描かれていない部分を想像するのが楽しいです。
来年も楽しみにしてます。
110 :名無飼育さん :2012/12/19(水) 10:31
物語が続くことが嬉しいです。
更新ありがとうございます。
111 :名無飼育さん :2013/02/20(水) 01:29
美しい物語ですね
112 :名無飼育さん :2013/12/21(土) 12:57
とても面白いです
続きを楽しみにしております
113 :11、 :2014/02/14(金) 05:05



陽が漏れるくらいの曇り空、天気は良好。気分も良好。貧血の気配無し。
緩やかな風が斜めに吹きつけて、額を撫でて前髪を浚ってく。
足を速めると風は睫毛を通り抜けて目蓋をくすぐる。

「さきちゃん危ないよ」
浮かれた足取りで先を歩いてると後ろから憂佳の声が投げられた。
聞き慣れてるはずの声も、知らない風景に通ると何だか新鮮に感じる。
振り返れば憂佳は眩しそうな顔してあたしを見ていて、
隣の彩はもっと眩しそうな顔で殆ど目をつむって歩いてる。
「彩こそ危ないじゃん」
「憂佳が手つないでるから大丈夫。
 彩花ちゃん、何かあったら憂佳が守るからね」
そんなことを言いながら憂佳は演技がかった仕草で彩の手をとり、彩はありがとーと馴れた声で返す。
よくわからないけれどお馴染みのやりとりが始まって、
見ていて面白いものでもないからあたしは前を向いた。
同じく後ろには興味が無さそうな花音の横顔を見て何となく安心する。
「何かって何が起こるのかな」
無表情だった花音が突然、そう言って思い出し笑いみたいにくすくすと笑った。
確かに、何が起こっても彩なら大丈夫だろうと思う。
守られる必要なんて無さそうだけど、いざというとき憂佳はきっと頼りになる。
あたしがこうして生きているのだって憂佳が助けてくれたからだし。
あたしだったら、いざというとき花音を守れるだろうか。
花音ならきっとあたしを守ってくれるのかもしれない。小さいから少し頼りないけど。
隣を歩く花音の目線は以前より低くなっていて、
二ヶ月もしないうちにあたしはまた背が伸びたらしい。
114 :11、 :2014/02/14(金) 05:05
本当なら人間でなくなったあの日あの時点であたしの成長は止まるはずだった。
だけどあれから5年くらい経つ間も、あたしはどう見ても相応に成長していて、髪だって爪だって普通に伸びる。
何百人という吸血鬼を見てきたらしい寺田のおじさんもこんな例は初めてだって言ってた。
その不思議については目を逸らし続けてきたけど、そろそろ考えなきゃいけないのかもしれない。
だけどせめて、この旅行のあいだくらいは。
憂佳がいて、花音がいて、彩がいて、当たり前のようにあたしがいて。
こんな風にいられることが当たり前なんだって錯覚していたい。
115 :11、 :2014/02/14(金) 05:08
グループ行動の今日は、基本はタクシー移動で各班が自由に計画した目的地を巡る。
彩と一日一緒に修学旅行を満喫できる唯一の日で、なるだけ他の班とかぶらないようにと念入りにルートを決めた。
寺田のおじさんの協力でタクシーの予約も四人組で通してあって、準備が万全の今日はかなり気楽に過ごせてる。
車を降りて案内してくれる運転手さんのあとについて、初めての街並みを歩きながらはしゃぐあたし達は、
よほどうるさいんだろうなって通りすがる人達の反応でわかる。
だって楽しくてしょうがないんだ。
楽しさは共有できるから。悲しみや虚しさは分けあうものじゃないけど、
みんなでいて楽しいって気持ちは一緒だと思うから。
「花音、ねえ花音」
高揚しきった気持ちのままに呼び掛けると、花音はどうしたのって不思議がるふりするけど、
声の感じとか表情で花音も嬉しそうなのがわかる。
憂佳はもちろん、ここに来るまでそれほど乗り気じゃなかった彩もすごく楽しそう。
はじめは無理だよって言われたけど、確かに「行ってみたい」とも言ったから、
少しでもそういう気持ちがあるなら絶対に来てほしかった。
吸血鬼としての人生と人間の生活と、どっちの方が良いなんてことは無いけど。
彩にだって楽しいことは多いほうがきっといい。
みんなでいるときは本当によく笑うもん。
あたしのするくだらない事にも大笑いしてくれるのが嬉しくて、
はしゃぎすぎて転びかけたらやっぱり憂佳に怒られた。
116 :11、 :2014/02/14(金) 05:09

「お腹すいたあ」
「ねー次どこだっけ?」
「紗季さあ、それ毎回聞いてない」
隣の花音が笑うけど、助手席から憂佳が顔を出して次はお昼だよと教えてくれる。
タクシーを乗降するたびに助手席だけじゃんけんで決めて、
今度の後部座席はあたしと彩で花音を挟むかたちに。
車内の狭い空間のなかですぐそばに花音と彩が並んでいるのを横目で見ては、
どうしても昨日の部屋でのことを思い出してしまう。
お腹が減ったと言う彩はごく自然に花音にそれを求めた。
花音も、気まずそうな声でいいけどなんて答えて、
あたしはどうしたらいいのかわからなかった。

吸血することが、ただ血を吸うだけの行為じゃないってことは身をもって知ってる。
文字どおり喰うか喰われるかの生死を伴う行為で、
吸われる側が人間なら尚更、命を差し出すのと同意だ。
そのために吸血鬼には生き物の感覚を惑わせる能力があるわけで、彩のは特に強力。
だけど彩がその力を友達の花音に使ったとも思えない。
思いたくないっていうのもあるけど、きっと彩はそんなことしない。
あたしとは違う、あたしとは──
117 :11、 :2014/02/14(金) 05:10
「紗季?」
肩を撫でられてあたしは花音を振り向いた。
「酔った?」
楽しい修学旅行だから、雰囲気を壊したくなくて。
明るく答えようと思った瞬間、彩と花音の隙間でふたりの手が繋がれているのが見えて、
「…お腹すいた」
たくさんの不満のなかで唯一口に出せる言葉を放った。
それだけじゃないことにすぐ気付く花音は、
そーか、って呟きながら、宥めようと体に触れてくる。
あたしはその手をなるべく優しく払った。
いつもなら癒されるけど今は、だって花音のせいだから。
花音の反応を見たくなくて顔を逸らしたけど、きっと傷つけた。
自己嫌悪に満ち満ちてく心を流したくて暫く窓の外の景色を見てた。
118 :11、 :2014/02/14(金) 05:14
吸血鬼にとっての吸血は食事であると同時に、種を増やすことにも繋がる行為で、
つまり人間がするそれと同じ快感がある。もちろん吸われるほうの人間にも。
知らなくても花音だって本能的にわかるはずだし、
それを彩に許してるって自覚があるから、
「ここじゃ無理」って言ったんだ。見られたくないって。
そういう相手である彩と触れあうことは、
手を繋ぐだけでもあたしや憂佳とするのとはきっと全然違う。
そんなもの見せられてあたしはどう感じればいいっていうの。
吸血されてる花音にとって、彩への好意はもう本人がコントロールできる部分ではないし、
彩に人間的な常識が無いのも、仕方ないことだってわかってる。
花音は悪くない、し、彩だって悪くはない。
だけどあたしは憂佳の気持ちも知ってる。
何より花音を大事にしてること。
たぶん、ずっと、あたし達の世界に巻き込みたくないと思ってたこと。

彩のひとまわりも大きそうな手は花音の小さな手をしっかり包んで、
何があっても守ってくれそうな。
あたしはその手と、彩のまっすぐな横顔と、憂佳の背中を、何度も見比べていた。
119 :11、 :2014/02/14(金) 05:14

それからお昼を食べて予定どおりに各所を巡って旅館に戻るまで、ずっといつも通りのあたし達だった。
小さなことですぐに言い合いになるのも、
何でもないことでばかみたいに笑いが止まらないのも、
ひたすらあたしの機嫌をとろうとする花音も。
あたしの勝手な都合なのにっておかしくて笑えた。
花音はいつもそう。いつだってあたしに、特別優しい。
どうしてかはわからないけど本当なんだ。

120 :11、 :2014/02/14(金) 05:16

夜にはまた彩にちゃんと食事させてあげなくちゃならないわけで、
憂佳と花音を大浴場に送り出してあたしは彩と部屋に残った。
花音が昨日から行きたがってたけど彩に遠慮してたのは気付いてたから都合が良かった。
昨夜あたしが一緒に行ってあげられたらよかったんだけど、
同級生たちに古傷だらけの身体を見せるわけにもいかないから部屋で済ませるしかなくて。
花音には、どうだろう、できれば見せたくない。
あたしのために泣いてくれるのは嬉しいけど、
悲しいのはかわいそうだから。
そんなことを考えながらぐらぐらと揺れる天井を見つめてるうちにそれはすぐに終わった。
さすがは彩というか、短時間でも奪われるものは大きくて座ってるのもきついぐらい。
きれいに敷かれた布団の上に身を投げ出す。
彩は興奮状態を抑えるように目蓋を閉じて深呼吸してる。
「…ふう。紗季ちゃん、ありがと」
「んー…」
「大丈夫?」
「あした、朝ごはんいっぱい食べれば大丈夫」
「そっか」
呟いた一言は素っ気無いようでいて、見守るみたいにじっとあたしを見つめてくる。
あたしが笑い返すと少し安心したみたいに口角が上がる。
彩、かわいい。
121 :11、 :2014/02/14(金) 05:18
なかなか動き出せないあたしのそばに彩も寝そべって、
目が合うとそっとほっぺたを撫でてくれた。
きっと機嫌が良いんだ。
あたしはいつもそれを読み損ねて失敗する。
花音も彩は何考えてるのかわかんないって言ってて、
あたしだけじゃなかったんだって安心した。
そう思うと憂佳はすごいな。
あたしは、花音のそういう存在になれるかな。
ふいにそう思ったことが自分でくすぐったくて、
彩が気付くわけないけど恥ずかしくてうつ伏せになった。
「苦しそう」
「そうでもないよ。めっちゃ喋れるしほら」
「あははは」
彩が笑うから嬉しくて、伏せた顔をあげながらめちゃくちゃに変な顔して見せるともっと笑ってくれる。
それでスイッチが入ったみたいに、あたしが変な顔して彩が大笑いして、
って繰り返してるうちに帰ってきた花音と憂佳に不審な目で見られた。
二泊目だっていうのにあたし達は全力で遊んで、
トランプも色鬼も枕投げも飽きたら狭い布団に四人でだらりと寝転がる。
適当につけたテレビを眺めながら、花音がこの芸人は面白いとかつまらないとか。
「彩はねーやっぱり、
 お笑いの中では紗季ちゃんがいちばん好き!」
なんて言われたけどちょっと意味がわからない。
あたしはお笑い芸人じゃないし、彩だってそんなにテレビ見ないくせに。
恥ずかしくて笑いながらうつ伏せになったら今度は苦しかった。
その夜はとても深く眠った。
122 :11、 :2014/02/14(金) 05:21


次の朝は花音の声で目を覚まして、
あの手この手で憂佳を起こしたら、
朝ごはんをいっぱい食べて、
みんなで布団を畳んだ。
こんな楽しい朝はきっと一生に一度。
帰りの支度をして、彩を大事にしまって、
部屋を出るときは淋しくて胸が重たくなった。
だけど最後の一日は、終わってしまうのが嘘みたいに楽しくて、
ずっと続いたらいいのに。
合間の自由時間に寄った雑貨屋でお揃いのストラップを買った。
花音は一番に紫色を選んで、憂佳が「さきちゃんは?」って、
どれでもいいけど強いて言うならこれは嫌かなって、
言おうとして手にとった黄緑を憂佳が「それきれいだね」なんて言うから、
あたしも憂佳にきれいなうすいピンクを渡した。
残ってた青を彩に見せると、目を閉じてにゃあと鳴いたからたぶん悪くない。
これでやり残したことは無いかなあって思いながら掲げた黄緑色を眺めてたら、
憂佳のピンク色が並んだ。
「へへ」
「かわいいじゃん」
「うん、紗季ちゃんのも、いいと思うよ。さすが憂佳でしょ?」
「はいはいはーい」
「のってよぉ」
むぅって頬を膨らませる憂佳を適当な返事であしらう。
「さすが紗季ちゃんって言いたかったの」
可愛い顔してそんなことを言うから、
いじけたような唇にキスしたくなった。




123 :  :2014/02/14(金) 05:22

124 :  :2014/02/14(金) 05:26
レスありがとうございます。
まさか一年以上ぶりになるとは…。本当に申し訳ないです。
先は長いので、次の更新はそう遠くならないようがんばります。
もう少しお付き合いいただければ幸いです。
125 :名無飼育さん :2014/02/15(土) 07:32
物語が続くことが嬉しいです。ありがとうございます。
ゆっくりと紡がれていくというのも、幸せな事のような気がします。
続きをのんびりとお待ちしています。
126 :名無し飼育 :2014/03/09(日) 01:42
おおおおおおおおおおおおおお
もう続かないんだろうなと思いつつ時々読み返しにきていたのですが
まさか更新されているとは
とてもとてもうれしいですっ
また読み返しつつ、次の更新をお待ちしています。

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