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続飼育支部

26 :論考『娘。小説とはなにか』――自分へのいましめ :2011/12/12(月) 20:12
   飼育に投稿しはじめてから数か月しか経ってない暇人が書いてみる。

 娘。小説を読むとき、読者は作品中に出てきた人名を脳内イメージに――例えば中澤(中澤さんもしくは裕ちゃん)だとしたら読者のイメージの中澤裕子に――置換する。そのとき、作者がその人物をどう思っているかどのように認識しているか、ということと関係しない。あくまで読者の脳内イメージに沿って物語が展開されることになる。そこからどう作者のイメージに近づけさせるかは、エピソードや言動、ブログの記述等に頼ることでそこからどう感じたかどのように考えているか表現することになる。

 Mseekwikiを彷徨っていると、「必要性」「交換不可能性」論という言葉に出会った。
――「そのメンバーである必要がある」ことと「そのメンバー以外では成立しない」ことの二つの要素が娘。小説には必須であるという考えをもつ人。
 よくわからない部分もあるが、自作を読み直すとそういう傾向にある。
 草板の脱乙女宣言飼育支部スレでは『打ち上げ花火、どこで見る?』や『おさんぽ』『さゆ得なの』などがそれにあたる。花火の話では新潟県中越地方を話題に据えている。小川と久住ではなく、矢口と石川で新潟の狭い範囲・話題とは考えづらい。『おさんぽ』『さゆ得なの』に至ってはブログ写真とユーストリームの映像(YoutubeにUP済)という誰でも閲覧可能な資料を基に作成したお話である。おさんぽが中澤矢口では成立しない。幻板に立てた続飼育支部スレでは、今のところ『お米の話』『坂で逢いましょう』『恋愛革命2011』しかない。お米はどっちかのブログと水曜夕方生放送のラジオから。坂と恋愛革命はFNS歌謡祭からである。
27 :論考『娘。小説とはなにか』――自分へのいましめ :2011/12/12(月) 20:13
 話を戻す。二〇〇三年ごろまでは作者と読者のあいだに、娘。側から提供される閲覧可能な作品に接する機会や回数にほとんど差はなかった。しかし、二〇一一年現在、娘。を卒業すると同時にハロープロジェクトからも卒業し、ブログもアメーバやグリーなど違いがあり、これら全てを読みこむのは時間がかかる。アメーバブログはUFA系ならアーティストblog一覧にリンクされているのだが、なぜか小川と藤本はそこから外されている。小川は今(十二月現在)もドリーム モーニング娘。として一緒に活動しているのに、である。またハロコンも、〇九年春までのエルダークラブという皿が無くなってしまったために卒業生と現役が関わることもない。かといって、現役とエッグもほぼ関わらないようである。卒業生と現役と言えば、『ハロー!モーニング』(TV東京系)があった。しかし番組が終了してから何年も経っている。その他にも現役がテレビ番組にほとんど出演しなくなったことも挙げられる。ラジオ番組のレギュラーでも、一部地域でしか正式には配信されてない。
 このように作者がどれだけのテクストを読み込んだり映像や音源を繰り返して見たり聴いたりしてその関係性に気づいても、一部の読者にとっては無意味である。その作品をカップリングで読もう、という選択肢がなくなってしまう。作者に残されている道は、もっともらしいアンリアルなお話を書くかリアルに基づいて背景を提示し関係を知らしめるために書くか、しかない。そこがうまく読者に受けいられてはじめて、疎遠を楽しむだのいちゃいちゃを楽しむだの、となる。最近の好例は、やはり『特別なんていらない』。……え? 『天然キャンディッド』? 力量足らずです。
28 :論考『娘。小説とはなにか』――自分へのいましめ :2011/12/12(月) 20:13
 なぜ『天然キャンディッド』はうまくいかなかったか。まず題名に意味はありません。近づける努力はしてたのですが、途中から放棄しました。短編(もしくは極短)の飼育支部スレとフリースレに投下済の作品は意味があります。ナマモノ二次創作なんて作者と読者による共同オ○ニーの掃き溜めであってそもそも意味がない、という皮肉を込めてありそうで全くないつけかたをしています。飼育支部は閲覧数も多く、この考え方は捨てざるを得ない。娘。だからこそ娘。小説であるという意味を見出している読者が多いということでしょうか。
 ところが、萌えCP作品では「必要性」「交換不可能性」論とは別の次元で基本的に描かれている。プロフィールは同じだが全く別の人間、立場のような作品も多々存在する。作者が娘。に与えた設定を一部の読者に非常に合致するが、多数が合わない作品だ。そのとき、置換はうまく行われるのだろうか。何度もこの世界を読ませるための、メンバーに与えてしまった設定が気持ち悪く、自分は流し読みするしかなくなってしまう。技術的に読ませるのは非常にうまいのだが、表現のおかしさが目につき読みにくい。最近の邦楽でもメロディーは良いけど、カラオケで歌うとなると歌いにくい。その状態に近い。余談でしかないが。作者がしたいのは世界観を読み込ませることで、娘。である必要がない、と感じてしまう。これはアンリアルを批判しているのではなく、その人であるがためのエピソードや言動の少なさを指摘している。

 結論、娘。小説とは娘。である必要がありその他のメンバーではこの関係性にならないお話と、作者の世界観を読ませるために娘。の名前を使用する萌えの二種類がある。どちらもCPという概念が存在する。前者には、CPに留まらない関係性も含まれる。

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