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干天の慈雨

1 :名無飼育さん :2014/06/18(水) 20:34


   ── 干天の慈雨 ──
366 :名無飼育さん :2015/06/20(土) 21:06
「先生見て、ほら。ハルがやった」
私がハルちゃんに続いて上がると、ハルちゃんはおかあさんと一緒に、りんごをうさぎに切っていた。

「かわいい。食べるのもったいないね」
隣に座る。ハルちゃんは小さいお皿に自分で切ったうさぎを入れて、私にくれた。
ハルちゃんの前には、おかあさんの作品らしい、食べかけのうさぎがある。

「いただきまーす」
「スカスカじゃなかった?当たり?」
「うん。美味しい」
お尻の方をかじっておかあさんに答えていると、ハルちゃんがゆっくり倒れてきて、私の膝に頭を預けた。

「寝るの?」
「…うん」
数秒後、吐息が寝息になる。
367 :名無飼育さん :2015/06/20(土) 21:07
「疲れて、電池、切れちゃったみたい」
「あとでお布団持って来るね」
「ありがと。だっこして寝てあげたいから、ひとつでいいよ」
「じゃあ、おとうさんのベッド使う?」
「あーうん。そうする」
ぐったり、昏々と眠るハルちゃんの髪を、そっと撫でる。

「けんか、したわけじゃないんだね」
「うん。どして?」
「何かちょっと、様子おかしかったから」
ハルちゃんの残したりんごを口に入れながら、おかあさんが言う。

「ハルちゃん一生懸命普通にしてたのに、わかっちゃうんだね」
「違う。ハルちゃんもそうだけど、あやのこと。あなたわかりやすいから」
打ち明けようかずっと迷っていたけれど、話してしまうことにした。

「ハルちゃん、山の遊園地に、施設の行事で来たんだって」
「へえ。あったんだね、同じ思い出」
「うん。でも、着いたとたん泣いちゃって、閉まるまでずっと泣いてたの」
「そのときに何か、嫌なことでもあったのかしらね」
「それ以上は、話せなかった」
完全に寝入ったハルちゃんをふたりで抱えて、おとうさんのベッドに運んだ。
寄り添って、抱き寄せる。穏やかな寝息に、少し安堵する。
368 :名無飼育さん :2015/06/20(土) 21:08
「いつもそうやって寝てるの?」
「ううん。ときどきだけ」
「上手く行ってる?」
「うん。大好き」
髪に頬を寄せる。普段と、違うシャンプーの匂い。

「あやね、必要なら、ハルちゃんの母にも姉にもなるって決めたの」
「ダメよ。ハルちゃんの母は私だもの」
「いいじゃないたくさんいても」
「そうね。きっと、何人いても足りないね」
おかあさんは少しだけハルちゃんの後頭部を見つめてから、灯りを全部落とした。

「おやすみ」
「おやすみなさい。…ねえおかあさん」
「ん?」
「いつもありがとう、あやのわがまま聞いてくれて」
大学に合格して家を出たいと言って、おとうさんに反対されたとき。
うんと年下のハルちゃんを好きになって、それを打ち明けたとき。
おかあさんは、黙ってただ私の味方をしてくれた。

「それが、親の仕事だから」
その夜私は、起こさないぐらいに強くハルちゃんを抱いて眠った。
369 :名無飼育さん :2015/06/20(土) 21:09
翌朝、なかなか起きないハルちゃんのそばで、寝顔を見つめる。
どれぐらいの時間が過ぎたのか、やっとハルちゃんが重いまぶたを上げてくれた。

「おはようございます」
「おはよう。顔洗って、リビングおいで。寝癖直してあげる」
「うん」
ハルちゃんは適当に髪を湿らせて戻ってきて、私のそばに座った。

「先生」
「ん?」
ハルちゃんは、まっすぐ前を向いたまま。
だから私も、ハルちゃんの髪を見て、ブラシを通し続ける。
今日はたいして絡まっていなくて、すぐにいつものさらさらな髪になった。

「昨日は、ありがとう。何も聞かないでくれて」
「…だいじょうぶ?」
「はい」
振り向いた表情は、本当にだいじょうぶなように見える。
ハルちゃんは水音をくぐって、朝ごはんの支度をするおかあさんに話しかけた。
370 :名無飼育さん :2015/06/20(土) 21:10
「おかあさんごめんなさい。ハル昨日ウソつきました」
「どんな?」
おかあさんが手を止めて、ハルちゃんの向かいに移動する。

「楽しかったって聞かれて、はいって言ったけど、ホントは何もしてないんです」
「そうだったの」
「施設のみんなで、奥のキャンプ場に行ったことがあって…」
ハルちゃんの声が、また涙で滲んだ。

「あやがわがまま言ったから、辛いこと思い出させちゃったんだね。ごめんね」
「違うんです。カレー作って、花火して、テントに泊まって、それ自体はすごく楽しかったんです」
激しくかぶりを振るハルちゃんの頬を両手で包み込んで、零れ落ちる涙を親指で拭う。

「どうして泣くの?」
「ハルだけ幸せになってないかな、みんな元気かなって思ったら、涙が止まんなくなって」
「きっと、だいじょうぶだよ」
ほかに、言葉が見つからない。無力感を押しのけて、懸命にハルちゃんの頭を撫でる。
371 :名無飼育さん :2015/06/20(土) 21:12


「もっかい行きたい。いい思い出に戻したい」
「うん。おとうさん帰ってきたら、一緒に行こう。お休みまだあるし」
みんなのことは、今はわからない。
だけどハルちゃんのことは、私が必ず幸せにする。
声を殺して泣くハルちゃんを、決意の胸にかき抱いた。


                       < 「真情」 了 >
372 :名無飼育さん :2015/06/20(土) 21:19
お待たせして申し訳ありませんでした


>>356
ありがとうございます
また無邪気なところを書きたいです

>>357
ありがとうございます
いい加減飽きられるほどに間が開いてしまい申し訳ありません

>>358
ありがとうございます
次も忘れた頃にでもお越しください
373 :名無飼育さん :2015/06/20(土) 21:44
おかえりなさい
更新ありがとう

繊細なはるちゃんに揺すぶられました
374 :名無飼育さん :2015/06/21(日) 21:11
待ってました ;・(つД`);・

やっぱ好きです この物語

読んでて切なくなるところもあるけど優しく心が温かくなります
375 :名無飼育さん :2015/06/29(月) 18:40
おかえりなさい。またこの物語の続きを読むことが出来て、本当に嬉しいです。
ハルちゃんの思い出が、次は新しく幸せな色のものとして描かれますように。
雨が少しずつ遠ざかり、恋しくなる季節が近づいていますが。またこの先も楽しみに
しています。
376 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 19:45

日車(ひぐるま)
377 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 19:46
「何がいるかな?種と、土と、植木鉢?プランター?」
ハルちゃんが、向日葵を育てたい、って言い出して。
「水やるジョウロも要りますよね」
「あーそうだね」
必要なものを、揃えに行くことになった。

「それと、霧吹きも」
「霧吹き?なにするの?」
「虫がついたときに牛乳をシュッってやるといいんですって」
きっとこのごろいつも見ている、図書館で借りてきた本に書いてあるのだろう。

「へえー。虫も牛乳嫌いなんだね」
「先生と同じですね」
自転車を荷台代わりにすることにして、それを押すハルちゃんと並んで進む。
目指すホームセンターは、駅の向こうの国道沿い。
378 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 19:46
「何かちょっと、懐かしいね」
まだ別に住んでいた頃、ハルちゃんの家から送ってくれるときには、いつもこうして歩いた。
次に会えるまでしばしのお別れをしたあと、ハルちゃんはひとり自転車で戻る。

「そうですね」
「つかまっていい?」
「うん」
ハンドルを握る腕に、そっと手をかける。

「送ってくの、すごい辛かったです」
「あやも、帰りたくなかったな」
でも会えないときがあったから、一緒にいる時間をすごく大事に過ごせた。
今をうんと幸せに思えるのも、あの頃の気持ちを忘れていないから。

「でももう、少しの間離れて暮らすくらいなら、ハルはだいじょうぶですから」
「うん、あやも。ちゃんと考えるね」
どうしても一年は離れなければならない。
平気じゃないけれど、それがお互いのためだからがんばらなきゃって思う。
379 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 19:47
「あーあと、小さい折りたためるイスも欲しいです」
「何に使うの?」
「ベランダで観察するときに、必要かなって」
「あーじゃああやのも買いたい。売り場どこだろね?」
「んー、何か釣りとかで使うイメージ」
「釣具売り場ってある?」
「わかんない。見つかんなかったら聞きましょ」
とりとめのない話のうちに、お店に着いた。

「まずはガーデニング用品。外ですね」
スーパーよりも大きいカートを押しながら、必要なものを探して歩く。

広い広いお店を、ぐるぐるぐるぐる。
とりあえずメモしていたものは、すべて揃ったはず。
「もうこれでいい?」
「あっ、蚊取り線香あったほうがよくないですか?」
「そっか。外で観察するんだもんね」
会計に向かううちにも、少しずつカートの中身が増えていく。

「ハルが言い出したし、ハルの小遣いで払いますね」
「なんで?生活費から出そうよ」
「だって、必要経費じゃないでしょ?」
「じゃあ、あやもお小遣いから半分出す。一緒に育てるんだし」
合意が成立して、帰路に着いた。
380 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 19:48
「おうちに荷物置いたら、もう一回出てあおい軒行こうか」
重い土やかさばるものをカゴに積んで、ハルちゃんが自転車を押す。
「あー、うん。なんだかんだもう夕方ですもんね」
私はこまごましたものを入れた袋を提げて、その隣を歩く。

「ごはん食べて帰ってから、作業しよう。遅くまで明るいしだいじょぶだよね」
玄関に荷物を置いて、今度はふたり歩きでまた外へ。
ゆっくりゆっくり食事をして、薄暮の中、手をつないで家に帰る。
381 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 19:49
ベランダで最初に出番が来たのは、蚊取り線香。続いて小さなイス。
三番手のプランターに、しかるべき土を入れる。
指で穴を開けて、種を入れて土をかぶせて。
買ってきた象のジョウロで土に水をかけながら、不安そうにハルちゃんが言った。

「これでよし。ですよね?」
「うん。だと思う」
本や、種の袋にある説明、店員さんに聞いたことを総合して、今のところは完璧だった。

「いつ芽が出るかなあ」
「一週間後ぐらい、って書いてあるね」
「じゃあ来週の土日徹夜すれば、芽が出るとこ見られますかね?」
冗談かと思ってハルちゃんの方を向くと、いたって真面目に土を見つめている。

「ハルちゃんかわいい。子どもみたい」
「だってまだ子どもだもん」
なぜそう言われたのか腑に落ちない様子の表情。久しぶりに垣間見る幼さ。
382 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 19:50
「でもいつも、すごく大人っぽいじゃない」
「そんなことないですよ」
「そんなことあるよ。だって歳の差全然感じないもん」
「先生がこっち寄りなんでしょ?」
「まあそれはそうだけど。ホントに寝ないで観察する?」
抱えた膝に顎を乗せて、ハルちゃんはしばらく無言だった。

「無理か。一週間ってもその日に芽が出るとは限らないですもんね」
「うん。だから寝る前と、朝少し早く起きて見るようにしよっか」
ハルちゃんは、また黙り込む。

「それで金曜の夜にまだ芽が出てなかったら、一緒に徹夜しよ?ね?」
「うん」
折り合いがついたようで、やっと返事をしてくれた。
383 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 19:51
「部屋入って、お茶、飲もう」
名残惜しそうにプランターを見つめるハルちゃんを促して、立ち上がる。
麦茶をいれたグラスが、ほどなく汗をかく。
とっくにお布団を片付けたコタツは、ハルちゃんの希望で、そのままテーブル代わりに。
季節が、進んでいく。同じ時を刻めるのは嬉しくて、でも少し淋しい。

「どしたの?」
「へっ?何で?」
ほんの一瞬の感傷を、ハルちゃんは見逃してくれなかった。

「唇とがってたから、考え事かなって」
「夏になったら、またひとつ多く歳上になっちゃうなって思っただけ」
今日植えた向日葵が花を咲かせるころ、私はハルちゃんと付き合って初めての誕生日を迎える。

「すぐひとつ追いつくよ。そんな顔しないでよ」
秋のその日が来たら、同時に一年の記念日。冬も春も、あっという間に来るだろう。
ちゃんと就職しなきゃ、でも離れたくない、でもふたりで決めたことだから…。
お互いのために頑張ろうって思っていても、心は、ふとした瞬間に入り組んでもつれる。
384 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 19:52
「一年や二年、すぐに過ぎますって」
「うん」
「十年経てば、歳の差だって普通でしょ?」
「…うん」
ハルちゃんの方が、私よりもっと辛いはずなのに。

「ごめん。だいじょうぶ。ありがと」
白く長い指ハルちゃんの指が、私の頬に触れる。
抱き寄せられる。強く抱きしめられる。
抱き合ったまま私の背中が、床にくっついた。
ハルちゃんの肩越しの天井。艶々と灯りを反射する、短い髪。
385 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 19:53
「彩花」
「…呼ばないでって頼んだでしょ」
まだ冬だった頃に、先生って呼ぶのを止めようとしてくれたことがあった。
けれどそのたびに鼓動が跳ね上がって寿命が縮むから、普段はそのままにしてもらった。

「こういうときはいいって言ったじゃん。そのつもりだもん」
名前を呼ぶのは、抱きしめてくれるときだけにしてほしい。確かに、そう言った。
言葉に詰まる私に、ハルちゃんは畳み掛ける。

「ここでじゃ、だめですか?」
「…電気、消してくれたら」
言い終わらないうちに、ハルちゃんがリモコンに手を伸ばす。
386 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 19:54


「彩花。あやかあやかあやか」
額に、まぶたに、頬に、耳元に、首筋に。
暗闇から、ハルちゃんの唇が流星のように舞い降りて来る。

最後の星が、ゆっくり唇に落ちた。
そして私は、雨に濡れた。


                       < 「日車」 了 >
387 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 20:06
>>373
ありがとうございます、ただいま戻りました
みんなも幸せだといいなと思っています

>>374
ありがとうございます、お待たせしました
書いていて救われているところがあるので、同じ何かを感じていただけているなら嬉しいです

>>375
ありがとうございます、ただいま戻りました
自分も続きを書けることを幸せに思っています
388 :名無飼育さん :2015/07/24(金) 21:06
>>384
空行の下二行目の最初の「指」は削って読んでいただければ
389 :名無飼育さん :2015/07/25(土) 21:56
更新ありがとうございます
ハルちゃんかわいい 発芽の瞬間見れるといいな
影響されてなにか植物育てたくなりました(ノ∀`)

390 :名無飼育さん :2015/09/13(日) 20:51
待ってます
391 :名無飼育さん :2015/11/09(月) 18:18
毎日読みに来ています。
何度読み返しても、胸にくるものがある素敵なお話です。
負担になったら…とも思うのですが…、ゆっくりお待ちしております。
392 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:19
>>389
ありがとうございます
真冬になってしまいましたが、何か咲きましたでしょうか?

>>390
ありがとうございます
お待たせいたしました

>>391
ありがとうございます
いただくレスは、励み以外にはなりません
一旦終わりますがまだやるつもりでいるので、末永くお付き合いください
393 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:19

最終話 心音
394 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:20
「ハルちゃん。あやが見に行ったら、やっぱり嫌だよね?」
「ん、何で?全然いいけど」
夏休みに入ってから、ハルちゃんは市営プールで短期のアルバイトを始めた。
七月末までの間、小学生と中学生を対象に泳力指導教室が開かれて、その補助を、水泳部員が担う。
今年はその人数が足りなくて、転校前はそうだったハルちゃんにも声がかかったらしく。
今日は、その最終日。ダメだって言われたら、こっそり行くつもりだったのだけれど。

「いいの?」
「うん。観覧席みたいなのもあるよ、屋根ないけど」
「わかった、完全武装で行くね」
「午後から日陰になるから、その方がいいと思う」
初夏から日焼け対策をする私と、無防備なハルちゃん。なのに、肌色の差は開く一方で。
だから私は長袖を着て日傘を差して、ひと駅向こうのプールに出かけた。
395 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:21
夏の盛りにだけ営業するそのプールは、駅から少し歩いた緑地公園の中にある。
敷地へ木立の切れ間を通って、木漏れ日の中、その入り口を目指す。
近づくにつれ、歓声や水音が高く響いて、夏の色が濃くなっていく。

プールへのゲートを一歩入ると、明らかに湿度が高くなった。
大勢の子たちが、一方通行で泳いでいる。ところどころに立っている、補助の部員。
照り返す水面に目を細めてハルちゃんを探しながら、保護者の人たちが座る席へ足を向けた。

「あと5メートル!3メートル!行ける!よし!」
ハスキーな大声が響く方を見る。ハルちゃんが小さな小学生とハイタッチしている。

「25メートル行けたじゃん!」
ときどき私にしてくれるように、ぐりぐりと水泳帽の頭を撫でるハルちゃん。
あとからあとから、次々泳いでくる子どもたち。

「あと二回腕回したら壁まで行けるから。たった二回だから」
もう少しのところで、もがいて立ってしまった子。

「息継ぎ出来るんだから、どこまでだって泳げるよ、次は最後まで行こうね」
一人ひとりの習熟にあわせて、声をかけている。

照りつける太陽。降り注ぐ蝉時雨。教室はお昼を挟んで、一日続く。
このところハルちゃんは気を失うように眠ってしまっていたけれど、それもよく分かる。
396 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:22
飽きずに眺め続けていると、ときどき場面が変わった。
一時間に一回は、全員がプールサイドに上がる。先生がマイクで指示をして、そのたび水に沈めた石を探したり、水球もどきの遊びをしたり。
ふざけて子どもたちと水を掛け合ったり、何かと競い合ったりするハルちゃんが、とっても可愛い。

やがて長い長い笛が鳴り、整理体操が始まった。
いちにっさんし、ごーろくしちはち。先生の動きと掛け声にあわせて、屈伸したり、伸脚したり。
最後の深呼吸が終わって、教えた側と教わった側がクロスしてハイタッチしたあと、順に更衣室へ捌けていく。
私を見つけたハルちゃんが、手を振って出口の方を繰り返し指差してくれたので、外でしばらく待つ。
397 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:24
「暑かったでしょ。わざわざありがと」
タオルで拭いただけの濡れ髪のまま、私服のハルちゃんが出てきてくれた。
「ううん。お疲れさま。髪、ちゃんと乾かさなくていいの?」
「うん。だって更衣室、ドライヤーもコンセントもないし」
「へぇそうなんだ」
とりとめのない話をしていると、ハルちゃんの背後に高校生らしき子が出てきた。
あたりを見回しハルちゃんの姿をみとめて、声をかける。

「くどぅー」
呼びかけられたハルちゃんが、振り返る。

「打ち上げ、どうする?」
「あー…ごめん」
参加を断ろうとする空気に、とっさに割って入った。

「ハルちゃん」
「ん?」
私に向き直るハルちゃん。

「行っておいで」
「…でも…」
きっと私がひとりになってしまうことを、気にしてくれている。
「だいじょうぶだから、行っておいで。それも、すごく大事なことだから」
黙って頷くと、ハルちゃんはまた振り向いた。

「あとで追いかける」
「多分あの角のファミレスだから」
「わかった。予定変わったら知らせて」
了解、と手をあげて、ハルちゃんの友だちは去っていった。
398 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:24
「一緒に行かなくていいの?」
「うん。駅まで送ってく」
「ごめんね。ありがとう」
少しの距離を一緒に歩きながら、忙しかった日々をねぎらった。

「毎日大変だったね。疲れたでしょう?」
「うん。でも、楽しかった」
「今日、あやに気を使って早く帰ってこなくていいからね」
「分かった。ちゃんと最後まで行く」
「楽しんできてね」
バイバイ、と小さく手を振って改札をくぐり、家へ戻った。
399 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:25
適当に晩ごはんを食べて、課題のレポートに取り掛かる。
きっとハルちゃんもそうだと思うけれど、ひとりでいる時間には、自分のことをがんばるって決めている。
ひとつ仕上げる。ふたつ目に取り掛かる。半分くらいのところで、玄関のチャイムが鳴った。
モニターにハルちゃんが映っていたから、応対を飛ばして直接鍵を開ける。

「おかえりー」
「ただいま。ごめんね遅くなって」
ドアを開けると、ボサボサ頭のハルちゃんが滑り込んできた。
ものすごく急いで、自転車を漕いでくれたのだろう。そっと、髪に手櫛を差し入れる。

「ううん。ごはんの後どこか行ったの?」
洗面台に向かいながら荷物を受け取って、手を洗う後姿と話す。

「何か、カラオケって話になって。ついてった」
「歌った?」
「あんま歌知らないし…恥ずかしいし」
「今度一緒に、練習行こうか」
「…うん」
真っ赤な顔でうつむくハルちゃんの頬を、両手で包む。
400 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:27
「お風呂、沸かしてあるから」
「先生は、もう入ったの」
「うん、シャワーだけだけど」
「一緒に入りたかったな」
いたずらな声音に、軽く両耳を引っ張って対抗した。

「大人をからかわないの」
「痛いって。からかってない、本心だもん」
「またいつかね。このまま入って。着替え持って来てあげるから」
洗面所と隣り合う浴室にハルちゃんを送ってしばらく、またレポートを続けた。
上がってくる気配と同時に、手を止めて切り上げる。

「あー気持ちよかったー」
タオルを巻いたクッションを枕に、リビングのラグに寝そべる、お風呂上りのハルちゃん。
扇風機の風に吹かれながら、目を閉じて大の字になっている。

何も言わず、そっと和室に移動した。布団を敷くと伝えたら、手伝ってくれるだろうから。
終わって戻ると、ハルちゃんは、さっきの体勢で眠ってしまっていた。

肩から真横に伸びる腕に、そっと頭を乗せてみる。
夢うつつのまま、ハルちゃんがカクンと肘を折って私を抱き寄せた。
これ幸いと、もう少しくっつく。静かに上下するおなかに、手のひらを乗せる。
呼吸を合わせているうちに、つられて私も眠ってしまった。
401 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:29
どのくらい時間が経っただろう。鼻をつままれて、目を覚ます。
「もー、ちゃんとお布団で寝ないとダメでしょー」
ハルちゃんが真似るのは、いつも私が、うたた寝するハルちゃんを諭す口調。

「あまりにも気持ちよさそうだったから、一緒に寝たくなったの」
「でも、そこをいっつも起こすじゃん」
「ごめん」
「謝るんだ」
「素直だもん」
「そですね」
クスクス笑うハルちゃんの胸に、頬をうずめる。
ハルちゃんは私を抱き寄せて、黙って繰り返し髪を撫でてくれる。
それ以上、特に何を話すでもなく。静かに、時が流れていく。

「ねえ、ハルちゃん。あや、こういう時間大好き」
「ん?」
「二人でいて何もしない時間、大好き」
「あー、ハルも。幸せだなーって思いますよね」
「うん」
だからこの時間を、ずっとずっと守り続けたい。
402 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:30
「ひまわり、見に行きましょっか?」
「うん」
勢いをつけて、一緒に起き上がる。

夜も深いので、静かに引き戸を開けて、外に出た。
二人の胸や肩のあたりにまで届きそうな、太い茎。
その先に息づく、今にも開きそうに大きなつぼみ。

「育ったね」
「いつ咲いてもおかしくないですよね」
「うん。また夜通し観察する?」
「しません」
種を植えたときは結局徹夜した次の日に芽が出て、もう懲りたみたい。

「水、あげた?」
「うん、夕方に」
「雨降りそうだから、軒下入れときましょうか」
プランターを引きずって少し移動させてから、小さいイスを片付けた。
403 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:30
室内に戻ると、何も言わずにハルちゃんがリビングを出て行った。
お手洗いかなと気にも留めず、麦茶をふたついれて、テーブルに運ぶ。
戻ってきたハルちゃんが隣に座り、グラスに口をつけた。

「ありがと、お茶」
いつになく、じっと私を見つめるハルちゃん。
「うん…何?」
恥ずかしいけれど、目を逸らせない。
404 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:31
「誕生日、おめでとう」
「…ありがとう」
ハルちゃんが、私の左手を取った。唇が薬指に近づいて、そっと触れる。
手のひらが返されて、上を向く。小さくな包みを、ハルちゃんがそっと乗せる。
高鳴る鼓動が、ずっとおさまってくれない。

「プレゼント。今回のバイト代で買いました」
「…ありがとう」
「小遣いじゃない、自分のお金で買いたかったんです」
「…うん。ありがとう」
いつの間に、何を用意してくれたのだろう。
405 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:32
「開けていい?」
「うん」
リボンをほどいて、袋を開く。中身を、そっと手の上に出す。
銀のプレートに、日付と名前の刻印があった。その先に、鍵が付いている。

「自転車?」
「先生さ、ときどきハルのやつ乗ってくじゃん」
「うん」
「似合わないなって、いつも思ってて」
「自分でもちょっと思ってた」
「やっぱり。だから、安くて丈夫で可愛いの、探したんです」
「ありがと」
声が、かすんだ。いつもハルちゃんを見ていたつもりなのに、何も、気づかなかった。
406 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:32
「まだお店に預かってもらってるから、現物見せられないけど」
「うん。ありがと」
「明日取りに行って調整してもらって、そのままどっか出かけませんか」
「うん、行く。ありがと。嬉しい」
鍵を握り締めたまま腕の中に滑り込むと、強く抱いてくれた。

「どうしても、自分で何とかしたお金で、プレゼントしたくて」
「うん」
「でも来年とかもうバイト出来るかわかんないし、何年分かまとめてますから」
「ありがと。一生大事にする」
「一生は、ダメですよ。古くなったら危ないから、また贈りますから」
「うん」
「何台も何台も乗り換えるぐらい、ずっと、一緒にいましょうね」
「うん」
嬉しくて。ただ嬉しくて、何も言えず。
407 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:33
「サイクリング、どこ行きましょうか?」
「ローマ」
「あー。川沿いに下って行くと、公園あるんですよ。そこじゃダメですかね?」
「お弁当、作る」
「ハルも、手伝っていいですか?」
「不安?」
「違いますよー」
胸に頬をうずめて、本心と違うことを言うしかない。

「さっき布団、敷いてくれたんでしょ?一緒に寝ましょ?」
しがみついたまま頷くと、手を引いて和室に連れて行ってくれた。
408 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:34
枕元、目覚まし時計の横に、もらった鍵を置く。
ハルちゃんのお布団に入ってくっついて、一枚のタオルケットを分け合う。
前後して、ポツ、ポツ、ポツ、ザザザザッ、と雨が降り始めた。

「ハルね、ちっちゃいとき、雨の音、大好きだった」
「なんで?」
「保育園の頃、雨が降ると、ほかの子を迎えに来る音が、聞こえづらかったから」
「そっか」
泣かないように、いつもの結界を張る。ハルちゃんに、それは来ない。
昼の保育園から夜の保育園へ、先生に送ってもらう日々だったから。

「先生の声、雨音みたいでずっと聞いてたいって最初から思ってた。今でもよく思う」
「ずーっと、絵の話聞かせてあげようか」
「うん。…あーでも、ほかの話もときどきでいいからしてほしい」
「無理しなくていいよ。いつも美術館つき合わせてごめんね」
「そんなんじゃないって。ちゃんと…ちゃんとかわからないけどハルも絵見てるし、楽しいよ」
私が長い時間一枚の絵を見続けてしまっても、ハルちゃんは黙って待ってくれる。

「雨の絵も、たくさんあるよ。もし展覧会があったら、見に行こう」
「うん」
私に雨が降ることも、いつか、打ち明けよう。
409 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:36


トクン、トクン。胸に頬を押し当てると、ハルちゃんの鼓動が耳にこだました。
この音を、ずっと聞き続けたい。いつか、死が二人を分かつまで。

明日はきっと、ひまわりが咲く。だから、早く起きよう。
そう思いながら、ハルちゃんの腕の中で、いつの間にか眠った。


                           < 最終話 「心音」 了 >
410 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 13:39
レス番407はスマイレージの「ぁまのじゃく」への敬意をこめて
最終レスの一文は自己模倣を含みます

長らくお待たせして申し訳ありませんでした
スレッド容量との兼ね合いでいったん了としますが、やめるつもりはありません

だから、いつか、またお会いしましょう
411 :名無ししいく :2016/01/10(日) 14:05
更新案内を見てとんできました

次の夏のハルちゃんをプールで見かけた気になれました
少しおやすみの宣言がありましたが、
次の約束もあり幸せな気持ちでいっぱいです

ありがとうございました
412 :名無飼育さん :2016/01/10(日) 23:13
更新ありがとうございます。そしてお疲れさまでした!
穏やかな雨が上がる朝にどうか日車が目を覚ましていますように。

またお会いできる日を楽しみにしています!
413 :名無飼育さん :2016/01/31(日) 21:55
楽しみに読んでました。ありがとうございました。
414 :名無飼育さん :2017/05/05(金) 23:09
>>411
ありがとうございます
一年以上かかってしまいましたが、これで約束を守れたといえるのかどうか
よければまたお付き合いください

>>412
ありがとうございます
ひまわりは、大きく咲いて、次世代に種を残します。
よければまたお付き合いください

>>413
ありがとうございます
よければまたお付き合いください
415 :名無飼育さん :2017/05/05(金) 23:10
Loving you forever
ttp://m-seek.net/test/read.cgi/wood/1493992229/

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