■掲示板に戻る■ 全部 1- 101- 201- 最新50

オンパレット

1 :名無飼育さん :2012/08/30(木) 21:23
やじみやあいりしゃこを軸に学園もの短編。
宜しくお願いします。
101 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:29
佐紀の脇をすり抜けて桃子は、おじゃましまーす♪、とブーツを脱いで軽やかに部屋に上がった。
靴下も桃色だった。
眩暈がした。

そんな桃子が、はいこれ、遅くなって許してニャン♪、と紙袋から出して見せてきたのは、土鍋と卓上コンロだった。
確かにこの人数で鍋をやるならば、それなりのサイズの容れものが必要だ。
桃子が持ってきた土鍋は口径が30cmくらいあってかなり大きく、蓋をかぶったら僧侶の笠みたくなる。
光沢のある深い飴色は高級感があり、食材を一層おいしそうに演出してくれそうだ。
それらを茉麻に手渡すと桃子は、大げさに首を回しながらため息をついた。


「はー、重かった!持ってくるの大変だったんだよぉ。ももちが1番佐紀ちゃん家まで遠いしさぁ」
「嗣永さんお疲れさまでしたー」
「はいもう帰っていいですよー」
「ちょっとっ!何でよーっ!」


多方からのぞんざいな扱いにきゃぴきゃぴ抗する桃子、という見慣れた光景を繰り広げられ、佐紀はがっくりと肩を落とした。
ああ。もうここまでで十分疲れた。
先が思いやられる。
そのまま後ろ手に玄関の戸を閉めようとした、そのときだった。


「ももの声、うるっさ…」


いつの間にか佐紀の背後で気だるげに身体を傾けて立っていたのは、最後の1人・梨沙子だった。
不機嫌を丸出しにした低い声が、その可憐なくちびるから紡ぎ出されたとはにわかに信じがたいが、機嫌が悪いときの彼女が放つオーラは威圧感でひとが死ぬ。


「おっ!梨沙子っ!」
「梨沙子きたー!」
「ごめん、遅くなって」


最年少の登場に、みんなわっと歓迎ムードに湧いた。
桃子のときとは大違いだ。
しかしこの差もいつものことであり、当の本人も全く気にしていない様子で近付いてきて、梨沙子の頭の赤いベレー帽と自身のそれを交互に小指で差しながら嬉しそうにはしゃぎ出した。


「わっ!見て見てりーちゃん!ももちとおそろいっ!おそろいだよぉ」
「………」


それに対し表情ひとつ変えず―いや、わずかに眉間にしわを寄せて梨沙子は、無言で桃子のベレー帽をむしり取るとそのまま床に叩き付けた。
あーーー!、と帽子を拾わんとしゃがみ込んだ桃子を、梨沙子は今にも舌打ちが聞こえてきそうなほど冷たい目で見下ろしている。
梨沙子は桃子にだけ当たりが厳しい。
本当は感謝していたり頼っていたりするのに素直になれない自分を、反抗期だから、と突っぱねてごまかしているだけなのだが、それにしても長い。
そろそろ終わってもいい頃だろう。尾崎豊か。
しかし、鉄のハートを持つ桃子も負けてはいなかった。


「もーっ!りーちゃんったらっ!ももちにはツンデレなんだからぁ〜〜〜」


ツンデレ。
よく桃子が雅や梨沙子に対して使う単語だが、99%のツンと1%のデレでもそう言うのだから便利な言葉である。
102 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:30
菅谷 梨沙子。

梨沙子がおぎゃあとこの世に誕生したとき、まんじゅう屋がショートケーキを産んだ!!、と浅草中が大騒ぎとなった。
ショートケーキという言葉選びがまた昔のひとのボキャブラリーではあるが、確かに先祖代々江戸っ子の両親の血を引いているふうには思えないほど、梨沙子は日本人離れした、西洋の人形みたいな愛らしい容姿をしている。
白く透き通った肌に、黒目がちな円い目やうさぎに似た鼻が絶妙なバランスで配置された顔立ちは神秘的ですらあり、しばしば神の子や天使に例えられるほどだった。

梨沙子の評判は浅草のみならず遠くまで広く知れ渡り、多くのひとに愛されかわいがられてきたのだが、恵まれたルックスがもたらしたものは決して良いことだけではなかった。
幼少期の彼女は、外を歩けば変質者に付け狙われ、車に引きずり込まれ誘拐されかけたことも少なくなかった。
そのトラウマが原因で、梨沙子は極度の男嫌いだ。
特に成人男性は虫けらと同等の存在として叩き潰しても罪は無いと考えている。但しイケメンは除く。

やがておしゃれに目覚めた梨沙子は、自己表現のひとつとして個性的なファッションを好む様になる。
モーブカラーの髪やつけまつげ、さくらんぼうみたく真っ赤な口紅。
それらは彼女にとって剣であり鎧であった。
繊細な感性やこころ優しい性格、天使の素顔はそのままに、派手な外見と目が合ったらカツアゲしてきそうなオーラで武装し、梨沙子は強くたくましく育った。



趣味は絵を描くことや空を眺めること、そして上野公園を散歩することである梨沙子だが、最近そこで不思議な女の子に出会ったそうだ。
東京都美術館や法隆寺宝物館の近くでよく遭遇するという彼女のことを、梨沙子はこう説明する。


「私によく似た女の子。どこかで会ったことがあるけど思い出せないの。
 私が生まれる前に会ったことがある様な気がする。
 どこか似てるかって言われたら、顔が似てる訳じゃなくて、何ていうか魂の形が似ている様な気がする―――


梨沙子もまた、不思議な女の子だ。
みんなで神経衰弱をした際は裏返したトランプの絵柄を、見える、と言ってすべてめくり当てたり。
ケサランパサランという謎の生物を何度も目撃したり。
それも昔の話で、もう今はそういうパワーはなくなってしまったそうだが、犬猫よろしく、何もない中空を梨沙子がじっと見つめているとそわそわする。



説明が遅くなったが、まんじゅう屋、とは梨沙子の実家のことである。
通りを挟んで雷門の向かいにある菅谷堂は、荘厳な風格が漂う門構えの、大正末期創業の和菓子屋だ。
日に3,000個は売れるという名物のこし餡の薄皮まんじゅうは、人気の手土産としてよくメディアに紹介されている。

しかしそんな菅谷堂にこの度、大きな異変が起きていた。
店主である父親が何の気なしに梨沙子に新作のアイディアを求めた、それがことの発端だ。

和より洋を好み、少々ゴシック趣味もある梨沙子は、かねてから店をホーンテッドマンションをイメージしたコンセプトカフェにしたいと考えていたため、ここぞとばかりに奇抜な企画・提案を推していったのだ。
そのせいで先日のハロウィンのとき、菅谷堂ではパンプキンタルトやこうもりの形のクッキーが販売され、店内は魔女やかぼちゃのお化けのオーナメントで装飾されていた。
厳格で従業員から恐れられている先代の祖父が梨沙子にだけは滅法界甘く言いなりになってしまっているのだが、流石に反対の声も上がっているらしいので、彼女がプロデュースするカフェは別につくることで話は落ち着いた。
来年の秋、浅草のど真ん中にブラン城がそびえ立つ。
103 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:31
それにしても梨沙子もまた大荷物でやってきた。
右手に持っているモダンな幾何学柄の風呂敷に包まれたそれは、新聞紙半分くらいの大きさの、底が浅い箱みたいだ。
梨沙子が布の結び目をほどくと、すかさず千奈美が、ぎゃー!!、と悲鳴を上げた。


「りーさん流石っ!天才っ!」
「シメはやっぱラーメンでしょ」


どこか誇らしげに梨沙子はふふんと鼻息を吹かす。
中身は生の中華麺であった。
1人前に丸められた太めの縮れ麺が並べられており、木箱の表には、浅草開花楼、と書かれている。
どうやって仕入れたのだろうか、店の厨房によく積み上げられているこれは明らかに業務用だ。
彼女たちがラーメンにかける情熱には驚きを飛び越え、尊敬を通り越し、恐怖すら感じる。

あとこれ、パパとママがデザートに食べてって、と差し出してきた梨沙子の左手の荷物は重箱であった。
1段目には佐紀たちには勿体ないくらいに上品で繊細な上生菓子が美しく整列していて、2段目は色々な種類の大福もち、3段目は個包装された煎餅やどら焼きが敷き詰められていた。
菅谷堂のお菓子は絶品だ。
目をかがやかせて覗き込む佐紀たちに対し、梨沙子1人だけが不服な顔をしていた。


「はあ。和菓子だしデザートって感じじゃないんだけど」
「えー?みや、梨沙子んちのお菓子好きだよ」
「えっ、そ、そんな、みや…みんなの前で好きだなんて…」


何て都合のいい耳だ。
恐らく梨沙子の頭の中で今のやり取りは、雅に抱きしめられて告白されている、くらいまで改ざんされている。
乙女チックシミュレーション、もとい糖度500%のキモ妄想は桃子だけにしてくれ。
頬を赤らめうつむく梨沙子を他所に雅は、うまー、と早くも大福にかぶりついていて、やはり自分が持ってきたかの様にみんなに配っていた。
104 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:33





◇◇◇◇◇





105 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:34
ついにすべてのカードが揃ってしまった。
今の佐紀はいきなり鍋が爆発してサタンが召喚しても受け入れられるくらいの悟りは開けている。

ごちゃごちゃとやっている間に下準備は終わっていた。
具材を入れた鍋をコンロの上に置き、いざ火にかけようとした、そのときだ。
唐突に桃子が、ああっ!、と叫んだ。


「いっけない。お箸、人数分ないんじゃない?」
「そうじゃん。コンビニで買ってこようか、割り箸」
「じゃあ私行ってくるよ」
「いいよ、私が行くって」
「いや、ここは私が「何言ってんの!私が「私が「私が!!」

「………」

「「「「「「………………」」」」」」


高々と片手を挙げた6人が目をきらきらさせて佐紀を見つめている。
何だ。その澄み切った瞳は。期待に満ち溢れた無邪気な子どもの様な表情は。
その視線は、ほら!乗ってこいよ!、と語りかけてくる。

こんなことをされなくても買い出しには佐紀が名乗り出るつもりだった。
一刻も早くひとりになりたい。
うんざりしながら佐紀は挙手をした。


「………じゃ、私が」

「「「「「「どーぞどーぞ!!!!!!」」」」」」


うぜー。
106 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:35
ああ、ようやく一息つける。
玄関で靴を履きながら佐紀は、束の間の安堵に胸を撫で下ろした。
しかしほんの少し娑婆の空気が吸えるだけで状況は変わらない。
どうすればいいだろう。

………

そうだ、生家にかくまってもらうのはどうか。
それがいい。そうしよう。
LINEがきても無視をして、何ならママに、急にお腹が痛くなって帰ってきちゃったみたいで、とか何とか電話してもらえばいい。
どうせこっちに戻ってきたら鍋を食べて実際に腹を痛めるのだ。
降って湧いた名案を希望に立ち上がると、後ろから千奈美に呼び止められた。


「きゃっぷてーん、コンビニ行くんならさ、何か適当にお菓子も買ってきてよ!」
「…はいはい、何でもいい?」
「うん!甘い系としょっぱい系とおつまみ系、バランス良くね!」


はいはい、分かったよ、とオーケーサインを千奈美に向けると、その脇から梨沙子がぴょこんと顔を出した。


「あっ、じゃあコーヒーもいいかな。ホット、甘いので」
「はいはい、コーヒーね」
「キャプテン、抹茶オレもいい?」
「はいはい、抹茶オレね」
「みや、ミロフラペチーノ飲みたい」
「はいはい、ミロフラp


………
……

スタバ―――

もういい。どうにでもなれ。
雅に一言一句間違えるなと叩き込まれた念仏みたいなミロフラペチーノのオーダーレシピをぶつぶつと唱えながら家を出た瞬間、佐紀は即刻i-phoneのTwitterアプリを起動させた。
107 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:35
【@084fromhell】
あの6人はもちろん、他の誰にも教えない様にしているこの鍵付きアカウントは、口に出せない愚痴やこころに溜まる不平不満を吐き出すために登録したものだ。
唯一フォローし合っている舞の、舞美ちゃんが聖人過ぎて死にたい、というつぶやきがタイムライン上に流れていたが、それに反応する余裕は今はない。
佐紀は手のひらの中の機器を巧みに操りながら140文字いっぱいに奴らへの鬱憤をぶちまけた。



あああああああああああああいあああ
あああああああああああいあああああ
ああぉあああああああああああああい
ああいあいああああいああっっっっぁ
つつっっっああでっ帰れ帰れ帰れ帰れ
帰れきき帰れき帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ
き帰れ帰れ帰れ帰れ私の日曜日返せ返
せ返せ返せ返せ返せいいああああうい
ああああ



何でいつも佐紀ばっかり佐紀ばっかり
佐紀ばっかり佐紀ばっかり佐紀ばっか
り佐紀ばっかり佐紀ばっかり佐紀ばっ
かり佐紀ばっかり佐紀ばっかりあああ
っいああああぁあああおああああああ
あぁあああああああああああああいあ
ああおああああああぁあああああああ
あっっつあああぉぉああああああぁあ
あおああ



ふざけんな



ふざけんなふざけんなふざけんなふざ
けんなふざけんなふざけんなふざけん
なあああああああああおあああああぁ
あいあああおぁあああああああぁああ
ああああああああああああああああお
ぁおあああ呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪
呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪
呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪
呪呪呪呪



108 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:36
佐紀たちは最初、親を介した関係性であった。
須藤亭を中心に、嗣永商店・徳永酒店・菅谷堂は仕入れ先であり、清水家と熊井家の父が客として訪れ、夏焼屋は浅草見番が手配する置屋、という繋がりがあったのだ。

そして忘れもしない2004年3月3日。
偶然に偶然が重なった、奇跡としか言い様がないシチュエーションで7人は初めて出会う。
―――あの日、下町中を震撼させ色々なひとたちを巻き込み、ついには警察やレスキュー隊まで出動させた大事件が起きたのだが、その真犯人がここにいる6人だということは、濡れ衣を着せられた佐紀しか知らない。

あれから約10年の歳月が流れたが、思えば彼女たちと出会ってから毎日が戦場そのものだった。
欲望のままに直感と勢いだけで突っ走る6人のモンスターに佐紀は、来る日も来る日も振り回され、要らぬ苦労と迷惑を被ってきた。

出る杭は打たれる。
みんなと同じじゃないと嫌われる。
周りに合わせられない者は叩かれる。
この国にはびこるそんな世論は彼女たちには通用しない。
なぜなら、出過ぎた杭は打ちづらくて誰も手を付けられないということを、奴らは身をもって体現しているからだ。



主人公は私じゃなくていい。
奴らと一緒にいればいるほどそんな気持ちにさせられた。
良く言えば個性的、悪く言っても個性的な彼女たちの、ぎらぎらびかびか好き勝手に放つ膨大なエネルギーは、目がくらむほど眩しく、同時に佐紀に暗い影を落として劣等感を植え付けた。

煙草の箱みたいな人生だ。
ことあるごとにそう思い知らされてきた。
他人の目にはきっと、隣立つ平々凡々な自分は彼女たちのすごさを分かりやすくする存在にしか映っていない。



それだけではない。
夢や目標に向かって真っ直ぐ突き進んでいたり、自分がかがやけるフィールドを見付けて活躍していたりする彼女たち。
それに比べて自分はどうだ。
仕事にやり甲斐を感じている訳でもないし、打ち込んでいる趣味もなければ、夢だって目標だってない。

何もない、何にもなれなかった自分が嫌だった。
そして、何か―――確固たる自分を持って堂々と生きている彼女たちが羨ましかったのだ。
109 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:37





◇◇◇◇◇





110 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:38
久しぶりに卑屈のメーターが振り切ってしまったため我を忘れて熱くなってしまった。
佐紀のタイムラインは、網膜に映しただけで生きる気力を奪い取られてしまいそうな呪詛で埋め尽くされている。
舞から、荒れてるね、大丈夫?今度ご飯行こ、と簡潔ながら温かいメッセージが届いていた。
ささくれ立ったこころに彼女の優しさがじんわりと染み込んで泣きそうになる。

むしゃくしゃしていたため、ついつい買いものにストレスをぶつけてしまった。
ぱんぱんに膨らんだコンビニの袋を片手に、ベンティのカップを何とか掴みながら、自室のドアの前に立ち尽くす。
結局のこのこと帰ってきてしまった。
はあ、と吐いたため息は重く沈み、佐紀の足に絡みつく。
安らぎの空間が、腹をすかせてよだれを垂らした6頭のモンスターに乗っ取られ、おどろおどろしい魔窟と化している。
佐紀は意を決して戸を開けた。
111 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:38





「ごめん、遅くな―――



「「「「「「キャプテンっ!!誕生日おめでとーーー!!!!!!!」」」」」」





112 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:40
人間は本当に驚くと視界が真っ白になるらしい。
しばらく目の前が付きの悪い蛍光灯よろしくちかちかと点灯し、ぱあん!、という破裂音が鼓膜で残響し続けていた。
気が付くと頭や肩にかかった色とりどりの細い紙テープがはらはらと足元に落ち、火薬の匂いが漂っている。
クラッカーだ。

よくよく周りを見渡すと、部屋もパーティー仕様に飾り付けられていた。
色紙の輪を繋げたチェーンが、半円の連続を描く様に天井の四隅を渡って吊り下げられ、カーテンレールからは、我らがおぱょ聖誕祭2013、という垂れ幕がかかっている。
そして桃子・千奈美・茉麻・雅・友理奈・梨沙子が、子どもの頃から変わらない、いたずらっこの笑みを佐紀に向けていた。


「おかえりー!びっくりしたー?」
「あはは!キャプテン超ぽかーんだよ!」
「…え、あ…うそ…」


驚き過ぎて口が全く回らない。
確かに先日の22日は佐紀の誕生日だったが、まさか、そんな、みんな忘れていたんじゃ―――


「いやー当日はみんな集まれなくてさ、でも何かしたいねーって話してて」
「そうそう!それで今日のサプライズを計画したんだよね」
「だから22日は、みんなおめでとうメール送らなかったんだよ」
「忘れてるってテイにしてさ、今日更にびっくりさせようって計画だったんだよね。でも…」
「熊井ちゃん0時ちょうどに速攻LINEしたんだよね」
「わー!それは本当ごめんって!」


にやにやと悪い笑みを浮かべながら向けてくる5人の視線を散らすふうに、友理奈はあたふたと両手を振っている。
そう、友理奈以外の誰からもお祝いのメッセージが届かなかったため、23日になった瞬間にTwitterに恨み節をこんこんと上げ連ねたのだ。
22日の23時59分59秒までちらちらとi-phoneを気にしていた自分が滑稽で、ハンカチーフを噛み切るほど悔しかったのだが、裏でこんなことが打ち合わせされていたなんて。


「あとこれ。店の売りもので申し訳ないんだけど。
 お鍋食べたらちゃんと歌も歌ってろうそくも吹こう」


梨沙子の手にある紙箱を開けると、そこには様々な種類のみずみずしいベリーでかわいくデコレーションされた豪華なホールのチョコレートケーキがあった。
クッキーでできたプレートには、HAPPY BIRTHDAY!OPAYO!、と書かれている。
もう1度言うが、菅谷堂は和菓子屋だ。
113 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:40
じゃっ!乾杯しよー!、と雅が缶ビールを配り始めた。
1人未成年の梨沙子は、こういうとき損だよねー、と口を尖らせてグラスにウーロン茶を注いでいる。
それでもあと約4ヶ月後には彼女も20歳になるのだ。
出会ったときはみんなあんなにちいさかったのに。
ふと、一緒に過ごしてきた時間の長さを改めて実感して、佐紀はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
肩を叩かれて振り向くと、桃子がいちごカルピス味のチューハイとベリーモヒート味のカクテルの缶を突き出していた。


「はいっ、佐紀ちゃん、どっちがいい?
 甘いのしか飲めないってことになってるもんね」
「………あ、じゃあ、ベリーの方で」


桃子のイラッとする棘を含んだ発言も今回は聞き流そう。
佐紀ちゃんって飲み会の最初の1杯でもカシスオレンジ頼んで甘いのしかしか飲めないんです〜とか言うの?(笑)、とか、ブログの自撮りがいつも同じに見えるんだけどあの表情が1番自信あるんだね(笑)、とか、女子的に触れて欲しくないところをあえて小ばかにしてツッコんできて辱め、こちらの反応を楽しんでいるのだ、桃子は。
どちらも図星だから何も言えないのだが。



ハッピーバースデー!おぱょー!、という音頭で乾杯をした。
果実のジュースみたいなアルコールが舌の上に広がり喉を潤す。
まだ3口しか飲んでいないが、既に良い気分だ。

しかし茉麻が、さあ、お鍋も食べよっか!、と切り出してたちまち全身がこわばった。
こたつテーブルの中央に鎮座しているそれを、ひたすら視界に入れない様にしていたのに。
みんなはこの匂いに気付いていないのだろうか。
かすかに漏れ出た臭気が、これを劇物だと告げている。
114 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:41
オープンっ!!、と千奈美が蓋を開けると、悪臭がむあっと強くなり、うっ、と思わずうめいてしまった。
湯気の向こうの顔を見回すと、やっとことの重大さを理解できたのだろう、全員が全員、笑みの表情のまま口の端だけ引きつらせている。

鍋の中は地獄絵図と化していた。
キムチの朱と牛乳の白を全く感じさせないくらい泥沼状に茶色く濁ったスープは、強い酸味とえぐみを想起させる匂いを発している。
恐らく皮膚に付着したらしゅわしゅわと音を立てて表面が溶け、植物にかけたら一瞬にして干物状に枯れ果てるだろう。
ぐつぐつという音に、食材の悲鳴が混じって聞こえるのはきっと気のせいではない。
地獄の釜で茹でられる罪人、という構図の絵が頭に浮かんだ。
白滝のかたまりが老婆の白髪に見える。


「やっぱコーラ入れたのがいけなかったんだよ」
「カレー粉少なかったんじゃない?」
「マヨネーズは万能調味料って言ったの誰だっけ」


耳に入ってきたひそひそ話に絶望する。
想像よりはるかにひどい出来ではないか。
余りの惨状にしばし思考機能が停止していたのだが、桃子がいそいそと器に1人分を取り分け始めたのを視界の端にとらえたのと同時に、スイッチを入れたミニ四駆のタイヤホイールのごとく頭が急速に回転した。
おいまさかやめろ―――
読める。この後の展開がありありと。


「はい、佐紀ちゃん、今日は主役だから最初にどうぞ♪」


案の定、桃子は予想通りの行動を取った。
両手で器を包み込み、隙のない笑顔で彼女はそのブツを差し出してきたのだ。


「えっむむむ無理無理無理無理っ!!」
「だいじょぶだよぉ〜ほぉ〜らこんなにおいしそぉ〜♪」
「ならももが食べればいぅわちょ顔に近付けないでよ!!!!!待って待ってみんな助k…!


他の5人にすがりつこうとしたが、塾のCMの講師よろしく無責任且つ根拠のない力強さで、君ならできる!、と言わんばかりの満面の笑みでうなずかれただけだった。

   ふ   ざ   け   ん   な

115 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:42
目の前に早速器を置かれ、強制的にレンゲを握らされた。
というか臭い。マジで臭い。
この近さで嗅ぐと雨に濡れた野良犬の匂いがして、もう少しで天に召されるところだった。
本能が警鐘を鳴らしている。
これを食べたら死ぬ。メーデー!メーデー!

………

ああ。しかし。
これが日陰者の運命なのだ。
甘んじて受け入れよう。いつもの様に。

佐紀はこころの中で十字をきった。
パパママ、今までありがとう。
もしも佐紀が帰らぬひととなったら、この6人を訴えて存分にお金をふんだくってください、アーメン。

震える手でスープをすくい、くちびるの隙間に流し込む。
そして佐紀は―――目を見開いた。


「うっそ。超おいしい」

「「「「「「えっ?!」」」」」」

「いや、本当おいしい。食べたことない味だけど」


そうなのだ。
鍋のスープは驚くほどおいしかった。
あれだけ攻撃的だった激臭は、口に入れた途端に高原を抜ける爽やかな風へと昇華したのだ。
もしかしたら嗅覚がいかれてしまっただけなのかもしれないが、それはそれで結果オーライである。

舌の上では様々な食材が旨みのハーモニーを奏で、至高のシンフォニーを織り成していた。
思わず、味のウィーン交響楽団や!、と彦摩呂が憑依した様なことを口走りそうになったが何とか我慢した。
ああ、この素晴らしい感動を上手く表現できない己のボキャブラリーの貧しさが口惜しいが、これなら海原雄山も唸ること間違いなしだろう。
レンゲを箸に持ち替え、鍋をもりもりと平らげていく佐紀を、いつの間にか他の6人はどや顔で囲んでいた。


「おいしいに決まってるじゃーん!」
「だってうちらがつくったんだしぃー?」
「ねー!」


嘘つけ。毒見に使ったくせに。
116 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:43
佐紀は思った。
この鍋は佐紀たち7人みたいだ、と。
それぞれは個性的で主張の強い素材かもしれないが、ひとつの鍋でぐつぐつと煮込むことによって、不思議な調和と深い味わいが生まれるのだ。

約10年、佐紀たちは一緒の鍋で煮込まれてきた。
楽しいことも嬉しいことも、たくさんたくさん7人で分かち合ってきた。
しかしそれだけではない。
喧嘩もいっぱいした。
みっともない自分も情けない自分も全部さらけ出してぶつかってきた。
数々の困難が山や壁となって佐紀たちの目の前に立ちはだかったが、その度にちからを合わせ協力して乗り越え、打ち破ってきたのだ。
―――その山や壁の起因は主に彼女たちにあったのだけれど。



それなのに何てひどいことを考えていたのだ。
こんなに自分のことを思いやってくれている彼女たちを、恐ろしいモンスターだの飢えた野獣だの地獄からの使者だの世紀末の破壊神だの―――
鉛のごとき重さで後ろめたさが背に肩にのしかかる。
佐紀は己の卑屈さを恥じた。

ごめん。
そうこぼれそうになった言葉を急いで飲み込む。
いや、今伝えるべきは謝罪ではない。
佐紀が今伝えるべきは。


「ありがとう!みんな大好き!」


何もない訳ではない。
彼女たちがいるではないか。
何にもなれなかった訳ではない。
こんな個性的で好き勝手に暴れるモンスターたちをまとめられるのは佐紀以外にいないではないか。
それだけで十分だ。

ああもう。慣れないことを言うもんじゃない。
恥ずかしくて顔が上げられない。


「もぉー!そんなの知ってるよぉー!」
「改まっちゃって何言ってんのー!」


彼女たちも照れくさいのだろう、茶化してきた声もむずかゆそうで落ち着かない。
ヤバい。今、すごく幸せ。
嬉しい。泣きそう。ていうか泣く。
感極まり、溢れた涙がぽろんと器に落ちていく。
身体の奥からこみ上げてくる熱いものを押し戻す様に、佐紀は缶に口を付けてぬるくなった酒を流し込んだ。





◇◇◇◇◇





その夜、佐紀は経験したことがない激しい腹痛に襲われ、脂汗をだらだら流し、歯を食いしばりながら一晩中のたうちまわった。
他の6人は特に何もなかったらしい。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
117 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:45



◇◇◇◇◇



118 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:45



◇◇◇◇◇



119 :名無飼育さん :2014/03/03(月) 00:47
Berryz工房デビュー10周年おめでとう!いつもありがとう!ベリヲタでよかった!
本当は肉の日にupする予定だったのですが…しかしながら約4年間自分の頭の中でだけ楽しんでいた妄想を形にできてよかったです。
書いていてとても楽しかったのですけれども何というか本当に申し訳ございません。
宜しくお願いします。



>>78
ありがとうございます。約半年間、お言葉を励みにしてきました。重くてすみません;;
いやはや、何か書き出しても長くなりそうになって挫折、というスパイラルから抜け出せず、ネタ墓場には中途半端になってしまったお話たちがたくさん。。。
しかしながらレスがとても嬉しかったので、他にも何か短めでいけそうなものがあったら掘り起こしてみますね><
120 :名無飼育さん :2014/03/03(月) 18:50
いろんなベリネタ・ハロネタ満載で、
贅沢に楽しませていただきました。
ええ話もありつつ、やっぱり笑いつつ…
キャプはきっと(むしろ絶対)大変だったと思いますが、とても爽やかな読後感でした。(笑)

また素敵な掘り起こし、まったりお待ちしてます。(^^)
121 :名無飼育さん :2014/04/03(木) 00:22
>>120
レスありがとうございます!とても嬉しいです!
笑って頂けたのなら本望です、主役なのに振り回される苦労人のキャプテンをどうしても書きたかったのです笑
また何か書けたときは宜しくお願いします!
122 :名無飼育さん :2015/02/01(日) 18:30
「idoloid」
123 :idoloid :2015/02/01(日) 18:31
私たちHello! Project所属の【idoloid】は、西新宿にある専属のメンテナンスラボに通っている。
超高層ビル群と豊かな緑が混在した、現世のバビロンの空中庭園と評されているこの一帯。
ラボは、柄の短いフルートグラスを逆さにした形に似た、地上600mのこの建てものの108階に位置していた。

待ち合い室にはストリングスの音色が美しいヒーリングミュージックが流れている。
革張りのソファは座り心地が良くて、ここで1杯コーヒーでも頂ければ優雅な気分に浸れるのに、といつも思う。

3Dマガジンを読むのにも飽きて外の景色に視線を移すと、強化複層ガラス壁の向こう、重そうな雲の合間から、薄らとオーガンジーのように太陽光が漏れ差しているのに気付いた。
珍しい。東京では1ヶ月以上曇りの天気が続いている。


「熊井ちゃぁん」


気が抜けた炭酸みたいな声で、ちぃが私の名前を呼んだ。
診察ルームから待ち合い室へ出てきた彼女は、大袈裟に背中を丸めながら、ふらふらとした足取りで私の隣に辿り着くと、どさりとソファに身を預けた。
どっこいせー!、という言い方がおかしくてつい笑ってしまう。


「はっやくない?」
「うちはいつものだけで終わったから」
「えー?千奈美も変わんなかったんだけどなあ」
「何だって?」
「うーん、ライブの後、いつもみたいに、普通に来ればいいんだってぇ」


何か拍子抜けしちゃったぁ、とちぃは肩をすくめる。
くちびるを尖らせ、つまらなそうな顔をつくっていたが、直ぐに何か閃いたふうに目を見開いた。
表情がころころ変わるから、ちぃは見ているだけで楽しい。
124 :idoloid :2015/02/01(日) 18:31
iPhone86を取り出し、三つ折りになっているそれを開くとちぃは、その中空で糸を巻くみたいに人差し指をくるくると回した。
恐らく言語変換アプリを起動しているのだろう。
予想はやはり的中した。


「ひょうしぬけしちゃったーーー」
『 ENGLISH : feel deflated 』


本体に顔を近付けてしゃべると、直ぐにそれを他言語に訳してくれる。
ちぃは英語とタイ語と中国語を登録していて、最近ではフランス語にまで手を広げ始めていた。

元から語学勉強に励んでいたちぃだけれど、この頃は更に熱心だ。
楽屋でアプリを使っていると、ちぃやめてよ!茉麻とみやのばかがこれ以上目立ったら困るじゃん!、とみやが悲鳴に似た声を上げて、道連れにされたまぁさんが、ちょっとちょっと!、とどこにいても慌ててツッコミに入ってくる、というお決まりのコントが出来上がっている。

梨沙子にフランス語の発音を教えるちぃは、いつもちょっと得意げな顔で、お姉さんぶった口調になる。
向き合って、しるぶぷれー、などと言い合っている様子は、くちばしを突き合わせている親鳥とひな鳥のようでかわいい。


「ふぃーる でふれぃてど」
「ふぃーる でふれてっ…と?」
「のんのん!ふぃーる!でふれぃてど!」
「そういうふうに言うんだねえ!へ〜!」


感心しているとたちまち画面が緑色に光った。


『 ENGLISH : wind; gas; fart 』
「「?????」」


言語変換アプリはたまに誤作動を起こすので戸惑う。
125 :idoloid :2015/02/01(日) 18:32
ほどなくして私たちはラボを後にした。
これからまた会社に戻らなければならない。
インタビューを幾つか受けて、夜にはラジオの収録がある。

2人してエレベーターに乗り込んだ。
先客は誰もおらず、タッチパネルで1階を示すとゆっくりと扉が閉まり、降下を始めた。

このビルは至るところが透明になっていて苦手だ。
10年以上通っているけど慣れる気がしない。

エレベーターも例外ではなく、円柱形の建てものの外周に幾つか設置されているそれは、傍から見ると、中のものが宙に浮いて上下運動しているふうだ。
空に吸い込まれて行くように上昇していく姿は、冷静に考えるとちょっとおかしい。



特別高所恐怖症という訳ではないけれど、このエレベーターは本当に恐い。
床までもが透き通っているせいで、足元が不意に抜けて、地面に叩き付けられる想像をどうしてもしてしまうのだ。

いつだったかちぃが、天井を見上げてると恐くないよ!、と教えてくれてからは、それを実践している。
2人して天を仰いでいると、よくみんなに笑われた。
ちぃも私も無意識の内にぽかんと口が開いてしまうみたいで、その顔が面白いらしい。



スローモーションで空が遠ざかっていく。
いつの間にか日差しは消えていて、くすぶった鈍色がどんよりと広がっていた。
残念。晴れると梨沙子が喜ぶのに。


「あのさぁ、熊井ちゃん、千奈美ね、熊井ちゃんにお願いがあるんだけど」
「お願い?」
126 :idoloid :2015/02/01(日) 18:32
突然の申し出に驚いて視線を隣に移すと、ちぃはまだ真上を見上げていた。
その様子は何かが空から降ってくるのを待っているふうだけれど、眼差しが真剣だったせいか、底に突き落とされて睨んでいるようにも見えて、少しどきっとした。
蛍光色のピアスが目に眩しい。


「次の次の月曜日、熊井ちゃんもオフだったよね」
「うん、そうだ…ったはず」
「ちょっと千奈美に付き合ってくれるかなあ」
「えっ、でも再来週の月曜日って…」


ちぃの最後のオフじゃん。
言いかけて慌てて続きを飲み込んだ。
最後、とか、ラスト、とか、そういう言葉は私たちの間ではタブーだ。
奥に押し込んだ台詞が喉にへばり付く。


「いいの。付き合ってくれる?」


静かにつぶやいて、ようやくこちらを向いたちぃが余りにも真面目な顔をしていたので、思わず3回、素早くうなずいていた。
すると彼女は直ぐに、良かったー!、とふにゃっと笑って目の端を更に垂らしたのだった。

普段の調子に戻って安堵する。
しかし、こんな大事な日を私と過ごすなんて、本当に良いのだろうか。
訊いて楽になりたかったけれど、ちぃが何ごともなかったふうに、昨日観た昔のピクサーアニメの話をいつも通りのからっとしたテンションでしゃべり出したのでタイミングを逃してしまった。

もやもやが胸の辺りで霧みたいに立ち込める。
おもちゃのヒーローの結末よりも、知りたいことがあるのに。

だって再来週の月曜日は、ちぃの心臓が動きを止める前の、最後のオフだから。
127 :idoloid :2015/02/01(日) 18:33



◇◇◇◇◇



128 :idoloid :2015/02/01(日) 18:34
今から何十年か前、生化学やロボット工学の革新的な発展により、人間に極限にまで迫った機械仕掛けの人工生命体・アンドロイドが全世界に広まった。
道徳や倫理観からもちろん反発の声は絶えないが、少子高齢化の末期に差し掛かっていた日本の需要にぴたりとハマり、今や我が国の人口の1/3以上はアンドロイドが占めていると言われている。

アンドロイドの中でも職業分野におけるアイドルに特化した機体を【idoloid】と呼ぶ。
外見も内面も無個性的な女の子が一糸乱れぬパフォーマンスを繰り広げるのが昨今の流行りであり、それに伴って【量産型idoloid】が大きなムーブメントになっていた。



そんな中、私たちは平成という、はるか昔の時代に活躍したアイドルグループ・Berryz工房の復刻版としてこの世につくられた。
記録として残されていた数百年前の彼女たちのデータから、思考や行動のパターンが細かくプログラミングされ、顔や身体付きも寸分違わずそっくりに模されていているのだ。

しかもオリジナルの彼女たちが子どもの頃から活動していたということで、私たちは【量産型】よりはるかに維持費がかかる【成長型idoloid】という種類になる。
加齢という概念がなく、設定年齢のまま固定されている【量産型】に対し、【成長型】はその名の通り、人間のように身体を成長させられる。
何度も何度もパーツを交換したりプログラムを微調整したりして、子どもから大人へ変化させられるのだ。
129 :idoloid :2015/02/01(日) 18:34
前述の通り、無個性派アイドルがブームとなっている中で、私たちBerryz工房は異端だ。
見た目も性格もてんでばらばらで、よくその存在を7色の虹に喩えられていたという、オリジナルのカラフルな個性はそのまま受け継がれている訳で、つまり流行りに反している私たちは、まずメインストリームに乗れない。

しかしながら、ひとにより近い人工生命体として神聖視する熱狂的なファンに支えられ、現段階で10年以上活動していながらも―――
いや10年以上活動しているからこそ、一定の人気を保っていられているところはあるかもしれない。
同業の【量産型】からは尊敬の眼差しを送られ、アイドル界では大きなブレイクはなくともそこそこの地位を築いていた。
そう、皮肉にもオリジナルと同じような道を辿っているのだった。



オリジナルのライブ映像はBDという古い機器で何度も観たことがある。
顔や声や癖まで自分と瓜二つなのに、でも自分じゃない。
そんな人間がずっと昔に存在していて、当たり前に歌って踊っているということが、何だか不思議で仕方なかった。

マイペースで汗っかきで、食べものの好き嫌いが激しくて、くまくまトークという独特のおしゃべりをする、私とそっくりで、でも私じゃない、クマイ ユリナ。
画面の中で、彼女の言ったことが周りに全く伝わらず、客席やメンバーに笑われている中で1人焦っているシーンをよく見掛けたが、私だけは彼女がどういうことを言葉にしたかったかが、テレパシーみたいに理解できた。

だって私も同じだから。
何かしゃべったとき、お客さんがざわざわすると、ひやっとする。
また変なことを話してしまうのではないかと気にし出すと、発言の機会がある度に緊張で身体が強張り、手のひらに汗がじわりと滲んだ。
今ではようやく慣れて、笑ってくれるリアクションに優しさすら感じるけれど、伝えたいことがひとに上手く伝わらないのは、とにかくもどかしくてストレスなのに、きっと誰も分かってくれない。

私のことをまるごと理解してくれるのはクマイ ユリナだけ。
もし彼女に出会えたら、親友になれたかもしれない。
130 :idoloid :2015/02/01(日) 18:35
【idoloid】の活動期間は、【量産型】で平均3年・最大で丸5年、【成長型】は23歳になる誕生日まで、と定められている。
そのときを、卒業、という遠回しな言い方をされるけれど、私たちにとっては紛れもない、死、だ。
ほとんどの【idoloid】はそのときを迎えると、左胸に位置する偽ものの心臓を取り抜かれて、ただの人形と化す。

メンテナンスさえ欠かさなければ無限の命があるはずなのに、なぜ私たちには、人間における寿命が決められているのか。
日本人は儚さを好む生きものだから、という情緒に訴えた理由を提示されるけれど、そんなのは都合のいい嘘だということは、鈍いとかぼんやりしているとかよく言われる私でさえ直ぐに見破れる。

人間は歳を取ったり長年活動していたりするアイドルに必ず飽きるのだ。
新しい流行りが生まれて、用済みになった不要物を廃棄するとき、罪悪感を感じない正統な言い訳が欲しいだけである。



人間と同等の権利を得て、平等な地位を確立しているとされているアンドロイドだが、そんなはずはない。
思考能力や欲求、感情や痛覚なども備わり、快適に共存するための生活基盤も整えられているが、決定的なところで人間と違うことを思い知らされる。
生きものでは決してない私たち。

廃棄になった自分の身体がどうなるかは教えられない。
何にせよ、知りたくもないし考えたくもなかった。
維持費を出資してくれているパトロンやスポンサーのお金持ちのオジサンたちの中で競売に掛けられて、最後のお金儲けをさせられるという噂は、私たちの間にまことしやかに流れているけれど。
131 :idoloid :2015/02/01(日) 18:35
Berryz工房はオリジナルの通り、最年長のキャプテンと最年少の梨沙子で3歳の開きがある。
ということは、年齢順にスイッチが切られていくと、最終的にBerryz工房は梨沙子1人になってしまう。

せめてオリジナルと同じに、桃が23歳になる前の3月3日、7人一緒に活動を止めて欲しいと訴えたが、会社のひとたちはそれを許さなかった。
彼らの頭の中には、利益を勘定する計算機しか入っていないのだ。



2××4年11月22日。
まず最初にキャプテンの心臓が止まった。

偉いひとに歯向かった制裁で、最後の方はメンテナンス費を出してもらえなかったため、ラストステージではキャプテンの身体に異常が起きていた。
あの日のキャプテンのダンスは、私の目にはいつも通り完璧に見えたのだけれど、彼女の左膝から下には動作信号が途切れ途切れにしか伝わっていなかったらしい。

あの泣き虫のキャプテンが舞台上では1滴の涙も流さず、しかし袖にはけた瞬間に崩れるように倒れ号泣していた。
獣みたいに声を上げ、何度も膝に拳を叩き付けて、あんなふうに激しく泣く彼女を初めて見た。
自分の身体が思うように動かない悔しさや苦しみはどれほどだったろう。
ダンスに絶対的な自信と誇りを持っていたキャプテンにとってそれは、悪魔が企てたかのごとく最も残忍な仕打ちで、今でもあのときのことを考えるとやるせなさで苦しくなる。



しかし、桃のときはもっと酷かった。
11月22日のぎりぎりまで1番反抗したのは桃だったからだ。

そんな桃は卒業ライブの直後、忽然と姿を消した。
あの日からもう2ヶ月が経った。
未だ会社のひとたちが血眼になって探しているみたいだけど、一向に行方が掴めていないらしい。
誰にも何も告げず、一体どこへ行ってしまったのだろうか。



現在、Berryz工房は5人で活動している。
キャプテンと桃がいなくなったステージや楽屋はすごく広く感じる。
5人でおしゃべりしているとき、2人分の声がないことに違和感しかなくて、すっかり全員でいることが珍しくなってしまった。

そして約半月後の2××5年5月22日。
新武道館で行われる卒業ライブを終えた後、ちぃはラボで静かに永久の眠りにつく。
132 :idoloid :2015/02/01(日) 18:36



◇◇◇◇◇



133 :idoloid :2015/02/01(日) 18:37
ちぃと私はレギュラーのラジオ番組を持っている。
オリジナルと同じ『BZS1422』という看板を掲げたそれは、日曜深夜0時30分に放送されるところも一緒で、当時のコーナーも忠実に再現されていた。

収録現場である局の本社は、建もの自体は会社から近い場所にあるのだけれど、地下にあるからちょっと移動が大変だ。
エレベーターで下へ下へ潜っていくと地下都市港区麻布台域に出る。

30階建ての大型ショッピングモールが幾つか繋がった形をしているそこは、吹き抜けの天井を見上げると昼間はいつも青空が広がっている。
ミストスクリーンに常時晴れ模様を投影させているかららしいけれど、ちぃはそれが好きみたいで、ちょっとした買いものでも地下都市に行きたがった。
夜は夜でプラネタリウム化して綺麗だ。



ラジオブースはシティプランツの鮮やかな緑に囲まれている。
その中央にある、白くて円い天板のテラステーブルについて収録をするので、毎回何だか屋外のカフェでおしゃべりしているみたいだ。
ここで1杯紅茶でも頂ければ優雅な気分に浸れるのに、といつも思う。

今回の2本録りはちぃの卒業が目前ということで、徳さんスッペシャル、と名付けられた。
1本目はもう収録し終え、この2本目は、彼女が誕生日を迎える前の最後の日曜日に放送されることになっている。
台本の進行に沿って、たくさん寄せられたメールから1通を読み上げた。
134 :idoloid :2015/02/01(日) 18:37
「『千奈美ちゃん、熊井ちゃん、こんばんは!』」
「こんばんはー!」
「『毎週楽しく聴いています』」
「ありがとぉーぅございますっ!!!!!」
「ふはっ」


節やリズムを付けた、ちぃの独特な言い回しに思わず吹き出してしまう。


「『今月の22日に千奈美ちゃんが卒業してしまうということで、とても寂しいです』」
「うん、そうだねぇぇぇ、千奈美も寂しぃ〜」


大袈裟に泣きそうな声を出してちぃは、指の先だけで弾くように目の下を拭う仕草をする。
どこかで見たことがあると一瞬考えを巡らせたが、そう言えばいつか彼女に観せてもらったディズニーアニメの登場人物がそんなふうに涙を散らしていた。
真似をしているのかもしれない。


「『ところで、このBZSはどうなってしまうのですか?
 熊井ちゃんがソロでやるのでしょうか』」
「あーそれね!」
「『僕は梨沙子ちゃんのファンなので、熊井ちゃんと梨沙子ちゃんの番組が始まって欲しいです』」
「………」
「………」
「ちょーっと待った!!!!!!!
 まーーーた梨沙子か!!!!!!!」


沈黙を割くようなツッコミにまたも笑いを誘われる。
まーーーた梨沙子か!、はこの番組でお馴染みの台詞だ。
このメール、またスタッフさんが出したんじゃないの?!、とちぃは噛み付かんばかりにブースの外へ大声で叫び、名字を呼び捨てにしてなじっている。
スタッフさんの中に梨沙子のファンがいるのだ。


「あのさあ、千奈美だったら何言ってもいいって思ってんでしょ、このお便りのひと!
 しつれー!ホントしつれー!」
135 :idoloid :2015/02/01(日) 18:38
眉根にしわを寄せてちぃは怒りを露にしている。
確かに、私たちの卒業は割と軽いノリで扱われることが多いが、寂しいけれど仕方がないのかもしれない。
ファンのひとたちも慣れきってしまっているのだ。
今日もどこかで誰かの心臓が取り出されていて、【idoloid】の活動停止がニュースになることなんて、よっぽど有名で人気がある者のときにしかない。
小鼻を膨らませて息巻いていた彼女は突然私の方を向いた。


「あ、これからのBZSだけど、熊井ちゃん、絶対1人でやってよね!」
「えっ?!えっ?!」
「だいじょぶ。熊井ちゃんならだいじょーぶ」


咄嗟に首を横に振ってリアクションしている私に向かって、ちぃは深くうなずいている。
待って。そんな。私には。
焦っている私に気付いているのかいないのか、彼女は構わず番組を進めた。


「ええと、このことについては次回発表するから、ちゃんと聴いてね〜。
 それではセカンドチューンです!
 前回から千奈美の好きな曲ばっかりかけさせてもらっているけど、これはね、この前久しぶりに聴いてみて、それから本当によく聴いてるんだ。
 歌詞が良いなーって。みなさんも、ハンカチを用意して聴いてもらえたら。
 あ、もう用意した?かけちゃうよ?サンッ!ニーッ!イッチッ!ハイッ!
 Berryz工房で!『希望の夜』!」


呆然としていて、2人で声を合わせる曲振りを忘れてしまった。
はっと意識が戻ると、ちぃが不思議そうな顔で、私の目の前で手をひらひらと扇いでいる。
それに対して私は曖昧に笑みを浮かべてごまかした。
この不安を余り悟られたくない。
136 :idoloid :2015/02/01(日) 18:38
『BZS1422』のこれからに関して、実はちぃには内緒で1ヶ月前くらいからスタッフさんから打診されていた。
1人で続けるか、それともBerryz工房の番組にしてしまうか。

即答、とまではいかなかったけれど、考えた結果、私はやはり後者を希望した。
彼女はこのことを知らされていないのだろうか。



だって、1人でキャスターもレギュラーコメンテーターも受け持つということは、くまらない話を30分間に延長したものを毎週放送するのと同じだ。
無理に決まっている。
想像しただけで目眩がした。

しゃべることは本当に苦手だ。
何か話す度に、自分の伝えたいことを言葉にする難しさを痛感する。
私がうろたえている姿をファンのひとたちが楽しんでいるのは別にいいのだけれど、笑われるのはいつだって恥ずかしい。
焦れば焦るほど混乱して、頭が真っ白になり、汗が噴き出てくる。
絡まった細い糸はどんどん解けなくなってしまう。

今だって、台本は私の分だけ紙で出力してもらっている。
不安なところや訂正する箇所をペンでチェックして書き込むためだ。
くまらない話のページなんて直ぐに一面真っ赤になってがっかりする。
こんな調子で、1人でラジオのパーソナリティーなんてできるはずがない。



多分、今後『BZS1422』は4人の番組になる。
でもきっと、ちぃは分かってくれるだろう。

おしゃべりが不得意なことを、彼女が1番理解してくれているし、何だかんだ甘やかしてくれるお姉ちゃんなところもある。
くまくまトークを見たがる桃にむちゃぶりされたとき、いつも本気で困っている私を助けてくれたのはちぃだった。
それに、彼女がいたから『BZS1422』もここまでやってこれたのだ。

次の放送は5月24日。
収録は22日の朝で、ちぃがいる放送はこれで最後になる。
これが電波に乗って流れるとき、彼女の身体はもう動かない。
137 :idoloid :2015/02/01(日) 18:39



◇◇◇◇◇



138 :idoloid :2015/02/01(日) 18:39
時間なんてあっと言う間に過ぎる。
最後のオフの当日、ちぃが行きたいと言い出した場所は、新江ノ島水族館だった。


「水族館って初めて来た」
「そぉなの?千奈美、よく来るよ」


入り口で記念撮影をしながら、どうしてちぃはこんな時代錯誤なところを選んだのだろうか、と疑問を巡らせていた。
動物園や水族館など、生きものを飼育して展示している施設そのものが廃れているのに、その中でもこんな古い建てものに来たがるなんて。
私なんて彼女に言われるまで、この水族館の存在自体を知らなかった。
各地にあるスクリーンドームに行ってアクアシアターのチケットを買えば、水中を歩いたり海の動物たちと戯れたり、リアルなバーチャル体験が手軽にできるのに。

とにかく不思議でたまらなかったけど、熊井ちゃん、行こう!、と声を弾ませたちぃに手首を引っ張られて、考えることをやめた。
彼女は、前にお気に入りだと言っていたワンピースを着てきた。
ちぃ自身もきっとこの日を特別なものだと考えているに違いない。
振り返った彼女が、遊園地を目の前にした子どもみたいな、すごく嬉しそうな顔をしていたのだから、これでいいのだ。
今日はちぃのための1日にしよう。



本当によくちぃはこの水族館に来るみたいで、回遊魚のようにすいすいと館内を案内してくれた。
普段は1人で訪れては自分のペースで見て回って帰るらしい。

寂れていてがらんとしたイメージがあったけれど、水族館は純粋に楽しかった。
特に私は館内のメイン展示である大水槽が気に入った。
銀色にうろこを光らせたちいさな魚たちが群れをなして泳いでいる様子は、意思を持った大きな生きものがうねっているみたいで圧倒される。

ずっと見ていても飽きなくて、水槽の前から動けずにいると、パシャ、と乾いたシャッター音がした。
驚いて隣を向くと、熊井ちゃぁん、とカメラを構えたちぃがにやにやしながら私の顔を覗き込んできた。
どうやらまた口が開いていたらしい。



そう、ちぃはカメラを持ってきていた。
デジタル一眼レフ、という種類だと説明してくれたけれど、私にはいまいちよく分からない。

けれど、iPhoneに付属しているものでも高画質でそこそこのものが撮れるのに、専門の機械を別に持っていることが何だかちょっと格好良い。
首から下げていた革のストラップが飴色に艶めいて、ちぃがすごく大人っぽく見える。
いつだったか、彼女が撮ったものを見せてもらったことがあるけれど、不思議な構図の風景だったり、変な表情をした動物だったり、何となく被写体にらしさが滲んでいる気がして面白かった。
139 :idoloid :2015/02/01(日) 18:40
ちぃがこの水族館に来たお目当ては、15時から始まるアシカのショーらしかった。
屋外にある扇形のプールでそれは行われるらしく、プールの形に沿ってカットしたバームクーヘンのような客席はハロコンの雛壇を思い出させた。
どこに隠れていたのだろうか、そこは最終的に1/5くらい埋まっていた。

初めて目にしたアシカは、表面がぬるぬると光っていて、黒の油絵の具のチューブからにゅるんと押し出されて生まれてきたみたいな動物だった。
かわいいかかわいくないかはよく分からないけれど、賢い生きものなのは理解できた。
音楽に合わせてダンスを踊るような芸だったり、係員のひとと言葉が通じ合っているみたいに繰り広げられるコントだったり、ショーはとても楽しくて2人してよく笑った。



ショーが始まって少し経ってからやっと、ちぃがよく「アシカのトレーナーになりたい!」と口にしていたアシカというものが、目の前の生きものとイコールで結ばれることに気付いた。
つまり彼女はこの、アシカを操る係員に憧れているということだろうか。

半袖のポロシャツを着て、腰に餌が入ったバケツを携え、ポニーテールに髪を結った、人間のお姉さん。
笑顔を絶やさず元気良く振る舞う姿にちぃを重ねると、何だかとてもしっくりきて、自然にうなずいていた。
そんなお姉さんは不意に客席を見渡すと、インカムマイクを通し、子ども向け番組のように明るくこう問いかけてきたのだった。


「では今度はお客さまの中で、アシカトレーナーに挑戦してみたい方、いらっしゃいませんかー?!」
「ハーイ!!!!!!!」


びっくりした。
突然耳元で大きな声がしたことにも、隣でちぃが高く高く手を挙げていたことにも。
うろたえて、つい素っ頓狂な声が口から飛び出てしまう。


「えっ?!ちぃ?!」
「では!そこのお姉さ…あ、いつものお姉さんですね!こんにちは!」
「こんにちはっ!」


しかも顔も見知りらしい。
語気を弾ませ、はきはきと返事をするちぃに周りから笑いが起こる。
140 :idoloid :2015/02/01(日) 18:40
何なんだ。展開に全く付いていけない。
思わず瞬きを繰り返してると、ちぃが何かを私に握らせてきた。
カメラだ。冷たくて固い凹凸が指に慣れなくて、つい取り落としそうになる。


「熊井ちゃんっ!写真頼んだっ!」
「え、ええっ?!」
「いっぱい撮ってっ!お願いっ!」
「えっ?!えっ?!どこ押せばいいのっ?!」


既にプールの方に駆け出しているちぃに向かって慌てて叫ぶと、適当に押せばいいからー!!!、と会場中に響く大声で返され、またも客席の注目を浴び笑われてしまった。
あれ?あの2人、どこかで見たことない?、アイドル?、というちいさなひそひそ話が耳に入ってくると、一層恥ずかしくなって背中を丸めて俯いた。



かくして私は、ちぃがアシカトレーナーの体験をしている様子を写真に収めることになったのだけれど、カメラって難しい。
パシャッ、と固い枯葉を握り潰したみたいなシャッター音は、手応えとしてすごく軽く聞こえて、本当にちゃんと撮れているか疑わしい。

しかし、そんな私の不安な気持ちとは裏腹に、ちぃはすごく楽しそうだ。
彼女が右手をかざす度に、アシカがハイジャンプをしたりバク宙を決めたり。
まるで指先から金色のきらきらした粉が舞って、魔法をかけているようだった。
プールから飛んだ飛沫のきらめきが、彼女の笑顔を彩っている。

そんなちぃを見ていたら、顔のアップを撮りたくなってきた。
ズームの仕方は分からなかったけれど、適当にいじっていたらファインダーいっぱいに彼女の顔面が広がった。
目の横の笑いじわがくっきり分かるほど寄ってしまったが、さっきの仕返しだ。
白い歯がこぼれた瞬間を狙い、喉の奥を写すつもりで私はシャッターを切り、にやつきを噛み殺した。
141 :idoloid :2015/02/01(日) 18:40
いっぱいはしゃいで動き回って、とても楽しかった。
片瀬江ノ島から都内まで、シーサイドライナーで30分くらいで着くけれど、帰り道もちぃのリクエストで江ノ電という乗りものに乗った。

三角屋根の駅舎はとてもレトロで、何だか昔の映画に迷い込んだ気分になってわくわくした。
趣きがあって素敵なのに、ここも全くひとがいない。
「実働する日本最古の併用軌道!」という触れ込みの古ぼけたのぼりが寂しく風にはためいている。



モスグリーンのかわいい車両に乗り込むと、見渡す限り、乗客は私たちとうたた寝しているおじいちゃんしかいなかった。
窓から見える海がすごく綺麗なんだ、とちぃが教えてくれた通り、くすんだブルーが無限に横たわっている景色はとても美しく、何だか美術館の絵画を2人占めしているみたいな贅沢な気分になった。

ゆっくりと海沿いを走る電車に合わせて、いつもよりときが進むのが遅く感じる。
こんな時間の過ごし方があるのだ。
ちぃはもの知りだと改めて感心する。

シートは固くてお尻がちょっと痛かったけれど、車輪が線路を踏む振動が心地良い。
今にも止まってしまってもおかしくない古い乗りものなのに、窓際には新しいLEDライトが搭載されていて、夕陽を模したオレンジ色の光が車内に満ちていた。
142 :idoloid :2015/02/01(日) 18:41
そんな中、ちぃは外を眺めるのに直ぐ飽きて、カメラのプレビューをチェックし始めた。
横顔がご機嫌そうだ。
彼女の手元を覗くと、ちょうど私が大水槽のガラスに間抜け面を映している1枚だった。
我ながら、意識が全て吸い取られてしまったふうな、何も考えていないぼけっとした表情をしている。


「ちょっとちぃ!消してよ!」
「熊井ちゃんの前歯、良いよね!」


笑って怒ったふりをすると、立てた親指を突き出された。
よく分からないけど褒められたようだ。



1つ1つ確認しながら、ああだこうだおしゃべりしていると、アシカショーのときの写真になった。
思ったよりもよく撮れている。
飛び散った水の粒をここまでくっきりと捉えられるなんて、もしかしたら私にもカメラの才能があるのかもしれない。
すごいねって、上手だねって褒めて欲しくて、わざとタイミングを見計らって話し掛けた。


「上手く撮れてる?」
「撮れてるー!ありがとう、熊井ちゃん」


満面の笑みを返してくれたので、嬉しくて誇らしい気持ちになった。
そして次の写真は多分、ちぃの顔のどアップだ。
やだー!、と一際高い声を上げる彼女の反応が頭に浮かぶと、口許が勝手にゆるむ。
からかおうと、わくわくしながらそのときを待ったのに、しかしながらちぃの手はそこでぴたりと止まってしまった。

どうかしたのだろうか。
そう問うよりも前に、カメラに視線を落としたままちぃは、こうぽつりとつぶやいたのだった。


「これはね、千奈美が生きてたショーコなの」
143 :idoloid :2015/02/01(日) 18:41
偽ものの心臓がちいさな箱の中で、どきっと跳ねたのが分かった。
思わず身体が固まってしまう。

暗黙の了解のように張っていた薄い膜を破って、唐突に核心に触れてきて動揺する。
みんなわざとらしくも普段、自分たちの最期に関する話題を避けているのだ。

カーテンをさっと引いたみたいに、急にしんみりした空気になる。
ちぃは穏やかな口調でこう続けた。


「やりたかったこと、手当たり次第やってみたんだ。
 英語もタイ語も、アシカトレーナーも、思い付くこと、やれるところまでやってみたんだけどさ。
 でも、やり残したこともいっぱいあるや。
 もっと色んな外国に行ってみたかったし、綺麗な景色もいっぱい見てみたかったな。
 クレープ屋さんでバイトもしてみたかったし、歯科衛生士だってね、実は千奈美、結構本気で憧れてたの」


そうしてカメラを腿の上に置き、両手を使って指折り数え出す。
ニュージーランドで星を眺めたかったとか、カワウソを飼いたかったとか。
宙に視線を漂わせながら詰まることなくすらすらと、ちぃは次々に夢を口にしていく。
子どものような舌足らずな声。
ふと一瞬、彼女のくちびるの端がほころんだ。


「千奈美、生まれ変わったらまた千奈美になりたいなあ。
 そしたらね、もう1度Berryz工房をやるの。
 ずっとずっとBerryz工房でいたかったなあ。
 やだなあ、もう直ぐ千奈美の心臓、止まっちゃう。
 もう1週間もないなんて、信じらんない」


言って、こちらをゆっくりと向いたちぃに表情はなく、しかしその目は何かにすがっているようだった。
斜めに入った光が瞳を透かし、細かな電子回路が無数に走った基板を薄らと浮かび上がらせる。

あ、とちいさく息を呑んだ。
水晶体の中で一筋の細く短い信号が赤く火花みたいに散る。
その瞬間、眼球の表面が水分を含んでゆらんと潤み、1粒の涙がちぃの頬を滑っていった。


「死にたくないよ、熊井ちゃん」
144 :idoloid :2015/02/01(日) 18:42
か細く今にも消え入りそうなそれは、ほとんど泣き声だった。
咄嗟に右腕がちぃの方へ伸びた。
落としたものを拾うみたいな、そんな反射に近い動作だったけれど着地点はなく、しかし空中を彷徨うよりも前に彼女の手が私の手首を掴んだ。
手のひらは熱く、そしてちいさく震えていた。

ちぃはそのまま、顔を隠すようにうつむいた。
華奢な肩は、触れたら今にも壊われそうで頼りない。



何か。何か言わなければ。
焦燥感が身体の奥からせり上がってくる。
喉がからからに乾いていた。

突き動かされるようにくちびるだけがかすかに動いたが、呻きに似た掠れた声がやっと漏れただけだった。
箱の底を漁るみたいにして、頭を必死に働かせて言葉を探す。
正しい答えを見付け出したい。
けれどそんな中、私よりもちぃの方が早く言葉を発した。


「ねえ熊井ちゃん、生まれ変わったらもう1度千奈美と一緒に、Berryz工房、やってくれる?」
「えっ、でも、うちら機械だから生まれ変わりとか…」
145 :idoloid :2015/02/01(日) 18:43
咄嗟にくちびるを割って出た自分の発言に、どっと冷や汗が噴き出た。
ちぃの身体がびくっと揺れる。

しまった。違う。そうじゃなくて。
後悔や焦りが背中から被さるように襲ってくる。
言葉は戻せない。
機械仕掛けの胸がばくばくと音を立てて主張する。

傷付けた。しかもはっきりと。
何か。何か言わなければ。
訂正しなければ。

そうじゃないんだ。
そういうことじゃなくて。
もっと違う言葉がある。
もっとちぃに伝えなきゃいけない言葉があるはずなのに―――!

急く気持ちとは裏腹に、頭の中が混乱に塗り潰されていく。
感情がぐちゃぐちゃに混色されて身体が全く付いていけない。
口どころか、全身が固まってしまって動かなくなってしまった。



時間にして数秒だったかもしれないが、私にはときが止まったように感じられた。
私の手首から素早く手を放すと、ちぃは下を向いたまま乱暴に頬の辺りをこすっていた。
そしてぎこちなく頭をもたげると、涙の痕が残る顔にちからなく下手くそな笑みを浮かべて、わざとふざけた声でこう言ったのだった。


「そうだったあ、千奈美、ロボットだったあ」
146 :idoloid :2015/02/01(日) 18:43

147 :idoloid :2015/02/01(日) 18:43

148 :名無飼育さん :2015/02/01(日) 18:47
1話とっくま、2話りしゃみや、3話みやもも、の3本立てです。
次で1話完結です。
3月3日までに、を目標に駆け足で書いているのですが、色々すみません。
設定の甘さや文章力のなさなど、いつも以上に目を瞑って頂ければ幸いです。
宜しくお願いします。



◇◇◇インデックス◇◇◇

イチゴとメロン(矢島・夏焼) >>38-70

戦場のベリーズライフ(Berryz工房) >>79-116

idoloid
1話(熊井・徳永) >>122-145
149 :名無飼育さん :2015/02/02(月) 01:17
大変なものを読みました。
更新を楽しみに、楽しみというと少し違いますが、待ちたいと思います。
150 :名無飼育さん :2015/02/02(月) 23:44
泣いた
151 :idoloid :2015/02/12(木) 21:06
あの日の江ノ電での会話の後、直ぐにちぃは何ごともなかったように接してくれたけれど、私の中ではずっと後悔がくすぶり続けていた。
いつもこうだ。
私はいつだって言葉を間違う。

どうして私だけいつも上手くいかないのだろう。
私と他のひとでは何が違うのだろう。

声に出してから気付かされる。
相手の引き攣った口許に、苦笑いが滲んだ目配せに、急によそよそしくなる空気に。
ノートを破くみたいにして、自分と世界がばりばりと音を立てて切り離される。
クマイ ユリナもこんな悪夢をずっと見続けてきたのだ。

最後のオフを良い日にするつもりが、嫌な思いをさせてしまった。
あんな表情をさせたかった訳じゃないのに。
口角を無理くり吊り上げた、寂しい笑い顔が網膜に焼き付いている。
無意識につくため息は重く、幾らメンテナンスをしてももやもやした気持ちは身体にまとわりついて離れなかった。



そしてついにその日がやってきた。
5月22日。
ラジオの収録は7時半に現場入りすることになっている。

会社の1階に7時、待ち合わせに現れたちぃは、普段と全く変わらなかった。
いつも通り、幼い仕草で眠そうに目元をこすり、ラジオ局に着くまでの道中も、お腹すいたあ!、と騒いでいた。
ただ1つだけ違うこと。
地下街の天井を見上げる彼女の目のふちは真っ赤に腫れていた。
偽ものの空は今日も眩しいほどに晴れていて、白い光が私に暗い影を落とす。
152 :idoloid :2015/02/12(木) 21:07
「深夜0時30分を回りました、みなさんこんばんは!
 『BZS1422』、キャスターを務めます、Berryz工房・徳永 千奈美です!」


あい らいく あ ちょこれーとどーなっつ!、と恒例の英語をしゃべってちぃは、ブースの外を睨みつけた。
差し入れのドーナッツで彼女が狙っていたクリスピーチョコ味を、スタッフさんが間違えて食べてしまったのだ。
実はこれは演出の1つで、収録の終わりに、生クリームの漆喰壁に様々な種類のミニドーナッツが埋め込まれたふうな、豪華なタワーケーキが登場することを本人は知らない。



収録が始まった。
徳さんスッペシャルスッペシャル、という副題は付けられているけれども、特別な何かを感じさせることは全くなく、打ち合わせもいつもと同じかそれ以上に淡々と済んだ。

キャプテンや桃のときもそうだった。
2人とも普段通りに振る舞おうとし、周りもそれに合わせようとする。
みんながみんな、自分という役を演じているようで何だかぎこちなかった。
私もマイクに向かって、努めて明るい声を出す。


「みなさんこんばんは!
 宇治茶大好き大使、レギュラーコメンテーターのBerryz工房・熊井 友理奈です」
「毎週日曜の深夜0時30分からお送りします『BZS1422』、熊井さん今夜も宜しくお願いします!」
「はい、宜しくお願いします!」
「えー、今日は22日で、早朝にラジオの収録をしている訳ですが、どうですか熊井さん!私はとても眠いです!」
「眠いですねー、今の時間は…
153 :idoloid :2015/02/12(木) 21:07
つつがなく番組は進行していく。
昨日のイベントで主役のちぃが連続でゲームに負け、激苦ドリンクを3回も飲む羽目になった愚痴や、まぁさん・みや・梨沙子からのサプライズメッセージを織り交ぜつつ、今日行われる卒業ライブの話もした。

このまま無事に収録を終えることができると半ば安心していた。
しかし何の前触れもなくちぃが発した言葉に、凪いでいた水面に波が立つ。


「あ、もうね、言っちゃう。収録中だけど今言っちゃう。
 千奈美、熊井ちゃんに怒ってんだけど」
「えっ」


呑気に台本に目を通していた中、不穏な台詞にびくっと身体が揺れる。
驚いて、弾けるみたいにして顔を上げると、ちぃは射るような視線で真っ直ぐ私を見据えていた。
いつになく真剣な表情に思わずひるむ。


「ベリーズステーション、Berryz工房の番組にしたいって、1人でやりたくないってスタッフさんに言ったんだって?」
「それは…」
「何でそんなこと言うの。
 『BZS1422』は千奈美と熊井ちゃんの番組でしょ。
 千奈美がいなくなっても、熊井ちゃんが守ってよ」


有無を言わさない、責めるような口調に圧倒され口ごもる。
叱るふうに、ちぃが私にこんなに強く言ってくるのは初めてのことだ。
今までにない状況に戸惑い、彼女の顔を見ていられず、視線を斜め下に泳がせた。


「でも、1人でなんて出来ないよ」
「出来るよ」
「そんな」
154 :idoloid :2015/02/12(木) 21:07
無責任に即答され、くちびるを噛みたい気持ちになった。
どうして今、こんなときにこんな意地悪をするのだ。

ちぃなら言わなくても分かってくれると思っていた。
言葉が出てこなくて焦ったり、言い間違えをして慌てたり、そんな私のみっともない姿を、ちぃが1番近くで見てきたではないか。
それをこんなふうに突き放すなんて。

いちいち説明しなければならない情けなさと自分勝手な苛立ちに、かっと頬が熱くなる。
語気を強めて反論した。


「うちがしゃべんの苦手なの、ちぃだって分かってるでしょ。
 1人でずっと話さなきゃいけないなんて、絶対くまくまトークになる。
 そんなの誰も聴いてくれないよ」
「違うよ。熊井ちゃんのくまくまトークは、一所懸命だからでしょ。
 自分の言葉で、一所懸命伝えようとしてるから、そうなっちゃうんでしょ」


思わず目を見開いた。
ちぃは構わずまくし立てる。


「みんなそんなこと分かってるよ。
 みんなそんな熊井ちゃんが好きなんだよ。
 もっと自信持ってよ。
 熊井ちゃんの言いたいことは、ちゃんとみんなに伝わるから」


鼻の頭がつんと痛んだ。
今まで味わったことのない感情に胸を掻き乱される。
まさか自分がこんなふうに肯定されるなんて。

目のふちがじんと熱を持つ。
ぼやけていく視界の中で、向かいにいるちぃが身を乗り出しては歯を見せて、くっきりと笑ったことは分かった。


「熊井ちゃんなら大丈夫!
 1番近くで見てきた千奈美が言うんだから、だいじょーぶったらだいじょーぶ!」
155 :idoloid :2015/02/12(木) 21:08
そのときだ。
私の脳裏に1つの光景が浮かび上がった。

ちぃと2人きりで机を挟んで向き合っている。
頭が重くて腰が曲がった花みたいに、色付きのマイクが真ん中からそれぞれに向かって伸びていて、手元には台本が広げられていた。
全体的に古臭い装置だけれど、どうやらこの場所はラジオブースだということを知る。

そんな中、くまらない話のコーナーだろうか、自分で入れた注意書きでぐちゃぐちゃになったページに必死でしがみつきながら、私はマイクに顔を寄せて、一人しゃべりに没頭していた。
言葉の迷路に足を踏み入れ、出口を探して奔走する。
身体に広がっていく焦りや背中や首の裏にかいた汗の感覚がやけにリアルだった。

でも、いつも。
いつだって。

助けを求めるように視線を上げると、ちぃが優しい表情で私を見てくれていた。
目が合うと、がんばれっ!、と勇気づけてくれた。
話し終わると、良かったよ!熊井ちゃん!、と必ず褒めてくれた。
それに何度救われてきたことか―――



しかしながらこのワンシーンは、懐かしさすら感じるのにも関わらず、自分の身に全く覚えがなかった。
殺風景な狭い部屋。
薄いグレーの壁。
直線でできたテーブルのライン。
見たことがないちぃの服。
いつかの夜の夢みたいな、不確かな既視感に首を傾げたくなったけれど、ふと1つの考えが頭に浮かんだ。

ああ、そうだ。
もしかしたらこれは、遠い遠い、クマイ ユリナの―――
156 :idoloid :2015/02/12(木) 21:08
う、と低い呻き声が聞こえた。
それが最初、自分のくちびるから漏れているとは気付かなかった。

込み上げてくるものを塞き止めたくて、目をぎゅっとつむったけれど効果はなく、1度こぼれ出した涙は止まらない。
喉が引き攣る。
子どものようにしゃくり上げる。
何で泣くのぉ熊井ちゃぁん、という笑いを含んだふにゃふにゃした呆れ声と、椅子のキャスターが転がるごろごろという音が耳に届いた。
そうして近付いてきたちぃは、嗚咽まじりで泣く私を、くるむように抱きしめてくれたのだった。



私はその細い身体にすがりついた。
背中へ向かって伸ばした腕。
今度は確かな意思を持って。

おねがい、ちぃ、いかないで―――
157 :idoloid :2015/02/12(木) 21:09
一体どれだけ泣き続けていたのだろうか。
スタッフさんが慌てて用意してくれたティッシュは、私の涙と鼻水を吸い込み、ごみ箱をにいっぱいにしている。
こめかみや眼球パーツの奥が鈍く痛んだ。

やっと幾分か落ち着いたところで収録が再開される。
気付いたら、台本も最終ページに差し掛かっていた。
しかしながらちぃはそれに全く目もくれず、ラストの挨拶をしゃべり出したのだった。


「ええと、最初にもお話ししたんだけど、今は千奈美の誕生日で卒業ライブの日の朝で…
 何だろな、また明日が来る気分。
 実感湧いてるような、湧いてないような、不思議な気持ち。
 ん〜〜〜、でも、あれだあれ!終わりがあれば始まりもあるから!
 トクナガ チナミもそう言ってたし!」


あっけらかんと笑い飛ばしていたちぃだったけれど、ふとまつげを伏せると、穏やかな微笑みをたたえて続けた。


「千奈美、Berryz工房でいられて本当にしあわせだったな。
 すんごいすんごい楽しかった。
 それじゃあ、千奈美はちょっとだけお昼寝しまーす。
 お腹がすいたら起きるから、それまでね!」


言い終えて、ちぃは私に目配せをした。
それにちいさくうなずいて応える。
そう、これで最後だ。


「それでは来週も日曜深夜0時30分にお耳にかかりましょう!
 ここまでは、キャスター Berryz工房の徳永 千奈美がお送りしました!
 コメンテーターは熊井 友理奈さんでした、ありがとうございました!」
「ありがとうございました、―――


ここで私はいつも韓国語を披露することになっている。
でも今日は。このときは。
伝えよう。自分の言葉で。


「ちぃ、また会おうね。
 また一緒にBerryz工房、やろうね」


涙まじりの声は、気を付けないと震えてしまいそうなほど頼りなかったけれど、最後の一文字までちゃんとしっかり口にできた。
それにちぃは直ぐ、満面の笑みで勢い良くうなずいてくれた。


「うん!またね!
 また7人でBerryz工房、やろうね!」
158 :idoloid :2015/02/12(木) 21:10
始まり、なんてこれからの私たちにあるのだろうか。
また、なんて私たちの未来に用意されているのだろうか。
私たちはスイッチを入れられたときから生きられる時間が決まっていて、夢見ることもままならない。

でも。だけど。

Berryz工房をまたやりたい。
この願いをオリジナルのトクナガ チナミもちぃと同じように抱いていたならば―――

数百年のときを経て、Berryz工房は再結成された。
トクナガ チナミの思いはこういう形で実現されたのだ。
私たちだって、未来に希望を繋げてもいいかもしれない。



目の前のちぃは、 鼻から大きく息を吸い、肩を目一杯にいからせている。
そして一気に大声で叫んだ。


「しーゆーあげいん!!!!!!!
 じゃあね!みんな、まったねー!」


ラジオなのに、マイクに向かってばたばたと騒がしく両の腕を大きく振っている。
そしてふと私の方に視線をずらすと、お腹すいたぁ、と声にはせず口をぱくぱくと動かして、いたずらっぽく笑った。
159 :idoloid :2015/02/12(木) 21:11

160 :idoloid :2015/02/12(木) 21:12

161 :名無飼育さん :2015/02/12(木) 21:13
1話とっくま篇でした。
ありがとうございました、すみません。
次回りしゃみやです。
宜しくお願いします。



>>149
レスありがとうございます。
ひどい話を書いている自覚はあるのですが、しかしどうか、最後までお付き合い頂ければ幸いです…

>>150
レスありがとうございます。
私もほぼ毎日泣きながらキーボード叩いています…



◇◇◇インデックス◇◇◇

イチゴとメロン(矢島・夏焼) >>38-70

戦場のベリーズライフ(Berryz工房) >>79-116

idoloid
1話(徳永・熊井) >>122-145 >>151-158
162 :名無飼育さん :2015/02/12(木) 23:55
よかったです。1人ずつ(これ以上書くとネタがバレてしまいますね)・・・を想像すると胸が痛みますが。
とてもよかったです。>>144 で目頭が熱くなりました。ほとんどプロポーズ。カッコイイ徳永千奈美を読ませて頂きありがとうございます!
163 :名無飼育さん :2015/02/12(木) 23:55
切なくなる感じがほんとになんともいえません。
でも、その切なさの中に温かさを感じました。
思わず泣きそうになりました。
164 :名無し飼育 :2015/02/13(金) 13:52
更新ありがとうございます。
じんわりと涙が流れました。
文章で情景が浮かんできます…!
165 :名無飼育さん :2015/02/25(水) 23:44
3/3まで泣かないと誓ったのに号泣した。悲しいけど続きが気になる!
166 :idoloid :2015/03/19(木) 21:21
水面に落ちた枯れ葉のように浅い眠りにゆらゆらとたゆたっていると、瞼の裏でよく再生されるシーンがある。
どこかのライブハウスだろうか、狭くて簡素なステージに私はいつも立ちつくしていた。
目の前に広がる、夜の湖畔みたいな暗い静寂。
左手にはマイクを握っていて、その重さは身体の一部のように馴染んでいる。

展開もいつも同じだった。
唐突に耳馴染みのあるイントロが大音量で流れ出すと、背中から迫り出されるふうにして慌ててマイクを口許に近付けるのだ。

選曲は「付き合ってるのに片思い」だとか「行け 行け モンキーダンス」だとか、かわいいアイドルソングだったりベリーズっぽくコミカルだったりするもので、顔の筋肉は自然と笑みの形をつくっていた。
身体には振りが染み付いている。

そしてしばらくすると、必ず喉が痛み始めるのだ。
熱を持った気管が赤くささくれ立っているみたいで、声を出すのがつらくて仕方なくなる。
でも、ここで止める訳にはいかない。

歌え。踊れ。笑え。
菅谷 梨沙子。

色とりどりの照明が会場を照らす。
客席には誰もいない。
167 :idoloid :2015/03/19(木) 21:22



◇◇◇◇◇



168 :idoloid :2015/03/19(木) 21:22
以前イベントのMCで話して変わり者扱いされてしまって以来、寝付けない夜に羊を数える癖のことは一切口外していない。
確かに大昔のおまじないでそんなものがあったようだから、つまるところスガヤ リサコはそうしていたのだろう。
不眠が国民病になっている今、一般的な処方はストアのレジ横で売っている赤いパッケージのチョコレートの服用だ。

羊が1匹、羊が2匹、羊が3匹―――
もこもことしたシルエットが頭に浮かぶ。
不思議だ。
ジーンレジームで何千にも種類が増えた動物なのに、明確に描かれる姿や鳴き声が1つだけある。


「眠れないの?」


ホテルの高い天井を睨んでいると、そう話し掛けられた。
ランプシェードの暖色の光が部屋の輪郭をぼやかす中、その声だけははっきりと私に届く。
隣のベッドへ顔だけ向けるとその声の主―――みやと目が合った。
薄闇に瞳が光って野生の生きものみたいだ。


「来る?」


私の返事を待たずしてみやは、自分の布団の端をめくった。
それにちいさく頷くと、枕を引っ掴み、彼女の横に滑り込んだ。
169 :idoloid :2015/03/19(木) 21:23
ひと1人分を開けて布団の中で向き合う。
観察するふうに、じっとみやに視線を這わせた。
化粧が乗っていない素顔は幼く、鼻の付け根の横にある痣がぼんやりと浮いているのが分かる。

ふと、彼女の右腕がこちらに伸びて、指先が私の左頬に触れた。
その行動に咄嗟に身を引く。


「汚いよ」
「汚くないよ」
「汚いよ。幾ら洗っても取れる気がしない」


露骨に眉をしかめてみせると、反対にみやはくちびるの端で笑った。
遠めた距離を彼女は同じ分だけ詰めてくる。
2人の間にやわらかな波が寄った。


「何言ってんの。きれいきれい」


猫にするように、手のひら全体で肌を撫でられる。
その手付きの心地良さにゆっくりと目を瞑った。
今日あった出来ごとが脳裏に蘇る。





唾をかけられた。
握手会のとき、ファンのひとに。
170 :idoloid :2015/03/19(木) 21:24
生温かい感触がまだ頬に残っている。
そこだけ肌がどす黒く変色している気がしてならない。
直ぐに洗って、何度もちからを入れてタオルで拭いたけれど、まるでタールみたいにしつこくへばりついている感じは取れなかった。

それはそうだ。
悪意は石鹸なんかでは決して落ちない。



初め、何が起こったか全く理解出来なかった。
普段通り、目まぐるしいスピードで進むベルトコンベアのような握手会の半ば、次のお客さんへと向き直ったとき、自分目掛けて飛んでくるものに、咄嗟に顔を背けて避けたのだ。
その瞬間、びちゃっと頬に濡れた感触がして、全身の毛穴が急速に開いたみたいにぞっと肌の表面が粟立った。
頭が真っ白になる。
意識ははっきりとしていたはずなのに、目の前で行われていることが自分に降り掛かっている現実味や実感がまるでなかった。

当の男性の顔は余り思い出せない。
ただ、この世の怒りを詰め込んだような、深いしわが刻まれた表情は覚えている。
呆然としていた次のときには、噛み付かんばかりの大声でめちゃくちゃに怒鳴られ、顔にまた細かな唾が飛び散った。
消えてしまいたくなった。

怒号が飛び交い、騒然とする現場。
そのひとは即座に警備スタッフに取り押さえられてどこかに連れて行かれていた。
溺れているみたいに手足をばたばたともがきながら彼は、私に向かってずっとこう叫んでいた。


「お前が!お前が!お前が―――
171 :idoloid :2015/03/19(木) 21:24
鼓膜を直接殴ってくるような声が、乾いた泥みたいに耳の奥にこびり付いている。
興奮してずっとこう繰り返していたけれど、この続きは何だったのか。
あのひとは何が言いたかったのだろうか。
足りない言葉は想像を促す。

お前が。
お前が。
お前が。

例えば、お前が―――
お前が桃の代わりに死ねば良かったのに、だろうか。

もしそうだったら放っといて欲しい。
あと2年もしない内に自動的に私の心臓も止まる。
それすらも待てないほど、そしてあんな行動を起こされるくらい私は憎まれているということか。

色褪せたピンクのTシャツ。
キャプテンも桃もちぃもいなくなり、Berryz工房から離れてしまったファンは少なくない。
だからその色を視界の端に捉えたそのとき、私は結構嬉しかったのに。


「みや」
「なあに」
「みや」
「だから、なに」
「みや」
「あのね、みや、ずっと思ってたんだけど」
「なあに」
「梨沙子が、みや、って呼ぶと、猫の鳴き声みたいに聞こえるの」


言ってみやは、満足そうに目を細め、頬の裏で飴玉を転がしているふうにころころと笑った。
好きだな、と唐突に思う。
みや、ともう1つ鳴いて私は、甘えるように彼女の肩口に頭を寄せた。


「もう寝な。明日も早いし」


あやすふうに背中をぽんぽんと叩かれる。
うん、と返事をする代わりに更に身体を近付けた。
こもった熱にくるまれて、私たちは1つのかたまりになる。
172 :idoloid :2015/03/19(木) 21:25
この世は地獄だ。
靴底みたいに年々すり減らされていく自分を知って、私は世界に絶望する。

よくスガヤ リサコは12年半もやってこれたと素直に尊敬する。
だって彼女はアイドルに向いていない。
私が身を持って体感して、はっきり言えることの1つだ。



まず握手会が苦手だ。
あんな短時間で言葉のやり取りができるほど頭の回転は早くないし、代わる代わる対面するスピードについていけなくていつも酔いそうになる。
みんなと同じに愛想が良く出来ない態度を悪く言われているのも知っていた。

メイクや髪色を派手にすると批判されることも多い。
外見で好きになってくれたひともいるのは分かってはいるけれど、薄化粧で黒髪じゃなくなった途端に見捨てられるのは、中身は要らないと否定されているようで悲しくなる。

去っていく背中をたくさん見てきた。
中には捨て台詞みたいにひどい言葉を浴びせてくるひとだっていた。
自分のこころ変わりを、全てこちらに非があるふうになすり付けて、若いアイドルに乗り換えていく。



剥き出しの悪意は、文字になって声になって攻撃してくる。
その度に考えてしまう。
そんなに嫌われるだけのことを、私はしてしまっているのだろうか。
私の何を知っているのだというのだろうか。
痛みは慣れていくだけで、完全に感じなくなる訳ではないのに。

アイドルをしていなかったら味わわなくてよかっただろう苦痛やつらさは幾らでもある。
今日のことだってそうだ。
情報は電子の網を伝い、瞬く間に拡散する。
きっと今頃、面白おかしく脚色されて嘲笑われているに違いない。

気に入らないなら気に入らないで、放っておいて欲しい。
車窓から眺める景色みたいに、毎日は一瞬で背後に流れていく。
もっとゆっくりと、静かに生きたいと願うのは罪なのか。
173 :idoloid :2015/03/19(木) 21:25
スガヤ リサコが12年半もアイドルを続けられたのは、きっと私と同じ理由だ。
1人ではなかったから。
7人でBerryz工房だったから。
しかし私は彼女と違って、エンディングを独りで迎えなければならない。

あと1ヶ月もすればみやの心臓が止まる。
この身体が動かなくなってしまうだなんて、この声がもう聞けなくなってしまうだなんて、信じられない。

大好きで大切なひと。
生まれたときから刷り込まれていたオリジナルの記憶のせいもあるかもしれないけれど、私はずっとみやのあとを追い掛けていた。
ただかまってもらって喜んだり、優しくされて嬉しがっていたりした幼い時期から、対等な目線に立ちたい、ステージ上での自分を認めて欲しいとその背中に手を伸ばしてきた頃を過ぎて、今は―――
いや、現在もその気持ちは変わらない。



みやがいなくなった世界を上手く想像出来ない。
ならば、いっそのこと―――
それが11年と少しの短い人生で見出した唯一の希望だった。

ねえ、スガヤ リサコ。
あなたならどうする。
私は今、すごくあなたに会いたい。
174 :idoloid :2015/03/19(木) 21:26



◇◇◇◇◇


175 :idoloid :2015/03/19(木) 21:26
件の握手会から一夜明け、名古屋でのハロコンを終えたその日。
打ち上げもそこそこにホテルへ戻ったとき、周りに見付からないようにみやの手を引いて抜け出した。
思い出づくりとだけ説明して、電車やタクシーを乗り継ぎ1時間半。
目的地の入場ゲートを目の前にした途端、彼女は思いっきりけらけらと笑い始めた。


「うっわ!何これ、やっばい!」
「うん…まさかこんなことになってるなんて…」


私がみやを連れてきた場所は、愛知県の辺境の埋め立て地だった。
昔はテーマパークやショッピングモールなどが一体化した複合施設が営業していて、オリジナルがファンクラブツアーで訪れたこともあり、彼女たちがアトラクションで遊んでいる様子が映像にも残っている。

けれども、そこは今やただの跡地となっていた。
当時の名残だろうか、地中海ふうの煉瓦壁に囲まれた、だだっ広い公園と化している。
その壁も黒く煤けて朽ちかけていて、魔女が住む城みたいに蔦が這っていた。
歩道の石畳は行く手を阻むようにぼろぼろに剥がれ、漂う海の匂いがやけに埃っぽい。

この雰囲気は、東京で言うイーストエリアみたいなものだろうか。
治安が悪そうならば直ぐにでも帰りたかったけれど、とにかくひとがいなくて、誰からも忘れ去られているふうにひっそりとしていた。

8Xマガジンの企画で、オリジナルが行ったロケ地を巡る案があり、現存する施設名を挙げ連ねていったときにここの名前を聞いて、ずっと引っ掛かっていたのだ。
しかしながらこの場所が真っ先に没になった、その意味がやっと分かった。
もっとちゃんと下調べしてくれば良かった。
後悔が私を俯かせる。


「まあいいじゃん、行こ。探検しようよ」


私の腕に自分のそれを絡め、みやはずんずんと歩き始めた。
横顔を窺うと、今にも鼻歌を歌い出しそうなほどにご機嫌そうに見える。
どこに行っても何をしていても楽しめるのは彼女の才能だと思う。
176 :idoloid :2015/03/19(木) 21:27
とは言え、何もない公園を回るのにそう時間はかからない。
申し訳程度にライトアップされた噴水池をぼんやり眺めたり、わざと歩くのを遅くしておしゃべりしていたりしたのにも関わらず、早くも出入り口に戻ってきてしまっていた。

夜はだいぶ気温は下がるけれども、やはり夏だ。
動くと薄っすらと汗が滲んだ。
自販機で買った飲料で喉を潤しているとふと、みやの目が上空に吸い寄せられていることに気付く。
視線を辿ったその先には、古ぼけた大きな車輪が空に置き去りにされていた。

オリジナルの記録から何百年も経った現在、唯一残っていたのは場外にあるこの観覧車だけだった。
びかびかとLEDの不躾な光を放つそれは場違いでしかなく、近くで見なくても鉄骨の塗装が剥げているのが分かった。
ぎこちない回転に合わせて錆びた鉄が擦れる音が聞こえてきそうで、何だか可哀想になってくる。


「私たち、昔これ乗ったよ」
「え、乗ったの。梨沙子も?大丈夫だったの?」


みやはびっくりした表情で、ぱちぱちと瞬きをした。
私は高いことろが苦手だからだ。
ラボに通うにも、毎回メンバーの背中にしがみついては額を押し付けて、あー、とか、うー、とかずっと唸って何とか堪えている。


「うん。そのときみやに膝枕してもらってたの」
「え、うっそ、何それ、ウケる」


風車のようにからからと笑い飛ばしながら、みやは私の二の腕をばしばしと叩いた。
言葉にして気付いたけれど、冷静に考えるとなかなかすごいことをしている。
段々と恥ずかしくなってきて、熱くなった顔を冷ますみたいに手のひらで包んだ。

しかしこちらの様子を全く気にしていない素振りで、みやは私の手首を掴んで引っ張った。
いたずらっぽい笑みが、カラフルな電飾に照らされる。


「また膝枕してあげる。だから乗ろうよ、観覧車」
177 :idoloid :2015/03/19(木) 21:28
「梨沙子ほら!海が見えるよ!」
「…うん」
「うわー!見て見て!夜景きれい!」
「…うん」


一層はしゃいだ声を出すみやに対して、私は彼女の太ももに頭を預けてぐったりしていた。
わざとだ。この体勢からちょっとも動けないことを知っていてこんなことを言う。
ゴンドラが風に揺れ、ぎいぎいと怪物の不穏な鳴き声がする度、びくっとしてみやのスカートの端を握る私を完全に面白がっていた。



私たちを乗せた箱は、ゆっくりと天辺を目指していく。
最初こそ騒いでいたみやも静かになっていて、遠くの景色を眺めているようだった。
見上げると、金色の髪が流水みたくさらさらと落ちてきていて、手ですくってみたくなる。
顎から耳にかけた、シャープなライン。
この角度で彼女を見ることはなかなかないから、新鮮だ。

首を傾けると、濃紺の背景に人工の星がきらきらと瞬いているのが視界に映った。
誘われるようにオレンジ色の月に近付いていく。
きれいだ。空を見ると気持ちが落ち着く。
胸につかえていたものが溶けてなくなっていくみたいで、秘めていた言葉が自然にこぼれ落ちた。


「ねえ、みや。このままどこか遠くに逃げちゃおうよ」
178 :idoloid :2015/03/19(木) 21:28
銀色の手すりを爪の先でかちかちと弾いていたみやの指が、固まったように動きを止める。
空気が一瞬にして硬く張り詰めたのが分かった。


「何それ。本気で言ってんの」
「うん」
「茉麻と熊井ちゃんは。Berryz工房はどうするの」
「それは…みんな一緒に…」


冷たい声が刺すふうに降ってくる。
こちらに視線を落としたみやに対し、私は目を合わせたくなくて横を向いた。


「そんなの無理に決まってんでしょ。
 遠くって、どこ行くの。
 そこにはメンテナンスしてくれるところ、あるの」


私たちの身体は、3日もそれを怠れば不具合が生じて、そのまま放っておけば1週間もしない内に動かなくなる。
怒っているのと呆れているのが混ざった口調でみやはこう諭してきた。
それに私は直ぐ言い返す。


「いいよ。別に。身体なんか動かなくなっても。もう疲れたよ」


特段用意していた言葉ではなかったはずなのに、声にして気が付いた。
永く背負っていた重い荷物を降ろしたみたいな気持ちになる。
疲れたって、私はきっとずっと言いたかった。
179 :idoloid :2015/03/19(木) 21:29
「梨沙子にはまだ時間があるでしょ。
 ちゃんとそのときまで歌いな」


私に悪いところがあったらきちんと叱ってくれるのが、みやだ。
聞き分けがないことを口にしているのは分かっている。
でも、ここで引き下がれない。


「無理だよ。熊井ちゃんのスイッチが切られたら、私は1人だよ。
 1人でなんて出来るはずない。
 私はみんながいたからやってこれたんだよ」
「でも、ファンのみんなは。
 梨沙子がいなくなったら悲しむよ」


ファンのみんな―――
その言葉を聞いて、お腹の底から仄暗い感情がふつふつと沸き立った。
目を瞑り、閉じた世界に向かってしゃべり出す。


「オリジナルが活動停止を発表したときのこと、みや、知ってる?
 そのときね、30歳や40歳になっても続けて欲しかった、ってファンのひとたちは言ってたんだって。
 ねえ、みや。もし私たちが人間だったら、30歳や40歳になってもBerryz工房、続けてた?
 30歳や40歳になった私たちを、ファンのひとたちは変わらず応援してくれるのかな。
 歳をとってオバサンになっていく私たちを、ファンのひとたちは変わらず愛してくれるのかな」


ずっと抱き続けていた疑問だった。
そしてそれにはもう、確信している答えがあった。

声が震える。
でも止まらない。


「人間は無責任だよ。
 簡単に言葉にするけど、そんなの無理に決まってる。
 気持ちなんて、変わりたくないって思ってても変わっちゃうものなのに、それを絶対みたいに言うんだよ。
 何の確証もないのに、どうしてそれを信じろっていうの」


ステージから去った私たちを、しばらくは悲しんだり惜しんだりしてくれるだろう。
でも、時間が経ったら分からない。
きっとみんな一緒だ。
どうせ、どうせ―――


「どうせみんな、私のことなんて忘れちゃうのに」
180 :idoloid :2015/03/19(木) 21:29
いつの間にかゴンドラは頂点を過ぎていた。
私たちと一緒に、重い空気も乗せて下降している。
けれど私は気まずさよりも、胸の内を吐き出せた清々しさを感じていた。

みやはあれから一言も発していない。
頬杖を付き、ずっと外へ視線を向けていた。

反対されることだって怒らせることだって分かっていた。
自分の末路が、よっぽどのことが起きない限り変わらないことも。
これは妹から姉への、最後のわがままのつもりだった。



沈黙が続く。
しかしそれを破ったのは、みやだった。


「だって人間だもん、仕方ないよ。
 あんなに好きって言ってくれてたのに、他に新しく若い子を見付けたら、みやのことなんて忘れちゃう。
 けど仕方ないの。アイドルってそういうものだし、人間はそういう生きものだから」


手で扇いだら消えてしまいそうな弱々しい発言に驚いた。
愛されることを当たり前のように振る舞い、強気に接していたみやからそんな台詞が出てくるなんて。

それと同時に少しがっかりもしてしまう。
もしかしたら否定して欲しかったかもしれない。
私がこの先1人で生きていくための糧や希望を、みやだったら導いてくれると期待していたのかもしれない。

けれどきっと同じなのだ。
アイドルは誰しも恐れ、そして諦めている。



閉鎖空間に生温かな風が侵入してきて、扉が開いたことを知る。
地上に着いたのだ。

安心して息をつく。
そしてのろのろと上体を起こした、そのときだった。
衣擦れの音に混じって声を聞く。


「でも梨沙子は違うでしょ」
181 :idoloid :2015/03/19(木) 21:30
私の前を猫みたいに擦り抜け、こちらに一瞥もくれずにみやはゴンドラを降りた。
その華奢な背中をぼうっと目で追う。

言葉をこころの中で反芻する。
しかしそれは、ただの文字列として意識の表面を上滑りしていた。

ふと手のひらを攫われてはっとする。
こちらに向かって伸びたみやの腕が、私の手を掴んでいた。
ふらふらと立ち上がって彼女を見下ろす。
表情のない顔から真意は読めない。



手を引かれ、箱から連れ出された。
それはまるで、埃を被ったおとぎ話のワンシーンのように。
私の足が地に着いたのを見計らってか、みやは再び口を開いた。


「梨沙子だけはみやのこと、ずっと覚えててくれるんでしょ」


貫くように向けられた眼差しから目が離せない。
強いちからで指先を握られる。

しかし次の瞬間、その瞳は月明かりの中で頼りなく揺れた。
不意にみやは俯いて、2人を繋いでいた視線を切る。
伏せられた長いまつげに透明の雫が絡んでいたように見えて、胸がぎゅうっと締め付けられた。


「お願い、梨沙子。最期まで歌って」


眉根が寄せられ、苦しそうに歪む表情に呼吸を忘れる。
私は、私は―――
182 :idoloid :2015/03/19(木) 21:31

183 :idoloid :2015/03/19(木) 21:31

184 :名無飼育さん :2015/03/19(木) 21:33
2話りしゃみや篇です。
次で2話完結です。
本当にすみません。



>>162-165
まとめての返信、大変申し訳ございません。
レスありがとうございます。
すごくすごく嬉しいです。励みになります。



◇◇◇インデックス◇◇◇

イチゴとメロン(矢島・夏焼) >>38-70

戦場のベリーズライフ(Berryz工房) >>79-116

idoloid
1話(徳永・熊井) >>122-145 >>151-158
2話(夏焼・菅谷) >>166-181
185 :名無飼育さん :2015/03/20(金) 21:00
続きを読むことが出来てとても嬉しいです。楽しみにしております!
186 :idoloid :2015/03/26(木) 20:31
今日のライブは、セットリストや演出など全てにみやの希望が取り入れられていた。
ヨーロッパの古城ふうの舞台セットは、照明と小道具によって、ハロウィンっぽいダークファンタジーな雰囲気にも、おとぎ話の舞踏会場にも切り替わる。
2階と1階を繋ぐ階段には赤い絨毯が敷かれ、そこでガラスの靴が脱げてしまうみやと王子様に扮した熊井ちゃん、そしてその靴が偶然ぴったりと合ってしまうもう1人のお姫さまの役が私で、おふざけを展開する一幕もある。

やはり特別こだわりを見せていたのは衣装だ。
着たいもの全部つくってやる!、と意気込んでいたみやのデザインで11着ものそれが用意され、早着替えの練習がとても大変だった。

2××5年8月25日。
そうして私はステージに立っていた。
決して気持ちの整理がついたのでも、全てを納得した訳でもない。
でも、だけど―――


「似合う?」
「きれい」


ライブの本編が終わり、2人の衣装さんに手伝われて、真っ白なドレスに着替えているみやと、鏡越しに短い会話を交わした。
私の返事を聞いて彼女は、満足そうにくちびるを引く。

周りのばたばたとした慌ただしさに相対して、みやはとても落ち着いていた。
剥き出しになった背中の、その肌の表面からぴりぴりと電気を放ち、神経を研ぎ澄ましているようだった。
いつも大きな舞台のときにはそわそわして、緊張するーっ!、と騒がしくしていたのに。

尖った肩やなめらかなデコルテも露わにビスチェに、レースがたっぷりと重なって広がった裾。
花嫁みたいな装いで、アンコールの頭にソロで1曲披露する。
選曲は『夏 Remember you』だった。



イントロが流れ、バルコニーのように張り出した2階部分から、3人で登場する。
天空から降り注ぐ歓声を浴びながら、紫一色に染まっている客席を眺めた。

ゆっくりと階段を降り、会場の中心へ伸びる花道を歩き、みやはサブステージへと向かう。
その後ろ姿を、熊井ちゃんと並んで見守っていた。

優しくやわらかくも、空気中を直線に、真っ直ぐ差し込むみたいに伸びていく声。
自分の胸の内にあるものを、差し出すふうな手の振り。
忘れないとか、明日が来るとか、この歌詞を今どんな気持ちで口にしているのだろうか。
187 :idoloid :2015/03/26(木) 20:32
会場全体が静かにみやの歌に聴き入っていた。
しかし、間奏明けにそれは起きた。

大サビに向かって募っていく音。
その高まりに全ての耳が期待していた中、マイクに乗ったのは、うっ、と涙に詰まったちいさな呻きだった。
思わずびくっと身体が揺れる。

みやはそれでも前を向いて歌おうとする。
けれど続く声はひどくか細く震えていて、ついに途切れてしまった。
今にもしゃがみ込んでしまいそうに背中を丸めて俯いた彼女に、客席からどよめきが覆い被さる。



咄嗟のことだった。
頭で考えるよりも早く身体が動いていた。
マイクを口許に当てた私は、みやから引き継ぐように歌っていた。

お腹の底からせり上がってくる、熱くて荒削りな何かを、旋律を持った声に込める。
今にも切れそうなくらいに張り詰めた弦が、空気を震わせ、塗り替えていく。

肌で感じる。
私の歌が今、この会場を動かしている。
背中から首の後ろに掛けて、ぞくぞくと言い表しようのない感覚が走った。

歌う喜びに震える身体に、何度だって確かめる。
私の中にいる、もう1人の自分の存在を。
188 :idoloid :2015/03/26(木) 20:32
スガヤ リサコ。
確固たる自分を持ち、信念を貫いていた像を語られることが多い彼女だけれど、決して初めからそうだった訳ではない。
スガヤ リサコの12年半は、自分に自信が持てず、周りの目ばかり気にしていた女の子の物語だ。

ひょろひょろの身体に生白い顔を乗せ、純粋なこころに夢ばかり映していた少女が、やがて強さに憧れ、そうなりたいと願い成長した―――
いや、半ばそうならざるを得なかった背景を、私はこうして辿ることになった。
傷付き、悩み、苦しんだ彼女の思いを、全部理解してあげられるのは私だけ。



最後のフレーズに差し掛かった。
隅々まで意識を行き渡らせて高音を発声する。
あるだけの気持ちを込めて。

くちびるに乗せた言葉が、驚くほど自分に染み入っていく。
この歌詞がまさか、こんな意味を持つなんて。

アイドルって何だろう。
ずっと求めていた答えみたいなものは、最後の舞台に立つまで分からないのかもしれない。
孤独になったその後に、スガヤ リサコが知らない、私だけの物語が待っている。
189 :idoloid :2015/03/26(木) 20:33
アウトロの余韻をまといながら、深く息を吐いた。
偽ものの心臓がどくどくと音を立てて主張している。
身体が燃えているように熱くて、わずかなパートしか歌っていないのにこめかみに汗が伝った。
押し寄せる歓声と拍手の波に、肌の表面が細かく粟立つ。
流されないように、背筋を伸ばして膝にちからを入れた。

紫色の宇宙空間に、赤い星を幾つも幾つも見付ける。
私に向けられた、確かな光。
不意に泣きそうになって、奥歯をぐっと噛み締めた。



名前を呼ばれた気がして、はっとする。
視線を向けた先、みやは振り返って私を見上げていた。

濡れた目許。頬に伝う涙の跡。
それを見て、急激に実感した。
雷に貫かれたみたいに思い知らされる。

もう会えない。
今日が最後。
こんなに好きなのに、明日なんてない。



思わず階段を駆け下りていた。
もつれそうになる足を踏ん張って地面を蹴り、花道を走り抜ける。

身体を突き破ろうとする衝動。
これもまたスガヤ リサコの感情か。
いや、私の気持ちが今、私の身体を動かしている。

滲み、揺らいでいく視界。
あと一歩。
私は彼女へ手を伸ばす。
190 :idoloid :2015/03/26(木) 20:33
好きだ。
好きだ好きだ好きだ。

夏焼 雅。
私はあなたを忘れない。
191 :idoloid :2015/03/26(木) 20:33

192 :idoloid :2015/03/26(木) 20:34

193 :idoloid :2015/03/26(木) 20:34
2話りしゃみやでした。
武道館公演を受け、ラストの流れを大幅に変更しようとも考えましたが、当初の構想のまま進めました。
すみません、ありがとうございました。



>>185
レスありがとうございます。
必ず完結させますので、お付き合い頂けたら幸いです。



◇◇◇インデックス◇◇◇

イチゴとメロン(矢島・夏焼) >>38-70

戦場のベリーズライフ(Berryz工房) >>79-116

idoloid
1話(徳永・熊井) >>122-145 >>151-158
2話(夏焼・菅谷) >>166-181 >>186-190
194 :名無飼育さん :2015/03/31(火) 21:17
お知らせです。
みやももの前に、とっくま・りしゃみやを加筆・修正、そして挿画を描いて頂き保管致しました。
宜しくお願いします。
ttp://berryzlifeonthestorm.blog.fc2.com/blog-entry-6.html
195 :idoloid :2015/04/25(土) 21:17
ポニーテールに結われた髪が、光を反射させながらさらさらと揺れている。
その毛先が、ちいさな子がお遊びで切った人形のそれみたいに、がたがたになっているのを私は知っている。
完璧なフォルムを追求したいからって、ももち結びのままカットしてもらうなんて、本当信じらんない。
勿体無いよ。かわいいのにさ。

一輪挿しのようにすっきり伸びた、白い首筋のラインを視線でなぞる。
細くなった、と思う。
爪を食い込ませれば、片手で簡単に握り潰せてしまえそうで、最近更に幼く見えるのはきっとこのせい。
ねえ、痩せたでしょ。ちゃんと食べてんの。

背中に投げたい言葉は次々に浮かぶ。
しかしそれは飴玉みたいに舌の上で転がせば、声になる前に全て溶けてなくなってしまった。


「子どもたちにね、しばらく来れなくなるからって言ったの」
「うん」
「そしたら『明日頑張ってね、ももち』だって。ばれちゃってたみたい」


振り返らずに桃はしゃべり出す。
しんみりと寂しげなのに、でもどこか嬉しさが隠せていないふうで、ふと突発的にその声のしっぽを掴みたくなった。

こちらを向いた桃はどんな顔をしているのだろうか。
気になったけれど、一瞬頭を巡らせて考えだけに留めた。
もし私が見たこともない表情をしていたら、と想像したらこわくなったから。



荒川の河川敷は、住所がないひとたちのキャンプ地になっている。
ほとんど裸のちびっこたちがきゃらきゃらとはしゃぎ声を上げながらテントの間を走り回り、川べりでは茶色く濁った水で洗濯をしている女性がいた。
その隣で水浴びをする老人。夕飯の支度をする家族。
くすぶった煙が空気に溶け込み、魚の皮が焦げる匂いが鼻先をくすぐった。

この川でよく獲れる、ぎょろぎょろの目玉が気泡のように幾つも浮いた、ペンシル状の魚。
確か名前なんてない。
196 :idoloid :2015/04/25(土) 21:19
最先端の文明都市と賞されている今の日本だけれど、その裏側にはちゃんと掃き溜めが存在している。
東京で言えば、山手線の円の外の右側一部地区・イーストエリアと呼ばれる大規模な工業地帯のことだ。

工場施設から悪夢のごとく吐き出される排ガスや排水で汚れた町は、私たちが暮らす地域より明度も彩度も2トーンくらい低い。
ざらついた空気には高濃度で肺がん物質が含まれているらしいけれど、機械にはきっと関係がないし、そもそも長生きも健康も蚊帳の外の話だ。

ひしゃげた長屋や傾いたバラック小屋、みすぼらしいボロアパートがひしめく住宅地に、カラスみたいに身を寄せ合って生活しているひとたち。
中心街の北千住には、大昔の香港にあった建てものにちなんで名付けられた廃ビル『クーロン・ハウス』が、魔王の砦のようにそびえたっている。



いつからだろう。
桃がここに通うようになったのは。

私が訪れたときには、桃はもう既におんぼろ公園の神さま―――いや、アイドルだった。
土と垢で黒くなった子どもたちに囲まれて、歌やダンスを披露したり教えたり。
特に『ももち!許してにゃん?体操』が大人気で、破れるのではないかというくらい服を引っ張られて『許してにゃん?』をせがまれるという、にわかに信じ難いシーンを何度も目にした。

ももち結びを触られそうになってたしなめる口調やからかいまじりのおしゃべり、楽しそうな笑い顔。
目の前の桃はいつもと変わりなかったはずなのに、どこか別人みたいな遠い存在に映って、彼女を中心に出来た円と自分という点の間にはっきりと線を引かれたような疎外感を初めの頃、すごく感じたのを覚えている。



恐らくネットもテレビもない環境で、あの子たちにとってアイドルという存在はきっと、遠くの国の言語や高級なお菓子と同じだったはずなのだ。
桃が現れるまでは。

笑顔がひとを元気にする、とか。
歌がこころを明るくする、とか。
音楽に合わせて踊るだけで楽しくなる、とか。
あの子たちに教えたのは桃だ。

砂漠に花を植えて、その育て方も伝えていった。
やっぱりすごいよ、桃は。
限られた短い時間の中でそんなことまでやってのけるなんて、自分の半径1メートルのことで手一杯な私には考えも付かなかった。
改めて尊敬する。
197 :idoloid :2015/04/25(土) 21:20
ものごころ付いたときにはもう、イーストエリアには近付くなと厳しく言われていた。
単純に治安が良くないのだ。
それにも関わらず桃は、会社のひとたちの目を巧妙にかいくぐってあの場所に通い続けていた。

この秘密を、数年前のある日、私は偶然知ってしまった。
あのときの桃の表情が、瞼の裏に張り付いていて今でも離れない。

誰かに話したらどうなるか分かってるでしょうねえ。
そんな台詞が聞こえてきそうなほど、不気味な威圧感をまといながら、にやりと歪んだ薄いくちびる。
猫みたく細まった、全く笑っていない目。
弱みを握ったのはこちらなのに、なぜか桃は私に堂々と手錠を掛けたのだった。



それからというもの、1ヶ月に2〜3回の頻度で桃が公園へ行くときは、時間が合えば送り迎えをしたり、たまに一緒に付き合ったりなんてことをした。
別に、付いて来いと命じられた訳ではない。
ただ私がそうしたかっただけ。

危ないから近寄るな、なんて桃を説得しようだなんて気は初めから毛頭なかったし、万が一何か起きたとして、なぜ止めなかったんだ、と偉いひとたちに怒られるのも嫌だったし、つまるところ、その、―――心配だったのだ。
幾ら1番の危険区域から離れた場所だからと言っても、イーストエリアはイーストエリアだ。
何かあってからでは遅い。
黙って付き添う私を彼女がどう思っていたかは分からないけれど、そんなことはどうでも良かった。


「みや」
198 :idoloid :2015/04/25(土) 21:21
名前を呼ばれてはっとする。
景色をぼうっと眺めていたせいで、随分歩みが遅くなっていた。
顔を前方に戻すと、数メートル離れた先、桃はあっさりこちらを向いて佇んでいた。

不思議そうにくちびるを突き出して、首を傾げるその仕草。
背景には廃棄物処理場の煙突群と、その根本から天へ昇る道筋のようにサーチライトが幾つも走り、けぶった空を赤く染めている。
耳の近くを飛んだ蝿の、ヴン、という羽音がやけに大きく鼓膜に響いた。

あれ。デジャビュ。
既視感に軽い眩暈を覚え、思わず数回まばたきを繰り返したが、しばらくして納得した。

そうだ。見たことがあるどころか何度だって見てきた。
だってこれが私の日常だったから。


「何て顔してんの、みや」


そう言う桃こそ。
頬にしわを寄せた彼女が余りにも下手くそに微笑むので、私も無理くり口角を上げてみせた。

本当、信じらんないよ、桃。
2××5年3月6日。
私の目の前にいる女の子は、明日死ぬ。
199 :idoloid :2015/04/25(土) 21:21
いつからだろう。
桃にこんな感情を抱くようになったのは。

はっきり言って私は、生まれたときからこころのどこかで桃を馬鹿にしていた。
ファンのみんなの前で振る舞う過剰なぶりっこは鼻白んだし、ツグナガ モモコからしっかり受け継いだ、垢抜けなくて貧乏臭い出で立ちやダサいセンスも見下していた。

仲が悪いという訳ではなかったけれども、お互い気が強くて意見が食い違えばよく衝突していたし、何より目が苦手だった。
ときに飢えた野犬みたくぎらぎらし、ときに誰も信じていないふうに冷ややかに鋭くなる視線。
それを考えれば、今の桃はかなりやわらかくなったし、よく笑うようになった。



私と桃と人間の女の子の3人でユニットを組んだことは確実に転機の1つだ。
女の子が7人いれば、そこから更に気が合う少人数のグループに分かれても普通だけれど、3人はよっぽどのことがなければ割れない。
しかも自分とタイプが違う2人とやっていかなければならない状況は、私自身、新しい己の一面を引き出されるのと同時に、初めて知る桃の顔もあった。

苦手なMCで助けられたり、飛ばしてしまった歌詞をフォローしてもらったり、頼もしさや優しさに触れて、桃に対する見方は変わっていった。
年を重ねていくにつれ、自分と違う考えを個性だと受け入れられるようになったのもあるだろう。
彼女の大人びたところを、壁があって感じが悪いとしか捉えられなかったのも、いつの間にかなくなっていた。



桃が1人でテレビの仕事にどんどん出るようになって、尊敬の気持ちも大きくなった。
私がもし同じことをやれと言われても、絶対に無理だ。
自分の言動で場が白けたり、空気が固まったりしたらと想像するだけで身が縮こまるし、しくじって恥ずかしい思いをするくらいなら大人しくしていようと、つい楽な方に頭がいってしまう。

ある時期、桃に続こうと自分なりに前に出ようとしたときがあったけれど、緊張で胃は裏返りそうになるし、収録中はずっと生きた心地がしなかった。
桃はいつもこれ以上に大変なことをやってのけていたのだ。
傷付かない訳はないのにそれを恐れず、外へ外へ未来を切り開いていく姿は本当に眩しい。
200 :idoloid :2015/04/25(土) 21:22
象徴的なのはあの出来ごとだ。確か4年くらい前だったはず。
オリジナルを辿るみたく36枚のシングル等を再リリースするのとは別に、全て書き下ろしの新曲だけで構成されたアルバムの発売が決まった。
覚えてこいと渡された曲の1つに、サビの高音がかなり出づらいものがあったのだ。
技術者が言うには、音域はメンテナンスのときに操作すれば簡単に広がるらしいけれど、私はわがままを突き通してそれを断り、ボイトレを付けてひっそり自主練習に励んだ。

私はオリジナルを越えたかった。
ナツヤキ ミヤビに出来なかったことを成し遂げて、自分を肯定したかったのだ。
ただ彼女をなぞるだけの生き方に、何とかして意味を見出したかった。

それにナツヤキ ミヤビだって、決して最初から歌唱力があった訳ではない。
歌割りを多くもらって目立ちたいがために、隠れて特訓していたのだ。
彼女に出来て私に出来ないはずがない。

けれどその甲斐も虚しく、レコーディングは苦戦して何度も録り直しをした。
最終的に音源は修正されて、それを聴いたときには悔しかったしひどく落ち込んだ。



その後のライブでの披露も上手くいかなかった。
高い棚にあるものを取るように、爪先立ちして必死で腕を伸ばすのに、手は毎回ぎりぎりのところで空を掴み、声は必ずひっくり返る。
冷蔵庫に放置した野菜みたく、自信は日に日にしなびていった。

しかしあるときやっと、詰まった管からぽんと押し出されるふうに、すんなりと未知の高音が発声できるようになったのだ。
イメージ通りに歌えるとすごく気持ちが良い。
描いたラインに乗って、声が空気を突き抜けていく。
一面を覆っていた暗雲を、直線に進む白い機体が真っ二つに割き、視界がぐんと開けていくみたいな、そんな快感が背骨パーツに沿ってぞくぞくと走った。

続きを読む


掲示板に戻る 全部 次100 最新50

現在のスレッドサイズ:243888 byte

名前:

read.cgi ver5.27 + 0.02 (04/08/03)