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オンパレット

1 :名無飼育さん :2012/08/30(木) 21:23
やじみやあいりしゃこを軸に学園もの短編。
宜しくお願いします。
2 :名無飼育さん :2012/08/30(木) 21:26
「グリーン ケチャップ」
3 :グリーン ケチャップ・1 :2012/08/30(木) 21:27
見慣れない制服を着た私が、鏡の中で迷子になっている。
さっきからブレザーの端をぎゅっとにぎっているのは、そうしないと制服が逃げていきそうだからだ。
心許なさに落ち着かず、私は姿見の前から動けない。
ネクタイを締め直すついでにもう1度、頭のてっぺんから爪先まで、おかしなところがないかチェックをする。


「大丈夫だって、愛理」
「そうかなあ」


背後で笑っている舞美ちゃんと鏡越しに目が合う。
舞美ちゃんは髪の毛をポニーテールに結っている途中だった。
黒く長い、艶やかな、高級馬のしっぽ。
私はくるりと半回転する。


「似合う似合う!丈だってぴったりじゃん!」
「そうかなあ」


最初の、そうかなあ、は殊更不安げに。
次の、そうかなあ、には若干の照れと媚びを含ませて。
我ながら絶妙な配分のニュアンスだ。
内心ほくそ笑んでいる私に舞美ちゃんは、かわいいかわいい!、と頭がもげそうなくらい全力で頷き私を肯定してくれる。

ああ、なんて純粋で真っ直ぐな舞美ちゃん。
大丈夫、本当は分かっているのだ。
この制服がどんなに似合っているかだとか、これを着た自分が周りにどう見られるかだとかなんて。

美人で優しい舞美ちゃんに褒められると、私はもっと特別な女の子になれる気がする。
だからわざとしょげたり自信のない態度を取ったりするのだ。
4 :グリーン ケチャップ・1 :2012/08/30(木) 21:28
家から遠いという理由だけで諦めかけていた夢を、もしかしたら手に出来るかもしれないと知った瞬間、私はあっさり家族を切り捨てた。
突然父の海外赴任が決まり、今後の生活について家族会議が開かれたときのことだ。
勿論ついていくと口にする母と弟、そして満足そうに頷く父の真っ向から、私は断固として日本に留まることを主張した。
当然猛反対され最終的に父には泣いてすがられたが、私が譲ることは決してなかった。
ちなみに赴任先はドバイである。
「ドバイ 抹茶」で検索して得た絶望的な結果も、私を強く後押しした。

こうして1人日本に残った私は、目論み通りいとこである舞美ちゃんの家に転がり込んだのだ。
3学年上の舞美ちゃんはこの春から大学2年生で、私が転校する高校の卒業生である。
つまるところこの制服も舞美ちゃんのお下がりなのだ。

濃いグレーのブレザーに、同色のグレンチェックのプリーツスカート。
萌葱色のネクタイがきりりと上品で、清楚可憐・品行方正な女子校、という評判に恥じないデザインだ。
初めてこの制服姿の舞美ちゃんを見たとき、中学1年生だった私は卒倒するほどの衝撃を受けたことを覚えている。

可愛い。可愛すぎる。
完璧とはこのことを言うのだ。

今日の私の様に、似合うかな?、と恥じらい、スカートの裾をつまんだ舞美ちゃんに、私は知りうる言葉の限り褒め讃えた。
当時から清純派若手女優のオーラを纏っていた舞美ちゃんはいよいよ神々しく、そんな彼女を私はうっとりと眺めて育ってきたのである。

そのとき私は確信したのだ。
この制服を着たら、私はもっと特別な女の子になれる気がする。
雷の様に降ってきた憧れはいつしか植物の様に、私のハートに脈々と根を張っていったのだった。
5 :グリーン ケチャップ・1 :2012/08/30(木) 21:29
「私、嬉しい」
「え?」


急に話を変えた私に戸惑ったのか、舞美ちゃんは目をまるくしている。
私は演技くさくならない様に気を付けて、そっとさり気なく自分を抱きしめてみせた。


「舞美ちゃんみたいなお姉ちゃん、ずっと欲しかったの。
 これから舞美ちゃんと一緒に暮らせるなんて、夢みたい」


はい!ここで俯き加減ではにかむ!
鈴木愛理、パーフェクトです!

上目にちらりと舞美ちゃんを覗くと、彼女は頬を紅潮させ瞳をうるませていた。
そして次の瞬間、あいりぃ!!と叫んだ舞美ちゃんは、私をまるで大型犬を掻き抱く様にホールドしてきたのだ。
痛い。痛いよ舞美ちゃん。骨が折れちゃう。
これは決してハグではない。プロレス技の一種だ。
6 :グリーン ケチャップ・1 :2012/08/30(木) 21:30
「く、くるし…」
「あっごめんねごめんね!」


ああ、慌てている舞美ちゃんも可愛い。
けほん、と小さく咳を落として私は舞美ちゃんに、そろそろ出よう、と提案する。
大学は今日まで春休みだというのに、舞美ちゃんはわざわざ早起きをしてくれて、学校までの道程を案内してくれるというのだ。
途中においしいパン屋さんがあるから教えてあげる、といたずらっぽく微笑む舞美ちゃんに、私はきゅんと胸をときめかせる。
本当に本当に日本に残ってよかった!!

…それにしても。
舞美ちゃんを先に促して部屋を出るとき、私は改めてそっとその隅々を見渡した。

この妙なそわそわの正体は、念願の制服に袖を通したからでも、転校初日の朝だからでもないに違いない。
白を基調とした舞美ちゃんのお部屋の、あちこちから飛び込んでくる、ピンク・レース・花柄。
猫足のローテーブルの脇にはフリルのクッションが転がっていて、窓際にはドレスを着たテディベアが並べられている。
舞美ちゃんの少女趣味は昔からだけれども、未だに本人が背景から浮いて見えてしまう。

いや、こんな違和感なんか直ぐに消える。
だってこれから私は舞美ちゃんと―――!


「ぐふふ」
「愛理、何か言った?」
「あっ!何でもない!何でもないですよ〜ほっほ〜♪」


咄嗟に身体をくねらしその場をごまかす、秘技・何でもないよダンス。
私は慌てて壁の照明スイッチをぱちんと押すと、全てを闇に沈めた。
7 :グリーン ケチャップ・1 :2012/08/30(木) 21:31

8 :名無飼育さん :2012/08/30(木) 21:32
愛理ちゃんのファンに刺される覚悟で書きました。
どきどきしています。
宜しくお願いします。
9 :名無飼育さん :2012/08/30(木) 23:22
(・∀・)イイ!! これは良い感じですね。
策士な鈴木愛理ちゃんを明るい文体で表現した小説を読みたいと思っていたので嬉しいです。

続きを楽しみにしてます。
10 :名無飼育さん :2012/08/31(金) 09:30
>>5の鈴木さんの監督仕様な脳内のセリフが想像できすぎて笑った。
面白いです。あとの2人も楽しみだし、色んな短編が読んでみたいです。
11 :グリーン ケチャップ・2 :2012/09/06(木) 23:21

12 :グリーン ケチャップ・2 :2012/09/06(木) 23:21
舞美ちゃんのおうちがある成城学園駅から小田急線の急行で20分強。
またそこからバスに乗り換え、台地をのぼること15分弱。
校舎は緑に囲まれていて、バス停から校門までは広葉樹の並木道になっていた。
心なしか空気が澄んでいる気がする。
鼻から大きく息を吸い込むと、濃い草木の匂いがした。

大型の公園が隣接していて、晴れた日にはそこでお弁当を食べると気持ちいいよ、と電車の中で舞美ちゃんは教えてくれた。
結局舞美ちゃんは駅のバスターミナルまで見送ってくれて、バスに乗っていると彼女から、頑張ってね!、というメールが届いた。
どこまでも優しい人だ。

魚が群れをなして泳いでいく様に、同じ制服を着た女の子たちが校舎への道を辿っていく。
新品のローファーで私は、亀の甲羅みたいな石畳を踏んでいった。

 ♪2年生になったら〜2年生になったら〜
 ♪友達100人もいらないけどめちゃくちゃ仲良い子が1人出来ればいいな〜ららら〜

どきどきとわくわくとそわそわがミックスされて、変なテンションだ。
いや、いつもテンションおかしいって言われるけど、今はスキップして歌い出したい気分なんだな。
もちろんそんなことはしないけれど。

努めて涼しい顔をつくって、私は歩みを進める。
他の生徒とは別に、教員用の下駄箱で上履きに履き替え、職員室へと向うことになっていた。
クラスは3組になると事前に知らされている。

 ♪2年生になったら〜2年生になったら〜…

思わず口ずさんでしまったフレーズを、私は咳でごまかした。
13 :グリーン ケチャップ・2 :2012/09/06(木) 23:22
「ねえねえ転校生!?どこから来たの!?」
「えっ、あっ、はい!転校生です、ヂ、千葉です!」


始業式が終わって向かった教室の黒板には出席番号と名前が書かれていて、座る席が指示されていた。
廊下側から2列目の後ろから2番目、菅谷さんと鈴木(ゆ)さんにサンドイッチされた場所に私は腰を落ち着けた。
あちらこちらから、誰?、とか、転校生?、とかいう囁きが聞こえてきて、少し居心地が悪い。
あ、かわいいですか?ありがとうございますよく言われます。

探りを入れる様な遠巻きの視線と遠慮ない注目に、自分の背中がどんどん丸まっていくのが分かる。
いやいやだめだめ、しゃんとせねば、と再び顔を上げたとき、私は話しかけられたのだ。
明るい茶髪のショートカットの女の子が、人なつこい笑みを浮かべて私を覗き込んでいる。


「ヂチバ?」
「ううん違うの!千葉。落花生の、千葉」
「千葉って落花生なの?」
「うん、そうだよ。落花生がらっかせい!、なんつって、はは…」
「え、何それ」


彼女の、フレンドリーだった笑顔がみるみる雲っていく。
ああ、やってしまった。噛んだ上にすべった。
せっかく話し掛けてくれたのに申し訳ない。
ううわ、こいつダジャレとか言っちゃう系かよ、めんどくせー。
彼女の心の声が想像出来てますます落ち込む。
そ、そうだ、話題を変えよう!ここは一発自己紹介をば…!
14 :グリーン ケチャップ・2 :2012/09/06(木) 23:24
「わ、私、鈴木愛理っていいます!宜し…」
「あのさ、お話中悪いんだけど」
「え」
「席」
「お、梨沙子」
「そこ、私の席だと思うんだよね」


会話に別の声が交じって、私は驚いて振り返った。
その先にはまた別の女の子がいて、私たちを―正確には私を、じっと見据えていたのだ。

声の主は、白くて小さな顔をした、どこか遠い国のお人形さんみたいな女の子だった。
ふわふわのウェービーヘアーがよく似合う、可愛らしい顔をしている。
しかしそんな甘いルックスとは裏腹の、彼女の発しているオーラや迫力に私は硬い息を飲んだ。
ただ立って喋っているだけなのに、無条件にこちらが一歩ひいてしまう威圧感があった。
佇まいが堂々としているからだろうか、とても同い年とは思えない貫禄がある。

びびって固まっていた脳みそにやっと彼女の言葉が到達して、私は話しかけられた理由を反芻する。
そこ、私の席だと思うんだよね。
ここ、私の席じゃないんですか。


「おはよー梨沙子、ていうか始業式いた?」
「おはよ。いたよ」
「え、だって、この席………うわっ!」
「そう言えば、担任ってロッテンじゃない?」
「間違えてるっ!わーごめんなさいごめんなさい!」
「そーなんだよね、もう本当さいあくだよー」
「いや、そんな謝んなくていいから」


電気コードよろしくぐちゃぐちゃと絡まった会話を、始業のチャイムが無理矢理ほどいた。
他のクラスメイトたちに倣う様に、急いで真後ろの自分の席に座る。
間違えて菅谷さんの席にいたみたいだ。うう、本当に申し訳ない。

ほどなくして、ロッテンと呼ばれていた担任が颯爽と現れ教壇に立った。
40代前半くらいの、女性の英語の先生だ。
彼女の顔を改めて拝見し、私はその呼び名の意味を理解した。
細い銀ぶちの眼鏡にきつそうな目元とひっつめ頭が、なるほどハイジのロッテンマイヤー先生にそっくりだったのである。

ぶは、似てる!なんてナイスなネーミングセンス!
思わずにやにやしてしまい、私は慌てて下を向いた。
ロッテン先生は、よく通る声で簡単に挨拶をし、ぐるりと私たちを見渡した。
ぴしゃりとした物言いは雰囲気通り厳しい。
レンズの表面があつらえた様に、きらりと鋭く反射した。
15 :グリーン ケチャップ・2 :2012/09/06(木) 23:26
その後は、出席番号順に自己紹介をすることになった。
全く考えてきていない訳じゃないけど、どう組み立てればいいか迷う。
先手の子たちのを参考にと耳をそばだてていたんだけれど、例えばさっき声をかけてくれた子―岡井千聖さんは、ルマンドとコーラが好きだと言ってクラスの笑いを誘っていた。

そうか、好きな食べものか。
私の場合、やっぱり抹茶かな。
抹茶、抹茶…
……
鈴木愛理です。抹茶味のものが好きです。みんなも抹茶にはまっちゃいな!
よし!これだ!
………
いや、やめておこう…
いくら何でも初日にダジャレはハードルが高すぎる。
それよりも滑舌の方が問題だ。
あえいうえおあおきゃけききゅけきょ………だめだこりゃ。

難航する脳内シミュレーションを他所に、順番は目前まできていた。
前の席の、あの女の子がゆっくりと立ち上がる。
周りが水を打った様に静かになった。
それにつられた訳ではないけれど、私も自然と彼女に意識をさらわれていた。


「菅谷梨沙子です。美術部です。
 そうですね………宜しくお願いします」
「早いよ!」


絶妙なタイミングで岡井さんのツッコミが入り、またも笑いが起こる。
既に座るモーションに入っていた菅谷さんが、しぶしぶといった様子で再び口を開いた。


「ええー…えっと、そうですね。
 絵を描くのが好きです。油彩。やってます。
 あとはー…そうですね、空かな。
 空見るの好きです。夕焼けの色、好きです。
 あと、魔女とエッフェル塔のグッズ。集めてます。
 えっと、そうですね…宜しくお願いします」


戸惑いながらも、始終落ち着いたトーンで喋る彼女を、深海魚みたいだと思った。
波の流れなど関係なく、彼女は彼女の時間で海の底を渡る。
16 :グリーン ケチャップ・2 :2012/09/06(木) 23:27
私は彼女を見上げながら、小さな予感にときめいていた。
気が合いそう。
何となく、何となくなんだけど。
彼女は、前の学校で一緒にいたクラスメイトとも、中学生のときに仲が良かった友達とも、全然タイプが違う。
でも、仲良くなりたい、友達になりたい。
普段直感で行動する方ではないのだけれど、味わったことのない胸の高鳴りが私を突き動かす。

自己紹介、私の番だ。
小さく息を吸って立ち上がった。
しっかりゆっくり落ち着いて。


「すーきあい、ごほん、鈴木愛理、です。
 千葉の学校から転校してきました。
 私も前の学校では美術部でした。
 この学校でも入りたいと思っています」


小さく息を吐いて続ける。
仲良くなりたい。
友達になりたい。
届け。


「あと、私も空、好きです。
 私は星とか月とか、夜によく見上げています。
 この学校は、自然に囲まれてて、空が広くて、直ぐ気に入りました。
 仲良くしてください。宜しくお願いします」


クラスメイトの温かな拍手に包まれて、私はぺこりとおじぎをする。
そしてそのまま糸が切れた様に、すとん、と椅子に腰を落とした。

私に気付いて。
伝わっただろうか。

しばらくの間ぼうっとしてしまって、周りの音が何も耳に入ってこなかった。
そのせいで、私はクラスメイトの名前を覚えるのに苦労することになる。
17 :グリーン ケチャップ・2 :2012/09/06(木) 23:28
結局自己紹介は時間内に終わらず、残り5人というところでチャイムが鳴った。
教室に張り詰めていた空気が音1つで緩まったのも束の間、なんと彼女は早速こちらを振り返り、美術部入るの?、と話しかけてくれたのだ。
らんらんとした黒目がちの瞳が私を見ている。
嬉しくて、でもそれがばれたくなくて、必死で平然を装った。


「うん、そうしようかなって」
「私、美術部なの」
「うん、さっき」
「それでね、私も好きなの」
「うん」
「絵も、空も」
「うん、私も、好き」


内緒話みたいなやり取りがくすぐったくて、お互い照れ笑いを浮かべた。
どうしよう、顔が熱い。
嬉しい。嬉しい。
何だか頭がくらくらして、つい調子づいてしまった私は、気になっていた疑問を口走っていた。
だって、見付けられない訳ないもの。


「ねえ、本当に始業式、いた?」
「ううん、さぼっちゃった」


いたずらが見付かったこどもみたいに彼女は笑った。
柔らかそうな頬がくぼんで、白い歯がこぼれる。
そのときやっと、彼女のピンク色のチークがさっきよりずっと濃くなっていることに気付いた。
18 :グリーン ケチャップ・2 :2012/09/06(木) 23:28

19 :名無飼育さん :2012/09/06(木) 23:30
遅筆で稚拙で…恐れ入ります。
次は、ジャ、ジャイアンパートだ、ひええ。
宜しくお願いします。



レスありがとうございます。
めちゃくちゃ嬉しいです、励みになります。

>>9
oh!そうなんですね、ご期待に添えれるか分かりませんが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです><

>>10
正直探り探りなところもあるのでそう言って頂けると…!
のそのそ更新になってしまいますが、私も書けるだけ書いてみたいです。
20 :名無飼育さん :2012/09/07(金) 20:08
ほのぼのコメディといった雰囲気がいいですね。今回も笑わせてもらいましたよ。>>14の4段落目が好きだな。

新しい友達との出会いはドキドキしますよね。それがよく伝わってきました。
梨沙子の自己紹介、目に浮かぶわーww

文章がとても読みやすいです。構成がうまいのかな?
21 :名無飼育さん :2012/09/08(土) 18:31
うお、超いい
22 :名無飼育さん :2012/09/10(月) 11:45
ここの鈴木さんは、
とてもナチュラルに賢くそれゆえに打算的な感じがとてもいい。
あいりしゃこは本能的に波長が合う2人ですね。
次の話が楽しみです。
23 :グリーン ケチャップ・3 :2012/09/14(金) 00:44

24 :グリーン ケチャップ・3 :2012/09/14(金) 00:45
自分が美しいと感じたものを素直に言葉にして、それを共感してくれる人がいる、共有出来る人がいるというのは、何て素晴らしいことなのだろう。
菅谷梨沙子―りーちゃんは私にとって、それを許せる初めての友達だった。
うろこ雲が風に流れていく様子や空を焦がす様な夕焼け。
2人してぼうっと見上げては、きれいだね、そうだね、とただ確かめ合った。
月がきれいな夜にはどちらからかが電話をかけて、それを眺めながら他愛ない世間話をするだけで満たされた。

りーちゃんといると、私の中の柔らかくて優しい生きものが勝手に喋り出す。
十分な言葉がなくても他人とつながれることを、私は初めて教えてもらった。

だからかもしれないけれど、長くて複雑な説明が必要なことを私たちは無意識的に省いた。
りーちゃんも私も余り、話す、ということが得意ではなかったせいもあるが、2人の間に飛び交っている、何となく、という感覚の方がはるかに重要で信用出来る気がしたのだ。



彼女と一緒にいたのは、ただ安心出来るということもあった。
わざと不思議ちゃんぶってる。
優等生発言があざとい。
前の学校で仲が良かったクラスメイトに、自分が影で何て囁かれているか知ったとき、突きつけられた感情は諦めだった。
私が冗談を言ったときの目くばせやばかにした態度で何となくそんな感じはしていたし、分かり合えないものは仕方ないのだ。
ただ、人の個性や感性をそんなふうにしか捉えられないのは、貧しくて可哀想だと思う。

りーちゃんは絶対に私のことをそんなふうには思わない。
自分の感情にしか従わない、わがままな獣みたいなところが彼女にはあった。
意思の強い彼女の目は、いつだって自分の選んだものだけを見つめ、そしてそれ以外を寄せ付けない力がある。
また、りーちゃんは嘘や取り繕うことをひどく嫌った。
そんな彼女だからこそ、私は自分の心を寄せれたのだ。
25 :グリーン ケチャップ・3 :2012/09/14(金) 00:46
とにかく一緒にいて楽なの!と私はりーちゃんについて力説する。
ずっと喋りっぱなしのせいで、舞美ちゃんのママの得意料理である豚の角煮はずっとお箸に挟んだままだ。
舞美ちゃんは、うんうん、と頷きながらにこにこ白米を噛んでいる。

夕ご飯の食卓でだったりお風呂上がりの舞美ちゃんの部屋でだったり、その日にあったことを彼女に報告するのが私に日課になっていた。
授業のこと、部活―美術部のこと、りーちゃんのこと。
私が話すテーマは大きく分けて3つしかない。
それでも舞美ちゃんは、それでそれで?、と毎回同じ様な話を前傾で聞いてくれたし、興奮して自分でも何を言っているか分からなくなっていても、嫌な顔ひとつしなかった。


「べたべたしてなくて、さらっとしてるところもいいんだよねぇ」
「あはは!何か汗拭くパウダーシートみたいだね!」
「え、あ、うーん」


おいしそうにごくごく喉を鳴らして麦茶を飲む舞美ちゃんに一切の悪気はない。
でももうちょっと。もうちょっと上手く例えてよぉ。
肯定はしたくないし、でも否定するのも何だし、すっかり冷めてしまった角煮を口に放りこんで、私は言葉を濁した。
お肉の繊維がほろっと崩れる。
おしょうゆのまろやかな風味がじわっと広がった。
26 :グリーン ケチャップ・3 :2012/09/14(金) 00:46
ある日の朝のことだ。
夏服への衣替え期間が始まって、半袖の生徒をぱらぱらと見かける様になった。
登校中、襟首や背中にうっすら汗を感じて、私もそろそろ替えようかなあ、と考えていたら、下駄箱でりーちゃんを見付けた。
彼女もまだその白い腕を長袖で隠している。
汗をかいた形跡も見当たらず涼しい顔をしているりーちゃんを、私はたまに本当に人形なんじゃないかと疑う。

おはよう、と話しかけ、早速衣替えの話題をふろうとしたときだ。
それより早く、りーちゃんは抑揚のない声でこう切り出してきたのだ。


「愛理さ、今日の放課後、時間ある?」
「今日?うん、大丈夫だけど」


何かあるの?という含みを持たせてりーちゃんの顔を覗き込む。
すると彼女は、会わせたい人がいるんだけど、となおも平坦なトーンでそう結んだのだ。

 彼 氏 か 。

正直ちょっとショックだった。ちょっと?、いや、かなり…うーん………
とにかく頭に1番最初に浮かんだのが、ガーン、という効果音だったから、ショックだったのには違いない。
りーちゃん彼氏いないって言ってたじゃんていうことは最近出来たの早いよ誰よ一体どんな人なのさ…!
きっと、娘に結婚相手を紹介されたお父さんはこういう気持ちになるのだろう。

愛理さん、梨沙子さんを僕にください!
…駄目だ。
パパ、お願い!
駄目だ駄目だ駄目だ!


「ちゃ、ちゃんとした人じゃないと、パパ許さんぞ!
 お勤めは?年収は?ご兄弟は?長男?」
「いやいやいやいや。ちょっと待って、何の真似?」
「え?娘さんを僕にください的な…」
「いやいやいやいや。ていうかまず女だから。会わせたい人、女です」


呆れた声で、でも可笑しそうに口元をほころばせて、りーちゃんはローファーを下駄箱に突っ込んだ。
じょ、女性ですか。そうですか。
拍子抜けした様な安心した様な、何だか複雑な気持ちで私も上履きを取り出す。
でも、りーちゃんがこんな改まって、もしや、何か、でもでもでも………!
手元が狂い、私は上履きをぼとりと落としてしまった。
ごろごろごろんとすのこの上を転がったそれは、右足と左足が明後日の方向に散らばった挙げ句、ご丁寧にどっちも裏返しにひっくり返って止まったのだ。
…嫌な予感がする。
その日は放課後までやたらと長く、終礼後、私は身体にまとわりつくもやもやごと彼女に引きずられて学校を後にした。
27 :グリーン ケチャップ・3 :2012/09/14(金) 00:48
りーちゃんに促されて降りた駅は下北沢だった。
私にとって下北沢は、渋谷へ行くときの乗り換えの駅でしかなかったから、そこで降りると聞いたときはいささかわくわくした―なんて呑気なことは言ってられない。
き、緊張してきた。
何せここにはりーちゃんが私に、会わせたい人、がいるのだ。

南口の商店街をずんずん進み、脇道に入ったと思ったら右に左に角を曲がり、路地裏に住む猫のごとく慣れた足取りで、りーちゃんは目的地を目指していた。
途中、あらゆる種類のシロップをかけたかき氷みたいな髪の色をしたパンキッシュなお兄さんとすれ違ったり、ターバンを巻いたインド人らしき団体が激しく口論している場に遭遇したり、それはそれはもう私にはもの珍しい光景ばかりで、段々と未開の地に降り立った冒険家の気分になった。
それに対していちいち、おお!、とか、ひええ!、とかおののいている私の方がりーちゃんには新鮮らしく、その度に彼女はじっと私を見て面白そうに喉を鳴らした。

着いたよ、とりーちゃんが歩みを止めた場所は、古着屋さんや雑貨屋さんがある並びの、くすんだ赤れんがの建てものだった。
カフェか何かなのだろう、木製のドアには、close、と書かれた札が掛けられ、その直ぐ側に黒板で出来たメニューボードがある。
お店の前には様々な植物の鉢が置かれていて小さなジャングルになっていた。

りーちゃんはまるで自分の家に帰ってきたかの様な滑らかな動作でドアを開けた。
わっ!駄目だよりーちゃんcloseはお店が開いてないってことなんだよ!
慌てて止めようと彼女の腕を引っ張ろうとしたところで、奥から女の子の明るい声がして、私は自分の手を引っ込めた。


「いらっしゃいませー、帰ってくださーい」
「…私たち、お客さんなんですけど」
「お店は17時からでーす、お帰りくださーい」
「じゃあもう開いてんじゃん」
「お?…あはっ、本当だ!じゃあドアのプレートひっくり返しといてー」
「もー、自分でやんなよ」


ちょっと待ってて、と残して私の脇をすり抜け、りーちゃんは踵を返した。
不満を口にしながらも、その人、の言うことを素直に聞いている。
命令されるのが大嫌いな、あの彼女が、だ。

その人、が私に気付き、こんにちは、と話しかけてきた。
りーちゃんの後ろ姿をぼうっと眺めていた私は、そこでようやく店の中へ向き直った。
ぎ、と木が軋む音がして、背後で静かにドアが閉まった。
外光が一瞬遮断される。

その人、は微笑んで私を見ていた。
間接照明の柔らかなオレンジ色の光の中、なぜかその影がくっきりと濃く見えた。

あ、どうしよう。読めない。

こんにちは、と私も返す。
目を細め、口角をゆっくり持ち上げた。
笑みの形ならいつだって完璧だ。
28 :グリーン ケチャップ・3 :2012/09/14(金) 00:49

29 :グリーン ケチャップ・3 :2012/09/14(金) 00:49

30 :名無飼育さん :2012/09/14(金) 00:50
目標の量を書けなかった…
短いですが次いつ更新出来るか分からないので、恐れ入りますが取り急ぎここまで。
宜しくお願いします。



レスありがとうございます。
手探り緊張状態で書いてますので本当に嬉しいです。

>>20
丁寧なご感想がありがたいです;;
>梨沙子の自己紹介
そうですねの乱発w

>>21
感無量でございます

>>22
まさにその感じをどう出せるかが課題の1つで…
ありがとうございます、でもまだまだです、難しいです><
31 :名無飼育さん :2012/09/14(金) 23:39
ジャイアンキタ━(゚∀゚)━! 雅に気を許している梨沙子。いいですね〜。
一筋縄ではいかなさそうな相手を前に、愛理はどうなるのか…

少し疑問に思ったことがありまして。愛理が日本に残った理由は、舞美と一緒にいたいから? それとも可愛い制服を着たいから?
おそらく、可愛い制服を着て、特別な女の子を目指す。ついでに憧れの舞美と同居できて嬉しい! ということなのだとは思います。しかしこれだと、一回目の更新で愛理がぐふふしているのは少し表現がオーバーに感じます。制服よりも舞美のほうに熱を上げているように取ってしまう。
舞美との関係や舞美への思いがどうにも曖昧であるように感じるので、そこはもう少し説明があってもいいかと思います。
憧れのお姉さんってことで良いんですよね?
どうも長々と失礼しました。期待が大きいだけに、注文を付けたくなってしまって^^;  安定した更新がありがたいです。次も楽しみにしてます!
32 :名無飼育さん :2012/09/15(土) 00:58
まだ序盤で物語はこれからってときにネタバレみたいなレスしないで
33 :名無飼育さん :2012/09/15(土) 12:57
次回更新が楽しみすぎる!
作者さんのペースと進め方で頑張ってください。
34 :名無飼育さん :2012/10/24(水) 07:34
す、素晴らしい!!
何でもないような日常をここまでリアリティに表現できるとは!
物語の中でメンバー達が個性豊かに動いてますね。次回更新楽しみです。
35 :名無飼育さん :2012/11/13(火) 21:13
続き楽しみ!
36 :名無飼育さん :2012/11/30(金) 20:42
そろそろ続きが読みたいです…
37 :名無飼育さん :2013/08/19(月) 23:53
待ってます
38 :名無飼育さん :2013/08/21(水) 21:47
「イチゴとメロン」
39 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 21:48
鼻につく濃い汐の匂いは、私にとって呪いの象徴でしかない。
たった1車両しか走らないローカル線の、しょぼくれた駅のホームに降り立ったとき、私はいつも絶望する。
暮らしていた頃は全く分からなかった。
世界の果てみたいなこの駅は、山肌を切り崩した中にあるのに、海の気配はここまで漂っている。
きっと暗雲のごとく村全体を覆っているに違いない。

ホームの隅にある錆だらけの駅看板の隣で、私はしばし立ち尽くす。
都内にいたときはほとんど気にならなかった蝉の鳴き声が、ここでは騒音レベルで鼓膜を攻撃する。
太陽はいつもより高い位置から私を見下ろし、そしていつもより強い、暴力的な日差しで私を照り付けていた。
青々とした葉の緑も、鮮やか過ぎて目に痛い。
追い返さんとする自然の圧力に、私はもう完全に余所者なのだと実感する。



回収箱に切符を入れて駅舎の待合室に出た。
木造の小屋は無駄に広く、塗装の禿げた青いベンチが4列ほど設置されている。
そこにぽつぽつと座っているのは野良犬みたいな老人ばかりで、全員が全員、真面目な顔をして前方のテレビを見つめていた。
片時も情報を逃すまいと、じっと食い入る人々の姿は、まるで薄型ハイビジョンの崇拝者だ。
きっと電車だとか人だとか、何かを待っている訳じゃないんだろうな。
扇風機が一生懸命首を振って、淀んだ空気をかき混ぜている。

そのふきだまりの中に、私は探していた人物を見付けた。
若くて目を見張るほどの美人なのに、書き割りの様にこの風景に溶け込んでいる。
彼女はベンチの後方の隅で、誰よりも真剣な眼差しでテレビを観ていた。
なぜそんな真顔でお昼のゆるいバラエティ番組を眺めているのか、訳が分からない。
親の敵が司会者にでもなっているのだろうか。

しかし、その横顔は美しい。
いくら待っても一向にこちらに気付く様子がないので、私は彼女の名前を呼んだ。


「舞美」
「…あっ!みや!」


ようやく私をみとめた舞美は、授業中に指された子どもみたいに勢い良く立ち上がる。
そして、夏の太陽みたいな真っ直ぐな暑苦しさで、くっきりと笑った。
40 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 21:49
矢島舞美からは濃い汐の匂いがする。
それは、彼女が人一倍の汗っかきだからか、海の気配が染み付いてしまっているからか、はたまた私の気にし過ぎなのかは定かではないのだけれど、やはりそれは私にとって疎ましいものでしかない。

わー!みやー!久しぶり!元気だった?!、だとか何とか叫びながら舞美は、がばっと腕を広げ、ずかずかとこちらに近付いてきた。
抱きつかれると予感して、私は咄嗟に身がまえる。
が、彼女は私の手からキャリーバッグを引ったくると、じゃあ行こっかー!、と勝手にずんずん出口に向かっていったのだった。
余りにもあっさりした再会に呆気に取られていると、たちまち舞美の背中は見えなくなってしまった。

急いであとをついていくと駐車場には車体に、旅館 やじま、と書かれた白いバンがぽつりと駐められていた。
留守番をしていた犬を撫でにいくふうに、舞美はそれに近付くと、軽やかに後部座席にキャリーバッグをしまう。
そして助手席のドアを開けて、乗って乗って!と私に大きく手招きしたのだった。

私は一瞬躊躇する。
これはきっと、舞美が運転するんだよね。
………大丈夫なの。

クラッシャー矢島の異名を欲しいままにし、子どもの頃から様々なものを破壊しては伝説をつくり上げてきた舞美だ。
加えて、ど、が付くほどの天然で、アクセルとブレーキ、しょっちゅう間違えちゃうんだよね、あはは、なんてけろっと打ち明けられてもおかしくない。

けれど、私はふと思い立つ。
そうだ。こうやって舞美は客の送迎なんかをして家の手伝いをしているのだ。
荷物を扱う慣れた手付きを思い出し、ほんの少し、だけど確実に暗い感情が湧いた。
経った月日を確認するのにはまだ勇気がいる。
41 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 21:51
乗り込んだ車内はむっと温められていて、たまらず汗が一筋、つるりと頬を滑った。
舞美がエンジンをかけると、ライオンのいびきみたいな音を立てて、ごうごうとエアコンが作動する。


「いやあ、それにしてもあっついねー!」
「うん、本当ヤバい」


次から次へと吹き出てくる汗を、私は化粧を気にしながらタオルでおさえた。
エアコンの口からは未だ熱風が吐き出されていて、涼しくなるまで時間がかかりそうだ。
冷房きくまで開けるね、と呟いて舞美は、運転席と助手席側の窓を全開にする。
そして傍らにあったスポーツタオルを掴むと豪快に額をふき、それをそのまま首に引っかけたのだった。

いやいや、女の子なのにその格好はどうなの。
何でもないTシャツにジーンズ、そして首にタオルを巻いた舞美は、今から庭の草むしりでも始めてしまいそうだ。
でも不思議と似合っているから何とも言えない。

そういえば、あの日も同じ様な格好をしていた。
家を手伝うときは動きやすい服を選んでいるのだろう。
ふりふりしたトップスだとかぴらぴらしたスカートだとか、本人が好きな服装は特別なときにしか見ない。
まあ私が舞美だったら、ふりふりもぴらぴらも絶対ナシなんだけど。



ふと頬の辺りに視線を感じたので隣を向くと、舞美が私をじっと見ていた。
何、と訊くと舞美は、えへへ、と笑ってごまかして顔をそらす。


「いやあ、みやは相変わらずおしゃれだなあって思って!
 もうすっかり東京の人だね!
 さっき駅でもさ、芸能人かモデルさんが来たかと思ったよ!」
「…ありがと」


こうやって大げさでこっぱずかしいことを平気で言うから、舞美は苦手だ。
他の人に褒められたら素直に受け入れられるのに、舞美が相手だと、冷めたスープみたく膜が張る。

舞美は変わらずにこにこしたまま、じゃあ行きまーす!とハンドルを握った。
私は、お願いしまーす、と返事をして、自分のシートベルトがちゃんとしまっていることを横目でちらりと確認する。
42 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 21:52
舞美の運転は意外にも丁寧で上手だった。
なめらかにカーブを曲がっていって、林道をするすると降りていく。
薄くかかったBGMは、恐らく地元の放送局のラジオ番組で、多分今週のJ-POPのトップテンを発表している。
舞美が一所懸命話しかけてくるから、全く内容が入ってこないのだ。

私たちの間の話題は、ほとんど自分たちのこと以外だ。
ももがついに小指を突き指して大騒ぎしていただとか、舞が受験のことで親と大げんかしているだとか、ちっさーが溺れていた子どもを助けて警察に表彰されただとか、千奈美がこの夏、また一段と黒くなっただとか。
私は舞美がしゃべり続ける隙間に、ふうん、とか、そうなんだ、とか相槌をうったり、笑ったり、驚いたりしてみせる。



舞美と2人きりでいるとき、私たちの間には微妙に気まずい空気が生まれる。
性格や好みや考え方が違い過ぎて、お互いどう接していいか分からず、気を遣ったりよそよそしくなってしまったりするのだ。

舞美とは特別仲が良かった訳ではない。
私を含め、家が近所の女の子ばかり12人、昔からよく集まって遊んでいた仲間がいて、舞美はその中の1人だ。
1番歳上の佐紀が舞美と同学年で私の1つ上。
最年少の舞とは4学年も離れていたけれど、子どもの頃からの付き合いなので歳の差は余り気にしなかった。
そのかたまりの中で、私が1番疎遠だったのが舞美なのだ。

でも、今日舞美を呼んだのは、私だ。
夏に帰るから迎えに来て、と頼んだのは私だった。
43 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 21:53
国道まで出ると、視界が開かれて海が見えてくる。
海面は穏やかに凪いでいて、太陽の光を反射させた大きな鏡みたくなっていた。
白くぴかぴかと眩しい。
防波堤に沿ってずらりと漁船が浮かんでいる。
沖へ真っ直ぐ伸びた波止場に、ひしめき合っている民家の地味な色の瓦屋根。
この代わり映えのない景色を見下ろすと、ああ、帰ってきてしまったんだな、と諦めに似た感情が広がってくる。
届くはずのない波の音が、耳の奥でちいさくさざめいた。


「本当久しぶりだよね、みやに会うのって」
「そうだねー、2年ぶりくらい?」
「あ、でも去年のお正月、ちょっとだけ喋った」
「ああ、一瞬ね、あいさつだけ」
「ちゃんと会ったのは、みやたちの卒業式のときかあ」


もうそんなに経つんだね、と舞美は少しだけ目を細める。
待ち遠しにしていた高校の卒業式を無事に済ませたその次の日、私は大掃除を終えたときの様なさっぱりとした清々しい気持ちでさっさと上京した。
それから今日まで、実家には2回しか帰っていない。
いずれも冬休みの短い間だけで、去年なんてクラブのカウントダウンイベントに行きたいがために、年末に1泊しただけだった。
親はもっと帰ってこいとうるさいが、ママは何だかんだ2・3ヶ月に1回のペースで遊びにくるし、佐紀や梨沙子ー仲間内で特に仲の良かった2人にはもっと会いたくもあるけれど、しょっちゅう連絡を取り合っている上に、長期休みのときは必ずこっちに泊まりにきて、一緒に夢の国に行ったり買いものをしに出かけたりするので問題はない。
44 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 21:54
「だって舞美、年末年始忙しいじゃん」
「みやだって、夏帰ってくればいいのに」
「………」
「え、あ、いや、でもみやも忙しいしね!仕方ないよね!」


沈黙を不機嫌になったと取ったのか、舞美は慌ててそう付けたした。
違う。黙ったのは、だってこんな田舎に帰ってきたってやることないし、という言葉を飲み込んだからだ。
私がこう言ったことで、舞美がどうリアクションするか分からない。
でも少なからず悲しむ。

やっぱり私と舞美には距離がある。
ちょっとのことで顔色を伺ってしまう舞美と、いつもの様に振る舞えない私。
私たちのぎこちなさは健在だった。


「でもさ、何でこの夏は帰ってきたの」


そして舞美は更にそう問いかけてきた。
なぜかひどく棒読みだったのは、恐らく考えてきた台詞だからだろう。

何か訊かれる予想はしていた。
自分でも不自然だと思う。
夏に突然帰ってきて、しかも舞美に迎えを頼んだ。
私、が、舞美、にだ。
普通だったら絶対ありえない。
きっと舞美が知りたいのは私が帰ってきた理由ではない。
どうして私が舞美を呼び出したか、だ。

しかし困った。
何か訊かれる予想はしていたのに、どう答えるかを全く考えていなかった。
どうしようどうしよう…!
頭をフル回転し必死で考えた結果、私はやっと口を開いた。
45 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 21:55
「………かき氷」
「えっ」
「かど屋のかき氷が食べたくなったの」


言葉にした途端、とってつけた嘘なのが丸分かりで自分でもうんざりした。
かど屋とは、村にあるちいさな商店だ。
食品や日用雑貨を置いているお店で、駄菓子や文房具も売っているから、子どもの生活には欠かせない場所なのである。
夏にはおばちゃんがかき氷をつくってくれるのだけれど、それはどこにでもある、何の変哲もないかき氷だった。

しかし、ひとを疑うことを知らない舞美は、そっかそっか!美味しいもんね!かど屋のかき氷!と満足げに何度も頷いていた。
良かった、舞美が相手で。
私はほっと胸を撫で下ろす。



でも、ごまかさなくても良かったのかもしれない。
これをきっかけに話してしまえばスムーズな流れだった。
ああ、つくづくタイミングが狂って嫌になる。

私がこの夏に帰ってきた理由。
それはずばり、舞美に会いにきたのだ。
機嫌良さげにハンドルを切る舞美の横顔を眺めながら、私はこころの中で問う。

ママに聞いたんだけど。
舞美がお見合いするって。
それで結婚しちゃうって。
ねえ舞美。
舞美はそれでいいの。
46 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 21:56



◇◇◇◇◇


47 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 21:57
ときの止まった寂れた漁村。
私は自分が生まれ育った場所を、そうとしか説明できない。

どうせ海の側に生まれるのだったら、横浜とか湘南とか、しゃれてて東京に近いところが良かった。
私が知っている海は、透き通ったエメラルドブルーが広がる白い砂浜でも、サーファーや海水浴客で賑わうビーチでもない。
青緑色に濁った、魚を捕るための場所だ。
海辺のコンクリートには、魚の開きが広げられて天日干しにされ、仕事から帰ってきた漁師が昼間からそこら中で酒盛りをしている。
たまに打ち上げられる黒々とした海藻のかたまりは、悪夢みたいだった。
そんな風景をずっと見て育ってきたのだ。
更に夏休みになると子どもたちは、水産工場で海老の殻剥きの手伝いを強制させられる。
指に染み付いた臭いは洗剤で一所懸命洗ってもなかなか取れず、おかげでかわいく飾ったネイルも台無しだった。



そんな辺鄙な田舎の漁村に、小学生のときに引っ越してきたのが舞美だった。
舞美の実家は明治時代くらいから代々続いているらしい老舗の旅館だ。
旅館というよりは民宿といった方が正しいくらいの佇まいだったけれど、昔づくりの木造建築は風格があった。
家を継ぐはずだった舞美のパパのお兄さんが病に倒れてしまったため、急遽舞美のパパがサラリーマンを辞めて、家族ごとこの村に戻ってきた、ということだった。

当時、東京から転校生がやってくると聞いたとき、私はめちゃくちゃ期待した。
私は都会に憧れていた。
ちいさな頃から目立つことが大好きで、おしゃれに並々ならぬ興味があった。
月にファッション雑誌を何冊も買い、新作の服や小物をチェックして、自分が身に付けたところを想像しては胸をときめかせていたのだ。
しかしそれは同時に、虚しさも生んだ。

どうして私は、この雑誌に載っているものの、何1つ手に入れられないのだろう。

着せ替え人形がかわいがられるみたく、色々なテイストの服を着させてもらって、プロにメイクを施されて、カメラの前でポーズをとる、同年代のティーンズモデルがうらやましかった。
少しでもきらびやかな世界に近付きたくて、初めて髪を茶色く染めたのが小学校に上がって直ぐのときだ。
ママにせがんで市販のヘアカラーを塗ってもらったのだけれど、結果、わくわくして覗いた鏡の中にいたのは、ヤンキーの親に無理矢理髪を脱色させられた、目付きの悪い田舎の子どもだった。

私と雑誌の中の女の子たちとは何が違うのだろうか。
行き着く答えの根っこは、やはり生まれた場所だった。

人間は生まれながらに不公平なのだ。
都会の子の目の前に当然に溢れ与えられるものが、田舎じゃ自分から動かなければ手に入らない。
私はこの頃から自分の出生を呪っていた。
48 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 21:57
だから、東京からの転校生という存在は、私にとってすごく特別だったのだ。
どんなにかわいくて、おしゃれな子がやってくるのだろうか。
渋谷のスクランブル交差点の歩き方。
行列が出来るケーキ屋さんの生クリームの味。
東京タワーから見渡す景色。
私が知らないものを知っている、まだ見ぬあの子。

絶対に仲良くなろう。
親友になったあかつきには、原宿に買いものに連れていってもらって、一緒に竹下通りでクレープを食べるのだ。
宝石の様にきらきらかがやく妄想は尽きず、わくわくして眠れない夜を過ごした。
きっとその子は私の人生を変えてくれる。
そう信じてすらいた。



しかし東京からやって来たのは、ぎょろぎょろの目をおどおど泳がせた、がりがりでやせっぽちの女の子だった。
あのときの舞美の服装は今でも覚えている。
きっと百貨店で買った良いものなのだろうけれど、親が選んだのが丸分かりの、一昔前の古くさいデザインの濃紺のワンピース、に、着せられていた。
そんな野暮ったい出で立ちで、千奈美やちっさーの質問ぜめに、顔を真っ赤にして応えていた舞美を、私は遠巻きにぼうっと眺めていた。

がっかりした。
信じられない。
都会にはあんなに沢山の選択肢があるのに、どうしてあんなだっさい格好になってしまうのか。

当時小学5年生だった私は、九九の7の段よりも先にミシンの使い方をマスターしていた。
そうして既製服をリメイクしたりアクセサリーを手づくりすることで、自分の欲と戦い続けていたのだ。
しかし舞美の出現で、必死な自分が余計みじめったらしく感じた。

失望は自分勝手な苛立ちに変わって、私はしばらく舞美を避けていた。
別に仲良くなりたくもなかったし、仲良くなれるとも思っていなかった。

その代わり、私は改めて決意を固くしていた。
1秒でも早くこの村から出ていってやる。
欲しいものは自分の手で掴み取るのだ。
49 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 21:58



◇◇◇◇◇


50 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 21:59
私の家があるのは、駅から海までの途中にある、民家の連なりの一画だ。
しかし私たちはいつの間にか防波堤の近くまできていて、舞美はそのまま駐車スペースに車を駐めたのだった。


「着いた!」
「え、ちょっと舞美…」
「食べよう!かき氷!」


首に引っかけていたタオルをぽおんと放り、舞美はひらりと運転席から降りると、助手席で戸惑っている私に向かってそう笑いかける。
彼女の肩越しに、かど屋、と書かれた古びた看板が見えた。



おんぼろ長屋の隅っこにあるから、かど屋。
誰かがそう言っていた記憶がある。

海沿いの通りに面するその店は、今日もひっそりと存在していた。
入り口のガラス戸はいつもぴったりと閉まっている上に、中が薄暗いから、ぱっと見ただけでは営業しているかお休みなのか判断できない。
真っ黒く変色した木の枠を掴んで舞美は、こんにちはー、と引き戸をそろそろと開けた。
きっと舞美がちからいっぱい扱ったら、直ぐに戸が外れて、上から瓦がぼろぼろ降ってくる。
それを自覚したふうな、緊張感のある慎重さだったので、私は堪えられず吹き出してしまった。

お店の中は、大理石に触れたときみたいにしっとりひんやりしていて、埃とお線香の匂いがした。
醤油の瓶やら洗濯洗剤の箱やらが、白っぽくなって棚に座っている。
はいはい、こんにちは、いらっしゃい、と奥から姿をあらわしたのはお店のおばちゃんで、そのしわだらけの顔を見た瞬間、私はつい叫んでしまった。


「わー!おばちゃんっ!元気?!久しぶりー!!」
「あらあら、まあまあ、ご無沙汰ねえ」


急に上がったテンションのままに、私はおばちゃんの両手をとった。
手のひらに、骨を直接触った様な感触がして、私は思わずどきっとする。
おばちゃんの腕は、枯れ枝みたくかさかさして細くて頼りない。

かど屋のおばちゃんは、私がちいさな頃から白髪頭で腰が曲がっていて、多分そのときからおばあちゃんと呼んだ方がしっくりくる歳だった。
おっとりした話し方で優しくて、私はかど屋のおばちゃんが大好きだったのだ。
51 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:00
かど屋のかき氷は昔と変わらず、イチゴとメロンとレモンの3つしか種類がなかった。
私は悩んだ挙句イチゴを選び、舞美はメロンを頼む。
おばちゃんは、亀の様にゆっくりしたモーションで、アイスケースから四角い氷のかたまりを取り出すと、それを電動のかき氷機にセットして、がりがりと氷を削ってくれた。

ペンギンの絵が描かれた薄い発泡スチロールの器に、こんもりと盛られたかき氷。
ストライプのストローを差し、私たちはお礼を言って店を出た。
ちなみに値段は100円だ。安過ぎる。



水産工場を軸に、船が泊まる波止場とは反対側にちいさな砂浜があり、その堤防に私と舞美は並んで腰をおろす。
人通りは少なく静かで、小石や砂利ばかりの浅瀬を私たちはよく遊び場にしていた。

空と海を分かつ水平線が、白く光って遠く目の前に広がっている。
潮風は絶えず私の嫌いな匂いを運んで、肌や髪にべたべたと張り付いた。
この日、私はショートパンツに生脚だったのだけれど、コンクリートにこもった熱が直接素肌に伝わってきて余計に蒸し暑い。
日差しは少し和らいだものの、ただ座っているだけなのに、じんわりと背中に汗が滲んだ。
乾いた喉に、かき氷がひんやり染み込んで気持ち良い。


「メロン、食べる?」
「食べる」


舞美がスプーンにすくった氷を差し出してきたので、私はひな鳥みたいにしてそれを食べた。
イチゴ味で充満していた口の中に、メロン味がするりと侵入する。
人口的なその味は、直ぐ舌に馴染んで、おいしい。
どこかのカフェのデザートで、かき氷のシロップに本物の果物を使っていたけれど、それは最早別の食べものな気がする。

気付けばそんな私の様子を、舞美が親鳥の様に見守っていたので、急激に恥ずかしくなった。
私はお返しに自分の器を舞美にずいっと向けて、勝手にすくって食べろと促す。
52 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:01
私たちは海を眺めながら、しばらく無言でかき氷を食べていた。
控えめに響く波の音と、しゃくしゃくと氷を掘る音だけしか耳に入ってこない。

最後に、容器の底に残った赤いシロップ水を飲み干す。
舞美はとっくに食べ終えていて、おいしかったね、と笑いかけてきた。
ちらと覗いた舌が緑色に染まっている。

空の容器を手持ち無沙汰にいじっている舞美は、行こうか、と言うタイミングを図っているふうだった。
そうなる前に。
私はひとつ息を吸う。


「あのさ、ママに聞いたんだけど」
「うん」
「舞美、お見合いすんの?」
「えっ、えっ、えええ?!な、何でそれを…!!」


目玉をこぼさんばかりに驚く舞美に私は呆れる。
ここだけの話とか秘密とか関係ない。
田舎の噂話なんて、煙みたいにたちまち広がるのだ。


「で、結婚するって聞いた」
「いや、それは違う!そんなことまで決まってないよ!」


そもそもお見合いっていうか隣のおばちゃんとうちの両親が勝手に盛り上がってるだけなのああ相手のひとが隣のおばちゃんの甥っ子さんらしいんだけどいつの間にか日取りと場所も決まってて私もびっくりしててそれでそれで…!

しどろもどろで説明をしている舞美は明らかに焦った様子で、みるみる内に顔がゆでられたみたいに真っ赤になった。
大粒の汗がだらだらと噴き出している。
ぐい、と引っ張ったTシャツの襟でそれをぬぐうと、暑い暑い!、とひとりごちて、そのまま首元をあおいでいた。

そして、玉が落ちる寸前の線香花火を見つめているときの様な、じりじりとした沈黙のあと。
舞美はそれこそぽつりと、儚くちぎれた火の玉みたく、でも、良いひとだったら結婚する、かも、とちいさく呟いたのだった。
53 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:02
「は?何で?」
「いやあ、こうでもしなきゃ私、結婚できなさそうだし」
「何それ。別に、そんな」
「やっぱさ、邪魔なんだよ。お兄ちゃんが家継ぐからさ。早く出てかなきゃ」
「それにしたって、早過ぎじゃん」
「田舎じゃちょうどいいくらいなんじゃないかな」


弱々しく眉毛を下げる舞美とは対照的に、私は着火したてのねずみ花火の様にばちばち語気を強めていく。
舞美の口から、田舎、なんて聞きたくない。
いらいらする。
ふてくされた子どもみたくなっている自分にも、大人ぶった態度の舞美にも。

怒りが形になったかのごとく、私のこめかみからも汗が伝った。
舞美はいいの、と私は半ば睨みつけるふうにして舞美の目を覗いた。
吸い込まれそうなくらい真っ黒い彼女の瞳は、怯むことなくそれを受け止める。
動揺しないところにも腹が立つ。
ああ。
私はもう1度口を開く。


「舞美はそれでいいの」


だって。
だって、舞美は―――
54 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:03



◇◇◇◇◇


55 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:04
田舎のラブホテルは無法地帯だ。
普通、制服では入れないのを、私は東京の専門学校の友だちから聞いて知った。
だからその日も、夏休みの補講をさぼって、真っ昼間からイチャイチャしていたのだけれども、当然私は制服を着ていた。

高校生活最後の夏。
そして、この村で過ごす最後の夏になるはずだった。


「ここで大丈夫」
「あ、そうお?」
「飲みもの買ってくから。じゃあまた」
「うん。また連絡するわ」


海沿いの通りで降ろしてもらって私は、ちいさくなっていく黒い車体を見送った。
やっぱり車は良い。
バイクの後ろと比べて、目立って近所のひとに何やかんや騒ぎ立てられることもない上に、遠出も楽だし、夏の暑い日も冬の寒い日も快適である。
私は以前付き合っていたバイク乗りの顔を薄ら思い浮かべて、その額にばってんを描いた。



もちろん村にコンビニなんてものはない。
家の周りにも自動販売機くらいならあったけれど、近所まで送ってもらうつもりは元からなかった。
かど屋には一応、水とお茶と炭酸ジュースがそれぞれ1種類ずつくらいは常備してある。
どれにしようかなあ、とか何とかぼんやり考えながら踵を返したのと、あっ、と静電気が弾けた様な声がしたのがほぼ同時だった。

振り返った視界の端が白い光線にちりちりと焦がされて、私は思わず眉をしかめる。
その影がひどく揺らめいて映ったので、私は一瞬、夏が見せた幻だと錯覚した。
海の形に沿ってゆるやかにカーブするアスファルト。
その先にいたのが舞美だったのだ。
56 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:04
7年という歳月は、私と舞美、そしてこの寂れた漁村に平等に降りかかっていた。

髪を明るく染めた目付きの悪い小学生は、周りの予想通り、漁師のおっさんからギャルだのヤンキーだの囃されながら田舎のバカ高に通う、茶髪の女子高生に順当に育ち、棒切れみたいにやせた身体を自信なさ気に丸めていた転校生は、すっかり村の空気に溶け込み、爽やかではつらつとした、きれいなお嬢さんに変貌していた。

村という器の中では、ひとの成長・衰退や文明の発達など、めまぐるしい変化がもたらされていたけれど、器自体の外観は7年前と全く代わり映えしなかった。
いや、ときが止まった村だと思っていたけれども、それなりに変わったところはあった気がする。
時代と逆行して煙草の自販機が1台増えたのと、公民館が一部改築されたのと………それくらいだ。



その頃の私といえば、卒業式までの日を逆算してカウントダウンするのを日課にしていた。
あと194日。あと193日。あと192日…
毎晩手帳を開いて日にちを数えていた私は、さながら出所を待ち遠しにしている囚人だった。

秋には都内の服飾系の専門学校の受験を控えていたけれど、受かればラッキー、落ちたらアパレルショップかどこかで働けばいいし、と楽観的に考えていたので、残りの高校生活は気楽な消化試合みたいなものだったのだ。
この先に待っている、希望に満ち溢れた新しいスタートが楽しみで仕方なく、私の頭の中はそのことでいっぱいだった。
57 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:05
一方舞美は、家からバスと電車を乗り継いで片道2時間弱のところにある公立大に通っていて、サークルなどには入らず、空いた時間や休みの日は旅館の手伝いに明け暮れていた、らしい。
らしい、というのは伝聞でしか舞美の近況を聞かなかったからだ。
この頃にはだんだん仲間内全員で集まるということも少なくなり、人づてに情報が回ってくることの方が多かった。

地元で1番頭の良い高校に入学した舞美は、陸上部に入部し、様々な大会でかがやかしい成績をおさめていた。
ルックスも相まって話題が話題を呼び、ローカルのテレビ局や新聞社の取材をよく受けていて、ちょっとした有名人になっていたのだ。
頭良し、運動神経良し、器量良しの、今どき珍しい真面目な孝行娘。
舞美は、悪い意味で有名人だった私とはまさに真逆の人生を歩んでいたのだった。



ここまで何もかも正反対だと、最早私は舞美のことを違う星に生まれた宇宙人だとしか思えなかった。
未だ校則に縛り付けられているかの様に黒髪を守り、垢抜けない服装をし続け、羽目を外して遊ぶこともせず修道女みたいな生活を送り、こんな田舎に好んで馴染み留まっていた舞美とは、到底分かり合えるはずがないのだ。

そのため、他人が語る舞美に、私は何の興味も関心も湧かなかった。
いよいよ疎遠になっていたこのとき、私たちがまともに顔を合わせて会話を交わしたのは、何年ぶりかも分からないくらいだった。
58 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:06
目が合ったのに無視するのはさすがに気が引けるので、私は半ばしぶしぶ舞美の方に歩み寄った。
久しぶり、と舞美は微笑んでいたつもりなのだろうけれど、凍った顔面の筋肉を無理矢理動かしたみたいに、頬の辺りがこわばっているのが見るからに分かった。
気まずいのはこっちも一緒だっつの。
そう考えると口の中が苦くなる。

買いもの帰りなのだろう、ぱんぱんに膨らんだトートタイプのエコバッグを肩から下げて、両手にスーパーの袋をぎゅっと握っていた。
明らかに買い過ぎである。
しかもこの炎天下、スーパーから30分強の道のりを歩いてきたとみて、水をかぶった様に汗だくだった。
首筋を伝った汗が水色のタオルに吸い込まれていく。
そう、このときの舞美も首にタオルを引っかけていた。
細かい服装までは覚えていないけれど、相変わらずどうでもいい格好してるな、とこころの中で毒付いたのは記憶にある。
そのまま去っていく訳にもいかないので、私は舞美の左手の袋の持ち手を掴んだ。


「こっち持つよ」
「えっ、いいよっ!」
「持つって」
「大丈夫大丈夫!私力持ちだしっ!」


大げさにのけぞっては後ずさりし、全身で拒否の姿勢を貫く舞美に溜め息をつきたくなる。
別にこれくらい遠慮しなくても。頑固者め。
力持ちでも女の子でしょ、と言っても、大丈夫大丈夫!、と繰り返すだけだった。


「じゃあ持ったげるからさ、補講さぼったの黙っててよ」


ううん、我ながら名案だ。
悪代官の気分でにやりとくちびるをゆがめると、舞美は一瞬きょとんとしたあと、あはは!分かった、と声を上げてやっと手のちからを解いた。

私の前じゃ引きつった顔ばかりだけれど、舞美は100%で笑うと、頬が盛り上がり、目が黒い糸みたいに細まってやわらかく弧を描く。
本当に楽しそうに笑うから、その表情は好きだ。

受け取ったビニール袋は予想以上に重く、ずっしりと手のひらに食い込んだ。
ちらりと中身を覗くと、確認出来ただけで、牛乳パックが2本と缶ビールが6本と大きめの瓜が入っていた。
筋トレか。
59 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:07
そして私たちは、他愛のない世間話をしながら、並んで舞美の家まで歩いた。
梨沙子が画塾に通い始めただとか、熊井ちゃんと愛理が違う高校同士なのに抹茶同好会を設立しただとか。
午後の日差しは容赦なく、脳天や肌をじりじりと焼いていく。
いつの間にか、汗で濡れた背中にシャツがぴたりとくっついていた。

私は思い付く話題を思い付くまま口にしていく。
茉麻が下くちびるをやけどしてたらこが1.5倍に増量中だとか、なっきぃはよく分からなくて、佐紀が妙な挨拶をバイト先で流行らせているだとか。
空白を埋める作業みたいなおしゃべりだ、と、そういう考えがふと頭をよぎった。
ロボット同士が会話しているところを想像したら背筋が寒くなったので、私はすぐにそれを打ち消す。
いくら疎遠だとはいえ、余りにもそれは寂し過ぎる。

あ、そういえばなっきぃって、と私が話し始めたそのときだ。
唐突に舞美は会話をぶった切った。


「付き合ってるんだよね」
「えっ」
「車のひと。あ、千奈美から聞いて…」
「んん、まあ」


本当はもっと不適切な関係だけれど、別に舞美に説明する必要もないし、そういうことにしておいた。
情が湧いてこの土地から離れられなくなるといけないので、2年前くらいから特定の相手はつくっていない。


「舞美はいないの、彼氏とか」
「えっ、あー、うーん、いないねえ」
「そういう話、舞美から聞いたことない」
「そうだね、そうかも」


自分からふってきたくせに舞美は、自分がふられたらぼんやりと返答をよこしてきた。
そういえば、舞美とは恋愛関係の話をしたことがない。
これだけ美人で女の子らしい性格なのだから、きっともてるはずなのだろうけど、何となくこういう話題は苦手そうな気がして、意識的に触れないでいたのだ。
60 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:08
でも、いまいち壁があって仲良くなれないのは、このせいかもしれない。
踏み込んだ話で盛り上がったら、もしかしたら。
事件解決の糸口を発見した探偵の気持ちで、私は少し前のめりになる。


「舞美はどういうひとが好きなの。ほらタイプとか」
「タイプかあ、そうだなあ」


自分のでもひとのでも、恋愛の話は好きだ。わくわくする。
舞美が好きそうなタイプか。
個人的には、スポーツマンで爽やかなひとが良いんじゃないか、なんて。
お似合いカップルって感じでさ。
天然でおっちょこちょいだから、きっと歳上のしっかりしたひとに引っ張ってもらうのもアリだ。

おしゃべりのエンジンはぐんぐん温まっていく。
大学にはいいひといないの、とか、合コンとかしないの、とか、質問は次々に浮かんできた。
自分が近所のおせっかいおばさんになってしまったみたいで、おかしい。

しかしためらわずブレーキをかけるのが、舞美だ。
うーん、と唸って天を仰いだあと、彼女はさらりとこう答えたのだった。


「私ね、女の子が好きなんだ」
61 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:09
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
私は口をぽかんと開けたまま、まじまじと舞美の顔を眺めてしまう。
は、とくちびるの間から発せられた声は、疑問形にもなりそこねたくらい、本当にただまぬけに漏れただけだった。
何を。急に。そんな。どうして。どうして私に。
当の本人は、言っちゃった、へへ、といたずらがが見付かった子どもみたいな表情をしている。


「ごめん、びっくりした?」
「まあ、そりゃあ、それなりに…」
「初めてひとに言ったよ」
「え」
「ずっと誰かに言いたかったんだ」


ひみつ。
そう囁いて舞美は、立てた人差し指をくちびるにくっつけ、やわらかく目を細めた。

戸惑いにゆらゆら揺れていた私の瞳は、そのとき確かにぴたりと動きを止めた。
フォーカスする私のレンズ。
釘付けになるとはこういうことをいうのか。
ずるい。悔しい。
初めて見た。舞美のあんな表情。
大人びていて、今までで1番きれいだった。

あ、そう、と私はわざと素っ気なく返事をした。
そのあと私は、舞美の家まで行き荷物を置いて自宅に帰ったはずなんだけれど、この日のことはここまでしか覚えていない。
62 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:10



◇◇◇◇◇


63 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:10
まいみはそれでいいの、と私の言葉をちいさく繰り返すと舞美は、余韻を味わう様にして、くちびるをにやにやとゆがませた。
私はそれを見て、むっと眉根をよせる。
こっちは真剣に話しているのに、何だその態度は。
舞美はそれを見て、わっと慌ててかぶりを振った。


「あっ、ごめん!いや、みやには前にも言われたなあって、思い出しちゃって」
「うん」
「舞美はそれでいいの、って。中学生くらいのときに…」
「覚えてるよ」


私は半ば遮るふうにして発声した。
覚えている。
私は中学2年生で、6月のじめじめした季節で、窓の外はひどい大雨だったのも覚えている。
授業で暗記させられた、百人一首や元素記号なんかはきれいさっぱり忘れてしまったけれど、あのときのことだけは覚えている。



それは、放課後に佐紀のクラスへ遊びに行ったときのことだった。
教室にはももと舞美も残っていて、ちょうど進路の話をしていた。
3人とも頭が良かったから、同じ高校を第一志望にしていて、いつになく団結していたのだ。
自分がその学校に行くのは到底無理、というか進路調査の希望欄に書いただけで呼び出しをくらうことくらい分かっていたので、珍しくちょっとだけ疎外感を感じていた記憶がある。

話題は高校受験のことから発展し、大学進学、果ては将来の夢についてまで広がっていった。
私の場合、小学生の頃から一貫して、東京に出てアパレル関係の仕事に就く、と決まっていたので、他の3人の話の聞き役に回っていた。

☆ももちのお姫さまプロジェクト☆という、要約するとかわいいお嫁さんになって子どもたちのかわいいママになりたいという素朴な夢に、生クリームを塗りたくりチョコレートシロップとキャラメルソースをバケツで流しかけあらゆるフルーツをごたごた飾り付けしててっぺんにティアラを乗っけた壮大で甘ったるい物語をひとしきり時間をかけて語ったももは、げんなりしている私と佐紀を尻目に、舞美はどうなの?、と大人しく楽しそうに演説を聞いていた彼女に話をふった。
突然指名された舞美は、えっ!、と背筋を伸ばし、そして頬を赤らめた。
照れた表情で、大切な、とっておきの歌を口ずさむみたくして、舞美は夢を言葉にする。
64 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:11
それに私は態度を一変させたのだ。
は?と急に低い声を出した私に、3人とも驚いて顔をこわばらせていた。
でも止まらない。
私は強い口調で一気にまくしたてた。


「それって本当に舞美の夢なの。親の希望じゃないの。
 家の仕事と舞美は関係ないじゃん。
 こんな田舎にいる必要ないし、もっと自由なんだよ。
 人生は1度っきりなのに。ばかみたい。何それ、舞美はそれでいいの」


舞美が語った夢は、家を継ぎたい、旅館を立派に切り盛りして、母の様になりたい、だった。
別に、普段だったら、ふうん、いいね、なんて言って流していた。
舞美は舞美。みやはみや。
他人が何に憧れて何を望んでいるかなんて、自分には関係のないことだし余り興味もなかった。

しかし、そのときは虫の居所が悪かったのだ。
その前の晩、パパから頭ごなしに上京を反対された。
まだ先の話だというのに、家を出ることを悪かのごとく罵られ、口論はヒートアップし大げんかに発展した。
このときも本当は、佐紀に愚痴を聞いてもらおうと3年生の教室を訪れたのだ。

そして、つっかかってしまった。
こんな何もないちっぽけな世界で生きることを良しとしている人間を、私はこころの中で見下しばかにしていたのだ。
いつもはそれに蓋をして隠してきたのだが、このときばかりは我慢ができなかった。
外へ外へ未来を切り拓いていく自分こそが正しいと肯定したかったのだ。
65 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:12
気まずい空間に、降りやまない雨のざあざあという音だけが響いていた。
佐紀は嵐をやり過ごす様にうつむき、ももは何か言いた気な目でじっとり私を見ていた。
一緒にいることが多かった2人には、感情をむき出しにする機会は少なくなかった。
しかし、舞美に真っ向からぶつかっていったのは初めてのことだった。

泣かせてしまうかも。
少し冷静になった頭ではそんなことを考えていた。
私の中の舞美の印象は、おどおどした転校生で止まっていたのだ。

しかし私の予想に反して、舞美の目は涙に濡れてなどいなかった。
舞美の瞳はぎらぎらと怒りに燃え、真っ直ぐに私を睨みつけていたのだ。
怯んだのは私の方だった。


「何でそんなこと言うの。みやには関係ないじゃん」


いつになく厳しく冷たい口調の舞美に、佐紀も、ももも、目を丸め呼吸すら忘れているふうに固まっていた。
もちろん私も。

こんなに怒りをあらわにした舞美は見たことがなかった。
いつも穏やかで、にこにこしていて、舞美が怒るところなんて想像したことすらなかったのだ。
襟首の隙間に雨粒が落ちてきたかのごとく、背筋がすうっと冷たくなった。
私は明らかに動揺していて、それを堪える様に、ぐっとくちびるを噛んだ。
そしてそんな私に向かって舞美は、きっぱりと言い放ったのだ。


「うちの仕事をばかにしないで」
66 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:13
頬を思いっきりはたかれたみたいな衝撃だった。
親は別として、仲間内だけでなく、周りで私に歯向かってくるものなんて、ももくらいしかいなかった。
教師ですら私の顔色を伺って媚を売っていたのだ。
まさか。まさか舞美に。

そして私は、その場で堪え切れず泣き出してしまった。
今でこそ映画の感動シーンやお涙ちょうだいエピソードでも簡単にぽろぽろ泣く様になってしまったのだけれど、この当時は滅多なことがない限り、涙なんて流さなかったのだ。
悔し涙以外は。

そう、私は悔しかったのだ。
ばかにして見下していた相手に打ちのめされたこと。
そしてそれに何も反論できなかったこと。
八つ当たりしてしまった恥ずかしさと一緒に、それは私の胸に深く刻み込まれた。

私は中学2年生で、6月のじめじめした季節で、窓の外はひどい大雨だった。
きっと私は一生忘れない。
67 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:13
「あのとき、みやにああやって言われてね、私も考えたんだよ。
 でもさ、性格なんだよね。1度決めたことは曲げられなくて」


あはは、と苦笑いを浮かべて舞美は、自分の膝を引きよせて、体育座りの形でちょこんとちいさくなった。
遠くを見つめる眼差しは、静かに凪いだ海を映している。

私はそれを黙って眺めていたけれど、お腹の底からは言いたい言葉が次々と泡の様に立ち上り、声にならずに消えていった。
曲げられなくて、って何。
嘘つき。
結婚するかもって、それって曲げてる。
思いっきりぐんにゃり曲げてる。

考えただけで肺を押し潰されたかのごとく息苦しくなる。
でもその度に、私は何度でも確かめさせられるのだ。
私を支配している感情は憤りではない。
あの強情で頑固で芯の強い舞美が、1度決めた選択を曲げざるを得なかったことがやるせないのだ。



ママから舞美のお見合いの話を聞いたとき、最初に私の身体を駆けずり回ったのは、確かに怒りだったのだ。
お見合いって。
結婚って 。
舞美そのひとのこと好きになれんの。
しかも家を出るって。
何それ。
じゃあ舞美の夢は。
舞美の夢はどうなっちゃうわけ。

しかし気付いたら、電話口で私は無意識的に、苦しくなった胸を押さえていた。
切ないという感情がこんなに痛みを伴うものだとは知らなかった。

同時に、不思議な感覚でもあった。
別にそこまで仲良くなかったのに。
むしろ苦手ですらあったのに。
確実に私の心臓は今、舞美にぎゅっと握られている。
68 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:14
なぜ舞美は私に秘密を告白したのだろうか。
ずっと疑問だった。
私が村を離れる人間だから。
余り考えずにそういう結論にしておいていた。

しかしこれをきっかけに、私は実行したのだ。
私と舞美が出会ってから今までの間に、沢山散らばっていた、まさか、と、もしかしたら、を線で結んでいくこと。
形にすることに意味はなかった。
けれど、どうしても形にしてみたかった。

が、途中で面倒臭くなった。
まどろっこしいことは嫌いだ。
だから私は舞美に会いにきたのだ。
私は舞美に問いかけた―――いや、確認した。


「舞美、みやのこと好きだったでしょ」


ぴくっと肩を震わせて、舞美は私の方を向いた。
無表情の彼女はマネキンみたいに感情がなさそうに見える。

しかしそれから、やっと血が身体の端へ行き渡ったというふうに、ゆっくりと舞美はくちびるの端をつり上げた。
あの日と同じ様にして、やわらかく目を細める。
そしてちいさく首を振ったのだった。

え。何それ。
拍子抜けした。
肩に入っていたちからが放たれて、そこで初めて自分が少し緊張していたのが分かった。

何それ何それ。
ていうかみや、めっちゃ恥ずかしいんですけど。
羞恥に顔が熱くなってくる。

しかしそれに気付かず冷水を浴びせてくるのが、舞美だ。
舞美はぽつりと呟いた。


「ううん。今でも好きだよ」
69 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:15
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
私は口をぽかんと開けたまま、まじまじと舞美の顔を眺めてしまう。
でも今度は、はあ?、と疑問形で、明るくてふざけた声が出たので安心した。
舞美は私を見たまま照れくさそうにはにかみ、こてんと頭をひざの上にあずけていた。


「ごめんね、性格なんだ。1度好きになったら曲げられなくて」


長い髪がさらりと流れ、それから覗いた耳がじわじわと赤くなっていく。
その様子が、私にはおかしくておかしくてたまらなかった。

何それ。ウケる。
信じらんない。
私も笑った。思いっきり、声を上げて笑ってやった。

舞美の肩をばしんばしんと叩き、むんずと掴んでぐらぐら揺さぶる。
痛い痛い、腕取れちゃうよ、とおどけながらも、舞美はされるがままになっていた。

呪われている。縛り付けられている。
ばかみたい。
かわいそうだな。舞美も。私も。
70 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:15
夏の空は青から白へ。
もう少しすればあっという間にオレンジ色に染まり、くすんだ紫に侵食され、濃紺の闇が訪れる。

ぴいーぷうー、と遠くから脱力系の音色が聞こえてきた。
3丁目の豆腐屋さんのラッパだ。
どの家も夕飯の支度を始めようとする時間帯に、自転車の荷台に豆腐の入ったたらいを積んで、店のおっちゃんがラッパを吹きながら村中を売り歩くのだ。
そしてそれは子どもの頃、そろそろ家へ帰る時間だと知る合図でもあった。



私は舞美の腕に自分の腕をくっつけた。
汗と潮風でべたつく肌と肌。熱い体温。
海の匂い。
細い糸をたぐるみたいに、私は彼女の名前を呼んだ。

それは恐らく、泣いている飼い主の涙を犬が舌でぬぐう仕草に限りなく近い。
けれど、哀れみや愛しさという感情が人間だけでなく犬にも生まれるものならば、それで十分かな、とも思う。

顔を近付けたら目を瞑ったので、私は舞美のくちびるに、自分のくちびるを押し付けた。
71 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:16



◇◇◇◇◇


72 :イチゴとメロン :2013/08/21(水) 22:17



◇◇◇◇◇


73 :名無飼育さん :2013/08/21(水) 22:18
約1年間も放置してしまい、申し訳ございません。
諸事情により、前作の続きが書けなくなってしまいました。
途中で放り投げてしまう無責任さ、読んでくださったすべての方にお詫び申し上げます。

しかしながらメロウクアッドのMVを見ていてもたってもいられなくなり、またのこのこ書きに現れてしまいました。エイヤサ。
やじさんとなっさんの、夏のお話です。
一部不適切な人物の登場及び表現がありますが、相手はすべてブリカツくんです。
N.G.な方もいらっしゃるはずですので、一応注意書きをば。上げちゃうけど。
宜しくお願いします。



せっかくレスまでくださったのに、本当にすみません…

>>31
ううむ、なるほど、おっしゃる通りです。
ひとりよがりになりがちで、ひとにどう伝わるのかは自分だけでは分からないので、ご指摘ありがたいです。
>安定した更新
いたたたたた

>>32
お気遣いありがとうございます><

>>33
温かいお言葉、ありがとうございます。
そしてすみません…

>>34
嬉しいご感想、ありがとうございます。
そしてすみません…

>>35
すみませんすみません><

>>36
ごめんなさいごめんなさい><

>>37
勝手ながら、こんなに時間が経っているのに待っていてくださる方がいることに感激してしまい胸がいっぱいになりました。
しかしそれと同じくらい申し訳なさも感じております…本当にすみません。
74 :名無飼育さん :2013/08/22(木) 10:09
すごくイイです…!二人が本当にそういう生い立ちでそこに生きてる人みたいでした
進路の話のところ、特に印象的でした。
みやが何を考えてたのか分かってから読み返すとまた違う趣があっていいです。
75 :名無飼育さん :2013/08/23(金) 00:24
おかえりなさい。残念ですけど、今回の更新でいいもの読ませていただきました。
76 :& ◆/p9zsLJK2M :2013/08/26(月) 01:43
レスしないほうが良かったかな、と思いましたが
少しでもきっかけになったのなら嬉しいです。
続きが読めないのは残念ですが今回のお話もとても好きです。
更新してくれてありがとう。
77 :名無飼育さん :2013/09/01(日) 23:35
レスありがとうございます。
とても嬉しいです、書いてよかった…;;

>>74
読み込んで頂き光栄です。
勢いに任せ過ぎて、ひとに伝わる作品になっているか心配だったので、お言葉、かなり励まされました。

>>75
温かいお迎えの言葉、すごく嬉しいです。

>>76
こちらこそお読み頂きありがとうございました。
そしてお気遣いまで…
いやあ、もう誰も見向きもしてくれないんじゃ、という不安がありましたので、>>76さんのレス、とてもプラスになりました。



では、最後に。
前作をお待ち下さった方や今作をお読み下さった方に感謝の気持ちを込めまして、最後にもう1本書きたいな、と。
前作で書き切れなかったテーマや言葉を、別の形にちゃんとさせてから成仏します。
上がりは未定ですが、またお暇つぶしにでもなれば幸いです。
書けなかったらこれで終わりになりますが…そうならぬ様、頑張ります。
ちなみに、りしゃことみやびちゃんのお話で、今作に近い雰囲気になる予定です。
宜しくお願いします。
78 :名無飼育さん :2013/09/04(水) 20:20
楽しみにまったり待ってます
できればその後も成仏と言わず…
ともあれ、お待ちしてます。
79 :名無飼育さん :2014/03/03(月) 00:07
「戦場のベリーズライフ」
80 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:08





主人公は私じゃなくていい。
ずっとそう思っていた。





81 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:10



もんぢゃ♪


― ― ― ― ― ― ―
2013-11-24 08:40:07 NEW!
テーマ:ごはんやさん


みんなー!おぱょ!

昨日ゎほんと寒かったねぃ!!

今日もさむーーーぃ(ノ_・、)

もぅすっかり冬だぁぁ!

昨日のsakiのかっこ。ぉNEWのコート。似合う??えへへ♪

みんなもあったかいかっこして、風邪にゎ気を付けてねっ!(`・ω・)ゞ



そうそう、昨日ゎchinamiともんじゃ屋さんに行ってきたの!

今回ご紹介するのゎここっ!雷門通りにある【ふわかり堂】さんっ!

sakiたちゎお店おすすめの、5種類のチーズもんじゃとか牛スジもんじゃとかを頂いたょ!

すっごく美味しかった〜ヾ(●≧∀)ノ

満腹になって、ヘラでウルトラマンのまねっこして遊ぶちーちゃん。笑

目が見えてるょ。笑

お店のHPのURLはこちらっ!

浅草に遊びにきたときにゎ是非立ち寄ってみてね!





コメント
― ― ― ― ― ― ―
1.無題
sakiちゃん、おぱょ!もんじゃおいしそーーーヾ(●≧∀)ノ

084☆ 2013-11-24 08:45:31
― ― ― ― ― ― ―
17.おぱょ!
か、かわいい…///



かわいすぎるっっっっっ!!!!!



俺もsakiちゃんともんじゃ食べたいなあ、なんて笑



しゃきたむ親衛隊 2013-11-24 12:08:49
― ― ― ― ― ― ―
31.無題
コメント遅くなってごめんね!こんばっきゅん☆
今度浅草行くよ!sakiちゃんに会えないかな〜〜

opa次郎 2013-11-24 18:40:25



82 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:11
ああ、だめだ。顔がにやけてしまうのを止められない。
熱々のエスプレッソを注いだ濃厚なバニラアイスみたく、とろりと溶け出しそうになる頬を両手で包んで佐紀は、しばし甘美な陶酔の世界にひたる。
朝アップしたブログ記事には、今回も30件ほどのコメントが寄せられていた。
これらすべてにゆっくりじっくり時間をかけて目を通し、それを何度も繰り返す。

【sakiの 浅草からおぱょ!】
浅草観光協会の会長である父の命令により、観光地としての更なる活性化を目的として、飲食店の紹介や行事・イベントのレポートをすべく立ち上げられたこのブログ。
最初は全く勝手が分からず、画像ひとつ上げるのにも苦労した。
一所懸命文章を考えて更新してもアクセス数一桁という日々に打ちのめされ、一時期は自分の存在意義まで全否定された気になり落ち込んだが、今は楽しくて楽しくて仕方がない。



ブログの閲覧数は平均で日に400PV前後。
その内、毎回必ずコメントをくれる固定読者が29人いるのだが、もちろん佐紀の素性や日常を彼らは知らない。

高校を卒業して直ぐ社会人になる道を選んだ佐紀は現在、浅草橋のちいさな服飾資材メーカーに勤めている。
ちまちまとエクセルで資料を作成したり、ちまちまと小売店からの発注をさばいたり。
工場から入荷した何万というボタンをちまちまと数えて袋詰めしたり。
特にやりがいを感じている訳ではないけれど、細かい作業が嫌いではないし、何より性に合っていた。

入社して早4年目。
初めの頃は、佐紀ちゃんはいいねえ、若くてかわいいねえ、と神輿をかつがんとちやほやしてくれたオッサン従業員たちもこの頃では、彼氏できた?最近ご無沙汰なんじゃないの〜(笑)、とか何とか、行きつけのキャバクラの女の子に接するがごとく、セクハラまがいの軽口を叩いてくるまで慣れきってしまっていた。
むしろ今年久しぶりに新卒で若い女の子が入ってきたため、佐紀のことをお局呼ばわりすらしてくる始末だ。

更にその新入社員も佐紀のこころを曇らせる原因のひとつだった。
礼儀正しく細かいところまで気配りが出来、何より褒め上手な良い子なので、お世辞も素直に受け取って気分を良くしていたのだが、誰にでも太鼓持ちをすると知った今ではどこか胡散臭さを感じてしまって純粋に喜べない。
この前も、清水さん睫毛長くて羨ましいですぅ!キリンさんみたいっ!、と言われたので早速画像を検索したところ、正面から見たキリンの顔は絶妙に不細工だった。



会社のロゴが入った絶望的にださいジャンバーを羽織り、壁と同化するまで存在感を薄め、背中を丸めて地味な雑務を坦々とこなす佐紀を、ブログの読者はまるできらきらしいアイドルの様に扱ってくれる。
自撮りの画像を上げれば、かわいいかわいい!、と絶賛のコメントが集まり、実際に浅草に遊びにきたファンにツーショット写真を頼まれたこともあった。

主人公は私じゃなくていい。
ずっとそう思っていた。
しかしやはり、女の子に生まれたからには蝶よ花よともてはやされたい。
その欲を満たしてくれるのがこのブログであり、毎晩食後のアイスを楽しみながらパソコンをいじるのが、佐紀の日課であり至福のときであった。
83 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:12
そういう訳なので、彼らの幻想を砕かない様にプライベートを出し過ぎないことにも注意していた。
昨日だって本当はすごく大変だった。
千奈美のやつ。
あらかた、ものを焼く、という単純作業に飽きたのだろう。
こうしたらもっとおいしいかもっ!ていうか絶対おいしいっ!、と鉄板で焼いていた海鮮盛りの上に大根サラダと青のりをぶちまけ一緒に炒めた創作料理をつくり始めたり。
もんじゃ焼きって○○に似てるよねーーー!、とあの天を突き破らんばかりの大声でのたまったり。
咄嗟に、ピーーーーー!!、と放送規制音を叫んだ自分を褒めてやりたい。
何に例えたかはご想像にお任せするが、あのときの店員や他の客の冷ややかな視線ときたら。
思い出しただけで背筋が凍る。
勿論もうあの店には行けない。

本人はべろんべろんに酔っ払っていたから、きっとすべて覚えていないだろう。
最終的には座敷で大の字になって眠り始めたため、タクシーで家まで送り届けてやった。
今朝電話したら、案の定これだ。


「おはよう、千奈美。大丈夫?気持ち悪くない?
 昨日覚えてる?千奈美酔っ払ってすごかっt
「あっ!!キャプテンおっぱょーーー!!
 そうなの!千奈美昨日のことあんま覚えてないんだけどさあ、
 いつの間にか家に帰ってたの!!すごくない?!
 千奈美もしかしたら超能力使えるのかもっ!あれだよあれっ!
 テレーポテショーーーーーンっ!!ってやつ!!」


あほや。
目をきらきらさせ、エスパーになりきった小学生男子のノリで興奮している千奈美の姿がありありと想像できて、佐紀は自分の透視能力に辟易した。
84 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:13
ちなみに今年の春から佐紀は一人暮らしを始めている。
家賃7万円の1DK。
玄関を入ると直ぐ4.5畳のキッチンが広がっていて、左手にあるバスルームとトイレはもちろんセパレート。
奥へ進めば6畳の洋室へ続く扉に当たり、そこは内装をクリームイエローで統一した、佐紀の安らぎの空間となっている。

一人暮らしといっても、実家から目と鼻の先のマンションの一室を借りているので、それって意味あるの?、と呆れ気味に問われもするが、独り立ちをしている、という気分を味わうことが大切なのだ。
何より親の小言からまぬがれ、好きなときに好きなことができる悠々自適な生活はどんなものにもかえがたい。

ベッドやこたつを部屋に配置し、テレビや冷蔵庫などの必要最低限の家電を揃えれば、それだけで立派に自活をしている社会人になれている気がする。
とは言え、何かと理由をつくっては、しょっちゅう実家に入りびたっている訳だけれども。

今は日曜日の夕暮れどき。
食事の支度をするのも億劫だし、愛犬・くーちゃんに会うという名目で生家に帰り、そのまま晩ご飯も頂くとしよう。



パソコンをシャットダウンし、くるまっていたこたつから脱出しようとしたのと同時に、ぴんぽーん、とインターフォンの音が響いた。
何だろう。宅急便か。最近アマゾネスで何か買ったっけ。
それとも宗教の勧誘だろうか。

はーい!、と声をかけながら玄関に近寄ると、佐紀ー!開けてー!、と明るく若い女の声が返ってきた。
その瞬間、佐紀の胸がぱっと華やぐ。
雅だ。
アポイント無しで雅が訪れることは珍しいが、単純に嬉しい。
お互い多忙で予定が合わず、最近なかなか会えていなかったのだ。
急いでドアを開けると、両手に大きな紙袋を提げた雅が抱きついてきた。


「佐紀ー!久しぶりー!」
「わわわっ!みやー!」


覆い被さってきた華奢な身体を抱きとめると、ふわん、と甘い香りが鼻腔をくすぐった。
花とホワイトムスクが混じったフェミニンな香に、佐紀はうっとりと目を細めた―――が、その中に微かに交じった不穏な分子を敏感に嗅ぎ分け、さっと表情を曇らせる。
何だ。この生臭い匂いは。

嫌な予感がする―――
85 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:14

……
………いや、気にし過ぎだ。
奴らと出会ってからというもの、サバンナに棲むインパラ並みの危機察知能力が身に付いてしまったせいで、何事にも過敏に反応してしまう。
せっかく雅が訪れてくれたのにマイナス思考に捉えてはいけない。
頭に走った直感をむりくりなかったことにして佐紀は、身体をやんわりと離し努めて明るい笑顔をつくって問いかけた。


「どうしたの?今日はオフ?」
「そうなのー、お稽古は夕方まであったんだけどね、お座敷はないんだあ。
 いっくらお給料日前の日曜だからってねえ。フケーキだからってやんなっちゃう」


嫌そうに全く見えない様子で、不景気という単語をまるで洋菓子の1種みたいな軽い口ぶりで発した雅は、紫色のスエードのスニーカーを脱ぎ―――
あれっ?みんなまだ?みやが1番のり?、と小首をかしげ、聞き捨てならぬ台詞をつぶやいた。

………みんな?

その瞬間、なだめすかしたはずの不安が押し寄せる荒波のごとく再び佐紀を襲った。
脳内のスクリーンに東映映画のオープニングが映し出される。

ちょっと待て。どういうことだ。みんなって。
まさか―――
よもやの事態が頭をよぎると、ぞっと悪寒が走った。
まさかまさかまさか。


「えっ?!どどどどういうこと?!みんなって?!」
「えっ?千奈美から聞いてない?」


もう取り繕ってなんかいられない。
必死になって詰め寄った佐紀に、雅は怪訝な表情を浮かべた。
それを見て嫌な予感は最悪の確信へと変わる。

佐紀の知らないところで何かが企まれている。
そして、それが今から始まろうとしている。
部屋に入り、紙袋とバッグをこたつテーブルの上に下ろしながら雅は、悪びれもなく、むしろ楽しそうに説明を始めた。
86 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:15
「ほらさー、今度の金曜日って29日じゃん?
 11月29日で、いい肉の日、じゃん?
 だからみんなで肉パーティーやろうってことになってえ。
 でも何だかんだみんな29日都合悪くてさあ、全員の予定あいてるの今日だったんだよねえ。
 あ、寒くなってきたし今回は焼肉じゃなくて鍋パだよー」


聞いていない。
いや、聞きたくない。
なぜうちに集まることになっているのだ。
やるなら6人でやってよお願いだから巻き込まないでていうかもしかしてわざわざ6人でLINEグループつくって決めたってどういうこと何で佐紀だけ事後報告なのそもそも今日やるなら肉の日関係ないじゃん!!!!!!!

奴ら―桃子・千奈美・茉麻・雅・友理奈・梨沙子の6人が集まるとろくなことが起きない。
ドラゴンボールは7つ集めればどんな願いでも叶えてくれるらしいが、奴らが6人集まると、平和に生きたい、という佐紀の唯一の希望が打ち砕かれる。
近頃はみんな忙しく、全員揃うことが稀になっていたからといって油断していた。
飢えた6頭の野獣が舌舐めずりをしてこちらに近付いてきている。

しかも今回は恐らく最悪のパターンだ。
肉パーティー。パーティーって。
奴らの関心が食べものだけに注がれているならまだいい。
胃にものを詰め込む作業だけに集中するからだ。
1番厄介なのは、奴らが食べることに加え、楽しければいいと思うんですけど、的な刺激を一緒に求めているときなのだ。
佐紀は震える手で紙袋を指差した。


「じゃ、じゃあその中身は…」
「そう!お肉!みやがお肉係なのー!
 今日のこと言ったらね、みんながお肉送ってきてくれてえ。
 見て見てー、これは麻布のオトウサンからあ。これは銀座のオトウサンからあ。
 これは松濤のオニイサンからあ。これはいつもの記者のオニイサンからあ―――


まるでお気に入りのおもちゃを見せびらかす子どもの様な幼い仕草で高価な生肉が入っているであろう桐箱を1つずつ得意げに取り出す雅はまさしく少女のあどけなさと大人びたセクシーさという本来ならば混ざり合わない2つの性質を兼ね備えた稀有な存在なのだからこれはもうしょうがなかった。
87 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:16
夏焼 雅。

おしゃれに人一倍情熱を燃やし、流行を取り入れつつも自分らしくアレンジして服を着こなす、遊び好きな今どきの女の子という風体の雅だが、彼女には相反するもう1つの顔があった。
雅は観音裏にある置屋・夏焼家の芸者だ。
朝は早くから舞踊や長唄、お囃子などの稽古に励み、夜は遅くまでお座敷で客をもてなし、日々忙しく暮らしている。
なぜ彼女がこの世界に足を踏み入れることになったのか。
それはシマさんの存在なくして語れない。

シマさんは雅の母方の祖母であり、育ての親であった。
シングルマザーで六本木のホステスをしていた母親がある日こつ然と姿を消したとき、幼い雅を引き取って育てたのが、浅草花柳界で置屋を営んでいたシマさんだったのだ。
現役時代は向島で売れっ妓の芸者だったシマさん―岩下志麻に瓜ふたつなためそう呼ばれているが、本名は雅しかしらない―はことあるごとに雅にこう諭していた。


「あんたみたいに器量ばっかよくて頭がすっからかんな子はねえ、芸を売るか身体を売るかしか生きていく道はないんだよ。
 ほら、母親みたくなっちまう前にさっさと覚悟を決めな」


きっと、雅にも芸者になって欲しい、という特別な思いがシマさんにあった訳ではないのだ。
ただただ悲惨なほど勉強ができない雅の行く末を本気で心配していた。
いくら食べていかなければならないとは言え、そのために股を開く女になって欲しくはない、というのがシマさんの願いであった。
しかしそれを厳しく突き放した物言いでしか表すことができなかったシマさんに対し、雅は分かりやすく反抗した。


「何でみやの人生は2択なわけ?!みやはお洋服のデザイナーになるのっ!
 おばあちゃんみたいにもママみたいにもならないんだからっ!」


芸でも身体でもなくセンスを売ることを選んだ雅は、ますます己のファッションの追求やメイクの研究に傾倒し、学業を疎かにした。
渋谷界隈で夜遅くまで遊びまわったり、無断でカフェバーでアルバイトをしたり、家にいる時間は日増しに減っていく。
顔を合わせれば始まる説教を鬱陶しく思った雅は、次第にシマさんを避ける様になり、2人の関係はすれ違ったまま冷戦状態が続いていた。

転機は雅が高校1年生の冬に訪れる。
シマさんが肺炎をこじらせ、呆気なくぽっくりと逝ってしまったのだ。
口を真一文字に結び、冷めた目で棺を見下ろす雅に、佐紀たちは何と声をかけていいか分からなかった。
しかし告別式を終えた次の日、雅はあっさり学校を辞め、浅草見番の門戸を叩いたのだった。



洋風な面立ちだが、派手なつくりの男顔に白塗りは艶やかに映える。
元来の真面目な性格に加え、シマさん譲りの芸事への厳しさ、母親遺伝のキャバテクを備えた雅の評判はすこぶる良い。

最近では、昔の友理奈に似た関西出身の妹弟子ができて、より楽しそうにしている。
歌や踊りはポンコツだが、懐っこく甘えてくるのが嬉しいらしく、色々なところへ連れ回してかわいがっていた。
トジファーと名付けたトマトを部屋でうきうきと育てている妹弟子を見て雅は、鉢植えに鉛筆を挿して観察日記を付けていた幼い頃の自分を思い出し懐かしさを覚えるという。
88 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:17
そして雅はうずたかく積み上げられた桐箱の脇に、鍋といったらやっぱりこれでしょっ!、とキムチと納豆のパックを置いた。
彼女はどの料理にもキムチと納豆を追加する。
舌の味蕾が壊滅しているのだ。

何これ。うちで何が始まるの。
突如部屋に出現した生肉の巨大タワーを佐紀は死んだ魚の目をして見上げていた、そのときだった。


「おーいっ!きゃっぷてーんっ!上がるよー!!」


玄関の方から爆発音に似たばかでかい声が響いたと同時に、どかどかごろごろと無遠慮で不穏な音がこちらに向かってくるではないか。
この声はまさか。いやまさかじゃなくとも奴だ。
でもどうして。玄関には鍵がかかってるはず。なぜ奴が―――!


「はいっ!千奈美とうじょー」


メタリックオレンジに塗装されたハードタイプのスーツケースと一緒に戸を蹴破り突撃してきたのは、やはり千奈美だった。
国外逃亡でもするんですか、と訊ねたくなるくらい大きな荷物は、あー!重かった!、と千奈美が放り投げると、どかんと音を立てて床を揺らした。
やめてくれ。フローリングが傷付く。
というかなぜ勝手に入ってこれたのだ。
その疑問は佐紀が唖然としている間に、ひとりでにぺらぺらしゃべり続ける千奈美によって直ぐに解決した。


「ちょっとキャプテンだめじゃーんっ、玄関開けっぱだったよ〜ブヨウジンだな〜」


咎めているふうには全く見えない様子で、無用心という単語をまるで人種のひとつであるかのごとく軽い口ぶりで発した千奈美は、ほははははは!!、と妙ちくりんに高笑いした。
隣を見ると、てへっ☆、という声が聞こえてきそうな表情で雅が舌を出している。
一気に脱力した。
89 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:18
徳永 千奈美。

底抜けに明るく親しみのあるキャラクターの千奈美は、徳永酒店の看板娘として昔から千束通り商店街の人気者だ。
通りを歩けば八百屋の店主が、よっ!千奈美ちゃん!今日も元気だね!ほらこれ持ってきな!、と声をかけてきて牛蒡やらオレンジやらをくれるという、昨今の日本にあるまじき連続テレビ小説の様な光景が繰り広げられる。
しかし実際のところ、重いケースを運ぶ腕力も、配達に必須な運転免許も持ち合わせていないため、酒屋の仕事はときどき店番をするくらいなのだ。
家の者も千奈美を全く当てにしておらず、それをいいことに彼女は夢に向かって自由に生きていた。

世界中を旅する!!、という目標を掲げている千奈美。
そのために、浅草では貴重なタイ料理屋と外国人観光客がよく集まるバルのアルバイトを掛け持ちしていた。


「お金も貯まるし色んな国の言葉も勉強できるしイッセキニチョー!!
 アイ アム ジーニアス!!」


そう本人は胸を張っているが、日々ラーメン屋の新規開拓に勤しみ、トイストーリーグッズやバービー人形を熱心にコレクションしている千奈美に、そんな蓄えがあるとは思えない。
きっと佐紀が細々と続けている500円玉貯金の方がはるかに大きな額だろう。
更に以前バルに遊びに行ったら、おーどん?!おーどん?!、と必死の形相で連呼していて白人の客を困らせていた。
恐らく、Pardon?、と訊ねたかったと予想される。
毎年1月になると、今年こそ英会話教室に通う!、という決意表明をする千奈美だが12月になれば、来年こそ英会話教室に通う!、と宣言するのも恒例なので一生入会することはないだろう。

基本的に千奈美は飽き性だ。
英会話と同じに、今年こそは日記を3日で終わらせない!、とも言い続けている彼女。
今回は値段が高めでおしゃれな日記帳を5冊も買い、自分にプレッシャーを与えることによって目標を達成しよう目論んでいたそうだが、結果母親の家計簿と店の在庫管理帳が豪華になっただけであった。
近々で成し遂げたことと言えば円周率44桁の暗記だが、それが役に立った場面を佐紀は見たことがない。


「千奈美はね、ずっとふざけていたいの」


ことあるごとにそう口にする千奈美は、高校生のとき進路希望調査の紙に、フリーター、と堂々と書いて提出し担任に、頼むからこれ以上ふざけないでくれ!!、と泣きながら懇願されたという過去を持つ。
自由人を格好良く英語で書きたかっただけだと本人は弁明しているが、今現在の千奈美は調査表の通りにも当時の彼女の希望通りにもなった。
フリーダム過ぎる自由人のフリーターとは千奈美のことである。



そんな千奈美が年間行事やイベントごとで特に張り切るのがハロウィンとワールドカップ、そして三社祭だ。
町会ごとに揃いの半纏をまとった人々が、威勢の良い掛け声を上げて神輿を担ぎ練り歩く三社祭。
浅草中が熱気に包まれる、あの雰囲気が好きらしい。

ある年の祭りの日、明らかにヤバい筋だと分かる男たちに喧嘩を売っているハスキーボイスの少女を千奈美は助けた。
あっちが悪いんだ!、とその少女は主張し強がっていたけれど、千奈美には涙目で震えるチワワにしか見えなかったという。
それが縁で少女は徳永酒店にちょくちょく訪れる様になったのだが、必ずビンのサイダーを買っていくそうだ。
憧れの先輩に差し入れするためだということを、訊いてもないのに必死に説明してきて勝手に顔を赤くする少女を千奈美は応援していた。
自分霊感あるんスよね、と自慢げに言ってくるところは本気で怖くて、いやあっ!、と思っているみたいだが。
90 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:19
「あっ、キャプテン、昨日はごめんね〜飲み過ぎちゃった〜」
「本当だよ!ていうかそのとき言ってよ今日のこと!今の今まで知らなかったよ!」
「あれ?言わなかったっけ?」


あははー!ごっめーんっ!、と素直且つ豪快に笑い飛ばされてしまっては怒る気力も失せてしまう。
そこが千奈美の良いところであり、ずるくて憎らしいところでもあった。
しかも大して気にしていないのだろう、彼女の意識は既に他のことに向けられていて、あ、見て見てー!、とバッグの底をごそごそと漁り始めたのだった。


「ふふふ…千奈美、こんなもの持ってきちゃった」
「え、何?」
「鍋に絶対必要だけど忘れがちなもの…
 そうっ!それは出汁っ!これだーーー!」


どや顔の千奈美の手には、鮭とばと酢昆布のパッケージが握られていた。
色々と間違えている。


「千奈美、頭いいー!」
「でしょー!」


ヒェーイ!、とHIPHOPな感じでハイタッチをする千奈美と雅。
ああdeepでdopeなrylicを超ヤバめなflowに乗せてBARI-ZOUGONに彼女たちをdisりたいが即座に浮かばない私マジwack MC 084、アーメン。
そして千奈美はノリノリなままスーツケースのロックを外し、じゃがじゃーんっ!、とセルフ効果音を叫んだ。


「千奈美はお酒とその他飲みもの係でっす!」


勢い良く上蓋が開けられるとそこには缶ビールや梅酒のビン、各種焼酎にワインのボトル、お茶のペットボトルから茉麻の好物の炭酸栄養ドリンクまで揃っていた。
やだー!鬼ころしもあるうー!、と雅がきゃあきゃあ嬉しそうな声を上げ、千奈美は得意げな笑みでビンやボトルを床に広げていく。
ちょっと待て。確かに成人した6人はなかなか酒に強い者ばかりだけれども、流石にこれは多過ぎだろう。
突如部屋に出現した酒類の山を佐紀は呆けた老人の表情で眺めていた、そのときだった。
91 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:20
「お邪魔しまーす。佐紀ちゃん上がるよー」


玄関からのんびりとした声が響いたと同時に、ドゴッ、とドアの硬い悲鳴が聞こえた。
この声と音はまさか。いやまさかじゃなくともあの子だ。
彼女は千奈美みたいに粗雑な訳ではない。
ただ怪力過ぎるのだ。
本人は普通にドアを閉めたつもりなのだろうが、実際はコンクリに鉄球がめり込むくらいのちからが加わる。


「お疲れー!まあが3番手か」


ファッションアイテムというより明らかに登山用のゴツい青のリュックサックを背負ってやってきたのは、やはり茉麻だった。
SATOYAMA帰りですか、と問いかけそうになったが瞬時に悟る。
間違いなくこれはSATOYAMA帰りだ。
いつの間にかベッドの縁に腰かけくつろいでいた千奈美と雅が、よっ!茉麻!、と片手を上げている。

しかしまたなぜ勝手に入ってこれたのだ。
鍵はどうした。
まさか茉麻、ドアを壊して―――!
その疑問は佐紀が恐れに息を呑んだ瞬間、あっはっは!、と白い歯を見せながら母親みたいな口調で忠告してきた茉麻によって直ぐに解決した。


「危ないよ、佐紀ちゃん。玄関鍵かけとかなきゃ」


ベッドの方を向くと、えへっ☆、という声が聞こえてきそうな表情で千奈美がウインクしていた。
震える拳に汗が滲む。
92 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:21
須藤 茉麻。

胸の辺りまで真っ直ぐ伸びた艶やかな黒髪は、茉麻のトレードマークでありチャームポイントのひとつでもあったが、この夏に30cm以上をばっさりと切った。
見慣れぬショートカットに周りの反応が気がかりだったそうだが、まとめ髪とはまた違った魅力と新鮮さに見惚れる客が後を絶たない。

数奇屋造りの建てものと美しい日本庭園を持つ須藤亭は、柳通りにある料亭だ。
四季折々の旬の素材を生かした懐石料理と気配りの行き届いた丁寧な接客で、和の風情ともてなしのこころを提供している。
また、芸者を呼んで贅を尽くしたお座敷遊びのできる数少ない老舗でもあった。
そんな歴史ある店の暖簾を守り伝統を受け継いでいかんと、大女将である母親の下で茉麻は修行の日々を送っている。



年齢の割にどっしりと落ち着いた佇まいとひと当たりの良い性格、そして故郷の母を思わせる包容力を気に入る贔屓が多い茉麻だが、若女将として和装をしているときは、オフの自分が滲み出ぬ様に細心の注意を払っていた。
着物を脱いだ茉麻は乙女をこじらせた漫画ヲタクだ。
しかも微妙に腐っている。

やたら目がでかい絵ばかりの漫画図書館という長い異名を持つ茉麻の部屋は、天井から床までの高さの本棚に四方を囲まれていて、そこには館長が厳選した少女漫画のコミックスが雑誌別に分けられぎっしりと詰まっていた。
本棚から溢れた冊子は床に山積みになり、そろそろ別に書庫をつくろうという話も出ているらしい。
物理的な圧迫感もさることながら、それぞれにあの手この手の中高生向けラブストーリーが込められているかと思うと、胸キュンの押し売りに胸焼けがしてくる。

特に茉麻が愛してやまない漫画は、見た目は子ども!頭脳は大人!、なアレだ。
このシリーズだけは特別に祭壇に飾られている。
好きが高じてK新・Kコの薄い本を出そうとしたこともあったが、キッド様鬼畜攻めを想像した瞬間、嫉妬の炎ではらわたが煮え繰り返ったと同時に、何か違うと感じたみたいだ。
彼女の夢はキッド様にお姫さま抱っこされることである。



基本的に休日は家で漫画を読みながらごろごろして過ごしたい超インドア派な茉麻だが、映画館とSATOYAMAには喜んで足を運んでいた。
千葉県の山間に祖父が土地を持っていて、そこで農業やアウトドアを楽しんでいるのだ。
たまに千奈美を連れて行くこともあるそうだが、日焼けして真っ黒になって帰ってくるのはいつも千奈美だけだった。

SATOYAMAで茉麻は、かぶの種を蒔いたり、いちごの苗を植えたり、猪を素手でしとめたり。
ガーデンハウスをDIYで建てたとき、佐紀たちの間でしばらく茉麻の呼称は親方だった。



余談だが、茉麻の家には中学生のいとこが居候している。
アイドルを目指しているというその少女は、レッスンへ通うのに少しでも都内に近い方が良い、と小学生の頃から親元を離れる決意をした、なかなかの根性の持ち主だ。
手があいているときは積極的に店の裏方を手伝ってくれる良い子なのだが、その彼女が茉麻の今1番の心配の種であった。

どうやら、過剰にぶりっこに振る舞ってしまう嫌いがあるせいか、友達がひとりもいないらしい。
不自然に学校の話題を避け、ときにばればれの嘘をつく。
今日の放課後は友達と遊んでましたっ!、と健気に報告してくる少女に向かって、公園でひとりブランコをこいでるところを見かけたんだけど、とは流石の茉麻も言えない。
雅の妹弟子が偶然同じ学校に通っているというので、何とかして引き合わせようと2人して画策しているそうだが…どうなることか。
93 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:21
よっこらせ、と床におろしたリュックから茉麻は、新聞紙に覆われた荷物をごろごろと取り出した。
くるみを剥がすとその中身はそれぞれ、白菜・ねぎ・春菊・大根であった。
その横に、こっちは買ってきたやつだけど、とパッケージングされた数種類のきのこを並べる。


「はい、まあは野菜係だよ」


おおー!、と思わず佐紀たちから感嘆の声が上がった。
茉麻の育てた野菜はスーパーで見るものより、白や緑の色味がくっきりと鮮やかで、肉付きが良くサイズも大きく感じる。
きっと採れたてなのだろう、根や葉にはまだ土の名残があった。
青々とした草木や豊かな土壌を連想させる、濃い自然の匂いが部屋に満ちる。


「さっすが茉麻!」
「よっ!SATOYAMA女王!」
「「すっどっうっ!すっどっうっ!」」
「あはは、ありがとう」


すかさず盛り上げるばかコンビに照れ笑いを浮かべた茉麻は、じゃあ、先に準備始めとこっか、と腕まくりをして立ち上がった。
………仕方ない。こうなったら覚悟を決めるしかないのだ。
きっとサバンナのインパラも、首筋に牙を立てられた瞬間に己の行く末を悟り、ふっとちからを抜いて目を閉じるに違いない。
3人は既にキッチンに移動していて、ぎゃあぎゃあと楽しそうな騒ぎ声と流しの水の音が漏れ聞こえる。
続いて佐紀も重い腰を上げた、そのときだ。
94 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:22
「いったーーー!」


玄関の外から、ガツッ、とくぐもった衝撃音が響いた後に、やたら間延びした叫びが聞こえた。
この音と声はまさか。いやまさかじゃなくともあの子だ。
佐紀が住むマンションのエレベーターは扉枠が異様に低い。
それでも大半の成人男性がぎりぎり通れる高さなので頭上注意の張り紙をしているだけなのだが、彼女だけは別だ。

ああ、これで何度目だろう。
遊びにくる度に頭をぶつけているのではないか。
慌てて佐紀がキッチンへ飛び出したのと、彼女が玄関のドアを開けたのがほぼ同時だった。


「あ、開いた」
「おっ!熊井ちゃーん!」
「お疲れー!ていうか大丈夫?」
「ほんと、すごい音したけど」
「お疲れー。うん、だいじょぶ…けど痛ーい」


モスグリーンの大人っぽい秋色ネイルが光る指でおでこを押さえ、涙目でたたきに佇んでいたのは、やはり友理奈だった。
別にもうこんな無意味な問答を繰り返したくないのだが、これでは不幸の入れ食いだ、一応訊こう。
鍵は。なぜみんな鍵をかけないのだ。
確かに田舎ならば施錠する概念のない家庭もあるだろう。
しかし、ここは東京で、うら若き女の一人暮らしの部屋なのだ。
家主としてはセキュリティーに対してセコムばりの意識の高さを見せて欲しいのだが。
佐紀は横に立つ人物を静かに見上げた。


「いや、ここは天丼でしょ」


真面目な顔で平然と言い放つ茉麻に佐紀は何の言葉も返せなかった。
95 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:24
熊井 友理奈。

2010年から2012年の夏頃まで、友理奈の周囲はとてつもなく慌ただしかった。
ほぼ毎日テレビや雑誌の取材のアポイントが入り、表を歩けば握手やサインを求められる。
その様子はまさしく佐紀が憧れるきらきらしいアイドル像そのものであった。

こうなった間接的な原因が、東京スカイツリーだ。
空に向かって伸びる木をイメージした世界一の高さを誇る自立式電波塔は、東京タワーに代わる新タワーとして2003年に推進プロジェクトが発足し、建設地が最終決定したのが2006年。
2008年には名称が発表され、工事が進み、鉄骨の木が成長していくのに比例して、人々の関心は高まりメディアの注目も集まっていった。

そんなさなかの2010年、学校帰りの友理奈がたまたまテレビの取材クルーに捕まった。
地元民がスカイツリーに寄せる思いをインタビュー、という主旨の朝の報道番組のコーナーのひとつだったのだが、友理奈の美貌がすべてを掻っ攫っていったのだ。
いやー今の子かわいかったね!ていうか身長高いね!、とヅラの司会者は賞賛に手を叩き、あの美少女は一体何者だというかレポーターの男が178cmみたいだが明らかにそれよりデカかったぞどうなっているんだ、とネットでも騒然となった。
その反響の大きさに、ぴこーん!、ときたチーフプロデューサーが、番組内でこんな企画を立ち上げたのだ。


「スカイツリーの麓で育った身長176cm?!の美し過ぎるスカイツリーガールに密着!」


緊張で汗をだらだらかきながら生い立ちをとりとめなく語ったり、何の面白味もない坦々とした学校生活を映したりしただけの20分間だったが、視聴率は番組最高を打ち出し、様々なメディアから取材のオファーが押し寄せた。
それにすかさず乗っかったのが押上・業平地区振興会の新会長になった友理奈の父だ。
某芸能事務所のマネージャーに爪の垢を煎じて飲ませたくなるほど抜け目なく積極的に営業をし、分刻みのスケジュールを鮮やかにさばいた。
一躍ときのひととなった友理奈をあちこちの飲食店や商店にアルバイトに行かせ、スカイツリーガールに会える店!、と謡い、そのお陰で商店街全体の収益はうなぎ上りに上昇したという。

【スカイツリーガール・yulinaのENJOY!くまくまトーク☆】
嫌がる友理奈にブログを書かせた結果、常時人気ランキングの上位をキープし、毎回1,000件以上のコメントが寄せられた。
このことを思い出すとおぱょブログに虚しさを感じるので、佐紀は頭の隅に追いやって蓋をして綴じ込んでいる。

娘の人気にとことんあやからんと友理奈の父は、くまえモン、というキャラクターまで勝手につくり出す。
某猫型ロボットと某ご当地キャラクターを足して2で割ったビジュアルのくまえモンも瞬く間に話題になり、キーホルダーやマイクロフィーバータオルなどのグッズは飛ぶ様に売れ、受注生産で法被まで制作された。
まちおこしより金儲けが目的ではないのか、という匿名の指摘を受け、くまえモン事業は慌てて撤退することとなったのだが、結果的に藤子プロにも熊本県にも訴えられる前に終えて良かったと言える。
96 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:24
友理奈は己の高身長にコンプレックスを抱いていた。
道を行くだけでじろじろと見られるのが嫌で嫌で仕方なく、知らず知らずの内に背を丸めて生活するくせがついていた。
目立ちたくない。ひっそり静かに暮らしたい。
そんな切実な願いを胸に秘めていたのだが、父親の期待を裏切りたくない一心で、ひたすらに我慢の日々を続けていた。

しかし、2012年8月、スカイツリーが開業して3ヶ月後のこと。
調子付いた父親がこんな提案を差し出してきて、ついに友理奈の堪忍袋の緒はぶち切れたのである。


「そろそろプロモーションも次のステージに進まないとな。よし公開身体測定イベントをしよう」


あのときの惨劇は思い出しただけで身体が震える。
普段が温厚でおっとりした性格なだけに、激怒したときの変貌は凄まじかった。
佐紀たち6人があの場にいなかったら恐らく友理奈の父は―――

しかもそのときのことを友理奈は覚えていないという。
ベルセルク状態だった彼女は、原型をとどめていないくらい腫れ上がった顔で鼻から血を流し折れた肋骨を押さえぼろ雑巾化して倒れていた父親を見たとき、何が起きたのかさっぱり分からなかったらしい。

そんなこんなを経て友理奈は、おいしい抹茶スイーツを求めてカフェ巡りをするのが趣味なちょっぴり背の高い普通の大学生としての平穏な毎日を取り戻した。
今でもスカイツリーガールという言葉を聞くと顔付きが一瞬デューク東郷になるが、スカイツリー自体を恨んでいる訳ではない。
一連の活動を経て少しだけ自信が付いたという友理奈。
スカイツリーを見習って、真っ直ぐ背筋を伸ばして生きていこうとこころに決めていたのであった。



ところで、ピーク時には何百人というファンが押上に殺到し、その中にはストーカー紛いの悪質な行為をする者もいたのだか、佐紀たち6人の他に友理奈を身を呈して守ったのが、己のことをまろと呼ぶ少女であった。
幼い頃から友理奈にただならぬ想いを寄せていたその少女は、最古参として現場を取り仕切り、他のファンから一目を置かれていた。
口ぐせは「これだからにわかの新参ピンチケは」。

友理奈のことが好き過ぎて一定の距離を保たないと呼吸もままならなくなってしまうほどなのだが、最近では梨沙子と急接近し仲が良い。
外堀を埋めている、という言葉がどうしても頭をよぎる。
97 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:25
色々持ってきたよー、とにこにこしながら友理奈はキャンバス地のトートバッグから、豆腐・はんぺん・白滝、そして平べったいタッパー容器を取り出した。
中身は彼女の弟も絶賛の手づくり水餃子らしい。
どうやら友理奈はその他食材係みたいだが、最後に置いた牛乳パックに佐紀たちは顔を見合わせた。
これは友理奈が飲むのだろうか。いや、彼女は牛乳が苦手なはず。
まさか―――


「ねえねえ、今日は牛乳鍋にしない?
 私牛乳好きじゃないけどさ、この前お店で食べたのがおいしくてー」


―――やはり。
あれって豆乳鍋のことだよね、間違えてるよね、と多分の戸惑いを視線に含ませた茉麻の無言の訴えを受け、佐紀はちいさくうなずいた。
えっとね、熊井ちゃん、と佐紀は友理奈に控えめに話かけたが、次に続く言葉が見付からない。
間違いをそれとなく正し、破壊兵器の調理を断固として阻止せねば。
しかし、無邪気のかたまりである友理奈に不用意なことを言って傷付けたくはない。
一体どうすれば………


「熊井ちゃーん、それって豆乳のことじゃない?」
「えっ、あっ、うっそ。そうだっけ?」
「そーだよー!でもまあいっか。今日は牛乳鍋にしてみよ、決まり」


終わった。
雅がyesと言えばカラスも白い。
雅がgoサインを出したら血反吐を吐いてでも牛乳鍋を食さねばならない。
夏焼絶対王政の下に平民は服従するしかないのだ。
まっ、豆乳も牛乳も同じ様なもんでしょー!、とあっけらかんと笑い合う3人を、佐紀と茉麻は生ぬるい微笑みを貼り付けて見守ることしかできなかった。

鮭とばと酢昆布で出汁をとったキムチ納豆牛乳鍋。
別に闇鍋をするつもりでも何でもなく食材を持ち寄ったのに、闇鍋に近いクオリティーのものが出来上がりそうなのは気のせいだろうか。
98 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:26
友理奈が加わり、世間話もそこそこに準備を再開した。
茉麻はシュミット式バックブリーカーで大根をへし折り、友理奈は1mmの狂いも許さず3cm間隔で白菜を切っている。
それとは対照的に、千奈美はざっくり適当に豆腐に包丁を入れていて、出汁の下ごしらえを終えた雅は、余った鮭とばと酢昆布をもぐもぐつまみながらみんなに配っていた。

佐紀はというと、5人も立つと狭いから、という理由でキッチンから閉め出しを食らっている。
キャプテンは休んでて!、とこたつに押し込められたが、時おり聞こえてくる叫び声や陶器がぶつかり合う音に気が気でない。
何よりわいわいと楽しげな空気がこちらまで伝わってきて、疎外感を感じるのが嫌だった。
なので戸を覗き込み、で?で?次は?、とか、それどうするの?、とかずっと話しかけているのだが、苦笑いと雑な返事しかしてもらえない。
ついにはさっきから無視を決め込まれていた。
ここは佐紀の家なのに。


「ていうかもも遅刻?」
「梨沙子は遅くなるって連絡あったけどさ、ももからきてたっけ」
「あーないねえ」
「ていうか覚えてる?あのときだってももはさあ」


時間のルーズさはひとのことを言えないのだが、どうやら今回の桃子は断りなしの遅刻らしい。
これがきっかけとなり、みんな過去までざくざくと掘り起こしては桃子への不満を口々に重ね出した、そのときだ。

ぴんぽーん、と鳴ったインターフォンは、ヒートアップした空気に冷水を浴びせた。
まるで黙れと代弁しているふうなタイミングに、静まり返った全員の視線が玄関に集まる。
佐紀は生唾を飲み込んだ。
まるでホラー映画の世界だ。
こういうとき、頃合いを見計らったかのごとく登場するのが―――奴なのである。

不意にぐいと腕を掴まれ、驚いて振り向くと、行け、と雅があごをしゃくっていた。
その後ろで他の3人が自衛隊ばりに一糸乱れぬ動きでこくりと首肯している。
こういうときだけ…こういうときだけ…


「………は、はーい」
「………」
「…もも?そ、それとも梨沙子かな」
「………」


恐る恐るかけた声は震えていた。
なぜこんなに緊張しているのか自分でも分からないが、本能が心臓を急かしているのだ。
不気味な沈黙が続く。
思い切って佐紀は鍵を開け、ノブを回しドアを押した。
途端、わずか1cmの隙間から禍々しい桃色のオーラが毒ガスのごとく進入してくるのを感じ、ひっ、と喉が引きつった。
猛スピードで鳥肌が全身に広がる。

約10年間、奴らのおかげで磨かれた、護身に特化した反射神経を今だけは感謝しよう。
即刻全力でドアノブを引き、希望のかけらもないパンドラの箱を閉めんとしたが、相手は1枚も2枚も上手だった。
戸がびくとも動かない。
小指1本で止められていた。
ジーザス!小指の化け物め…!

ああ。こうなったらもう観念するしかないのか。
猛獣に喉笛を噛み付かれたインパラの気分で佐紀はゆっくりドアを開けた。
99 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:27
「来ちゃった」


わざとらしくしなをつくり、上目使いに瞳をうるませていたのは、やはり桃子だった。
プリンの上に絞られた生クリームよろしく、頭の上にちょこんと乗せたベレー帽も桃色。
天使の羽をイメージし夢と希望とヘアスプレーでがちがちに固められたももち結びに付けられたリボン飾りも桃色。
どこで売っているのだろうか、履いているムートンブーツも桃色。
巻いているマフラーも着ているケープコートもそこから覗くスカートも全部全部桃色桃色桃色!!
例えでも何でもなく、頭のてっぺんから足のつま先まで全身桃色という吐き気がするほど悪趣味な服装を好む生きものが、林家ペー・パー子以外にいるのだ。この地球上には。残念ながら。
佐紀が絶望にうちひしがれていると、背中から矢のごとく抗議が飛んできた。


「ちょっともも遅ーい!」
「そうだよー!ももがこないと煮込めないじゃんっ」
「いやー、支度に時間かかっちゃって。ごめんg「そこ言わんのんかいっ!!」



……
………しまった。罠だ。
ご丁寧にベタな手の振りまで付けてしまった佐紀は、そのままのポーズで固まった。
にたあとくちびるを歪め、満足げに目を細めている桃子を視界の端に確認し、背中に冷たい汗が伝う。


「もおー!佐紀ちゃんったら!相変わらずいいツッコミするね〜〜〜!このこのっ!
 また腕上げた?もしかしてももちのいない間に練習してるんじゃないのぉ〜?
 分かってるっ!ももちに会えなくて寂しかったんでしょっ?
 だいじょーぶ!何も言わなくても、だ・い・じょ・お・ぶっ!
 佐紀ちゃんのこころの声はこの小指のアンテナでちゃあんといっつもキャッチしてるんだからっ!
 いやーこれがおねえさんズの絆ってやつ?愛のテレパシー?みたいな?うふふ♪うふふふふふふふ―――


興奮した桃子は声高で早口になる。
気持ち悪い妄言をまくしたてながら彼女は、小指で佐紀の二の腕をがつがつと突いた。
痛い。ウザい。キモい。痛い。
以前このピンキードリルという技を受けたとき、痣が北斗七星の形になっていた。
桃子は南斗聖拳の正統後継者なのだ。
100 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:28
嗣永 桃子。

諸悪の根源、悪魔の化身―――桃子のせいで佐紀の学校生活は暗黒に塗り潰された。
本人は、ももちは地上に舞い降りたエンジェルだよ〜♪100歩譲ってもみんなのハートをどきどきさせちゃう小悪魔ちゃんかな〜♪うふふ♪、などとアイドルスマイルでのたまうが佐紀にとっては地獄の覇者・悪の総大将に他ならない。
桃子のせいで校内のどこにいても何をしていても安らげるときなどなかった。
クラス替えのシーズンになる度に、頼む清水、嗣永が暴走しない様に見張ってくれ、と教師陣に毎回頭を下げられ、小・中・高とずっと同じ組にさせられたからだ。
かわいくあることが桃子の絶対的正義であり、結果的に楽しければいいと思うんですけど、という独断に従って、彼女は彼女を生きていた。


「ももちのかわいさでひとの気持ちを明るくしたい!
 きっと人生にくじけているひとがいっぱいいると思うから」


幼い頃からこの信念を掲げていた桃子は、人助けをして多くの笑顔を咲かせんと様々な事件に首を突っ込み、そして佐紀たちを道連れにした。
桃子の手口はどこまでも狡猾だ。
恐ろしいスピードで回転する頭脳を駆使し、悪魔が練り込んだかのごとく隙のない作戦を組み立てては、てきぱきと佐紀たち6人に指示を飛ばす。
2桁のかけ算で即フリーズする千奈美と雅のHDD―雅に至っては足し算と引き算を間違えるほどのポンコツ―も悪知恵だけなら光の速さで閃くが、桃子は裏の裏まで計算するので、たちの悪さだったら比べものにならない。

しかしその完璧なまでの任務遂行計画も、実際の成功率はかなり低かった。
佐紀以外の5人が余りにも想定外の行動をして軌道を大いに逸脱するからだ。

そしてその失敗の尻拭いをし、泥を頭から盛大にかぶってきたのは佐紀だった。
幼少期で言えば捨て犬を助けんと牛乳を万引きしたりガールスカウトに参加したときに橋から落ちそうになって宙吊りになったり近年の大事で言ったら1億3千万総ダイエットマラソンとかいう訳の分からないイベントを企画し下町を巡る42.195kmのコースを強制的にぃぃいあああああ!!!!!!!
思い出しただけで怒りが身体の中で暴れ回り、胸を掻きむしってのたうちまわりたくなる。

そんな桃子も、現在教育学部専攻の大学4年生で、来年の春には母校の小学校で教師になるというのだ。
あんなにすっちゃかめっちゃかにひとを振り回した台風の目の張本人が、計画的な人生設計を持ってしてちゃっかりと夢を叶え、地に足のついた堅実な道を歩んでいるところが、佐紀は憎くて憎くてたまらなかった。



【☆ハッピー!お悩み相談箱☆】
当時の桃子が憧れていたアイドルの薄ら寒い決め台詞を冠に付けたそれは、小学生ながらに悩める子羊たちを救わんと、桃子が勝手に生徒会室の前に設置してきたものだ。
中学くらいまで巻き込まれた事件の発端は大概がこの相談箱からだったので、忌まわしい記憶しかない。

高校を卒業してからは自分の家の店先にそれを置いているという。
最近では中学生の女の子から、誰かが靴箱にサイダーのビンを入れてくる、こわいので助けて欲しい、という依頼があったみたいで、久しぶりの案件に桃子は肩を回して張り切っていた。



自分の家の店先、というのは合羽橋道具街にある嗣永商店のことである。
フライパンや包丁などの調理器具を専門に扱っているの店なのだが、年々業績が落ちていて、カフェコーナーを併設したり桃子がメイドコスプレをして接客をしたりと数年前まで迷走を極めていた。
しかし、破れかぶれで店頭に出した食品サンプルが外国人観光客に大ヒットしたことで一気に売り上げが跳ね上がり、ついには去年自社ビルを建てたほどであった。

なぜ食品サンプルに目を付けたのか。
その理由は嗣永家の食卓にあり、昔からハンバーグやとんかつなどのおかず系のサンプルを目で楽しみながら山盛りの白いご飯を食べて空腹を満たしていたから、という噂がまことしやかに流れているが真偽は定かではない。
101 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:29
佐紀の脇をすり抜けて桃子は、おじゃましまーす♪、とブーツを脱いで軽やかに部屋に上がった。
靴下も桃色だった。
眩暈がした。

そんな桃子が、はいこれ、遅くなって許してニャン♪、と紙袋から出して見せてきたのは、土鍋と卓上コンロだった。
確かにこの人数で鍋をやるならば、それなりのサイズの容れものが必要だ。
桃子が持ってきた土鍋は口径が30cmくらいあってかなり大きく、蓋をかぶったら僧侶の笠みたくなる。
光沢のある深い飴色は高級感があり、食材を一層おいしそうに演出してくれそうだ。
それらを茉麻に手渡すと桃子は、大げさに首を回しながらため息をついた。


「はー、重かった!持ってくるの大変だったんだよぉ。ももちが1番佐紀ちゃん家まで遠いしさぁ」
「嗣永さんお疲れさまでしたー」
「はいもう帰っていいですよー」
「ちょっとっ!何でよーっ!」


多方からのぞんざいな扱いにきゃぴきゃぴ抗する桃子、という見慣れた光景を繰り広げられ、佐紀はがっくりと肩を落とした。
ああ。もうここまでで十分疲れた。
先が思いやられる。
そのまま後ろ手に玄関の戸を閉めようとした、そのときだった。


「ももの声、うるっさ…」


いつの間にか佐紀の背後で気だるげに身体を傾けて立っていたのは、最後の1人・梨沙子だった。
不機嫌を丸出しにした低い声が、その可憐なくちびるから紡ぎ出されたとはにわかに信じがたいが、機嫌が悪いときの彼女が放つオーラは威圧感でひとが死ぬ。


「おっ!梨沙子っ!」
「梨沙子きたー!」
「ごめん、遅くなって」


最年少の登場に、みんなわっと歓迎ムードに湧いた。
桃子のときとは大違いだ。
しかしこの差もいつものことであり、当の本人も全く気にしていない様子で近付いてきて、梨沙子の頭の赤いベレー帽と自身のそれを交互に小指で差しながら嬉しそうにはしゃぎ出した。


「わっ!見て見てりーちゃん!ももちとおそろいっ!おそろいだよぉ」
「………」


それに対し表情ひとつ変えず―いや、わずかに眉間にしわを寄せて梨沙子は、無言で桃子のベレー帽をむしり取るとそのまま床に叩き付けた。
あーーー!、と帽子を拾わんとしゃがみ込んだ桃子を、梨沙子は今にも舌打ちが聞こえてきそうなほど冷たい目で見下ろしている。
梨沙子は桃子にだけ当たりが厳しい。
本当は感謝していたり頼っていたりするのに素直になれない自分を、反抗期だから、と突っぱねてごまかしているだけなのだが、それにしても長い。
そろそろ終わってもいい頃だろう。尾崎豊か。
しかし、鉄のハートを持つ桃子も負けてはいなかった。


「もーっ!りーちゃんったらっ!ももちにはツンデレなんだからぁ〜〜〜」


ツンデレ。
よく桃子が雅や梨沙子に対して使う単語だが、99%のツンと1%のデレでもそう言うのだから便利な言葉である。
102 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:30
菅谷 梨沙子。

梨沙子がおぎゃあとこの世に誕生したとき、まんじゅう屋がショートケーキを産んだ!!、と浅草中が大騒ぎとなった。
ショートケーキという言葉選びがまた昔のひとのボキャブラリーではあるが、確かに先祖代々江戸っ子の両親の血を引いているふうには思えないほど、梨沙子は日本人離れした、西洋の人形みたいな愛らしい容姿をしている。
白く透き通った肌に、黒目がちな円い目やうさぎに似た鼻が絶妙なバランスで配置された顔立ちは神秘的ですらあり、しばしば神の子や天使に例えられるほどだった。

梨沙子の評判は浅草のみならず遠くまで広く知れ渡り、多くのひとに愛されかわいがられてきたのだが、恵まれたルックスがもたらしたものは決して良いことだけではなかった。
幼少期の彼女は、外を歩けば変質者に付け狙われ、車に引きずり込まれ誘拐されかけたことも少なくなかった。
そのトラウマが原因で、梨沙子は極度の男嫌いだ。
特に成人男性は虫けらと同等の存在として叩き潰しても罪は無いと考えている。但しイケメンは除く。

やがておしゃれに目覚めた梨沙子は、自己表現のひとつとして個性的なファッションを好む様になる。
モーブカラーの髪やつけまつげ、さくらんぼうみたく真っ赤な口紅。
それらは彼女にとって剣であり鎧であった。
繊細な感性やこころ優しい性格、天使の素顔はそのままに、派手な外見と目が合ったらカツアゲしてきそうなオーラで武装し、梨沙子は強くたくましく育った。



趣味は絵を描くことや空を眺めること、そして上野公園を散歩することである梨沙子だが、最近そこで不思議な女の子に出会ったそうだ。
東京都美術館や法隆寺宝物館の近くでよく遭遇するという彼女のことを、梨沙子はこう説明する。


「私によく似た女の子。どこかで会ったことがあるけど思い出せないの。
 私が生まれる前に会ったことがある様な気がする。
 どこか似てるかって言われたら、顔が似てる訳じゃなくて、何ていうか魂の形が似ている様な気がする―――


梨沙子もまた、不思議な女の子だ。
みんなで神経衰弱をした際は裏返したトランプの絵柄を、見える、と言ってすべてめくり当てたり。
ケサランパサランという謎の生物を何度も目撃したり。
それも昔の話で、もう今はそういうパワーはなくなってしまったそうだが、犬猫よろしく、何もない中空を梨沙子がじっと見つめているとそわそわする。



説明が遅くなったが、まんじゅう屋、とは梨沙子の実家のことである。
通りを挟んで雷門の向かいにある菅谷堂は、荘厳な風格が漂う門構えの、大正末期創業の和菓子屋だ。
日に3,000個は売れるという名物のこし餡の薄皮まんじゅうは、人気の手土産としてよくメディアに紹介されている。

しかしそんな菅谷堂にこの度、大きな異変が起きていた。
店主である父親が何の気なしに梨沙子に新作のアイディアを求めた、それがことの発端だ。

和より洋を好み、少々ゴシック趣味もある梨沙子は、かねてから店をホーンテッドマンションをイメージしたコンセプトカフェにしたいと考えていたため、ここぞとばかりに奇抜な企画・提案を推していったのだ。
そのせいで先日のハロウィンのとき、菅谷堂ではパンプキンタルトやこうもりの形のクッキーが販売され、店内は魔女やかぼちゃのお化けのオーナメントで装飾されていた。
厳格で従業員から恐れられている先代の祖父が梨沙子にだけは滅法界甘く言いなりになってしまっているのだが、流石に反対の声も上がっているらしいので、彼女がプロデュースするカフェは別につくることで話は落ち着いた。
来年の秋、浅草のど真ん中にブラン城がそびえ立つ。
103 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:31
それにしても梨沙子もまた大荷物でやってきた。
右手に持っているモダンな幾何学柄の風呂敷に包まれたそれは、新聞紙半分くらいの大きさの、底が浅い箱みたいだ。
梨沙子が布の結び目をほどくと、すかさず千奈美が、ぎゃー!!、と悲鳴を上げた。


「りーさん流石っ!天才っ!」
「シメはやっぱラーメンでしょ」


どこか誇らしげに梨沙子はふふんと鼻息を吹かす。
中身は生の中華麺であった。
1人前に丸められた太めの縮れ麺が並べられており、木箱の表には、浅草開花楼、と書かれている。
どうやって仕入れたのだろうか、店の厨房によく積み上げられているこれは明らかに業務用だ。
彼女たちがラーメンにかける情熱には驚きを飛び越え、尊敬を通り越し、恐怖すら感じる。

あとこれ、パパとママがデザートに食べてって、と差し出してきた梨沙子の左手の荷物は重箱であった。
1段目には佐紀たちには勿体ないくらいに上品で繊細な上生菓子が美しく整列していて、2段目は色々な種類の大福もち、3段目は個包装された煎餅やどら焼きが敷き詰められていた。
菅谷堂のお菓子は絶品だ。
目をかがやかせて覗き込む佐紀たちに対し、梨沙子1人だけが不服な顔をしていた。


「はあ。和菓子だしデザートって感じじゃないんだけど」
「えー?みや、梨沙子んちのお菓子好きだよ」
「えっ、そ、そんな、みや…みんなの前で好きだなんて…」


何て都合のいい耳だ。
恐らく梨沙子の頭の中で今のやり取りは、雅に抱きしめられて告白されている、くらいまで改ざんされている。
乙女チックシミュレーション、もとい糖度500%のキモ妄想は桃子だけにしてくれ。
頬を赤らめうつむく梨沙子を他所に雅は、うまー、と早くも大福にかぶりついていて、やはり自分が持ってきたかの様にみんなに配っていた。
104 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:33





◇◇◇◇◇





105 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:34
ついにすべてのカードが揃ってしまった。
今の佐紀はいきなり鍋が爆発してサタンが召喚しても受け入れられるくらいの悟りは開けている。

ごちゃごちゃとやっている間に下準備は終わっていた。
具材を入れた鍋をコンロの上に置き、いざ火にかけようとした、そのときだ。
唐突に桃子が、ああっ!、と叫んだ。


「いっけない。お箸、人数分ないんじゃない?」
「そうじゃん。コンビニで買ってこようか、割り箸」
「じゃあ私行ってくるよ」
「いいよ、私が行くって」
「いや、ここは私が「何言ってんの!私が「私が「私が!!」

「………」

「「「「「「………………」」」」」」


高々と片手を挙げた6人が目をきらきらさせて佐紀を見つめている。
何だ。その澄み切った瞳は。期待に満ち溢れた無邪気な子どもの様な表情は。
その視線は、ほら!乗ってこいよ!、と語りかけてくる。

こんなことをされなくても買い出しには佐紀が名乗り出るつもりだった。
一刻も早くひとりになりたい。
うんざりしながら佐紀は挙手をした。


「………じゃ、私が」

「「「「「「どーぞどーぞ!!!!!!」」」」」」


うぜー。
106 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:35
ああ、ようやく一息つける。
玄関で靴を履きながら佐紀は、束の間の安堵に胸を撫で下ろした。
しかしほんの少し娑婆の空気が吸えるだけで状況は変わらない。
どうすればいいだろう。

………

そうだ、生家にかくまってもらうのはどうか。
それがいい。そうしよう。
LINEがきても無視をして、何ならママに、急にお腹が痛くなって帰ってきちゃったみたいで、とか何とか電話してもらえばいい。
どうせこっちに戻ってきたら鍋を食べて実際に腹を痛めるのだ。
降って湧いた名案を希望に立ち上がると、後ろから千奈美に呼び止められた。


「きゃっぷてーん、コンビニ行くんならさ、何か適当にお菓子も買ってきてよ!」
「…はいはい、何でもいい?」
「うん!甘い系としょっぱい系とおつまみ系、バランス良くね!」


はいはい、分かったよ、とオーケーサインを千奈美に向けると、その脇から梨沙子がぴょこんと顔を出した。


「あっ、じゃあコーヒーもいいかな。ホット、甘いので」
「はいはい、コーヒーね」
「キャプテン、抹茶オレもいい?」
「はいはい、抹茶オレね」
「みや、ミロフラペチーノ飲みたい」
「はいはい、ミロフラp


………
……

スタバ―――

もういい。どうにでもなれ。
雅に一言一句間違えるなと叩き込まれた念仏みたいなミロフラペチーノのオーダーレシピをぶつぶつと唱えながら家を出た瞬間、佐紀は即刻i-phoneのTwitterアプリを起動させた。
107 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:35
【@084fromhell】
あの6人はもちろん、他の誰にも教えない様にしているこの鍵付きアカウントは、口に出せない愚痴やこころに溜まる不平不満を吐き出すために登録したものだ。
唯一フォローし合っている舞の、舞美ちゃんが聖人過ぎて死にたい、というつぶやきがタイムライン上に流れていたが、それに反応する余裕は今はない。
佐紀は手のひらの中の機器を巧みに操りながら140文字いっぱいに奴らへの鬱憤をぶちまけた。



あああああああああああああいあああ
あああああああああああいあああああ
ああぉあああああああああああああい
ああいあいああああいああっっっっぁ
つつっっっああでっ帰れ帰れ帰れ帰れ
帰れきき帰れき帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ
き帰れ帰れ帰れ帰れ私の日曜日返せ返
せ返せ返せ返せ返せいいああああうい
ああああ



何でいつも佐紀ばっかり佐紀ばっかり
佐紀ばっかり佐紀ばっかり佐紀ばっか
り佐紀ばっかり佐紀ばっかり佐紀ばっ
かり佐紀ばっかり佐紀ばっかりあああ
っいああああぁあああおああああああ
あぁあああああああああああああいあ
ああおああああああぁあああああああ
あっっつあああぉぉああああああぁあ
あおああ



ふざけんな



ふざけんなふざけんなふざけんなふざ
けんなふざけんなふざけんなふざけん
なあああああああああおあああああぁ
あいあああおぁあああああああぁああ
ああああああああああああああああお
ぁおあああ呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪
呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪
呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪
呪呪呪呪



108 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:36
佐紀たちは最初、親を介した関係性であった。
須藤亭を中心に、嗣永商店・徳永酒店・菅谷堂は仕入れ先であり、清水家と熊井家の父が客として訪れ、夏焼屋は浅草見番が手配する置屋、という繋がりがあったのだ。

そして忘れもしない2004年3月3日。
偶然に偶然が重なった、奇跡としか言い様がないシチュエーションで7人は初めて出会う。
―――あの日、下町中を震撼させ色々なひとたちを巻き込み、ついには警察やレスキュー隊まで出動させた大事件が起きたのだが、その真犯人がここにいる6人だということは、濡れ衣を着せられた佐紀しか知らない。

あれから約10年の歳月が流れたが、思えば彼女たちと出会ってから毎日が戦場そのものだった。
欲望のままに直感と勢いだけで突っ走る6人のモンスターに佐紀は、来る日も来る日も振り回され、要らぬ苦労と迷惑を被ってきた。

出る杭は打たれる。
みんなと同じじゃないと嫌われる。
周りに合わせられない者は叩かれる。
この国にはびこるそんな世論は彼女たちには通用しない。
なぜなら、出過ぎた杭は打ちづらくて誰も手を付けられないということを、奴らは身をもって体現しているからだ。



主人公は私じゃなくていい。
奴らと一緒にいればいるほどそんな気持ちにさせられた。
良く言えば個性的、悪く言っても個性的な彼女たちの、ぎらぎらびかびか好き勝手に放つ膨大なエネルギーは、目がくらむほど眩しく、同時に佐紀に暗い影を落として劣等感を植え付けた。

煙草の箱みたいな人生だ。
ことあるごとにそう思い知らされてきた。
他人の目にはきっと、隣立つ平々凡々な自分は彼女たちのすごさを分かりやすくする存在にしか映っていない。



それだけではない。
夢や目標に向かって真っ直ぐ突き進んでいたり、自分がかがやけるフィールドを見付けて活躍していたりする彼女たち。
それに比べて自分はどうだ。
仕事にやり甲斐を感じている訳でもないし、打ち込んでいる趣味もなければ、夢だって目標だってない。

何もない、何にもなれなかった自分が嫌だった。
そして、何か―――確固たる自分を持って堂々と生きている彼女たちが羨ましかったのだ。
109 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:37





◇◇◇◇◇





110 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:38
久しぶりに卑屈のメーターが振り切ってしまったため我を忘れて熱くなってしまった。
佐紀のタイムラインは、網膜に映しただけで生きる気力を奪い取られてしまいそうな呪詛で埋め尽くされている。
舞から、荒れてるね、大丈夫?今度ご飯行こ、と簡潔ながら温かいメッセージが届いていた。
ささくれ立ったこころに彼女の優しさがじんわりと染み込んで泣きそうになる。

むしゃくしゃしていたため、ついつい買いものにストレスをぶつけてしまった。
ぱんぱんに膨らんだコンビニの袋を片手に、ベンティのカップを何とか掴みながら、自室のドアの前に立ち尽くす。
結局のこのこと帰ってきてしまった。
はあ、と吐いたため息は重く沈み、佐紀の足に絡みつく。
安らぎの空間が、腹をすかせてよだれを垂らした6頭のモンスターに乗っ取られ、おどろおどろしい魔窟と化している。
佐紀は意を決して戸を開けた。
111 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:38





「ごめん、遅くな―――



「「「「「「キャプテンっ!!誕生日おめでとーーー!!!!!!!」」」」」」





112 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:40
人間は本当に驚くと視界が真っ白になるらしい。
しばらく目の前が付きの悪い蛍光灯よろしくちかちかと点灯し、ぱあん!、という破裂音が鼓膜で残響し続けていた。
気が付くと頭や肩にかかった色とりどりの細い紙テープがはらはらと足元に落ち、火薬の匂いが漂っている。
クラッカーだ。

よくよく周りを見渡すと、部屋もパーティー仕様に飾り付けられていた。
色紙の輪を繋げたチェーンが、半円の連続を描く様に天井の四隅を渡って吊り下げられ、カーテンレールからは、我らがおぱょ聖誕祭2013、という垂れ幕がかかっている。
そして桃子・千奈美・茉麻・雅・友理奈・梨沙子が、子どもの頃から変わらない、いたずらっこの笑みを佐紀に向けていた。


「おかえりー!びっくりしたー?」
「あはは!キャプテン超ぽかーんだよ!」
「…え、あ…うそ…」


驚き過ぎて口が全く回らない。
確かに先日の22日は佐紀の誕生日だったが、まさか、そんな、みんな忘れていたんじゃ―――


「いやー当日はみんな集まれなくてさ、でも何かしたいねーって話してて」
「そうそう!それで今日のサプライズを計画したんだよね」
「だから22日は、みんなおめでとうメール送らなかったんだよ」
「忘れてるってテイにしてさ、今日更にびっくりさせようって計画だったんだよね。でも…」
「熊井ちゃん0時ちょうどに速攻LINEしたんだよね」
「わー!それは本当ごめんって!」


にやにやと悪い笑みを浮かべながら向けてくる5人の視線を散らすふうに、友理奈はあたふたと両手を振っている。
そう、友理奈以外の誰からもお祝いのメッセージが届かなかったため、23日になった瞬間にTwitterに恨み節をこんこんと上げ連ねたのだ。
22日の23時59分59秒までちらちらとi-phoneを気にしていた自分が滑稽で、ハンカチーフを噛み切るほど悔しかったのだが、裏でこんなことが打ち合わせされていたなんて。


「あとこれ。店の売りもので申し訳ないんだけど。
 お鍋食べたらちゃんと歌も歌ってろうそくも吹こう」


梨沙子の手にある紙箱を開けると、そこには様々な種類のみずみずしいベリーでかわいくデコレーションされた豪華なホールのチョコレートケーキがあった。
クッキーでできたプレートには、HAPPY BIRTHDAY!OPAYO!、と書かれている。
もう1度言うが、菅谷堂は和菓子屋だ。
113 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:40
じゃっ!乾杯しよー!、と雅が缶ビールを配り始めた。
1人未成年の梨沙子は、こういうとき損だよねー、と口を尖らせてグラスにウーロン茶を注いでいる。
それでもあと約4ヶ月後には彼女も20歳になるのだ。
出会ったときはみんなあんなにちいさかったのに。
ふと、一緒に過ごしてきた時間の長さを改めて実感して、佐紀はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
肩を叩かれて振り向くと、桃子がいちごカルピス味のチューハイとベリーモヒート味のカクテルの缶を突き出していた。


「はいっ、佐紀ちゃん、どっちがいい?
 甘いのしか飲めないってことになってるもんね」
「………あ、じゃあ、ベリーの方で」


桃子のイラッとする棘を含んだ発言も今回は聞き流そう。
佐紀ちゃんって飲み会の最初の1杯でもカシスオレンジ頼んで甘いのしかしか飲めないんです〜とか言うの?(笑)、とか、ブログの自撮りがいつも同じに見えるんだけどあの表情が1番自信あるんだね(笑)、とか、女子的に触れて欲しくないところをあえて小ばかにしてツッコんできて辱め、こちらの反応を楽しんでいるのだ、桃子は。
どちらも図星だから何も言えないのだが。



ハッピーバースデー!おぱょー!、という音頭で乾杯をした。
果実のジュースみたいなアルコールが舌の上に広がり喉を潤す。
まだ3口しか飲んでいないが、既に良い気分だ。

しかし茉麻が、さあ、お鍋も食べよっか!、と切り出してたちまち全身がこわばった。
こたつテーブルの中央に鎮座しているそれを、ひたすら視界に入れない様にしていたのに。
みんなはこの匂いに気付いていないのだろうか。
かすかに漏れ出た臭気が、これを劇物だと告げている。
114 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:41
オープンっ!!、と千奈美が蓋を開けると、悪臭がむあっと強くなり、うっ、と思わずうめいてしまった。
湯気の向こうの顔を見回すと、やっとことの重大さを理解できたのだろう、全員が全員、笑みの表情のまま口の端だけ引きつらせている。

鍋の中は地獄絵図と化していた。
キムチの朱と牛乳の白を全く感じさせないくらい泥沼状に茶色く濁ったスープは、強い酸味とえぐみを想起させる匂いを発している。
恐らく皮膚に付着したらしゅわしゅわと音を立てて表面が溶け、植物にかけたら一瞬にして干物状に枯れ果てるだろう。
ぐつぐつという音に、食材の悲鳴が混じって聞こえるのはきっと気のせいではない。
地獄の釜で茹でられる罪人、という構図の絵が頭に浮かんだ。
白滝のかたまりが老婆の白髪に見える。


「やっぱコーラ入れたのがいけなかったんだよ」
「カレー粉少なかったんじゃない?」
「マヨネーズは万能調味料って言ったの誰だっけ」


耳に入ってきたひそひそ話に絶望する。
想像よりはるかにひどい出来ではないか。
余りの惨状にしばし思考機能が停止していたのだが、桃子がいそいそと器に1人分を取り分け始めたのを視界の端にとらえたのと同時に、スイッチを入れたミニ四駆のタイヤホイールのごとく頭が急速に回転した。
おいまさかやめろ―――
読める。この後の展開がありありと。


「はい、佐紀ちゃん、今日は主役だから最初にどうぞ♪」


案の定、桃子は予想通りの行動を取った。
両手で器を包み込み、隙のない笑顔で彼女はそのブツを差し出してきたのだ。


「えっむむむ無理無理無理無理っ!!」
「だいじょぶだよぉ〜ほぉ〜らこんなにおいしそぉ〜♪」
「ならももが食べればいぅわちょ顔に近付けないでよ!!!!!待って待ってみんな助k…!


他の5人にすがりつこうとしたが、塾のCMの講師よろしく無責任且つ根拠のない力強さで、君ならできる!、と言わんばかりの満面の笑みでうなずかれただけだった。

   ふ   ざ   け   ん   な

115 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:42
目の前に早速器を置かれ、強制的にレンゲを握らされた。
というか臭い。マジで臭い。
この近さで嗅ぐと雨に濡れた野良犬の匂いがして、もう少しで天に召されるところだった。
本能が警鐘を鳴らしている。
これを食べたら死ぬ。メーデー!メーデー!

………

ああ。しかし。
これが日陰者の運命なのだ。
甘んじて受け入れよう。いつもの様に。

佐紀はこころの中で十字をきった。
パパママ、今までありがとう。
もしも佐紀が帰らぬひととなったら、この6人を訴えて存分にお金をふんだくってください、アーメン。

震える手でスープをすくい、くちびるの隙間に流し込む。
そして佐紀は―――目を見開いた。


「うっそ。超おいしい」

「「「「「「えっ?!」」」」」」

「いや、本当おいしい。食べたことない味だけど」


そうなのだ。
鍋のスープは驚くほどおいしかった。
あれだけ攻撃的だった激臭は、口に入れた途端に高原を抜ける爽やかな風へと昇華したのだ。
もしかしたら嗅覚がいかれてしまっただけなのかもしれないが、それはそれで結果オーライである。

舌の上では様々な食材が旨みのハーモニーを奏で、至高のシンフォニーを織り成していた。
思わず、味のウィーン交響楽団や!、と彦摩呂が憑依した様なことを口走りそうになったが何とか我慢した。
ああ、この素晴らしい感動を上手く表現できない己のボキャブラリーの貧しさが口惜しいが、これなら海原雄山も唸ること間違いなしだろう。
レンゲを箸に持ち替え、鍋をもりもりと平らげていく佐紀を、いつの間にか他の6人はどや顔で囲んでいた。


「おいしいに決まってるじゃーん!」
「だってうちらがつくったんだしぃー?」
「ねー!」


嘘つけ。毒見に使ったくせに。
116 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:43
佐紀は思った。
この鍋は佐紀たち7人みたいだ、と。
それぞれは個性的で主張の強い素材かもしれないが、ひとつの鍋でぐつぐつと煮込むことによって、不思議な調和と深い味わいが生まれるのだ。

約10年、佐紀たちは一緒の鍋で煮込まれてきた。
楽しいことも嬉しいことも、たくさんたくさん7人で分かち合ってきた。
しかしそれだけではない。
喧嘩もいっぱいした。
みっともない自分も情けない自分も全部さらけ出してぶつかってきた。
数々の困難が山や壁となって佐紀たちの目の前に立ちはだかったが、その度にちからを合わせ協力して乗り越え、打ち破ってきたのだ。
―――その山や壁の起因は主に彼女たちにあったのだけれど。



それなのに何てひどいことを考えていたのだ。
こんなに自分のことを思いやってくれている彼女たちを、恐ろしいモンスターだの飢えた野獣だの地獄からの使者だの世紀末の破壊神だの―――
鉛のごとき重さで後ろめたさが背に肩にのしかかる。
佐紀は己の卑屈さを恥じた。

ごめん。
そうこぼれそうになった言葉を急いで飲み込む。
いや、今伝えるべきは謝罪ではない。
佐紀が今伝えるべきは。


「ありがとう!みんな大好き!」


何もない訳ではない。
彼女たちがいるではないか。
何にもなれなかった訳ではない。
こんな個性的で好き勝手に暴れるモンスターたちをまとめられるのは佐紀以外にいないではないか。
それだけで十分だ。

ああもう。慣れないことを言うもんじゃない。
恥ずかしくて顔が上げられない。


「もぉー!そんなの知ってるよぉー!」
「改まっちゃって何言ってんのー!」


彼女たちも照れくさいのだろう、茶化してきた声もむずかゆそうで落ち着かない。
ヤバい。今、すごく幸せ。
嬉しい。泣きそう。ていうか泣く。
感極まり、溢れた涙がぽろんと器に落ちていく。
身体の奥からこみ上げてくる熱いものを押し戻す様に、佐紀は缶に口を付けてぬるくなった酒を流し込んだ。





◇◇◇◇◇





その夜、佐紀は経験したことがない激しい腹痛に襲われ、脂汗をだらだら流し、歯を食いしばりながら一晩中のたうちまわった。
他の6人は特に何もなかったらしい。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
117 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:45



◇◇◇◇◇



118 :戦場のベリーズライフ :2014/03/03(月) 00:45



◇◇◇◇◇



119 :名無飼育さん :2014/03/03(月) 00:47
Berryz工房デビュー10周年おめでとう!いつもありがとう!ベリヲタでよかった!
本当は肉の日にupする予定だったのですが…しかしながら約4年間自分の頭の中でだけ楽しんでいた妄想を形にできてよかったです。
書いていてとても楽しかったのですけれども何というか本当に申し訳ございません。
宜しくお願いします。



>>78
ありがとうございます。約半年間、お言葉を励みにしてきました。重くてすみません;;
いやはや、何か書き出しても長くなりそうになって挫折、というスパイラルから抜け出せず、ネタ墓場には中途半端になってしまったお話たちがたくさん。。。
しかしながらレスがとても嬉しかったので、他にも何か短めでいけそうなものがあったら掘り起こしてみますね><
120 :名無飼育さん :2014/03/03(月) 18:50
いろんなベリネタ・ハロネタ満載で、
贅沢に楽しませていただきました。
ええ話もありつつ、やっぱり笑いつつ…
キャプはきっと(むしろ絶対)大変だったと思いますが、とても爽やかな読後感でした。(笑)

また素敵な掘り起こし、まったりお待ちしてます。(^^)
121 :名無飼育さん :2014/04/03(木) 00:22
>>120
レスありがとうございます!とても嬉しいです!
笑って頂けたのなら本望です、主役なのに振り回される苦労人のキャプテンをどうしても書きたかったのです笑
また何か書けたときは宜しくお願いします!
122 :名無飼育さん :2015/02/01(日) 18:30
「idoloid」
123 :idoloid :2015/02/01(日) 18:31
私たちHello! Project所属の【idoloid】は、西新宿にある専属のメンテナンスラボに通っている。
超高層ビル群と豊かな緑が混在した、現世のバビロンの空中庭園と評されているこの一帯。
ラボは、柄の短いフルートグラスを逆さにした形に似た、地上600mのこの建てものの108階に位置していた。

待ち合い室にはストリングスの音色が美しいヒーリングミュージックが流れている。
革張りのソファは座り心地が良くて、ここで1杯コーヒーでも頂ければ優雅な気分に浸れるのに、といつも思う。

3Dマガジンを読むのにも飽きて外の景色に視線を移すと、強化複層ガラス壁の向こう、重そうな雲の合間から、薄らとオーガンジーのように太陽光が漏れ差しているのに気付いた。
珍しい。東京では1ヶ月以上曇りの天気が続いている。


「熊井ちゃぁん」


気が抜けた炭酸みたいな声で、ちぃが私の名前を呼んだ。
診察ルームから待ち合い室へ出てきた彼女は、大袈裟に背中を丸めながら、ふらふらとした足取りで私の隣に辿り着くと、どさりとソファに身を預けた。
どっこいせー!、という言い方がおかしくてつい笑ってしまう。


「はっやくない?」
「うちはいつものだけで終わったから」
「えー?千奈美も変わんなかったんだけどなあ」
「何だって?」
「うーん、ライブの後、いつもみたいに、普通に来ればいいんだってぇ」


何か拍子抜けしちゃったぁ、とちぃは肩をすくめる。
くちびるを尖らせ、つまらなそうな顔をつくっていたが、直ぐに何か閃いたふうに目を見開いた。
表情がころころ変わるから、ちぃは見ているだけで楽しい。
124 :idoloid :2015/02/01(日) 18:31
iPhone86を取り出し、三つ折りになっているそれを開くとちぃは、その中空で糸を巻くみたいに人差し指をくるくると回した。
恐らく言語変換アプリを起動しているのだろう。
予想はやはり的中した。


「ひょうしぬけしちゃったーーー」
『 ENGLISH : feel deflated 』


本体に顔を近付けてしゃべると、直ぐにそれを他言語に訳してくれる。
ちぃは英語とタイ語と中国語を登録していて、最近ではフランス語にまで手を広げ始めていた。

元から語学勉強に励んでいたちぃだけれど、この頃は更に熱心だ。
楽屋でアプリを使っていると、ちぃやめてよ!茉麻とみやのばかがこれ以上目立ったら困るじゃん!、とみやが悲鳴に似た声を上げて、道連れにされたまぁさんが、ちょっとちょっと!、とどこにいても慌ててツッコミに入ってくる、というお決まりのコントが出来上がっている。

梨沙子にフランス語の発音を教えるちぃは、いつもちょっと得意げな顔で、お姉さんぶった口調になる。
向き合って、しるぶぷれー、などと言い合っている様子は、くちばしを突き合わせている親鳥とひな鳥のようでかわいい。


「ふぃーる でふれぃてど」
「ふぃーる でふれてっ…と?」
「のんのん!ふぃーる!でふれぃてど!」
「そういうふうに言うんだねえ!へ〜!」


感心しているとたちまち画面が緑色に光った。


『 ENGLISH : wind; gas; fart 』
「「?????」」


言語変換アプリはたまに誤作動を起こすので戸惑う。
125 :idoloid :2015/02/01(日) 18:32
ほどなくして私たちはラボを後にした。
これからまた会社に戻らなければならない。
インタビューを幾つか受けて、夜にはラジオの収録がある。

2人してエレベーターに乗り込んだ。
先客は誰もおらず、タッチパネルで1階を示すとゆっくりと扉が閉まり、降下を始めた。

このビルは至るところが透明になっていて苦手だ。
10年以上通っているけど慣れる気がしない。

エレベーターも例外ではなく、円柱形の建てものの外周に幾つか設置されているそれは、傍から見ると、中のものが宙に浮いて上下運動しているふうだ。
空に吸い込まれて行くように上昇していく姿は、冷静に考えるとちょっとおかしい。



特別高所恐怖症という訳ではないけれど、このエレベーターは本当に恐い。
床までもが透き通っているせいで、足元が不意に抜けて、地面に叩き付けられる想像をどうしてもしてしまうのだ。

いつだったかちぃが、天井を見上げてると恐くないよ!、と教えてくれてからは、それを実践している。
2人して天を仰いでいると、よくみんなに笑われた。
ちぃも私も無意識の内にぽかんと口が開いてしまうみたいで、その顔が面白いらしい。



スローモーションで空が遠ざかっていく。
いつの間にか日差しは消えていて、くすぶった鈍色がどんよりと広がっていた。
残念。晴れると梨沙子が喜ぶのに。


「あのさぁ、熊井ちゃん、千奈美ね、熊井ちゃんにお願いがあるんだけど」
「お願い?」
126 :idoloid :2015/02/01(日) 18:32
突然の申し出に驚いて視線を隣に移すと、ちぃはまだ真上を見上げていた。
その様子は何かが空から降ってくるのを待っているふうだけれど、眼差しが真剣だったせいか、底に突き落とされて睨んでいるようにも見えて、少しどきっとした。
蛍光色のピアスが目に眩しい。


「次の次の月曜日、熊井ちゃんもオフだったよね」
「うん、そうだ…ったはず」
「ちょっと千奈美に付き合ってくれるかなあ」
「えっ、でも再来週の月曜日って…」


ちぃの最後のオフじゃん。
言いかけて慌てて続きを飲み込んだ。
最後、とか、ラスト、とか、そういう言葉は私たちの間ではタブーだ。
奥に押し込んだ台詞が喉にへばり付く。


「いいの。付き合ってくれる?」


静かにつぶやいて、ようやくこちらを向いたちぃが余りにも真面目な顔をしていたので、思わず3回、素早くうなずいていた。
すると彼女は直ぐに、良かったー!、とふにゃっと笑って目の端を更に垂らしたのだった。

普段の調子に戻って安堵する。
しかし、こんな大事な日を私と過ごすなんて、本当に良いのだろうか。
訊いて楽になりたかったけれど、ちぃが何ごともなかったふうに、昨日観た昔のピクサーアニメの話をいつも通りのからっとしたテンションでしゃべり出したのでタイミングを逃してしまった。

もやもやが胸の辺りで霧みたいに立ち込める。
おもちゃのヒーローの結末よりも、知りたいことがあるのに。

だって再来週の月曜日は、ちぃの心臓が動きを止める前の、最後のオフだから。
127 :idoloid :2015/02/01(日) 18:33



◇◇◇◇◇



128 :idoloid :2015/02/01(日) 18:34
今から何十年か前、生化学やロボット工学の革新的な発展により、人間に極限にまで迫った機械仕掛けの人工生命体・アンドロイドが全世界に広まった。
道徳や倫理観からもちろん反発の声は絶えないが、少子高齢化の末期に差し掛かっていた日本の需要にぴたりとハマり、今や我が国の人口の1/3以上はアンドロイドが占めていると言われている。

アンドロイドの中でも職業分野におけるアイドルに特化した機体を【idoloid】と呼ぶ。
外見も内面も無個性的な女の子が一糸乱れぬパフォーマンスを繰り広げるのが昨今の流行りであり、それに伴って【量産型idoloid】が大きなムーブメントになっていた。



そんな中、私たちは平成という、はるか昔の時代に活躍したアイドルグループ・Berryz工房の復刻版としてこの世につくられた。
記録として残されていた数百年前の彼女たちのデータから、思考や行動のパターンが細かくプログラミングされ、顔や身体付きも寸分違わずそっくりに模されていているのだ。

しかもオリジナルの彼女たちが子どもの頃から活動していたということで、私たちは【量産型】よりはるかに維持費がかかる【成長型idoloid】という種類になる。
加齢という概念がなく、設定年齢のまま固定されている【量産型】に対し、【成長型】はその名の通り、人間のように身体を成長させられる。
何度も何度もパーツを交換したりプログラムを微調整したりして、子どもから大人へ変化させられるのだ。
129 :idoloid :2015/02/01(日) 18:34
前述の通り、無個性派アイドルがブームとなっている中で、私たちBerryz工房は異端だ。
見た目も性格もてんでばらばらで、よくその存在を7色の虹に喩えられていたという、オリジナルのカラフルな個性はそのまま受け継がれている訳で、つまり流行りに反している私たちは、まずメインストリームに乗れない。

しかしながら、ひとにより近い人工生命体として神聖視する熱狂的なファンに支えられ、現段階で10年以上活動していながらも―――
いや10年以上活動しているからこそ、一定の人気を保っていられているところはあるかもしれない。
同業の【量産型】からは尊敬の眼差しを送られ、アイドル界では大きなブレイクはなくともそこそこの地位を築いていた。
そう、皮肉にもオリジナルと同じような道を辿っているのだった。



オリジナルのライブ映像はBDという古い機器で何度も観たことがある。
顔や声や癖まで自分と瓜二つなのに、でも自分じゃない。
そんな人間がずっと昔に存在していて、当たり前に歌って踊っているということが、何だか不思議で仕方なかった。

マイペースで汗っかきで、食べものの好き嫌いが激しくて、くまくまトークという独特のおしゃべりをする、私とそっくりで、でも私じゃない、クマイ ユリナ。
画面の中で、彼女の言ったことが周りに全く伝わらず、客席やメンバーに笑われている中で1人焦っているシーンをよく見掛けたが、私だけは彼女がどういうことを言葉にしたかったかが、テレパシーみたいに理解できた。

だって私も同じだから。
何かしゃべったとき、お客さんがざわざわすると、ひやっとする。
また変なことを話してしまうのではないかと気にし出すと、発言の機会がある度に緊張で身体が強張り、手のひらに汗がじわりと滲んだ。
今ではようやく慣れて、笑ってくれるリアクションに優しさすら感じるけれど、伝えたいことがひとに上手く伝わらないのは、とにかくもどかしくてストレスなのに、きっと誰も分かってくれない。

私のことをまるごと理解してくれるのはクマイ ユリナだけ。
もし彼女に出会えたら、親友になれたかもしれない。
130 :idoloid :2015/02/01(日) 18:35
【idoloid】の活動期間は、【量産型】で平均3年・最大で丸5年、【成長型】は23歳になる誕生日まで、と定められている。
そのときを、卒業、という遠回しな言い方をされるけれど、私たちにとっては紛れもない、死、だ。
ほとんどの【idoloid】はそのときを迎えると、左胸に位置する偽ものの心臓を取り抜かれて、ただの人形と化す。

メンテナンスさえ欠かさなければ無限の命があるはずなのに、なぜ私たちには、人間における寿命が決められているのか。
日本人は儚さを好む生きものだから、という情緒に訴えた理由を提示されるけれど、そんなのは都合のいい嘘だということは、鈍いとかぼんやりしているとかよく言われる私でさえ直ぐに見破れる。

人間は歳を取ったり長年活動していたりするアイドルに必ず飽きるのだ。
新しい流行りが生まれて、用済みになった不要物を廃棄するとき、罪悪感を感じない正統な言い訳が欲しいだけである。



人間と同等の権利を得て、平等な地位を確立しているとされているアンドロイドだが、そんなはずはない。
思考能力や欲求、感情や痛覚なども備わり、快適に共存するための生活基盤も整えられているが、決定的なところで人間と違うことを思い知らされる。
生きものでは決してない私たち。

廃棄になった自分の身体がどうなるかは教えられない。
何にせよ、知りたくもないし考えたくもなかった。
維持費を出資してくれているパトロンやスポンサーのお金持ちのオジサンたちの中で競売に掛けられて、最後のお金儲けをさせられるという噂は、私たちの間にまことしやかに流れているけれど。
131 :idoloid :2015/02/01(日) 18:35
Berryz工房はオリジナルの通り、最年長のキャプテンと最年少の梨沙子で3歳の開きがある。
ということは、年齢順にスイッチが切られていくと、最終的にBerryz工房は梨沙子1人になってしまう。

せめてオリジナルと同じに、桃が23歳になる前の3月3日、7人一緒に活動を止めて欲しいと訴えたが、会社のひとたちはそれを許さなかった。
彼らの頭の中には、利益を勘定する計算機しか入っていないのだ。



2××4年11月22日。
まず最初にキャプテンの心臓が止まった。

偉いひとに歯向かった制裁で、最後の方はメンテナンス費を出してもらえなかったため、ラストステージではキャプテンの身体に異常が起きていた。
あの日のキャプテンのダンスは、私の目にはいつも通り完璧に見えたのだけれど、彼女の左膝から下には動作信号が途切れ途切れにしか伝わっていなかったらしい。

あの泣き虫のキャプテンが舞台上では1滴の涙も流さず、しかし袖にはけた瞬間に崩れるように倒れ号泣していた。
獣みたいに声を上げ、何度も膝に拳を叩き付けて、あんなふうに激しく泣く彼女を初めて見た。
自分の身体が思うように動かない悔しさや苦しみはどれほどだったろう。
ダンスに絶対的な自信と誇りを持っていたキャプテンにとってそれは、悪魔が企てたかのごとく最も残忍な仕打ちで、今でもあのときのことを考えるとやるせなさで苦しくなる。



しかし、桃のときはもっと酷かった。
11月22日のぎりぎりまで1番反抗したのは桃だったからだ。

そんな桃は卒業ライブの直後、忽然と姿を消した。
あの日からもう2ヶ月が経った。
未だ会社のひとたちが血眼になって探しているみたいだけど、一向に行方が掴めていないらしい。
誰にも何も告げず、一体どこへ行ってしまったのだろうか。



現在、Berryz工房は5人で活動している。
キャプテンと桃がいなくなったステージや楽屋はすごく広く感じる。
5人でおしゃべりしているとき、2人分の声がないことに違和感しかなくて、すっかり全員でいることが珍しくなってしまった。

そして約半月後の2××5年5月22日。
新武道館で行われる卒業ライブを終えた後、ちぃはラボで静かに永久の眠りにつく。
132 :idoloid :2015/02/01(日) 18:36



◇◇◇◇◇



133 :idoloid :2015/02/01(日) 18:37
ちぃと私はレギュラーのラジオ番組を持っている。
オリジナルと同じ『BZS1422』という看板を掲げたそれは、日曜深夜0時30分に放送されるところも一緒で、当時のコーナーも忠実に再現されていた。

収録現場である局の本社は、建もの自体は会社から近い場所にあるのだけれど、地下にあるからちょっと移動が大変だ。
エレベーターで下へ下へ潜っていくと地下都市港区麻布台域に出る。

30階建ての大型ショッピングモールが幾つか繋がった形をしているそこは、吹き抜けの天井を見上げると昼間はいつも青空が広がっている。
ミストスクリーンに常時晴れ模様を投影させているかららしいけれど、ちぃはそれが好きみたいで、ちょっとした買いものでも地下都市に行きたがった。
夜は夜でプラネタリウム化して綺麗だ。



ラジオブースはシティプランツの鮮やかな緑に囲まれている。
その中央にある、白くて円い天板のテラステーブルについて収録をするので、毎回何だか屋外のカフェでおしゃべりしているみたいだ。
ここで1杯紅茶でも頂ければ優雅な気分に浸れるのに、といつも思う。

今回の2本録りはちぃの卒業が目前ということで、徳さんスッペシャル、と名付けられた。
1本目はもう収録し終え、この2本目は、彼女が誕生日を迎える前の最後の日曜日に放送されることになっている。
台本の進行に沿って、たくさん寄せられたメールから1通を読み上げた。
134 :idoloid :2015/02/01(日) 18:37
「『千奈美ちゃん、熊井ちゃん、こんばんは!』」
「こんばんはー!」
「『毎週楽しく聴いています』」
「ありがとぉーぅございますっ!!!!!」
「ふはっ」


節やリズムを付けた、ちぃの独特な言い回しに思わず吹き出してしまう。


「『今月の22日に千奈美ちゃんが卒業してしまうということで、とても寂しいです』」
「うん、そうだねぇぇぇ、千奈美も寂しぃ〜」


大袈裟に泣きそうな声を出してちぃは、指の先だけで弾くように目の下を拭う仕草をする。
どこかで見たことがあると一瞬考えを巡らせたが、そう言えばいつか彼女に観せてもらったディズニーアニメの登場人物がそんなふうに涙を散らしていた。
真似をしているのかもしれない。


「『ところで、このBZSはどうなってしまうのですか?
 熊井ちゃんがソロでやるのでしょうか』」
「あーそれね!」
「『僕は梨沙子ちゃんのファンなので、熊井ちゃんと梨沙子ちゃんの番組が始まって欲しいです』」
「………」
「………」
「ちょーっと待った!!!!!!!
 まーーーた梨沙子か!!!!!!!」


沈黙を割くようなツッコミにまたも笑いを誘われる。
まーーーた梨沙子か!、はこの番組でお馴染みの台詞だ。
このメール、またスタッフさんが出したんじゃないの?!、とちぃは噛み付かんばかりにブースの外へ大声で叫び、名字を呼び捨てにしてなじっている。
スタッフさんの中に梨沙子のファンがいるのだ。


「あのさあ、千奈美だったら何言ってもいいって思ってんでしょ、このお便りのひと!
 しつれー!ホントしつれー!」
135 :idoloid :2015/02/01(日) 18:38
眉根にしわを寄せてちぃは怒りを露にしている。
確かに、私たちの卒業は割と軽いノリで扱われることが多いが、寂しいけれど仕方がないのかもしれない。
ファンのひとたちも慣れきってしまっているのだ。
今日もどこかで誰かの心臓が取り出されていて、【idoloid】の活動停止がニュースになることなんて、よっぽど有名で人気がある者のときにしかない。
小鼻を膨らませて息巻いていた彼女は突然私の方を向いた。


「あ、これからのBZSだけど、熊井ちゃん、絶対1人でやってよね!」
「えっ?!えっ?!」
「だいじょぶ。熊井ちゃんならだいじょーぶ」


咄嗟に首を横に振ってリアクションしている私に向かって、ちぃは深くうなずいている。
待って。そんな。私には。
焦っている私に気付いているのかいないのか、彼女は構わず番組を進めた。


「ええと、このことについては次回発表するから、ちゃんと聴いてね〜。
 それではセカンドチューンです!
 前回から千奈美の好きな曲ばっかりかけさせてもらっているけど、これはね、この前久しぶりに聴いてみて、それから本当によく聴いてるんだ。
 歌詞が良いなーって。みなさんも、ハンカチを用意して聴いてもらえたら。
 あ、もう用意した?かけちゃうよ?サンッ!ニーッ!イッチッ!ハイッ!
 Berryz工房で!『希望の夜』!」


呆然としていて、2人で声を合わせる曲振りを忘れてしまった。
はっと意識が戻ると、ちぃが不思議そうな顔で、私の目の前で手をひらひらと扇いでいる。
それに対して私は曖昧に笑みを浮かべてごまかした。
この不安を余り悟られたくない。
136 :idoloid :2015/02/01(日) 18:38
『BZS1422』のこれからに関して、実はちぃには内緒で1ヶ月前くらいからスタッフさんから打診されていた。
1人で続けるか、それともBerryz工房の番組にしてしまうか。

即答、とまではいかなかったけれど、考えた結果、私はやはり後者を希望した。
彼女はこのことを知らされていないのだろうか。



だって、1人でキャスターもレギュラーコメンテーターも受け持つということは、くまらない話を30分間に延長したものを毎週放送するのと同じだ。
無理に決まっている。
想像しただけで目眩がした。

しゃべることは本当に苦手だ。
何か話す度に、自分の伝えたいことを言葉にする難しさを痛感する。
私がうろたえている姿をファンのひとたちが楽しんでいるのは別にいいのだけれど、笑われるのはいつだって恥ずかしい。
焦れば焦るほど混乱して、頭が真っ白になり、汗が噴き出てくる。
絡まった細い糸はどんどん解けなくなってしまう。

今だって、台本は私の分だけ紙で出力してもらっている。
不安なところや訂正する箇所をペンでチェックして書き込むためだ。
くまらない話のページなんて直ぐに一面真っ赤になってがっかりする。
こんな調子で、1人でラジオのパーソナリティーなんてできるはずがない。



多分、今後『BZS1422』は4人の番組になる。
でもきっと、ちぃは分かってくれるだろう。

おしゃべりが不得意なことを、彼女が1番理解してくれているし、何だかんだ甘やかしてくれるお姉ちゃんなところもある。
くまくまトークを見たがる桃にむちゃぶりされたとき、いつも本気で困っている私を助けてくれたのはちぃだった。
それに、彼女がいたから『BZS1422』もここまでやってこれたのだ。

次の放送は5月24日。
収録は22日の朝で、ちぃがいる放送はこれで最後になる。
これが電波に乗って流れるとき、彼女の身体はもう動かない。
137 :idoloid :2015/02/01(日) 18:39



◇◇◇◇◇



138 :idoloid :2015/02/01(日) 18:39
時間なんてあっと言う間に過ぎる。
最後のオフの当日、ちぃが行きたいと言い出した場所は、新江ノ島水族館だった。


「水族館って初めて来た」
「そぉなの?千奈美、よく来るよ」


入り口で記念撮影をしながら、どうしてちぃはこんな時代錯誤なところを選んだのだろうか、と疑問を巡らせていた。
動物園や水族館など、生きものを飼育して展示している施設そのものが廃れているのに、その中でもこんな古い建てものに来たがるなんて。
私なんて彼女に言われるまで、この水族館の存在自体を知らなかった。
各地にあるスクリーンドームに行ってアクアシアターのチケットを買えば、水中を歩いたり海の動物たちと戯れたり、リアルなバーチャル体験が手軽にできるのに。

とにかく不思議でたまらなかったけど、熊井ちゃん、行こう!、と声を弾ませたちぃに手首を引っ張られて、考えることをやめた。
彼女は、前にお気に入りだと言っていたワンピースを着てきた。
ちぃ自身もきっとこの日を特別なものだと考えているに違いない。
振り返った彼女が、遊園地を目の前にした子どもみたいな、すごく嬉しそうな顔をしていたのだから、これでいいのだ。
今日はちぃのための1日にしよう。



本当によくちぃはこの水族館に来るみたいで、回遊魚のようにすいすいと館内を案内してくれた。
普段は1人で訪れては自分のペースで見て回って帰るらしい。

寂れていてがらんとしたイメージがあったけれど、水族館は純粋に楽しかった。
特に私は館内のメイン展示である大水槽が気に入った。
銀色にうろこを光らせたちいさな魚たちが群れをなして泳いでいる様子は、意思を持った大きな生きものがうねっているみたいで圧倒される。

ずっと見ていても飽きなくて、水槽の前から動けずにいると、パシャ、と乾いたシャッター音がした。
驚いて隣を向くと、熊井ちゃぁん、とカメラを構えたちぃがにやにやしながら私の顔を覗き込んできた。
どうやらまた口が開いていたらしい。



そう、ちぃはカメラを持ってきていた。
デジタル一眼レフ、という種類だと説明してくれたけれど、私にはいまいちよく分からない。

けれど、iPhoneに付属しているものでも高画質でそこそこのものが撮れるのに、専門の機械を別に持っていることが何だかちょっと格好良い。
首から下げていた革のストラップが飴色に艶めいて、ちぃがすごく大人っぽく見える。
いつだったか、彼女が撮ったものを見せてもらったことがあるけれど、不思議な構図の風景だったり、変な表情をした動物だったり、何となく被写体にらしさが滲んでいる気がして面白かった。
139 :idoloid :2015/02/01(日) 18:40
ちぃがこの水族館に来たお目当ては、15時から始まるアシカのショーらしかった。
屋外にある扇形のプールでそれは行われるらしく、プールの形に沿ってカットしたバームクーヘンのような客席はハロコンの雛壇を思い出させた。
どこに隠れていたのだろうか、そこは最終的に1/5くらい埋まっていた。

初めて目にしたアシカは、表面がぬるぬると光っていて、黒の油絵の具のチューブからにゅるんと押し出されて生まれてきたみたいな動物だった。
かわいいかかわいくないかはよく分からないけれど、賢い生きものなのは理解できた。
音楽に合わせてダンスを踊るような芸だったり、係員のひとと言葉が通じ合っているみたいに繰り広げられるコントだったり、ショーはとても楽しくて2人してよく笑った。



ショーが始まって少し経ってからやっと、ちぃがよく「アシカのトレーナーになりたい!」と口にしていたアシカというものが、目の前の生きものとイコールで結ばれることに気付いた。
つまり彼女はこの、アシカを操る係員に憧れているということだろうか。

半袖のポロシャツを着て、腰に餌が入ったバケツを携え、ポニーテールに髪を結った、人間のお姉さん。
笑顔を絶やさず元気良く振る舞う姿にちぃを重ねると、何だかとてもしっくりきて、自然にうなずいていた。
そんなお姉さんは不意に客席を見渡すと、インカムマイクを通し、子ども向け番組のように明るくこう問いかけてきたのだった。


「では今度はお客さまの中で、アシカトレーナーに挑戦してみたい方、いらっしゃいませんかー?!」
「ハーイ!!!!!!!」


びっくりした。
突然耳元で大きな声がしたことにも、隣でちぃが高く高く手を挙げていたことにも。
うろたえて、つい素っ頓狂な声が口から飛び出てしまう。


「えっ?!ちぃ?!」
「では!そこのお姉さ…あ、いつものお姉さんですね!こんにちは!」
「こんにちはっ!」


しかも顔も見知りらしい。
語気を弾ませ、はきはきと返事をするちぃに周りから笑いが起こる。
140 :idoloid :2015/02/01(日) 18:40
何なんだ。展開に全く付いていけない。
思わず瞬きを繰り返してると、ちぃが何かを私に握らせてきた。
カメラだ。冷たくて固い凹凸が指に慣れなくて、つい取り落としそうになる。


「熊井ちゃんっ!写真頼んだっ!」
「え、ええっ?!」
「いっぱい撮ってっ!お願いっ!」
「えっ?!えっ?!どこ押せばいいのっ?!」


既にプールの方に駆け出しているちぃに向かって慌てて叫ぶと、適当に押せばいいからー!!!、と会場中に響く大声で返され、またも客席の注目を浴び笑われてしまった。
あれ?あの2人、どこかで見たことない?、アイドル?、というちいさなひそひそ話が耳に入ってくると、一層恥ずかしくなって背中を丸めて俯いた。



かくして私は、ちぃがアシカトレーナーの体験をしている様子を写真に収めることになったのだけれど、カメラって難しい。
パシャッ、と固い枯葉を握り潰したみたいなシャッター音は、手応えとしてすごく軽く聞こえて、本当にちゃんと撮れているか疑わしい。

しかし、そんな私の不安な気持ちとは裏腹に、ちぃはすごく楽しそうだ。
彼女が右手をかざす度に、アシカがハイジャンプをしたりバク宙を決めたり。
まるで指先から金色のきらきらした粉が舞って、魔法をかけているようだった。
プールから飛んだ飛沫のきらめきが、彼女の笑顔を彩っている。

そんなちぃを見ていたら、顔のアップを撮りたくなってきた。
ズームの仕方は分からなかったけれど、適当にいじっていたらファインダーいっぱいに彼女の顔面が広がった。
目の横の笑いじわがくっきり分かるほど寄ってしまったが、さっきの仕返しだ。
白い歯がこぼれた瞬間を狙い、喉の奥を写すつもりで私はシャッターを切り、にやつきを噛み殺した。
141 :idoloid :2015/02/01(日) 18:40
いっぱいはしゃいで動き回って、とても楽しかった。
片瀬江ノ島から都内まで、シーサイドライナーで30分くらいで着くけれど、帰り道もちぃのリクエストで江ノ電という乗りものに乗った。

三角屋根の駅舎はとてもレトロで、何だか昔の映画に迷い込んだ気分になってわくわくした。
趣きがあって素敵なのに、ここも全くひとがいない。
「実働する日本最古の併用軌道!」という触れ込みの古ぼけたのぼりが寂しく風にはためいている。



モスグリーンのかわいい車両に乗り込むと、見渡す限り、乗客は私たちとうたた寝しているおじいちゃんしかいなかった。
窓から見える海がすごく綺麗なんだ、とちぃが教えてくれた通り、くすんだブルーが無限に横たわっている景色はとても美しく、何だか美術館の絵画を2人占めしているみたいな贅沢な気分になった。

ゆっくりと海沿いを走る電車に合わせて、いつもよりときが進むのが遅く感じる。
こんな時間の過ごし方があるのだ。
ちぃはもの知りだと改めて感心する。

シートは固くてお尻がちょっと痛かったけれど、車輪が線路を踏む振動が心地良い。
今にも止まってしまってもおかしくない古い乗りものなのに、窓際には新しいLEDライトが搭載されていて、夕陽を模したオレンジ色の光が車内に満ちていた。
142 :idoloid :2015/02/01(日) 18:41
そんな中、ちぃは外を眺めるのに直ぐ飽きて、カメラのプレビューをチェックし始めた。
横顔がご機嫌そうだ。
彼女の手元を覗くと、ちょうど私が大水槽のガラスに間抜け面を映している1枚だった。
我ながら、意識が全て吸い取られてしまったふうな、何も考えていないぼけっとした表情をしている。


「ちょっとちぃ!消してよ!」
「熊井ちゃんの前歯、良いよね!」


笑って怒ったふりをすると、立てた親指を突き出された。
よく分からないけど褒められたようだ。



1つ1つ確認しながら、ああだこうだおしゃべりしていると、アシカショーのときの写真になった。
思ったよりもよく撮れている。
飛び散った水の粒をここまでくっきりと捉えられるなんて、もしかしたら私にもカメラの才能があるのかもしれない。
すごいねって、上手だねって褒めて欲しくて、わざとタイミングを見計らって話し掛けた。


「上手く撮れてる?」
「撮れてるー!ありがとう、熊井ちゃん」


満面の笑みを返してくれたので、嬉しくて誇らしい気持ちになった。
そして次の写真は多分、ちぃの顔のどアップだ。
やだー!、と一際高い声を上げる彼女の反応が頭に浮かぶと、口許が勝手にゆるむ。
からかおうと、わくわくしながらそのときを待ったのに、しかしながらちぃの手はそこでぴたりと止まってしまった。

どうかしたのだろうか。
そう問うよりも前に、カメラに視線を落としたままちぃは、こうぽつりとつぶやいたのだった。


「これはね、千奈美が生きてたショーコなの」
143 :idoloid :2015/02/01(日) 18:41
偽ものの心臓がちいさな箱の中で、どきっと跳ねたのが分かった。
思わず身体が固まってしまう。

暗黙の了解のように張っていた薄い膜を破って、唐突に核心に触れてきて動揺する。
みんなわざとらしくも普段、自分たちの最期に関する話題を避けているのだ。

カーテンをさっと引いたみたいに、急にしんみりした空気になる。
ちぃは穏やかな口調でこう続けた。


「やりたかったこと、手当たり次第やってみたんだ。
 英語もタイ語も、アシカトレーナーも、思い付くこと、やれるところまでやってみたんだけどさ。
 でも、やり残したこともいっぱいあるや。
 もっと色んな外国に行ってみたかったし、綺麗な景色もいっぱい見てみたかったな。
 クレープ屋さんでバイトもしてみたかったし、歯科衛生士だってね、実は千奈美、結構本気で憧れてたの」


そうしてカメラを腿の上に置き、両手を使って指折り数え出す。
ニュージーランドで星を眺めたかったとか、カワウソを飼いたかったとか。
宙に視線を漂わせながら詰まることなくすらすらと、ちぃは次々に夢を口にしていく。
子どものような舌足らずな声。
ふと一瞬、彼女のくちびるの端がほころんだ。


「千奈美、生まれ変わったらまた千奈美になりたいなあ。
 そしたらね、もう1度Berryz工房をやるの。
 ずっとずっとBerryz工房でいたかったなあ。
 やだなあ、もう直ぐ千奈美の心臓、止まっちゃう。
 もう1週間もないなんて、信じらんない」


言って、こちらをゆっくりと向いたちぃに表情はなく、しかしその目は何かにすがっているようだった。
斜めに入った光が瞳を透かし、細かな電子回路が無数に走った基板を薄らと浮かび上がらせる。

あ、とちいさく息を呑んだ。
水晶体の中で一筋の細く短い信号が赤く火花みたいに散る。
その瞬間、眼球の表面が水分を含んでゆらんと潤み、1粒の涙がちぃの頬を滑っていった。


「死にたくないよ、熊井ちゃん」
144 :idoloid :2015/02/01(日) 18:42
か細く今にも消え入りそうなそれは、ほとんど泣き声だった。
咄嗟に右腕がちぃの方へ伸びた。
落としたものを拾うみたいな、そんな反射に近い動作だったけれど着地点はなく、しかし空中を彷徨うよりも前に彼女の手が私の手首を掴んだ。
手のひらは熱く、そしてちいさく震えていた。

ちぃはそのまま、顔を隠すようにうつむいた。
華奢な肩は、触れたら今にも壊われそうで頼りない。



何か。何か言わなければ。
焦燥感が身体の奥からせり上がってくる。
喉がからからに乾いていた。

突き動かされるようにくちびるだけがかすかに動いたが、呻きに似た掠れた声がやっと漏れただけだった。
箱の底を漁るみたいにして、頭を必死に働かせて言葉を探す。
正しい答えを見付け出したい。
けれどそんな中、私よりもちぃの方が早く言葉を発した。


「ねえ熊井ちゃん、生まれ変わったらもう1度千奈美と一緒に、Berryz工房、やってくれる?」
「えっ、でも、うちら機械だから生まれ変わりとか…」
145 :idoloid :2015/02/01(日) 18:43
咄嗟にくちびるを割って出た自分の発言に、どっと冷や汗が噴き出た。
ちぃの身体がびくっと揺れる。

しまった。違う。そうじゃなくて。
後悔や焦りが背中から被さるように襲ってくる。
言葉は戻せない。
機械仕掛けの胸がばくばくと音を立てて主張する。

傷付けた。しかもはっきりと。
何か。何か言わなければ。
訂正しなければ。

そうじゃないんだ。
そういうことじゃなくて。
もっと違う言葉がある。
もっとちぃに伝えなきゃいけない言葉があるはずなのに―――!

急く気持ちとは裏腹に、頭の中が混乱に塗り潰されていく。
感情がぐちゃぐちゃに混色されて身体が全く付いていけない。
口どころか、全身が固まってしまって動かなくなってしまった。



時間にして数秒だったかもしれないが、私にはときが止まったように感じられた。
私の手首から素早く手を放すと、ちぃは下を向いたまま乱暴に頬の辺りをこすっていた。
そしてぎこちなく頭をもたげると、涙の痕が残る顔にちからなく下手くそな笑みを浮かべて、わざとふざけた声でこう言ったのだった。


「そうだったあ、千奈美、ロボットだったあ」
146 :idoloid :2015/02/01(日) 18:43

147 :idoloid :2015/02/01(日) 18:43

148 :名無飼育さん :2015/02/01(日) 18:47
1話とっくま、2話りしゃみや、3話みやもも、の3本立てです。
次で1話完結です。
3月3日までに、を目標に駆け足で書いているのですが、色々すみません。
設定の甘さや文章力のなさなど、いつも以上に目を瞑って頂ければ幸いです。
宜しくお願いします。



◇◇◇インデックス◇◇◇

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1話(熊井・徳永) >>122-145
149 :名無飼育さん :2015/02/02(月) 01:17
大変なものを読みました。
更新を楽しみに、楽しみというと少し違いますが、待ちたいと思います。
150 :名無飼育さん :2015/02/02(月) 23:44
泣いた
151 :idoloid :2015/02/12(木) 21:06
あの日の江ノ電での会話の後、直ぐにちぃは何ごともなかったように接してくれたけれど、私の中ではずっと後悔がくすぶり続けていた。
いつもこうだ。
私はいつだって言葉を間違う。

どうして私だけいつも上手くいかないのだろう。
私と他のひとでは何が違うのだろう。

声に出してから気付かされる。
相手の引き攣った口許に、苦笑いが滲んだ目配せに、急によそよそしくなる空気に。
ノートを破くみたいにして、自分と世界がばりばりと音を立てて切り離される。
クマイ ユリナもこんな悪夢をずっと見続けてきたのだ。

最後のオフを良い日にするつもりが、嫌な思いをさせてしまった。
あんな表情をさせたかった訳じゃないのに。
口角を無理くり吊り上げた、寂しい笑い顔が網膜に焼き付いている。
無意識につくため息は重く、幾らメンテナンスをしてももやもやした気持ちは身体にまとわりついて離れなかった。



そしてついにその日がやってきた。
5月22日。
ラジオの収録は7時半に現場入りすることになっている。

会社の1階に7時、待ち合わせに現れたちぃは、普段と全く変わらなかった。
いつも通り、幼い仕草で眠そうに目元をこすり、ラジオ局に着くまでの道中も、お腹すいたあ!、と騒いでいた。
ただ1つだけ違うこと。
地下街の天井を見上げる彼女の目のふちは真っ赤に腫れていた。
偽ものの空は今日も眩しいほどに晴れていて、白い光が私に暗い影を落とす。
152 :idoloid :2015/02/12(木) 21:07
「深夜0時30分を回りました、みなさんこんばんは!
 『BZS1422』、キャスターを務めます、Berryz工房・徳永 千奈美です!」


あい らいく あ ちょこれーとどーなっつ!、と恒例の英語をしゃべってちぃは、ブースの外を睨みつけた。
差し入れのドーナッツで彼女が狙っていたクリスピーチョコ味を、スタッフさんが間違えて食べてしまったのだ。
実はこれは演出の1つで、収録の終わりに、生クリームの漆喰壁に様々な種類のミニドーナッツが埋め込まれたふうな、豪華なタワーケーキが登場することを本人は知らない。



収録が始まった。
徳さんスッペシャルスッペシャル、という副題は付けられているけれども、特別な何かを感じさせることは全くなく、打ち合わせもいつもと同じかそれ以上に淡々と済んだ。

キャプテンや桃のときもそうだった。
2人とも普段通りに振る舞おうとし、周りもそれに合わせようとする。
みんながみんな、自分という役を演じているようで何だかぎこちなかった。
私もマイクに向かって、努めて明るい声を出す。


「みなさんこんばんは!
 宇治茶大好き大使、レギュラーコメンテーターのBerryz工房・熊井 友理奈です」
「毎週日曜の深夜0時30分からお送りします『BZS1422』、熊井さん今夜も宜しくお願いします!」
「はい、宜しくお願いします!」
「えー、今日は22日で、早朝にラジオの収録をしている訳ですが、どうですか熊井さん!私はとても眠いです!」
「眠いですねー、今の時間は…
153 :idoloid :2015/02/12(木) 21:07
つつがなく番組は進行していく。
昨日のイベントで主役のちぃが連続でゲームに負け、激苦ドリンクを3回も飲む羽目になった愚痴や、まぁさん・みや・梨沙子からのサプライズメッセージを織り交ぜつつ、今日行われる卒業ライブの話もした。

このまま無事に収録を終えることができると半ば安心していた。
しかし何の前触れもなくちぃが発した言葉に、凪いでいた水面に波が立つ。


「あ、もうね、言っちゃう。収録中だけど今言っちゃう。
 千奈美、熊井ちゃんに怒ってんだけど」
「えっ」


呑気に台本に目を通していた中、不穏な台詞にびくっと身体が揺れる。
驚いて、弾けるみたいにして顔を上げると、ちぃは射るような視線で真っ直ぐ私を見据えていた。
いつになく真剣な表情に思わずひるむ。


「ベリーズステーション、Berryz工房の番組にしたいって、1人でやりたくないってスタッフさんに言ったんだって?」
「それは…」
「何でそんなこと言うの。
 『BZS1422』は千奈美と熊井ちゃんの番組でしょ。
 千奈美がいなくなっても、熊井ちゃんが守ってよ」


有無を言わさない、責めるような口調に圧倒され口ごもる。
叱るふうに、ちぃが私にこんなに強く言ってくるのは初めてのことだ。
今までにない状況に戸惑い、彼女の顔を見ていられず、視線を斜め下に泳がせた。


「でも、1人でなんて出来ないよ」
「出来るよ」
「そんな」
154 :idoloid :2015/02/12(木) 21:07
無責任に即答され、くちびるを噛みたい気持ちになった。
どうして今、こんなときにこんな意地悪をするのだ。

ちぃなら言わなくても分かってくれると思っていた。
言葉が出てこなくて焦ったり、言い間違えをして慌てたり、そんな私のみっともない姿を、ちぃが1番近くで見てきたではないか。
それをこんなふうに突き放すなんて。

いちいち説明しなければならない情けなさと自分勝手な苛立ちに、かっと頬が熱くなる。
語気を強めて反論した。


「うちがしゃべんの苦手なの、ちぃだって分かってるでしょ。
 1人でずっと話さなきゃいけないなんて、絶対くまくまトークになる。
 そんなの誰も聴いてくれないよ」
「違うよ。熊井ちゃんのくまくまトークは、一所懸命だからでしょ。
 自分の言葉で、一所懸命伝えようとしてるから、そうなっちゃうんでしょ」


思わず目を見開いた。
ちぃは構わずまくし立てる。


「みんなそんなこと分かってるよ。
 みんなそんな熊井ちゃんが好きなんだよ。
 もっと自信持ってよ。
 熊井ちゃんの言いたいことは、ちゃんとみんなに伝わるから」


鼻の頭がつんと痛んだ。
今まで味わったことのない感情に胸を掻き乱される。
まさか自分がこんなふうに肯定されるなんて。

目のふちがじんと熱を持つ。
ぼやけていく視界の中で、向かいにいるちぃが身を乗り出しては歯を見せて、くっきりと笑ったことは分かった。


「熊井ちゃんなら大丈夫!
 1番近くで見てきた千奈美が言うんだから、だいじょーぶったらだいじょーぶ!」
155 :idoloid :2015/02/12(木) 21:08
そのときだ。
私の脳裏に1つの光景が浮かび上がった。

ちぃと2人きりで机を挟んで向き合っている。
頭が重くて腰が曲がった花みたいに、色付きのマイクが真ん中からそれぞれに向かって伸びていて、手元には台本が広げられていた。
全体的に古臭い装置だけれど、どうやらこの場所はラジオブースだということを知る。

そんな中、くまらない話のコーナーだろうか、自分で入れた注意書きでぐちゃぐちゃになったページに必死でしがみつきながら、私はマイクに顔を寄せて、一人しゃべりに没頭していた。
言葉の迷路に足を踏み入れ、出口を探して奔走する。
身体に広がっていく焦りや背中や首の裏にかいた汗の感覚がやけにリアルだった。

でも、いつも。
いつだって。

助けを求めるように視線を上げると、ちぃが優しい表情で私を見てくれていた。
目が合うと、がんばれっ!、と勇気づけてくれた。
話し終わると、良かったよ!熊井ちゃん!、と必ず褒めてくれた。
それに何度救われてきたことか―――



しかしながらこのワンシーンは、懐かしさすら感じるのにも関わらず、自分の身に全く覚えがなかった。
殺風景な狭い部屋。
薄いグレーの壁。
直線でできたテーブルのライン。
見たことがないちぃの服。
いつかの夜の夢みたいな、不確かな既視感に首を傾げたくなったけれど、ふと1つの考えが頭に浮かんだ。

ああ、そうだ。
もしかしたらこれは、遠い遠い、クマイ ユリナの―――
156 :idoloid :2015/02/12(木) 21:08
う、と低い呻き声が聞こえた。
それが最初、自分のくちびるから漏れているとは気付かなかった。

込み上げてくるものを塞き止めたくて、目をぎゅっとつむったけれど効果はなく、1度こぼれ出した涙は止まらない。
喉が引き攣る。
子どものようにしゃくり上げる。
何で泣くのぉ熊井ちゃぁん、という笑いを含んだふにゃふにゃした呆れ声と、椅子のキャスターが転がるごろごろという音が耳に届いた。
そうして近付いてきたちぃは、嗚咽まじりで泣く私を、くるむように抱きしめてくれたのだった。



私はその細い身体にすがりついた。
背中へ向かって伸ばした腕。
今度は確かな意思を持って。

おねがい、ちぃ、いかないで―――
157 :idoloid :2015/02/12(木) 21:09
一体どれだけ泣き続けていたのだろうか。
スタッフさんが慌てて用意してくれたティッシュは、私の涙と鼻水を吸い込み、ごみ箱をにいっぱいにしている。
こめかみや眼球パーツの奥が鈍く痛んだ。

やっと幾分か落ち着いたところで収録が再開される。
気付いたら、台本も最終ページに差し掛かっていた。
しかしながらちぃはそれに全く目もくれず、ラストの挨拶をしゃべり出したのだった。


「ええと、最初にもお話ししたんだけど、今は千奈美の誕生日で卒業ライブの日の朝で…
 何だろな、また明日が来る気分。
 実感湧いてるような、湧いてないような、不思議な気持ち。
 ん〜〜〜、でも、あれだあれ!終わりがあれば始まりもあるから!
 トクナガ チナミもそう言ってたし!」


あっけらかんと笑い飛ばしていたちぃだったけれど、ふとまつげを伏せると、穏やかな微笑みをたたえて続けた。


「千奈美、Berryz工房でいられて本当にしあわせだったな。
 すんごいすんごい楽しかった。
 それじゃあ、千奈美はちょっとだけお昼寝しまーす。
 お腹がすいたら起きるから、それまでね!」


言い終えて、ちぃは私に目配せをした。
それにちいさくうなずいて応える。
そう、これで最後だ。


「それでは来週も日曜深夜0時30分にお耳にかかりましょう!
 ここまでは、キャスター Berryz工房の徳永 千奈美がお送りしました!
 コメンテーターは熊井 友理奈さんでした、ありがとうございました!」
「ありがとうございました、―――


ここで私はいつも韓国語を披露することになっている。
でも今日は。このときは。
伝えよう。自分の言葉で。


「ちぃ、また会おうね。
 また一緒にBerryz工房、やろうね」


涙まじりの声は、気を付けないと震えてしまいそうなほど頼りなかったけれど、最後の一文字までちゃんとしっかり口にできた。
それにちぃは直ぐ、満面の笑みで勢い良くうなずいてくれた。


「うん!またね!
 また7人でBerryz工房、やろうね!」
158 :idoloid :2015/02/12(木) 21:10
始まり、なんてこれからの私たちにあるのだろうか。
また、なんて私たちの未来に用意されているのだろうか。
私たちはスイッチを入れられたときから生きられる時間が決まっていて、夢見ることもままならない。

でも。だけど。

Berryz工房をまたやりたい。
この願いをオリジナルのトクナガ チナミもちぃと同じように抱いていたならば―――

数百年のときを経て、Berryz工房は再結成された。
トクナガ チナミの思いはこういう形で実現されたのだ。
私たちだって、未来に希望を繋げてもいいかもしれない。



目の前のちぃは、 鼻から大きく息を吸い、肩を目一杯にいからせている。
そして一気に大声で叫んだ。


「しーゆーあげいん!!!!!!!
 じゃあね!みんな、まったねー!」


ラジオなのに、マイクに向かってばたばたと騒がしく両の腕を大きく振っている。
そしてふと私の方に視線をずらすと、お腹すいたぁ、と声にはせず口をぱくぱくと動かして、いたずらっぽく笑った。
159 :idoloid :2015/02/12(木) 21:11

160 :idoloid :2015/02/12(木) 21:12

161 :名無飼育さん :2015/02/12(木) 21:13
1話とっくま篇でした。
ありがとうございました、すみません。
次回りしゃみやです。
宜しくお願いします。



>>149
レスありがとうございます。
ひどい話を書いている自覚はあるのですが、しかしどうか、最後までお付き合い頂ければ幸いです…

>>150
レスありがとうございます。
私もほぼ毎日泣きながらキーボード叩いています…



◇◇◇インデックス◇◇◇

イチゴとメロン(矢島・夏焼) >>38-70

戦場のベリーズライフ(Berryz工房) >>79-116

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1話(徳永・熊井) >>122-145 >>151-158
162 :名無飼育さん :2015/02/12(木) 23:55
よかったです。1人ずつ(これ以上書くとネタがバレてしまいますね)・・・を想像すると胸が痛みますが。
とてもよかったです。>>144 で目頭が熱くなりました。ほとんどプロポーズ。カッコイイ徳永千奈美を読ませて頂きありがとうございます!
163 :名無飼育さん :2015/02/12(木) 23:55
切なくなる感じがほんとになんともいえません。
でも、その切なさの中に温かさを感じました。
思わず泣きそうになりました。
164 :名無し飼育 :2015/02/13(金) 13:52
更新ありがとうございます。
じんわりと涙が流れました。
文章で情景が浮かんできます…!
165 :名無飼育さん :2015/02/25(水) 23:44
3/3まで泣かないと誓ったのに号泣した。悲しいけど続きが気になる!
166 :idoloid :2015/03/19(木) 21:21
水面に落ちた枯れ葉のように浅い眠りにゆらゆらとたゆたっていると、瞼の裏でよく再生されるシーンがある。
どこかのライブハウスだろうか、狭くて簡素なステージに私はいつも立ちつくしていた。
目の前に広がる、夜の湖畔みたいな暗い静寂。
左手にはマイクを握っていて、その重さは身体の一部のように馴染んでいる。

展開もいつも同じだった。
唐突に耳馴染みのあるイントロが大音量で流れ出すと、背中から迫り出されるふうにして慌ててマイクを口許に近付けるのだ。

選曲は「付き合ってるのに片思い」だとか「行け 行け モンキーダンス」だとか、かわいいアイドルソングだったりベリーズっぽくコミカルだったりするもので、顔の筋肉は自然と笑みの形をつくっていた。
身体には振りが染み付いている。

そしてしばらくすると、必ず喉が痛み始めるのだ。
熱を持った気管が赤くささくれ立っているみたいで、声を出すのがつらくて仕方なくなる。
でも、ここで止める訳にはいかない。

歌え。踊れ。笑え。
菅谷 梨沙子。

色とりどりの照明が会場を照らす。
客席には誰もいない。
167 :idoloid :2015/03/19(木) 21:22



◇◇◇◇◇



168 :idoloid :2015/03/19(木) 21:22
以前イベントのMCで話して変わり者扱いされてしまって以来、寝付けない夜に羊を数える癖のことは一切口外していない。
確かに大昔のおまじないでそんなものがあったようだから、つまるところスガヤ リサコはそうしていたのだろう。
不眠が国民病になっている今、一般的な処方はストアのレジ横で売っている赤いパッケージのチョコレートの服用だ。

羊が1匹、羊が2匹、羊が3匹―――
もこもことしたシルエットが頭に浮かぶ。
不思議だ。
ジーンレジームで何千にも種類が増えた動物なのに、明確に描かれる姿や鳴き声が1つだけある。


「眠れないの?」


ホテルの高い天井を睨んでいると、そう話し掛けられた。
ランプシェードの暖色の光が部屋の輪郭をぼやかす中、その声だけははっきりと私に届く。
隣のベッドへ顔だけ向けるとその声の主―――みやと目が合った。
薄闇に瞳が光って野生の生きものみたいだ。


「来る?」


私の返事を待たずしてみやは、自分の布団の端をめくった。
それにちいさく頷くと、枕を引っ掴み、彼女の横に滑り込んだ。
169 :idoloid :2015/03/19(木) 21:23
ひと1人分を開けて布団の中で向き合う。
観察するふうに、じっとみやに視線を這わせた。
化粧が乗っていない素顔は幼く、鼻の付け根の横にある痣がぼんやりと浮いているのが分かる。

ふと、彼女の右腕がこちらに伸びて、指先が私の左頬に触れた。
その行動に咄嗟に身を引く。


「汚いよ」
「汚くないよ」
「汚いよ。幾ら洗っても取れる気がしない」


露骨に眉をしかめてみせると、反対にみやはくちびるの端で笑った。
遠めた距離を彼女は同じ分だけ詰めてくる。
2人の間にやわらかな波が寄った。


「何言ってんの。きれいきれい」


猫にするように、手のひら全体で肌を撫でられる。
その手付きの心地良さにゆっくりと目を瞑った。
今日あった出来ごとが脳裏に蘇る。





唾をかけられた。
握手会のとき、ファンのひとに。
170 :idoloid :2015/03/19(木) 21:24
生温かい感触がまだ頬に残っている。
そこだけ肌がどす黒く変色している気がしてならない。
直ぐに洗って、何度もちからを入れてタオルで拭いたけれど、まるでタールみたいにしつこくへばりついている感じは取れなかった。

それはそうだ。
悪意は石鹸なんかでは決して落ちない。



初め、何が起こったか全く理解出来なかった。
普段通り、目まぐるしいスピードで進むベルトコンベアのような握手会の半ば、次のお客さんへと向き直ったとき、自分目掛けて飛んでくるものに、咄嗟に顔を背けて避けたのだ。
その瞬間、びちゃっと頬に濡れた感触がして、全身の毛穴が急速に開いたみたいにぞっと肌の表面が粟立った。
頭が真っ白になる。
意識ははっきりとしていたはずなのに、目の前で行われていることが自分に降り掛かっている現実味や実感がまるでなかった。

当の男性の顔は余り思い出せない。
ただ、この世の怒りを詰め込んだような、深いしわが刻まれた表情は覚えている。
呆然としていた次のときには、噛み付かんばかりの大声でめちゃくちゃに怒鳴られ、顔にまた細かな唾が飛び散った。
消えてしまいたくなった。

怒号が飛び交い、騒然とする現場。
そのひとは即座に警備スタッフに取り押さえられてどこかに連れて行かれていた。
溺れているみたいに手足をばたばたともがきながら彼は、私に向かってずっとこう叫んでいた。


「お前が!お前が!お前が―――
171 :idoloid :2015/03/19(木) 21:24
鼓膜を直接殴ってくるような声が、乾いた泥みたいに耳の奥にこびり付いている。
興奮してずっとこう繰り返していたけれど、この続きは何だったのか。
あのひとは何が言いたかったのだろうか。
足りない言葉は想像を促す。

お前が。
お前が。
お前が。

例えば、お前が―――
お前が桃の代わりに死ねば良かったのに、だろうか。

もしそうだったら放っといて欲しい。
あと2年もしない内に自動的に私の心臓も止まる。
それすらも待てないほど、そしてあんな行動を起こされるくらい私は憎まれているということか。

色褪せたピンクのTシャツ。
キャプテンも桃もちぃもいなくなり、Berryz工房から離れてしまったファンは少なくない。
だからその色を視界の端に捉えたそのとき、私は結構嬉しかったのに。


「みや」
「なあに」
「みや」
「だから、なに」
「みや」
「あのね、みや、ずっと思ってたんだけど」
「なあに」
「梨沙子が、みや、って呼ぶと、猫の鳴き声みたいに聞こえるの」


言ってみやは、満足そうに目を細め、頬の裏で飴玉を転がしているふうにころころと笑った。
好きだな、と唐突に思う。
みや、ともう1つ鳴いて私は、甘えるように彼女の肩口に頭を寄せた。


「もう寝な。明日も早いし」


あやすふうに背中をぽんぽんと叩かれる。
うん、と返事をする代わりに更に身体を近付けた。
こもった熱にくるまれて、私たちは1つのかたまりになる。
172 :idoloid :2015/03/19(木) 21:25
この世は地獄だ。
靴底みたいに年々すり減らされていく自分を知って、私は世界に絶望する。

よくスガヤ リサコは12年半もやってこれたと素直に尊敬する。
だって彼女はアイドルに向いていない。
私が身を持って体感して、はっきり言えることの1つだ。



まず握手会が苦手だ。
あんな短時間で言葉のやり取りができるほど頭の回転は早くないし、代わる代わる対面するスピードについていけなくていつも酔いそうになる。
みんなと同じに愛想が良く出来ない態度を悪く言われているのも知っていた。

メイクや髪色を派手にすると批判されることも多い。
外見で好きになってくれたひともいるのは分かってはいるけれど、薄化粧で黒髪じゃなくなった途端に見捨てられるのは、中身は要らないと否定されているようで悲しくなる。

去っていく背中をたくさん見てきた。
中には捨て台詞みたいにひどい言葉を浴びせてくるひとだっていた。
自分のこころ変わりを、全てこちらに非があるふうになすり付けて、若いアイドルに乗り換えていく。



剥き出しの悪意は、文字になって声になって攻撃してくる。
その度に考えてしまう。
そんなに嫌われるだけのことを、私はしてしまっているのだろうか。
私の何を知っているのだというのだろうか。
痛みは慣れていくだけで、完全に感じなくなる訳ではないのに。

アイドルをしていなかったら味わわなくてよかっただろう苦痛やつらさは幾らでもある。
今日のことだってそうだ。
情報は電子の網を伝い、瞬く間に拡散する。
きっと今頃、面白おかしく脚色されて嘲笑われているに違いない。

気に入らないなら気に入らないで、放っておいて欲しい。
車窓から眺める景色みたいに、毎日は一瞬で背後に流れていく。
もっとゆっくりと、静かに生きたいと願うのは罪なのか。
173 :idoloid :2015/03/19(木) 21:25
スガヤ リサコが12年半もアイドルを続けられたのは、きっと私と同じ理由だ。
1人ではなかったから。
7人でBerryz工房だったから。
しかし私は彼女と違って、エンディングを独りで迎えなければならない。

あと1ヶ月もすればみやの心臓が止まる。
この身体が動かなくなってしまうだなんて、この声がもう聞けなくなってしまうだなんて、信じられない。

大好きで大切なひと。
生まれたときから刷り込まれていたオリジナルの記憶のせいもあるかもしれないけれど、私はずっとみやのあとを追い掛けていた。
ただかまってもらって喜んだり、優しくされて嬉しがっていたりした幼い時期から、対等な目線に立ちたい、ステージ上での自分を認めて欲しいとその背中に手を伸ばしてきた頃を過ぎて、今は―――
いや、現在もその気持ちは変わらない。



みやがいなくなった世界を上手く想像出来ない。
ならば、いっそのこと―――
それが11年と少しの短い人生で見出した唯一の希望だった。

ねえ、スガヤ リサコ。
あなたならどうする。
私は今、すごくあなたに会いたい。
174 :idoloid :2015/03/19(木) 21:26



◇◇◇◇◇


175 :idoloid :2015/03/19(木) 21:26
件の握手会から一夜明け、名古屋でのハロコンを終えたその日。
打ち上げもそこそこにホテルへ戻ったとき、周りに見付からないようにみやの手を引いて抜け出した。
思い出づくりとだけ説明して、電車やタクシーを乗り継ぎ1時間半。
目的地の入場ゲートを目の前にした途端、彼女は思いっきりけらけらと笑い始めた。


「うっわ!何これ、やっばい!」
「うん…まさかこんなことになってるなんて…」


私がみやを連れてきた場所は、愛知県の辺境の埋め立て地だった。
昔はテーマパークやショッピングモールなどが一体化した複合施設が営業していて、オリジナルがファンクラブツアーで訪れたこともあり、彼女たちがアトラクションで遊んでいる様子が映像にも残っている。

けれども、そこは今やただの跡地となっていた。
当時の名残だろうか、地中海ふうの煉瓦壁に囲まれた、だだっ広い公園と化している。
その壁も黒く煤けて朽ちかけていて、魔女が住む城みたいに蔦が這っていた。
歩道の石畳は行く手を阻むようにぼろぼろに剥がれ、漂う海の匂いがやけに埃っぽい。

この雰囲気は、東京で言うイーストエリアみたいなものだろうか。
治安が悪そうならば直ぐにでも帰りたかったけれど、とにかくひとがいなくて、誰からも忘れ去られているふうにひっそりとしていた。

8Xマガジンの企画で、オリジナルが行ったロケ地を巡る案があり、現存する施設名を挙げ連ねていったときにここの名前を聞いて、ずっと引っ掛かっていたのだ。
しかしながらこの場所が真っ先に没になった、その意味がやっと分かった。
もっとちゃんと下調べしてくれば良かった。
後悔が私を俯かせる。


「まあいいじゃん、行こ。探検しようよ」


私の腕に自分のそれを絡め、みやはずんずんと歩き始めた。
横顔を窺うと、今にも鼻歌を歌い出しそうなほどにご機嫌そうに見える。
どこに行っても何をしていても楽しめるのは彼女の才能だと思う。
176 :idoloid :2015/03/19(木) 21:27
とは言え、何もない公園を回るのにそう時間はかからない。
申し訳程度にライトアップされた噴水池をぼんやり眺めたり、わざと歩くのを遅くしておしゃべりしていたりしたのにも関わらず、早くも出入り口に戻ってきてしまっていた。

夜はだいぶ気温は下がるけれども、やはり夏だ。
動くと薄っすらと汗が滲んだ。
自販機で買った飲料で喉を潤しているとふと、みやの目が上空に吸い寄せられていることに気付く。
視線を辿ったその先には、古ぼけた大きな車輪が空に置き去りにされていた。

オリジナルの記録から何百年も経った現在、唯一残っていたのは場外にあるこの観覧車だけだった。
びかびかとLEDの不躾な光を放つそれは場違いでしかなく、近くで見なくても鉄骨の塗装が剥げているのが分かった。
ぎこちない回転に合わせて錆びた鉄が擦れる音が聞こえてきそうで、何だか可哀想になってくる。


「私たち、昔これ乗ったよ」
「え、乗ったの。梨沙子も?大丈夫だったの?」


みやはびっくりした表情で、ぱちぱちと瞬きをした。
私は高いことろが苦手だからだ。
ラボに通うにも、毎回メンバーの背中にしがみついては額を押し付けて、あー、とか、うー、とかずっと唸って何とか堪えている。


「うん。そのときみやに膝枕してもらってたの」
「え、うっそ、何それ、ウケる」


風車のようにからからと笑い飛ばしながら、みやは私の二の腕をばしばしと叩いた。
言葉にして気付いたけれど、冷静に考えるとなかなかすごいことをしている。
段々と恥ずかしくなってきて、熱くなった顔を冷ますみたいに手のひらで包んだ。

しかしこちらの様子を全く気にしていない素振りで、みやは私の手首を掴んで引っ張った。
いたずらっぽい笑みが、カラフルな電飾に照らされる。


「また膝枕してあげる。だから乗ろうよ、観覧車」
177 :idoloid :2015/03/19(木) 21:28
「梨沙子ほら!海が見えるよ!」
「…うん」
「うわー!見て見て!夜景きれい!」
「…うん」


一層はしゃいだ声を出すみやに対して、私は彼女の太ももに頭を預けてぐったりしていた。
わざとだ。この体勢からちょっとも動けないことを知っていてこんなことを言う。
ゴンドラが風に揺れ、ぎいぎいと怪物の不穏な鳴き声がする度、びくっとしてみやのスカートの端を握る私を完全に面白がっていた。



私たちを乗せた箱は、ゆっくりと天辺を目指していく。
最初こそ騒いでいたみやも静かになっていて、遠くの景色を眺めているようだった。
見上げると、金色の髪が流水みたくさらさらと落ちてきていて、手ですくってみたくなる。
顎から耳にかけた、シャープなライン。
この角度で彼女を見ることはなかなかないから、新鮮だ。

首を傾けると、濃紺の背景に人工の星がきらきらと瞬いているのが視界に映った。
誘われるようにオレンジ色の月に近付いていく。
きれいだ。空を見ると気持ちが落ち着く。
胸につかえていたものが溶けてなくなっていくみたいで、秘めていた言葉が自然にこぼれ落ちた。


「ねえ、みや。このままどこか遠くに逃げちゃおうよ」
178 :idoloid :2015/03/19(木) 21:28
銀色の手すりを爪の先でかちかちと弾いていたみやの指が、固まったように動きを止める。
空気が一瞬にして硬く張り詰めたのが分かった。


「何それ。本気で言ってんの」
「うん」
「茉麻と熊井ちゃんは。Berryz工房はどうするの」
「それは…みんな一緒に…」


冷たい声が刺すふうに降ってくる。
こちらに視線を落としたみやに対し、私は目を合わせたくなくて横を向いた。


「そんなの無理に決まってんでしょ。
 遠くって、どこ行くの。
 そこにはメンテナンスしてくれるところ、あるの」


私たちの身体は、3日もそれを怠れば不具合が生じて、そのまま放っておけば1週間もしない内に動かなくなる。
怒っているのと呆れているのが混ざった口調でみやはこう諭してきた。
それに私は直ぐ言い返す。


「いいよ。別に。身体なんか動かなくなっても。もう疲れたよ」


特段用意していた言葉ではなかったはずなのに、声にして気が付いた。
永く背負っていた重い荷物を降ろしたみたいな気持ちになる。
疲れたって、私はきっとずっと言いたかった。
179 :idoloid :2015/03/19(木) 21:29
「梨沙子にはまだ時間があるでしょ。
 ちゃんとそのときまで歌いな」


私に悪いところがあったらきちんと叱ってくれるのが、みやだ。
聞き分けがないことを口にしているのは分かっている。
でも、ここで引き下がれない。


「無理だよ。熊井ちゃんのスイッチが切られたら、私は1人だよ。
 1人でなんて出来るはずない。
 私はみんながいたからやってこれたんだよ」
「でも、ファンのみんなは。
 梨沙子がいなくなったら悲しむよ」


ファンのみんな―――
その言葉を聞いて、お腹の底から仄暗い感情がふつふつと沸き立った。
目を瞑り、閉じた世界に向かってしゃべり出す。


「オリジナルが活動停止を発表したときのこと、みや、知ってる?
 そのときね、30歳や40歳になっても続けて欲しかった、ってファンのひとたちは言ってたんだって。
 ねえ、みや。もし私たちが人間だったら、30歳や40歳になってもBerryz工房、続けてた?
 30歳や40歳になった私たちを、ファンのひとたちは変わらず応援してくれるのかな。
 歳をとってオバサンになっていく私たちを、ファンのひとたちは変わらず愛してくれるのかな」


ずっと抱き続けていた疑問だった。
そしてそれにはもう、確信している答えがあった。

声が震える。
でも止まらない。


「人間は無責任だよ。
 簡単に言葉にするけど、そんなの無理に決まってる。
 気持ちなんて、変わりたくないって思ってても変わっちゃうものなのに、それを絶対みたいに言うんだよ。
 何の確証もないのに、どうしてそれを信じろっていうの」


ステージから去った私たちを、しばらくは悲しんだり惜しんだりしてくれるだろう。
でも、時間が経ったら分からない。
きっとみんな一緒だ。
どうせ、どうせ―――


「どうせみんな、私のことなんて忘れちゃうのに」
180 :idoloid :2015/03/19(木) 21:29
いつの間にかゴンドラは頂点を過ぎていた。
私たちと一緒に、重い空気も乗せて下降している。
けれど私は気まずさよりも、胸の内を吐き出せた清々しさを感じていた。

みやはあれから一言も発していない。
頬杖を付き、ずっと外へ視線を向けていた。

反対されることだって怒らせることだって分かっていた。
自分の末路が、よっぽどのことが起きない限り変わらないことも。
これは妹から姉への、最後のわがままのつもりだった。



沈黙が続く。
しかしそれを破ったのは、みやだった。


「だって人間だもん、仕方ないよ。
 あんなに好きって言ってくれてたのに、他に新しく若い子を見付けたら、みやのことなんて忘れちゃう。
 けど仕方ないの。アイドルってそういうものだし、人間はそういう生きものだから」


手で扇いだら消えてしまいそうな弱々しい発言に驚いた。
愛されることを当たり前のように振る舞い、強気に接していたみやからそんな台詞が出てくるなんて。

それと同時に少しがっかりもしてしまう。
もしかしたら否定して欲しかったかもしれない。
私がこの先1人で生きていくための糧や希望を、みやだったら導いてくれると期待していたのかもしれない。

けれどきっと同じなのだ。
アイドルは誰しも恐れ、そして諦めている。



閉鎖空間に生温かな風が侵入してきて、扉が開いたことを知る。
地上に着いたのだ。

安心して息をつく。
そしてのろのろと上体を起こした、そのときだった。
衣擦れの音に混じって声を聞く。


「でも梨沙子は違うでしょ」
181 :idoloid :2015/03/19(木) 21:30
私の前を猫みたいに擦り抜け、こちらに一瞥もくれずにみやはゴンドラを降りた。
その華奢な背中をぼうっと目で追う。

言葉をこころの中で反芻する。
しかしそれは、ただの文字列として意識の表面を上滑りしていた。

ふと手のひらを攫われてはっとする。
こちらに向かって伸びたみやの腕が、私の手を掴んでいた。
ふらふらと立ち上がって彼女を見下ろす。
表情のない顔から真意は読めない。



手を引かれ、箱から連れ出された。
それはまるで、埃を被ったおとぎ話のワンシーンのように。
私の足が地に着いたのを見計らってか、みやは再び口を開いた。


「梨沙子だけはみやのこと、ずっと覚えててくれるんでしょ」


貫くように向けられた眼差しから目が離せない。
強いちからで指先を握られる。

しかし次の瞬間、その瞳は月明かりの中で頼りなく揺れた。
不意にみやは俯いて、2人を繋いでいた視線を切る。
伏せられた長いまつげに透明の雫が絡んでいたように見えて、胸がぎゅうっと締め付けられた。


「お願い、梨沙子。最期まで歌って」


眉根が寄せられ、苦しそうに歪む表情に呼吸を忘れる。
私は、私は―――
182 :idoloid :2015/03/19(木) 21:31

183 :idoloid :2015/03/19(木) 21:31

184 :名無飼育さん :2015/03/19(木) 21:33
2話りしゃみや篇です。
次で2話完結です。
本当にすみません。



>>162-165
まとめての返信、大変申し訳ございません。
レスありがとうございます。
すごくすごく嬉しいです。励みになります。



◇◇◇インデックス◇◇◇

イチゴとメロン(矢島・夏焼) >>38-70

戦場のベリーズライフ(Berryz工房) >>79-116

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1話(徳永・熊井) >>122-145 >>151-158
2話(夏焼・菅谷) >>166-181
185 :名無飼育さん :2015/03/20(金) 21:00
続きを読むことが出来てとても嬉しいです。楽しみにしております!
186 :idoloid :2015/03/26(木) 20:31
今日のライブは、セットリストや演出など全てにみやの希望が取り入れられていた。
ヨーロッパの古城ふうの舞台セットは、照明と小道具によって、ハロウィンっぽいダークファンタジーな雰囲気にも、おとぎ話の舞踏会場にも切り替わる。
2階と1階を繋ぐ階段には赤い絨毯が敷かれ、そこでガラスの靴が脱げてしまうみやと王子様に扮した熊井ちゃん、そしてその靴が偶然ぴったりと合ってしまうもう1人のお姫さまの役が私で、おふざけを展開する一幕もある。

やはり特別こだわりを見せていたのは衣装だ。
着たいもの全部つくってやる!、と意気込んでいたみやのデザインで11着ものそれが用意され、早着替えの練習がとても大変だった。

2××5年8月25日。
そうして私はステージに立っていた。
決して気持ちの整理がついたのでも、全てを納得した訳でもない。
でも、だけど―――


「似合う?」
「きれい」


ライブの本編が終わり、2人の衣装さんに手伝われて、真っ白なドレスに着替えているみやと、鏡越しに短い会話を交わした。
私の返事を聞いて彼女は、満足そうにくちびるを引く。

周りのばたばたとした慌ただしさに相対して、みやはとても落ち着いていた。
剥き出しになった背中の、その肌の表面からぴりぴりと電気を放ち、神経を研ぎ澄ましているようだった。
いつも大きな舞台のときにはそわそわして、緊張するーっ!、と騒がしくしていたのに。

尖った肩やなめらかなデコルテも露わにビスチェに、レースがたっぷりと重なって広がった裾。
花嫁みたいな装いで、アンコールの頭にソロで1曲披露する。
選曲は『夏 Remember you』だった。



イントロが流れ、バルコニーのように張り出した2階部分から、3人で登場する。
天空から降り注ぐ歓声を浴びながら、紫一色に染まっている客席を眺めた。

ゆっくりと階段を降り、会場の中心へ伸びる花道を歩き、みやはサブステージへと向かう。
その後ろ姿を、熊井ちゃんと並んで見守っていた。

優しくやわらかくも、空気中を直線に、真っ直ぐ差し込むみたいに伸びていく声。
自分の胸の内にあるものを、差し出すふうな手の振り。
忘れないとか、明日が来るとか、この歌詞を今どんな気持ちで口にしているのだろうか。
187 :idoloid :2015/03/26(木) 20:32
会場全体が静かにみやの歌に聴き入っていた。
しかし、間奏明けにそれは起きた。

大サビに向かって募っていく音。
その高まりに全ての耳が期待していた中、マイクに乗ったのは、うっ、と涙に詰まったちいさな呻きだった。
思わずびくっと身体が揺れる。

みやはそれでも前を向いて歌おうとする。
けれど続く声はひどくか細く震えていて、ついに途切れてしまった。
今にもしゃがみ込んでしまいそうに背中を丸めて俯いた彼女に、客席からどよめきが覆い被さる。



咄嗟のことだった。
頭で考えるよりも早く身体が動いていた。
マイクを口許に当てた私は、みやから引き継ぐように歌っていた。

お腹の底からせり上がってくる、熱くて荒削りな何かを、旋律を持った声に込める。
今にも切れそうなくらいに張り詰めた弦が、空気を震わせ、塗り替えていく。

肌で感じる。
私の歌が今、この会場を動かしている。
背中から首の後ろに掛けて、ぞくぞくと言い表しようのない感覚が走った。

歌う喜びに震える身体に、何度だって確かめる。
私の中にいる、もう1人の自分の存在を。
188 :idoloid :2015/03/26(木) 20:32
スガヤ リサコ。
確固たる自分を持ち、信念を貫いていた像を語られることが多い彼女だけれど、決して初めからそうだった訳ではない。
スガヤ リサコの12年半は、自分に自信が持てず、周りの目ばかり気にしていた女の子の物語だ。

ひょろひょろの身体に生白い顔を乗せ、純粋なこころに夢ばかり映していた少女が、やがて強さに憧れ、そうなりたいと願い成長した―――
いや、半ばそうならざるを得なかった背景を、私はこうして辿ることになった。
傷付き、悩み、苦しんだ彼女の思いを、全部理解してあげられるのは私だけ。



最後のフレーズに差し掛かった。
隅々まで意識を行き渡らせて高音を発声する。
あるだけの気持ちを込めて。

くちびるに乗せた言葉が、驚くほど自分に染み入っていく。
この歌詞がまさか、こんな意味を持つなんて。

アイドルって何だろう。
ずっと求めていた答えみたいなものは、最後の舞台に立つまで分からないのかもしれない。
孤独になったその後に、スガヤ リサコが知らない、私だけの物語が待っている。
189 :idoloid :2015/03/26(木) 20:33
アウトロの余韻をまといながら、深く息を吐いた。
偽ものの心臓がどくどくと音を立てて主張している。
身体が燃えているように熱くて、わずかなパートしか歌っていないのにこめかみに汗が伝った。
押し寄せる歓声と拍手の波に、肌の表面が細かく粟立つ。
流されないように、背筋を伸ばして膝にちからを入れた。

紫色の宇宙空間に、赤い星を幾つも幾つも見付ける。
私に向けられた、確かな光。
不意に泣きそうになって、奥歯をぐっと噛み締めた。



名前を呼ばれた気がして、はっとする。
視線を向けた先、みやは振り返って私を見上げていた。

濡れた目許。頬に伝う涙の跡。
それを見て、急激に実感した。
雷に貫かれたみたいに思い知らされる。

もう会えない。
今日が最後。
こんなに好きなのに、明日なんてない。



思わず階段を駆け下りていた。
もつれそうになる足を踏ん張って地面を蹴り、花道を走り抜ける。

身体を突き破ろうとする衝動。
これもまたスガヤ リサコの感情か。
いや、私の気持ちが今、私の身体を動かしている。

滲み、揺らいでいく視界。
あと一歩。
私は彼女へ手を伸ばす。
190 :idoloid :2015/03/26(木) 20:33
好きだ。
好きだ好きだ好きだ。

夏焼 雅。
私はあなたを忘れない。
191 :idoloid :2015/03/26(木) 20:33

192 :idoloid :2015/03/26(木) 20:34

193 :idoloid :2015/03/26(木) 20:34
2話りしゃみやでした。
武道館公演を受け、ラストの流れを大幅に変更しようとも考えましたが、当初の構想のまま進めました。
すみません、ありがとうございました。



>>185
レスありがとうございます。
必ず完結させますので、お付き合い頂けたら幸いです。



◇◇◇インデックス◇◇◇

イチゴとメロン(矢島・夏焼) >>38-70

戦場のベリーズライフ(Berryz工房) >>79-116

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1話(徳永・熊井) >>122-145 >>151-158
2話(夏焼・菅谷) >>166-181 >>186-190
194 :名無飼育さん :2015/03/31(火) 21:17
お知らせです。
みやももの前に、とっくま・りしゃみやを加筆・修正、そして挿画を描いて頂き保管致しました。
宜しくお願いします。
ttp://berryzlifeonthestorm.blog.fc2.com/blog-entry-6.html
195 :idoloid :2015/04/25(土) 21:17
ポニーテールに結われた髪が、光を反射させながらさらさらと揺れている。
その毛先が、ちいさな子がお遊びで切った人形のそれみたいに、がたがたになっているのを私は知っている。
完璧なフォルムを追求したいからって、ももち結びのままカットしてもらうなんて、本当信じらんない。
勿体無いよ。かわいいのにさ。

一輪挿しのようにすっきり伸びた、白い首筋のラインを視線でなぞる。
細くなった、と思う。
爪を食い込ませれば、片手で簡単に握り潰せてしまえそうで、最近更に幼く見えるのはきっとこのせい。
ねえ、痩せたでしょ。ちゃんと食べてんの。

背中に投げたい言葉は次々に浮かぶ。
しかしそれは飴玉みたいに舌の上で転がせば、声になる前に全て溶けてなくなってしまった。


「子どもたちにね、しばらく来れなくなるからって言ったの」
「うん」
「そしたら『明日頑張ってね、ももち』だって。ばれちゃってたみたい」


振り返らずに桃はしゃべり出す。
しんみりと寂しげなのに、でもどこか嬉しさが隠せていないふうで、ふと突発的にその声のしっぽを掴みたくなった。

こちらを向いた桃はどんな顔をしているのだろうか。
気になったけれど、一瞬頭を巡らせて考えだけに留めた。
もし私が見たこともない表情をしていたら、と想像したらこわくなったから。



荒川の河川敷は、住所がないひとたちのキャンプ地になっている。
ほとんど裸のちびっこたちがきゃらきゃらとはしゃぎ声を上げながらテントの間を走り回り、川べりでは茶色く濁った水で洗濯をしている女性がいた。
その隣で水浴びをする老人。夕飯の支度をする家族。
くすぶった煙が空気に溶け込み、魚の皮が焦げる匂いが鼻先をくすぐった。

この川でよく獲れる、ぎょろぎょろの目玉が気泡のように幾つも浮いた、ペンシル状の魚。
確か名前なんてない。
196 :idoloid :2015/04/25(土) 21:19
最先端の文明都市と賞されている今の日本だけれど、その裏側にはちゃんと掃き溜めが存在している。
東京で言えば、山手線の円の外の右側一部地区・イーストエリアと呼ばれる大規模な工業地帯のことだ。

工場施設から悪夢のごとく吐き出される排ガスや排水で汚れた町は、私たちが暮らす地域より明度も彩度も2トーンくらい低い。
ざらついた空気には高濃度で肺がん物質が含まれているらしいけれど、機械にはきっと関係がないし、そもそも長生きも健康も蚊帳の外の話だ。

ひしゃげた長屋や傾いたバラック小屋、みすぼらしいボロアパートがひしめく住宅地に、カラスみたいに身を寄せ合って生活しているひとたち。
中心街の北千住には、大昔の香港にあった建てものにちなんで名付けられた廃ビル『クーロン・ハウス』が、魔王の砦のようにそびえたっている。



いつからだろう。
桃がここに通うようになったのは。

私が訪れたときには、桃はもう既におんぼろ公園の神さま―――いや、アイドルだった。
土と垢で黒くなった子どもたちに囲まれて、歌やダンスを披露したり教えたり。
特に『ももち!許してにゃん?体操』が大人気で、破れるのではないかというくらい服を引っ張られて『許してにゃん?』をせがまれるという、にわかに信じ難いシーンを何度も目にした。

ももち結びを触られそうになってたしなめる口調やからかいまじりのおしゃべり、楽しそうな笑い顔。
目の前の桃はいつもと変わりなかったはずなのに、どこか別人みたいな遠い存在に映って、彼女を中心に出来た円と自分という点の間にはっきりと線を引かれたような疎外感を初めの頃、すごく感じたのを覚えている。



恐らくネットもテレビもない環境で、あの子たちにとってアイドルという存在はきっと、遠くの国の言語や高級なお菓子と同じだったはずなのだ。
桃が現れるまでは。

笑顔がひとを元気にする、とか。
歌がこころを明るくする、とか。
音楽に合わせて踊るだけで楽しくなる、とか。
あの子たちに教えたのは桃だ。

砂漠に花を植えて、その育て方も伝えていった。
やっぱりすごいよ、桃は。
限られた短い時間の中でそんなことまでやってのけるなんて、自分の半径1メートルのことで手一杯な私には考えも付かなかった。
改めて尊敬する。
197 :idoloid :2015/04/25(土) 21:20
ものごころ付いたときにはもう、イーストエリアには近付くなと厳しく言われていた。
単純に治安が良くないのだ。
それにも関わらず桃は、会社のひとたちの目を巧妙にかいくぐってあの場所に通い続けていた。

この秘密を、数年前のある日、私は偶然知ってしまった。
あのときの桃の表情が、瞼の裏に張り付いていて今でも離れない。

誰かに話したらどうなるか分かってるでしょうねえ。
そんな台詞が聞こえてきそうなほど、不気味な威圧感をまといながら、にやりと歪んだ薄いくちびる。
猫みたく細まった、全く笑っていない目。
弱みを握ったのはこちらなのに、なぜか桃は私に堂々と手錠を掛けたのだった。



それからというもの、1ヶ月に2〜3回の頻度で桃が公園へ行くときは、時間が合えば送り迎えをしたり、たまに一緒に付き合ったりなんてことをした。
別に、付いて来いと命じられた訳ではない。
ただ私がそうしたかっただけ。

危ないから近寄るな、なんて桃を説得しようだなんて気は初めから毛頭なかったし、万が一何か起きたとして、なぜ止めなかったんだ、と偉いひとたちに怒られるのも嫌だったし、つまるところ、その、―――心配だったのだ。
幾ら1番の危険区域から離れた場所だからと言っても、イーストエリアはイーストエリアだ。
何かあってからでは遅い。
黙って付き添う私を彼女がどう思っていたかは分からないけれど、そんなことはどうでも良かった。


「みや」
198 :idoloid :2015/04/25(土) 21:21
名前を呼ばれてはっとする。
景色をぼうっと眺めていたせいで、随分歩みが遅くなっていた。
顔を前方に戻すと、数メートル離れた先、桃はあっさりこちらを向いて佇んでいた。

不思議そうにくちびるを突き出して、首を傾げるその仕草。
背景には廃棄物処理場の煙突群と、その根本から天へ昇る道筋のようにサーチライトが幾つも走り、けぶった空を赤く染めている。
耳の近くを飛んだ蝿の、ヴン、という羽音がやけに大きく鼓膜に響いた。

あれ。デジャビュ。
既視感に軽い眩暈を覚え、思わず数回まばたきを繰り返したが、しばらくして納得した。

そうだ。見たことがあるどころか何度だって見てきた。
だってこれが私の日常だったから。


「何て顔してんの、みや」


そう言う桃こそ。
頬にしわを寄せた彼女が余りにも下手くそに微笑むので、私も無理くり口角を上げてみせた。

本当、信じらんないよ、桃。
2××5年3月6日。
私の目の前にいる女の子は、明日死ぬ。
199 :idoloid :2015/04/25(土) 21:21
いつからだろう。
桃にこんな感情を抱くようになったのは。

はっきり言って私は、生まれたときからこころのどこかで桃を馬鹿にしていた。
ファンのみんなの前で振る舞う過剰なぶりっこは鼻白んだし、ツグナガ モモコからしっかり受け継いだ、垢抜けなくて貧乏臭い出で立ちやダサいセンスも見下していた。

仲が悪いという訳ではなかったけれども、お互い気が強くて意見が食い違えばよく衝突していたし、何より目が苦手だった。
ときに飢えた野犬みたくぎらぎらし、ときに誰も信じていないふうに冷ややかに鋭くなる視線。
それを考えれば、今の桃はかなりやわらかくなったし、よく笑うようになった。



私と桃と人間の女の子の3人でユニットを組んだことは確実に転機の1つだ。
女の子が7人いれば、そこから更に気が合う少人数のグループに分かれても普通だけれど、3人はよっぽどのことがなければ割れない。
しかも自分とタイプが違う2人とやっていかなければならない状況は、私自身、新しい己の一面を引き出されるのと同時に、初めて知る桃の顔もあった。

苦手なMCで助けられたり、飛ばしてしまった歌詞をフォローしてもらったり、頼もしさや優しさに触れて、桃に対する見方は変わっていった。
年を重ねていくにつれ、自分と違う考えを個性だと受け入れられるようになったのもあるだろう。
彼女の大人びたところを、壁があって感じが悪いとしか捉えられなかったのも、いつの間にかなくなっていた。



桃が1人でテレビの仕事にどんどん出るようになって、尊敬の気持ちも大きくなった。
私がもし同じことをやれと言われても、絶対に無理だ。
自分の言動で場が白けたり、空気が固まったりしたらと想像するだけで身が縮こまるし、しくじって恥ずかしい思いをするくらいなら大人しくしていようと、つい楽な方に頭がいってしまう。

ある時期、桃に続こうと自分なりに前に出ようとしたときがあったけれど、緊張で胃は裏返りそうになるし、収録中はずっと生きた心地がしなかった。
桃はいつもこれ以上に大変なことをやってのけていたのだ。
傷付かない訳はないのにそれを恐れず、外へ外へ未来を切り開いていく姿は本当に眩しい。
200 :idoloid :2015/04/25(土) 21:22
象徴的なのはあの出来ごとだ。確か4年くらい前だったはず。
オリジナルを辿るみたく36枚のシングル等を再リリースするのとは別に、全て書き下ろしの新曲だけで構成されたアルバムの発売が決まった。
覚えてこいと渡された曲の1つに、サビの高音がかなり出づらいものがあったのだ。
技術者が言うには、音域はメンテナンスのときに操作すれば簡単に広がるらしいけれど、私はわがままを突き通してそれを断り、ボイトレを付けてひっそり自主練習に励んだ。

私はオリジナルを越えたかった。
ナツヤキ ミヤビに出来なかったことを成し遂げて、自分を肯定したかったのだ。
ただ彼女をなぞるだけの生き方に、何とかして意味を見出したかった。

それにナツヤキ ミヤビだって、決して最初から歌唱力があった訳ではない。
歌割りを多くもらって目立ちたいがために、隠れて特訓していたのだ。
彼女に出来て私に出来ないはずがない。

けれどその甲斐も虚しく、レコーディングは苦戦して何度も録り直しをした。
最終的に音源は修正されて、それを聴いたときには悔しかったしひどく落ち込んだ。



その後のライブでの披露も上手くいかなかった。
高い棚にあるものを取るように、爪先立ちして必死で腕を伸ばすのに、手は毎回ぎりぎりのところで空を掴み、声は必ずひっくり返る。
冷蔵庫に放置した野菜みたく、自信は日に日にしなびていった。

しかしあるときやっと、詰まった管からぽんと押し出されるふうに、すんなりと未知の高音が発声できるようになったのだ。
イメージ通りに歌えるとすごく気持ちが良い。
描いたラインに乗って、声が空気を突き抜けていく。
一面を覆っていた暗雲を、直線に進む白い機体が真っ二つに割き、視界がぐんと開けていくみたいな、そんな快感が背骨パーツに沿ってぞくぞくと走った。
201 :idoloid :2015/04/25(土) 21:23
その初めて上手くいった公演の終了後、私はみんなから離れたメイク台で1人、化粧直しする手もそこそこに、こころの中で何度も何度も喜びを噛み締めていた。
直ぐにゆるんでにやけ出す頬を誰にも見られないように気を付けながら、じたばたしたくなる衝動を何とか身体に留めていた。

そのときだ。
いきなり楽屋のドアを蹴破ってきた桃が、豪速球で投げたボールみたいに真っ直ぐこちらに突進してきたのだ。
驚いて目を丸くする私を無視して、彼女は顔をずいっと近付け、猛然とこうまくし立てた。


「みや!すごい!あのパート!大成功!とってもとっても良かった!
 もうねえ、もも、感動しちゃったよ!」


瞳に目一杯の光を閉じ込め興奮した様子で、自分のことのような熱量で語り出した桃に面食らう。
いつもはひんやり冷たそうな白い頬がピンク色に染まっていた。
勢いに気圧され、咄嗟に気持ち的にも物理的にも引いてしまい、ああ、ありがと、と私は素っ気なく応え仰け反った。

温度差がある反応にようやく我に返ったのか、桃は慌てて飛び退いた。
そして照れ笑いを浮かべた顔をさっと逸らし、ぼそぼそとこうつぶやいたのだった。


「でも、そうだよね。みや、頑張ってたもんね。
 いっぱいいっぱい練習してたもんね。すごいよ」


瞬間、身体が一気にかっと熱くなった。
追って、顔にどんどん熱が集中していく。
何か返そうとしても、言葉が全く出てこない。
喉で堰き止められたそれは、胸をいっぱいにして苦しくなる。

まるで突然、自分の内側で激しい嵐が巻き起こったみたいで混乱した。
きっと赤くなっているであろう顔を見られたくなくて、私はそのとき、何か浮かんだ適当な台詞を投げ付け、そっぽを向いて追い払った。

何気ない一言だったからこそ余計、自分に起きた変化に訳が分からず戸惑った。
首の裏がむずむずとかゆくなる。
頭が全く付いていかず、そのままずるずると机に突っ伏して、あああ、とか何とか、情けない声を漏らしたことまで覚えている。
202 :idoloid :2015/04/25(土) 21:23
つまり、嬉しかったのだ。
裏で練習している姿は、みんなにばれまいと必死で隠していたはずなのに、それを気にして見ていてくれた。
もしかしたら、結果で努力を判断してくれたのかもしれない。
何にせよ、桃に評価してもらえたことが、堪らなく私を喜びで満たした。



負けたくないって思っていた。
でもその気持ちは、少しずつ変わっていたことをはっきりと思い知らされた。
私は桃と、対等な目線に立っていたかったのだ。

私のこと、すごいと思ってて欲しい。
私が桃を、すごいと思っているのと同じように。
桃に何かあったら助けてあげたい。
いつも桃が私を助けてくれるみたいに。

私は桃に、隣にいていい存在だと許され、認めて欲しかったのだった。
203 :idoloid :2015/04/25(土) 21:23
「ああ、ごめん」


謝罪の言葉を述べつつも、ゆっくり距離を縮めて隣に並び、また再び歩き出した。
一抹の風が砂埃を巻き上げ虫柱を散らす。

そこでふと、桃がわずかに右脚を引きずっていることに気付き、ひやっと恐れが背中を舐めた。
佐紀のラストライブのことが頭を過る。
思い通りにならなくなった脚、悲痛な叫び―――
動揺を感付かれないように、右手で彼女の手首を掴み、自分の左腕を持たせた。


「掴まれば」
「ああ、うん」


短い指が二の腕辺りの服をちからなく握った。
会社に刃向かったことで佐紀は4日前からメンテナンスを受けていなかったのを後から知った。
もし桃も同じならば、最後にラボへ行ったのはいつなのだろう。
嫌などきどきが胸に生まれて息苦しくなる。


「明日のライブさ」
「うん」
「途中でももの声が出なくなっちゃっても、かわいそうだなんて思わないでね」
「うん」
「身体が動かなくなっちゃっても、同情なんてしないでね」
「うん」
「絶対そういうふうに思われたくない。みやだけには」


同情なんてする訳ないじゃん。
私を誰だと思ってんの。

台詞をそのまま受け取ったらかちんと来て、テニスのラリーみたく打ち返してやりたくなったけど、少し考えてみてぐっと堪え、くちびるを引き結んだ。
こういうことを桃がはっきりと口にしたのが珍しかったからだ。
見下ろした彼女の横顔は、寸分の隙もなく真剣だった。
204 :idoloid :2015/04/25(土) 21:25
思えば、桃とはとにかく言い合ってきたけれど、肝心なことはちゃんと言葉にしてこなかった気がする。
意地とか照れとか気恥ずかしさとか、口に出さなくても分かるでしょ、という信頼や怠惰や甘えは、言葉を見えない糸にした。
それを長いこと通い合わせて出来た繭の、何といびつでぶさいくなことか。
でもそれは、紛うことなき不器用な2人の、2人だけの形。

歌詞になってしまえば、アイドルの顔で何でも言えてしまうのに、お互いにだけはなかなか素直に気持ちを伝えられない。
結局のところ、私と桃は似た者同士なのかもしれない。
自分が1番大好きで、他人に手の内や弱いところを絶対見せたくない、完璧主義の負けず嫌い。

変なの。私たちが並んだ画は、誰の目にもちぐはぐに映るだろう。
キモい仕草やウザい言動を直ぐにして、ピンクのふりふりした服ばかり好む、こんなちんちくりん。

でも私が背中を預けるならば、こいつしかいない。
世界でたった1人、桃だけなのだ。


「フォローするから」
「よろしく」


きっぱり言い放った返事に、少しだけ肩のちからが抜ける。
いつもの強気に安心していると、不意に言葉が掛けられた。


「みやは優しいねぇ」


熱いお味噌汁が胃に沁み渡っていくような、しみじみとしたおばあちゃん口調に思わず笑ってしまう。
ふん、と鼻から息をついたら、存外感じ悪く響いた。


「何それ、今頃気付いたの?」


軽口を叩きながら桃の顔を覗き込んで、どきっとした。
桃が見たこともない−−−いや、子どもの頃に目にしたことがある表情をしていたからだ。

ぎりぎりまでいっぱいになって、表面張力で何とか持ちこたえているコップの水みたいに、目のふちに溜めた涙。
鼻の頭を赤くしてくちびるを固く結び、必死で泣くのを堪えている顔は、ちいさかった昔にダンスレッスンでめちゃくちゃに叱られたときを思い出させた。

波紋のようにざわつきが胸に広がる。
桃が静かに私を見上げた。


「ううん。ずっと前から知ってたよ。
 何百年も前から、知ってたよ。
 ありがとうって、いっつも思ってた。
 ずっと伝えたかったの」
205 :idoloid :2015/04/25(土) 21:25
ついにぽろぽろこぼれた雫に気付かされる。
全然分かっていなかった。
最期の日の前日は、もう日常なんかじゃない。
自分でも信じられないくらい切羽詰まった声が出た。


「ももっ!」


涙を隠すふうに、桃は私の肩口に顔を押し付けた。
強引に引き寄せると、まつげが首筋に当たって肌の表面が熱く濡れる。
腕の中でちいさなかたまりが震えていた。

―――途中でももの声が出なくなっちゃっても
―――身体が動かなくなっちゃっても

さっきの台詞が頭の中で繰り返される。
もしかして、桃はこれから自分の身に振り掛かる未来が分かっているのではないだろうか。
最悪のシーンが頭に浮かび、急激に体温が下がったみたいにぞっとした。

一面ピンク色に染まった空間で1人歌い踊る桃を、私は後ろから見守っている。
しかし突然、切断されたように歌声が止まるのだ。
ざわめきが広がる中、蕾がほどけるみたくして、握っていた手からマイクが取り落とされる。
会場に響き渡った鈍い衝撃音を追い掛けるように、糸が切れた傀儡みたく膝から崩れ落ちて彼女は−−−


「くやしいよ、みや」


くぐもった涙声は細く掠れていた。
嫌な想像を追い出すようにぎゅっと目を瞑って、背中に回した腕にちからを込めて祈る。
アイドルに誰よりもこだわってきたのは桃なのに―――!
206 :idoloid :2015/04/25(土) 21:26
「最期になんないと何も言えないなんて」


しばらくして桃は、そう自嘲しながら私の身体から離れた。
その言葉に胸が痛む。

恐らくオリジナルから引き継いでいるこの宿題を、私は、私の方は、まだ果たせていない。
でも、この期に及んでどう切り出せばいいか分からず、焦りだけが空回りする。
時間はスイッチを入れられたときから終わりに近付いていたのだ。
それから目を逸らし続けていたツケが今、ここにきて回ってきている。

沈黙が訪れる。
根が生えたみたいにお互い立ち尽くしていると、桃がぽつりと重たい空気に穴を開けた。


「佐紀ちゃんには話したんだけど、みやにも言っとくね」


ゆっくり頭をもたげると、真剣な眼差しが貫くように向けられていた。


「もも、明日のライブが終わったらラボには行かない。
 遠くに逃げる。逃げるって言い方は癪だけど」


信じられない思いで桃をまじまじと見つめた。
唐突過ぎて意味が分からない。
発した声は十分過ぎるほど戸惑いと狼狽えを露にしていた。
207 :idoloid :2015/04/25(土) 21:27
「え、ちょっと待って。どういうこと。遠くって、どこ行くの」
「場所は言えない。遠くの国」
「何それ。全然分かんないんだけど。
 そこにはメンテナンスしてくれるところ、あるの」
「ある。話はついてる。そこでかくまってもらうの。
 その準備って理由もあって、何年もイーストエリアに通ってたんだし」
「−−−ハッ?」


思わず声が裏返った。
羞恥と憤りに、顔に熱が集まっていく。

どうして今まで打ち明けてくれなかったの、なんて桃が秘密にしていたことに対して介入したい訳じゃない。
心配して毎度のように公園へついていった私は、明らかに邪魔だったのだ。
それなのに、桃のことを守っている気になっていたなんて、自分が滑稽でみじめ過ぎる。

目の横がぴりぴりする。
きっとまなじりはいつも以上に吊り上がっているだろう。
遠慮なく怒りを剥き出しにする私をちらと横目で窺って桃は、言いたいことを察したのか、ばつが悪そうに俯いた。


「怒んないでよ。子どもたちに会いたかったのは本当だし、みやが一緒に来てくれて、もも、嬉しかったんだから」


勇ましい表情から一転、桃はもじょもじょと弱々しく口ごもった。
じわじわと赤くなっていく耳を見て、腹立たしさがしぼみ、つい吹き出してしまう。

なんて最後まで私たちは、こんなにも私たちなんだろう。
お互いを思い通りに出来なさ過ぎて、本当にウケる。
おかしくて仕方なくなって、笑いながら少しだけ泣いた。
208 :idoloid :2015/04/25(土) 21:27
「会社のひとたちが諦めたくらいに、戻ってくるから。
 何十年後か分からないけど。そしたらみんなを探すの」


言いながら、桃は近くにあった小石を蹴った。
足元を見て改めて、ピンクのエナメルのラウンドトゥがダサくて子どもっぽいな、と確認する。
右脚は元に戻ったらしいけれど、いつまた信号が途切れるか分からない。
顔を覗くと、彼女はむっとくちびるを尖らせていた。


「だって、悔しいじゃん。全部会社の思い通りになんてさせないよ。
 ももはずっとアイドルでいるんだもん。これだけは譲れない」
「でもさ、もしだよ。
 もしライブの途中や終わりにももの身体が動かなくちゃったら−−−


どうすんの。
そう続けようとしたのを飲み込んだ。
きっとこっちの方が、私っぽい。


−−−ももの身体、どこに運べばいいの」


にやっと口の端を持ち上げてみせると桃も、あの日に見せた共犯者の笑みを浮かべた。
209 :idoloid :2015/04/25(土) 21:28
明日のライブが終わったら、イーストエリアの裏ルートを使って行方をくらまし、ほとぼりが冷めた頃に戻ってくる、という桃の計画。
彼女はいつも、私たちより先のことを考えて、未来を切り開こうとする。
でもそれにしても、ただじゃ起きないというか、尊敬を通り越して呆れてきた。

幾らオリジナルのBerryz工房が破天荒なグループだったとは言え、絶対的に【idoloid】は従順なロボットとしてつくられる。
反旗を翻すなんて前例がない。
きっと会社のひとたちは慌てふためくだろう。
ツグナガ モモコと嗣永 桃子を甘く見過ぎていたのだ。



しかし私自身、桃の言葉を信じ、それを拠りどころに余生を生きようなんて気はさらさらなかった。
己の未来を他人に託して夢を見て、自分は何もしないなんて、そんな無責任なことは出来ない。

それに私は結構リアリストだ。
桃にどんな秘策があるかは知らないけれど、何十年後、どこにいるか分からない私たちの身体を探し出すのは、海中に落とした一粒真珠のピアスを拾うみたいに、途方もないことに思える。
パーツがばらばらに解体され、新しい【idoloid】の作成に再利用される可能性だって高い。

それにきっと、桃も完璧な自信があるのではないだろう。
だって、未来のことなんて誰にも分からない。
絶対なんてない。

桃が無事に逃げ切れて、どこかの国で新しい人生を始めて、しあわせに暮らしてくれたらそれでいい。
それだけを願おう。


「戻って来たら、必ず見付け出すから」
「よろしく―――相棒」


たっぷり逡巡して、やっと一言付け足す。
普段使わない私の言葉に気付いて、桃はきょとんとした後、肩をすくめてくすぐったそうに笑った。
やっぱりちょっと恥ずかしいな。
私も照れ笑いを浮かべ、焼き付けるように彼女の顔を見つめた。
210 :idoloid :2015/04/25(土) 21:28



◇◇◇◇◇



211 :idoloid :2015/04/25(土) 21:29
長い夢を見ていた。
ノイズとつぎはぎだらけの出来の悪い映画は、私と彼女たち、7人の物語。
スイッチが入れられてから心臓を取り抜かれるまでの断片的な記憶をめちゃくちゃに繋ぎ合わせたそれが、繰り返し繰り返し再生されている。

イベントでのワンシーンだったり、楽屋裏での一コマだったり。
カメラが回っていてもいなくても、ばかなことをやってふざけ合って、そんな日常の些細な思い出はみんなの笑顔で彩られていた。
それぞれの特徴的な笑い声は耳に染み込んでいる。

でもそういうふうに、ただ仲良く10年以上過ごしてきたのではない。
幼い嫉妬で傷付けたり、意見が食い違えば衝突したり、嵐みたいな喧嘩もしたり。
あの子に突き刺してしまったひどい言葉は、後悔と一緒に胸に刻み込まれている。

楽しいことばかりではなかった。
厳しく叱られるレッスンや、プレッシャーに押し潰されそうになる舞台の稽古から逃げたくなったり。
加齢ややがて訪れる最期に急に悲観的になって、何もかも投げ出してしまいたくなったり。
笑いたくないときやファンのみんなの前に出たくない日だってあったけれど、それを隠してにこにこしていなければならないのはつらかった。
212 :idoloid :2015/04/25(土) 21:29
楽しいことばかりでは、確かになかった。
でも楽しいこともいっぱいあった。
何より鮮やかに映し出されるのは、ステージの上での光景だ。

ライブが好きだった。
貫くみたいな光と迫り出してくる音に身体は突き動かされる。
押し寄せる歓声に負けないように、エネルギーをぶつけ返すみたくして、私たちは歌って踊っていた。
客席の笑顔を見ると、自分たちのやっていることに間違いはないのだと短い命を肯定されたような気持ちにもなった。

私はいつでも1人じゃなかった。
テレパシーを飛ばすみたいに交わすアイコンタクト。
ばらばらの声質が重なり合って生まれる絶妙なハーモニー。
Berryz工房という運命を共有した、機械仕掛けの女の子。
あの空間で私たちは、1つの魂を7人で分かち合っているようだった。



トンネルの入口にいたときは、10年以上って永遠みたいなものだと思ってた。
でも、過ぎてみたらあっと言う間だったね。

終わらない時間なんてない。
きっと全てが一瞬のきらめき。
213 :idoloid :2015/04/25(土) 21:30
「ねえ、もし私たちが人間だったら、いつまで歌ってたかな」


突然場面は切り替わる。
2、3歩先を行く彼女が不意にこちらを振り返った。
スカートの裾が揺れ、さらりと髪が風になびく。
その口許には寂しげな笑みがたたえられていた。


「オリジナルが羨ましいね。だって最後を自分たちで決められたんだもん」


アイドル以外の夢を持つことを当たり前に許され、それぞれの道を歩むと決めた彼女たち。
Berryz工房が活動を停止しても、7人の人生は続いていった。
アイドルとして生まれ、そして死んでいく選択肢しかない私たちにとってそれは、羨望と嫉妬だ。

何百年後の遠い未来、各々そっくりのアンドロイドがつくられて、またBerryz工房が結成されるなんて知ったら、オリジナルはどんな顔をするだろうか。
彼女たちにもし出会えるならば伝えたい。
毎日いっぱい頑張ってたんだねって、全てを肯定してあげたい。
だって、あなたたちのことをまるごと全部理解してあげられるのは私たちだけだから。



前方からふと眩むような光が襲ってきた。
目の前の彼女の姿は溶けるみたいに呑み込まれてしまう。


「もっと歌っていたかったな。
 もっとみんなでいたかったな。ねえ―――


実像を持たない影が私を呼ぶ。
私は。私の名前は―――
214 :idoloid :2015/04/25(土) 21:31



◇◇◇◇◇



215 :idoloid :2015/04/25(土) 21:33



―――ゃ?!みや?!ねえっ!!聞こえる?!みや?!」



216 :idoloid :2015/04/25(土) 21:34
声に呼び起こされるみたいに微睡みから覚醒した。
ゆっくりと瞼を持ち上げると、 眼球パーツに刺すような痛みが走り、思わず目をしばたたかせる。
強く白い光。

それを遮るふうに、私に覆い被さろうとしているものがあった。
霞がかった思考は鈍い。
それでも何とかピントを合わせようと、焦点がもがくみたいにして彷徨うと、水に浸した水彩画のごとくぼやけた輪郭が、次第にくっきりと線を描くようになった。
瞬間、私は大きく目を見開く。

まさかのことに呼吸を忘れた。
それと同時に今、自分が息をしていたのだと身を持って識る。

瞳にまた世界が映し出された。
そしてそこには、あの日と変わらない姿で私を覗き込む桃がいた。


「みや!!」


逆光でも分かった。
涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔。
目から落ちたそれが私の頬にぽたぽたと落ちた。

もも。
名前を口にすると、本当にかすかだけれど確かにくちびるが動いた。

喉が破けるのではないかと心配になるほど、声にならない声を上げて桃は、私の胸に崩れるように突っ伏した。
こんなに取り乱した彼女は見たことがない。
だから余計、夢なんじゃないかと疑ってしまう。

薄汚れたグレーの天井。
浴び続けていたら火が付きそうなくらい強い照明の光はスポットライトを思い出させた。
どうやら私はどこかに仰向けに寝かされているのだと、何となく状況を把握する。
217 :idoloid :2015/04/25(土) 21:35
もも。
呼び掛けようとしても、全く声が出ていないことに気付く。
抱き締めたくても腕が上がらない。
まるで両の手足首に重石が付けられ砂の中に深く沈み込んでいるみたいで、もしかしたら四肢がないのかもしれないけれど、頭が動かないので確認しようがない。
もどかしさに身体が裂けそうだ。

もも。ねえ、もも。
こころの中で何度も何度も名前を呼ぶ。
信じらんない。こんなことって。
見開いた目から止めどなく涙が溢れていく。


「あっ、ごめんね!まだ繋げてない線ばっかで、身体、全然動けないでしょ。
 声も出るようになってないの」


顔を上げた桃はそう告げると、手のひらで私の顔を撫で付けた。
感触を、温度を、確かめるような手付きで。


「早くしゃべれるように―――ううん、早く歌えるようにしてあげるからね」


指が幾度も目許を往復した。
拭われても拭われても、視界は直ぐに滲んでいく。
涙はしばらく止まりそうにない。

桃の肩越しに開いた世界。それは全て光。
重い雲の切れ間から、彼女の言葉が射し込んだ。


「みやが動けるようになったらみんなを探しに行こう。
 もう1度、Berryz工房を始めよう」
218 :idoloid :2015/04/25(土) 21:35

219 :idoloid :2015/04/25(土) 21:35

220 :名無飼育さん :2015/04/25(土) 21:36
お読み頂きありがとうございました。
Berryz工房が大好きです。
221 :名無飼育さん :2015/04/26(日) 00:37
どうして、アンドロイドと未来の話に設定されたのかな、と考えておりました。正解を知りたいとかではなく、ふとそんな疑問が心に浮かびました。
視点をたくさん作ることで、立体的に見えてくるテーマがあるのかな、と思って拝読させて頂いておりました。

ラストへ向かっていく情熱にどきどきしました。キャプテンが気になって気になって気になっております。

更新ありがとうございました。Berryz工房って面白いですね。
222 :名無し飼育 :2015/04/26(日) 01:08
最後の一行で涙が零れました
素敵なストーリーをありがとうございました
223 :名無飼育さん :2015/04/26(日) 10:34
今まで二話分切なかったから最終話のカタルシスが…!
ベリにはやっぱり希望に満ちた感じが似合いますね
224 :名無飼育さん :2015/05/10(日) 18:59
レスありがとうございました。
書いて良かったなあ、と改めて感じております。



>>221
>どうして、アンドロイドと未来の話に設定されたのかな
正解が知りたいとかではない、ということですが、答えみたいなものを知っているのは私だけなので一応用意してみました。
ttp://berryzlifeonthestorm.blog.fc2.com/blog-entry-19.html
>立体的に見えてくるテーマ
各話ごとや物語を通じてのテーマは自分の中で設定していたのですが、察するにちゃんと伝わるように書けていなかったみたいで反省しています。
>キャプテンが気になって
本当は7人全員分の物語を書きたい気持ちなのですが、恐れ入ります><

>>222
最後の一行に気持ちを込めましたので、そう言って頂けると;;
こちらこそお読み頂きありがとうございました。

>>223
本当にその通りです…
書いている自分が耐えられなくて、早くラストシーンに繋ぎたくてたまりませんでした笑



◇◇◇インデックス◇◇◇

イチゴとメロン(矢島・夏焼) >>38-70

戦場のベリーズライフ(Berryz工房) >>79-116

idoloid
1話(徳永・熊井) >>122-145 >>151-158
2話(夏焼・菅谷) >>166-181 >>186-190
3話(嗣永・夏焼) >>195-217

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