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弱虫ナイト

1 :名無飼育さん :2006/03/25(土) 22:20
思いつくがままに短編を。
田中さん贔屓な作者なのでれなえり、みきれなを中心に、他CPも
書いていければいいなあと思います。

よろしくお願いします。
201 :第5話 あたしの隣のおチビちゃん :2008/07/23(水) 18:23
「…じゃ、ずっとこのままでいっか」

腕の中のおチビちゃんはその言葉に小さく頷いたあと、顔を上げてにひひーと笑った。
202 :第5話 あたしの隣のおチビちゃん :2008/07/23(水) 18:23
 
203 :第5話 あたしの隣のおチビちゃん :2008/07/23(水) 18:24
 
204 :第5話 あたしの隣のおチビちゃん :2008/07/23(水) 18:24
翌々日。晴天。とあるフットサルコート。
試合前、いつも以上に張り切っている石川に先日の出来事を説明した。

「はあ?あんた、あたしの完璧な作戦はどうなるわけ?」
「まあ、いいじゃん。上手くいったんだからさ」
「…ま、いいけどさー。その代わりよっちゃん、今日絶対ゴール決めてよね」
「任せとけって!」

悪いけど今日のあたしは超絶好調だ。
どんな強敵相手でも負ける気がしない。

コートに入る直前、ふとスタンドを見上げると、人一倍ちっちゃい女の子がじっとこっちを
見ていた。
騒がしい応援団に囲まれて所在ないような感じだけど、よく見るとちゃっかりと応援グッズ
を持って構えている。
軽く手を上げるとギロッと睨まれた。

―――――しっかりやれ!

あまりにも真剣なその形相がおかしくて、思わず吹き出しそうになる。
ほら、やっぱりあたしは無敵だ。
なんてたって、世界最強のサポーターがついてるんだから。
205 :第5話 あたしの隣のおチビちゃん :2008/07/23(水) 18:25

ちっちゃい頃ずっと後ろからついてきた小さな女の子は今、あたしの隣にいる。
あたしたちの距離や関係は、本当はずっと変わっていなかったのかもしれない。

れいながあたしのランドセルを掴んで離さなかった、あの頃からずっと―――――。
206 :第5話 あたしの隣のおチビちゃん :2008/07/23(水) 18:25





うぇーん。うぇーん。
遠慮のない泣き声が公園に響く。
ちっちゃな手があたしのランドセルを掴んで離さない。

「あー、わかったから、もう泣くなってー」
「…っく、ひっく…」
「ほれ、帰るべ?」

手を差し出した途端に泣き止んで、いたずらっ子みたいな顔で笑う。

「…って嘘泣きかよ、おまえー」
「にひひー」
「ったく、しょーがねーなー。ちゃんとついてこいよー」
「うん!ずーっとついてくー!」





そして、これからもずっと―――――。
207 :名無飼育さん :2008/07/23(水) 18:26

『隣の家のおチビちゃん』 終わり
208 :名無飼育さん :2009/04/05(日) 15:02
今頃であれですが
めちゃめちゃ可愛くてキュンキュンしました
209 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:06
>>208
今頃であれですが、嬉しい感想ありがとうございました!



現在同じ草板でどぅーいしを書いている者です。
向こうもまだまだ続く予定ですが、全く別設定の話なので久々にこちらのスレに投下します。

やや見切り発車ですが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
数回で完結予定です。

210 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:07

『くちびるハンター』

211 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:07

試合終了間際、目の覚めるようなボレーシュートがゴールに突き刺さる。
まるで踊っているようなそのフォームとあどけない笑顔。

その瞬間から、彼女は私の憧れとなった。







212 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:07

新しい門出にぴったりの晴れた春の日。
目の前には『モーニングFCユース・ジュニアユース寮』と書かれた看板。
今日からここで私の新生活が始まる。

ここは日本でも有数の女子フットサルチームの下部組織の施設。
全国から将来有望な選手が集められ、トップチームへの昇格を目指している。
中高生用の寮も完備していて、学校に通いながら練習することも出来る。

私は10期メンバーとして選抜テストに合格し、今日からここで暮らすことに
なったのだ。
自分で言うのもなんだが、こう見えても仙台では名の知れたストライカー。
チームカラーにちなんで『城下町が生んだ青いスベルガール』と言われ、対戦
チームからは恐れられていたくらい。
なぜスベルガールなのかは未だにわからないけど。

もちろん、日本一が集まるこのチームでも誰にも負けるつもりはない。

213 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:08

一歩踏み出そうとした瞬間、後ろから大きな足音が聞こえた。

「じゃまじゃまじゃまじゃまー!」
「え!?」
「たなさたーーーーーーーーーん!」

謎の言葉を発しながら少女が駆け抜けていく。

「な、何!?」
「なんだアレ…」

私の横で呟いたのは、いつの間にか現れた小柄な少女。
かわいい顔の割にはやけにハスキーな声。

「あんたもここに入る人?」
「あ、うん…」
「ふーん」

彼女は上から下まで舐めるように私を見る。
はっきり言って怖いんだけど…。


214 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:09

「…ぷ」

もしかして今、笑われた?
彼女の視線は私の胸元。
ちょうど、初日だからと気合いを入れて選んだトレーナーの「A」マークら辺。
名前のイニシャルだしエースの「A」でお気に入りなのに。

何がおかしいのかと文句を言おうとした途端、

「じゃ、お先に」

と逃げられてしまった。

215 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:09

これからあの子たちと同期として過ごすのかな。
ライバルだから仲良くするつもりはないけど、前途多難の予感。

まあ、心配してても始まらない。
改めて気合いを入れ直して寮に入る。

「すごーい」

外観と同じように寮の中も綺麗で思わず見とれてしまう。

ガチガチガチガチ…。
ブツブツブツブツ…。

今まで聞いたことのない妙な音。
初めは気のせいかと思ったけど、その音はだんだん大きくなる。
恐る恐る音のする方に目を向けると、真っ黒で長細い物体が…。

「お、お化け!?」

私の声に反応してお化けが振り向く。

「わわ私、いい飯窪春菜ですっ!!よよよ…」

甲高い声が館内に響き渡る。
それはよく見ると人間の女の子。
ガチガチというのは震えている彼女の歯の音で、ブツブツというのはひたすら
繰り返される自己紹介の声だったみたい。

お化けじゃなくてホッとすると同時に再び襲う不安。
未だに自己紹介の練習をしている飯窪さんを置いて、寮の中へ入った。

216 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:09

受付のようなカウンターで係の人に声をかけると、部屋へ案内してくれた。
この寮では1年目は二人部屋、2年目以降は一人部屋。
誰と相部屋になるか大きな問題だ。

「あの、同じ部屋の人は…?」
「ああ、まだ来てないみたいだね」
「そうですか…」

不安だらけの中、簡単に荷物を整理し、ガイダンスが行われるというロビーへ
向かった。

ロビーには既に二人の少女がいた。
「たなさたーん」の子とハスキーボイスの子。

「なんでたなさたんいないんだろ。ねえ、なんで?」
「だから、さっきから言ってんじゃん。たなさたんじゃなくて田中さんだし。
 田中さんはトップチームだからここにいるわけないって」
「えーーーーーー!まーちゃん、たなさたんに会いたくて来たのに…」
「うっさいし」

そのすぐあとに、係の人に付き添われて入ってきたのは色黒細長お化け…もとい、
飯窪さん。
どうやら、あれからずっと玄関にいたみたい。

「い飯窪春菜ですっ」

壊れたテープレコーダーのように飯窪さんの練習は続いている。

「あ、じゃあ、ミニシゲさんは?」
「はあ?ミニシゲって誰だし」
「あれ?ジミシゲさんだっけ?」
「ミ・チ・シ・ゲさんだろ!?あーもう、うっさい!」

隣では言い合いをする「たなさたーーん」とハスキー。
…この子達、本当にあの厳しい選抜テストに合格したのかな。

217 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:09

ユース、ジュニアユースチームには寮生活の子もいれば通っている子もいる。
どうやら、今年寮に入るのは私たち4人だけみたい。

「おはようございまーす!」
「お、元気な子が多いやん」
「よろしくね」

3人の少女がロビーに入ってきた。
私たちよりも一つ上の代、9期の先輩たちだ。
右から譜久村聖さん、生田衣梨奈さん、鈴木香音さん。
…あれ?一人足りない。

疑問に思いながらも10期側の自己紹介が始まった。

「飯窪春菜ですっ。よろしくお願いしますっ」

もう3回目の飯窪さんの自己紹介。
練習の成果かどもらずに言えたのを見て、なぜか私までホッとしてしまう。

「工藤遥です。モーニングジュニアから来ました。よろしくお願いします!」

モーニングジュニアはモーニングFCの小学生チーム。
いわばエリートコースだ。
先輩たちの表情もグッと引き締まったような気が…。
この子には絶対に負けられない。

「はーい!サトウマサキこと佐藤優樹でーす!よろしくでーす!!」

この子は…よくわかんないから放っておこう。

「石田亜佑美です!得意技は振り返りのキレからのシュートです!よろしく
 お願いします!」


218 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:10

全員の挨拶が終わったところで、譜久村さんが呟く。

「ところで、里保ちゃんは?」
「あー、まだ寝てるんやろ。香音ちゃん、起こしてきてよ」
「えー、ヤだよ。えりちゃんが行きなよ」
「聖に任せた!」
「ちょっとー」

何やら揉めている先輩たち。

「あの、里保ちゃんって…」

自己紹介の呪縛から解放され落ち着いた飯窪さんが尋ねる。

「あ、鞘師里保。聖たちの同期なんだけど…」

―――――鞘師里保。
その響きで頭の中に蘇る鮮明な記憶。


219 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:10

去年、観戦した決勝戦。
モーニングFCは1点差で負けていた。
誰もが試合を諦めた試合終了間際、途中出場の選手が鮮やかな同点ゴールを
決めた。
ゴール自体もドラマチックだったけど、何よりもその子の軽やかな動きと
無邪気な笑顔に心を奪われた。

「ただいまの得点、モーニングFC、鞘師里保」

あれからずっと、彼女に追いつきたくて追い越したくて、ここに来た。

220 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:10

「ハル、起こしてきましょうか?」

思い出に浸っている間に工藤さんが申し出る。

「あ、それなら私が行きますっ」

飯窪さんも手を上げる。

「面白そうだからまーちゃんも行くー!」

なぜか佐藤さんまで。

「あ、私が!」

負けじと反射的に手を上げた瞬間、3人が一斉に振り向き、声を揃えて言った。

「どうぞどうぞどうぞー」
「ええ!?」

コントか!
そんなこんなで、結局私が鞘師さんを起こしに行くことになった。

221 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:10

「里保ちゃんの部屋は303号室だから。…気を付けてね」

なぜか心配そうな先輩たち。
だけど、憧れの人を起こしに行く私はあまり気にならなかった。

あの日から一度も忘れたことはない人。
最初になんて声をかけよう。

ドキドキしながら303号室の前に立つ。

コンコン。

ノックをしても返事はない。
寝てるんだから当たり前か。

「もしもーし、入りますよー?」

そーっとドアを開けて中に入…ろうとしたが、何かに躓いて転びそうになった。

「なに、これ…」

目の前には洋服が散乱していて、足の踏み場がない。
まさか強盗!?

「さ、鞘師さん…?」

返事がない。
恐る恐る奥へと進む。

222 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:11

足元に注意しながらようやくたどり着いたベッドの上。
そこには、死んだように倒れている少女が!

「鞘師さん?大丈夫ですか?」

初対面でいきなり体に触るのはどうかと思い、そっと声をかける。
しかし、びくともしない。
これは緊急事態、軽く肩に触れて揺らしてみる。

「…んー」

どうやら生きているみたい。
良かったあ。

「あの、鞘師さん、起きて下さい」
「…………」

無反応なのでちょっとボリュームを上げてみた。

「さーやーしーさーん!」

…これでもまだ無反応とは、なかなかしぶとい人なのかも。
今度は強めに揺り起こしてみた。

「起きて下さい!」
「…………うるさい」
「はあ!?」

いくら先輩とはいえ、起こしに来て文句を言われたらたまったもんじゃない。
普通ならここで引くのかもしれない。
だけど、私は負けず嫌い。
こんな些細なことでも負けたくない!

223 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:11

うつ伏せの鞘師さんの体を掴み、反転させる。
ほっぺたをペンペンと叩くと、鞘師さんはようやく目を開けた。
切れ長の目はとても凛々しい。
見つめられるとドキッとしてしまう。

「…あ、起きましたか?あの、私…」
「…唇」
「へ?」

鞘師さんの目は私の顔の一点を見つめている。
目は合っていない。
見ているのはもっと下の方…。

「厚み…」
「あの」

キラリと光る目。
そう、まるで獲物を狙う獣のような。

「テカり…」
「さ、鞘師さん?」

手首を掴まれ、驚きと恐怖で言葉が出ない。
グイッと引き寄せられた体はそのまま鞘師さんの元に。
そして―――――。

224 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:11

「いただきます」

鞘師さんと私の唇が重なった。

225 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:11

「んー!んー!んーーーー!」

やっとの思いで引き離すと、鞘師さんは再びベッドに横になって…。

「すー…」

幸せそうな寝息と共に寝てしまった。

「…最っ低」

これが憧れの人との最低最悪の再会だった。

226 :名無飼育さん :2014/10/05(日) 18:12

本日は以上です。

227 :名無飼育さん :2014/10/06(月) 01:01
303号室wノリ*´3´リ
228 :名無飼育さん :2014/10/06(月) 13:06
だービル話キター!!
次の更新を楽しみにしてます
229 :名無飼育さん :2014/10/12(日) 08:29
飼育に鞘石キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!
今日気付きました!ドタバタコメディかな?続きがとても楽しみです(*´Д`)
230 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:41
レスありがとうございます。

>>227
細かいネタへの反応w 嬉しいです。

>>228
お待たせいたしました!

>>229
ノリと勢いが命のコメディ…の予定ですw

石田さんの一人称が思いのほか難しく、鞘師さんのキャラが定まらずで苦戦中ですが、
楽しんで頂ければ幸いです。

それでは、第二話。
231 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:42
鞘師さんにキスをされた後、すぐにロビーへ戻った。
他の10期メンバーは荷物を整理しに行ったらしい。
怒りの形相で飛び込んできた私を見た途端、先輩たちは全てを察したように
苦笑いを浮かべていた。

「やっぱり、里保ちゃん、起きなかった?」
「やっぱりって…、知ってて私を行かせたんですかっ!?」
「ごめんね、亜佑美ちゃん」
「ごめんじゃ済みません!!私、初めてだったのに…」

幼い頃から夢見てきたファーストキス。
それがまさかあんな形で奪われてしまうなんて。

「え?初めてって何の話?」
「だから、鞘師さんにキスされたんですっ!!」
「キ、キス?」

3人が同時に叫ぶ。
え?どういうこと?
鞘師さんはてっきりキス魔だと思い込んでいたけど、そうじゃなかったのかな。

232 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:42
「キスって、里保ちゃんが?」
「…はい、思いっきり、されました」
「聖ちゃん、されたことある?」
「聖はないけど、香音ちゃんは?」
「私もないなあ。衣梨ちゃん…はないか」
「そうやねえ…って、おい!」

ブツブツ言っている生田さんはおいといて。

「鞘師さんってキス魔じゃないんですか?」
「うーん。少なくとも私たちはされたことないなあ。寝起きが悪いのは確かで、
 なかなか起きないし起こしたら文句言うしで、大変だったんだけど」

冷静に答える鈴木さん。
その横で譜久村さんも首を傾げていた。

「聖はよく腕をすりすりされるけど、チューされたことはないよ」
「なんで、私だけ…」

そう呟くと先輩たちはじーっと私の顔を見てきた。

「な、なんですか?なんかついて…」
「ぷくーっとしとうね」
「うん、良い感じの厚みだし。里保ちゃん好みかも」
「聖も触ってみた―い!」
「や、止めて下さいっ!」

身の危険を感じ、思わず口元を隠す。
ここは変態の巣窟か。

233 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:42
「まあ、それは置いといて」

って、置いとくんか―い!と心の中で突っ込んだ私に、鈴木さんはとんでもない
ことを言い出した。

「亜佑美ちゃん、これからしばらく里保ちゃんの起こし係になってよ」
「はあ!?」
「あ、それいいかも。衣梨たち、もう起こすの面倒やし」
「ちょ、ちょっと待っ…」
「聖もさんせーい!!」
「い、嫌です!無理です!」

必死で抵抗するもそこは体育会系の世界。
生田さんの「先輩の命令は?」の一言に私は観念して答えた。

「…絶対です」

こうして、私は鞘師さんの起こし係に任命されたのだ。

一応、期間は一か月。
その後は他の10期にバトンタッチしていいとのこと。
絶対に一か月きっかりで誰かに押し付けてやるんだから。

234 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:42
「さてと、そろそろ、本気で里保ちゃん起こしてくるわ」

そう言って腕捲りをした鈴木さんは、きっかり5分後に戻ってきた。
逞しい背中にまだムニャムニャしている鞘師さんを背負っている。

「よいしょっと」

ドサッっと乱暴に降ろされて、ようやく鞘師さんが目を覚ました。
自己紹介のため整列している10期を見て、まだポケーッとしている。
目を擦っている姿はまるで赤ちゃんのようで…。

「…かわいい」

断っておくが呟いたのは私ではない。
隣の飯窪さんだ。
あんなことをされた相手にかわいいなんて感情を抱くわけがない。
断じてあり得ない。

「ほれ、里保ちゃん。起きて」
「…んー、起きたくない」
「今日はいつにもまして寝起き悪いなあ」
「…夢、見たんだよ」
「夢?」
「ん、超いい夢。理想通りの柔らかさと厚さでさー。だから目覚ましたくない」

…まさかその夢って。
嫌な予感がプンプンする。

「もう、くだらないこと言ってないで。今日から寮に入る10期。ちゃんと挨拶して」
「…んー」
「ちゃんと立ってよー、もう!」
「ふぁーい…」

鈴木さんに促され、鞘師さんは一人一人と握手を交わしていく。
徐々に目が覚めてきたようだ。

235 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:42
「…石田亜佑美です」
「んー、亜佑美ちゃんかあ」

鞘師さんと握手を交わす私のことを笑っている9期さん。
先輩じゃなければ3人纏めて跳び蹴りを食らわしてやるところだ。

それにしても、こうして目の前で見るとすごく精悍な顔立ちだなあ。
あんな事件がなければきっと、私はこの人に憧れたままだったと思う。

少しだけ、ほんの少しだけ鞘師さんに見とれていると、鞘師さんの視線が徐々に
下がっていくことに気付く。
あのときと同じ位置で視線が止まる。
しじみのような細い目が丸くなる。

「正…夢?」
「…あ、あの?」
「…へ?あ、いや、な、なんでもないっ」

鞘師さんは慌ててロビーから出て行ってしまった。
なんなんだ、もう。

236 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:43
その日は練習もなく、翌日からの新生活に備えてそれぞれの部屋に戻った。
不安だった部屋のパートナーは飯窪さん。

「これからよろしくね」

極度の上がり症らしいけど、それ以外は至って普通の女の子。
他の二人よりはましだろう。

荷物を整理しながら、このチームに入ったきっかけや今までのフットサル経験
などを話すうちに、自然と先輩たちの話題になる。

「鞘師さんってすごいよね」
「え?ああ…そうだね」

どうやら飯窪さんもあの決勝戦を観ていたらしい。

「鞘師さん、起こしに行ったんでしょ?どうだった?」
「ど、どうって…」
「寝顔見たなんていいなあ」
「…そんないいもんじゃないよ」

一応先輩のことを最悪とも言えず、曖昧に答えるしかなかった。
…確かに寝顔はちょっとだけかわいかったけど。

「起こし係、変わろうか?」
「え!?」

237 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:43
それは、私にとっては最高の提案だった。
だった…はずなのに、なぜか自分の中ですっきりとしなくて。

「…ううん。大丈夫」

自分でも驚くほど即座に、飯窪さんの提案を断っていた。

「そう?」
「うん。先輩の命令だし!それにたったの一か月だけだし!」
「そっか。でも大変だったら言ってね」
「うん。ありがと」
「さてと、明日も早いし、もう寝よ。おやすみー」
「おやすみ」


そう、たったの一か月。
先輩の命令なんだから仕方がない。

まるで自分に言い聞かせるように、ベッドに入り横になった。

238 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:43
翌朝。

『303号室』

ドアの前で深呼吸をした。

今日はばっちりと対策をしてある。
大きなマスクで顔の半分(主に唇)をガードし、鞘師さんの元へと向かう。
もう二度と、キスなんてさせるもんか―――――。

239 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:43
そっとドアを開け、部屋の中へ入る。
昨日と全く変わらない、足の踏み場のない床。
洋服の海をかき分けベッドへ辿り着き、そこに寝る主を確認する。

ぐっすりと眠っているその表情は、…悔しいけどやっぱり少しかわいいかも。

「…鞘師さん」

昨日の経験からこの程度じゃ起きないことはわかってる。
鈴木さんには「ひっぱたいていいよ。どうせ覚えてないから」と言われたけど、
さすがに先輩にそれは出来ないし。

昨日のように何度か声をかけ、それでも効果がないので肩を揺さぶる。
手を振りほどかれ文句を言われつつも、鞘師さんを無理やり座らせる。

「起きて下さい!」
「ん…」

鞘師さんが目を開ける。
そして、私の顔を見た途端に叫び出す。

「うわぁ!お化け!!!」
「誰がお化けじゃ!私ですよ、石田!石田亜佑美です!」
「…あ、亜佑美ちゃん?」

どうやら私の顔を覆う大きなマスクが怖かったらしい。

「唇が見えないから、誰かと思った…」

どこで見分けてるんだ、この人は…。

240 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:43
「じゃあ、ちゃんと起こしましたからね」
「え?わざわざ起こしに来てくれたの?」
「はい。私、鞘師さんの起こし係に任命されたんで。ちゃんとご飯までには
 降りて来て下さいよ?」

この部屋に長居は無用だ。
任務を終えた私が部屋を出ようとすると、後ろから声が追いかけてきた。

「ちょ、ちょっと待っ…うぉ!」

慌ててベッドから降りたせいで、床の洋服に足が引っかかり豪快に転ぶ鞘師さん。

「いてて…」
「だ、大丈夫ですかっ?」

一応、先輩だしチームのエースだし、怪我でもされたら一大事だ。

「だ、大丈夫。うち、よくこけるから…」
「そうなんですか?気を付けないと」

全く、世話の焼ける先輩だ。

241 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:44
「あ、亜佑美ちゃん…」

鞘師さんはなぜか正座をしてる。

「は、はい?」

私もつられてなぜか正座で向かい合う。
なんだ、このシチュエーション…。

「あの、うち、寝起き悪くて迷惑かけちゃうかもしれないけど…」

どうやら自覚はあるらしい。

「…けど?」
「これから、よ、よろしくです」

そう言って頭をペコリと下げた鞘師さん。
その瞬間、胸の奥がキュンと音を立てたような気がして。

「ちゃ、ちゃんと起きて下さいねっ!」

だけど、それを認めたくなくて、私は足早にその場を立ち去った。
一か月限定だってことは、なぜか言えなかった。

242 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:44
モーニングFCユース、ジュニアユースの選手はみんな中高生。
平日はこの寮からそれぞれの学校へ通っている。
帰宅後は夕方から練習があり、土日には練習試合や公式戦がある。

寮生以外にもたくさんの選手が所属しており、公式戦に出れるのはほんの
一握り。
厳しい選抜テストを突破しただけあって、みんな上手だ。

飯窪さんは技術的には平凡だけど、全体を俯瞰して見る能力に長けている。
長い手足を生かしてゴールを守るゴレイロ志望らしい。

佐藤さんはその性格通り、予測不可能のトリッキーなプレーが魅力。
その猪突猛進なドリブルはなかなか止められない。

工藤さんはエリートコースだけあって、何もかも万能な選手。
最年少ながらもリーダーシップもすごい。

私も一応仙台では名の知れたストライカー。
同期に負けるつもりは毛頭ない。

そんな私たちに先輩たちも危機感を感じているようだ。
コーチの指導を受けている私たちをじっくりと観察している。

243 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:44
そんな中、鞘師さんは一人淡々とランニングをしていた。
今日は新人以外、個人練習というメニュー。
休憩中にこっそりと鞘師さんの様子を伺う。

寝起きの顔とはまるで違う、真剣な表情。
汗をかく横顔はとても凛々しい。

気付くと私以外の同期もみんな、鞘師さんの一挙一動に注目していた。
そんな周囲の視線は気にも留めず、ボールを使った練習を始める鞘師さん。

まるで自分の手足のように自由自在にボールを扱う。
リズミカルなリフティング、華麗なドリブル、鋭いシュート。
その動きは私が憧れた鞘師里保そのもので。

集合の合図がかかってからも、しばらく目を離せずにいた。

244 :名無飼育さん :2014/10/25(土) 17:44
本日は以上です。
245 :名無飼育さん :2014/10/26(日) 21:51
イイヨイイヨー
だーいしきゅんきゅん来ちゃってるう
246 :名無飼育さん :2014/10/30(木) 00:45
懐かしいスレが動いていると思ったらまたしてもw
カワイイだーちゃんが読めるのがうれしいです。
247 :名無飼育さん :2014/12/05(金) 00:34
続き楽しみにしています。(*´Д`)
248 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:20
レスありがとうございます。

>>245
これからもっときゅんきゅんになる…かもw

.>>246
以前から見て下さってるんですね、嬉しいです。
カワイイだーちゃん、頑張ります!

>>247
お待たせいたしました!
249 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:21
分厚いカーテンを勢いよく開けると、朝日が差し込んでくる。
とても良い天気だ。
ついでに窓もわざと大きな音を立てて開けてみる。
それでも、この部屋の主は全く起きる気配がない。

私たち10期がこの寮に入って早一か月。
ようやくいろいろなことに慣れてきて、余裕が出てきたと思う。
もちろん、この人の寝起きの悪さにも。

「さーやーしーさーん!朝ですよー!起きてー!!」

乱暴に布団をめくると、いつも通り丸まって寝てる鞘師さんの姿。
それはまるで猫みたいで、ちょっとだけかわいい。

「鞘師さん!朝だってば!」
「…んー」

少しだけ反応して、だけどすぐに壁の方へ寝返りをうつ。
こんなのはまだまだ序の口だ。
この一か月、私は寝起きの鞘師さんにありとあらゆる憎まれ口を叩かれてきた。
腹の立つことに、目が覚めると本人は全く覚えてないらしい。
その度に起こし係をさっさと誰かに押し付けてやろうと思う。

だけど。

「あ、い、いつもありがと。亜佑美ちゃん」

目が覚めた鞘師さんのたった一言で、私の怒りはどこかへ消えてしまう。
250 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:21
「それにしても鞘師さん、いい加減、掃除したらどうですか?」

寝起きの悪い鞘師さんは部屋も汚い。
それこそ足の踏み場のないほどに。

「え、これでも片付けたんだよ、昨日」
「ええ?どこを、ですか?」
「ドアからベッドまで。ほら」

よく見ると確かにドアからベッドまで、洋服やら雑誌やらをかき分けて一本道
が出来ている。

「なんなんですか、この道」
「亜佑美ちゃんが通りやすいように、と思ってさ」

「偉いでしょ?」と言わんばかりにドヤ顔の鞘師さん。
私は深いため息をつきながら答えた。

「どうせなら、ちゃんと片付けましょうよ」
「…もしかして、うちの部屋、クサい?」
「へ!?」
「だって、亜佑美ちゃん、うちを起こすときだけマスクしてるじゃん。部屋が
 クサいからかなって。この部屋のせいでマスク外せないのは悪いから」
251 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:21
頭の中に一か月前の記憶が蘇ってくる。
初めてのキスを奪われたショックと怒りはだいぶ薄れてきたけど、あのときの
感触だけはなぜか忘れられない。

だけど、部屋のせいではなく部屋の主のせいだと、そんなこと言えるわけない。

「ク、クサくなんかないですよ」
「だったらなんでマス…」
「もういいじゃないですか!とりあえず、片付けましょ!」

適当にごまかして、散らばった洋服を拾い上げる。
今日は比較的早く起きてくれたから、朝食まではまだ少し時間がある。

「え?手伝ってくれんの?」
「…起こすときに転んで怪我するの、嫌ですし」

そう、これはあくまでも自分のための行動だ。
それでも鞘師さんはすごく嬉しそうだった。
252 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:21
洋服をあらかた片付け終え、雑然としている戸棚に取り掛かる。
そこもかなり散らかっていて、奥の方にいろんなものが押し込まれていた。

「これ、一回出さなきゃダメですね」
「んー、そこ、数か月触ったないや」
「なんか出てきそう…」

ブツブツ文句を言いながら戸棚を整理する私を、鞘師さんは静かに見守っている。

「ていうか、サボってないで、ちゃんと手を動かして下さい!」
「いひひ、バレたかー」
「全くもう」

一番上の段に手を伸ばしたとき、戸棚がグラッと揺れてバランスを崩す。
やばい、倒れる!
そう思った瞬間、鞘師さんの声が飛んでくる。

「危ない!」
「え?」

飛んできたのは声だけではなかった。
振り返ると、そこにはすごい勢いで向かってくる鞘師さんの姿が…。

253 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:22
「うわっ!」
「キャッ!」

結局戸棚ではなく、何もない床ですっころんだ鞘師さんの下敷きになった。
こんなにドンクサい人がエースだなんて信じられない。

「あ、ご、ごめんっ!」
「いえ、だ、大丈夫です…」

すぐにどいてくれると思っていたのに、なぜか鞘師さんは動かない。
キスされたあの日と変わらない距離に心臓が飛び出しそうになる。

「…さ、鞘師さん?」
「亜佑美ちゃん…」

馬乗りになった鞘師さんの右手が顔に伸びてくる。
顔が真っ赤になっている自覚があって、それがまた恥ずかしさを加速させて。
だけど、鞘師さんを押しのけることなんて出来なくて。

「…っ」

鞘師さんの指が触れた先は耳の後ろ。
マスクの白い紐をすっと外そうとしたとき―――――。

ガコッ!

「いった…!」

絶妙のタイミングで鞘師さんの頭を直撃したのは、戸棚の上に置いてあった
写真立てだった。
254 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:22
その痛みで我に返った鞘師さんは慌てて体を起こす。

「ご、ごめん!」

泣きそうな顔の鞘師さんに何も言えなくて、私はそのまま部屋を飛び出した。

255 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:22
なんであんなことになったんだろう。
鞘師さんを押しのけることくらい、簡単に出来たはずなのに。

マスクを外して、そのあとどうするつもりだったんだろう。
写真立てが落ちてこなければ、あのまま―――――。

鞘師さんの行動も自分の行動も疑問だらけだった。
だけど一番わからないのは、嫌悪感を抱いていないこの感情で…。

こんな真っ赤な顔をはるなんに見られたくなくて、私は朝食まで部屋に戻らず
に時間を潰すことにした。

今日は鞘師さんの顔、まともに見れる自信がない。
256 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:22
食堂に入ると、殆どのメンバーが集まっていた。

「あゆみん、どこ行ってたの?」

心配そうに尋ねるはるなんの問いに曖昧な笑顔を見せながら席に着く。
案の定、鞘師さんはまだいない。

「あとは里保ちゃんだけだね。亜佑美ちゃん、里保ちゃん起きてた?」
「…あ、はい」
「二度寝しちゃったかなあ」

譜久村さんが呼びに行こうと腰を上げたとき、鞘師さんが食堂に現れた。

「ごめん、遅れて」

元気のない声。
だけど私は声の主を見れず、俯いたままだった。

257 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:23
鞘師さんとは目を合わせないまま、食事が進む。

「そういえば、10期ももうすぐ一か月だね」
「あー、そうっすね」

鈴木さんの言葉にくどぅーが即座に答える。

「お祝いとかないんすか」
「何バカなこと言ってんの。すいません、鈴木さん」
「えー、まーちゃんもお祝いしてほしー!」

この一か月で9期さんともすっかり仲良くなった。
軽口も叩けるようになった。

「一か月といえば亜佑美ちゃん」

生田さんに話を振られ、ギクッとする。

「里保のこと起こす係、誰と交代すると?」
「え、あー、えっと…」
「交代…?」

私たちのやり取りを聞いた鞘師さんが呟く。
確か、鞘師さんは一か月交代ということを知らない。

鈴木さんが事情を説明する。

「そーだったんだ…」

心なしか寂しそうな声に思わず顔を上げるとバッチリ鞘師さんと目が合って。
瞬間的に目を逸らしてしまう。

258 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:23
あれほど待ち侘びていたはずの交代なのに、気持ちが重い。
あんなことがあって、顔も見れない相手なのに、私は…。

「今度はまーちゃんがやすしさんのこと起こすー!」
「まーちゃんは無理っしょ。ハルが起こしますよ」
「ははは…」

まーどぅーコンビが我先にと立候補する。
鞘師さんの渇いた笑いが耳に飛び込んでくる。
その笑い声からは感情が読めなくて、なぜか胸が痛くなる。

「まーちゃんもくどぅーも、まずは自分のことをちゃんと出来るようになって
 からにしてね」

隣から甲高い声が響く。

「まーちゃん、出来るもん!」
「この一か月で私が何回起こしたと思ってんの?」
「うー…」
「ハルは平気だよ」
「くどぅーは宿題を自力で出来るようになってから」
「…関係ないじゃん、それ」

まーどぅーコンビを正論で黙らせたのは、はるなんだった。
さすがに10期最年長だけあって、同期の扱いには慣れている。

「私はまだ練習についてくのが精一杯だし、ここはやっぱりあゆみんが一番
 いいと思います」

思わぬ提案にはるなんの顔を見ると、不器用なウィンクが返ってきた。

「ね?あゆみん」
「わ、私は…」

鞘師さんの視線が痛くて、そのあとの言葉が続かない。
259 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:23
「里保ちゃんは、どう?」

返答に困っていると、鈴木さんが鞘師さんに話を振る。

「ホントはうちが一人で起きなきゃいけないんだけど…」
「まあね。でも、無理でしょ?」
「…うん、否定できない」
「やすしさん、まーちゃんと一緒だー!」

嬉しそうなまーちゃの声にみんなが爆笑する。
少しだけ空気が和んだ気がした。

鞘師さんがすっと立ち上がる。
また目が合って、だけど今度は逸らさなかった。
…逸らせなかった。

目の前の鞘師さんがとても真剣な顔をしていたから。

「あ、亜佑美ちゃんが嫌じゃなければ、お願いします…」

まるでプロポーズのようなその言葉に、私は静かに頷いた。
260 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:23
部屋に戻り、はるなんに食堂での提案とウィンクの意味を問いかける。

「だってあゆみん、毎朝すっごく楽しそうなんだもん」
「え?私が?」
「うん。『起こすのめんどくさい』とか言いながら、目覚ましの前にきっちり
 起きてるしさ」

それは自分でも気付かずにいた事実。
確かに、いつの間にか鞘師さんを起こすことは苦痛じゃなくなっていた。
仕事や義務感ではなく、楽しみになっていたのかもしれない。

その気持ちの変化や理由はわからないけど、

「まあ、本当に嫌になったら変わるからさ」

そう言って笑うはるなんが初めて頼もしく思えた。

261 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:23
それから数日が経ち、私は相変わらず鞘師さんを起こし続けている。
あの日のことはまるでなかったかのようにお互い振る舞っている。
だけど、二人きりの空間は少しだけ気まずくて、どこか意識している自分が
いて。

それを誤魔化すためにますますなんともないフリをする。
そんな日々の繰り返しだった。

262 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:24
数週間後。
明日、モーニングFCは今季の公式リーグの初日を迎える。
先日発表されたレギュラーには入れなかったけど、なんとかベンチメンバー
に入ることが出来た。
10期からは唯一の大抜擢。

「ちぇっ、ハルが一番先だと思ってたのになあ」
「あゆみ、ずるーい!」
「頑張ってね、あゆみん」

三者三様のエールらしきものを受け、改めて気合いを入れる。
試合に出れるかどうかはわからないけど、これはチャンス、This is a chance。


チームのエース的ポジションに当たり前のように君臨する鞘師さん。
いろいろとあったけど、この人に憧れて負けたくないという思いでここへ来た
んだから。
263 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:24
試合当日の朝。
いつものように鞘師さんの部屋へと向かう。
だけど、いつもとはなんとなく部屋の雰囲気が違った。

不思議に思いながらベッドに近付くと…。

「鞘師さん?」

そこはもぬけの殻だった。
寮に来てから初めての状況に軽くパニックになる。
何をしてもなかなか起きない鞘師さんがいない。
まさか一人で起きたのだろうか。
それとも、どこかで眠り込んでるとか…?

私は慌てて部屋を飛び出し、鞘師さんを捜した。

食堂にもロビーにもいない。
トイレにもお風呂にも、その姿は見当たらなかった。
どうやら寮の中にはいないようだ。

残る可能性は…。

264 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:24
ドアを開けると、ボールを蹴る音と共に捜し人の姿が飛び込んできた。
どのくらい一人でそうしていたんだろう。
既に汗だくの鞘師さんは一心不乱にシュート練習を繰り返している。

その真剣な姿に見とれてしまう。
やっぱりこの人に憧れていることを改めて実感する。

目を奪われている私の足元にボールが転がってきた。

「亜佑美ちゃん?」
「あ、おはようございます」
「お、おはよ。あ、そっか。起こしに来てくれたんだよね。ごめん」

それはいつもの笑顔じゃなかった。
うっすらと出来た目の下のクマが目に入る。

「…寝れなかったんですか」
「…あー」

鞘師さんは頭をかく。
どう答えようか考えているように見える。

「試合の日はいつもこんな感じ」
「平気…ですか?」

なんかすごく無理して笑っている気がする。

「平気平気。寝不足でも試合はちゃんとやるし。チームには迷惑かけないよ」
「そうじゃなくて…」
「ん?」

チームとかそういうのではなく、鞘師さん自身が心配だった。
大きな何かを一人で抱えているように思えて、すごく心配になった。

だけど、それを上手く伝えることが出来なくて…。

265 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:24
俯いた私の足元のボールを鞘師さんが拾い上げる。

「相手してよ、亜佑美ちゃん」
「え?」
「一人より二人の方が練習になるし」

そう言って笑う鞘師さんはもういつもの鞘師さんに戻っていた。
だから私も笑顔でボールを受け取る。

「でも私、こんな格好ですよ」
「あ、そ、そっか。バカだなあ、うち。いひひ」
「すぐに着替えてきますね」
「え?い、いいの?」
「わ、私だってベンチメンバーですから!」

そう、これはあくまでも自分のための行動だ。
それでも鞘師さんはすごく嬉しそうで。

「ありがと」

自分に向けられたその笑顔と言葉が嬉しかった。
266 :名無飼育さん :2014/12/07(日) 23:24
本日は以上です。
267 :名無飼育さん :2014/12/09(火) 19:18
クリアがいるなw
268 :名無飼育さん :2015/01/09(金) 08:48
やっぱり鞘石いいな
続き楽しみにしています
269 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:29
レスありがとうございます!

>>267
川c ’∀´) < リハビリテーション!

>>268
長らくお待たせしました。
これからもまったり更新ですが、よろしくお願いします。
270 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:29
公式リーグの初日は圧倒的な大差で勝つことが出来た。
鞘師さんは当たり前のように期待通りの大活躍。

一方、出番のなかった私。
鞘師さんとの差を痛感させれらた。
ライバルなんておこがましくて、だけど、それでも少しでも追いつきたい。
そのためには、鞘師さん以上に努力しないといけない。

「最近のあゆみん、すっげー気合いだね」

練習前のランニング、隣で走るくどぅーの言葉だ。

「そう言うくどぅーも目がマジじゃん」
「まあね。あんなプレー見せられちゃ、燃えない方がおかしいでしょ」

どうやら鞘師さんに刺激を受けたのは私だけじゃないらしい。

「やすしさーーーーーーん!!この前のフェイント、どうやるんですかあ?」
「鞘師さん、シュート練付き合ってください」

まーちゃんもはるなんも鞘師さんのそばから離れない。
本当は私だっていろいろと教えてほしいけど、なかなか近付けない。

271 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:29
まーちゃんに絡みつかれている鞘師さんは、苦笑しながらも楽しそうで。
その笑顔を見るのはなんとなく嫌だった。

ふっと、こっちを見た鞘師さんと目が合った。
同じ笑顔を向けられたけど、私は上手く笑えなくて。
思わず目をそらしてしまった。

272 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:30
一週間後、公式リーグ2戦目。
相手は前回3位の強豪チームだ。
負けられない試合に、メンバー全員の士気も高まっている。

前半を終えて0-0の同点。
相手チームはかなりこちらを研究していて、鞘師さんは二人がかりでマーク
されている。

「よし。石田、行って来い」

後半途中、コーチから声がかかった。
膠着状態でのデビュー戦。
みんなから期待の眼差しが向けられているような気がして。

私は生まれて初めてのものすごい緊張感に襲われていた。
それこそ、目の前が真っ白になるくらいの…。

273 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:30
交代自由のフットサルでは試合の流れに上手く乗ることも大切だ。
裏を返せば、交代した選手は狙われやすい。
そんなことは百も承知のはずだった。
はずだったのに。

センターサークル付近で譜久村さんからのパスを受けたあと、猛然と向かって
くる相手選手の勢いに一瞬コントロールを失ってしまった。

「亜佑美ちゃん!」

覚えているのは鞘師さんの声と自分たちのゴールに突き刺さるボール。
その二つだけがなぜかくっきりと頭に刻まれた。

0-1。
遂に点を決められてしまった。
私のミスだ。

結局、何も出来ずにベンチへと下がった。

274 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:30
俯く私の隣に鈴木さんが座った。

「ドンマイ」

優しい声が余計に辛い。

どうしよう。
私のせいで負けたらどうしよう。
モーニングFCが2戦目で負けるわけにはいかないのに。
伝統のあるチームで、先輩たちにも申し訳ない。

どうしよう。
みんなに会わせる顔がない。

リードされたまま、時間はどんどん過ぎていった。

275 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:30
残り数分。
コーチがタイムアウトを要求した。
顔を上げられない。

すっと目の前に誰かの気配を感じた。

「亜佑美ちゃん」

声だけでその人が誰なのかわかる。
少し低い穏やかな声。

「大丈夫」

その言葉にはっと顔を上げると、いつものようなドヤ顔の鞘師さんがいた。
こんな緊迫した状況でも不敵な笑みを浮かべている。

276 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:30
「ご、ごめんなさ…」
「大丈夫だよ」

鞘師さんの顔が滲んでいく。
泣きたくないのに。

ふわっと頭にタオルをかけられた。
鞘師さんの匂いがする。
あの部屋の匂い。

「うちが決めるから」
「鞘師さん…」
「絶対勝つよ」

そう言って、鞘師さんはコートへと戻っていった。

277 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:31
その数秒後。
鞘師さんは、勝ちを確信した相手の一瞬の隙をついてボールを奪い、豪快に
相手ゴールに叩き込んだ。
同点にされて動転した相手チームはミスを連発し、モーニングFCは逆転勝利を
収めた。

鞘師さんに駆け寄るその歓喜の輪の中に、私は素直に入れなかった。

278 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:31
試合後は励ましてくれる先輩たちや茶化しながらも慰めてくれる同期のおかげで、
少しずつ元気を取り戻すことが出来た。

みんな、優しくて温かい。
仲間の良さを改めて実感した。

279 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:31
その日の夜。
私は一番お礼を言いたいその人を探していた。
寮に戻るとすぐに寝てしまい、夜ご飯も半分寝ぼけながら食べていた鞘師さん。
どうせ寝ているだろうと部屋を訪ねたけど、ベッドにその姿はなかった。

廊下をウロウロしていると、ばったりと鈴木さんに会った。

「どうしたの?」
「あ、鞘師さんが部屋にいなくて…」
「里保ちゃん?…ああ、たぶん、あそこかな」

鈴木さんが連れて行ってくれたのはロビーの隅っこ。
死角となるその場所には二人掛けの小さなソファがある。
その上に毛布を身に纏った怪しい物体、もとい、捜し人の鞘師さんがいた。

「…あれ、ですか?」
「そ。あれ」

試合の後は必ずその日のビデオを見て反省をするそうだ。
タブレット型の端末なので部屋でも見れるのに…。

280 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:31
「わけわかんないけど、落ち着くらしいよ」
「…変わってますね」
「行かないの?用あるんでしょ?」
「あ、はい、でも、急ぎじゃないし、なんか邪魔しちゃ悪いかなって…」
「確かに里保ちゃんにとって大事な時間だけど」

鈴木さんはいつもの笑顔で私の肩をポンと叩いた。

「亜佑美ちゃんなら、大丈夫じゃない?」
「…え?それって、どういう…」
「さあねえ。じゃ、ごゆっくりー!」

手を振りながら去る鈴木さん。
その言葉の意味はわからないけど、妙に説得力はある。

私は鈴木さんの言葉を信じて、鞘師さんに近付いた。

281 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:31
そばに立っても気付かないくらい、鞘師さんはビデオに夢中だった。
画面を見つめる瞳は真剣そのもので。

…ドキッとした。
尋常じゃないくらい、自分の体じゃないくらい、鼓動がうるさい。

「あ、あの…」

これ以上放っておくとどうにかなりそうで、私は鞘師さんに声をかける。

「亜佑美ちゃん」

鞘師さんの笑顔がなぜかいつもより眩しくて、まともに顔を見れない。

「…今日は、すみませんでした。ありがとうございました」
「ん?」
「試合、ミスしちゃって」
「…あー」
「でも鞘師さんがゴールしてくれて…」
「当たり前だよ」
「え?」

聞き返した私には答えずに、鞘師さんは徐に画面を操作し始めた。

282 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:32
「鞘師さん、あの…」
「これ、見て」

映っているのはフットサルの試合。
でも、今日のものじゃない。

「うちの初めての試合。このとき、すっごい緊張しててさ。ほら、見てよ」

画面の中の鞘師さんがトラップミス。
今のプレーからは想像もできない。

「あー、また。酷いでしょ、うちのプレー」
「そ、そんなこと…」
「でも、これが始まりだから」
「…はじ、まり?」
「酷くてもみっともなくても、これがうちの原点。だから、忘れないように、
 すぐに見れるように、ここに入れてあるんだ」

静かに話してくれた鞘師さんの苦い思い出。
それを乗り越えたからこそ、今の鞘師さんがいるんだ。
そう思うと、今日の私のミスも無駄ではなかったと思える。

283 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:32
「あ、ちなみに、このビデオは誰にも内緒ね」
「え?」
「…カッコ悪いじゃん、こんなの」

さっきまでの自信満々の表情はどこへやら、突然すねたように顔を赤くする
鞘師さん。
昔のこととはいえ、自分のミスを誰かに見られるのは恥ずかしい。
その相手が後輩なら尚更だと思う。
それなのに鞘師さんはどうしてこのビデオを見せてくれたんだろう。

「さ、さてと、次の対戦相手のビデオでも見るか…」

もしかしたら、私のために…?
その理由を確かめたくて、だけど聞けなくて。
自分でも驚くくらい自然に、次の言葉を発していた。

「あの、一緒に見てもいいですか?」
「…へ?」
「あ、だから、対戦相手のビデオ…」

一瞬、キョトンとした鞘師さんは、私の言葉の意味を理解したあと、自分の隣の
スペースを空けてくれた。

284 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:32
「ど、どうぞ」
「あ、どうも」

くるまっていた毛布を膝にかけ、二人で入る。
二人掛けとはいえ小さなソファだから、嫌でも体が密着する。
触れた部分が熱くて、変に意識してしまって、無言になる。

もしも、ミスしたのが私じゃなかったら。
他の誰か、たとえば、はるなんとかまーちゃんとかくどぅーだったら、それでも
鞘師さんは同じようにあのビデオを見せるのかな。

真摯にフットサルに向き合っていて、誰よりもチームのことを考えているから、
きっと相手が誰でも同じことをしたと思う。
それは当たり前のことだし、特別でもなんでもないけど。

だけど―――――。

285 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:32
コテン。
突然、肩に重みがかかった。

その原因はもちろん鞘師さん。
隣からは規則正しい寝息。
寝ちゃったみたい。
試合中の凛々しい顔が嘘みたいにあどけない寝顔。

こんなところで寝たら風邪ひいちゃう。
そう思ったのに、私はなぜか鞘師さんに声をかけれなくて。

そのまま、その寝息と寝顔に吸い込まれるようにそっと目を閉じた。

286 :名無飼育さん :2015/02/23(月) 00:32
本日は以上です。
287 :名無飼育さん :2015/02/24(火) 00:06
やっさんカッコいい
288 :名無飼育さん :2015/04/18(土) 16:09
この先どうなって行くのでしょうか?
これからも楽しみにしています。
289 :名無飼育さん :2015/05/24(日) 00:59
レスありがとうございます。
お待たせして申し訳ありません。

>>287
ノリ*´ー´リ < ドヤッ

>>288
最後までお付き合い頂ければ幸いです。
290 :名無飼育さん :2015/05/24(日) 00:59
結局そのまま二人で朝まで寝てしまったらしい。
周囲の雑音で目が覚めた私の前に飛び込んできたのは、ニヤニヤとイヤらしい
笑顔を浮かべた先輩の姿だった。

「二人で仲良くオネンネとはやるねー」
「そんな破廉恥な〜」

意気揚々とからかってくる譜久村さんと生田さん。

「は、破廉恥とかそういうんじゃないですから!」

必死で否定するものの、この人たちは全く聞く耳を持たない。

「まあまあ。そうムキにならないで。うちら、結構理解ある方だからさ」
「鈴木さんまで…。ホント、違いますって!」
「え、でも、すっごい幸せそうな顔で寝てたよ。ほら」

鈴木さんが差し出したスマホの画面には、ご丁寧に私と鞘師さんの寝顔が写って
いた。

291 :名無飼育さん :2015/05/24(日) 00:59
「な、なんで写真なんか!」
「だって、あまりにもかわいかったからさ、二人」

確かに、私に寄りかかって寝ている鞘師さんの顔はとても穏やかだ。
そして私も、しっかりと鞘師さんの頭に体重をかけていて…。
つまり、ピッタリと寄り添いながら寝ていたということで。

「…消してください」
「えー。もうみんなに送っちゃったよ」
「み、みんなって…」
「もちろん、10期にも」

今日ばかりは鈴木さんの笑顔が悪魔に見える。
同期の反応を思い浮かべて、私は一人頭を抱えた。

292 :名無飼育さん :2015/05/24(日) 00:59
「しっかし、こんだけうるさいのによく寝とうね、里保は」

そう、もう一人の渦中の人、鞘師さんは相変わらずぐっすりと夢の中。
写真の中と同じように幸せそうな寝顔に、思わず頬が緩んでしまった。

「なんかあれだね、ダメ男を見守る奥さんみたいな」
「奥さんじゃありません!!」

否定しながら鞘師さんに目をやる。
この写真を見たら、鞘師さんはどんな反応をするんだろう。
メンバーにからかわれたら否定するのかな。
その反応を知りたいような知りたくないような、そんな複雑な気持ちだった。

293 :名無飼育さん :2015/05/24(日) 01:00
その日から、私と鞘師さんは勝手に公認の仲にされてしまった。
朝は起こす係だし、夜はあれから一緒にビデオを見るようになったし、確かに
一日の始まりと終わりを一緒に過ごしていることには違いないけど。

ある日、思い切って聞いてみた。

「…あの、嫌じゃないですか?」
「へ?何が?」
「なんか最近、変な噂っていうか、その…」
「…あー、公認の仲って奴?」
「…はい」

そう尋ねながら、嫌だと答えられたらどうしようと思う自分がいる。
一体、私は鞘師さんにどんな答えを期待しているんだろう。

「ウチは平気だけど…」

鞘師さんは穏やかな表情で私を見る。
その涼やかな瞳に気持ちを読み取られそうで、思わず目を逸らしてしまう。

294 :名無飼育さん :2015/05/24(日) 01:00
「亜佑美ちゃんが嫌なら、みんなに言うよ?」

低くて優しい声が胸に響く。

「私は…」

自分の胸に問いかける。
はっきりとした答えはよくわからない。
だけど、これだけはきっと確かな思いだと言い切れる。

「嫌じゃない…です」

その言葉に鞘師さんは子供みたいに無邪気な笑顔で応えてくれた。

295 :名無飼育さん :2015/05/24(日) 01:00
そんな日々が続いたある夜のこと。
いつものように試合のビデオを見ていると、鞘師さんが何度も同じプレーを
繰り返し見始めた。
珍しく苛立ちを隠せない鞘師さん。
こんな姿は初めて見る。

「…ごめん、もっかい見てもいい?」
「いいですけど。納得いかないんですか?」

鞘師さんは自分のプレーを見ながら、ずっと難しい顔をしている。
後ろからのパスをトラップしてシュート。
惜しくも枠を外れてしまったけど、そのプレーは私から見れば真似できない
スーパープレーだ。
何が不満なんだろう。

「あの人だったら、きっと決めてた」
「あの人…?」
「まだまだだな、ウチ。もっと頑張んなきゃ」
「そんな、すごいプレーじゃないですか」
「ううん。こんなんじゃ、追いつけない」

その真剣な眼差しに、それ以上は何も言えなかった。

296 :名無飼育さん :2015/05/24(日) 01:00
数日後。
今日はチーム全体に異様な緊張感が漂っている。
それもそのはず、トップチームの選手たちがコーチをしてくれる日なのだから。

女子フットサルリーグで毎年優勝争いをしているモーニングFC。
いくら下部組織とはいえ、直接その選手と会うことは滅多になかった。
ましてや、フットサルを教えてもらえるなんて。

今日来てくれるのは、私たち10期が入る少し前までこの寮で生活をしていた
道重さんと田中さんの二人。

「やったあ!やっと、たなさたんに会える!」
「おいバカ!たなさたんなんて呼ぶなよ、絶対に!」

いつも通りのまーどぅーのやりとりもどこか浮足立っていて。

ガチガチガチガチ…。
ブツブツブツブツ…。

はるなんのこの緊張っぷりも久々の光景かも。

297 :名無飼育さん :2015/05/24(日) 01:00
「あー、緊張するー。道重さん、聖のこと覚えてくれてるかな…」
「やばいとー。成長しとらんって怒られるったい」
「衣梨ちゃんはいっつも怒られてばかりだったもんね」
「あー、やばいとー」
「もうえりぽん、うるさい!」

この寮で生活を共にしていた9期さんは私たちよりも少しだけ余裕があるけど、
それでもやっぱりいつもとは違う。

そんな中もう一人の9期さんは、さっきから一言も発さず黙々とアップをしていた。
緊張とはまた違う鞘師さんの雰囲気に胸がざわつく。
なんだろう、この嫌な予感は。

298 :名無飼育さん :2015/05/24(日) 01:01
「久々だなあ、この感じ」
「なんか、れいなたちの頃より、綺麗になっとう気がするっちゃけど」

二人がコートに現れた瞬間、その場の雰囲気がガラッと変わったのを感じた。
すごい存在感とオーラ。

「たなさたーん!みにしげさーん!」

まーちゃんが駆け寄り、止めに行きつつもくどぅーが後を追う。

「誰?」
「知らんし」
「ひどーい!まーちゃんです!前にサインくれたじゃないですかあ!」
「そんなのいちいち覚えてないって!すいません、この子いつもこんなんで。
 あ、私、工藤遥です」

譜久村さん、生田さん、鈴木さんも二人の周りを取り囲む。
なんとなく出遅れてしまった私は、はるなんと一緒に少し離れた場所でその光景を
見ていた。

そんな私の視界に、同じく少し離れた場所にいる鞘師さんの姿が飛び込んできた。

299 :名無飼育さん :2015/05/24(日) 01:01
その表情に胸のざわつきが大きくなっていく。

輪の中の人が鞘師さんの視線に気付き、声をかける。

「おいで、鞘師」

嬉しそうに田中さんに駆け寄る鞘師さんを見た瞬間、『あの人』が誰なのか
わかったような気がした。

胸のざわつきが痛みに変わって、苦しくて苦しくてどうしようもなくて。

「あゆみん?なんか顔色悪いよ、大丈夫?」
「…ごめん、ちょっと休んでくる」

その日、初めて練習を休んだ。

300 :名無飼育さん :2015/05/24(日) 01:01
翌日。
具合が悪いことを理由に、はるなんに鞘師さんの起こし当番を変わってもらった。
目を閉じると昨日の鞘師さんの笑顔が目に浮かんで、自分に向けられるそれと
どこか違うような気がして、顔を合わせるのが怖かった。

コンコン。

朝食も食べず部屋で休んでいると、ノックの音がした。
誰だろう?
はるなんならノックなしに入ってくるはずだし。

ドアを開けるとそこには鞘師さんが立っていた。

「具合悪いって聞いて。平気?」
「…はい」

いつものように優しい低い声。
だけど今日は聞きたくない。

「やっぱ、亜佑美ちゃんじゃないとすっきり起きれなくて」

「はるなんには悪いんだけどさ」なんて悪戯っ子のように笑う鞘師さん。
その笑顔はやっぱり昨日のものとは違う。

昨日と同じように、胸がチクチク痛い。


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