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プリズムの色

1 :名無飼育さん :2014/04/22(火) 23:38
工藤遥の一人称でおくるミステリー小説です
ミステリーの中でもとくに「日常の謎」を書いていきます
2 :名無飼育さん :2014/04/22(火) 23:40
以前に作者フリースレで書いていた以下の六作品を加筆修正のうえ再掲していきます

『プリズムの色』
『針は戻らない』
『一つでは足りない』
『制服の男』
『ケーキのおいしいお店』
『語らない冬』


※スレタイを「プリズムの色」にしましたが大きな意味はありません
3 :名無飼育さん :2014/04/22(火) 23:40
『プリズムの色』
4 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:41
  1

 聞くところによると中二病というものがあるらしい。その時期になってもう一ヶ月が過ぎた。
なにか変わったかと訊かれれば「なにも」と答えるつもりだ。実際なにも変わっていない。
 いつも通り授業を受け、機械的に板書を写す。
休み時間には友だち数人と最近の流行や恋愛事情について話す。
そんな、至って平穏な中学校生活の日々を送っている。
 ホームルームも終わりもう放課後。
学校で唯一時間に追われることのないこの瞬間が、学校生活で一番好きと言っても過言ではないだろう。
 「ファイトー!」という体育系部活動の掛け声につられて、窓の外、グラウンドに目を向ける。
昨日の雨で所々ぬかるんでいる中、陸上部らしき人たちがランニングしているのが見えた。
 熱心だ、実に熱心だ。
 我が中学校の運動部は県大会でいい成績を残すことが多い。
端的に言えば努力の結果。感動的に言えば、汗と涙の結晶、か?
 別に小馬鹿にはしていない。むしろ同じ学校の生徒として誇らしいと思っている。
同時に、自分には到底できないな、とも思っている。
 夕焼けにはまだ早いが少し陽が傾いてきた。
「また明日」とまだ残っていた友だちに別れを告げ教室を出ようとしたとき、目の前に一人の女が現れた。
5 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:41
「よっ! 工藤遥(くどうはるか)」
 ……こいつか。
「なんだよ、佐藤優樹(さとうまさき)」
「どうしてフルネームで呼んだのさ」
 そっくりそのままその言葉を返してやりたい。
 佐藤とは一年のとき同じクラスだった。出席番号が一つ違いだったので同じ班になることが多かった。
それ故に自然と仲良くなっていき、今でもそれなりの交流がある。
背は155cm前後でハルより低く子どもっぽいのに、
セミロングの黒髪をなびかせたその姿はどこぞの育ちのいいお嬢様にも見える。
だがひとたび喋り出すとそのイメージはがらりと変わるだろう。
「で、A組まで来て何の用?」
「え? C組の人はA組まで来ちゃイケないの? いつ誰がそんなこと決めたの? 
何時何分何十秒? 地球が何回まわったとき?」
 こういうところが相変わらずめんどくさい。
まあ本人も冗談で言っているだけだし、ハルもそれは承知の上だ。
というかどこで覚えたそんな言葉。
「だから、用事はなに?」
「これから図書館に行くんだけど、時間ある?」
「時間はある。けど行く気はない」
「えぇー」
 こっちからの冗談は伝わらないのか?
6 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:42
「ウソ、大丈夫だよ」
「よかった、じゃあ行こう」
 もう帰ろうと思っていたが、家に帰ってなにかをしようというわけでもない。
家に帰ればなにかやることが生まれるかもしれない。だが今のところ予定は空白だ。
だとすれば誘いを断る道理もないだろう。
 今度こそ教室を出る。中央階段ではなく職員室横の階段を降りて行く。
職員室にはとくに用事はない。単純にこっちを使った方が近いからだ。
 先生とすれ違うたびに「さよなら」と挨拶をしながら昇降口へと向かう。
靴を履き替えるとカバンから自転車の鍵を取り出す。
この学校では自転車通学が許可されていて、過半数もの生徒がそれを利用している。
今はまだヘルメット着用義務はないが、ここ数年のうちに義務化されるとかどうとか。
その時の自分の姿を一度想像してみたがなんとも恥ずかしい。どうか来年も持ち堪えてくれ。
「さ、行きますか」
「ハル道分かんないから、まーちゃんに着いて行くね」
「オッケー」
 並走は危ないので後ろに続く。
 校門を出て右に曲がり、そのまま北へまっすぐ進む。
そのあともハルを思ってのことか、脇道にはあまり入らず図書館へと向かって行った。
こういう気遣いを自然にできるのが彼女のいいところでもある。
 そういえば今日は木曜日。てことはたしか……。
7 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:42
  2

 十分ほど漕いで行くと市立図書館が見えてきた。
 ここは市内で一番大きく蔵書数は優に五万冊を超える。
種類も豊富で、子供向けのものから大学で使うような専門書まで幅広く抑えてある。
三階建ての建物は昨年末に改装され、外見(そとみ)は真新しいが百年近い歴史を持っている。
 指定の場所に自転車をとめ、中に入る。
 入り口の自動扉が開いた途端、あの図書館独特のにおいが鼻をつつく。
この本のにおいが好きな物好きも大なり小なりいるのだろう。世界は広いからなぁ……。
 そんな無益な思考から引き戻すように、まーちゃんが袖を引っ張る。
「くどぅー、あっち」
「ああ、うん」
 まーちゃんが示す方向には六人掛けのテーブルがいくつか並んでいて、そこでは何人かが本を読んでいた。
隣り合い一つの本を読む老夫婦、主婦らしき女性、中にはノートを広げ勉強している人もいた。
制服を着ていないのでおそらく大学生だろう。
 よく見ると一つのテーブルが空いていた。まーちゃんはそこを指さしたのだ。
8 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:42
 途中、カウンターの中の女性に声をかけた。
「石田さん」
 カウンター越しに名前を呼ばれることは珍しかったのだろう。
不思議そうな目でこちらを見上げてきたが、ハルを見てすぐに状況を理解した。
「あぁ遥ちゃんか。珍しいね、図書館に来るなんて」
「別に本が嫌いなんて言った覚えはないですよ」
「でも、本を読んでる私は嫌いなんだっけ?」
「それは!! ……あゆみんがハルにかまってくれなかったからで。
……ていうか小っちゃい頃の話じゃないですか」
 ふふ、と笑い、拳をグーにして口許へ寄せる様を見て、からかわれたことに気づく。
「相変わらず単純だね、遥ちゃんは」
 返す言葉もない。まーちゃんにも恥ずかしいところを見られてしまった。
 と思ったがそうでもないみたいだ。おろおろして、どうにか喋ろうと口をパクパクさせていた。
人見知りな方ではないから、いきなりの展開について行けなかったのだろう。
「……くどぅー、この人は?」
「石田亜祐美(いしだあゆみ)さん、今は高二だったかな?」
「そ」
9 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:43
「ご近所さんで小さいころからよく遊んでもらってたんだ」
「へぇー」
「ついさっきは遊ばれてたけどね。」
 自虐ネタで笑いを誘う。
 あゆみんはここでバイトをしている。週二日だったかな? まあそれはどうでもいいか。
今は座っていて分からないが、背は低く、それが若干のコンプレックスらしい。
初対面の相手には中学生でも通用するだろう。なんせ今のハルよりも低いのだから。
ロングの髪には少し茶髪がまじっているが、地毛なので校則違反ではない。
最後に本人曰く、茶色い目がチャームポイントだそうだ。
「初めまして、佐藤優樹です」
「初めまして、石田亜祐美です」
 二人は事務的に初対面の挨拶を交わす。
「じゃあ行くね」
「うん、ゆっくりしていきな」
 後ろに人が並びそうだったのでその場を離れた。
 平日と言っても返却される本は結構多いらしい。今も職員さんがせっせと本棚に本を戻している。
それに対して受付のあゆみんは……。まあ、これはタイミングの問題かな。
10 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:43
  3

 向かい合わせで席に着き、カバンは隣の椅子に置いた。
「あの人いつもあんな感じ?」
「基本的には」
 可愛がられていると言えば聞こえはいいが、子ども扱いされていると言った方が表現としては正しいだろう。
性格的には向こうの方が子どもだが、長幼の序というものもある。
「でも、いい人そうだね」
 頷く。
「ああいうお姉ちゃんほしいなぁ」
 それは今からじゃ到底無理な話だ。それよりも早く本題に入ろう。
「そんなことより、ここでなにをするの?」
「なんだと思う?」
 質問に質問で返すな。
「帰るよ」
「冗談だって、実は……くどぅーに手伝ってほしいことがあるの」
 声のトーンが下がったように感じた。
11 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:43
 一年のときから感情表現が豊かなやつだとは思っていたが、哀に近い感情を示したことは滅多に無かった。
それはまだハルに気を許していないからなのか、
それとも友だちに心配掛けまいとしてのことなのかは知る由もない。
もし後者なら、馬鹿じゃないの? と一言伝えたい。
「恋の相談なら別の人にあたった方がいいよ」
「言われなくてもそうする」
 さいで。
「……手伝うよ。で、何をしてほしいの?」
「本を探してほしい」
 本? 本ならここにはごまんとある。
なんと、意識しないダジャレはこんなにも恥ずかしいものなのか。
「カバンの中も机の中も探した?」
「そんなとこ探してもあるわけないよ、まだ借りてないんだから」
 失くしたわけじゃないのか。
「なにを探してるの」
「小説。んー、ジャンルで言うとSF・ファンタジーかな」
「それならすぐ見つかるよ」
「ほんと?」
 ついてこいと言わんばかりに立ちあがり歩きだす。
 今の図書館には大抵置いてある。まして市で一番なら絶対だ。
時代は常に進歩し、技術は世の中に還元され便利な暮らしをつくっていく。
12 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:44
「……くどぅー、もしかして」
「そ、これで検索すれば一件落着」
 目の前にはパソコンが一台。
書籍検索画面が出ているので、ここにキーワードを入れて検索すれば済む話だ。
ジャンルがわかっているならなおさらすぐに見つかるだろう。
「ねえ、まさのことバカにしてる?」
「してないよ、早く検索しな」
「とっくに検索したよ! したけど無いの」
 まーちゃんの言葉を理解するのに時間がかかった。
検索しても無いのならここには置いていないということ。
無い本を探せと頼んだのか? まったく無茶な話だ。
「無いんなら無いんだよ、探す必要も無い」
「そうじゃない……」
 なにも違くはないだろう。
「検索はヒットした。どこに置いてあるかも出た。でもその場所には無かったの」
「なら、貸し出し中なんじゃないの?」
「だとしたらここにそう表示される」
 これは困ったことになった。
じゃあなにか、図書館全体を探すつもりか? 
五万冊を一つ一つ見ていくとでも? 
そのために、ハルを呼んだのか?
 ……とりあえず時間を確認すると、時計の針は四時三十分を指していた。
13 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:44
  4

 念のためもう一度検索してもらった。タイトルは『プリズムの色』というらしい。
ダメだ、内容が一つも想像できない。
 検索の結果は言った通りだった。
貸し出し・返却などの記録はリアルタイムで更新されているらしく、そこを疑う余地はないだろう。
「どう? 見つかるかなあ」
「とりあえず指定された棚を見てみよう」
 二人で確認するが、やはり置いていない。どうしたものか……。
「これシリーズ物なの。ちなみに前作がこれ」
 言いながら、棚から一冊の本を抜き取った。タイトルは『イメージの欠片』。
「これが一作目、プリズムが二作目なの。ここには三作目も四作目も置いてあるんだよね」
 結構続いてんのね。何かの参考にと思ってあらすじを読んでみると、どうやら魔法の世界のお話らしい。
本の一番後ろには貸し出し記録のカードが入れられている。
一月前に一人、これはおそらくまーちゃんだろう。その前は去年の夏か。
 残りの二冊も調べてみたが、どちらも最後に貸し出されたのはそのあたりの時期だった。
「無いね」
 ハルは確認のために言った。
14 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:45
 あからさまに気分が落ちたという表情で、さっきまで座っていた場所へと戻る。
席に着くなり二人同時に溜め息を漏らしたことに、思わず笑ってしまう。
そのおかげで心が少し軽くなった気がする。
話を聞いたときはすぐに終わると思ったが、そんなこともなかった。五万冊か……多いな。
 動く前に少し考えてみよう。行動に移すのはそのあとでも遅くない。
「本当にあるのかなあ」
 まずは大前提の確認。
「シリーズ物だし、二作目だけ無いってのは……」
 そう、それが自然な考え。検索結果を信じれば貸し出し中でもない。
とすると誰かが間違えて別の場所に戻したのか? 
もしそうなら図書館全体を探す以外手はない。それは出来るだけ避けたいところだ。
 ここは消去法でいってみよう。
「図書館の本が本棚に無いならどこにあると思う?」
「奥で保管されているとか?」
 いきなりの質問にも関わらず的を射た答えが返ってきた。開架に無いなら書庫。
15 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:45
「でもあの小説はそんなことするかなあ」
「……しないね」
 書庫にも無いとすると、
「それなら、今誰かが読んでるんじゃない?」
「あ!!」
 声が大きい。ここは図書館だぞ。
「見てくるね」
 そう言って二階へと上って行く。自然とこの階はハルが探すことになった。
一通り歩いて見て回ったが、残念なことに該当する人はいなかった。
 まーちゃんの口ぶりからすると以前にもここに来て本を探したことがある。
そのときも誰かが読んでいたのかな。ま、あり得なくもないけれど……。
 席に戻ってまーちゃんを待つ。
いや、効率を上げるためにカバンをかつぎ、階段横で待つことにする。
ここで誰かが読んでいるなら日を改めるしかない。なら長居は無用だ。
 暫くしてまーちゃんが戻って来た。
「帰ろうか」
「ダメ」
 ん?
「……もしかして」
「誰も読んでなかった。『プリズムの色』」
 まじか……。
16 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:45
  5

 再び席に戻ってきた。担いだカバンが少し恥ずかしかった。
 ハルたちは今本を探している。あるけれど無い本。
これはナゾナゾでもなんでもない。
貸し出されていない本で、本棚に無く、ここの誰もが読んでいない本……。
 もうこうなったら歩き回って探すしかないか。
いや最後の悪あがきだ。あと五分考えよう。諦めるのはそのあとだ。
 辺りを見回す。一口に本を読むと言ってもいろいろあるみたいだ。
待ち合わせまでの時間潰しに使う人、幾つかの本を置き調べ物をする人、娯楽として本を読む人。
 ……なるほどそういうことか。わかったかもしれない、本のある場所が。
「行こうまーちゃん」
「え、どこに」
 今度こそカバンを取り歩きだす。
「ちょっ、くどぅー! そっちは出口……」
17 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:46
 出口に着く前に足を止める。そこにはカウンターがある。
「……石田さんに聞いても無駄だと思うよ。本棚にもないんだし」
 耳元で呟くように言ってきた。本当にそうかな?
「ねえあゆみん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「『プリズムの色』って本、知ってる?」
「……聞いたことないね」
 あゆみんではなかったか。じゃあ、と言おうとしたらまーちゃんが割り込んできた。
「その本を探しているんですけど、どこにも置いてないんです!」
 力強い声に押され、あゆみんは言葉に詰まる。その隙に訊く。
「じゃあさ、今ほかのバイトの人いる?」
 まーちゃんが、なんで今そんなこと聞くの? という目で見ている気がするが、それには構わない。
「いるよ、今奥で休憩してる」
「ちょっと呼んでもらってもいいかな?」
「別にいいよ、ちょっと待っててね。飯窪さーん」
 そう言って奥へと入って行った。
18 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:46
「くどぅー、何がしたいの?」
 少し眉間にしわが寄っている。怒っているのか? こっちは真剣に、
「本を見つけたい」
 と思っているのに。
「ならなんで」
 その続きは聞けなかった。あゆみんがバイト仲間を連れてきたからだ。
「連れて来たよ、で、このあとは?」
 また同じ質問をする。
「『プリズムの色』って本、知っていますか?」
 飯窪さんとやらはバツが悪そうな表情でこう言った。
「もしかしてあなた、あの本を借りたいの?」
「はい! どこにあるか知ってますか」
 またしてもまーちゃんが前に出る。が、ここはそれでもいい。
「ごめんね、今持って来るから」
 ふぅ、と息を吐く。これで歩き回らなくて済んだ。
 十秒と経たないうちに飯窪さん『プリズムの色』を持ってきた。
早々に貸し出し手続きを済ませ図書館をあとにする。
「じゃあねあゆみん、また来る」
「嘘だね」
 見破られてしまった。
19 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:46
  6

 駐輪場でまーちゃんが訊いてきた。
「よくわかったね、あそこにあるって」
「一番可能性があると思っただけだよ」
 自分を過大評価するのは好きじゃないが、もう過去のこと、この際いいだろう。
「まーちゃん、本を読むのってどんなとき?」
「んー、勉強するとき、新刊が出たとき……とか?」
「それだけ?」
 まーちゃんの目線が左上にずれた。
「……あ、やることが無いときとか?」
「そう、暇つぶしに本を読むっていう選択もあるんだよ」
「じゃあさっきのあの人も……」
「たぶんね。休憩中は手持ち無沙汰だろうし。
でも半年以上貸し出されてなかったからって図書館の本を……」
 いや、相手は年上だしこの先は控えよう。
「なるほどね、そうゆうことだったんだ。やっぱりくどぅーに相談して正解だった」
 人海戦術のために呼んだのに? まあそれはあくまでハルの想像だが。
20 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:46
「今日のは借りかな」
 自転車の鍵を開ける音がした。ハルは即答した。
「借りるのは本だけにしときな。それに」
「それに?」
「友だちなんだから貸し借りなんて考えはいらない」
 というかそういう考えは好きじゃない。
「わかってないなあ」
 手をひらひらさせながら言った。声色とは裏腹に口許には一切の笑みが含まれていない。
「どういうこと?」
「くどぅーはこう言いたいんでしょ? 
「友だちとは対等なものだ。貸し借りなんかで上下をつくっていけない」ってね」
 大意は合っているので軽く頷く。
「そこが間違ってるんだよ。
友だちだから、相手を信用しているからこそ、『貸し借り』が成立するの。
そこに上下なんて存在しない」
21 :プリズムの色 :2014/04/22(火) 23:47
 加えてこう言った。
「誰かの役に立てばそれなりの感謝が生まれる。
その好意を受け取らないのは、逆に失礼なんじゃない?」
 同い年に諭されてしまった。まあ言わんとすることはわかる。
「今日はホントありがと」
 つまりこういうことだろう。
「どういたしまして」
「よろしい」
 口許にも、そして目許にもいつも通りの笑みが戻った。
 自転車に跨り通行人を確認する。
「でもくどぅーらしくて好きだけどねその考え」
 なんじゃそりゃ。
「じゃあまた明日学校で」
「うん、また明日」
 鼻歌を鳴らしながら帰って行った。家の方向が違うのでまーちゃんとはここでお別れ。
 遠くの空はすでに赤くなり、夜の訪れを告げようとしていた。
携帯で時間を確認すると、もう五時を大きく過ぎていた。
「今日の晩ご飯はなんだろう」
 ペダルを漕ぐ足は、心なしか軽かった。
22 :名無飼育さん :2014/04/22(火) 23:48
>>3-21
『プリズムの色』
23 :名無飼育さん :2014/04/22(火) 23:48
『針は戻らない』
24 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:49
  1

 雨がザーザーと降っている。雨音に負けまいと、教師の声も大きくなる。
 六月に入り、例年通り雨の日が多くなってきた。今年も梅雨がやってきたのだ。
昼休みには男子に混ざり校庭を駆け回るのが常なのだが、
こう連日雨が降られては校庭は使い物にならない。
隣に座っている男子も嘆いている。
「また雨かあ。いつになったら外で練習できるんだろう」
 我が中学校の運動部は成績優秀で知られるが、それが努力の賜物であることを忘れてはならない。
梅雨のせいで最近は放課後、校内で基礎トレーニングに励んでいる。
基礎が大事なのは理解しているようだが、物足りないらしい。その気持ちはよくわかる。
 逆に梅雨の時期の女子の悩みと言えば、湿気による髪の毛の問題だろう。
せっかくの巻き髪がストレートになってしまったり、髪の毛がごわついたりと様々だ。
 かく言うハルも悩んでいる。ハルの場合は、湿気のせいで髪の毛がペタンと下りてしまうのだ。
そのせいで元々丸顔だったのがより一層丸くなり、休み時間にはよく話のネタにされている。
 しかしそれとは関係なしに、どうしてか雨の日は気分が落ちてしまうもの。
小学生の頃、雨の日でも嬉々として外で遊んでいたのが不思議なくらいに。
 窓を叩く強い雨は勢いを増していく。雷こそ鳴らないものの、灰色の雲が重く空を覆っている。
25 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:49
 今は数学の授業中。
いつもは四十を超えたおじさん先生に教えてもらっているのだが、先週から大学生に教えてもらっている。
俗に言う教育実習だ。
 今年は四人の教育実習生が我が校にやってきた。男性二人に女性二人。
男はどちらも体育を担当し、女性は数学と理科。つまり今は、若い女性に数学を教えてもらっている。
中学男子というのはとても単純なもので、普段とはまるで授業の喰いつきが違う。
 あの佐藤優樹でさえも、教育実習が始まったその日の放課後、私にこう自慢してきた。
「今日からまさのクラスに可愛い先生が来たよ。四週間、二‐Cを担当するんだってさ。へへ、いいでしょー」
 文字からも優越感が伝わってくるが、表情はこの比ではなかった。
それはもう、ドヤ顔に分類してもおかしくないほどの自慢に満ちていた。
 次の日にはもう、生徒たちから真野ちゃん先生とちゃん付けで呼ばれるくらい人気で、
まーちゃんとの会話で話題にあがらない日はなかった。
 そんな真野ちゃん先生が今日、軽い失態を犯したらしい。
取るに足らないことではあったが、まーちゃんは気になってしまったみたいだ。
さっきの中休み、A組に来てそのことを話してくれた。
26 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:50

「く・どぅ・ー」
 次の時間の準備をしていると、肩をトントンと叩かれた。振り返り顔を確認する。
「……誰だっけ?」
「大親友の佐藤優樹だよ、とぼけちゃってもう」
 よくもまあ照れもせず大親友などと言えたものだ。
「ハルに会いたくなった?」
「くどぅーが寂しいかなーって思って」
 まったく、ああ言えばこう言う。
「はいはい、会えてうれしいよ」
 ハルなりの精一杯の棒読みで応える。
なぜか満足げなまーちゃんは、隣の空いていた椅子に腰かけた。
「今日も真野ちゃん先生可愛かったよー」
「それいつも言ってるよね」
「うん。明日も言うよ」
 さいですか。
「でね、今日は一時間目が真野ちゃん先生の授業だったんだけど、先生の可愛いてへぺろッが見られたの」
「ふーん。男子が先生にお願いでもしたの?」
「違う。実は先生ちょっとドジっちゃって、本来の時間より五分早く授業を終わらそうとしちゃったの。
それを生徒が指摘したら、
「あ、ごめん、勘違いしちゃった。てへぺろッ」
って」
 見たかったと思っている自分がなんだか悔しい。
27 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:50
「もうそれがホントに可愛くて」
「わざわざそれを伝えに?」
「別にそんな卑屈にならなくても」
 違うならいいけど、自慢話をするためだけに来られては卑屈にもなるさ。
「まぁ、先生が可愛かったよって言いたかったのは事実だけどさ、なんで勘違いしたのか気になっちゃって」
「誰でも勘違いはするでしょ」
「そうなんだけど、先生は授業中に腕時計で時間を確認してるし、いつも通りの四十五分授業だし……」
 言われてみれば気になる。……気もする。
「じゃあ次は真野ちゃん先生の授業だから、終わったら聞いてみるよ」
「ありがと。あ、次は移動教室だから早めに行かないと。昼休みに結果教えてね」
 と言いたかったのだろう。言い終わる前に教室を出て行った。まったくせわしない。

 あと数分で授業は終わる。
 まーちゃんが言った通り、先生は腕時計をつけていて、授業中はそれで時間を確認していた。
教室には備え付けの時計があるが、それは黒板の真上にあるので先生からは見づらく、
腕時計の方がはるかに効率がいい。
 先生が時間を勘違いした理由。おそらく、と思えるものが見つかった。
授業終わりでその答え合わせをして、まーちゃんに伝えよう。
28 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:50
  2

 雨はまだやみそうにない。雨音をかき消すようにチャイムが鳴る。
教科書やノートをたたむ音が教室に広がり、それに椅子を引く音が続く。
 号令を済ますと、少し早足で先生のもとへと駆け寄る。
「真野ちゃん先生、ひとつ質問いいですか?」
 先生は少し驚いた表情を見せた。何も持たずに授業終わりに質問に来られては無理もないだろう。
それでも、どうぞと言われたので遠慮せずに訊く。
「先生、昨日遅刻しました?」
 いきなりの問いかけに「えっ」という声が漏れた。
「……どうしたの? 急に」
 確かに急だった。
過程を取りはずし、結論だけを先に聞かせれば相手を驚かすのには充分だと言うが、
そもそも今は驚かすときではない。
「ああ、すいません。実はまーちゃん……C組の佐藤優樹から聞いたんです」
「……私が、昨日遅刻したって?」
「いや、今日の一時間目のことです。勘違いで五分早く授業を終わらそうとしたって」
「ああ、あれね。反省してる」
 生徒にとって早く授業が終わるのはむしろ歓迎すべきことだろう。
だが先生からしてみれば職務怠慢とも取られかねない。実習生ならなおさら気遣うことだ。
29 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:51
「でもそれでどうして私が遅刻したと思ったの?」
「考えてみたんです。先生がどうして勘違いしたのか」
 ひとつ咳払いをする。
「先生は腕時計で時間を確認していますよね?」
「うん、これね」
 そう言って手にはめた腕時計を見せてくれた。
「はい。そして授業が終わる時間はいつもと同じです。
なので、勘違いしたのは「授業が終わる時間」ではないと思いました。
ではなにを勘違いしたのか」
 頭の中でもう一度確認し、言葉を続ける。
「先生の腕時計は五分進めてあったんじゃないですか? 
だから五分早く授業をおわらしそうになった。これならうまく説明がつきます」
 先生の口角が、ほんの少し上がっているのを確認する。
「じゃあ五分進めた理由は? 
人が時計を進める理由としてまず思い浮かぶのが、遅れないようにするため、です。
五分前集合なんて言葉もありますからね。
教育実習は先週から始まっているのに、なぜ今日に限って勘違いをしたのか。
それは、昨日になって時計を進める理由ができたからです」
「だから昨日、私が遅刻したと?」
「はい、そう思いました」
30 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:51
 先生は腰に手を置いて考える素振りを見せた。
「……惜しかったね。私は遅刻していない」
 半ば自信があっただけに言葉に詰まる。だがあくまで推測、当たるかどうかは運次第だ。
「おもしろかったよ、でも残念だったね」
「どこか間違ってましたか」
「あ、ごめん、もう次に行かなくちゃ。
えっと、私がなんで勘違いしたのか知りたいんだよね? 
だったら続きは昼休み、その、佐藤さんと三人でご飯を食べながら話さない?」
 まさかの提案。断る理由もない。
ハルの推測がどう間違っていたのか知りたいし、何よりまーちゃんとの約束を果たせていない。
 が、一応断りを入れておく。
「……一緒に食べてもいいんですか?」
「もちろん。生徒と一緒に食べちゃダメなんて決まりはない」
「わかりました、まーちゃんにも言っておきます。お時間取ってすいませんでした」
「気にしないでいいよ、じゃあ昼休みになったら職員室に来てくれる? 私から行くのも……ねえ」
 気にするほどのことだろうか。
「はい、わかりました」
「ありがと。そうだ、あなたのお名前は?」
「工藤です。工藤遥」
「工藤さん。じゃあ昼休みに」
 先生は足早に教室を出ていく。
31 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:51
  3

 四時間目の授業は社会だったはずだ。
授業が終わってから黒板を見ると、歴史について書いてあったから間違いない。
あとで誰かにノートを見せてもらおう。
 お弁当と水筒を持ちC組へと向かう。思えばハルから出向くのはこれが初めてだった。
ほんの少しの緊張を持って扉を開ける。
 いや、開けようと思ったらハルの手が触れる前に扉は動いた。
「わっ」
「あ、ごめんなさい」
 条件反射で口を動かしたけれど、出てきたのはまーちゃんだった。
「くどぅー! もぉ、今からそっち行こうと思ってたのに。で、どうだった?」
「ごめん、まだ聞けてない。
でも昼休み、まーちゃんとハルと先生と三人でご飯食べることになったの。そこで話してくれるって」
「……オッケー、ちょっと待ってて」
 そう言って踵を返し、中へと戻っていった。
 今もなお降り続く雨は心なしか弱まってきた。予報では夕方にはやむらしい。
「お待たせ、ってほどでもないか。行こ」
 お弁当片手に、見覚えのある水色の水筒を小脇に抱えながら教室から出てきた。
「まだ使ってたんだね、それ」
32 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:52
「ん、ああこれ? だってまさのお気に入りだもん」
 見てみろと言わんばかりにハルの顔の前に差し出してきた。
いや何度も見てきたよ、まーちゃん。
あえて指摘はしないが、下の方に佐藤優樹と書かれたシールを張っているのがいかにもまーちゃんらしい。
 職員室につくなり扉をノックする。
「中で食べるのかなあ」
「さすがにそれはないでしょ」
 扉を開け中へと入るが生徒が入れるのは畳半分くらいのスペースしかない。
しかも定期試験の前後では入室さえ許されていない。
 一番近くにいた先生に話しかける。
「すいません、実習生の真野先生はいますか?」
「ここにいるよ」
 驚きと同時に声のする方へと体を向けると真野ちゃん先生が立っていた。
どうやら回れ右をしたらしい、先生は職員室の外から声をかけていた。
「今、会議室が空いてるからそこで食べましょうか」
「は、はい」
 職員室よりも少し奥に入ったところに会議室がある。
ハルは健康診断のときしか使ったことが無く、会議室と言われてすぐにピンとはこなかった。
 細長いテーブルたちに椅子が三脚ずつ置かれ、三十人ほどが座れるようになっている。
 三人とも身近な椅子に座りお弁当を広げた。
33 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:52
 合掌。
「では、いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
 ご飯にふりかけをかける。
満遍なく均等にするのが意外と難しく、ゆえにきれいにできたときのご飯はどこかおいしく感じてしまう。
 最初に話を切り出したのはまーちゃんだった。
「先生、なんで一時間目あんなことしちゃったんですか?」
「ん? もうその話いっちゃう?」
「はい、気になりますから」
 食べる手を止め、身を乗り出し、目を輝かせていた。
「ま、そのために一緒に食べてるんだもんね。でもその前に、工藤さんの考えは聞いた?」
「くどぅーの? いや、聞いてないです」
「結構おもしろかったんだ、工藤さん、話してあげてよ」
 間違っているとわかった話をもう一度させるとは、なかなか恐ろしい。
だがこのあとのためにも話しておいて損はないだろう。
 長い話ではないけれど、まーちゃんには要点だけをかいつまんで話した。
「なるほど。当たってそうなのにね」
「ね、おもしろいでしょ? でもほんとはね」
34 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:52
「先生!!」
 まーちゃんと先生は一瞬固まったあとこちらを見た。思いのほか声が出ていたみたいだ。
「すいません。ちょっと私の話聞いてもらえませんか? 実はあのあと考えてみたんです」
 不敵な笑み、とも取れない笑みを浮かべながら先生は言った。
「もう一回チャレンジしたいってことだね、いいよ。佐藤さんも、別にいいよね?」
「はい、まさもくどぅーの話聞いてみたいです」
 ふたりとも、ハルの自己満足に付き合ってくれてありがとう。
「あのとき先生は、私の推測を聞いたあと「惜しかった」って言いました。
それはつまり途中までは間違ってなかったってことです。
そして先生が否定したのは「遅刻」の一点。
なので私は考えてみました、遅刻していないのに時計を進めた理由を」
 二人はうんうんと相槌を打つ。
「時計を進めた理由としては、やっぱり遅れないようにするためで間違いないと思います。
そこで思ったのが、先生は一人暮らししているんじゃないかということです。
自分のことは自分で何とかする、みたいな。でもそうするとおかしい点が出てくるんです」
「おかしいところ?」
 卵焼きを頬張りながらまーちゃんが訊いてきた。
「うん。一人暮らしだとしたら時計を進めるのは実習の初日が妥当じゃない? 
それに普通、実習は母校で行われるから、公立中学が母校なら実家は近くにあるはずだし、
一人暮らしするのはおかしいでしょ?」
 納得してくれたどうかはわからないが、なにも言ってこないのはそういうことだろう。
35 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:53
「先生が実家から通っているなら時間を指摘してくれる人はいるはずです。
時計を進める必要はありません。でも今日は話が違った。
昨日から今日にかけて、両親が外出していて家に居ない。六月だからおそらく結婚記念日かなにかで」
「……兄弟は?」
 先生は相変わらず相槌を打つだけで、訊いてきたのはまたまーちゃんだった。
「兄弟? 年下なら頼るわけにはいかないし、年上なら年齢的に一人暮らし、あるいは仕事で朝早く出かける。
どっちにしろ、だよ」
「なるほど」
「そして今日、腕時計を五分進めたまま学校へ来て、元に戻すのを忘れてしまった。
学校では時計はどこにでもあるし、チャイムだって鳴ります。五分進めたままだと混乱のもとです。
そして事実、先生は間違えてしまった。つまり先生はこう勘違いしたんですよね?
「私の腕時計は正しい時刻をさしている」
と」
 すべてを言い終わり、先生の返答を待つ。
 先生は優しく微笑みながら、そして目をそらさずに一言、こう言った
「合格、かな」
 しばらく見つめたままだった。ほんの数秒なのに、その何倍もの時間に思えた。
「よかったね、くどぅー」
「あ、ありがとう」
 水筒のお茶をコップにそそぎ、一気に飲み干す。
「先生のご両親はご結婚何周年ですか?」
「今度は佐藤さんが勘違いする番かな? 合格って、何も満点だけが合格じゃないわよ」
 その言葉は、話がまだ終わっていないことを意味していた。
36 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:53
  4

 今度は先生が話してくれた。
「工藤さんの言ったことはほとんど当たってる。
教育実習中だし遅刻したくないじゃん? ベタだってわかっているけど五分進めておいたの。
そのせいもあってか、朝は間に合ったわ。
でも間に合ったからこそ、安心しちゃって時計を戻すのを忘れちゃったの。
佐藤さん……いや、C組のみんなにはちょっとかっこ悪いとこ見せちゃったかな」
「そんなことないです。可愛かったですよ、あのときの先生」
「そう? ありがとう」
 まーちゃんの場合、社交辞令ではなく心からの言葉だろう。
だがハルにはそれよりも気になることがある。
「先生、私の推測、どこが違いました?」
 今はただそれが知りたい。
「んー、話の大まかな流れは合ってるから、気にしなくてもいいことかも知れないけれど、
昨日は両親の結婚記念日じゃない。……実はおじいちゃんの命日なの。
家族は昨日お墓参りに行って、今日の夕方に帰って来る。私は実習があるから今回は行かなかった」
37 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:53
 まーちゃんもハルも言葉が出なかった。なんとなく聞いてはいけないことを聞いた気がしたから。
降りそそぐ雨が、一層話を重たく感じさせる。その空気を感じて先生は言う。
「まあそうなるよね。でもおじいちゃんは私が生まれる前に亡くなってるから、あまり悲しくはないの」
「そうだったんですか……」
「あまり気をつかわなくていいよ。そういう空気好きじゃないし楽しい方がいいでしょ?」
 そう言われて、さすがに「はいそうですか」とはならない。しかし気持ちは少しだけ楽になった。
「ところで、ふたりは雨好き?」
 窓の外を見る。この雨が好きかと訊かれれば、
「好きか嫌いかで言うと、嫌いですかね」
 と答えるのが一般的ではないだろうか。
「まさも嫌いかなあ」
「でもおじいちゃんは雨が好きだったみたい。ちょっと変わってるでしょ? 
梅雨の時期だからって言われればそうかも知れないけど、毎年お墓参りに行く日は雨が多いの。
きっとおじいちゃんが喜んでいるんだろうってパパとママがよく言ってた。昨日も雨だったね」
 そういえばそうだ。
「私もあなたたちと同じで雨が好きじゃなかった。でも今は少し好きになってきたの」
「おじいちゃんの話を聞いたからですか?」
 こくりと首をかしげ、まーちゃんが尋ねる。先生は窓の外を見る。
38 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:54
「うん。高校の頃から部活だとかテストだとか、大事な日にはよく雨が降ったの。
それで友だちからは「雨女」なんて呼ばれていたんだけど、おじいちゃんの話を聞いてから、
「ああ、おじいちゃんが私のことを応援しているんだ」って思うようになったの。
要は、気の持ちようね。そう思ったら雨も嫌いじゃないかなって」
 声はいつもと変わらなかったが、さみしげな横顔が印象に残った。
「なんか、大人な考え方ですね」
 口をついて出た言葉がそれだった。
「そうかなあ。私はまだまだ子どもだと思うんだけど」
 中学生から見れば大人で、大学生から見れば子ども。とすれば高校生だ。
「でもこの話はほかのみんなには内緒ね?」
「え、どうして」
「だってこんな話したら絶対しんみりしちゃうじゃん。
そういうの好きじゃないってさっきも言ったでしょ? それに……」
「それに?」
39 :針は戻らない :2014/04/22(火) 23:54
「「少しおっちょこちょいなドジっ子実習生」って、可愛くない?」
 今度は違う意味で声が出なかった。真野ちゃん先生ってこんな性格だったのか?
「あのてへぺろッは良かったです!」
「でしょー」
 ハルが対応に困っている隙に、まーちゃんが話をまとめてくれていた。
そのあとは他愛もない世間話で盛り上がり、楽しい昼食の時間となった。

 放課後になると予報通り雨も小雨になり、傘を差さなくても気にならないほどだった。
 とは言いつつ、傘を差しながら帰路に就く。
「くどぅー、今日は珍しくムキになってたね」
「ごめんね、負けず嫌いな面が出ちゃった」
「で、勝敗は?」
「一勝一敗、かな。一応合格ももらえたし」
 このときのハルの顔は笑っていたと思う。
一勝できたからではない、今日も楽しい中学校生活が遅れたからだ。
それにしても、今のハルには九マイルは遠すぎたみたいだ。
40 :名無飼育さん :2014/04/22(火) 23:55
>>23-39
『針は戻らない』
41 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:39
『一つでは足りない』
42 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:40
  1

 悪い夢を見た。
 そう思いたくなったのはこれで二度目だ。一度目は憧れの先輩の卒業。
あの日は柄にもなく大泣きしてしまった。
 そして、今日。
 どうしてこんな日に……。
そう思いながらも、まだ急げば間に合うかもしれない、
と問題を先送りにすることで心の安寧を図ることに努めた。
 カッターシャツに袖を通し、一年以上穿いても一向に慣れないスカートを穿く。
それからリボンをつけようとするが、まだ夏服の期間だったことを思い出し、
かけておいたハンガーに戻す。
 階段を駆け下り、洗面台へと向かう。
自分自身、ボーイッシュであることを否定はしないが、
寝癖をよしとしないほどの女心は持ち合わせている。
髪が短い分寝癖がつきやすいけれど、見たところ目立ったものはなく、
軽く髪を濡らす程度にとどめておいた。
 時計を見る。どうやら朝食はおあずけのようだ。
パンをくわえながら行けば、日が日だけに何か起こりそうだが、あいにく我が家の朝は米で始まる。
 と、自分で言っておきながらどこが「あいにく」なんだろうかと思ったが、
自転車に跨った今、そんなことを考えている暇も余裕もない。
 忘れ物は、ない。
「急ぐか」
 こんな日に限って……。新学期初日に遅刻なんて……。
 車に気をつけながら、できる限りの最高速度でペダルを漕いで行く。
43 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:40
  2

 自分で言うのは許せるが、他人に言われるのは許せない。
そう思うことは今までに何度もあった。
今回もそれを適用したかったが、今日だけは他人の言葉も甘んじて受け入れることにした。
「くどぅー、バカだね」
 しかしこうもストレートに言われると反発したくなるのが人の常ではないだろうか。
「もう少し言い方があると思うんだけど?」
「……見つからなかった」
 さいですか。
 放課後の二‐Aの教室。残っているのは、私、工藤遥。
そしてハルの前の席に座り、上半身をこちらに向けている佐藤優樹。
それからA組の生徒が数名。
 放課後と言っても、今日は始業式と短いホームルームがあっただけで、
今は昼の十一時を少し回ったところだ。
朝ごはんを抜いているから帰っていい時間ならすぐにでも帰りたいのだが、
そうはいかない理由があった。
「それにしても、ある意味奇跡だよくどぅー。
数学のプリントを表だけやって裏を忘れるなんて。らしくない。
そんなに数学がイヤだったのかあ」
 はいはい私がバカでした。ですからそのにやけ顔はやめていただきたい。
この上遅刻までしていたらどんなことを言われただろう。
ただ一つ、腹を抱えて笑う姿は容易に想像がつく。
44 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:41
 先生には、十二時までに出せば忘れてないことにしてあげると言われた。
だからその言葉に甘えてこうして放課後の教室に身を置いているが、
周りの生徒はおのおの放課後を放課後として楽しんでいるのだろう。
ハルのような人は稀有な例だときちんと自覚している。
まーちゃんもまーちゃんで、こんなハルに付き合ってくれているのだから、
そこには感謝をしなければいけない。
「ねぇまーちゃん、帰らなくていいの?」
 ハルの問いに、頬杖をつきながらやや上目遣いでこう返してきた。
「それは帰ってほしいって受け取るべきなのかな?」
 佐藤優樹。この軽口が彼女の特徴とも言える。
どこぞの育ちのいいお嬢様にも見えかねない容姿のせいで、想像と現実の違いに戸惑う人も多いはずだ。
しかし彼女のことを知れば知るほど、憎めないやつだということもわかってくる。
「そんなことは思ってないよ。ただ、ハルのせいで帰る時間が遅くなっているなら申し訳ないなって……」
「そう思うんなら」
 言いながら目線をハルの机に落とした。いや正しくは、机の上のプリントに、だ。
「はい、すみません」
 なるべく手短に片付けよう。
45 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:41
 シャープペンシルをノックする。
プリントは三枚あるが、すでに片面は終わっているので三十分と掛からないだろう。
 すらすらと書き進めていければよかったが、それはそれ、人には得手不得手がある。
 なんとかプリント一枚を終えたところで、まーちゃんに会話を促した。
「気を遣わせて悪いけど、黙っていなくていいよ。てゆうかむしろ、喋ってくれた方が気がまぎれる」
「ま、くどぅーがそうしてほしいって言うなら」
 その言葉を受け二枚目に取りかかる。
 部活動の練習の声でも聞こえていればまーちゃんに頼むこともなかったけど、
今日は完全下校時間が十二時で、部活動も休みなのだ。
とはいえ、教室には他にも数名が居残っているので、
風の音しか聞こえないと言うほど静かなわけでもない。
 筆の進みがはやいのがわかる。どうやら会話作戦は成功らしい。
実際のところ、ハルは軽く相槌を打つくらいで、ほとんどがまーちゃんのひとり喋りだったのだが。
 それでも新しい話題を切り出したところでハルの注意がそちらに向いた。
「そういえば、今日の朝見慣れない車を見たの」
 顔を上げると目が合った。見慣れないとはどういうことだろう。
ガルウィングドアの車でも見たのか? それならハルも是非お目にかかりたい。訊いてみる。
「どういうの?」
「赤い車」
46 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:41
 思考停止。ほんの一瞬だったが確かに思考は停止した。
赤い車を見慣れない車に分類するのは、いささか無理がないだろうか。
 ポカンと口を開けたままのハルを見て、まーちゃんが補足してくれた。
「この学校で、だよ?」
 それだけ言って、その先は目で訴えてきた。
 少し考えてみる。そして理解した。確かに見慣れない。
この学校においては、赤い車は見慣れない車たりうるのだ。
「まーちゃんの言いたいことがわかったよ」
 赤い車なんて珍しくもなんともない。珍しがる人もいないだろう。
ただし、それは広く言えばの話だ。この学校でとなると話は変わってくる。
 あまり気にしたことはなかったが、思い返せばここに通って約一年半、
まったくと言っていいほど赤い車が止まっているのを見たことがない。
白や黒、シルバーに加え黄色や青などがあるのに、赤がないのもそれはそれで珍しい。
まあ来年度になれば、新任の先生が赤い車で颯爽と出勤する姿が見られるかも知れない。
少し楽しみにしておこう。
 それはそうとして、確かハルが今日学校に来たときは……。
「でもハルは見てないよ? 今日の話でしょ?」
47 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:42
「うっそだぁ!」
「ホント。ハルだって赤い車があれば覚えてるはずだよ」
 まーちゃんはううむと唸り眉間にしわを寄せた。
口ぶりからすると赤い車は本当に見たんだろう。なにかと見間違えたということも、きっとない。
「不思議な話だね」
「うん。……あ、不思議で思い出したけど」
 言って、ふふっという笑いが漏れた。
「ん、どうした?」
「ああごめん、思いだし作り笑い」
 なんじゃそりゃ。
「聞きたい?」
 いいえ、聞きたくありません。そう言えばすんなりと引き下がるとは思えない。
それに口角が上がり、目も輝いている。プリントも既に三枚目に入っている。
時間もまだ充分に残っている。要するに、
「話したいんでしょ?」
「わかる? ホントに不思議なの。だからくどぅーの知恵が借りたくて」
 言い終わるが早いか、まーちゃんは姿勢を正し、一つ大きく咳払いをした。
48 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:42
  3

「ホームルームのときに、友だちから聞いた話なんだけど」
 その言葉からまーちゃんの話は始まった。ハルは問題を解くペースを緩め、話に耳を傾ける。
「今日は九時から始業式だったでしょ? 
八時四十分くらいから各クラス、担任の先生に連れられて体育館へと入って行った。
 まずは三階の一年生から。そのあとに二階の二年生。そしてC組の番がきた。
 この学校の場合、位置的に体育館に行くときは昇降口をかすめる形になる。
友だちはそこを利用して、好きな先輩に宛てて書いた手紙を、その先輩の下駄箱に入れることにしたの」
「他にも入れるチャンスはあったと思うけどね」
 少し大げさに、はぁ、と溜め息をつき首を左右に振った。
話の腰を折らないでくれ、ということだと思うけど、せめて何か言葉を発してほしい。
 気持ち語気を強くして続ける。
「入れることにしたの。先輩の下駄箱の場所はわかっているから、目的はすぐに果たせた。
でもその子はそのあと奇妙なものを見たの」
 奇妙なもの? と訊きたくなったが、先に習い黙っておく。
49 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:42
「下駄箱といってもただ木の板で仕切られただけで、扉なんてついてない。
だから他の人の靴も丸見えでしょ? 
その中でどうも一ヶ所だけ、目を引くと言うか違和感を覚えるものがあった。
近くに寄ってよく見てみると、なにがおかしいのかはすぐにわかった。
そこには上靴と外靴が入れてあったの。
 でもそれだけじゃない、注目すべきはその数なの。くどぅー、わかる?」
「いや、わからない」
 具体的に言って当たってしまったら申し訳ないからこう答えたが、
百とか千とか、大げさにボケる方法もあったのだと気づいた。
 まーちゃんは得意そうな顔をして、おもむろにピースをした。
「たったの二つ。上靴一足に外靴一足。どう考えても足りないの。不思議でしょ?」
 なるほど不思議だ、いろいろと。
「不思議だと思うよ。
昇降口で上靴と外靴を履き替えるから、二つが同時に入っているのはあまり見かけない。
それに始業式は体育館で行われたけど体育館シューズは必須じゃないし、
仮に使ったとしても上靴は体育館に持ち込んでいるはず」
「そう。さすがくどぅー、話がはやい」
 それなのになぜ、しかも上靴と外靴が一足ずつなのか。靴は二足でセット、一つでは足りない。
50 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:43
「質問してもいい?」
「いいよ」
「その上靴と外靴は、左右どっちの足だった?」
 少しの間をおいてはっきりと答えてくれた。
「上靴が右足、外靴が左足だった」
「間違いない?」
「うん」
 それなら一つの仮説を立てることができる。これで大方の説明はできるだろう。
でもまだ、すべてが解決したわけではない。
 数学の問題も残り一問となった。
気づけば他に残っていた生徒たちは帰っていて、教室にはハルとまーちゃんの二人だけだった。
 風の音が聞こえる。
 最後の問題を解き終わるとまーちゃんが訊いてきた。
「下駄箱、見に行くんでしょ?」
「もちろん。百聞は一見に如かず、ってね」
 筆記用具をカバンに戻し、プリントを手に、ハルは席を立つ。
「さあ、いこうか」
 教室を出て、中央廊下を右に曲がれば職員室がある。
プリントを提出し先生に伝えた。すみませんでした。そして、ありがとうございました。
51 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:43

 職員室前の階段を下りれば目の前には昇降口がある。
「ねぇ、まーちゃん。どこかなぁ」
「こっち」
 言いながら三年生の下駄箱へと歩いて行く。一番端、あれはD・E・F組の棚か。
「確か……、あれ!? 確かここにあったはずなんだけど……」
 顔も目も左右に動かす姿を見て、ここは形だけでもとハルも探すことにした。
まーちゃんに背を向けA・B・C組の棚も見てみるが、
上靴と外靴が1足ずつ入った下駄箱は見つからなかった。
 ないならないで構わない。大体こんな時間だ、予想はできていた。
これで証拠は明日に持ち越しになった。しかしそれもそれで構わない。
 校内放送のスピーカーにノイズが走る。

『……完全下校時間五分前です。まだ校内に残っている生徒は、速やかに帰りましょう。
 完全下校時間五分前です。まだ校内に残っている生徒は、速やかに帰りましょう』

「だって。とりあえず帰ろうか」
 靴を履き替え校舎を出ると、聴き馴染みのある歌詞のない曲が聞こえてきた。
52 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:43
  4

 九月になっても暑さは変わらず、照りつける日差しで肌が熱くなるのを感じた。
 どれほどだっただろう。しばらく無言のままでいたが、沈黙を破ることにした。
自転車を引きながら、斜め後ろを振り向いて、
「訊きたいことがある。間違っていたら言って。……ラブレターを書いたのはまーちゃんだよね?」
 一呼吸置いて返事がくる。
「やっぱり、さすがだよ、くどぅー」
 そう、あれは友だちから聞いた話なんかじゃない、まーちゃんの経験談だ。
 教室で話を聞いているときから引っかかっていた。
それこそ「なにかがおかしい」くらいで、
気のせいだよと言われればそうか気のせいかと納得していたと思う。
昇降口に来るまでは。でもどうやら気のせいではなかった。
 まーちゃんの話し方は、人から聞いた話というより、自分の経験談という印象を受けた。
きわめつけは、さっきの一言。
「まーちゃんは下駄箱の前でこう言ったよね? 「ここにあったはず」って。
この言葉は実際に見たことがないと出ない言葉なんだよ。
そこで気がついた、友だちから聞いた話なんて嘘なんじゃないか。
まーちゃん自身がラブレターを書いたんじゃないか、ってね。
 思えば、「友だちから聞いた話」なんて枕詞がそのままの意味で使われることなんて少ないんだよ」
53 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:44
 最後のは半分冗談だったが、妙に納得された。
「なるほど。でも」
「うん、でもそうだとするとハルは軽率だったね。
たとえ友だちだとしても、他人(ひと)の恋愛事情に土足で踏み入るべきじゃなかった」
 横断歩道まで来ると信号はすでに点滅していた。無理に渡ることはない。
 セミが鳴いている。耳からも暑さを感じていると、どこか申し訳なさそうな声が聞こえてきた。
「……くどぅーの推論には一つの間違いがある」
「なに、ラブレターは別の人が書いたとでも?」
「違う。そもそもラブレターなんて書いてないの。
くどぅーが言ったことはほとんど合ってるよ。すごいと思う。
でもただ一つ、「好きな先輩」を異性と捉えたところが間違ってる。LOVEじゃなくて、LIKEなんだよ」
 なら。
「じゃあなんでハルに嘘をつく必要があったの? てっきり自分の恋愛事情を知られたくないからだと」
「ごめん、先に謝っておくね。実は、頭の回るくどぅーに挑戦したくなったの。
つまりくどぅーがきちんと真実を見抜けるかどうか、くどぅーを騙し通せるか試そうって思いついたの。
あの思いだし作り笑いのとき」
 あのときか。すっかり騙されていた。
54 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:44
「本当のこと言うね。
 C組が体育館へ向かう途中、まさは部活の女の先輩宛てに書いた手紙を、その先輩の下駄箱に入れに行った。
内容は、夏が終わると会えなくなって寂しいです、っていうもの。ラブレターなんかじゃない。
そしてそのあと、ふぞろいの靴を見つけたの」
「……つまり、ハルをからかったんだね」
「違う! 別にそんなつもりは……。くどぅー、怒ってる?」
 言って顔を覗き込んでくる。
 信号が青になったので左右を確認して歩きだす。
「別に怒ってないよ。でもなんだろう、ホッとしてる」
「ホッとして……る?」
「うん、自分でも信じてなかったから。ハルが知ってるまーちゃんには、彼氏彼女は似合わない」
「……まさもそう思う」
 笑った。まーちゃんも笑った。
 横断歩道を渡り右に折れれば、あとはまっすぐ道なりに。
途中にあるケーキ屋の前を通ると甘い匂いが鼻をつつく。少し前を行くまーちゃんが足を止めた。
「ところで、ふぞろいの靴の謎は説明できそう?」
「うん」
 小さく咳払いをする。
55 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:44
「ふぞろいの靴の持ち主は、何も奇を衒おうとしたわけじゃない。右足は上靴を履く必要がなかったんだ」
「どういうこと?」
「履く必要がなかったというか、履けなかったんだよ、……ケガをしていたから」
「ああ」
「下駄箱に左右の違う上靴と外靴が置いてあったのなら、
その人は片足だけ外靴を履いて登校し、その足だけ上靴に履き替えたということ。
足のケガ、捻挫か骨折かはわからない。それでも靴が履けないのなら、松葉杖は使ってるんじゃないかな」
 続ける。
「そんな状態の子どもを一人で行かす親は、まあいないでしょう。
手段と、それに時間に余裕があるならなおさらね。だから今朝、その人は親に送ってもらった。赤色の車で」
 へ? と気の抜けた声を漏らしてから、まーちゃんは疑問を投げかける。
「どうしてそこで赤い車が出てくるの?」
「簡単なことだよ。まーちゃんが見た赤い車をハルは見ていない。
そしてハルが学校に着いたのは遅刻ギリギリだった。
つまりハルが学校に着く前にその車は帰ったということになる。
そうすると先生の車とは考えられないから保護者の車だ。
保護者がなにをしに朝の学校へ? 来てすぐ帰ったのなら子どもを送りに来たんだと思う。
 そして、松葉杖をついて歩く生徒の存在」
 少し早口になっているのが自分でもわかった。額に滲んだ汗を拭う。
56 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:45
「ここまで言えば、大丈夫だよね?」
「うん」
 再び歩き出す。次の交差点でハルは左に曲がる。まーちゃんはまっすぐ。
 信号は赤。並んで待っていると、目の前を数台の車が横切っていく。
「今日はいろいろ楽しかったよ」
 すかさず睨んでやる。
「怒ってないって言ったじゃんか、くどぅーの嘘つき」
 つんと口を尖がらせていた。まーちゃんの場合、機嫌が悪いとこうはならない。
「だから怒ってないって。でも気分は良くないよね」
「わかった、じゃあ今度なにかお願いを聞くから」
 信号が青に変わる。
「なら週末、あそこのケーキ屋さんに行こう。……まーちゃんのおごりで」
「まったく……」
 そう言って小走りで信号を渡り、向こう側で立ち止まった。振り返り大きめの声で、
「くどぅーのいじわる!」
 はは、約束だよまーちゃん。
 バイバイの声に合わせて手を振る。
まーちゃんが徐々に小さくなり、やがて横道に消えて見えなくなった。
 自転車に跨り、ペダルに足をかける。ここからあとは下るだけだ。
 照りつける日差し、セミの声。まだまだ夏は終わらない。
それでも意外に早く、秋はやってくるだろう。
57 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:47
>>41-56
『一つでは足りない』


名前欄変えるの忘れてましたね……
58 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:47
『制服の男』
59 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:48
  1

 楽しい時間は早く、つまらない時間は遅く感じるというのは、
経験則から導かれる事実であり、そこに異を唱える者はいないだろう。
そしてこの事実はハルに、人の脳というものは効率的ではないのだと教えてくれた。
 バスの車内は退屈だった。
 朝から降り続く雨は、道の上に水溜まりをつくり、車の群れをつくった。
アクセルとブレーキを繰り返すバスの進みは遅く、
窓の外に目をやれば、傘を差して歩く人たちが次々とバスを追い抜いて行く。
前の方に座る男性がしびれを切らしたのか、文庫本を取り出し読み始めた。
暇を持て余しているのはハルだけではなかったらしい。
 携帯を取り出しなにか面白い話題でもないかと調べれば、
世間では空き巣強盗放火など物騒な事件が起きている。
しかしそんなこととは関係なく、バスは停留所を目指し走り続ける。
 ニュースもほどほどに携帯ゲームに没頭していると、後ろの席の小銭を探る音に釣られ目を上げた。
停留所がすぐそこまで来ていたのだ。
幾人かがバスを待っていたが、その中に待ち合わせ相手を確認すると、
携帯をしまい隣に置いた鞄を膝の上に乗せた。
60 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:48
 バスが止まり、ドアが開く。入口のすぐ近くに座っているので人の出入りはよくわかる。
初めに乗ってきたのは短髪の男子。言っておくけど、ハルより短い。
その次に乗ってきたのがハルの待ち合わせの相手だった。
 黒地に白の水玉模様のスカートに上は白の長袖。
前面にはなにやら英語が書いてあるが意味はちょっとわからない。
たぶん本人もわかってないんじゃないかな。
髪は頭のてっぺんで一つにまとめ、髪色と同じ黒のゴムで縛っているだけだった。
 見た目だけで言えば育ちのいいお嬢様という言葉がよく似合う。
ただ一つ、その印象を裏切るところがあり、それが彼女の特徴とも言える。
 ハルを見つけると、いつもの調子でこう言ってきた。
「待たせたかな? 工藤遥(くどうはるか)くん」
 首を横に振る。
 佐藤優樹(さとうまさき)。彼女を語る上でこの軽口を忘れてはいけない。
これを玉に瑕だと言う人がいるかもしれないけど、ハルはそうは思わない。
「ところで、雨やまないね。予報では夕方にはやむって言っていたけど」
「そうだっけ? 夕方から夜にかけて、のはずだよ」
 そう言いながらまーちゃんが席に座ると、バスはゆっくりと動き出した。
 時刻は五時手前。十月も後半に入り、既に日は落ちようとしている。
61 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:48
  2

 しばらく話したあと、まーちゃんはおもむろに小さな冊子を取り出した。
「楽しみだね」
 そう言ってページをめくる。それはハルたちがこれから向かう建物のフロアガイドだった。
オープンしたのは半年近く前だから何度か行ったことはある。
もちろんまーちゃんとも。けれど、この冊子の手にしたことはなかった。
 知ってはいたがこうして改めて見てみると、服屋書店料理屋雑貨屋のほかに、
家電歯医者携帯ショップ美容室とバラエティに富んでいる。
そして、最上階の六階をすべて使って展開される映画館が、今日のハルたちの目的地だ。
 誘われたのは昨日の放課後。
ずいぶん急な話なうえに雨の予報が出ているのを知っていたので、別の日ならと返事をした。
しかしまーちゃん曰く、
「明日はレディースデイと月に一度の特別割引が重なる日なんだよ。別の日なんて選択はないと思うけど」
 まあそれなら、いいかな。中学生のお財布事情は結構厳しいのだ。
 フロアガイドの六階のページに目を落としながら昨日のことを思い出していると、
注釈が書かれていることに気づいた。
「ん? まーちゃん、すべての割引において重複割引はできません。って書いてあるよ」
「チョウフク?」
62 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:49
「二つ以上は同時に使えませんよ、ってこと」
 わおという声が漏れた。少しの間をおいて、普段と変わらない調子で言った。
「ま、いいや、それでも」
 軽いな。もう自分が言った誘い文句も忘れているのかもしれない。
かといってハルもここまで来て「じゃあやめようか」などと言う気もない。
バス代が無駄にかかるだけだ。
「それにしても、よく気づくよねくどぅーって」
 あまりに唐突すぎて言葉の意味がうまく理解できなかった。
「どういうこと?」
「まあ今回のは違うけどさ、
いままでもまさが思いもしなかったようなことを言い当てたりしてきたじゃん? 
それってすごいことだよ。くどぅーは「こんなの運がよかっただけ」なんて言うけど、
その一言で片づけちゃいけないと思う」
 褒められているんだろう。だけどずいぶん的外れだ。
相手を見積もるときは低くてもダメだが、高くてもダメなのだ。
 だから言う。
63 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:49
「買い被りすぎだよ」
 しかしハルの気持ちとは裏腹に、まーちゃんは微笑みを浮かべた。
「謙虚だね」
 いや、だから。
 中学に入学しておよそ一年半。
まーちゃんは普段の生活からいくつかの不思議を見つけ出し、
その解決をハルに持ちかけたことが何度かあった。
それに対しハルがなにもしなかったと言えば嘘になる。
 しかしこのままではいけない。
「まーちゃんはなにもわかってない」
 思いの外、強い口調になってしまった。
それでもまーちゃんは微笑みを崩さず肩を竦めてみせた。
「どうしても認めないんだね。
いいよ、いままでの成果はすべてくどぅーが幸運の持ち主だったことにしよう。
それでも、くどぅーが考えてくれたおかげで、それなりの結果が生まれたのは事実でしょ?」
 否定はできない。
64 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:49
 だがそう簡単には認めない。
「「運がよかった」っていうのは事実と推論はそう簡単に一致しないって意味だよ。
世の中わからないことだらけだ」
「それは普段から理由を考えたりしないからだよ」
 ぐうの音も出ない。
「それなら何か一つ状況を出してみてよ。事実と推論がそう簡単に一致しないって証明してあげる」
 半ば挑発的な提案に、まーちゃんは乗ってきた。乗ってくると思っていた。
「おもしろそう。なんでもいいんだよね? じゃあ……」
 上げた目線は宙をさまようことなく、一人の男を捉えた。
ハルへと向き直り、胸の前で小さく彼を指差しながら言う。
「じゃあ、あの人がどこで降りようとしているのか、推測してみて」
 気合を入れるために、大きく息を吐く。
「始めようか」
 ゲーム開始の合図のように、五時のサイレンが鳴った。
65 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:50
  3

「まずは彼の観察からだね」
 事は慎重に。けどゆっくりとはしていられない。
彼が次の停留所で降りる可能性だってあるのだから。
 手がかりを見落とさないようにじっくりと観察する。
 前から二列目の右側、一人掛けの座席に座る彼は、退屈そうにしていた。
灰色を基調としたチェック模様のズボンに紺色のカーディガンという服装。
首元からは白のカッターシャツも見えている。
そして手には、柄の部分が青色のビニール傘を持っていた。
 以上……かな。
 ここからどうする? なんの変哲もない光景から読み取れるもの……。
「まず」
「まず?」
「彼は近くの高校の生徒であることがわかる」
 これは誰でもわかることだ。
「制服を着ているから?」
「うん。それにあの制服には見覚えがある。あゆみんが通っている高校のやつだ」
 まーちゃんはこくりと首をかしげ、やがて思いだした。
66 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:50
「ああ、図書館でバイトしてた人だね」
 頷く。
「だから彼は高校生で間違いない」
 実は二十歳以上で、特別な趣味をお持ちの可能性もなくはないが、
そんな特殊な場合まで考えていたらどんな推測だって成り立ってしまう。
彼はごくごく一般のありふれた男であると考えるべきなのだ。
 となれば、次の推論は自然と導かれるのではないだろうか。
「彼はいまこの時間、下校途中である」
 どこもおかしくはない……と思う。だけど何かが引っ掛かる。
具体的には言えないが、彼が下校途中だとすると不自然なのだ。
午後五時という時間のせいだろうか。いや、遅くまで学校に残ることはよくあることだ。
そんなことを考えていると、
「それは違うんじゃない?」
 と訂正しようとする前に否定されてしまった。
67 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:50
 でもそんなにはっきりと言い切れるのかな。訊いてみる。
「というと?」
「だって、あの人が乗ってきたのは高校の最寄りの停留所じゃなかったよ」
 なるほど乗った場所か。考えてなかった。でもそれなら難しいことじゃない。
「それはどこか、例えば友だちの家に寄ったあとだとしたらどう?」
 しばらく待ってみたが反論はなかった。
それより気になったのは、まーちゃんがなぜ彼がどこから乗ったかを知っているのかということだが、
なんのことはない、すぐに思い出した。
彼の髪の毛は短い。
「そういえば彼が乗ってきたのはまーちゃんと同じ停留所だったね。
もしかして、彼を選んだのもそれに関係するのかな?」
 当たりだった。
「うん。実はバスに乗る前からずっと気になっていたの。あの人どこかおかしくない?」
 ふうん。まーちゃんも同じことを思っていたのか。
その謎が解ければ推論の手がかりになるかもしれないんだけど……。
 乗る前から気になっていた、ね。
68 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:51
 黒に近い灰色のズボンと白のカッターシャツに紺色のカーディガン。
そして柄の部分が青色のビニール傘。
 ああ、そういうことか。
「おかしいと思っていた。でもいまわかったよ。やっぱりさっきのは間違っていた」
 一呼吸置いて、
「彼は下校途中なんかじゃない、すでに一度家に帰ったあとだ」
 まーちゃんが黙り込んでしまった。よくよく考えればわかると思うんだけど。
「彼の持ち物を見てごらん」
「ビニール傘? でも外は雨だから」
「そうじゃない。
んーなんて言えばいいかな、持っているものじゃなくて、持っていないものに注目してごらん」
「持っていないもの……」
 あまりもったいぶるのもよくないので、ハルは膝の上にあるものを指差した。
「ああ! これか!」
「そう、それが彼のおかしなところの正体だよ。
中学生や高校生なら、まして下校途中なら持っていて当たり前のもの。
……彼はカバンを持っていない」
69 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:51
 続ける。
「つまり一旦家に帰り、そしてまた出かけた。用事があったんだろうね。
でもその用事は今日急遽できたものだと推測できる。
なぜなら、前もって出かけることが決まっていれば家に帰る必要もないし、
家に帰る余裕があったなら着替えればいい。
よって、彼がこのバスに乗る理由は家に帰ってすぐ、突発的に発生したと考えられる」
 ハルの言ったことを反芻するように数回頷き、呟くように言った。
「なるほど。じゃあその用事がなんなのかがわかれば、あの人の行き先がわかるね」
 そこが最大のポイントだ。
 まず考えられるのは誰かに誘われた、ってこと。
友だちに誘われたのなら余裕を持って行動できたはず。つまり着替える時間があったことになる。
なら目上の人間に呼び出された? それならありえそうだ。でもそれを示すものはここにはない。
これまでのことを考えると、いくら理屈が通っていてもまーちゃんを納得させられないと意味がない。
いまこの場で推測される理屈を突きつけなければいけないのだ。
 少しの間降りた沈黙。そのときちょうどバスが停留所に着いた。
70 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:51
  4

 市役所前。その名を冠するのに充分な場所だった。
見てみれば市役所は五時を過ぎてもまだ営業していた。まあ用はないけど。
 目の前の扉が開く。乗ってきたのは女性だった。降りる人はいない。
よかった、彼の目的地はここではなかったらしい。
 ……いや、ちょっと気負いすぎかもしれない。
これはまーちゃんとのゲームなんだからもう少し気楽にいかなければ。
 バスが動き出すが早いか、彼はポケットから携帯を取り出した。
しかし開くこともせずすぐにポケットに戻してしまった。一体なにがしたかったんだろう。
 まーちゃんもそれを見ていたらしい。
「あの人ガラケーだ。珍しいね」
 見るポイントは違ったけれど。
「そうかな? 確かに持ってる人は減ったよね。ハルたちももう持ってないし。
でもまだ結構な数の人が持ってるよ、ガラケーにもいいところはあるからね。
ちなみにハルの憧れの人もまだガラケーだよ」
「ふうん。……で、推論の続きは?」
 んー、あともう一押しな気がするんだけどなあ。
71 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:52
 少し時間稼ぎをしてみる。
「その前に、いままでの推論を整理してみよう。
 雨の降る夕方、傘を持った男子高校生が制服姿でバスに乗る。
ひどく退屈そうにしている彼はカバンを持っていない。
そこから、彼が下校途中でなく一度家に帰ったあとでなにか用事ができ、どこかへ向かっていると推測した。
 ではその用事とは一体なにか」
 言いながらハルは少し前のことを思い出していた。
 ハルがバスに乗ってから。
 まーちゃんが乗ってきてから。
 そして……。
 どうやら時間稼ぎは功を奏したらしい、ハルは一つの結論に至った。
「その顔はなにか気づいたね」
 どんな顔か気になったが、とりあえず頷いた。
「まあね」
「聞かせて」
 期待には応えられそうもないけど。
72 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:52
 どこから話そうかと迷っている間、まーちゃんは待っていてくれた。
まず、と前置きして話し始める。
「まーちゃん、いま退屈?」
「ううん、くどぅーがいるもん」
「それはよかった。ハルは退屈だった。だからまーちゃんが来るまで携帯をいじっていた」
 まーちゃんは怪訝そうに眉間にしわを寄せた。
「なにが言いたいの?」
「彼のおかしなところをもう一つ見つけたんだよ。
バスの車内は退屈だ。まあ話し相手がいれば別だけどね。
じゃあ退屈ならどうすればいい? 暇潰しになるものを探せばいい。
それがハルの場合は携帯のゲームだった。小説を読む人もいたよ。
 なのに退屈そうにしている彼は見たところなにもしていない。
手ぶらに見えるけど、彼が携帯を持っていることをハルたちは知っている。
ほかになにか持っていたとしても財布ぐらいかな。なぜならカバンがないから」
 ここで一旦言葉を切る。乾いていないけれど唇を舐めた。
73 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:53
「携帯があれば充分暇潰しできる。でも彼はそれをしなかった。
いや、しなかったんじゃなくできなかったのだとしたら? 
つまり、彼の携帯はいま使える状態じゃない。
 いまや携帯は必需品。中高生にとっては特にね。
なのにそんな携帯が急に使えなくなっていた。これじゃあ友だちとも連絡が取れない。
時間はまだ夕方。そのとき彼が取る行動は一つ。
 さっき彼がポケットから携帯を取り出しまたすぐ戻したのは、
壊れているのを度忘れしていたか、あるいは使えるようになってないか確認した、ってところかな」
 そして残るは。まーちゃんも、もう気づいている。
「じゃああの人が降りるのは」
 ハルは笑う。
「うん、ここまで来ればわかるよね。彼の目的地は携帯ショップ。降りる停留所はハルたちと同じだね」
 推論は以上。心の中でそう付け加えた。
74 :制服の男 :2014/04/23(水) 12:53

 映画も見終わり建物を出たころには、雨もすっかりやんでいた。
折り畳み傘はカバンにしまっておこう。
 停留所の列に並ぶと、映画の感想もほどほどにまーちゃんが訊いてきた。
「結局、あの人は携帯ショップに行ったのかなあ」
「さあ、どうだろう……」
 彼が降りた停留所はハルの推論通りだった。
同じ建物に入って行くのは見たけれど、
後をつけることはしなかったからどこに向かったかはわからない。
というより、雨のせいでバスが遅れて、
上映時間に間に合うかギリギリだったのでそれどころではなかった。
「でも、まーちゃんは「あの人が降りるのはどこか?」って訊いた。だからゲームはハルの勝ちだね」
 まーちゃんの首が少し傾いた。
「ん? そういえば、あのゲームはなんで始めたんだっけ?」
 えっと、なんだったかな。確か大事なことだった気もするけれど……。
 思い出せない。
 秋の夜風は体に染みる。ハルはズボンのポケットに手を突っ込んで言った。
「さあ、忘れた」
 まーちゃんも、それ以上追及することはなかった。
75 :名無飼育さん :2014/04/23(水) 12:54
>>58-74
『制服の男』
76 :名無飼育さん :2014/04/24(木) 15:00
『ケーキのおいしいお店』
77 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:00
  1

 知らないことを知ったかぶりすることはそこまで難しくない。
しかしその逆となるとこれが案外難しい。
 自室のベッドで仰向けになり、今日のことを思い返していた。
真っ白い天井を見ながら頭の中を整理する。やはり始まりはあそこからになるだろう。

 一月ももう半分が過ぎた。
年が明けて寒さは日に日に強まっていき、休みの日ならば布団に籠っていたいところだ。
だがそれは願望の域を超えない。
 待ち合わせ場所は駅の東口。時間は……、いけない、もう過ぎている。少し急ごう。
これくらいなら怒りはしないだろうけれど、呑気に歩くわけにもいかない。
小走りで向かうことにしよう。
 駅に着くころには、ほんのり汗をかいていた。息も少し上がっている。
呼吸を整えるために息を大きく吐く。
「ふぅ」
 携帯が震えた。もう一度息を吐いてから手袋をはずし確認する。
差出人は佐藤優樹。しまった、怒らせたかな。
そう思いながらメールを開くと、そこにはこう書かれていた。
『なにかあった?』
 うーん。怒ってはいないけど、心配されると心にくるものがあるなあ。
78 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:01
 辺りをぐるりと見渡し確認する。どうやら返信の必要はないらしい。
駆け寄り肩をぽんと叩く。
「遅れてごめん」
 突然の刺激にまーちゃんは少し驚いた様子を見せたが、
ハルを見ると持っていた携帯をカバンにしまい、いつもの調子で言う。
「遅いよくどぅー」
 ベージュのコートに身を包み、マフラーとモコモコの帽子で防寒を図っている。
大人びた印象を受けたが、年齢を考えると、
背伸びをしていると言った方が正しい表現かもしれない。
 ところで、
「足元寒そうだね」
「別に。くどぅーもスカート履いてみればわかるよ」
 いや制服で履いてますから。心の中でツッコミを入れておく。
「で、今日はなにするの?」
79 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:01
「ウィンドウショッピング!」
 ……見るだけ?
「まあ気にいったのがあれば買うかも知れないけどね」
 そう言う人こそあれこれ買うものだから心配なんだけど。
いや、もしかしたらまーちゃんはそれを見越して、荷物持ちのためにハルを呼んだとか?
 はは、ばかばかしい。寒さで頭がおかしくなったのかな。
「なに笑ってるの?」
 おっと、顔に出ていたか。
「いや、なんでもない。寒いからはやく行こう」
 不思議がるまーちゃんを尻目に歩きだす。
「もぉ、置いてかないでよ」
 言いながら小走りで詰め寄ってくるまーちゃんと、二人一緒に並んで歩く。
見るだけではつまらないから、なにかいいズボンでもあれば買おうと思う。
80 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:01
  2

 三時間は歩いただろうか。
そう思い時計で確認するが、その半分ほどしか経っていなかった。
秒針は今も忙しく動いている。ようするに、よくある時間感覚の矛盾というやつだ。
となれば少し残念な気持ちになったのは言うまでもない。
 結局、ハルもまーちゃんもなにも買わなかった。
今度家族で来たときに親にねだってみようと思う。中学生のお財布事情は厳しいのだ。
 普段から行く店はだいたい回った。それから新しい店の開拓にも努めた。
これで、はいさよならでもいいのだが、別れるにはまだいくらかはやい。
 吹く風は冷たく、空気を切る音がさらに寒さを演出している。
こんなときには、体を温めるいい方法がある。
「どこかカフェにでも入らない? なにか温かいものが飲みたいよ」
 ハルの提案はすんなり受け入れられた。考えることは同じだったらしい。
 店もすぐに見つかった。
店先に小さな黒板を置いていて、メニューもいくつか書いてある。
あまり詳しくは見ていないが、良心的な価格設定らしい。
81 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:02
 白塗りの壁に大きな窓がついていて、そこから店内の様子が窺える。
ほとんどの席が埋まっているように見えるけれど……。
「あいてるかなあ」
 ため息混じりに呟くと、まーちゃんが答えてくれた。
「あいてるよ。お客さんいるもん」
 おそらく『開いてる』と言いたいんだろう。
ハルは『空いてる』かどうか知りたかったんだけれど。
 扉を開け中に入る。
 入り口の扉につけられたベルの音に反応して、店内にはいらっしゃいませの声が響く。
黒の前掛けをつけて、髪を結わえた女性店員がやってきて、ハルたちに人数を尋ねる。
「何名様でしょうか」
 ピースサインをかかげ二人ですと伝えると、店員さんは店の奥に向かって伝えた。
「ご新規二名様でーす」
 どうやら空いているようですよ、まーちゃん。
82 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:02
 案内されたのは二人用の小さなテーブル席で、壁側はソファー、通路側は椅子になっていた。
まーちゃんが椅子に座ったので、ハルは壁側のソファーに。
手袋は横に置き、マフラーは膝の上に置いた。
「ご注文が決まりましたらそちらのボタンを押してください」
 了解です。
 店内は人が多く、ここから見える範囲は満席だった。やはりここは人気の店らしい。
土曜日だというのも関係しているのだろうけれど、平日に来たことがないので比べることはできない。
 外観と合わせたのか、店内は白を基調としている。
壁には何点かの風景画が飾られているが、誰の絵なのかは知らない。
そしてかすかに音楽が聞こえてくる。これは有線放送でも流しているのだろう。
 メニュー表を開くなり、まーちゃんは言った。
「ねぇ、時間も時間だし、ケーキでも食べない?」
「うん、いいよ」
 三時のおやつ。まあ、なにか食べようとは思っていた。
83 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:02
 こういうときの決断ははやい方だと自負している。
というか深く考えず、そのときの感じで決めてしまうのだが。
でもそれでいて、ハズレを引いたことがないのはちょっとした自慢でもある。
メニュー表はもう既にまーちゃんが独占している。
 その点まーちゃんは長い。
あれもいい、これもいいと悩みに悩んで、ようやくのことで結論を出すこともしょっちゅう。
ときには、一度も候補に挙がらなかったものが選ばれることもある。
まったく、掴みどころがない。
 しかし今回のそれは常識の範囲内だった。
まーちゃんは、しばらく格闘していたメニュー表を閉じると、ボタンを押して店員さんを呼んだ。
「ご注文はお決まりでしょうか」
 だから呼びました。言わないけれど。
「はい」
「それではご注文をお伺いします」
 まずはハルが。
「ダージリンのミルクティーと季節のフルーツタルト」
 続いてまーちゃんが。
「ブレンドと……チーズケーキ」
 店員さんは注文を繰り返して確認すると、メニュー表をさげて戻っていった。
84 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:03

 ハルたちももうすぐ三年生だよ、いやその前に期末テストがあるよ、
などと話していると飲み物が運ばれてきた。
まーちゃんがブレンドを選んだのも予想外だったが、
それよりも驚くべきは、この店で使われているコーヒーカップが四角いこと。
世間一般が、それをオシャレと呼ぶかどうかは知らないけれど、ハルはオシャレだと思う。
四角いカップを見たのはこの店が初めてだ。
 ハルのカップを見てまーちゃんが言う。
「くどぅーのは丸いんだね」
 ちらりと目をやり、
「みたいだね」
 とだけ返した。
 四角いカップ。オシャレだとは思うが、飲みやすくはないだろう。
だから内心ほっとしている。機能性とデザイン性は別次元なのだ。
85 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:03
 熱々のダージリンにミルクを入れ溶かす。
冷えた手を温めるように、カップを両の手のひらで包むように持ち、やがてちびちびと飲み始める。
我ながらその姿は可愛いと思う。
まーちゃんもおよそ同じ行動を取り、そして同じように可愛かった。
 ケーキはそのあとすぐに運ばれてきた。
 まずは、甘い匂いを鼻で味わい、絢爛豪華なフルーツを目で味わう。
あとは口で味わうだけだ。フォークを取り、タルトを切り分け口へと運ぶ。
「おいしい」
 ハルが言ったのではない。ハルが言おうとしていた言葉が聞こえてきたのだ。
見ると、まーちゃんは目を閉じ、口角を上げ、右手にフォークを持ったままの状態で固まっていた。
〈おいしい〉を表現しているのだろう。体は固まっているが、口もとだけはしきりに動いている。
 その光景に、ハルの負けず嫌いが顔を見せる。
「こっちのタルトだっておいしいよ」
 言い終わるがはやいか、まーちゃんのフォークがタルトに差し込まれる。
86 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:03
「じゃあ、一口ちょーだいっ!」
 相手の方が一枚上手だったようだ。
そのお返しにとチーズケーキを少しもらうが、これもまた確かにおいしい。
上にかかったいちごのソースが、いいアクセントになっている。
「おいしいけど、タルトの方が僅差で上だね」
 負けず嫌いな性格はこれからも変わりそうにない。
 そのあとはなにを話しただろう。
あの子はあの子にホの字だよとか、そんなことも話した気がする。
楽しい会話をするのに、中身は重要ではないのだ。
 気づけば二人ともケーキの皿は空になり、飲み物も二杯目に入っている。
そろそろ切り上げどきかなとも思いつつ、気になったので訊いてみた。
「ねぇまーちゃん、一度この店に来たことあるよね?」
 いきなりの問いかけにきょとんとした顔。そしてすぐに否定の言葉がきた。
「ううん、四、五回くらい」
 一度っていうのはそういう意味じゃない。
87 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:04
  3

 ハルがなにも言わないでいると、まーちゃんが話しだした。
「隠すつもりはなかったんだけどね、話すタイミングがなかった。
確かにこのお店に来たことはある。けど今日はたまたまだよ」
 ブレンドを一口飲み、続ける。
「ここには月に一度くらいのペースで来てるかな。
最初は母に連れて来てもらったの。母も友だちに教えて貰ったって言ってた。
そのときは向こうの窓際の席に座ったの。曇っていて残念だったのを覚えてる。
でも、ケーキはおいしい。お店の雰囲気は落ち着いている。店員さんの服装は可愛らしい。
まさ、このお店がすっかり気に入っちゃった。それから何度か来るうちに……」
 両手を添えたコーヒーカップに目を落とし、声も落として言った。
「ここでアルバイトしたいなって思うようになったの」
「それは知らなかった」
 本当に知らなかった。言ってくれればよかったのにと思ったが、それは言えなかった。
88 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:04
「でも確か」
「うん、中学生だからアルバイトはできない。でも高校生になれば話は別」
 雇われるかどうかも。言わないけれど。
「だから今は、その勉強のつもりでここに来てるの。
そうやってこのお店を眺めてみると、いろいろ発見できることもあるんだよ」
 そう言って、まーちゃんはいくつか教えてくれた。
いつになく楽しそうに話すまーちゃんに対し、ハルは優しく相槌を打つことに徹した。
 中学を卒業すれば高校に進学する。
二人とも近くの公立高校に通うことになるだろう。私学に行くほどの頭は……ね。
そんなハルに近い将来の夢を話して、もしもそれが儚く散ってしまったら……。
 まーちゃんはきっと恥ずかしがるだろう。
 「大きくなったら戦隊ヒーローになりたい」みたいなものとは違い、現実的な夢。
そしてそれを叶えようと努力している。
もしかしたら、ハルに馬鹿にされると思ったのかもしれない。そんなもの、杞憂でしかないのに。
89 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:04
 今まで淀みなく話していたまーちゃんが、一瞬言葉に詰まった。
「……ところでくどぅー、どうしてまさが、このお店初めてじゃないってわかったの?」
 それは今話してもいいけれど。
「帰り道に話すよ」
 おしゃべりしていたらなかなかいい時間になっていた。
 カップに残った最後の一口を飲み干し、ももの上に置いたマフラーを手に取る。
「そうだね、そろそろ帰ろうか」
 伝票を手に取り、値段を確認しようとするまーちゃんに言う。
「ブレンドは360円、チーズケーキは680円だったかな」
「わぁーすごい、当たってる」
 ははあ、どうだ、参ったか。
 一人で勝手に悦に入っているハルに、まーちゃんが提案する。
「あ! くどぅー、こういうのはどう? 今年のお年玉、より多く貰った方がおごるの」
 まったく、まーちゃんはいつまで経っても子どもなんだから。
 ……。
「おもしろい、乗った!」
 会計を済まし店から出れば冷たい風が吹いている。ハルはぶるりと震えた。
90 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:05
  4

 帰り道、沈んでいく太陽。人通りは多くない。マフラーに顔をうずめる。
「……ハルがどうして、まーちゃんがあの店に来たのは初めてじゃないとわかったのか、って訊いたよね?」
 まーちゃんは無言で頷く。
「実はあの場ではまだ半信半疑だったんだ。
でも、もしかしたらと思ったからカマをかけてみた。そしたら見事正解、ってだけ」
「……答えになってないよ」
 聞こえてはいたけれど訊き返した。
「ん?」
「答えになってないよ。まさは、どうして? って訊いたの」
「そうだったね」
 一つ咳払いをする。
「覚えてるかな? 飲み物が運ばれて来たとき、まーちゃんがなんて言ったのか」
「まさがなんて言ったのか?」
 回答は得られそうにないので先へ。
「ハルのティーカップを見て「くどぅーのは丸いんだね」って言ったんだ。
確かにハルのカップは丸い形をしていた。そしてまーちゃんのカップは四角。
この状況なら普通はこう言うんじゃないかな。
「ここのコーヒーカップは四角いんだね。珍しくない?」
 ってね。なのにそうしなかった。
 なぜならまーちゃんにとって、それは珍しいものではなくなっていたから」
91 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:05
「だからまさがあのお店に来たことがあると思った」
 その通り。
「でもそれだけで断定はできない。
ハルの知らないお店で、四角いカップが当たり前のように使われていても、おかしくはないからね」
 言いながら肩を竦めてみせた。
 道はやがて信号に差しかかる。歩行者用信号は赤。
「じゃあ、まさからも一ついい?」
「うん」
「くどぅーも、あのお店初めてじゃないよね?」
 はは、何を言い出すんだろうこの人は。
「どうしてそう思うの?」
 ハルをちらりと見て、また前を向いた。
「くどぅーが、まさが頼んだものの値段を言い当てたとき、単純にすごい記憶力だなと思った。
でもよく考えるとおかしいの」
「どこが?」
「自分自身が頼んだものの値段を覚えているなら別におかしくはないけど、
くどぅーは、まさが頼んだものの値段を覚えていた」
「まーちゃんはこれを頼んだのかって見ただけだよ」
92 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:06
 そう言うと鼻で笑われた。
「それはありえない」
 なんで、と言おうとしたが飲みこんだ。思いだした。
「そうだったね、ハルがメニュー表を見たのは最初だけだった」
 食べるものを決めるのははやい方だ。今日もそうだった。
そしてそのあとメニュー表はずっとまーちゃんが持っていた。
だから、ハルにまーちゃんが頼んだものの値段を確認する機会はなかったことになる。
「なるほどね、つまり」
 つまり、まーちゃんはこう言いたいのだ。
「ハルが、ブレンドとチーズケーキの値段を知ったのは今日じゃない」
 と。
「うん。間違ってる?」
 歩行者用信号が青に変わったので歩きだす。駅はもうすぐそこだ。
「間違ってないよ。ハルも、あの店は初めてじゃない」
 自嘲気味に笑いながら言う。
「ハルもあの店好きなんだ」
93 :ケーキのおいしいお店 :2014/04/24(木) 15:06

 知らないことを知ったかぶりすることはそこまで難しくない。
しかしその逆となるとこれが案外難しい。言わなくてもいいことまで言ってしまうのだ。
今日はそれがよくわかった一日だった。
 まーちゃんの指摘は悪くない。半分当たりで、半分はずれ。
チーズケーキは以前食べたことがある。
でも、ブレンドの値段は入り口にある黒板に書いてあったのを覚えていただけ。
しかしそれをまーちゃんに言わなかったのは、ハルも同じくらい根拠が不十分だったからだ。
 自室のベッドに仰向けになり、真っ白い天井を見つめる。
そろそろお風呂に入ろうかと思い体を起こすと、ちょうどそのとき携帯が震えた。
確認すると、まーちゃんからメールが届いていた。文面はこうだ。
『また一緒に行こうね。今日行った、ケーキのおいしいお店』
 まったく、タイミングがいいのか悪いのか。
 親指だけで携帯を操作する。返信内容は、皮肉を込めてシンプルに。
『今度はおごらないよ』
 中学生のお財布事情は厳しいのだ。
 携帯をベッドに放り投げ、部屋を出る。今日はよく歩いた。明日が日曜日でなによりだ。
94 :名無飼育さん :2014/04/24(木) 15:07
>>76-93
『ケーキのおいしいお店』
95 :名無飼育さん :2014/04/24(木) 15:14
『語らない冬』
96 :語らない冬 :2014/04/24(木) 15:14
  1

 最後の問題は四択だった。
登場人物の言動を表現する慣用句として、最も適切なものを選び、記号で答えよとのこと。
選択肢を確認する。しかしそれは考えるためではなく、ただの確認作業にすぎない。
ここは先週やったばかりで記憶も新しい。サービス問題と言ってもいいだろう。
とくに悩むこともなく解答用紙にウと書き込むと、そこで一旦鉛筆を置き一息ついた。
 今日はよく晴れている。
陽気と呼ぶには温かすぎる天気のせいで、手に額に汗が滲む。
吹く風は時折教室の窓を揺らしながら、新しい空気と涼しい気持ちを運んでくる。
 年度末。二月末。
この時期になると、三年生は高校受験のシーズンということで学校へ来ることも少なくなる。
現に、昨日と今日は休日扱いになっている。
そこを利用したのか、あるいはこのために休日扱いにしたのかは不明だが、
我が中学校では学年末考査が行われている。
三年生に関しては、これもまた受験の関係で一月中に終えている。
97 :語らない冬 :2014/04/24(木) 15:14
 一、二年生を対象とした学年末考査は二日に分けて行われ、二年生は国語が最後の科目となる。
 国語は好きだ。もちろんラブではなくライクの方。
国語の問題は概して物語を用いて文章表現の理解度を測る。
つまり、問題にヒントや答えが隠されている。
好きな理由を聞かれたときまず思い浮かぶのはこれだ。
ただ、同じ文章でも状況次第で解釈は変わってくる。
あるいは掛詞のようにわざと二つの意味を持たせている場合もある。
その点、数学や理科ならば答えは一意に決まる。
理系科目が好きな人でこれを理由に挙げる人は多いだろう。
同じ数式から異なる答えが導かれたなら、きっと空も飛べるはず。
 そんなことを漫然と考えていたら、試験監督の先生の声が聞こえてきた。
「残り五分。しっかり見直ししとけよ」
 そういえばすっかり忘れていた。空なんて飛んでいる場合じゃない。
おもむろに鉛筆を手に取ると、二、三度くるりと回してから見直しに取りかかった。
98 :語らない冬 :2014/04/24(木) 15:15

 教室のスピーカーに小さくノイズが走り、その数秒後にテスト時間終了のチャイムが鳴った。
最後にもう一度だけ名前欄を確認する。工藤遥。大丈夫、名無しの権兵衛ではない。
多少字が崩れているが、書写の時間ではないので点数には影響しない。
 プリントが回収されていく。
手ごたえ的には、良くて八十点、悪くても半分は超えているだろう。
過去のそれと比較しても出来た方だと思う。
 枚数確認が終わると、先生はお疲れさまでしたとだけ言って職員室へと戻っていき、
それに続くようにみんなも廊下に出ていった。
この学校では、考査のときは必要最低限のもの以外はカバンに入れ廊下に置くことになっている。
もちろんこれは不正行為防止のためであり、
シャーペンを使わずに鉛筆を使うというのも同じ理由による。
 ハルも立ち上がり、カバンを取りに廊下に出る。学年末考査は終わった。
99 :語らない冬 :2014/04/24(木) 15:15
  2

 考査の時間は終わったがまだホームルームが残っていた。
とはいえそれも申し訳程度のもので、三十分とかからずに終わった。
 携帯の電源を入れる。時刻は十二時手前。メールが一件届いていたので開く。
『C組まで来てください』
 いつもなら向こうから来るのに呼び出しとは珍しい。
訝りながらも、別に不思議なことではないと納得し、こちらから向かうことにした。
 テストから解放されたのと、この時間から放課後というのが重なり、
C組教室に残っている生徒の数は少なくなかった。
それでも席順を知っているので目当ての人物を探すのに時間が掛かることはなかった。
メールの送り主、佐藤優樹の席は、奥から三つ目の一番後ろ。
近くまで寄り右手を挙げると、向こうも手を挙げて返した。
「ごめんね、返信できなくて。電源切ったままだった」
 ハルがメールを見たのはついさっき。しかし送られてきたのはそれよりもだいぶ前だった。
謝罪から入ったのはそのことで怒っているかも知れないと思ったからだ。
そしてその予想は当たっていたらしい。
「まさ、怒ってるの」
100 :語らない冬 :2014/04/24(木) 15:15
 だから今、と言おうとしたけれど、
まーちゃんは空いている隣の席の椅子を引き、ハルにそこに座るように促した。
仕方なく座るとまーちゃんはもう一度言った。
「まさ、怒ってるの」
 一瞬これが永遠続くのかとも思ったが、すぐにわかった。
まーちゃんは何か聞いてほしい話があるのだと。だからハルを呼び出したのだと。
だから訊く。
「どうしたの?」
「まさ、怒ってるの」
 二度あることは三度あるらしい。ハルは三度目の正直を期待したんだけど。
 しかし今回は続きがあった。
「今日のテストでね、なんとか思い出せそうな問題があったの。
それなのに急に頭が真っ白になって……。時計を見たら残り時間も少ないしさらに焦っちゃって。
ああ、どうして忘れちゃったんだろう。本当に腹が立つ。情けないよ」
 そして溜め息がこぼれる。
 どうやら怒っているのはハルにではなく、自分自身にらしい。高尚なことで。

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