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LIVE AGAIN〜孤独に怯えた桃子が優しさに溢れるまで

1 :セル :2017/12/28(木) 23:57
作者:セル
出演:桃子
千奈美
梨沙
舞美
俺 他
※この作品はフィクションです。
2 :セル :2017/12/28(木) 23:59
けっきょくまた書いてしまいました。
どうしてもももちから卒業できない私ですが、
おつきあいいただけると嬉しいです。
年明けから順次書く予定です。
3 :セル :2018/01/05(金) 23:00
開演前の雨が嘘のように晴れ渡った空。
月齢6日の月が、西南西の低い位置から会場を照らす中、
ファンからの愛を受信するアンテナを、そっとしまった桃子。
数日間の休養を終え、彼女は既に次の目標に向け始動していた。
いや、芸能界引退前から、忙しい仕事の合間を縫って準備をしていたので、
再始動といったほうが正確だった。

誘惑の多い自宅を離れ、図書館やファミレスで勉強にいそしむ桃子。
週一の割合で、大学生時代のゼミ仲間と勉強を共にした。
このゼミ仲間は、桃子の同級生で、卒業後に就職したが、
さらにスキルアップしたいという思いから退職し、今は入試に向けて勉強中だった。
くしくも、第一志望は桃子と同じ大学院で、仲間であると同時にライバルでもあり、
お互いに、良い刺激になっていた。
4 :セル :2018/01/05(金) 23:02
勉強は深夜に及ぶこともあり、そのときは心配した母親も合流した。
「私、もう子供じゃないよ。」
「お母さんからしたら、あなたはずっと子供なの。」
「恥ずかしいよ。」
そう言いながら、桃子は嬉しそうに笑みを浮かべた。
7年前とは異なる勉強内容に、若干の戸惑いはあったものの、
何事も計画的な彼女に抜かりはない。
はずだった。
桃子は、第一志望の院試に失敗した。
5 :セル :2018/01/05(金) 23:02
引退から試験日までの準備時間が足りなかった?
いや、それは関係ない。
桃子が通っていた大学の大学院には、
希望する幼児教育に関する専攻がなかった。
そのため、恩師の薦めた他大学の修士課程を受験した。
だが、学部学生として通った大学よりも、はるかに難しい難関校。
さらに、学内から修士課程へと進学を希望する学生も多数いた。
勉強量や実力で劣っていわたけではない。
しかし、大学が持つ個性という面で、それを知らない桃子はハンデを負っていた。
合格者との差は、わずかであった。

合格できなかったことについて、言い訳はしなかった。
これが自分の実力だと、家族に詫びた。
浪人して、次の機会を狙うという選択肢もあった。
だが、勉強に付き合ってくれた母親や、支えてくれた父と弟に対する自責の念、
さらには、年齢のこともあり、第二志望校へ進学する道を選んだ。
6 :セル :2018/01/05(金) 23:04
ビジュアルもいいし、愛嬌もあるし、運も持っている。
友人も知人も、お世話になった先生もいない大学院。
そんな環境でも、自分はきっとうまくやっていける。
桃子は、そう信じていた。
アイドルということもあって、学部学生の頃は、進んで友達を作ろうとはしなかった。
でも、今はもう違う。積極的に自分から話しかけるように努めた。

「嗣永桃子です。よろしくお願いします。」
「おぉ!」
どよめきが起こった一方、冷めた視線も桃子を凝視していた。
「ももち!」
一部の同級生や先輩は、そう呼んだ。
「もう、アイドルじゃないんだけれどな。」
桃子は、そう呼ばれることに抵抗があった。
しかし、雰囲気を悪くしたくないと思い、桃子はそれを受け入れた。
だが、一部以外の同級生や先輩は、それを苦々しく感じていた。
7 :セル :2018/01/05(金) 23:05
いちど根付いたイメージほど怖いものはなかった。
「キャラがウザい」
「頭がいいわけじゃないのに、先生にかわいがられている」
「『元アイドルに話しかけられて嬉しいでしょ。』と言わんがばかりの態度がイヤ」
「大してかわいくもないくせに、元アイドルだからって偉そうにしてる」
無論、桃子はそんな態度は取っていなかった。
しかし、特定の男性陣が桃子をチヤホヤしたこともあり、
それをやっかまれ、さらに敬遠され、状況は悪化の一途をたどっていた。
8 :セル :2018/01/05(金) 23:07
気が付くと、自分の周りは、
距離を置くか、付きまとうかの、両極端に分かれていた。
パワハラまがいに、異常にきつく当たってくる人もいた。
お金を持っているんだろうと、たかってくる人もいた。
色目を使ってくる人もいた。しかも、それは男性に限らなかった。
大学院に進学したはずなのに、勉強をするという環境ではなくなりつつあった。

そんなとき、専攻の懇親会に誘われたので、状況を変えるチャンスだと思い参加した。
しかし、酔った上級生に暴言を吐かれた。
「そうだそうだ!」と追随する同級生までいた。
桃子はぐっとこらえながら、
「そんなこと、おっしゃらずに。」と、ビールを注ごうとするも、
「おまえの酒なんか、まずくて飲めないよ。」と、拒否された。
「お酒の席での話だから。」
桃子は、そう自分に言い聞かせて耐え続けた。
「気にするなよ。」と、慰めてくれる人も、もちろんいた。
だが帰り道、慰めてくれた男性の1人に、ホテルへ連れ込まれそうになった。
桃子は泣きそうになりながら、必死に走って逃げた。
新月の夜、都会の空は一等星ですら弱々しく、暗闇の中に埋没しかけていた。

<つづく>
9 :セル :2018/01/07(日) 22:21
<つづき>

人間関係の悩みだけであれば、なんとかなったかもしれない。
しかし、人間関係に端を欲する動揺は、
研究にも支障をきたし始め、桃子を追い詰めた。
「なんで、こんなこともできないんだろう。」
なにをやってもうまくいかず、常に自分を責めるようになっていた。
桃子の精神の歯車は、少しずつ確実に狂い始めていた。
10 :セル :2018/01/07(日) 22:23
「みんな、今ごろどうしてるんだろう。」
かつての仲間の顔が、次々と思い浮かんだ。
同期も後輩も、芸能界で順調に活躍し、
また、新たなことに挑戦して、充実した毎日を送っていた。
学部時代の指導教員は、いろいろと気にかけてくれたが、
それも、気休め程度にしかならなかった。

一緒に受験したゼミの同期とは、入学後も連絡を取り合っていた。
研究内容や大学院の雰囲気など、いろいろと情報交換をした。
「参考になるわ〜。」
当初はそう思っていた桃子だったが、いつしか同期からメッセージが、
自分を見下しているように思え始めた。
どんな話をされても、なにか自慢話のように聞こえた。
同期は、第一志望に合格していた。
「あの子が受けていなかったら、きっと私が合格してたのに。」
桃子は卑屈になり始めていた。周りのすべてが敵に見え始めていた。
11 :セル :2018/01/07(日) 22:24
「みんな、今ごろどうしてるんだろう。」
かつての仲間の顔が、次々と思い浮かんだ。
同期も後輩も、芸能界で順調に活躍し、
また、新たなことに挑戦して、充実した毎日を送っていた。
学部時代の指導教員は、いろいろと気にかけてくれたが、
それも、気休め程度にしかならなかった。

一緒に受験したゼミの同期とは、入学後も連絡を取り合っていた。
研究内容や大学院の雰囲気など、いろいろと情報交換をした。
「参考になるわ〜。」
当初はそう思っていた桃子だったが、いつしか同期からメッセージが、
自分を見下しているように思え始めた。
どんな話をされても、なにか自慢話のように聞こえた。
同期は、第一志望に合格していた。
「あの子が受けていなかったら、きっと私が合格してたのに。」
桃子は卑屈になり始めていた。周りのすべてが敵に見え始めていた。
12 :セル :2018/01/07(日) 22:25
「行ってきます。」
桃子は、いつものように家族に向かって元気にあいさつし、出発した。
いつもどおり最寄駅に到着し、通学定期を使って改札を通る。
いつもの決まった電車、決まった車両に乗り込む。
そして、いつもの乗換駅で降車・・・、をせず、今日はそのまま終点まで乗った。
終点は巨大ターミナルで、在来線のほかに、多くの特急列車も停まっている。
桃子は、行き先も確認しないまま、発車ベルの鳴る特急の自由席車両に飛び乗った。
車掌が切符の確認に来る。もちろん、そんなものは持っていやしない。
「すみません、買いそびれちゃって。終点までの乗車券と特急券をお願いします。」
車掌が機械を操作し、切符を発券するが、
その姿は、まったく桃子の目には入っていなかった。
この日、桃子は家出した。
13 :セル :2018/01/07(日) 22:26
「嗣永さんから、なにか連絡あったか?」
指導教員の声が、セミナー室に響いた。
「連絡先なんて知らないし、私も教えていません。」
桃子を毛嫌いする、1人のゼミ生がぶっきらぼうに答えた。
「なんだよ。今日のリポート発表、あいつだろ。」
「サボりか。ほんと、なんなんだろうね。」
桃子のことをよく思っていない他のゼミ生も、吐き捨てるように言う。
「ちょっと待って。きっとなにかあったんだよ。」
別のゼミ生が発したその言葉を、
「困ったやつだな。最近、返信すらよこさないし。」と、
怒気を含んだ指導教員の一言がかき消した。
桃子の学部時代の指導教員と共同研究を一緒にしたことがあり、
よろしくと頼まれていたので、なるべく目をかけるようにしていたこの指導教員も、
徐々に不快感を覚え始めていた。
14 :セル :2018/01/07(日) 22:27
「ここ、どこだろう。」
桃子は見慣れない風景を前にして、ポツリとつぶやいた。
自分がふだん見ない地名行きの列車やバスに、ひたすら乗り込んだ。
何回乗り換えたかすら、もう覚えてはいなかった。
空が暗くなり、自分は家出したんだと、ようやく自覚した。
うっすらと化粧をした両頬には、湧水が岩肌を流れたような何本もの線が走っていた。
その時、おなかの鳴る音が響いた。
家を出てから、なにも口にしていないことに気付いた。

駅の近くには、個人経営の商店が数軒あるだけで、
どこも既に閉店していた。
ただ1軒、ちょうどシャッター閉めようとしていた店に、
「すみません。お水と食べ物を買わせてください。」と言って飛び込んだ。
「たいしたもんは、残ってないよ。」
店じまいを邪魔された初老の女性が、ややとげとげしく声をかけた。
桃子は水とパン、そして、さきいかを購入し、店を飛び出すように離れた。

<つづく>
15 :名無し飼育さん :2018/01/09(火) 09:00
2ちゃんみてきたよ
また書いてくれるんだ
楽しみにしてるんでよろしく
16 :セル :2018/01/11(木) 22:53
<つづき>

学校帰りの高校生だろうか。
「え?あれ、ももちじゃない。」
彼らから、そんな言葉が発せられた。
桃子は、聞こえないふりをして下を向き、小走りに逃げた。
どれくらい歩き回っただろう。
最終便が終わった、誰もいないバス停のベンチに腰を下ろし、一気に水を飲み干した。
この屋根つきのバス停のベンチに敷かれた、やや埃をかぶった座布団が、
とても温かく感じられた。
パンとさきいかを頬張ると、それらが口の水分を一気に奪い、再び激しい渇きに襲われた。
桃子は近くに公園をみつけ、水飲み場で喉を潤した。
「・・・座布団」
桃子はそうつぶやくと、バス停へ戻り、座布団を抱きしめるように眠りについた。
雲の切れ間から一瞬のぞいた流れ星は、またすぐに雲の向こうへと消えていった。
17 :セル :2018/01/11(木) 22:55
みんな、私に気付いてる。
だらしない格好を見て、嘲笑している。
強迫観念にかられた桃子は、常に下を向き、人の声に怯えながらすごした。
「ももちだ!」
大好きだった子供たちに声をかけられても、泣きながら逃げた。
スーパーの見切り品で空腹を満たし、
人目につかないよう安宿に泊まり、時には無人の神社や廃屋で雨露をしのいだ。

ある日、桃子は山中の農村をさまよっていた。
陽は傾き、そう遠くない空では雷鳴が轟いている。
その刹那、いくつか先の山に、稲妻が落ちた。
「ひっ」
そう悲鳴を上げると、すぐ近くに見えた廃屋の中に逃げ込んだ。
「おなか、すいたな。」
昨晩買った菓子パンの残りの半分を今朝食べてから、なにも口にしていなかった。
すると、雨音が屋根をたたき始める。
最初は、ぽつぽつとゆったりとした旋律を奏でていたが、
ほどなく、それは轟音に変わり、もはや騒音以外の何物でもなくなっていた。
18 :セル :2018/01/11(木) 22:56
先日、とある家の玄関前に、「ご自由にどうぞ」と置かれていた不用品の中からもらった、
くたびれたバックパックから、こちらは箱入りの新品だったバスタオルを取り出し、
桃子はそれにくるまった。
バスタオルは、すでに泥や砂で汚れ、汗くさくなり始めていた。

「うーん。」
桃子はうなされていた。
これは、既に日常となっており、毎朝の目覚めはいつも最悪だった。
だが、今日はいつにも増してひどい気分だった。
激しい地震に襲われたように、ひどく目が回り始めた。
「こんなの、夢でも嫌だ。」
“はっ”と目を覚ますと、見知らぬ老婆が桃子をゆすっていた。
19 :セル :2018/01/11(木) 22:58
「おい、どうした。大丈夫か。なんでこんなところで寝てるだ。」
“???”
「雨が上がったのに、変な音が聞こえると思ったら。」
「え?あっ。」
桃子はすっとんきょうな声を上げ、飛び起きた。
廃屋かと思い寝ていたこの場所は、
既に使われなくなった古い蔵で、今は納屋になっていた。
薄暗い裸電球に照らされたその空間には、いくつかの農具が置かれていた。

「ありゃ。なんでこんなかわいいぼこが寝てるんだ。」
落ちたタオルからのぞいた桃子の顔を見て、老婆は驚いた声を発した。
「ご、ごめんなさい。てっきり誰もいないかと思って。」
桃子はあたふたしながら老婆に答えた。
「こんなところで寝てたら、風邪ひくぞ。」
そう言うと、老婆は桃子の肩を強めにたたき、ついてくるように促した。
廃屋と思ったその納屋の隣には、年季の入った小さな家が建っていた。
20 :セル :2018/01/11(木) 23:00
「いつから、あそこで寝てたんだ。」
「夕立が降り始めたのは、記憶にあるんですけれど。」
「そうか。じゃあ、おれが仕事終えたすぐ後に来たのか。」
「ごめんなさい。勝手に入り込んじゃって。」
「気にすんな。雨宿りしたかったんだろ。しかし、またなんでこんな所、子供1人で。」
「1人旅してるんです。」
桃子はとっさに嘘をついた。
「そうか。大したもんだな。」
「そんなことないです。あと、私、子供じゃありません。26歳ですし。」
桃子がそう言った直後、“ぐぅ”と大きな音が鳴り響いた。
「腹へってんのか?育ち盛りだもんな。」
そう問いかける老婆に、桃子は下を向いて恥ずかしそうにした。
「残りもんだが、よかったら食いな。」
そう言って老婆は、ご飯に味噌汁、焼き魚と漬物を用意してくれた。
21 :セル :2018/01/11(木) 23:02
それまでかしこまっていた桃子だったが、
食事を目の前にすると、飢えた猛獣のように料理をむさぼった。
「おうおう、そこまで腹をすかせてたのか。」
老婆はそう言うと、あいた茶碗にご飯を山盛りによそい、
それを“ドンッ”と桃子の前に置いた。
おなかが膨れ落ち着きを取り戻した桃子は、
「あ、すみませんでした。お行儀悪くって。」
そう言いながら、おかわりの茶碗に手を伸ばし、それもあっという間に平らげた。
22 :セル :2018/01/11(木) 23:03
「ごちそうさまでした。」
桃子は箸を置き、手を合わせた。
「明日の朝飯がなくなっちまった。また、炊かんとな。」
「ご、ごめんなさい。」
老婆は茶碗や皿をまとめると、台所へ運んで行った。
「あ、私が片付かますから。」
「いいよ。ゆっくりしてろ。」
「でも。」
「それじゃあ、米を研いでおいてくれるか。
1合でいいかと思ったが、さっきの食いっぷりだと3合はいるかね。」
「すみません。さっきは、はしたなくて。ふだんはそこまでは食べないので。」
「じゃ、2合頼む。」
「はい。」
23 :セル :2018/01/11(木) 23:04
米びつには、なんとも懐かしい1合升が放り込んであった。
桃子は、お釜に升2杯の米を入れて蛇口をひねると、その水がすぐに白濁した。
「これは、無洗米じゃないな。」
桃子は研ぎ汁をみて、すぐに理解した。
それくらいの炊事はできるようになっていた。
すぐにざるにあけ、米をもう一度お釜に戻すと、シャリシャリと研ぎ始める。
「いい手つきだな。」
老婆が褒めた。
「そんなこと。」
「いやいや、上手だよ。どうもありがとう。」
そう言うと、老婆はお釜を電子ジャーにセットした。

「風呂に入んな。」
「え?おばあちゃんは、もう入ったんですか。」
「おれは、後でいい。」
「ダメです、そんな。」
「汚いんだよ。早く入ってもらわねえと困る。」
本心で言っているわけではない。そのことを、桃子はすぐに理解した。
「それじゃあ、一緒に入りますか?お背中、お流しします。」
「確かに、そのほうが効率的だな。」

<つづく>
24 :セル :2018/01/14(日) 22:12
<つづき>

老婆は、背中を流してくれている桃子に尋ねた。
「急ぐ旅なのか?」
「いえ。ゆっくりとあちこちをまわっているので。」
「そうか。じゃ、しばらくここにいて、仕事を手伝え。」
「え?」
「ちょうど収穫なんだ。若いのに手伝ってもらえると助かる。」
「・・・、はい。」
桃子は戸惑いつつも返事をした。
しかし、内心、喜びを感じていた。
「自分を必要としてくれている。」
久しぶりに、1人の人間として、自分の存在意義を見出せたような気がした。
25 :セル :2018/01/14(日) 22:13
桃子が、背中をお湯で流すと、
「よし、お礼におれも洗ってやろう。」
そう言って老婆は、桃子を椅子に座らせた。
“ゴシッゴシゴシ”
「いたたたた、おばあちゃん、痛い。」
「こんなやわっこい肌して、こんなんで畑仕事ができるか。おれが鍛えなおしてやる。」
桃子の悲鳴は、しばらく鳴りやまなかった。

「こっちの部屋で休みな。狭いけれどな。」
ももひきとシャツを借りた桃子は、老婆に促されるまま床に就いた。
まだ背中がヒリヒリと痛むが、桃子はなにか幸せな気持ちになっていた。
隣の部屋から、老婆の大いびきが聞こえてきた。
「もう、おばあちゃんたらすごいいびき。これじゃ眠れないかも。」
そう言い終わるか終らないかのうちに、桃子も小さな寝息をたてはじめた。
26 :セル :2018/01/14(日) 22:13
「おはようございます。」
桃子はふすまを開けるとあいさつをしたが、そこに老婆の姿はなかった。
「あれ?いない。」
油断して、“ふぁ〜あ”と大きなあくびをすると、
「おい、これを着な。」と言う声が、すぐ横から突然響いた。
「あっ、ぐ。」
桃子は慌てて口を閉じたものだから、危なく舌を噛みそうになってしまった。
「あ、おばあちゃん。起きてたんですね。おはようございます。」
「おはよう。昨日の飯の時よりも、大口開いてたぞ。」
「すみません。」
桃子はとっくに閉じた口を、思わず両手で覆った。
27 :セル :2018/01/14(日) 22:14
「朝飯にすんぞ。着替えたら、すぐに台所に来い。」
そう言うと、老婆は持っていた服を、桃子に投げつけるように渡した。
「あ、ありがとうございます。」
「おれが昔着てたやつだからな。大きさ、合わないかもしれんぞ。」
「あの、私が着ていた服は?」
「洗ったぞ。汚れてたし、ずいぶんと臭かったからな。」
見ると、軒先に桃子の服一式とバスタオルが
洗剤の香りに包まれて、ピンチハンガーにぶら下がっているのが見えた。
「え、あ、すみません。」
感謝の気持ちと同時に、
自分のブラジャーやパンティーが無造作に干されていて、少し恥ずかしい気持ちになった。

<つづく>
28 :名無し飼育さん :2018/01/15(月) 08:46
お、きてた。
今回は更新ゆっくりめなのかな。
なんかももちがたいへんなことに。
楽しみにしてるんでよろしく。
29 :セル :2018/01/17(水) 23:34
時間が取れた時にアップしてます。
気長にご覧いただけると嬉しいです。
30 :セル :2018/01/17(水) 23:35
<つづき>

「お待たせしました。お手伝いします。」
「もうできてるから、持ってってくれ。」
「あ、はい。そうだ、服、ピッタリでした。」
「そうか。おれも以前はおまえのような体してたってこったな。」
「あはは、そうですね。あ、いえ、今もスタイル抜群ですよ。」
「お世辞なんて言われても、嬉しかあねえぞ。」
そう言いながらも、老婆がにっこりとほほ笑む姿を見て、
桃子にはたまらなく幸せな気分になった。
「「いただきます。」」
昨晩と、なんら変わらない献立の朝食。
唯一の違いは、サケの塩焼きがアジの開きになっていたことだけだった。
今日の桃子は、昨晩とは打って変わり、上品に(なったつもりで)食べた。
31 :セル :2018/01/17(水) 23:36
「畑に行くぞ。その自転車に乗ってついて来い。」
「はい。」
リヤカーが取り付けられた自転車を、農道をゴトゴトと音をさせながらこいでいく。
老婆の歩くペースに合わせて10分ほど行くと、
決して広くはないが、よく手入れされた畑に着いた。
桃子が自転車から降りると、もう老婆は収穫に取りかかり始めていた。
いんげん、そらまめ、枝豆、里いも、レタス、なすに小松菜と、
実にいろいろなものが植えられていた。
「私もやります。」
桃子が手伝いを申し出ると、
「やり方、分かんのか?」と、ぶっきらぼうに老婆が答えた。
「いえ。えっと、分かりません。」
「じゃあ、そこで見て覚えろ。」
老婆は驚くべき速さで土を掘り起こし、次々と根菜を収穫していく。
桃子は唖然とし、手伝うのをあきらめて、掘り起こされた根菜をリヤカーに積んだ。
「なんだ、やらねえのか。こっちはそんな難しくないからやってみろ。」
老婆は、桃子にレタスと小松菜の収穫を任せた。
32 :セル :2018/01/17(水) 23:37
「なんだ、そのへっぴり腰は。」
“パーン”
老婆が勢いよく桃子のお尻をたたくと、すばらしくいい音が鳴り響いた。
「いたた。」
桃子は叩かれたお尻よりも、腰の痛みで悲鳴を上げた。
「立派なケツしてんな。いい子をたくさん産めんぞ。」
老婆はカラカラ笑った。
「も〜。」
桃子は、半笑いで答えた。
33 :セル :2018/01/17(水) 23:38
「さ、帰るぞ。」
「あ、もうですか?」
「昼過ぎっと、暑くなるからな。」
野菜をたくさん積んだので、復路は往路よりもかなりきつかった。
いや、野菜の重みだけではなく、畑仕事の疲労が、既に桃子を襲っていた。
行きは、老婆が歩くのに合わせてゆっくりと自転車をこいだが、
帰りは自分のペースと老婆のペースがちょうどよくなっていた。
「おばあちゃん。普段は自分で運んでるんですか?」
「そうだ。と言いたいところだが、実は先月転んじまってな。
大したケガじゃなかったんだが、医者に止められて、
それから自転車には乗ってなかったんだ。」
「そうだったんですか。ケガが大したことなくて、本当に良かったですね。」
「恥ずかしいったらありゃしねえ。ま、それからは村の若い奴らが、
ときどき自動車で手伝ってくれてるんだが、あいつらも仕事があっからな。
いつもというわけにはいかんだろ。」
「そうですよね。」
34 :セル :2018/01/17(水) 23:39
「おまえさんが手伝ってくれて、ほんとに助かるよ。」
老婆は笑顔で桃子に礼を言った。
家に帰ると、2人で握り飯をほおばった。
塩と梅干だけのおむすびがこんなにおいしく感じられたのは、
桃子の人生で初めてのことだった。
ちょうど食べ終わる頃、1台の軽トラックが庭に入ってきた。
「ばあさん、今日はずいぶん収穫できたんだな。」
「おう。もう大丈夫だぞ。」
「じゃ、持ってくわ。」
そう言うと、軽トラックに乗っていた中年男性は、
無造作にリヤカーから野菜を荷台に積み込み、去って行った。
35 :セル :2018/01/17(水) 23:40
「近くに、近くと言っても車で15分くらいかかるんだが、直売所があってな。
そこで売ってもらってるんだ。」
「そうだったんですか。あんなにたくさん、どうするのかと思って。」
桃子は納得の表情を見せる。
「以前は農協に卸す前に、きれいに水洗いして、形の悪いのは家で食ってたんだが、
最近は、泥がついているほうが新鮮でいいっていう客が多いみたいでな。
形が悪いのも買ってってくれるみたいだし、洗う手間も省けて楽させてもらってる。」
「形がどうでも、おいしさに変わりはないですもんね。」
桃子がそう言うと、
「そうだ。ちょっと曲がってるだの、小さいだのって、
うるせえこと言うやつが多すぎるんだ。どれもうめえのに。
ま、みんなようやく気付いたってことじゃねえか。」と、老婆は嬉しそうに答えた。

<つづく>
36 :名無し飼育さん :2018/01/19(金) 08:49
ももち おうちに帰りなさ〜い
37 :名無し飼育さん :2018/01/19(金) 16:55
あまりにも可愛そうな展開でビビってたけど初期から見てるよ
幸せになることを願ってます
38 :セル :2018/01/20(土) 23:12
レスありがとうございます
読んでくださっている方がいるとやはりうれしいですね
今回は「不安」や「孤独」をテーマに書いてみました
完結まではまだしばらくかかりますがよろしくおつきあいください
気が向いたらまたコメントをいただけると幸いです
39 :セル :2018/01/20(土) 23:19
<つづき>

午後は昼寝をしたり、本や新聞を読んだり、テレビを見たりしてゆっくりと過ごしたが、
やや日が傾いて気温が下がり始めた頃、
「ほら、牛作るぞ、手伝え。」と、老婆が突然、なすを桃子に差し出した。
「え?牛って、これ野菜じゃ・・・。」
「ほら、おがらを切って刺すんだよ。分かんだろ。」
「えっ、えっ?」
「明日からお盆だろうっての。まさかそんなことも知らんのか?」
老婆は、あきれた表情で桃子をたしなめた。
「え?あ、そうか。お盆か。すみません、作ったことなくって。」
「なんだ、まったく。おまえにはご先祖様がいないのか?そんなわけねえだろ。
クリスマスだの仮装だのバレタンダーだの、外国の真似ばっかしてないで、
ちゃんと神様や仏様を大事にしねえとダメだぞ。」
「すみません。あと、バレタンダーじゃなくって・・・、」
「なんだって?」
「あ、いえ、なんでもありません。」
桃子は、ちょっといらついている老婆に説明するのをやめ、苦笑いしながら頭をかいた。
「教えてやっから。ほら、持ってみ。」
桃子の手を取り、一から作り方を教えてくれる老婆。
「送るときはキュウリで馬作るからな。忘れねえで、ちゃんと覚えておけよ。」
そんな会話をしながら、仏壇に供え物をして準備を終えると、一緒になって手を合わせた。
40 :セル :2018/01/20(土) 23:20
「よし、できたな。今日は畑仕事で汗かいたし、晩飯前に風呂にへえるぞ。」
「はい。」
昨日のお返しとばかりに、桃子は老婆の背中を思い切りこすりあげた。が、
「なんだ、もっと力こめて洗え。」と、逆に叱られてしまった。
「おれもやってやる。」
老婆が手拭いに石鹸をこすりつける。
「あ、いや、その。今日は、ちょっと。」
「なに言ってんだ。そら、遠慮すんな。」
「イタタタター。」
今日も、桃子の悲鳴が浴室に響いた。
41 :セル :2018/01/20(土) 23:21
夕食は、ご飯に味噌汁、漬物にメザシ。
そして、今日は小松菜のおひたしに、根野菜の煮物もあった。
「すみません。ご飯と味噌汁しかお手伝いできなくて。」
桃子は、恥ずかしそうに詫びた。
「漬物も切ってくれたろ。切れずにつながったままのもあるけんどな。」
そう言って、たくあんを箸で一切れつかみあげると、
端っこがつながったたくあんが、4〜5切れ一緒になってくっついてきた。
「あぁ〜。」
それを見た桃子は、顔を赤くして頭を抱えた。
「ま、練習すればすぐだ。」
老婆は、桃子を慰めた。
42 :セル :2018/01/20(土) 23:21
「味噌汁、うめえぞ。出汁の取り方、分かってるな。」
「はい。練習しました。
昔は出汁のこと、『だっしる』なんて言っちゃったこともあるんですけど。」
「なんだ、そりゃ。」
老婆は大笑いした。
「おひたしも煮物もおいしい!」
「今度作り方、教えてやるよ。」
「はい。」
まだ、この家に来て2日目だが、
桃子は、久しぶりに心の底から楽しい時間を過ごしていた。
43 :セル :2018/01/20(土) 23:23
4日間のお盆は、あっという間に終わった。
迎え火や送り火のやり方を初めて教わり、
「ほら、まだ玄関閉めんな。仏さま、家に入ってきてねえかもしれねえぞ。」
「お坊様に早くお茶出せ。気が利かねえな。」
「とっとと閉めろ。仏さんが戻ってきて居座ったらどうすんだ。」
などと小言を言われた。
桃子は、幸せな時間を過ごしていた。

再び、日常生活に戻る。
農作業を手伝い、午後はゆっくり過ごし、風呂に入りおいしい食事をいただく。
そんな生活の中、精神的な不安が消えたわけではないが、
農作業にも慣れ始め、安息の日々を送っていた。
44 :セル :2018/01/20(土) 23:25
そんなある日、いつもとは違う若い男が、軽トラックでやってきた。
「今日はおやっさん来れねえってからさ、代理で俺が来たよ。」
「おお、そうか。助かるよ、ありがとうな。」
「今日で、おしまいだろ。」
「そうだな。収穫も一段落したからな。」
「ん?あ、そうか、今日は。」
若い男はなにかに気付いた様子だった。
「なんだ?」
「いや、供え物が、今日は立派だから。」
「そうだな。」
「ちょっと、手を合わさせてくれ。」
45 :セル :2018/01/20(土) 23:25
当初、軽トラックが来ると、桃子はとっさに隠れていた。
だが、それも最初のうちだけで、
ある日、いつものおじさんが桃子に気づいたが、
「遠い親戚の子だよ。」と、老婆が紹介すると、
特に関心も示さず、あいさつされるだけで済んだ。
そのことで安心し、それからは、家の中で普通に過ごすようになっていた。

桃子も、仏壇のお供え物が多いなと思いながら、ふだんどおり家の中にいた。
しかし、その時、「あれぇ?」というすっとんきょうな声が、
桃子と目が合った若い男から発せられた。
「どうした。」
老婆はいぶかしがって尋ねた。
46 :セル :2018/01/20(土) 23:27
「おやっさんから、親戚の子がいるとは聞いてたけれど。」
その声を聞いて、桃子は慌てて柱の陰に隠れた。
だが、若い男は縁側から上半身を家の中に突っ込み、桃子の顔をしげしげと見た。
顔を背ける桃子に対して、
「やっぱり、ももちじゃん。なんでばあちゃんちにいんだ?」
と、若い男は興味深そうに問いかけた。
「だから、遠い親戚だって言ってんだろ。
油売ってねえで、とっととやることやって行け。」
なにかを察した老婆が、若い男性を追い払うように言った。
「んだよ、わざわざ野菜取りに来てやったのに。ま、いいや。また来っからさ。
そんときゃ、サインでも頼むよ。
あと、若い連中で集まって酒盛りもやってるから、今度誘うよ。じゃあな〜。」
そう言うと、野菜を積み込んで去って行った。

<つづく>
47 :セル :2018/01/21(日) 22:50
<つづき>

「おい、仏壇に手を合わせんじゃなかったのか。」
老婆はそう言いかけたが、桃子の姿を見て、
家には上げないほうがいいと思い、口を閉じた。
むろん、悪気があるわけではない。彼からしたら、
いつもと変わらない、普通の態度だった。
だが、桃子にとっては、その言動がひどく苦痛で、
癒え始めた心の傷が、また開いて痛み始めた。
48 :セル :2018/01/21(日) 22:51
桃子は、今日もいつもと同じように風呂で老婆に背中を流してもらっていた。
“ゴシゴシゴシ”
「私、そろそろ出発したいと思います。」
桃子は、悲鳴をあげることもなく、淡々と老婆に切り出した。
「寂しくなるな。」
老婆は、今日のことがあったからといって、特に桃子のことを詮索することはしなかった。
桃子がなんであろうと、自分にとって孫のような存在であることは変わらなかった。
ずっと一緒にいてくれたらと、本気で考えていた。
「すみません。突然で。」
「畑の片付けに、もうちょっとかかる。
おまえさんも準備もあるだろうし、もう2〜3日はいてくれねえか。」
老婆の訴えに、桃子は少し考えてから、
「わかりました、そうします。」と、答えた。
「来週、祭があんだが、それは無理そうだな。」
「ごめんなさい。」
49 :セル :2018/01/21(日) 22:51
夕げの食卓。
桃子がこの家で世話になるようになってから、初めて老婆は酒を出した。
桃子も少し口に含む程度だが、それに付き合った。
これまで、お互いの身内に関する会話をしたことは一度もなかったが、
初めて、老婆は自分の家族にについて語り始めた。
50 :セル :2018/01/21(日) 22:53
「どれくらい前になっかな。」
「はい。」
「おれには、3人の子がいるんだよ。」
「そうなんですか。今はどちらに・・・」
「いや、『いた』と言ったほうが正しいな。」
「・・・」
「みんな、山や畑の仕事をしてた。ある年、長雨が続いてな。」
「ええ。」
「心配になって、息子たちは手分けして様子を見に行ったんだ。」
「3人とも、男のお子さんだったんですか?」
「そうだ。でも、いつまで待っても誰も戻ってこねえ。」
「そうしたら、山津波があったって。」
「山津波?」
「山の斜面が崩れ落ちることだ。土砂崩れって言ったほうが分かるか?」
「分かります。」
「車で行ったから大丈夫だと信じてたんだが。でも、みんな流されて土の中に埋まってた。」
「でも、皆さん別行動されてたんじゃ。」
「そのはずだったが、どこかで落ち合って、一緒になったんだろうな。」
51 :セル :2018/01/21(日) 22:54
「そうだったんですか。すみません、なんと言っていいか。」
「気にすんな。おまえのせいじゃねえよ。」
「ごめんなさい。」
「爺さんは、足をケガしてて家にいたから平気だったが、本当に悔やんでな。
『俺が1人で行ってればみんな助かったのに。』って。
そんな爺さんも、一昨年あの世に行っちまった。」
「それで、一人暮らしされていたんですね。」
「でも、長男には嫁がいてな。孫もいんだぞ。男の子だ。
ただ、ここじゃ食い扶持がねえから、町に行っちまった。
小さい子を抱えた嫁に、山仕事は無理だからな。畑は小せえし。」
「お嫁さんとお孫さんは、今は?」
「以前は、命日の頃には来てたんだが、孫も就職して忙しくなったし、
嫁も再婚したからな。」
「そんな。」
52 :セル :2018/01/21(日) 22:57
「勘違いすんなよ。おれが再婚しろってすすめたんだ。
でも、嫁のやつ、子供の父親は死んだおれの息子だけだからって言って。」
「お子さんのことを、考えていたんですね。」
「ああ。で、孫が自立して、やっと再婚しやがった。もっと早くすりゃあいいものを。
そんでも、今でもときどき、墓参りには来てんぞ。」
「よかった。」
「昔は、おれも大酒のみだったが、
子供達を亡くしてからは、供養も兼ねて命日だけ飲むようにしてる。」
「え?じゃあ、ひょっとして。」
「そうだ。今日が命日だ。」
「それで、仏壇にたくさんのお供え物を。」
「おまえが来てくれてから、なんか子供と孫とが一緒にいてくれているような、
そんな気持ちになれてな。」
その話を聞いた桃子は、自分もおばあちゃんの役に立てていたんだと思い、
胸が詰まる思いだった。
ただ、そのことについて、なにかを伝えようとはしなかった。
いや、話すことができなかった。
53 :セル :2018/01/21(日) 22:58
「今日はちょっと飲みすぎた。悪かったな、片付けをやらしちまって。」
「いえいえ、これくらい。」
「そうか。じゃ、また明日も早いから寝っぞ。おやすみ。」
「おやすみなさい、おばあちゃん。」
「ああ。桃子もゆっくり休め。」
「え?」
いつもは、「おまえ」と呼ぶ老婆が、初めて「桃子」と呼んだ。
桃子は、驚きを隠せなかった。そして、目を閉じ、小さくうなずいた。

隣室から、老婆のいびきが鳴り響き始めた。
桃子は酒を飲んだにもかかわらず、まったく眠気がなかった。
「もうあと2〜3日。」
そんな話をしておきながら、桃子は夜明け前に、
部屋の隅に置いたリュックとわずかな荷物を手に取った。
照明はつけず、窓から入るわずかな光だけを頼りに荷物をリュックに詰めようとすると、
スルッと、なにかがこぼれ落ちた。
桃子は、こぼれ落ちたそれがなにかを確認もせず、無造作にリュックに詰め込んだ。

<つづく>
54 :名無し飼育さん :2018/01/22(月) 08:49
そのままおうちに帰りなさいね
ももちが心配で心配で
55 :名無し飼育さん :2018/01/24(水) 09:01
飼育復活したんだな
よかったよかった
ちゃんとももちが幸せになってくれるのを見届けないと
56 :名無し飼育さん :2018/01/24(水) 12:59
復活おめ
続きをよろしく
今まで全部ハッピーエンドだったし信じてるよ
57 :セル :2018/01/25(木) 04:21
再開したんですね
また今晩からアップしたいと思いますのでよろしくお願いします
58 :セル :2018/01/25(木) 23:28
<つづき>

「ありがとうございました。さようなら、おばあちゃん。
ちゃんとあいさつもしないで、ごめんなさい。」
桃子は、しばらく世話になった家に向かって、深々とお辞儀した。
体を起こすと、満月の明かりがまぶしいくらいに輝いていることに気づき、
「そういえば、さっきこぼれ落ちた物はなんだったんだろう。」と、急に気になりだした。
初めてここへやってきた日、廃屋と思い忍び込んだ納屋の脇にしゃがんで、
リュックの中を確認すると、それは封筒だった。
「気を付けて行きな。なにがあったか知らないが、人生捨てたもんじゃない。
あと、よかったら、これを使え。」
中には、そう書かれた手紙と、特徴的なキーホルダーのついた小さな鍵が入っていた。
その鍵は、桃子が農作業を手伝った際に使っていた自転車のものだった。
「いつもさしっぱなしで、鍵なんてかけたことがなかったのに。」
桃子は溢れそうになる涙をこらえるため、月を見上げた。
59 :セル :2018/01/25(木) 23:29
「桃子、短い間だったけどありがとうな。楽しかったぞ。」
手紙の最後には、そう書かれていた。
桃子は、改めて家に向かって、老婆に対して頭を下げた。
そして、自転車にまたがると、畑の前を通り過ぎ、
そのまま、まっすぐと自転車をこぎ進めていった。
東の空が少しずつ白みだす中、桃子は月に向かってペダルを踏んだ。
「負けんじゃねえぞ。」
布団の中で、老婆はそう言って涙を流していた。
60 :セル :2018/01/25(木) 23:32
夜がすっかり明け、山をいくつか抜けたところで、桃子は河原に自転車を停めた。
なにも口にせず飛び出したので、のどはカラカラになっていた。
「川の水、飲めるかな?」
この段階になって、桃子は初めてリュックが思った以上に重いことに気づいた。
荷物を引っ張り出すと、
底にアルミホイルの包みと、ぽち袋を見つけることができた。
アルミホイルの中には、握り飯が入っていた。
荷物の重みでつぶれ、中の具材がはみ出していたが、それが梅干しだと分かり、
口の中に唾があふれ、のどの渇きが抑えられた。
ぽち袋の中には、しわしわになった1万円札と5千円札が1枚ずつの他、千円札が7枚、
そして、「手伝ってくれてありがとう。大切に使うんだぞ。」と書かれたメモが入っていた。
「おばあちゃん・・・。」
桃子は、目から涙をこぼしながら、握り飯をほおばった。
「しょっぱい。」
涙が加わった塩分多めの握り飯を、一口一口、噛みしめながら食べ進めた。
61 :セル :2018/01/25(木) 23:34
ようやく漆黒のトンネルに光を見出しかけたときに、
再びその穴をふさがれた桃子。
人と目が合うことに、まだ恐怖を抱いていた。
あれから、何日経っただろうか。
途中、タイヤから空気が抜けたり、チェーンが外れたりして、
必死になって自転車を押したこともあった。
でも、自転車を捨てようとは、絶対に思わなかった。
そんなとき、決まって助けてくれたのは、老人だった。
「これはパンクじゃないな。虫ゴムだ。ひっくり返しておいたから、しばらくはもつよ。」
「油が全然なくなってる。さしといたから、チェーンは早めに交換しな。」
なんのことだか、桃子にはさっぱり意味が分からなかった。
ただ、その優しさに、感謝せずにはいられなかった。

老婆の家を出てから10日あまり、桃子は、とある港に辿り着いた。
そして、乗船券売り場の行先欄に、懐かしい文字を見つけた。
「そこに行くんだ。」
桃子は、誰かにそう言われているような気がした。
62 :セル :2018/01/25(木) 23:38
「沖縄行きのチケットをお願いします。」
桃子は窓口の担当者に伝えた。
「どの等級にします?」
「等級?」
職員の問いかけの意味が、桃子には理解できていなかった。
「1等と2等があって、1等が個室、2等は2段ベッドか和室の大部屋です。
2等は学割もありますよ。」
「個室があるんですね。あ、でも高いな。2等も、2段ベッドのほうが高いのか。」
「2段ベッドはカーテンがついているので、ある程度プライバシーも保護されますよ。
洗面所がついているほうがお高いですが。あと、和室はただの大部屋です。」
「じゃあ、2段ベッドの安い方にします。」
「はい、ありがとうございます。自転車などの持ち込み品はありますか?」
「自転車が1台。」
「では、21,480円です。」
「クレジットカードは使えますか?」
「あいにく、現金のみのお取り扱いです。」
これまでの放浪で、現金をほぼ使い切ってしまっており、
財布の中には1000円札が1枚と小銭が入っているだけだった。
63 :セル :2018/01/25(木) 23:38
「ちょっとお金をおろしてきます。近くに銀行は?」
「4〜5分歩いたところにコンビニがありますけれど、もう、乗船手続き、終了しますよ。」「えっ。次の便は何時ですか?」
「4日後です」
「???4日後?!」
「どうなさいますか?」
「どうしよう。・・・、はっ、そうだ。」
“ゴソゴソ”
「よかった。ちょうど足りる。おばあちゃん、使わせてもらいます。これでお願いします。」
桃子はぽち袋に入ったお札を、すべて担当者に手渡した。
「ありがとうございます。」
ぎりぎりで間に合い乗船できたフェリー。
2段ベッドの部屋には、初老の女性が1人いるだけだったが、
それでも桃子は、なるべく顔を合わせないようにし、ベッドにこもっていた。
和室の大部屋には、学生や肉体労働者の姿があったので、
2段ベッドの部屋からも、出ないようにしていた。
だが、揺れる船内で小さな2段ベッドに引きこもるのも相当なストレスであり、
人気がないのを見計らって、デッキに出て潮の香りをかいだ。
途中、何か所か寄港しながら船に揺られること、およそ40時間、
桃子は那覇新港に降り立った。
64 :セル :2018/01/25(木) 23:39
「ここ、どこだろう。なにか見覚えのあるような、ないような。」
自転車をこいで海沿いを進んだ桃子は、断崖絶壁で一人たたずんでいたが、
徐々に暗くなりつつある空を見て、急に心が乱れ始めた。
「どこで、人生を誤ったんだろう。私、もう一度頑張れるのかな。」
桃子がうつむくと、沈む夕日に照らしだされ、
目の前に、海に伸びる一本の道が作り上げられていた。
荒い波が光を怪しく乱反射させ、まるで桃子を手招きしているようだった。
しゃがみこんでいた桃子は、突如立ち上がり、
手招きに誘われるように、崖に向かって歩き出した。

<つづく>
65 :名無し飼育さん :2018/01/26(金) 08:54
ももち後ろ〜後ろに下がって〜
66 :セル :2018/01/27(土) 00:02
<つづき>

もう、あと数歩で、照らし出された一本道へ飛び込もうかというそのとき、
「ちょっと、あんた。なにしてるさぁ。」と、1人の女性が背後から桃子に声をかけた。
“ハッ”桃子は我に返ると、慌ててその場から逃げようとした。
だが、桃子はその声に、なにか懐かしさを覚えて足を止め、振り返った。
夕日に照らされた女性は、あまりにまぶしく、顔はまったく分からなかったが、
徐々に目が慣れ、表情も分かるようになってきた。
「あ、おかあさん!」
桃子は、久々に大きな声を出した。
逆光で、女性も桃子の顔が全く見えていなかった。
だが、その声を聞いて、すぐに気付いた。
「桃子ちゃんかい!」
女性は、桃子のもとに駆け寄り、手を握った。
それは、かつてDVD撮影で世話になった、果樹園のおばさんだった。
「ご無沙汰してます。」
「桃子ちゃんは、ずいぶん雰囲気が変わったね。声を聞かなかったら気付かなかったよ。」
「すみません。」
「芸能界引退したって聞いて、ほんとびっくりしたさあ。」
「ええ、まあ。」
「雰囲気が変わったというか、その姿はどうしたね。」
髪はぼさぼさ、服は汚れ、肌には塩がふき、汗の臭いもひどかった。
下を向き、なにもしゃべらなくなった桃子の姿を見た女性は、
にっこりとほほ笑むと、なにも聞こうとはせず、
「泊まるところは決まってるの?よかったら、今日はうちにおいで。」と、桃子を誘った。
67 :セル :2018/01/27(土) 00:03
「マンゴーがあればよかったんだけれどね。もうこの季節になると、果物はなにもなくて。」
「いえ、とんでもない。沖縄そば、すごくおいしいです。」
シャワーを浴び、さっぱりした桃子は、笑顔でそうこたえた。
「そう。よかった。」
しかし、その女性は、桃子の肌や髪が傷んだ姿を見て、ひどく心配になっていた。
「これから、どうするの?」
「1人でゆっくりしたくなっちゃって、ずっと旅してきたんですけれど、
せっかく沖縄まで来たんで、しばらくこっちに滞在できればと思ってます。」
「いいよ。うちにいても。」
「とんでもないです。どこか宿を探して泊まります。」
「宿じゃ、お金がたいへんじゃない。それに、東京とは違ってなにもないし。」

数日後、桃子は転居で無人となった小さな家を紹介してもらい、住むことになった。
68 :セル :2018/01/27(土) 00:05
「桃子ちゃん、ここよ。」
女性に連れられ、桃子は家からやや離れた、小さな食堂に案内された。
「最近は、こんな片田舎の小さなお店にも、けっこうお客さんが来るようになって。」
「そうなんですか。今はインターネットとかで情報が調べられますものね。」
「おじいとおばあが2人でやってる店なんだけれど、人手が足りないって。」
「私なんかで、務まるんでしょうか。」
「桃子ちゃんなら大丈夫よ。さ、中にどうぞ。」
「「こんばんは。」」
「おじい、前に言ってたの、この子よ。かわいらしいでしょ。」
「あぁ、そうか。ま、そこに座って待っててよ〜。」
仕込みの最中なのか、おじいは調理場でせわしなくしていた。
すると、今度は裏口に人影が見えた。
「あ、おばあ。この子なの。紹介したいのは。」
「そうね。この子ね。うちで働きたいってのは。」
「よろしく、お願いします。」
桃子は、小さな声であいさつした。
「人が来すぎてな。もう、営業は昼だけにしようかと考えていたさ。」
仕込みが一段落したのか、おじいがカウンター越しに声をかけてきた。
「夜は、客を入れるのやめて、集落の連中だけが集まれるようにしようかって。」
おばあも口をはさむ。
「でも、若い子が手伝ってくれるなら、夜もまだやれそうさね。」
おじいが嬉しそうに言うと、おばあもにっこりと笑った。
こうして、桃子は片田舎の食堂で働くことになった。
69 :セル :2018/01/27(土) 00:06
人目を避けてきた桃子にとって、これは大きな変化だった。
だが、精神的に落ち着きを取り戻しつつあることだけが、変化の理由ではなかった。
老婆の家を出てから、ここに至るまでの道中、
自分が嗣永桃子であると気づかれることは、ほとんどなかった。
おそらく、気付かれていたときも、声をかけてくる人はいなかった。
白髪が少し混ざった髪は、かつてのような艶がなくボサボサで、
目の下には大きなくま、肌はかさつき、生気が衰えた眼は、傷みはじめた魚のよう。
アイドルのももちを知る人物に、この女性を嗣永桃子だと考えることは不可能だったし、
まれに気付いた人も、とても声をかける気にはなれないような有様。
それは、観光客も地元民も同じだった。
70 :セル :2018/01/27(土) 00:08
働き始めて数週間が経ったある日。
シーズンオフの平日ということもあり、客入りはそこそこで、多くは地元民だったが、
見慣れない男が、店の隅のテーブル席に、1人ポツンと座っていた。
他の客は全員帰ったが、閉店時間が来ても、
その男だけは、まだチビチビと酒を飲んでいた。
「桃子ちゃん。時間だし、今日はもういいよ。」
おじいが桃子に声をかけた。
「はい、お疲れ様でした。」
桃子はエプロンを外し、客に会釈をしてから、
いつものように自転車にまたがり、帰路に就いた。

「きれいなお月様。」
満月の美しい光に誘われ、桃子は自転車を降りて見入っていた。
大地を煌々と照らすほどのきれいな月ではあったが、
その日は靄がかかり、だいだい色がかった暗みを帯びた薄い光がうっすらと大地を包んで、
ある種の妖しさを醸し出していた。
桃子も、まるでなにかに憑りつかれたように、月に魅入っていた。

だが、その時、「おちゅかれぇしゃま。」
感慨にひたる桃子の邪魔する、耳障りな響きの言葉が、突如浴びせられた。

<つづく>
71 :名無し飼育さん :2018/01/27(土) 10:51
ももち大丈夫なの?
なんかずっとかわいそうな状況なんだけれど
ももち以外主要な人もぜんぜん出てこないし
ハッピーエンドになるんだよね?
72 :セル :2018/01/27(土) 23:10
今作はけっこう長編です
長い目で見ていただけると嬉しいです
73 :セル :2018/01/27(土) 23:12
<つづき>

日本語ではあるが、発音は明らかに日本人とは違う。
テーブル席にいた、あの見慣れない男だった。
店では一言も発さず、メニューの写真を指さして注文していたので、
この時、桃子は初めてその声を聞いた。
目を細め、睨むようにメニューを見る姿を薄気味悪く思っていた。
74 :セル :2018/01/27(土) 23:13
「いぇまでおくりゅよ。」
桃子は恐怖を覚え、「いえ、けっこうです。」と断る。
だが、その男は「ねえ、いいざない。」と、執拗に食い下がった。
「お気持ちだけ。」
桃子は怯えを振り払うように、語気を強めた。
「ざ、ちゅいていっていいんだね。」
男は、嫌らしい表情で桃子にまとわりつく。
「いやです。いったい、なにを聞いてたんですか。」
勇気を振り絞り、桃子は怒りをあらわにして言い放った。
「にふぉんご、よくわきゃらない。」
そう言ったかと思うと、男の態度は豹変し、
火でもついたかのように顔を真っ赤にして、桃子につかみかかった。
桃子は、悲鳴を上げる間もなく、
草むらのほうへと引きずられていき、そのまま押し倒された。
75 :セル :2018/01/27(土) 23:14
「やめて」
桃子は必死に抵抗し、手足をばたつかせた。
すると、こぶしが相手のあごに、ひざが腹部にヒットした。
ひるんだ姿を見て、その隙に逃げ出そうとしたが、
すぐに男の手が伸び、再び引き倒されてしまう。
「いやあああ。」
桃子は、再度全身をばたつかせるが、男は桃子を抑え込んでおり、
ついには動けなくなってしまった。
桃子は、なんとか動く首を必死に動かし、力いっぱい男の肩口を噛んだ。
「あやっ」
苦痛に顔を歪めながら発せられた叫び声を聞き、桃子は、男を払いのけようとしたが、
その瞬間、「F○ck」という言葉を聞くと同時に、左頬に激しい痛みを覚えた。
男は、力いっぱい桃子をはたいていた。
噛まれた痛みで目測を誤ったのか、幸い、指先が頬をかすめる程度で済んだが
76 :セル :2018/01/27(土) 23:14
それでも、そうとうの痛みだった。
77 :セル :2018/01/27(土) 23:15
「お願い、やめて。」
汗と涙と血が混ざった鼻水とで、顔をぐちゃぐちゃにしながら、
桃子は、なおも必死に抵抗を続けた。
だが、しばらくすると急におとなしくなった。
満月は、海上で発生した霧に覆われ、
弱々しくなった光は、ほとんど桃子のもとに届かなくなっていた。
「もういいや。私なんて、生きている価値もない人間だし。」
力ではとてもかなわない。そう理解した桃子の心は折れていた。
ボタンが弾け飛ぶ音を聞きながら、観念したように、そっと目を閉じる。
「こんなことで、操を失うことになるなんてね。いや、命だってどうなるか。」
桃子は、涙を流しながらひきつった笑みを浮かべた。
男の手が下着をつかむのを感じた。
78 :セル :2018/01/27(土) 23:16
その刹那、家族やかつての仲間たちの笑顔が桃子の脳裏に浮かんだ。
「・・・みんな。」
「桃、なにやってんの。」
「あきらめるな。」
「逃げなきゃダメ。」
そんな声が聞こえたような気がした。
こんなことで自分を失っていいはずはない。
霧の隙間から射した月光が目に飛び込み、
誰かが近くにいるような、そんな錯覚を覚えて我に返った桃子は、
「助けて」と大声を出し、来るはずのない助けを必死に求めた。

<つづく>
79 :名無し飼育さん :2018/01/28(日) 21:34
誰か助けてあげて
誰もいないなら私が
80 :名無し飼育さん :2018/01/29(月) 02:43
ももちに何かの恨みでもあるのかという内容でワロタ
よく書けるな
81 :名無し飼育さん :2018/01/29(月) 06:18
作者の過去作品見れば
ももち愛にあふれているのがわかるよ
きっとハッピーエンドになるはず
82 :セル :2018/01/29(月) 22:00
今回のテーマと過去の作品と似た内容にならないようにした結果
かなり重い内容になっていますし今後もそういった部分はあるかと思います
不快な思いをさせていたら申し訳ないですが最後までおつきあいいただければと思います
83 :セル :2018/01/29(月) 22:03
<つづき>

俺は、フィールドワークで沖縄に滞在していた。
その日、インフォーマントへのインタビューに時間がかかり、
また、泡盛をすすめられたため、調査を終えた頃には、既に深夜になっていた。
沖縄での調査には、たびたび酒が付きまとう。
いかにして酔わないようにしながら調査を進めるかも、腕の見せ所だ。
インフォーマント宅を出た俺は、
アルコールを少しでも排出しようと、空に向かって口を突き出し大きく息を吐いた。
その息の先には、大きな満月が輝いており、俺は口を突き出したまま、
「おぼろ月か。」
そう心の中で呟くと、月を眺めながら歩いた。
84 :セル :2018/01/29(月) 22:04
だが、ふと我に返り、「この時期はまだハブが出たかな?」と、急に足元を気にしだす。
その時、女性の叫び声のような悲鳴が聞こえた気がした。
「えっ?」
呼吸を整えて、耳をすます。しかし、なにも聞こえない。
「空耳か。」
そう思った瞬間、こんどははっきりと、
「やめて」という声が聞こえ、続いて男の呻くような音が響いた。
あんなに明るかった空が、いつしか闇に覆われかけ、視界はほとんどきかなくなっていた。
だが、わずかに切れた霧の隙間から大地を照らした満月の先の草むらで、
なにかがうごめいているのが見えた。
俺は息を殺し、忍び足で近づく。
すると、今まさに男が女の服を引きちぎり、凌辱しようとしているところだった。
月明かりが反射した女の瞳が、俺のほうを向いた。
85 :セル :2018/01/29(月) 22:06
その瞬間、「助けて」という悲鳴が上がった。
俺は反射的に、女に覆いかぶさった男に突進した。
男は痛みに顔をゆがめると、なにやら喚きだしたが、
その言葉は日本語ではなく、俺には理解できなかった。
男は、俺に向かって殴りかかってきた。
だが、女同様、その男も服を半分脱ぎ掛けた状態で、動きは鈍かった
俺は前蹴りで相手の動きを止めると、
全体重を乗せて、相手のあご目がけて肘を叩き込んだ。
カクンと顔が傾き、相手は棒立ち状態になったかと思うと、
そのまま前のめりに倒れこみ、動かなくなった。
「まずはこの人を助けないと。」
俺は彼女を抱きかかえて、その場を離れた。

痛みがあるのか、彼女は足を引きずるようにしていた。
俺は肩を貸しながら、懸命に歩いた。
最後は、おぶるような状態になったが、
ようやく、俺が滞在している民宿の玄関前に着いた。
とっくに消灯時刻を過ぎていたので、玄関も廊下も真っ暗だが、
暗闇の中、薄い月明かりが、彼女の全体をうっすらと浮かび上がらせた。
その姿はひどいものだった。
鼻血を出し、顔は泥まみれになっていた。
服は破け、下着が丸見えになっていた。
「これを。」
とっさにシャツを脱ぎ、彼女の背中からかけてやった。
86 :セル :2018/01/29(月) 22:08
幸いにして、意識はしっかりしていた。
淡い月明りを頼りに、俺は部屋から持ってきた救急セットで応急処置をした。
彼女は、処置をする俺の顔を見ると、一瞬うろたえた。
俺もその表情に気付いたが、
あんなことがあった直後で、俺も男だから怯えたのだろうと思い、
「安心して。変なことはしないよ。それにここには、女性もたくさん泊まってるから。」
そう語りかけると、彼女は俺から目をそらした。
そして、手当もそこそこに衣服を整え、「もう、大丈夫です。」と言って帰ろうとする。
鼻血が詰まっているせいだろうか、その声はこもっていた。
「まだ、応急処置をしただけだから。病院へ、それに警察にも通報しないと。」
「警察には言わなくていい、病院にも行かなくていいです。」
彼女は背を向け、小さく、しかし、怒気を含んだ声を俺に放った。
「でも。」
「本当にいいんです。助けていただいてありがとうございました。」
呆気にとられる俺をしり目に、彼女は痛々しげに足を引きずるようにしながら、
小走りに去って行った。
87 :セル :2018/01/29(月) 22:10
自分が襲われた現場に立つ桃子。
幸い、あの男はもういなかった
「よかった。あった。」
危険も顧みず、自転車を取りに戻っていた。
「着たまま来ちゃった。」
自転車を起こすと、桃子は俺にかけられたシャツを“ギュッ”と握りしめた。
いつしか霧はすっかり晴れ、真上にあった月は、既に西の空に傾きながら、
彼女を明るく照らしていた。

翌日、大けがをした外国人男性が救急車で病院に運ばれたと、小さく報じられた。
滞在していたホテルのフロントにたどり着いたところで倒れ、
慌てて従業員が119番通報したのだという。
しかし、男は酔って転んだだけだと言い張り、事件が明るみになることはなかった。
男は、後遺症が残るほどの大けがを負っていた。
本来なら、刑務所に収監されて当然の犯罪だった。
だが、桃子の将来を考えた場合、結果的にこれでよかったのかもしれない。
桃子は、軽症こそ負ったが無事だったのだから。
こんなニュースは、こんな男のことは、
桃子にも俺にも、もうどうでもいい話。
その時は、そう信じて疑わなかった。
88 :セル :2018/01/29(月) 22:11
それから1週間。
長期フィールドワークも順調に進み、俺は一人、息抜きも兼ねて、
小さな食堂に立ち寄った。
調理場には老夫婦の姿、そして、アルバイトだろうか、給仕の若い女性がいた。
数品の料理で腹を満たすと、閉店にはまだ時間があったが、既に客ははけていて、
調理場内は、後片付けに入ろうかという状況になっていた。
「あ、今日はもうおしまいですか?」
「いや、いいよ。ゆっくり、飲んでって。」
おばあが微笑みながら答える。
「たくさん飲んでってよ〜。料理は簡単のものにしてくれるとありがたいけれど。」
おじいが“にこっ”としながら言う。
「わかりました。売り上げに貢献すべく、しこたま飲みます。」
俺も、笑いながら返した。
89 :セル :2018/01/29(月) 22:14
給仕の女性だけは、無言だった。
俺が店に入ると、慌ててマスクを着用し、
さらには、注文するときも、顔すら合わせようとしなかった。
「愛嬌のない女だな。」
いい気持ちはしなかったので、俺もそっけなくしていた。
だが、酒がまわり、老夫婦の楽しげな表情を見ていて、
俺も上機嫌になっていた。
「次はこれにしよう。」
向こうは相変わらずだったが、
今度は、にこやかな表情で、彼女の顔をしっかりと見て注文をしようとする。
その時、彼女の顔の絆創膏と、体にできたあざが目に飛び込んだ。

そして、俺はようやく気付いた。
「あのときの!」
俺が、大声を出すと、“はっ”と女性は、慌てて顔を背けた。
「桃子ちゃん、注文だよ。」
おじいの声が響く。
「ももこ?」
俺の頭には、すぐに1人の女性の顔が浮かんだ。
伏し目がちに顔を背け、彼女は俺のもとにやって来た。
「なににしますか?」
顔をそむけていたため、彼女の横顔のシルエットがはっきりと浮かび上がる。
(ももこ・・・?、桃子!この声、それにこの凛とした横顔。)
「え?嗣永さん?!」
俺はテーブルに“ガタン”と膝をぶつけながら立ち上がった。
90 :セル :2018/01/29(月) 22:15
片田舎の食堂に、桃子似の女性がいるとの噂は聞いたことがあった。
だが、それが沖縄だとは考えもしなかった。
それに、白髪交じりの頭に、ガリガリに痩せた厚化粧の女。
とても桃子とは思えなかった。

大学も研究分野も年齢も違う俺だが、お互いの指導教員同士が親しかったこともあり、
桃子が学部学生時代、俺は彼女と何度か顔を合わせたことがあり、
それなりに親しくなっていた。
初めて会ったときは、アイドルということも知らなかった。
あの頃の、快活でつやつやとしていた彼女しか知らなかった。
これが桃子とは思えない、いや思いたくなかった。

俺は心配になって、真剣に話しかけるが、桃子はそっけなく答えるだけだった。
なにかを察したおばあが、おじいに声をかけ、
老夫婦は、「ちょっと家に忘れ物したから取りに行ってくる。すぐに戻るから、店番頼むよ。」
そう言って、出て行った。

<つづく>
91 :名無し飼育さん :2018/01/30(火) 09:07
ついに「俺」登場
ありがとう助けてくれて
92 :セル :2018/01/31(水) 01:06
<つづき>

「いったい、どうしたんだ?こんなところで、なにをしてるの。」
老夫婦がいなくなり、俺は感情がむき出しになった。
「なんでもないです。」
やっと桃子は口を開いた。
「なんでもないことあるかい。大学院に進学したって聞いていたのに。」
「いろいろあったんです。でも、あなたには関係ない話ですから。」
「そんな言い方は、やめてほしいね。」
桃子は知らんぷりして奥へ行こうとする。
俺はそんな桃子の肩をつかんで、正面に回り込む。
その際、肩をつかんだ手が、耳にかかったマスクのひもに触れて外れ、
桃子の顔があらわになった。
「えっ。」
俺は一言発した後、絶句した。
その顔には、まだ小さな傷やアザが残り、唇は腫れていた。
あの桃子が厚化粧をしている理由。
それを悟って、俺はなにも言えなくなった。
そして、なにか申し訳ない気持ちになり、目に涙をためた。
普段は勝気な俺であり、そのことは桃子も知っていた。
そんな俺が目を腫らす姿を見て、桃子は“はっ”となり、冷静さを取り戻した。
93 :セル :2018/01/31(水) 01:08
「Berryzの仲間は、みんな新しい世界で活躍し、新たな一歩を踏み出してる。
カントリーの後輩も、立派に成長して、移籍先でもカントリーでも、本当に頑張ってる。
周りの学生も、楽しそうに研究を進めている。
それなのに、私だけこんなことになって。どうしようもない人になっちゃって。
そう、ひがんでたんです、みんなのこと。」
桃子は、自分の中に閉じ込めていた感情を、一気に俺に吐き出すと、嗚咽した。
俺は、桃子の肩を優しくたたいてやることしかできなかった。

ひととおり話し終えると、すべてを吐き出しよどみが消えたのか、
桃子はすっきりした表情になり、落ち着きを取り戻した。
つい先ほどまで、自分のことでいっぱいいっぱいだった桃子が、
いつしか、俺の近況について尋ね始めていた。
社会と宗教の関わりについての研究をする俺が、たまたまフィールドワークで沖縄を訪ね、
そして、桃子と再会できたことを報告すると、
「私も、ここに来て本当に良かった。」と、桃子は喜んだ。
その笑顔を見て、「やっぱりこのこは嗣永さんだ!」と、改めて実感し、
自然と俺からも笑みがもれた。
「リポートを読んでみたいです!」
桃子は目を輝かせた。
店の外で、老夫婦は煙草をふかしながら、静かに泡盛を飲んでいた。
94 :セル :2018/01/31(水) 01:12
数日後、俺が滞在している民宿に桃子がやってきた。
あの時とはうって変わって、その表情は輝いていた。
ルール違反なのは分かっていたが、俺は彼女を部屋に招き入れた。
フィールドノートや、まとめたリポートのファイルを俺があさっていると、
「あの、これ。ずっとお返ししないとと思っていたんですけれど。」と言って、
桃子はカバンから、きれいに折りたたまれたシャツを取り出した。
「その節は、助けていただいてありがとうございました。」
桃子は俺の横にちょこんと座り、頭を下げた。
「あの時は、気づかなくてごめん。でも、だいぶ元気になったようで、安心したよ。」
そう言って俺は、桃子が差し出すシャツに手を伸ばした。

「あ、それ。見せてください。」
俺の隣でフィールドノートを眺めながら、桃子はうらやましそうな表情になった。
そして、上目づかいで俺を見ると、「お手伝いしたいな。」と、申し出た。
「ありがとう。でも悪いよ。」
「迷惑ですか?」
「いや、迷惑だなんて。じゃ、お願いしてもいいかな。」
俺がそう言うと、目をキラキラ輝かせながら、
「はい!」と、桃子は嬉しそうに返事をした。
95 :セル :2018/01/31(水) 01:13
昼間、桃子は俺の調査を手伝うようになった。
研究分野が異なるため、踏み込んだ内容のお願いはできなかったが、
桃子はインタビューのメモ作成や、資料整理などを積極的にこなしてくれた。
沖縄の十六日祭を経験した際は、祖先のために一族が集まる姿を見て、
老婆とともに過ごしたお盆を懐かしく思い出していた。
また、現地の子供たちが、地域の催しや祭祀など、行事に積極的に参加する姿を見て
桃子はなにかを思い出し始めていた。

「芸能界を引退し、もう一度勉強をしたい。」
初心にかえった彼女の表情は、日に日に輝きを取り戻していった。
「桃子ちゃんは、ちょっとなあ。」
そう言って敬遠していた地元の人達も、次第に声をかけるようになっていた。
桃子も、食堂の客だけではなく、道すがら出会う人達と、
気さくに挨拶をするようになった。
もう、下を向いて歩くことはなくなっていた。
そんなある日、不意に桃子を訪ねる人物がいた。

<つづく>
96 :名無し飼育さん :2018/01/31(水) 08:48
ようやくももちが元気に
よかったよかった
ところで誰がきたんかな?
97 :セル :2018/02/01(木) 00:17
<つづき>

「ももち先輩。」
店じまいを手伝っている桃子に、突然、懐かしい声が投げかけられた。
「どうして?」
振り向いた桃子は、目を丸くした。
「やっぱり、ももち先輩だ。」
その人物は、桃子のもとに駆け寄り、思い切り抱きついた。
「梨沙ちゃん。」
桃子はそう言うと、グッと唇をかみ、口を真一文字に結んだ。
98 :セル :2018/02/01(木) 00:18
「どうぞ。散らかってるけど。」
「お邪魔します。」
桃子に導かれ、梨沙は自宅に足を踏み入れた。
「すみません。急に押しかけて。」
梨沙は、申し訳なさそうに言った。
「ううん。嬉しかったよ、来てくれて。でも、どうしてここが分かったの?」
「友達が、ももち先輩に似た人を見たって。それで、どうしても行かなくちゃって思って。」
「でも、今日はコンサートじゃなかったの?」
「終わった後に、最終便で来ちゃいました。」
「東京に戻らなくてよかったの?」
「マネージャーさんに頭を下げて来ました。行くなら今しかないって、急に思い立って。」
「無茶なことしないでよ。」
「空港に着いて、『私、ももち先輩のところに行ってくる。』って言ったら、
カントリーのみんなも行くって言い出して。
でも、学校や別のお仕事が入っているこもいるし。
だから、私が代表で行くからって説得して。」
「そうだったんだ。」
「舞ちゃんと結ちゃんは、泣いてました。」
「・・・、そっか。あの2人は涙もろいもんね。」
99 :セル :2018/02/01(木) 00:20
「沖縄行きの便に空席があって、ほんとよかった。」
「自腹で航空券買ったの?それに、空港からは?
こんな時間だし、もうバスなかったでしょ?」
「タクシーで来ちゃいました。」
「え、高かったでしょう。」
「大丈夫です。山木財閥って、ももち先輩もおっしゃっていたじゃないですか。」
「そうか。そんなこと言ったこともあったね。」
「それより、みんな心配してますよ。」
「・・・、うん。」
「なにがあったかは聞きません。でも、お願いですから帰ってきてください。」
「必ず帰るから。でもお願い、もう少し時間をください。」
桃子は正座をし、後輩の梨沙にあらたまって頭を下げた。
「やめてください、そんなこと。」
梨沙は桃子の手を取った。
2人で手を握り合い、涙しながら、
「みんなのこと、忘れたことないよ。」と、桃子は目を赤く腫らして言った。
100 :セル :2018/02/01(木) 00:22
「ももち先輩は、死に場所を探しているんじゃないか。」
そんな不安が、梨沙の頭をもたげていた。
だが、桃子の表情を見て、梨沙の不安は吹き飛び、ようやく安心した。
「ももち先輩が、今日はコンサートだって知ってくださっていて、本当に嬉しかったです。」
「そりゃあね。みんながヘマしてないか心配で心配で。」
桃子の顔は、まるで子供たちを見守る母親のような優しさに満ちあふれていた。
「も〜。」
そう言いながらも、梨沙の顔も喜びに満ちあふれていた。
「舞ちゃんと結ちゃんが泣いてたって言ってたよね?
『小関と船木、アウト〜!』って、伝えておいて。
そんなんじゃ、いつまでたっても高級焼肉はご馳走できないな〜って。」
梨沙はそれを聞いて、頬に涙を伝わらせながら、大笑いした。

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